「脳とクオリア」

この文章は、

茂木健一郎 「脳とクオリア」(日経サイエンス 1997年)

の内容を要約したものです。

(c)Ken Mogi 1998

はじめに

認識のニューロン原理

認識におけるマッハの原理

相互作用同時性

因果性とツイスター

新しい情報の概念

クオリア研究の将来

参考文献

 

 クオリアは、私たちの感覚に伴う独特な質感を表す概念である。脳の中のニューロンの発火と、私たちの心の中で起こる精神現象を結びつけようとする時、クオリアは最も重要な概念となる。脳の機能を客観的に研究する場合にも、クオリアは本質的な重要性を持つ。例えば、クオリアは、脳の機能を理解する上で必要な新しい情報概念の中に自然な形で含まれなければならない。

<はじめに>

私たちは、様々な感覚を通して世の中を認識している。夏の朝の庭に出て空を見上げれば、黒みがかった青の広がりが目の中に飛び込んでくる。葉の上についた露を見れば、その丸い形や、表面のつやつやとした光沢が認識される。露に指を当てれば、ひんやりとした感覚が伝わってくる。葉に鼻を近づけると、青臭ささを感じる。そして、あなたは、先ほどから雀がちゅんちゅんと鳴いていたことに気が付く・・・このような感覚の持つ性質は、「クオリア」(qualia)と呼ばれてきた。世界がクオリアに満ちているということは、明白な事実である。私たちの心の性質、その起源を理解しようとするどのような試みも、「クオリア」の存在を無視することはできない。

 一方、私たちの精神現象を支えている脳は、極めて精巧にできた分子機械である。ニューロンで発生する活動電位は、細胞膜を通して細胞外からNa+イオンが流入することによって生ずる。ニューロンとニューロンの間のシナプスと呼ばれる結合部位では、グルタミン酸やGABAを始めとする神経伝達物質が放出される。核の近くで生産された物質は、マイクロチューブル上の能動輸送によってアクソン中をシナプスまで運ばれる。核の中では、遺伝子が発現の調節を受け、ニューロンが機能特化をする上で重要な役割を果たしている。これらの、想像を絶するほど複雑な生体高分子の集合の精妙な共同作業によって、脳の中のニューロンのネットワークはその機能を果たしているのである。

 私たちの心の中に生ずる様々な感覚は、様々な「クオリア」に満ちている。一方、私たちの精神現象を支える脳は、複雑な分子機械である。この、二つの世界の間には、どのような関係があるのか?脳の中のニューロンの発火から、どのような原理を通して、私たちの心、とりわけその中にあふれている「クオリア」は生まれてくるのだろうか? これは、心と脳の間の関係を問う、いわゆる「心脳問題」の核心的な課題だ。

 クオリアの問題は、哲学的な立場からのみ興味のある問題なのではない。クオリアは、物理や化学と同じように、自然法則の一部と見なされなければならない。また、いわゆる機能主義者の立場をとっても、クオリアを考慮することなしには、脳の機能を理解することは不可能である。例えば、人間のように考えるコンピュータをつくろうとするならば、「クオリア」の問題を無視することはできない。というよりも、脳の機能を理解するためには、私たちは「情報」の概念の中に、自然な形でクオリアを含めなければならないのである。

 このように脳を理解する上で本質的な意味を持つにも関わらず、クオリアの問題の解決は困難である。クオリアの問題が、どれほど難しい問題であるかは、フランシス・クリックが、その著作「驚くべき仮説」の中で次のように述べていることからもわかるだろう。「読者は、私が意識について様々な憶測を述べ立てたにもかかわらず、長期的に見れば最も深遠な問題を巧みにさけたという印象を持つだろう。私は、クオリアの問題ー「赤」の「赤らしさ」の問題ーについては、何も述べることをしなかった。この問題に関しては、私は、それをわきに押しやり、幸運を祈るとしか言い様がない。」

 クオリアという人類にとって最も困難な、そして重要な科学的課題の探求は始まったばかりなのである。

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<認識のニューロン原理>

 心と脳の関係を考える時に中心となる問いの一つは、脳の中のニューロンの発火から、どのようにして私たちの認識の内容が決定してくるのかということだ。この問題については、信ずるに足ると思われる出発点がある。ケンブリッジ大学の神経生理学者ホラス・バーローが1972年に提案した、認識のニューロン原理だ。認識のニューロン原理では、私たちの認識の特性は、脳の中のニューロンの発火の特性によって、そしてそれによってのみ説明されなければならないとする。つまり、私たちの心の性質は、どんなメカニズムに基づくにせよ、ニューロンの発火状態によってのみ決まるというわけである。これは、今日知られている様々な実験的証拠から考えて、妥当な仮定だということができるだろう。

 ところで、今日、神経生理学、とりわけ電気生理学の分野で本質的な重要性を持っているのは、「反応選択性」の概念だ。例えば、大脳皮質の第一次視覚野(V1)には、ある方向を持ったバーにのみ選択的に反応するニューロンがある。また、MT、V4、ITと呼ばれる領野には、それぞれ、ある方向の運動に選択的に反応するニューロン、「色の恒常性」(様々な照明条件の下で、物体の色が一定であること)を満たす形である特定の色に選択的に反応するニューロン、中程度以上に複雑な形に選択的に反応するニューロンがある。高次の視覚野にいくほど、より複雑な反応選択性を持ち、受容野(視野の中で、そのニューロンを発火させることのできる刺激の位置の範囲)の大きいニューロンが現れる。電気生理学の目的は、あるニューロンの反応選択性を決定することであると言ってもよい。

 ニューロンの発火と認識の間の関係にアプローチする時、一つの可能な考え方はある特徴に反応選択性を持つニューロンが発火した時に、その特徴の認識が生ずるというものだ。例えば、45度に傾いたバーに反応選択性を持つニューロンが発火した時に、「45度に傾いたバー」の認識が生ずる、IT野で「顔」に反応選択性を持つニューロンが発火した時に、「顔」の認識が生ずるというように。

 しかし、反応選択性の概念は、認識の基礎となる概念としては、致命的な問題点がある。そのことは、次のような質問をしてみればわかる。「ある特徴Aに対して反応選択性を持つニューロンが発火した時に、脳は、どうやってそのニューロンがAに対してのみ発火するとわかるのか?」 視覚特徴を表す空間は、複雑で巨大である。あるニューロンが特徴Aの提示に対して発火しているとしても、それだけでは、そのニューロンが特徴Aに対して反応選択性を持つことにはならない。実際、反応選択性を確認するためには、全ての可能な特徴をニューロンに提示してみなければならない。だが、それはほとんど不可能である。何よりも、私たちの認識は、ある心理的瞬間におけるニューロンの発火にのみ基づいて形成されている(認識のニューロン原理)。その心理的瞬間において、あるニューロンが特徴Aに対してのみ選択的に反応することを確かめることは不可能なのである。このことは、反応選択性が、「アンサンブル」(統計的性質を調べるための集合)の概念に基づいていることが原因となっている。

 一般に、高次の視覚野に行けばいくほど、あるニューロンの反応選択性を操作的に決定することは難しくなる。このことは、高次の領野のニューロンほど私たちの認識に直接的な重要性を持つという今日主流の考え方とは明らかに矛盾する。また、例え、認識が低次の領野から高次の領野の一連のニューロンの発火によって起こるとしても、そのメカニズムが反応選択性だとすると、高次の領野のニューロンの寄与の意味は曖昧となる。

 これらの点から、反応選択性に基づいては、ニューロンの発火から私たちの認識が生まれてくるメカニズムを説明することはできないと考えられる。では、ニューロンの発火と認識の間の関係は、どのように理解することができるのか?

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<認識におけるマッハの原理>

 物理学者であり、哲学者でもあったエルンスト・マッハ(1838-1916)は、アインシュタインが相対性理論をつくる上で大きな影響を与えた。「マッハの原理」は、ある物質の質量が、宇宙の中の他の全ての物質との関係によって決まるとする。宇宙の中にもし物質が一つしかないとしたら、その質量を問うことは意味がない。つまり、ある個体の性質は、その個体がシステムの中の他の個体と持つ関係性で決まるという考え方だ。

 ニューロンの発火からどのように私たちの認識が生まれてくるのかを考える時に、私たちはマッハのような考え方をするべきであると思われる。すなわち、脳の中のあるニューロンの発火が認識において特別な役割を果たすのは、そのニューロンが他のニューロンとの関係において、そのような特別な役割を持つような立場にあるからなのである。このような考え方を、「認識におけるマッハの原理」と呼ぶことにしよう。

 例えば、ITのあるニューロンが発火して、私たちの脳の中に「バラ」という認識が生じたとしよう。この時、そのニューロンの発火が「バラ」という認識を引き起こすのは、そのニューロンが「バラ」に対して選択的に反応するからではなく、脳の中の他のニューロンとの関係において、そのニューロンが「バラ」という意味を持たされたからである。より正確に言うと、そのニューロンと相互作用によって結びついたニューロンの発火の連なり(クラスター)が、全体として「バラ」という認識をコードしていると考えられる。脳の中のニューロンは、一つを取り出しても意味がなくて、第一次視覚野からV2、V4、そしてIT野の「バラ」ニューロンの発火に至る、相互作用で結びついたニューロン発火のクラスターが全体として「バラ」という認識を支えているわけである。

 このような描像の下では、認識を構成する要素は、ある単一のニューロンの発火ではなく、お互いに相互作用で結びついたニューロンの発火のクラスターであるということになる。これこそが、認識のニューロン原理や、認識におけるマッハの原理から導かれる、ニューロンと認識の間の関係なのである。また、認識を構成する要素は、必然的に非局所的な意味を持つことになる。何故ならば、脳の空間的に離れたニューロンどうしが相互作用によって結びつくことによって、初めて認識が成立するからだ。このような認識のメカニズムを考える際には、ニューロンとニューロンの間の相互作用に、神経伝達物質の種類によって興奮性(シナプスの前側のニューロンが発火した時に、後側のニューロンが発火しやすくなる)と抑制性(シナプスの前側のニューロンが発火した時に、後側のニューロンが発火しにくくなる)があることが重要な意味を持ってくる。

 また、認識の要素が脳の中の複数の部位にまたがるニューロンの発火のクラスターとして構成されるということは、視覚におけるいくつかの問題の解決へのヒントを与える。そのうちの一つが、「結び付け問題」だ。形(バラ)、動き(右に動く)、色(赤)、テクスチャ(ビロードのような)といった異なる視覚特徴が、それぞれ空間的に離れた脳の領野で表現されているにも関わらず、どうして私たちは統合された視覚像(右に動くビロードのような赤いバラ)として世界を認識できるのかという問題である。この問題の解決には、現在「合流領野説」や、「同期発火説」などの方法論が提案されているが、見通しは暗い。本質的な解決には、認識の要素が非局所的なニューロンの発火のクラスターとして表現されていることを考慮する必要がある。

 ところで、「赤」という認識の要素が、第一次視覚野からV4野に至るニューロンの発火のクラスターによって成立したとしよう。この時、私たちの心の中での「赤」の「赤らしさ」の性質を決めるのは、これらのニューロンの発火の時空間的なパターン以外にない。何故ならば、私たちの認識の全ての性質は、それを支えるニューロンの発火によって決まるからである。つまり、あるニューロンの発火のパターンが生じた時、それに対応して私たちの心の中に生ずるクオリアは、先験的な形で決定されていることになる。ニューロンの発火のパターンと、それに対応するクオリアは、1対1に対応するのであって、任意性はないのだ。これは、非常に重要な点だ。従来の自然法則は、ニューロンの発火の時空間パターンを決めるタイプのものであった。時空間パターンが決まった時に、その発火のパターンにどのようなクオリアが対応するかという問題は、新しいタイプの自然法則であると見なすことができる。何故ならば、対応関係が1対1(決定論的)である以上、それを決定しているのも、一つの自然法則でなければならないからだ。

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<相互作用同時性>

 私たちの認識は、ある時間的、空間的な秩序の下に構成されている。例えば、私たちの視覚の生じる空間と、聴覚の生ずる区間の性質は全く異なる。聴覚においては、視覚におけるような、並列した事象の認識はない。このような差は、感覚のモダリティの違いと呼ばれる。現在のところ、モダリティの差はあらかじめ前提とされて、その上で認識の問題が論じられている。だが、最終的には、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚のそれぞれの感覚を司るニューロンの集合の発火の時空間的なパターンの特性から、モダリティの差が第一原理的に導かれなければならない。

 私たちの心の中の時間は、どのようにして構成されているのか?

アインシュタインは、1905年の相対性理論に関する最初の論文の中で、次のように述べた。「ここで一つ注意すべきことがある。それは、このような数学上の記述は、「時間」をどのように考えるかを明確にしない限り、物理的には無意味だということである。時間が関係する我々のすべての判断は、常に同時に起こる事件についての判断なのである。」私たちの心の中で、ある認識が「同時」に起こる、すなわち、ある心理的瞬間に起こるということは、どのようなメカニズムによって決定されているのだろうか? 

 認識のニューロン原理の下で、私たちの心の中の時間の性質を決める一つの考え方が、相互作用同時性である。ここに、相互作用同時性とは、あるニューロンの発火と別のニューロンの発火が相互作用(活動電位の伝幡と、シナプスにおける神経伝達物質の放出)によって結ばれる時、それらの発火は、「同時」であると見なされなければならないという原理である。もちろん、あるニューロンの発火が別のニューロンに伝わるためには、有限の時間(例えば10ミリ秒)がかかる。だが、ニューロンの発火の状態のみから認識の性質を導き出すという立場からは、これらのニューロンの発火は「同時」に起こっていると見なさなければならないのである。このような時間は、物理的時間tとは異なるので、固有時と呼び、τで表すことにする。上の例では、「シナプス前側のニューロンにおけるt=シナプス後側のニューロンにおけるt+10ミリ秒=固有時τ」となる。

 相互作用同時性は、より根源的な原理である、因果性から導かれる。ここに、因果性とは、現在の状態から少し後の時間の状態が導かれるという性質で、全ての自然法則の大前提となっている。ニューロンの発火が時間とともにどのように発展していくかを因果的に記述するためには、物理的時間tではなく、固有時τを用いなければならない。

 相互作用同時性は、ニューロンの発火から私たちの認識を導き出す際には、脳をあたかも外部から観察しているような記述法をとるべきではないという考え方に基づいている。つまり、外部からニューロンの発火を観察すれば、いくらでも細かい時間的精度でその因果的発展を記述することができる。しかし、私たちの認識は、そのような外部的からの観察なしに、ニューロンの発火のみから導かれなければならない。このことが、相互作用同時性が必要とされる深い理由である。

 相互作用同時性からは、心理的時間の性質について、いくつかの興味深い結論が導かれる。まず第一に、心理的な「瞬間」は、物理的な時間からみると、有限な広がりを持つことになる。すなわち、心理的な瞬間は、数十ミリ秒から100ミリ秒程度の広がりをもっているのである。このような「最小単位」の存在にも関わらず、心理的な時間の流れは連続的である。となり合う心理的瞬間の間のずれは、いくらでも小さくすることができるのである。さらに、となり合う心理的瞬間の間には、重なりがあることが示される。あるニューロンの発火は、となり合う心理的瞬間によって、「共有」されていることになる。

 Libetは、意識的認識が生ずるためには、ニューロンの発火が500ミリ秒程度継続しなければならないという実験結果を報告している。このような意識の特性は、相互作用同時性と関係があるかもしれない。

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<因果性とツイスター>

 相互作用同時性は、私たちのニューロンの発火から、どのようにして私たちの心の中の時間や空間の秩序が生まれてくるのかというより一般的な問題の一部である。ここで指導的な原理となるのが、因果性だ。つまり、私たちの認識の時間的、空間的な構造は、ニューロンのネットワークの時間的な発展を因果的にどのように記述するかという観点から導かれてくるのである。

 このようなアプローチにとって、ヒントになると思われるのがペンローズの「ツイスター」の概念である。ペンローズのアプローチでは、物理的時空に対して、「ツイスター空間」というものを考える。光の伝幡する軌跡は、物理的時空の中では直線となるが、ツイスター空間の中では、一つの点となる。光の軌跡は、すなわち相互作用の伝搬する軌跡に他ならないから、ツイスター空間は、相互作用によって結ばれた時空の点の集合を、ひとまとめにして点として表した空間だと考えることができる。ツイスター空間は、ある意味では物理的時空よりも、自然法則にとって本質的な空間である。ペンローズは、「私たちは、ツイスター空間を、その中で物理学が記述されるべき空間とみなさなければならない」と言っている。

 もちろん、ニューロンのネットワークにツイスターの考え方をそのまま持ち込むわけにはいかない。だが、ツイスターが考え方の基本としている、個体よりも個体の間の因果関係を基本的な要素とするという考え方は、ちょうど、相互作用で結ばれたニューロンの発火のクラスターが、認識の要素として一つの単位として扱われることに対応している。私たちの認識は、それを支えるニューロンの発火が、時間的にどのように発展していくかという、ダイナミックスによって決められている。従って、相互作用で結ばれたニューロンの発火のクラスターは、認識の要素であるとともに、ニューロンのネットワークのダイナミックスを考える際の単位になっていると考えられる。このようなダイナミックスの記述には、ツイスターに類似の数学的な枠組みが必要となる。

 興味深いのは、物理的時空に対してツイスター空間が考えられるように、ニューロンのネットワークのダイナミックスを記述するのに適した、相互作用を基本とする空間が考えられ、これが私たちの認識の時空となっているという可能性だ。だとすると、私たちの「心」は、ツイスター空間に対応する、ニューロンのネットワークのダイナミックスを記述する空間で生ずる表象から構成されていることになる。もちろん、現時点ではこれは憶測に過ぎない。

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<新しい情報の概念>

シャノンは、情報理論の先駆けとなった1948年の論文の中で次のように述べている。「コミュニケーションにおける基本的な問題は、一方において選択されたメッセージを、他方において正確に、もしくはほぼ正確に再現することである。しばしば、これらのメッセージは、「意味」を持っている。すなわち、これらのメッセージは、あるシステムの中で、何らかの物理的ないしは概念的な存在と、関連づけられているのである。しかし、このようなコミュニケーションの持つ意味論的な側面は、工学的な問題とは関係がない。重要なことは、実際に送られるメッセージが、幾つかの可能なメッセージの集合から、選ばれたものであるという事実だけなのである。」このような考え方に基づいて、情報理論は構築され、ニューロンの発火の情報論的な意味についても、盛んに研究されている。

 シャノンのアプローチを踏襲した今日のいわゆる「情報理論」は、数学的には確率論の一部である。脳の機能を理解する上で、確率的なアプローチの有効性には限界がある。アンサンブルの考え方に基づく反応選択性が認識を説明する基礎概念とはなれないのと同じ理由で、情報理論に基づいてニューロンの発火と認識の間の関係を説明することはできない。そもそも、シャノン的なアプローチは、ノイズのある通信路で、いかに信号を効率よく送るかいった問題にこそ有効なのである。何故ならば、まさにこれは確率論の問題だからだ。脳においては、このようなアプローチは末端の感覚器(例えば網膜の光受容器)には有効である。だが、中枢の、視覚の認識や抽象的な思考が行われている領野における情報処理の原理を理解する上ではほとんど役に立たない。

 脳の機能を理解する上で必要な情報の概念は、まず、ニューロンのネットワークのダイナミックスを反映したものでなくてはならない。ニューロンの発火のパターンを、抽象的なビット列としてとらえるのではなくって、ある発火のパターンが、他のニューロンにどのような影響を与え、その結果どのようなニューロンの発火の時間発展が実現されるかということに基づかなければならない。つまり、「ダイナミックスに埋め込まれた」情報概念でなければならないのだ。

 さらに、脳の機能を理解するために用いられる情報の概念には、クオリアの表現が含まれなければならない。なぜならば、クオリアは、脳の情報処理において、本質的な役割を果たしているからだ。

 例えば、私たちが「赤い」、「ビロードのような」、「バラ」という視覚特徴を視野の中の同じ位置に属する性質として認識し、結果として「赤いビロードのようなバラ」という単一の視覚像としてと結びつけることができるのも、それぞれの視覚特徴が独特のクオリアを持っていて、お互いを混同することがないからである。それぞれの視覚特徴が、「3」、「7」、「ー1」といった数字で表されていたとしたら、それらを単一の視覚像として認識することは不可能だったろう!

 また、私たちの脳の中で言葉の意味が成立するメカニズムは、ちょうど認識においてあるクオリアを伴った認識の要素が成立するメカニズムと似ていると考えられる。すなわち、言葉の意味も、言葉の意味を司る脳の領野(ウェルニッケ野)におけるニューロンの発火の間の相互作用による結び付きから決定されてくると考えられるのである。

 私たちは、自分の外の事象を認識している場合と、単にそれをイメージしているに過ぎない場合を区別することができる。また、現在まさに目の前にあるものを認識している場合と、過去に見たものを思い出している場合を区別できる。重要なことは、このような区別は、それぞれの場合に私たちの心の中に浮かぶ表象のクオリアの違いとして現れるということだ。例えば、現在、外にあるものを認識している場合には、そこには非常に鮮烈な、生々しいクオリアが伴う。それに比べて、過去に見たものを思い出している時のクオリアは、薄ぼけた、抽象的なものだ。私たちは、このような区別を当然のものと思ってしまいがちである。だが、これらの表象は、元をただせばニューロンの発火に過ぎないのだ。物理現象としては均一なニューロンの発火から、どのようにして「自己の内と外」、「現在と過去」といった区別を支えるクオリアの差が出てくるのか? この問いは、脳の情報処理能力の根幹に関わる問題なのである。

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<クオリアの研究の将来>

 クオリアは、私たちの認識に伴う独特の属性である。桃を食べた時に私たちの感じる独特の質感を、他人に伝えることは難しい。しかし、このような質感がニューロンの発火に支えられて生じていることは確かだ。認識を支えるニューロンの発火とクオリアの間の対応関係を見いだすところに、私たちがクオリアを客観的に研究するチャンスがある。

 クオリアは、私たちの脳の中で行われている情報処理の本質的な特性を表わす概念でもある。脳の機能を本当に理解しようとしたら、私たちは、シャノン的な情報の概念にかわる、新しい情報の概念を打ち立てなければならない。そして、新しい情報の概念は、ニューロンの間の相互作用に基づき、クオリアを自然な構造として含むものでなければならない。

 もちろん、脳の情報処理原理の理解がどれほど進んだとしても、私たちが世界を認識すること、そしてその認識がクオリアという特別な質感を伴っていることの不思議さが消えるわけではない。ましてや、自意識や、人格のユニークさといった、人間存在の根幹に関わる問題が解決されるわけではない。しかし、クオリアが、哲学者の書斎から開放されて、客観的な科学の対象になる日が来たことは確かなようだ。視覚における結び付き問題や、言葉の意味の理解の問題で私たちが直面している困難は、クオリアの神経生理学的メカニズムに真剣に取り組むことなしでは解決できないのである。

 クオリアは、心と脳の関係を実証的な科学の問題として研究しようとする私たちのプログラムの中心となる概念である。電磁気学で先駆的な業績を上げたマイケル・ファアデーの言葉ほど、心と脳の関係、特にクオリアに関する理論的、実験的研究の将来を表すのにふさわしい言葉はないだろう。

 「何事も、素晴らしすぎるからと言って、真実ではないということにはならない。ただし、それが自然法則に反しない限り。」

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<参考文献>

Barlow. H. B. (1972) Single units, sensation: a neuron doctrine for perceptual psychology? Perception 1, 371-394.

Einstein, A.  (1905) Zur Elektodynamik bewegter Korper. Ann. der Phys. 17, 891-921.

Libet, B. (1985) Unconscious cerebral initiative and the role of conscious will in voluntary action. Behav. Brain Sci. 8, 529-566

Penrose, R. in Shadows of the Mind. Oxford University Press (1994)

Shannon, C.E. A mathematical theory of communication. Bell System Technical Journal 27, 379-423, 623-656 (1948)

茂木健一郎 「脳とクオリア」 日経サイエンス社(1997)

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