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心脳問題ml、最も印象に残った投稿賞

qualia ml Most Impressive Submission Award

第1回 [qualia:0000] - [qualia:1000]

(Tue, 2 Mar 1999 16:36:10---11 Sep 1999 15:23:37)

次点

Runner-up

加藤夢唯  [qualia:0156]  短期記憶障害の体験から

 

Date: Mon, 5 Apr 1999 10:22:29 +0900 (JST)

From: Katoh <jam@po1.dti2.ne.jp>

To: qualia@freeml.com

Subject: [qualia:0156] 短期記憶障害の体験から

MIME-Version: 1.0

Sender: owner-qualia@freeml.com

Precedence: bulk

Reply-To: qualia@freeml.com

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はじめまして、加藤と申します。恐れながら簡単な自己紹介をさせていただき

ますと、物理学が好きで学生時代は一応専攻しておりましたが、美術、音楽、

教育、プログラミング、といろいろ首をつっこみすぎて散漫な人生となり、そ

ろそろ目標を絞らねばと自分に言い聞かせている、茂木さんと同年齢の者です。

 

立場がはっきりしなくて申し訳ありませんが(素人であることだけは確かです

が)、以後どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

専門用語を知らないということもあり、せめてまずは「脳とクオリア」を読ま

せていただいてから発言参加させていただこうと思っていたのですが、実は、

私自身が短期記憶障害と似たような経験をしたことがありますので、その体験

を書かせていただこうと思い、未読のまま参加させていただくことにいたしま

した。以下、何かの参考になれば幸いです。

 

---体験について

 

もう10年ほど前のことですが、半年間ほど、短期記憶が非常に難しくなった時

期がありました。たった今何をしようとしていたかふと忘れる、という経験は

誰にもあると思うのですが、まさしくその“次の瞬間に忘れる”の連続という

感じになってしまって、一時は文章すら組み立てられなくなってしまいました。

 

具体的には、「私は電車に乗って移動したい」と言おうとして「私は」と言っ

た瞬間にもう何を言おうとしているか思い出せなくなり、しばらくすると、あ、

移動しなければと思い、そうだ、「電車に乗って」と言った瞬間に、ええとな

んだっけ、といった具合です。

 

久しぶりに会った友人も、私と議論を楽しみたかったらしいのですが、まるで

手応えがなくてさびしそうでした(笑)。

 

それまで、どんなことがあっても「どうにかなるさ」だった私ですが、初めて

心の底から愕然としたことを覚えています。自分が自分であることを“感じる”

ことが困難になり、これがとてつもない“悲しみ”を引き起こしました。私は

考えることと人と会話をすることが何よりも好きだったのですが、自分を自分

と認識できない状態で物事を考えても、さっぱり現実感や喜びが湧かないこと

に気づいたからです(このあたり短い文章で説明するのは難しいのですが)。

 

一方で、この悲しさを感じられるということは、まだ「私」は存在しているん

だろうか、「自分」とは記憶のことだったのか?いや違うのではないか、など

などいろいろなことを考えました。こんな考えも考えたそばから消えてゆくの

ですが…

 

半年ほどでこの状態はほぼ解消しましたが、一時はもうこのまま復活できない

のでは…と思いました。でも復活できたということは、決定的な損傷が起きた

わけではなかったということなのでしょうね。実際、何かの事故に遭ったとい

うことはなく、ただその頃非常にプログラミングの仕事が忙しく、首の辺りの

血行がかなり悪いなと感じていたことは確かです。その仕事を辞めるまではな

んとか持ちこたえたのですが、辞めたところでほっとしたのか、前述したよう

な状態になりました(笑)。でも、この状態だった時の記憶が全く残っていない

わけではないので、いわゆる海馬の損傷による症例とはかなり体験内容は異な

るのかもしれません。残念ながら病院の診察などは受けていなかったので実際

のところはわかりません。データが残っていればもっとお役に立てたのかもし

れないのですが。

 

また、以前テレビで、海馬を損傷された短期記憶障害(どの程度なのかは素人

の私にはまるでわからないのですが)の方が企業の受け付けの仕事を立派にこ

なされている姿を見たことがあります。海外の女性の方で、一見普通の受付嬢

なのですが、カウンターの内側にはポストイットのメモ用紙が大量に貼られて

いて、それが一時記憶装置やバッファの役割を果たしているようでした。そし

て、支障なく仕事を遂行されているようです。もっとも、そのような社会生活

ができるようになるまで自分を立て直すのは大変だったようでした。

 

同じ番組だったかどうか定かではないのですが、やはり海外の短期記憶障害の

男性の方で、一日のできごとを、そのつど極めて克明に日記に記されている方

の紹介もありました。その方は「これが自分の生きてきた証しだ」としみじみ

おっしゃってましたが、その切実な思いはわかるような気がします。この方も、

確か部屋中貼り紙だらけでした。

 

私自身は、この一時的な体験で「自分」を認識するということについて珍しい

状態から考察することができ、加えてだんだん記憶力が復活してくる過程をも

体験できて、今ではよかったと思っています。ですが、過去から蓄積してきた

記憶と、復活後に新しく構築した概念との接点をかなり失ってしまったことも

実感しており、こればかりは残念に思っています(これは、勉強したことは全

て忘れてしまったというイイワケに使えますが(笑))。

 

---時間について

 

そのような体験をした者から、時間について考えていることを以下に付け加え

てみたいと思います。

 

時間が「流れるもの」のように感じられることについてですが、短期記憶がう

まくいかないときには、たしかに、とてもではありませんが流れるようには感

じられませんでした。一瞬一瞬、そのつど我に返っているようなもので、はっ

と気づくとある情景が見えて、ええと、と考えるうちにまたはっと気づいて、

新たに目の前の情景について考える…ようなものでした。といっても一瞬一瞬

気を失っているようにも感じられませんでした。連続しているのですが断絶し

ているといった表現になりますでしょうか…。このあたり、同じ短期記憶の障

害でも、症例によっていろいろ異なるものと想像いたします。

 

(私自身、この状態で自分はどうやって世界を認識しているのかということに

興味を抱いてしまい、途中から観察モードに入りました。そして何よりも、自

分が自分であるという感覚をなんとかして取り戻したいと思い、古い記憶を引

っ張り出して今見ているものとつなげてみる、などの試行錯誤を繰り返しまし

た。)

 

よくある例えかもしれませんが、時間が「流れるもの」のように感じられるこ

とは、パラパラ漫画が連続する「動き」に見えることに似ていると思います。

このことは経験から改めて実感しました。

 

パラパラ漫画が動いて見えるようになるためには、直前の画像を記憶している

ことはもちろん、それまでの複数の画像を順番と共に記憶する必要があり、そ

しておそらくそれだけでは不十分で、その画像の展開からなんらかの意味づけ

を行い、その自分が作った「意味」も同時に記憶し続け、その後画像が次々に

展開していくにつれて、「意味」を加筆修正し続ける・・・

 

その、自分が行った意味づけの変化こそが「時間と感じられるもの」かもしれ

ないと思っております。そして、私も「時間そのもの」は存在しないのではと

思っています。左脳的な解釈の世界に「時間感覚」は現れるのではないかと、

今のところは思っているのですが。。。

 

以上、適切な用語を用いることができなくて申し訳ありません。クオリアには

大変魅力を感じますので、少しずつ関連する分野の勉強などしながら、ゆっく

り考えてみたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

 

-- Junko Katoh

-- mailto:jam@po1.dti2.ne.jp