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日本認知言語学会 講演

(2004年9月19日、関西大学)

茂木健一郎 「鏡」から「コンティンジェンシー」ヘ:

言語の認知プロセスについての考察

(talk 80分、質疑応答 30分)

http://www.qualia.csl.sony.co.jp/~kenmogi/lectures/jcla2004mogi.MP3

(mp3 file, 46.7MB)

 

<<講演予稿>>

「鏡」から「コンティンジェンシー」へ

ー言語の認知プロセスについての考察ー

茂木健一郎 ソニーコンピュータサイエンス研究所

kenmogi@qualia-manifesto.com

 

1.経験か概念か

 

 言語の起源の解明は、経験主義科学の問題としてブレイクスルーを迎える

のか、それとも、何らかの概念的ジャンプが必要なのか?

 言語という研究対象は、今までの伝統的な経験主義科学の方法論だけでは

太刀打ち出来ないのではないかという直観も禁じ得ない。とりわけ、チョム

スキーもその言語理論の中核に置いている、「再帰」(recursion)という認知

要素を前にして、その思いを新たにする(1)。

 数学において無限概念は論理の展開に欠かせないが、人間はそれを「実無

限」(無限自体)ではなく、有限の手続きによって提示された「可能無限」と

して知覚する(2)。人間は、1、2、3,・・・・のような有限な文字列の

提示で直ちにその意味するところを知覚する、上の可能無限の提示は、数学

的帰納法を通して、より形式的な再帰の定義を与えることもできるが、そう

したからとして何か本質的に新しい事態がもたらされるわけではない。

 神経現象学(3)の立場から言えば、可能無限とはすなわち志向性(4)

の問題である。むろん、人間の認知過程を一切意識の中の表象に言及せずに

機能主義的に扱うことも可能である。しかし、その場合でも、一体志向性を

実現している神経活動が何なのかという質問自体は、経験主義科学の問題と

して残り得る(5)。

 言語の意味を支える志向性の問題だけを考えても、言語の起源は、経験主

義科学の問題であると同時に、何らかの概念的ジャンプを必要とする問題で

もあることは明らかである。神経科学に究極的にはその物質的な接地を求め

得る様々な経験主義科学の知見を積み重ねつつ、新しい説明概念を模索する

ことが、言語の起源のより深い理解につながる。

 

2、再帰から志向性へ

 

 言語の本質は、有限の表象(それが音声でも、文字でも、いずれにせよ認

識過程の中である同一性を持ったもの)が一見無限のものを志向しているか

のように思われる点にある。前節に挙げた有限の文字列による「可能無限」

の表現は、直ちに再帰性の一事例として了解されるものである。しかし、そ

れだけが有限の文字列の持つ志向性の形式ではない。

 有限な表象列が、オープン・エンドな対象を志向できるという言語の性質

をとらえる時、「再帰」は従来の数学的形式との親和性は高いが、必ずしも一

般的な概念ではない。むしろ、「再帰」という形式に囚われずに、有限のもの

が一見オープン・エンドで無限なものを表象しうる、志向性の一般的形式を

探求する方が本質的な営みである。志向性の一般的形式が得られた時、「再

帰」は、その特殊な一形式であることが明らかになるだろう。

 

3、認識における感覚的なものと志向的なもののマッチング

 

 志向性の作用という言語の形式は、前言語的な認識のプロセスにおいてす

でに始まっている。チョムスキーらの言う「広義の言語機能」の中には、認

識のプロセスにおいて一般的な志向性の形式が含まれており、この能力は人

間だけではなく、広く動物一般に共有されていると考えられる。

 視覚においては、視覚的アウェアネス(5)やブラインドサイト(6)の

神経機構の研究を通して、志向的プロセスと感覚的プロセスのマッチングと

しての認識のメカニズムが明らかになってきた(7)。ブレンターノの言う、

現実には存在しないものをも志向できる認識のメカニズムは、感覚的プロセ

スによって完全には定義できない志向的な視覚プロセス(例えばカニッツア

の三角形のような錯視図形の認知)にすでに現れている。

 錯視をそのスペクトラムの一端に含む能動的視覚(active vision)という

観点から見れば、志向性は、言語に固有の性質ではなく、むしろ認識一般に

共通の属性であると考えられる。「狭義の言語機能」の本質的要素の一部分は、

「広義の言語機能」としての能動的認識のメカニズムの中にすでに用意され

ている。

 志向的なプロセスのもう一つの特徴は、感覚の各モダリティ(視覚、聴覚、

触覚など)に依存しない、共通の認識のメカニズムを提供していることであ

る。モダリティ非依存性は、能動的認識のメカニズム全般に備わっており、「狭

義の言語機能」の前適応として機能したと考えられる。このような「広義の

言語機能」は、人間だけに限らず、多くの動物の脳に備わっていると推定さ

れる。

 

4、鏡からコンティンジェンシーへ

 

 動物一般に見られる「広義の言語機能」が、いかに人間固有の「狭義の言

語機能」に高められるか、そのミッシング・リンクの実体は未だ明らかでは

ない。

 コミュニケーションをめぐる様々な個体間のダイナミクスや、一つの呼気

の間に複数の音節の発話を可能にするような解剖学的変化が重要であること

はもちろんのことである。言語機能を脳内機構として見た場合、もっとも重

要な要素は、前節で議論したような認識における志向性が、運動における志

向性と有機的に結びつくことである。

 自ら行為すること(運動)と他者の行為を見ること(認識)を結びつける

「ミラーニューロン」の発見(8)は上のミッシング・リンクを与える神経

機構の一端を示唆する。しかし、このミッシング・リンクの本質を、「鏡」と

いうメタファーでとらえることは、誤った局所的最適に私たちを導くかもし

れない。

 その後の知見(9)を参照すると、「ミラーニューロン」として当初報告さ

れた神経細胞は、むしろより一般的に「コンティンジェンシー」

(contingency)を表現していると考えた方が良いように思われる。ここに、

「コンティンジェンシー」(偶発性)とは、二つのイベントが因果的連鎖のよ

うに固い対応関係を持って起こるのではなく、様々な要因を反映して、完全

には予想できない形で起こることを指す概念である。ランダムに起こるとい

うわけではなく、むしろ、何らかの関係性を能動的に見いだせるような緩い

関連性を持った形で起こるのが、人間が日々相互作用する環境に内在する性

質である。

 「コンティンジェンシー」を発見し、有効に対処する認知プロセスの能動

的な構築を通して世界を構造化する。ミラーニューロンを含むそのような「コ

ンティンジェンシー」構築の能動的プロセスの先に、言語が現れると考える。

 

文献

 

(1)Hauser, M.D., Chomsky, N. & Fitch, W.T. Science 298, 1569. (2002)

(2)野矢茂樹「無限論の教室」講談社 (1998)

(3)Varela, F. Journal of Consciousness Studies. 3, 330. (1996)

(4)Brentano, F. Psychology from an empirical stand point. Routledge

& Kegan Paul (1874).

(5)Crick, F. & Koch, C. Nature 375, 121. (1995)

(6)Pppel, E. , Held, R. , & Frost, D. : Nature 243, 295. (1973)

(7)Taya, F. & Mogi, K. Forma 19, in press (2004)

(8)Gallese V, Fadiga L, Fogassi L, Rizzolatti G. Brain 119, 593. (1996)

(9) Kohler, E. et al. Science 297, 846. (2002)