Back to 心と脳に関する本 by 茂木健一郎

「生きて死ぬ私」 徳間書店 1998年

(c) 茂木健一郎 1998

目次

まえがき

第一章 人生の全ては、脳の中にある

◆本気になること ◆私の人生は、この世の素材からできている ◆哲学とファッション・ショー ◆母と仏壇 ◆蝶の胸 ◆人間が幸福であるための条件

第二章 存在と時間

◆すべり台 ◆生きて死ぬ私 ◆時間と空間と存在 ◆記憶と時間の流れ ◆今 ◆恐竜時代のラジオ ◆生と死と時間の不可逆性 ◆不安 ◆全知感とネオフィリア ◆ウサギ

第三章 オルタード・ステイツ

◆意識の変性状態 ◆意識の変性状態のイメージ・プロブレム ◆臨死体験 ◆フィシャマンズ・ワーフ ◆体外離脱体験 ◆ブロードの制限バルブ説 ◆ブロードの制限バルブ説と体外離脱体験 ◆制限バルブ説の問題点 ◆銀の糸 ◆記憶が残ること ◆エックルズの「抗し難い」体験 ◆臨死体験と超越的なもの

第四章 もの言わぬものへの思い

◆生まれてこなかったもの ◆箱庭療法 ◆夢の王国 ◆もの言わぬものへの思い

第五章 救済と癒し

◆壊れた心 ◆宗教的感情は、ばらばらの要素から出来ている ◆宗教的天才 ◆救済と癒し ◆去っていったものたち ◆ありうる全ての世界の中で

第六章 素晴らし過ぎるからといって

◆生きることはメタな価値である ◆超越的なもの ◆沈黙 ◆暗号 ◆解読 ◆究極の哲学 ◆メスグロヒョウモンの日 ◆クオリア ◆素晴らしすぎるからといって・・・

本文から

第一章 「母と仏壇」より

   大学生だった頃のある日、私は夕食の席で、父親や母親と雑談をしていた。何かのきっかけで、話が墓参りの話になった。私は、自分が死んでも墓になど入れてくれなくても良いと言った。死んでしまえば、人間は無なのだから、墓などに入れても仕方がないと言った。そんなことのために、ただでさえ狭い日本の国土を使うのはナンセンスだと言った。だいたい、過去に死んだ日本人が、全員墓に埋められたら、どんなことになると思うのかと言った。ゴルフのために広い土地を使うのがナンセンスなのと同じように、墓などつくるのはナンセンスだと言った。

 突然、母親が泣きだした。それまでに見たことがないくらい、激しく泣き出した。食卓となっていた掘り炬燵の横に寝転がって、人目もはばからず泣いた。父が慰めようとしても、耳に入らず、赤ん坊が火がついたように泣くようにないた。

 泣きながら、母はこういった。

 私が死んでも、私を墓に入れてくれない気だ。私が死んでも、墓参りにもこない気だ。

 母の泣き方は、尋常ではなかった。そこには、何のためらいも、抑制もなかった。

 私は、ひどく当惑していた。母が泣きだしてしまったことに、ショックを受けていた。そうなるとは、予想もしていなかったのだ。母を泣かせようと思ったのではなかった。母が、それほど激しい反応をするとは思わなかった。

 それから2、3日は、きまりが悪いような、それでいてどこか温いような、変な気分だった。そこには、まだ結婚前の母の写真を見つけたような、母を一人の人間として再確認したような、奇妙な違和感と安堵感が同居していた。一方では、私は母を殴ったことなどなかったのに、言葉の暴力を振るってしまったのかという、後悔の念があった。私の言葉に、母をあれほど激しく泣かせるほどの力があるとは思っていなかった。

 私は、人間は死んだら無だと思っている。つまり、時間の流れの中で、私という人間がもし死ぬ時が来たとしたら、その後には、私という人間の心を支えていた物質的基盤は全てなくなってしまい、それで終わりだということだ。いわゆる「死後の世界」というものがあるとは思わない。もちろん、人間の生と死がその中で展開される、時間の流れそのものについての理解が深まる余地はあるだろう。実は、誕生とともに生が始まり、死をもって生が終わるというストーリーが、不完全で浅はかな理解に過ぎなかったということになるかもしれない。だが、そのような根本的な時間観、死生観の変化がない限り、人間の願望とイマジネーションの作る安易な「死後の世界」などというものはないと思っている。生と死の真実は、もっと厳しいものであると思っている。そのような真実を見つめることによってこそ、人間は死を乗り越えられる可能性があると思っている。だから、私の死後私の骨を墓に入れようがどうしようが、それは私の死を思い出す人にとっての問題であって、私の一身には(その時は、そもそも私は存在していないのだから)関わりのないことだと思っている。そんなことを、母親にゆっくりと説明したら、ひょっとしたら母はわかってくれたかもしれない。墓に入れるなどということは意味のないことだと、納得してくれたかもしれない。

 だが、そのような理屈は、目の前で母親が泣いているという状況の前では、何の力もなかった。ただ、私はどうしたら良いのかわからなくて、呆然としているだけだった。

 それ以来、私は、時折実家に帰省した時には、仏壇に線香を上げるようになった。父母ともまだ健在なので、死んだ祖母、祖父のための線香だ。なぜ、そんなことをするのか、自分でもよくわからない。確とした宗教的な思いがあるのでもなく、どちらかと言えば儀式として面白がってやっている部分もある。確かなことは、線香を上げる私の心のかなりの部分は、祖母や祖父に対してではなく、私が線香を上げるのに気が付くかもしれない母や父に対して向けられているということだ。私の心の中には、あの日母を泣かせてしまったことに対する贖罪の気持ちがある。線香を上げている私の心の無意識の片隅に、あの日、茹でられた海老のように体を曲げて泣いていた母のイメージがあるのだ。そのイメージに対して、私は線香を上げている。

 頭の中で考えることと、手で行うことは一致させなければならないという考え方がある。もし宗教を信じていないのならば、線香を上げたり、墓参りなどするなという考え方もあるだろう。また、線香や墓参りなどは習俗であり、宗教とは関係ないという考え方もあるだろう。坊主の唱えるお経は、呪文のようなもので、その意味をまじめにとらえても仕方がないという考え方もあるだろう。私が母に妥協したのも、一方では私の考えていることに対する裏切りだという見方もできるし、一方では、どちらでもいい習俗に従っているだけだという考え方もある。

 人が人の死をどう悼むかということは、単なる習俗の問題でもあるし、死生観そのものに関わる問題でもある。最近になって、ロケットで宇宙に灰をまいてもらいたいという人が増えているのも、やはり、死生観の変化とは無縁ではないだろう。一方では、既成の習俗が、単なる惰性で継続されている側面もある。

 私の母に関わらず、自分の墓のことになると真剣になる人はいるようだ。やはり、死に関することだけは、特別なのだ。人は、死生観にこだわる。私も、実は、自分の死生観にこだわっている。ただ、それが、墓に対するこだわりという形では現れないだけだ。死を前にして、人は、時には、茹でられた海老のように体を曲げて泣いたり、わめき散らしたり、むきになって怒りだしたりするのだろう。私も、自分の死生観に絡んで、人目をはばからずに泣く時が来るかもしれない。母には、あの時、私の前でそのような時が訪れた。母があのように激しく泣いたのは、おそらくあの時が始めてであり、これからもないのかもしれない。私も、一生に一度くらい、自分の死生観を人にためらわずに表出する時がくるのかもしれない。人は皆死ぬのであり、死には無関心ではいられないのだから。