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茂木健一郎履歴書

徳間書店「生きて死ぬ私」(1998年)の「著者近影」に使われた写真。

愛媛県大三島の大山祇神社にて。

Last Updated 29th December 2002

1962年10月20日 東京中野に生まれる

1962年〜1978年 埼玉県春日部市で育つ

春日部市立粕壁幼稚園、春日部市立粕壁小学校、春日部市立八木崎小学校、春日部市立春日部中学校。昆虫採集と野球が趣味だった。

 *なぜ、男は、幸せの原風景を少年時代に求めるのだろうか? 蝶を追いかけて野山をさまよっていた少年時代は私の中で今理想化されている。ゴマダラチョウを採るために、近くの神社の森に1週間通ったことも。

1978年〜1981年 東京学芸大学付属高校

 *1978年 初めて外国へ。飛行機から見るVancouver近郊の美しい町並みにショックを受ける。カルガリーで全天に広がるオーロラを見る。

 *東京学芸大学付属高校は、非常に良い高校だった。何人かの忘れられない友人との出会いがあった。

1981年〜1985年 東京大学理科I類、理学部物理学科 

 *東大は、東京学芸大学付属高校に比べてvulgarなところのように思えた。

 *1993年4月、物理学科進学の際の写真 親友の竹内薫と一緒に写っています。

1985年〜1987年 東京大学法学部

 *授業は3日間しか出なかった。それでも、卒業単位をとった。ローマ法の授業に一回も出ないで、当日試験を受けにいったら、本にはいっさい出ていないローマ法の歴史の細かい話で、唖然としたことを覚えている。授業に出ないでノートも手に入れないで試験を受けるというのは当たり前の話だったので、いつも何かをでっち上げて書いていた。しかし、さすがにローマ法はDをくらったような記憶がある。

1987年〜1992年 東京大学理学系大学院物理学専攻過程 

 *1990年、小津安二郎の「東京物語」に出会って、初めて日本の映画をシリアスに見るようになった。今では、小津は私の心から尊敬するアーティストの一人になっている。

 *1992年春、不忍池のほとりを歩いていて、「究極の哲学が出来たとして、それがA4一枚に書けたとしたら、それは高校生の一日の日記と何が違うのか?」という疑問を持つ。これが、後から考えると、ヴィットゲンシュタイン的な問題に初めて自覚的に出会ったきっかけだった。

1992年〜1995年 理化学研究所 

 *1994年2月、クオリア問題に初めて気がつく。

1995年〜1997年 University of Cambridge, U.K.

 *最近、またBritish Comedyにはまりつつある。World Videoを買って、PAL formatのビデオを見ることができるようになってしまったので、次から次へとamazon.co.ukでビデオを買って輸入している。

1997年〜現在    ソニー・コンピュータ・サイエンス研究所

 *ソニーの研究所に入ったのは、本当に良かったと思っている。おもしろいopportunityがいっぱいある。とりあえず前に走っていくだけだ。

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