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脳科学と言語学

大修館書店「言語」2001・2別冊 「言語の20世紀 100人」p.222-224

(c)茂木健一郎 2001

 

1、認知プロセスの一部としての言語

 

 言語は、人間の持つ能力の中でも、もっとも高度なものの一つである。脳科学は、現在、感覚、運動、さらには感覚と運動が融合した情報処理の様子を次第に明らかにしつつある。しかし、言語の脳内機構の理解という「聖杯」には、なかなかたどりつけそうもない。

 脳科学の立場からは、言語理解のプロセスを、より一般的な認知プロセスの中に位置付けて考えるのが自然である。McGurk効果は、視覚情報が、聴覚情報の音素としての認識に与える影響として良く知られている。例えば、gaと発音している口の動きのビデオにシンクロしてbaという音声をかぶせると、daという音が聞こえる。このような効果は、視覚における錯視と類似のトップダウンの機構が感覚のモダリティを超えて働いた結果であると考えらる。音素の認識という、言語理解の入り口のもっとも基本的なプロセスが、外界からの感覚入力を能動的にコンテクストに埋め込むという、より一般的な認知プロセスの一例として理解される。音素の認識のような、外界から入る感覚情報をコンテクスト中に埋め込む脳機能は、注意などを制御する前頭前野が必ずしも関与しない、自律的なプロセスであると考えられる(Friederici et al. 2000)。

 人と人とのコミュニケーションの手段としての言語は、脳内で自己と他者、環境の関係の情報を処理する様々なモジュールとメカニズムを共有していると考えられる。一部で分子生物学におけるDNAの二重らせん構造の発見に匹敵する重要な発見であると評されている「ミラーニューロン」(Gallese & Goldman 1998)は、人の脳では言語の運動プログラミングの中枢であるブローカ野に局在することを示唆するデータがあり、言語を含む、他人とのコミュニケーションを可能にするモジュールの一つとして注目される。

 言語活動を支えるモジュールが、単一のものではなく、脳全体に分散して存在することを示唆するデータも蓄積されてきている。言語活動は左半球優位だと言われるが、イントネーションの、特に感情的な側面の情報処理は、右半球優位で行なわれていることを示唆する証拠がある(Snow 2000)。言語の中でも、我々の身体の部分に関係する言語は、ボディ・イメージの脳内機構とも絡み、ユニークな処理がされている可能性がある。脳活動の非侵襲計測からのデータは、身体の部分に関する単語などの処理が、カテゴリー特有の活動によって支えられていることを示唆している(Le Clec' et al. 2000)。我々が言語と呼ぶものは、単一の脳内機構ではなく、様々なカテゴリーの情報処理の集合体なのかもしれない。

 

2、脳の進化と言語の起源

 

 人間以外の動物にも、ある程度のコミュニケーションが見られる。猿の警戒音が、迫りつつある危険の種類を伝えることが知られている。一方、人間の言語のような高度に発達したコミュニケーションが自然界の類人猿を含む動物に見られないことも事実である。そもそも、人間の脳の進化の過程で、言語はどのようにして生まれてきたのだろうか?

 Darwin(1871)は、言語の起源が、自然界の音や、他の動物の声を模倣、改変することが、ジェスチャーを伴って行なわれたことにあることは疑い得ないと述べた。言語のジェスチャー起源説は、先に挙げたミラーニューロンと絡んで、最近新たに注目されている。ダーウィンは、また、性淘汰において、異性を引き付けたり、ライバルを追い払ったりする際に複雑な音声を発するという能力が有利に働いたろうと述べている。最近の岡ノ谷らによるジュウシマツの歌声の研究(Honda & Okanoya 1999)では、メスが複雑な歌をうたうオスを好むという結果が得られ、複雑な歌をつくり出す神経機構の研究も進められている。

 オランウータンやチンパンジーなどの類人猿に言葉を教えようという試みは、今世紀の初頭から存在した。Furness(1916)はオランウータンに対して、Kellog & Kellog(1933)はチンパンジーに対して言葉を教えようとした。近年では、ボノボ(Pun fxzniscus)の研究を通して、人間だけが言語を持つという前提が挑戦を受けている(Savage-Rumbaugh 1991)。

 言語をより広い認知プロセスの一環として見れば、言語能力の必要条件は、他の動物の脳も満たしている。言語の進化の過程で、このような必要条件が徐々に積み重ねられてきたことは確からしい。現時点で我々に不明なのは、言語能力のための十分条件を構成する脳内機構の集合は何かということである。

 

 

3、構成論と脳科学

 

 十分性を検証するためには、構成論的方法が不可欠である。構成論的な方法から、言語を理解するアプローチは、最近ロボティックスやリカレント・ニューラル・ネットワークにおいて盛んに行なわれるようになってきている。ロボティックスにおいては、特に身体性の重要性が強調され(Tani 1998)、またリカレント・ニューラル・ネットワークでは、コンテクストに依存した時系列データの学習が問題にされる(Elman 1995)。言語処理をさせたニューラル・ネットワークを壊すことで、脳損傷による言語障害との対比を試みることも行なわれている(Hinton et al. 1993) 。このような構成論的アプローチは、言語を理解する上で、脳科学のような分析的アプローチを補う不可欠なものである。とりわけ、テクスト・ベースではなく、むしろシンボルの立ち上がりを見る構成論的方法に、ブレイクスルーへの期待がある。

 しかし、実際に動くという意味で、現状では構成論的アプローチは、精神分析医のふりをする「Eliza」(Weizenbaum 1966)のようなテクストベースの「人工無能」のプログラムに及ばない。もちろん、Elizaの面白さは、それを使う人間の意味付与能力に依存しており、すぐに色褪せるものである。Elizaのような言語処理プログラムから、人間の持つ言語能力の理解と実装までの距離は遠い。伝統的な言語学の中で積み上げられた叡智を生かしつつ、脳科学と構成論の融合の中にブレイクスルーを探ることが、人間の言語の秘密に迫る有力な道だと思われる。

 

文献

 

Darwin, C. (1871) The Descent of Man

Elman, J.L. (1995) Language as a dynamical system. In Robert F. Port & T. van Gelder (Eds.) Mind as Motion: Explorations in the Dynamics of Cognition. Cambridge, MA: MIT Press, Pp.195-223.

Friederici AD, Meyer M, von Cramon DY (2000) Auditory language comprehension: an event-related fMRI study on the processing of syntactic and lexical information. Brain Lang ;74(2):289-300

Furness, W. (1916). Observations on the mentality of chimpanzees and orangutans. Pro-ceedings

of the American Philosophical Society, 45, 281-290.

Gallese V. & Goldman A. (1998) Mirror neurons and the simulation theory of mind-reading. Trends in Cognitive Sciences 2, 493-500

Honda, E. & Okanoya, K.(1999): Acoustical and syntactical comparisons between songs of the white-backed munias and its domesticated strain, the Bengalese finch. Zoological Science. 16, 319-326.

Hinton, G. E., Plaut, D. C. and Shallice, T. (1993) Simulating brain damage. Scientific American, October Issue

Kellogg, W. N., & Kellogg, L. A. (1933). The upe and the chiZd. New York: McGraw-Hill.

Le Clec'H G, Dehaene S, Cohen L, Mehler J, Dupoux E, Poline JB, Lehericy S, van de Moortele PF, Le Bihan D Distinct cortical areas for names of numbers and body parts independent of language and input

modality.  Neuroimage 2000 Oct;12(4):381-91

McGurk, H., & MacDonald, J. (1976). Hearing lips and seeing voices. Nature, 264, 746-748.

Savage-Rumbaugh, E. S. (1991). Language learning in the bonobo: How and why they

learn. In N. A. Krasnegor, D. M. Rumbaugh, R. L. Schiefelbusch, & M. Studdert-Kennedy (Eds.), Biological and behavioral determinants of language development. Hillsdale,NJ: Erlbaum.

Snow, D. (2000) The emotional basis of linguistic and nonlinguistic intonation: implications for hemispheric specialization. Dev Neuropsychol 2000;17(1):1-28

Tani, J. (1998) "An Interpretation of the `Self` from the Dynamical Systems Perspective: A Constructivist Approach." Journal of Consciousness Studies, Vol.5 No.5-6,

Weizenbaum, J. (1966) ELIZA - a computer program for the study of natural language communication between man and machine. Communications of the ACM 9(1):36-45, 1966.