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公開講座

脳の中の仮想と現実

講師 

脳科学者 茂木健一郎

 

日 時 2002年4月16日、4月30日、5月21日、6月4日、18日 (全5回、火曜日) 18:30 ~ 20:30

<講座のねらい>

 私たちが体験することの全ては、ニューロン活動のもたらす脳内現象です。脳内現象という視点から見れば、仮想(フィクション)と現実(リアリティ)の間に本質的な差はありません。人間はいかにして現実感を獲得するのでしょうか? 仮想されたものを感じ取る私たちの能力は、どのように生み出されるのでしょうか? 夢、創造、予感、追憶において、現実と仮想はどのように交錯しているのでしょうか? 脳科学や認知科学の発達は、現実と仮想の境界を揺らがせ、私たちに新しい世界観を提示しつつあります。脳科学の最新の知見に基づいて、現実と仮想の関係について考えて行きます。

・リアリティの脳内機構

・仮想を支える志向性のネットワーク

・リアリティとクオリア(感覚質)

・無意識と意識の関係

・文学、映画における現実と仮想の認知科学

・リアリティ、仮想と時間

茂木健一郎(もぎけんいちろう)

1962年生まれ。ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー。東京工業大学客員助教授。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学理学系大学院物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。 主な著書に『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『生きて死ぬ私』(徳間書店)、『心が脳を感じる時』(講談社)、『心を生みだす脳のシステム』がある。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究している。

受講料 会員13,000円 一般15,500 円 (入会金不要)

入会金不要 受講料には消費税5%が加算されます。

場所  新宿住友ビル48階 朝日カルチャーセンター(申し込みは4階受付)

お問い合わせは

朝日カルチャーセンター 03-3344-1945(直通)まで

受講受付専用ダイヤル

03−3344−5450 時間 午前10時半〜午後5時

インターネットからも申し込みができます。

朝日カルチャーセンター東京(新宿)

参考:こんな感じのことを話そうと思っています。

脳の中の仮想と現実  

(3月23日付 讀賣新聞 夕刊 文化欄掲載エッセイ)

(C)茂木健一郎 2002

 毎年、この季節になると落ち着かなくなる。木の芽が吹き、花のつぼみ

が膨らみ、風が爽やかに薫る。やがて来るもの、まだ形になっていないも

のへの憧れの気持ちが強くなる。

 脳はもともと、現実に存在しないものをイメージする能力を持っている。

外界からの刺激を受動的に取り入れるだけでない。認識とは、現実(今こ

こにあるもの)と仮想(今ここにないもの)の出会いであるというのが、

脳科学が切り開きつつある人間観である。内なる世界観に基づいて、様

々な仮想を自ら作り出す。仮想を世界の上に重ね合わせる。そこに、創

造性が立ち現れる。

 昨年の暮のこと。朝一番の飛行機で出張から帰ってきた私は、羽田空

港のレストランでカレーライスを食べていた。クリスマスソングが流れ

ていた。隣の席に、家族連れがいた。五歳くらいの女の子が、三歳くら

いの女の子に向き直り、次のような質問を発した。

 「ねえ、サンタさんて本当にいると思う?」

 それから、大きい女の子は、サンタの実在性について、自分の考え方

を独り言のように話し始めた。

 「私ねえ、サンタさんて、本当は・・・・・だと思うの・・・・・」

 春の気配が深まるにつれ、あの時のことを繰り返し思い出す。

 サンタの本質は仮想である。5歳の女の子にとってのサンタの切実さ

は、それが現実にはどこにもないということの中にある。あの時、あの

女の子は、仮想というものの切実さについて語っていたのだ。

 花見の季節である。桜の花は、何とも言えない質感に満ちている。ほ

んのりとした色づき、優美な花びらの形。感覚の中にあふれる質感を、

現代の脳科学は「クオリア」と呼ぶ。春の空気に触れて心の中に立ち上

がるそこはかとない憧れもクオリアである。サンタがプレゼントを持っ

てくるという予感もクオリアである。五歳の女の子も、私たちも、様々

なクオリアのかたまりとして世界を体験している。

 酒を持ってふらりと出かける。満開の桜の木の下に座る。手を叩き、

空を見上げる。宴の後、どこか完全には満たされない気持ちが残る。酔

いが覚めた後の幻滅だけではない。おそらく、私たちは、仮想を希求す

る心が現実に肩すかしされてしまったことを感じるのだ。

 それでも、私たちはまた桜の花を見に出かける。

 桜の木に近づく私たちは、サンタのことを思う五歳の女の子と同じよ

うに胸を弾ませている。数字にも言葉にもできない、たおやかで繊細で、

そして切実なクオリアたちに導かれ、私たちはまた春を迎える。