2001.1.6 筒井康隆は、やはり 駄目だった。 「七瀬再び」を読んで感心したので、 「七瀬もの」の「家族八景」を買って読んで見た。 この人の小説の登場人物が類型的で、欲望をむき出しにした 俗物ばかりであることは、「文学部唯野教授」を読んだ時に 気が付いていたはずだが、「家族八景」はあまりにも ひどすぎた。 他人の心を読める特殊能力を持つことによって 新しく開かれるドラマトゥルギーという意味では 新味があるが、いかんせん人間の捉え方が類型的で浅すぎる。 夏目漱石の作品の人間把握の深さとは比べ物にならない。 あるいは、「悪霊」に出てくる人物たちのような、 根源的な恐ろしさがない。 わざとやっているという可能性もある。 しかし、これでは、肝心なリアリティがない。 私に理解できないのは、人間がセルフィッシュで 欲望に満ちた存在であるという筒井氏の人間観で、 私の経験に照らしても、そんな人ばかりではないし、 仮にそのような「俗物」がいたとしても、 かならずそのような典型ではとらえきれない 剰余があるものだ。 そこを描かない作品は、小説としてもっとも 肝心なリアリティを 欠いてしまう。 世の中に、すぐれた小説はそれほどないんだなと 改めて思う。 「七瀬再び」は、構成的にすぐれたものであったが、 やはり、人間観はどうかというと、類型的で リアリティに欠ける点で「家族八景」と変わらない。 「家族八景」を読むことで、その欠点がより明確に 意識できた。 というわけで、「新しかったかもしれないものとの 出会い」は失望に終わる。 三島由紀夫が自殺する1週間前に対談した テープが新潮社から売り出されていて、それを聞いた。 面白かったのが、彼の中で、エロスが 絶対者の存在なしには成立しないもので、 天皇崇拝も、何らかの絶対者という装置が 必要であるという彼の世界観から必然化された という点。つまり、天皇である必要はないので、 絶対者が必要であるという構造が先にあるわけで、 それが、日本の歴史的条件と、彼の個人的な成長の 履歴の中で「天皇」という具体的な制度と 結びついたに過ぎないということである。 ここのところ、数学的フォーマリズムに 作用するトランスフォーメーションの極く 一部だけが、物理的リアリティと対応 するのは何故かという問題を考えている。 札幌は今日も雪景色。明日東京に帰る。 2000.1.7. 筒井康隆ファンのAさんから、 さっそく反論が来た。 『旅のラゴス』(新潮文庫)を読めとのこと。 人は何を支えに生きるのか、何を目指して歩くのか……。 絶対者とは実は、他者の姿かたちをした自分自身なんじゃないのか。 読むたびにそんなことを思う本です。 とのことである。 早速、買ってみようと思う。 昨日は、札幌市郊外のモエレ沼公園というところで 雪遊びをした。ソリに乗り、イサムノグチが 設計したピラミッド型の小山を滑り降りたり。 クロスカントリースキーをしている人や、コブをつくって モーグルをしている人を眺め、 降り積む雪を肌に感じたりする。 雪の中で2時間くらい身体を動かしていると、 何とも言えない幸せな気分になってくる。 雪遊びは、もっとしばしばやるべきだな、 そう思う。 精神が確実に変わっていく。 九州の小倉や博多に住む親戚のいとこが、中学生や高校生だった頃、 東京に来て見たがったものが、テレビ局などのマスコミ関係 だったことを、当時の私は随分ミーハーだなと思っていた。 しかし、今になって見ると、気持ちが良くわかる気がする。 要するに、地方の主要都市にはなくて、東京にしかないものなど、 ありはしないのだ。 趣味のいいレストランなら、地方都市にもある。 むしろ、スペースの広さや、内装の味わいなどの総合的な 星の数では、地方都市でより良いレストランに出会う可能性の方が 高い。 私はいとこたちを青山や原宿に連れていったが、 要するにあのあたりにある店は、地方にある良い店に 毛が生えたものであり、何も新鮮な感激をもたらさないもの だったのだ。 では、東京には何があるのか? 政治権力の 中枢と、マスメディアの中枢というだけのことである。 いとこたちが、マスメディアの現場を見たがったのは、 東京にユニークなものが、それ以外にないからだ。 九州の人たちは、実質主義だからね。 モエレ沼の広々とした雪原で雪遊びをした身体が 空気を呼吸して明らかにより伸びやかになった 精神を包み込み、 その後でサッポロビール園の美しいレンガ作りの開拓使会館で ジンギスカンを食べ、最後に電車通りの かやの茶屋というフランス料理/チーズ/ケーキ屋に 立ち寄って、改めて、東京にあって札幌にないもの など何もない、むしろ、自然環境や、空間の広さ、 その他の総合的な星の数では札幌の方がはるかに上だ と思った。 確かに、東京にいると、マスメディアに近いという点だけが 便利である。将来、インターネットの発達が もし情報発信機能の本格的な分散化を促したら、 首都に住んでいるメリットはますますなくなるな。 そのように感じた。 だからと言って、すぐに地方都市に移ることはできない。 There is no job for me out there. 2001.1.8  札幌滞在も5日間になり、その間随分外にいたので、 そろそろ白い風景に倦んできて、ああ、今日やっと雪の ない「エル・スール」に帰れると思ったら、雪が東京に 追い掛けて来た。 しかし、東京の雪は札幌の雪とは明らかに質が違う。 札幌の、あの、いくらこね繰り回しても 紛状の矜持を一切失わず、 あくまでもさらさらしている雪が 懐かしい。 病院で点滴に筋弛緩剤を入れた事件だが、 病院という場自体が、このような犯罪を 誘発しやすい条件を備えていると思う。 患者は無防備にベッドの上に横たわっている。 その横で、医師や(准)看護婦(士)が 様々な施術をするわけだが、言ってしまえば やりたい放題で、何をされても判らない状況に 実はある。 何がどうして29才の准看護士の脳があのような行為を くり返す回路に入ってしまったのか判らないが、 待遇に不満を持っていたということが気になる。 私が体験した日本の医療現場のある部分は、要するに 軍隊と同じで、医師がやたらといばっていて、 (准)看護婦(士)が実はある特定の場面では より妥当な判断ができる場合に、それを率直に言いにくい 雰囲気に満ちていたように思うからである。 この印象は、マスメディアで報道される現状と一致している ようだ。 学生の頃、三四郎池のほとりを歩いていて、ゴミが入って 目を擦ったら、角膜が傷ついてふくれたような気がした ことがあった。慌てて、歩いて2分の東大病院にいって、 急患として見てもらった。 この時の医師が珍物で、ちょっとマンガチックなくらい いぱっていて、当時個人的な問題を抱えていらしたのか、 あるいは普段からそうなのか、いつもの私なら 「ふざけるんじゃねえ、このタコ」などと 反撃するのだが、目が心配で弱気になっていたのと、 相手の言い方があまりにも戯画的に威張り散らしているので、 どちらかと言えばあぜんとしてしまって黙って診察を 受けたという思い出がある。 東大病院の医師が全てあのような人物だとは思わないが、 少なくとも、他の業界で、あのような言動をしていて 職場から摘み出されないで済んでいるということは あり得ないと思う。 医療という現場は、あのような人格失格でも 済むのだなと思った。 名札を良く覚えておけば良かったと、 後で後悔した。 ああいう人物は、他の患者にも当り散らしていると 考えられるからだ。被害を未然に食い止めなければならない。 チクってやれば良かった。 それで本人が反省するかどうかはわからないけど。 連想が脱線したが、要するに日本の医療界における medicalとparamedicalの関係は、考え直す必要があると思う。 軍隊のような指揮命令系統にする意味が良く判らない。 経験を積んだ看護婦が未熟な、あるいは不勉強な医師よりも 専門性においてすぐれているのは当たり前だろう。 日本においては、医師法という制度自体が、例によって中国の 科挙制度の悪しき影響かどうか知らないが、本来のテクニカルな 意義とは違った形で社会的身体を獲得してしまっているように 思えてならない。 と書いて、窓の外の雪を見て、精神の純粋さを回復する。 2000.1.9. 長い正月休みもこれで終わり。 星野道夫の「イニュニック(生命)」 新潮文庫 の柳田邦男による解説「言葉の発見者としての星野道夫」の中に、 星野さんの言葉が引用されていた。 草むらに伏して首をもたげた母グマとその背に乗った赤ちゃんグマを 至近距離からアップでとらえた写真に添えられた言葉だ。母グマも赤 ちゃんグマも満たされたような穏やかな表情をしている。 <・・・おれも このまま 草原をかけ おまえの からだに ふれ てみたい けれども おれと おまえは はなれている はるかな星 のように 遠く はなれている> これは大変美しい言葉だなと思ったのが2日前で、その感情が 底流にあったのだろうか。 池袋のサンシャインで、十数種類のみみずくやふくろうを見た。 大変な人気で、人の肩越しに彼等を見た。 そのうち、あの丸い目でじっと見つめているその様子が、 とてつも無い叡智を讃えた湖から神が世界を覗いているような 気がして、鳥肌が立った。 ああ、このことだったのかと、納得した。 ミネルヴァのふくろうと言う言い方もあるし、また世界各地の シャーマニズムにおいて、狩りをする鳥(ふくろうやたかなど) は特別な位置を与えられているけど、あれは、彼等のこの目の表情を 観察してのことだなと思った。 実際には、彼等は、餌となる動物の姿と動きを捉えようとして、 精巧にできた光学装置を向けているだけなのだが、その背後に、 なぜ、私たちは静かな叡智を感じてしまうのだろう。 肉食獣が被食者を見つめる目には、独特の風合いがあるように思う。 さあ、こいつをオレのえじきにしてやろう。 そのように静かに見つめる目が、神の視点でもあるように 感じられるのは、なぜだろうか。 ただし暴力を孕んだ目が神の目のような表情を讃えているのは あくまでも猛禽類、肉食獣の場合であって、人間が暴力を 振う前の目は、濁った、不純な表情をしているように思う。 熟練の狩人が雪原の中獲物を追う時の表情については 判らないが。 2001.1.11.  神戸大学の郡司ペギオ幸夫さんの研究室で用事を済ませた 後、大阪港の海遊館に行った。  ここには、数年前に来たことがあって、その時元気に泳いで いたジンベイザメのペアは両方とも死んでしまったと聞いて いたが、代替わりしたやや小型のジンベイザメがいた。  まずはエスカレーターで一番上迄上がってしまい、だらだらと スロープを降りてくる。この設計が、肉体的にも精神的にも リラックスして魚たちを眺める上で、とても重要なポイントに なっているように思う。  水中は、もともと重力の影響が少ない環境である。無重力の 広がりの中で浮遊し、泳いでいる魚たちを見るのには、 私たち人間も重力のくびきから解放されることが望ましい。 人間中心主義的な類推がなかなか利かない魚たちの内観的生活を 想像しながら、ゆっくりとスロープを降りて来た。  できれば、このような環境でカクテルパーティーをやってみたい ものだと思う。休館日に、料金をとって貸し出せば受容はあると 思うのだが、そのような習慣が広まらないのは、 いろいろ技術的な問題があるのだろうか。  海遊館で買い求めた深海魚の本を読みながら東京へ。  ホタルイカの発光が、上方からの太陽の光でシルエットができて それを頼りに補食する魚の目をまぎらせるためのものだと初めて 知る。どうやら、上から降る光でできる影を見つめている捕食者 がいるらしい。発光してコントラストを下げるのである。このような ことも、なかなか人間中心主義的な類推が利かない。  本を読みながら、名古屋を過ぎた ことは覚えているが、気が付いたら新横浜に着いていた。 海の気分が続いていて、眠りの中にも無重力の広がりが続いて いるように感じた。  フロインド・リーブのラムチェリーが入ったバッグを抱えて、 東京の自宅の前の道を歩く。暗がりが海のように広がっていて、 視野の隅の方に小さな白い塊があった。小さな三角のピラミッドのように なった名残りの雪だった。 2001.1.13 郡司研では、「数学的フォーマリズム」の根底を 徹底的に疑わないと、本質的な問題の解決はあり得ない、 10年、20年普通の意味での数理的な自然の把握を 積み重ねていっても、クオリアのhard problemは 解けない、そんな話をしたのだが、 その後、ひどく落胆してしまった。 それはそうなんだけど、本当にそんなことできるのか? 微分方程式がある。その解がある。解を表すグラフが、 目の前で運動する粒子の軌跡と一致する。だから、 この微分方程式は何らかの自然法則を表している。 見事だ、ぱちぱち。この、見事だぱちぱちで成り立って 来たニュートン以来の自然法則観を、一度徹底的に ぶちこわさなければならない。それは明らかだと思うんだけど、 本当にそんなことできるのか? CSLに言って、技術的なことをキーボードを叩いて さくさくとこなしていく。そんな時間の流れの間は まあ幸せなんだけども、根本問題を考えはじめた 瞬間、ある種の重苦しさが襲ってくる。 一体、どうすれば良いのか? 塩谷とも話したけど、例えば集合論とか、あるいは形式論理とか、 そういうものから数学を構築していくというベクトル自体が 駄目なのである。私の現在の立場で言えば、クオリアや 志向性といった表象の要素から、数学を含む言語的な 思考が、どのように構成されているか、そのような表象の要素への 分解を行ない、それに対応するニューロン活動を明らかにし、 さらにニューロン活動と表象の対応を決める第一原理 を明らかにすれば、何らかの進歩が得られるかもしれない。 しかし、本当に生きている間にできるのかな。 30年や40年で、本当に解決がつくのか? 池袋のメトロポリタンプラザのHISでチケットをピックアップ した後、本屋で養老孟司「毒にも薬にもなる薬」、筒井康隆 「旅のラゴス」、吉田健一「英国に就いて」を買い、早速 養老さんを読みはじめる。本を読んでいる間は、根本問題を 忘れて、幸せである。 もっとも、養老さんの場合、根本問題と重なっていることが いろいろ出てくるので、完全な休養にはならないけど。 2001.1.13  高松市の成人式で若者が騒いで逮捕された件だけど、 建て前はともかく、実感としては、彼等が逮捕されるほど マズイことをやったという感じがしない。  画面で見る限り、シャンパンを袴姿で飲むなど、なかなか 趣味のいい趣向だったように思う。問題の本質は、 彼等が酔っぱらっていて、後の人がしらふだった、 案外そんなところにあるのだと思う。 皆が酔っぱらっていたら、クラッカーも、余興ということで 済んだのだと思う。     高松の市長は、なかなかいい表情をしていて、そんなに 悪い人という印象ではない。しかし、一般論としては、私を含めて 普通の社会人は、自治体の長の話をそんなに聞きたいと 思っていないのではないか。自分達が聞きたくない話を、 20才になったからといって、若者に強制的に聞かせるのは 無理があるように思う。聞きたくなければ来なければいいというのは 無茶な話で、私自身も、成人式は、長い間会っていない同窓生に 会うとても貴重な機会で、そのために出かけていった。 市主催の儀式の後の飲み会が楽しかったことは覚えているが、 当時の市長の話の内容は、一向に覚えていない。  市長というのは、本来、選挙で選ばれたpublic servantのはずである。 20才になった若者たちは、有権者であるとともに、今後長い間 customerになるはずの人たちである。しかし、一般的な印象としては、 どうも、自治体の長というのは、昔の封建君主のような感覚でいるよう な気がする。特に、県知事は、ひょっとしたら藩主のような感覚 でいるのではないか、そんな気がする。高知県知事というよりは、 土佐藩藩主のような感覚でいて、周りのスタッフもそのように 扱っているのではないか。そういう勘違いおじさんの話を聞きたく ないというのは、私たちも、20才の若者も同じことだろう。  繰り返しになるが、建て前はともかく、実感として、広い会場に 小学生のように並べられて、public servantのはずなのに藩主の ように振る舞っている人の話を聞きたいと思うか? 高松市長が そのようなイメージと異なる顔の人だっただけに、かえって 問題の本質が見えなかったように思う。来年から儀式を止める というのだったら、大いに結構な話で、袴の若者達が やっていたように、シャンパンの乾杯で始めて、談笑する パーティーにすれば良い。市が公金を使ってそのようなことを やるのはどうもと言うのなら、民間業者が会費をとって イベントをマネッジすれば良い。その方が、よほど趣味のいい 成人式ができるはずである。  もちろん、人の話はだまって聞くべきだとうのは建て前としては もっともの話である。私も、もし会場にいたら、黙って市長の話を 聞くだろう。少なくとも、黙っているだろう。しかし、袴姿、シャンパンで 乾杯の若者たちが騒ぎたかった気持ちは判る。少なくとも想像は できる。だが、実感から離れてしまった建て前には、どこか無理があり、 それに従うことには、苦痛が伴う。 2001.1.15  日曜日に、車を運転しながら、小林秀雄の「信ずることと考える こと」という講演テープ(新潮社)を久しぶりに聞いて、ああ、やっぱり これは歴史に残る名講演だなと思った。志ん生のような口跡で、 ちろちろと情熱の火が底から明々と放射される、そのような 小林の語り口は、これからも長い間聞き継がれるものだろう。  2巻組のテープの2巻目の4分の3まで聞いて、今日駅迄 歩きながら聞いてしまおうと思い、ウォークマンにカセットを セットして、家から1分程歩いたところで、ウォークマンに イヤホンが刺さっていないことに気が付いた。面倒だとも 思ったが、どうしても続きを聞いてしまわないと記憶と認識 の連続性が失われてしまうので、家迄取りに帰った。  ドアを開けて、玄関の靴の横に落ちていたイヤホンを拾って、 身体をひねってドアを閉めた瞬間、何とも奇妙な感覚が 無意識の中から立ち上がってきて、おや、これは何だろうと 思った。数歩歩くうちに、ああ、今私は、イヤホンという 小さな物質が私に対して持っている実在感を受け止めたのだ と気が付いた。  さっそうと朝日に向かって歩き始めた、あの肉体の躍動感が、 イヤホンという小さなモノの欠落によって中断された、 それが私の無意識にある種の衝撃を与えたらしい。  自分が縄文時代に生きていたらと想像することがたまたま ある。その昔、朝、狩りに出かけた男が、棍棒を忘れて 居住地まで取りに 帰る。現代において、私がイヤホンを忘れて取りに帰る。形は違っても、 人間の活動が、ある特定のモノに依存する。その時 我々の心の中に生じる感覚は変わって いないだろう。昨今は、その「モノ」が、次第に小さく、精巧で、 そして機能特異的なものになってきている。小さな、function specificなモノたちに自分の活動が、肉体が、精神が依存している。 PC cardや、USB modemや、デジカメや、そのようなものが 私の身体に付属して、ある機能を担うものとして不可欠なものになっている。  今日も、注文しておいたSharp Zaurus MI-E1が届いた。  昼食はCSLから歩いて10分、品川駅近くの 高い所でランチを食べた。様々な意匠の電車がまるで模型のように 小さく行き交い、新品川駅の工事で地下5階くらいまでの深さの 穴が掘られていた。カラスが盛んに飛び交っていたが、彼等は 自らの肉体を拡張する道具を持っていず、その分自由に見えた。   2001.1.16  どうやら、私は、寒い中をしばらく歩くと眠くなる 時があるような気がする。  筋肉が熱を生成しようとして収縮して、それで疲れるの だろうか。  冬山でこれをやるとヤバイ。  Zaurus MI-E1が来た。例の、引き出すことができる小さな キーボードが付いたPDAである。QWERTYの配列になっていて、 ちょっと打ってみたが、やはりフルサイズキーボードで打つ よりは遅い。それに、両手をきゅっと合わせて、 ちょうど米粒くらいのキーを打っていると、両肘も斜に蕾んでいる 壁に押し付けられているような奇妙なボディイメージになり、 これは使えないかなと思ったけど、とりあえず今日電車に 乗って試してみた。    これは、私にとってはniche goodsで、意外と使えるかな と思った。電車が来る迄の2ー3分で、さっと取り出してテクスト を打つ。立ち上がりが早く、大体5秒かからないでテクスト入力が 始められる。愛用のPowerbook G3は、リュックから取りだして、 sleep状態から立ち上げて打ち始められるまでに、30秒はかかる。 その間に、電車が近付いてくる。しかも、立ったままで打つのは 少し難しい。つまり、実質的な仕事タイム内の 効率はPowerbook G3の方がいいのだが、仕事タイムに入るまでの 時間が短いので、ちょっとした空き時間、待ち時間を利用して テクストを打つというnicheに用いるtoolとして、Zaurusは使えるな、 そういう結論に達した。  今の生活の中では、テクスト入力にかけられる時間が圧倒的に 不足していて、入力すべきテクスト(書くべき原稿、論文)の backlogがたまっている。チリも積もれば山で、1回100字を 一日10回やれば、1000字入れられるわけだから、 backlogをclearするのに、これはちょうど良いわい。 と思いつつ、このような皮算用がその通り行った試しはない。 しかし、少なくとも、Zaurus MI-E1はしばらく試してみようと 思う。その結果、「使い倒される」toolに昇格するか、あるいは 忘れ去られるかは、やってみないと判らない。 2001.1.17  Zaurus MI-E1は変なfile formatをしていて、コンパクトフラッシュ の中身を直接覗くだけではうまくMacに取り込めない。それでも、昨日 打った700字のテクストは取り込めた。第2回養老シンポジウムの 「意識と揺らぎ」の原稿を打った。Zaurus->Macでtextをtransferする routeは確保したが、逆に、Mac側から大量のテクストをZaurus側に送って 電車の中で読みたいのだが、それが変なfile formatのせいで、直接 text fileを置くだけでは駄目なようで、うまくいかない。  人間とテクノロジーの関係ということを良く考える。そもそも、 私たちの心自体が、精妙な脳というテクノロジーによって支えられて いる。脳の一部が欠損すれば、それに対応する心の部分が失われる。 その様子は、私の使っているZaurusやPowerbookやMDやIC recorder が精妙なテクノロジーによって支えられていて、その一部分が 壊れても、機能不全に陥ってしまうことと変わりがない。  電車の中に乗っていて、下町のちゃきちゃき娘という感じの 女の子とちょっとあぶら顔の男が乗って来て、席が一つだけ空いていて、 娘が、「あんた座りなさいよ」と言って男を座らせていた。 その後、しばらく会話していたのだが、そのうち、娘が、 「あんたはフラジャイルだから」と言った。 私は、あれっと思った。 フラジャイルって、そんなに一般化した言葉になっているのかな? ミスチルか何かが歌っていたっけ?  私のPowerbookの中には、理化学研究所時代からの全ファイルが 入っていて、時々backupはしているものの、もしHard Diskが壊れたら、 データがお釈迦になってしまう。それでも、心のどこかで、そうなったら 困るだろうが、それはそれで仕方がないと許容している ところがある。何故だろうと考えて、私は、私と言う現象自体が、 そもそも脳という極めてフラジャイルなテクノロジーによって 支えられているから、その究極の状況の下で、世界の中で私に 関するもの全ては、フラジャイルにならざるを得ないのだ、 それで仕方がないのだ、そう考えるようになった。  コンピュータのHard Diskのbackupをとるべきだと言うことは 熱心に言われても、例えば文楽人形使いの人間国宝、吉田玉男 がもしものことがあったら、文楽に関する膨大な経験、知識が 失われるから、backupをとるべきだと言う人はいない。 後者のデータはbackupが困難だと知っているからだ。 吉田玉男に限らず、全ての人間はフラジャイルな存在であって、 自然の提供したテクノロジーにぜい弱に寄り掛かっている 有り様は、私たち人間も、私たちの周りに増殖しつつある デジタル機器も変わらない。 2001.1.18.  自分の世界観の浅さ加減をはっと悟ることがある。  以前、私は冗談で、「男女が生まれる確率は 半々だとする。もし、人々が例えば男の子よりも 女の子の方がいいと思い、自分の子供が生まれた時、とにかく 男の子よりも女の子の方が一人でも多い状態になったら、 そこで子供を生むのをやめる。もし、全ての人がこういう 行動をとったら、人口構成比は変わるか?」 という質問をいろいろな人にしたことがある。答は、もちろん、 「変わらない」のであるが、いろんなことがあり、面白い 問題なのである。  柳田国男の自伝エッセイ を読んでいて、ある場所に来て、私は顔がさっと青ざめて、 そして上のことを思い出した。  ・・・布川の町に行ってもう一つ驚いたことは、どの家も ツワイ・キンダー・システム(二児制)で、一軒の家には 男児と女児、もしくは女児と男児の二人ずつしかいないという ことであった。私が「兄弟八人だ」というと、「どうするつ もりだ」と町の人々が目を丸くするほどで、このシステムを 採らざるをえなかった事情は、子供心ながら私にも理解 できたのである。  あの地方はひどい飢饉に襲われた所である。食料が 欠乏した場合の調整は、死以外にない。日本の人口を遡って 考えると、西南戦争の頃までは凡そ三千万人を保って来た のであるが、これはいま行なわれているような人工妊娠 中絶の方式ではなく、もっと露骨な方式が採られて来た わけである。・・・飢饉といえば私自身もその惨事にあった 経験がある。その経験が、私を民俗学の研究に導いた 一つの動機ともいえるのであって、飢饉を絶滅しなければ ならないという気持ちが、私をこの学問にかり立て、 かつ農商務省に入らせる動機にもなったのであった。 柳田国男「故郷七十年」(昭和33年、のじぎく文庫刊)  近代医学以前は、生まれる前に男女の別は判らない。 だから、子供の性比に影響を与えようと思ったら、 私が一番上に挙げた方法くらいしか思い付かない。 ましてや、どの家でも、男女ちょうど一人づつに なることなど思いもよらない。 そこが、私の浅はかさで、知識としては間引き の風習などは知っていたけど、柳田が書いているような、 wide spreadな風習としての人口調整には思いが至らなかった。 柳田の上のエピソードは、明治20年、ほんの100年ちょっと 前の話である。  柳田は、続いて、利根川べりの地蔵堂に奉納された 嬰児殺しの絵馬について語るが、確かに、人工的に 人口を一定に維持する風習がwide spreadである社会に おいて、どのような精神構造ができるか、それは 近視眼的に現代を見ていたら全く思いもよらないような 問題だったのだろうと思う。  この本は、古本屋で見つけた初版本だけど、最近、 リアルタイムで出版される中身の薄い本は積極的に crowd outしなければと思っていて、月に一度くらいは じっくり古本屋街を探索しようと思っている。チーズの 穴がどうしたとか、ああいう中身の薄い翻訳本が次々と 仕掛けられるのは、自分達の仲間に愚民政策をやっているような もの、タコが自らの足を食べているようなものだと思う。 ハリウッド映画のポスターで、ジムキャリーの間抜けづら を見ると、寒気がする。 また馬鹿が一人出た。 例のクラッカー成人式の高松市長。 「さらに若者たちの行動については「戦後五十数年を経 た社会の負の遺産、ひずみが火を噴いてきた。クラッカ ー事件で終わらせてはならない大きな問題で、戦後の民 主主義、正義、人権といったものを今こそ検証しなけれ ばならない」と訴えている。」 (http://www.asahi.com/0118/news/national18007.html) 私は、日本のじじいたちが、「人権」や「民主主義」を うえのような否定的文脈で使うことが、 極めてがまんならない。 じゃあ、他にalternativeがあるのか、このくそじじいどもめ。 てめーら、自分の人権が侵害されてもいいのか? こういうじじいどもはね、人権とか民主主義とかいうことが、 どんなに悲惨な状況から生まれてきた概念なのか、 その実感がないんだよ。 「人権真理教」とか、そういうアホなラベル付けを 良く言えるよな、西部とかああいうタコども。 まあ、自分や自分の家族の人権が国家権力によって 恣意的に侵害されるという体験をしないと、 こいつらタコじじいどもには判らないのだろうね。 英語圏でhuman rightsという時のニュアンスが、 どうしてたこじじいどもにはわからないのだろう? 一切、そういう否定的なニュアンスはないですよ。 human rightsには。 それで、pop歌手が、gorgeousな舞台で、 楽しいショウをして、human rightsを訴えかけたり するんですよ。 日本のタコじじいどもが「人権人権」とか否定的 ニュアンスで使う時のような、あのくらーい 縁側懐手傍観者いい加減的アホニュアンスはありません。 自分で南極の最高峰に登ってみろ。 そういう男が、普段寡黙なのに、ぽろりとひとこと言う。 本来、そういう厳しさから出て来た言葉なんだよ、 human rightsという言葉は。 ぬるま湯に入って料亭言っている西部とか渡部とか ああいうタコじじいが軽々しく批判するような概念 じゃないの。 幾つか下の日記で高松市長はいい表情をしている と書いたのは取り消しだ。 2001.1.19  ワグナーは、自分で台本を書き、音楽も書いた、オペラの歴史上 唯一無比の巨人だ。  金持ちのおやじやおばんが着飾って行くというオペラのイメージ とは全く異なる、宗教儀式に近い作品を書いた人である。  彼のつくったバイロイトの劇場は、全てのシートが円形に平等に 並んでいて、ヨーロッパの一般の歌劇場のような、クラス・システムが ない。古代ギリシャのシステムを復興したわけだけだ。  小津や夏目と並んで、私が心から敬愛する芸術家でもある。  彼の最後のオペラ(楽劇)、Parsifalは、愚かな若者が、人の 痛みに同情することを通して、宗教的な覚醒を得るという筋立て だけど、この3幕に、「聖金曜日の音楽」という美しい場面が ある。目覚めて聖者になったParsifalが、その昔キリストをあざ笑った ことで永遠に魂が救われない境遇に陥れられ、キリストの血を受けた 聖杯を守護している騎士たちを誘惑する役目を負わされたKundryという 女に洗礼を施し、Kundryが生まれて始めて泣くことができて、 彼女の魂が浄化される。その後に、一同が周囲を見渡すと、 春の美しい陽光の下、草原が笑っていて、聖金曜日ばかりは、 自然も無垢に救済されるのだとGurnemanzという従者が解説する。 Parsifalは、一瞬聖者であることをやめて、懇願するように見上げる Kundryの額にキスをする。  学生の時、霧ヶ峰の近くの湿原にいった。良く晴れた初夏の日で、 赤い小さなツツジが一面に咲いて、空にはひばりが高くさえずっていた。 空気の粒子が踊っているのが見えるように感じられ、また柔らかな 陽光が体を包むのが判るように感じられ、ああ、Wagnerが 聖金曜日の音楽で描きたかったのは、このような風景だったのかな と思った。忘れられない一日だった。  昨日から猛スピードで原稿をタイピングしていて、肘が痛くなり、 目がしょぼしょぼになり、血糖値が減ったのか、頭がぼんやり する中で、ふとため息をついてひと休みするような時に、 突然聖金曜日の音楽が流れて、美しかった湿原の風景が浮かぶ、 そのような瞬間がある。そのようにしてバランスをとっているのだろう。  日曜から金沢にいって、雪をみて少し英気を養ってこよう。 2001.1.20.  NHK出版の大場さんと、渋谷の109-2のカフェ・モーツアルトで 打ち合わせをした。  間違えて109本館の2階にいってしまい、噂に聞く「カリスマ店員」 の店の間を歩きながら、これはまずい、ここに来てはまずい、 私はここにはいられない、とすっかり動揺してしまった。  カフェ・モーツアルトの方は、落ち着いた雰囲気で、本の構成に ついて随分有意義な打ち合わせができた。    大場さんに御会いする前に、ドンキホーテという店に初めて 入った。東急本店の近くの店だ。 汚いとは聞いていたが、ここまで乱雑に商品が積み上げて あるとは思わなかった。あれでは、店長も、どの在庫がどうなっているのか、 管理が大変なのではないだろうか。  何だか、伏魔殿という感じさえする。  それでも(それゆえに?)  店は大変流行っていて、レジの前に数人お客さんが並んでいた。  打ち合わせが終わり、大場さんとセンター街の「ワゴン・リ」 というダイニング・バーに行く。大場さんに、いきなり、 「寅さんシリーズは馬鹿にしているでしょう。しかし、第2作目は、 実は、小津的なものをきちんと継承した、素晴らしい映画になっている のだ」とジャブを食らってしまった。  すっかり恐縮していると、「田所康雄が渥美清になり、さらに渥美清が車 寅次郎になり、やがては完全に寅次郎になりきって、渥美清も田所康雄 も消えてしまう、そんな凄さがある。」   うーむ。そうだったのか、是非2作目を見なくては。  「バトル・ロワイヤルはコンセプトからして駄目だと思うが、 深作きんじは全否定すべきではない。「仁義なき闘い」の 第3作目、「代理戦争」は素晴らしいから、一度見た方がいいですよ。」  そうか、ぜひ見なければなるまい。  「昔、蓮見重彦が朝日新聞誌上で「ソフィーの世界」を読まずに けなして、読者から読まずに批判するなと手紙が殺到したが、 読まずに批判してもいいと思うのです。西洋哲学史を、その 揺らぎや枝葉を無視して、本流だけを取り出してあたかも一つの 筋としてつながっているかのように書くというコンセプトを聞いた だけで、そんなものはくだらないという判断をすることはいいと思う。 他に読むべき本はたくさんあるし。」  なるほど。  「市川昆 「我が輩は猫である」は、くしゃみ先生を仲代達矢、 迷亭を???(忘れた)がやって いて、オールスターキャストでとてもいい映画である。」  そうだったのか。  「椎名誠が好きなようだが、気をつけないと、椎名とか東海林さだおは、 「日本人だったら朝ごはんは納豆に味噌汁でしょう」という、感性の 押し付けのファシズムにつながる」  気を付けます。  と、いろいろ教えていただいた。もちろん、大場さんはとても謙虚に 話されて、上の会話は端折って少し脚色されているけども、非常にいろいろ 面白いことが聴けた有意義な夜だった。  しかしなのである、大場さんがビールとかワインとか非常に好きなことが わかって、これは本が書き上がるまでに何杯ビールを飲むことに なるのだろう、困った(嬉しい)ことになったなあと思った 渋谷の夜だった。(椎名誠のことを書いたせいか、文体が影響を 受けてしまった) 2001.1.20 雪の金沢へ 金沢工業大学の田森に会いに来た。 MEGのことなど、いろいろ議論するためである。 空港ロビーで田森が来るのを待っていると、目の前でTOSHIBAの テレビで大相撲放送をやっている。 なんとなく、貴之花が全勝優勝したら、久しぶりに 世の中のある柔らかな中心が明るくなるような気がする。 初代の貴ノ花が大関になった後に初優勝した時の興奮は 忘れられない。確か小学校5年生だった私は、無数の座ぶとんが 舞う蔵前国技館からの中継を見ながら、鳥肌が立った。 それほど、「九六大関」と言われた非力の貴ノ花の初優勝は、 インパクトのある出来事だった。最近の例で言えば、舞の海が 優勝するようなものだと言えばわかりやすいかもしれない。 大相撲で、あれ程興奮すべき出来事は私にとってはもうないかも しれない。 今の二子山親方を見ていても、あの非力のうっちゃり大関の 面影がなかなか浮かんでこないのが残念だ。 Zaurus MI-E1で外からテクストファイルを読む込む件は、理研の 松元健二さんなどにいろいろヒントを教えていただき、結局 テクストファイルをZaurusのformatに変換する機能があることが わかって一件落着。 8割くらい書いて止まっている小説「プロセス・アイ」の 今迄書いたものをZaurusに落として、来ながら読んできた。 読みながら、そうか、こんなこと書いていたか、と脳がリズムを 思い出していく。「プロセス・アイ」は、できれば 春までには終わらせたいと思う。 考えてみると、金沢に来るといつも田森の運転する車に乗って いろいろ連れていかれてしまうので、地図というか地理関係が 今一つ頭に入っていない。小松と金沢と野々市がどのような 関係にあるのか、今一つ判らない。今回は、ちゃんと小さな 地図を買って、地理関係を理解したい。 と書きつつ、田森は遅いなと思う。 2001.1.21  田森とゆっくり議論しようと、加賀市橋立にある小さな 温泉旅館をとってもらった。  日暮れ時にお風呂に入っていると、窓越しに雪があり、その向こうに 小高い山のシルエットがあって、その上をトンビが十数羽旋回していた。  今朝、同じお風呂に入ったら、裏山の木が、見事な常緑樹であること に気がついた。  手前には雪、その向こうには、どこかの温帯のような常緑樹の森。  とても奇妙で心にしみ入る光景だった。  お湯は、なめると塩辛く、ジャグジーの泡が弾けると塩素のような 匂いがする。  今日は人間情報研究所へ。 2001.1.23  雪が降らない時に当ったようで、金沢に来て以来、ちらちらと 舞うのしかみたことがない。  しかし、道ばたには雪が堆く積もっている。  金沢工業大学で鈴木良次さんにお会いし、短い時間だったが 楽しく議論する。相変わらずとてもシャープな方である。  人間情報研究所でCambridge Researchのモニタを見せてもらう。 田森は、これでベンハムごまの実験をする予定のようだ。  ポラロイド眼鏡が円偏光を使っていることに気が付き、しばらく二人で 騒ぐ。  金沢名物「第七餃子」で田森研究室の新年会。  全部で19人もいるので、頭がくらくらする。  4月から配属される3年生たちが、田森研究室を希望した動機を 述べる。  それを、1、2年しか違わないのに、余裕のある表情をして眺めている 4年生や院生がいる。研究室に配属されると、時間の使い方が自分にまかされ、 ずっとだべっているやつもいるし、ゲームをやっているやつもいるし、 その中で折り目折り目にはがーっと研究をする、といった生活スタイルになる。 いわば一人一人が自分の時間のマネッジメントの中小企業社長になるわけで、 それで表情が変わるのかなと思った。  自分が彼等の年齢だった頃の未来への希望と不安を思い出し、田森に 「不安になることを忘れては駄目だよな」と言う。  東茶屋町のワイン・バー「照葉」に行く。  金沢に来て以来、いかに認識革命を起こすかということばかり考えていて、 田森をさかんにアジる。  和紙の上に透明な板を載せたテーブルが、不思議な感覚をかもし出していた。  もう今日は東京に帰って、CSLのmeetingに出る。  2001.1.24  羽田空港を使うのは、一年に数回はあるはずだ。  昨日、とても奇妙なことに気がついた。  私は、飛行機が着き、サテライトから手荷物受けとり場まで移動する 間の空間を、出発時に利用する空間とはまったく別の空間として 今迄認識していたのだ。  飛行機に乗る時は 手荷物検査からすぐに廊下があって、飛行機が並んでいる。 飛行機から降りる時には、大きな土産物屋がいくつかあって、 そこを歩いて、受け取り場まで行く。 そのようなイメージがあって、 この二つの空間が、全く別のものとして認識されていたのである。  考えてみれば、飛行機が 到着するとその同じ飛行機が客を乗せて飛んでいくのだから、 到着と出発は同じサテライト、ロビーを共有していなければ ならず、出発した時と同じ空間を通って、階段を降り、 手荷物を受取るフロアにいくはずなのだが、この「出発した時と同じ空間」 を通るという部分が、まったく私の認識から欠落していたのである。 羽田から飛んで、モスクワの空港に着いた、 極端に言えば、そのような感覚で、行きと帰りの空間をとらえていたのだ。  昨日、何がきっかけだったのか判らないが、「これはひょっとして 出発する時にも通ったところかな」と思い、それで初めて「出発空間」 と「到着空間」がぎゅっと同じところに結び付けられて、複数の 機能を持った単一の空間として認識された。  こんなことに気が付かないとは、いつもよほどぼんやりして 歩いていたに違いない。  出発と到着という異なる機能を通して、私は、単一の物理空間を 全く関係のない二つの空間として認識していたのだ。  子供の頃、探検をしていて、遊び慣れた林に全然別のルートから 到達することができたとき、突然頭の中の認知地図がダイナミックに 変化することを何回も経験した。今でも鮮明に覚えているのは、 川べりの「かっぱの国」と呼んでいたクワガタがたくさんいる林から、 いつも蝶をとっていった森へと到達できることを発見した時の 驚きだった。  コロンブスのアメリカ大陸発見は、世界的な規模で空間イメージの 再編成を行なったのだろう。  私を含めて人間はまだまだぼんやりしていて、本来一つの空間を 別の空間として認識しているということがあるかもしれない。  ある時はっと気が付いて、世界が全く違ったものに見えるということが あるかもしれない。羽田空港の例はくだらないが、私はそのような ダイナミズムに賭けているところがある。 2001.1.25  東大駒場の15号館104号室で、意識ロボットの 谷さんの授業の後の池上高志さんの セミナーを聞く。  谷さんとdevelopしている認知のモデルの話。経済モデルの安富さんや、 認知発達の開さんなども教室の中に。  池上さんとその研究室の人たちは、力学系やセルオートマトン、チューリング ・マシーンやラムダ・カリキュラスなどの手法で、人間の認知プロセスを研究 している。池上さんは人間的にも学問的にも素晴らしい友人だけども、 こと方法論に関して言えば、力学系のアプローチでは認知の核心には迫れない のではないかと思っていて、いつもそのことで激論になる。  授業が終わった後、皆で駒場から渋谷まで歩いた。途中、「法の華」 の豪華な建物がある松濤を通り、センター街の沖縄屋に行く。  力学系は、人間の認知構造を前提にして、そこに映る宇宙の進行を記述 する上では、ある意味では穴のない手法であると思う。量子論の問題は あるが、とりあえずたいていのものは記述できる、それは確かだと思う。 しかし、こと人間の認知構造そのものの探究になると、力学系のアプローチは、 本質的に無力である。そのように思えてならない。実数変数が、時間とともに 変化していく。その無限のバリエーションを研究していれば、それは いくらでも興味のあるディテールは生まれてくるだろうが、その延長 線上にクオリアや志向性、言語といった認知の基本問題の解があるとは とても思えない。高温超伝導や、プラスティックに電気が流れるとか、 そういう話をしているのならば、まあいい。あるいは、ゲームの理論のように、 エージェントの客観的な振る舞いを問題にしているのならば、まあいい。 しかし、こと認知そのものを扱おうと思ったら、力学系は無力である。 むしろ、力学系の前提になっている、「連続的に変化するもの」、 「広がりを持った空間」といった概念というか志向的内容の根拠自体を 問い直さなければ、認知そのものは扱えない。   そのようなことを言っていると、池上研の学生の多くは、「じゃあ、茂木さんは どのような方法論でやるのですか?」と聞いてくる。「力学系を 含む全ての数学的思考、記述を支えている我々の認知プロセスを、一度 それを支えているクオリア、志向性といった表象の要素まで分解して、 その背後にある第一原理を問う作業をしなければ、認知の問題は解けない と思う。まだ君たちの前にほらこれと見せられるものはない。 しかし、今人間が思い付く方法論にこれこれのものしかないと言って、 その方法論を私に押し付けないでほしい。自分一人が生きていくのは なんとかするから、他人に迷惑をかけるわけではないんだから、勝手に やらせてほしい。」 そんなことを言っているうちに、ひどく疲れてしまって、池上さんに、 「池上研の学生にあてられてすごく疲れた」と言った。 その後、谷さんの好きなミュージック・バーに行き、統数研の伊庭さんの チャーミングな話を聞いているうちに、少し元気になってきた。 伊庭さんの最近のマイブームは戦艦だそうだ。架空の戦艦を設計する コンペがあって、gooで「架空艦」というキーワードで検索すると、 ちゃんとひっかかってくるそうだ。「架空艦」のうち、さらに現実 離れしてしまったものは「仮想艦」と言い、「架空艦」コンペに参加 した人が、「いやあ、今回は仮想艦になってしまいまして」などと言うのだ そうだ。 一方、池上さんはここ二年三葉虫の化石に凝っている。 世界は広く、人間の活動の可能空間は広い。そのような可能性を支えているのが 我々の心的表象だが、その第一原理を知らずに我々人間は生きている。 自分の心の第一原理を知らなくとも、人間は生きていける。ちょうど、遺伝の 実体がDNAと知らなくても、幾世代に渡って子孫を残してこれたように。 2001.1.26.  Dancer in the Dark というアイスランドの歌手のBjorkが出演している映画がある。 朝日と日経で映画評を読んだ記憶があるが、それが あまりにも的が外れていたものだったので、久しぶりに 激怒モードになっている。  この映画は、(少なくともそのテーマのかなり重要な部分は) 要するに死刑制度というものがいかにグロテスクなもの かということをある本質的な視点から描いたもので、「不幸な 女が、その不幸の絶頂の瞬間において、突然ミュージカルの 白昼夢に陥る。まるでビヨルクのために用意されたような、絶妙な 役柄だ」などと、ポリティカルに無臭化されてOL向けのファッション 映画になるような映画ではない。 朝日と日経の映画評は、この点において、肝心なニュアンスを 無害化したものだった。その偽善に、私は怒りを覚えるのである。  なぜ、Bjork演じる弱視の母親が死刑にならなければならなかったのか? Dancer in the Darkは、社会の規範的な思考、行動、価値の体系から 微妙に外れた異質の精神が、まるで免疫系によって異物が排除されるように、 刑務所へ、そして処刑台へと排除されていく過程を丹念に描く。 Bjorkの演じる弱視の女は、たまたま隣に借金の山に苦しめられた自殺志願の 警察官が住んでいて、彼の身勝手な行動に巻き込まれて「警官殺し」の汚名を 着せられる。彼女の運命を決定的に深刻なものになるのは、 彼女が、世間の普通の人が考える思考の道筋を辿らず、微妙にずれた 言動をしてしまうからだ。もちろん、それが、Bjork本人のどこか妖精じみた 雰囲気と相俟って、弱視の女のキャラクター的魅力になるわけだけども、 その魅力の源泉である世間通常の回路からの微妙なずれが、彼女が 死刑台への107歩を歩かなくてはいけない理由になるのだ。  殺人者はなぜそのような犯罪を起こしたのか? 通俗小説が描くような、 悪意に満ちた確信犯もいるだろうが、世間との微妙な思考形式のずれ、 感性のずれから、犯罪をする方向に追い込まれていった人もいるのではないのか? だとすれば、彼等を刑務所に隔離し、やがて死刑という「廃棄物処理」 をするのは、世間から異質なものを排除しようという、免疫系的機能なのではないか? Dancer in the Darkは、このような視点から死刑反対を伝える、極めて politicalな映画である。私にはそうとしか思えなかった。Sweden資本で、 endingのcreditの上から2番目にAmnesty Internationalが出ていることからも、 私の受けた感じはそれほど真実から外れていないように思う。 だとすれば、その肝心な点に触れない朝日や日経の映画評はなんだったのか?  「戦後の民主主義や人権を見直さなければならない」とかいうボケ市長が あらわれる東アジアの国と、北欧やイギリス、フランスにおけるヒューマニズム の世界観は、インターネット時代になってもまだまだかなりずれている。 Cambridgeにいた時、Dead man walking というやはり死刑制度に関する 映画があって、Academy賞をとったから見にいこうといわれたけど、 私は「アメリカのアカデミー賞はconsistentにばかな映画を選んでいるから、 いかない方がいいんじゃないか」と言った。それでも数人で見にいった。 見終わって、フランス人がめちゃくちゃに起こり出して、最後のシーンで、 犯人が処刑される時に、被害者のカップルがまるでそれを見届けて 魂の平安をえたかのようにふーっと幻であらわれる演出をしているのは、 まるで一つの殺人を死刑という別の殺人であがなうことを肯定しているようで 許せないと言った。私は、その点も含めて、最近のアメリカ映画の全てに いえる閉塞的で表面的な(ほんとに表面から数cmのところまでしか見ていない) 世界観がDead man walkingにも現れていて好きになれなかったのだが、 このようにヨーロッパとアメリカ(そして日本)の人権感覚は違ってしまっている。 Dancer inthe darkは、Bjorkのエキゾティックな雰囲気で売れるのだろうが、 しかし、本当に日本の文化風土にとって エキゾティックなのは、この映画をつくり出したヨーロッパの 人たちの、テキサス州だけで1年で80人が死刑になるアメリカという国を 見る視線ではないだろうか。高松市長がこの映画を見たらなんというのだろうか。 成人式でクラッカーを鳴らす人たちをどう見るかということは、 異質なものを廃棄物処分する死刑という社会の免疫系の極限と連続的に つながっている話である。 2001.1.27  2002年のWorld Cupの呼称を日本国内では「韓国、日本」としないで 「日本、韓国」としたことで、webのフォーラム上で中傷合戦が 起こっているようだ。  名前の順番はどうでもよくて、別に名前が先に来たから偉いというわけではないだろう。  どうも、「老害」の雰囲気がある。日本組織委員会は、前から運営がダメっぽい (課税問題など)と思っていたけど、こんなどうでもいいことにこだわって せっかくのcelebrationを台無しにするのは、オエライ老人たちじゃないのか? 私はこの件では、組織委員会に「そんなの、国際的にKorea Japanに決めたんだから、 そのままでいけばいいじゃないか。そんなどうでもいいことにこだわるのは 子供じゃないんだから、やめてくれないか。それができないんだったら、management 全とっかえしてくれないか。試しに、学生のボランティアにmanageさせたらどうだろう、 あんたら爺さんたちよりよっぽどうまくやると思うよ」 というメイルを送りたくなってしまった。(ホントに送るかも)  もちろん、全ての老人がダメになるわけではない。  Dancer in the darkのcreditにAmnesty Internationalがあったので、 昔日米学生会議でAmnesty Internationalの New YorkのHQにいった時のことを思い出す。  政治犯が投獄される。その情報をAIがキャッチすると、その国の 政府のこことここに手紙を送れ、獄中の政治犯に手紙を送れ という指令がいって、AIのメンバーが、大量の手紙を送りつける。 これが多くの場合効果的だということだった。手紙爆弾の対象と なった政府としては、ノーベル 平和賞を受賞して影響力のあるAIが状況を監視しているということで へたなことができなくなるし、また政治犯も、手紙を受取ることで、 あるいは手紙が来ているだろうと思うことで、自分は孤立してはいないんだ と思える、そういうのである。  AIのNew YorkのHQの人たちは、善意に満ちたボランティアというよりは、 むしろ企業の一線のmanagementの人たちのようだった。それで、 かえって、この巨大な組織が効率よく運営されているなということを 感じることができた。  それに比べて日本組織委員会はなあ。はっきり言って馬鹿だね。 こういうeventにとって、何よりも重要なのはpublic relationsだ。 日本韓国と表記することで、どのような政治的な問題が生じるか、 それがWorld Cupのpublicityにどのような悪影響を与えるか、 そんなことが読めないのかね。  老害ここに極まれり。  やっぱり、management を全とっかえするのがいいんじゃないか。  ソニーはbrand imageをとても大事にする企業で、brand managementに おいてはかなりいい線いっていると思うけど、その背後には、Amnesty Internationalにも通じる過酷なまでの効率の追求がある。brand managementは、 イメージの世界の曖昧なことのように見えるけど、実は生物の基本である economy, efficiency(ムダがない)とつながっている。草原を走るチータのように。 チータのようにWorld Cupを運営したいんだったら、Korea Japanのままでいけば いいじゃないか。それを日本韓国だとかいろいろ言うのは、はっきりいって 鈍足の象のようだ。  象にはサッカーはできないよ。日本組織委員会よ、チータになれ。 2001.1.28 久しぶりにいい夢を見た。 小さな部屋に、シジミチョウを何羽か離した。しばらくしていくと、 男の子が座っていて、一羽の青い蝶だけが、電燈の下に釣り下げられた 蠅取り紙の周りを、ひらひら舞っているのを見上げている。 蝶は同じ軌道をいつまでも舞っていて、狂気のリフレインをしているように 見える。 このままでは蠅取り紙に着いてしまうと思い、男の子に「蝶々が蠅取り紙に 付いちゃうよ」と言う。ネットを持ってきて、青いシジミチョウをとらえて 保護する。その時、心の中で、これは君のためなんだよと念じる。男の子に 「他の蝶はどうした?」と聞くと、「かごの中に戻ったよ」と言う。 そんなはずがないと思って振り向くと、丸い鳥かごが窓際に下がっていて、 その鳥かごの中に蝶が何羽か舞っている。そういえば、鳥かごの目は粗いから、 蝶は通り過ぎることができるのだと気が付く。部屋に離した蝶が、全て、 鳥かごの中に戻ってしまったのだ。 餌は大丈夫かなと思うと、 鳥かごの中に小さな御花畑が出来ていて、そこで蝶たちが吸蜜している。 あれ、確かドライフラワーだったはずだがと思って良く見ると、いつの間にか 土に根を張って、生きた植物になっている。 捉えられた蝶、ドライフラワーという人工化された自然が、 いつの間にか鳥かごの中で小さな無垢の自然に変形していた。 窓のスリガラスを通して、太陽が鳥かごの中の生態系を照らし出している。 2001.1.29.  宝くじについて、今迄読んだ中で一番しゃれた言い方は、 確かオーストラリアの作家が書いた短編の中にあったと思うのだけども、 「宝くじは、無知への課税だ」(Lottery is a taxation on ignorance) とか何とかいうセンテンスだ。  ルイ・ヴィトンの日本国内での売り上げが1000億円を超えたそうだ けども、日本におけるエルメスとかルイ・ヴィトンとかいった超高級ブランド の買い漁り現象も、一種の無知への課税のようなものかなと思う。そんなものに 金を使う前に、町並みとか、居住環境とか、いくらでもお金を使う対象が あるのだけども、そのような方向にintelligenceが向かわない。  中村うさぎなどは、言わばこの「無知への課税」の取り立てキャンペーンを しているようなもので、どんなものかと思う。  もっとも、人は、美のためならば、巨額の金を使っても構わないと思うようだ。 美に、のめり込んでいってしまうところがある。昔、社会主義国だった頃の ボリショイ・バレエに、そのような、バランスを崩して美にのめり込んでいく ような気配を感じたことがあった。国の経済がどうなっても、政治が混乱しても、 そんなことはお構い無しに美に陶酔していく。そのような精神が、後世に残る ような芸術作品、パフォーマンスを残すことは確かにある。しかし、日本で いくら高級ブランドを買っても、うるおうのはヨーロッパの本社と その分け前をもらう日本国内のエージェントであって、日本の文化の プロモーションには一切つながらない。それならば、加賀文化の振興の ために料亭通いする森首相の方がましだということになってしまう。  よくよく考えるべきことは、マスメディアの中で、一見中立的な立場で 報道されていることの多くが、実は、どんな形であれ、消費を促進するという ベクトルに乗ったものであるということではないか。クリスマスに恋人と 過ごすというイメージの叛乱にしても、ブランドブームにしても、激辛 ブームにしても、人々を新たな消費に駆り立てるベクトルでの報道は、 表面上の中立性をまとってマスメディアの中に大量に流通する。 エコロジーのため、家の中に篭ってじっとしていましょうなどという ベクトルの報道はまず流れない。  実質経済成長率はプラスでも、名目成長率はマイナスのデフレ日本では、 ある程度無節操なあおり報道も必要という考え方もある。  しかし、私には、どうも、経済成長というのが一体何なのか、一向に 判らないのである。経済成長の本質が、規模の拡大のことではないはずだ という確信があり、しかし表面上、あたかも規模の拡大のようなmeasureで 計られるということがあり、一体何なのか判らない、そんな根源的な不安を 抱えて、私は昨今のブランドブームや、政府の経済対策を見ている。 2001.1.30  SONY CSLのレックデーで、高輪ミューズビルの前から、はとバスに 乗って皆で出かける。  その直前、  岩波「世界」別冊の「私の心と脳はどんなふうにつながっているの ですか?」の原稿の後半を必死になって終わらせる。  前半は、光が丘から代々木までの27分間で書いてきた。 この間で、原稿用紙にして5枚は書けた。しかし、私のタイピング ぶりに遠慮したのか、誰も隣の席に座らなかった。  悪かった。地下鉄の中でPowerbookでtypingするのは緊急時 だけにすることにしたい。  推敲をバス出発ぎりぎりで終わらせて、岩波の太田さんに送る。  ちゃんこ鍋屋「吉葉」は、両国駅から国技館方向に5分ほど歩いた 静かな一角にあった。店の中央に土俵が設けてある。聞くと、 相撲部屋だった所だそうだ。千葉大にいる塩谷に帰り道だから来ないかと 誘ったのだが、風邪気味で来れないとのこと。しかし、「吉葉」 と聞いてすぐに「ああ、横綱の吉葉山のことね」と言ったのは さすがである。  会社の福利厚生費から出るということで、大平、増井らの悪友 と720mlで6000円の菊水などを注文して、「うーん、やっぱり うまい」などと騒いでいたら、後ろにいた本社の横倉さんが、黙って グラスを出して、それをきっかけにグラスが2個3個と延びてきた。  それで、菊水の純米吟醸はおしまい。  東京駅まで再びバスで帰る人たちや、黒塗りの専用車で帰る所真理 雄所長を後にして、我々は両国駅の方向へぶらぶらと歩き始めた。 住居表示を見て、「横綱だ、さすが両国だ」と騒いでいたら、いつも 冷静なインターネットの巨匠の寺岡さんが、ぼそりと、「茂木さん 良く見なよ。横網(よこあみ)だよ。」と言った。確かに、と言うしか なかった。  それにしても、横網ってなんだろうか。  経済物理の高安さんは、いつの間にか暗闇に消えていた。どうやら、 大江戸線方面に向かったらしい。  以前SONY CSLにいた出水さんが、奈良先端大で学位をとって、 アクセスという会社に就職して両国に住んでいるというので、両国駅の 近くのビール屋で乾杯。コースターの一部が折りかえせるようになっており、 これはコースターを立てるためのものか、それとも箸置きかと議論。 野村総研から来た西田の名刺に、「博士(政策、メディア)」と書いて あったので、「これはかっこいい、博士(理学)よりいい」 などと言っているうちに夜はふけていった。 2001.1.30  子供の頃は、時々、生きているということが限り無く重く、 そして時間の流れがじりじりといつまでも続いていくような気がして、 やり切れないように思うことがあった。  最近は、そのような存在論的な重さに捕われるというよりは、 ニーチェの言う舞踏(Tanzen)の中にいるという感じが 強くて、そのことを、クオリア問題や、言葉の問題に自覚的 になったことによる、一種の意識状態の進歩であるかのように 思っていた。  柳田国男の「故郷七十年」を読んでいて、私の体験は、個人のもの というよりは、時代精神(Zeitgeist)に関わるものなのではないかと疑い 始めた。  今の子供達は、私が子供の時に感じたような、存在論的な重さを 感じる機会が、減っているのではないのか? そして、その主因は、 「情報」という概念にあるのではないか? そのような直観が、 心の隅を掠めた。  私が育った埼玉の田舎は、農村共同体の名残りがかろうじて 残っているところで、忍者の絵柄が付いた古いメンコを、 「先祖代々」という習わしがあったし、ベーゴマなどをやった、 おそらく最後の世代だったと思う。家から歩いて5分のところに、 タナゴが沢山泳ぐ小川があった。今では、三面がコンクリートで 固められたどぶ川になっている。その頃と、コンビニにデジタル情報の 端末が来る現代では、何かが決定的に変わってしまっている 気がする。そのことが、存在論的な重さを感じないで済む という時代精神と、深く関わっている気がする。  生命の営みに中立的なものとしての情報概念が問題なのであって、 クオリアがその見直しに関わってくるというところまでは何となく 嗅ぎ付けるのだが、その先はまだ明示的に論じることができない。 年に1回くらい、霞ヶ浦の畔の広大な蓮田の泥を見る機会が あるが、自分の回りの世界があのようなものから出来ていた時と、 デジタルデータに囲まれる現代は、やはり何かが根本的に 変わってしまっているように思う。  この問題は、新大久保で死んでしまった韓国からの留学生の HPがネット上では今でも変わらずあるということに対する違和感と どこかつながっている。 2001.1.31  しばらく前から、昭和40年代前半の、私が小学校に 上がった頃の児童科学書(特に「なぜなぜ理科学習 漫画」のシリーズ)を意識して集めている。  一番欲しいものの一つが、確か集英社だったと思うのだが、 「こちらアポロ」という漫画で、ぼろぼろになるまで何回も読んだ。 月に向かう時に、常に船体を回転させていないと、片側だけが太陽に 照らされて熱くなってしまうとか、そのような記述にとても心を引かれた。 小学校の高学年の時に、殆ど捨ててしまって、今となっては惜しいことを したと思う。 「絶望書店」 http://home.interlink.or.jp/~5c33q4rw/ という古本屋さんにかなり助けてもらっていて、「なぜなぜ理科学習 漫画」はそれなりに集まってきたが、「こちらアポロ」は「難物」 のようで、中々手に入らない。「なぜなぜ理科学習漫画」の中でも、 「虫の国をたずねて」というのが一番入手したいのだけども、 これも難しいようだ。  少し時代がずれていると、本から伝わってくる雰囲気が全く 違うことがあり、それがとても新鮮に思える。昭和40年代の 児童科学書は、科学が切り開く近未来に対する明るい信頼に 満ちあふれていて、その眩しさがとても好きだ。最近SONY CSL のinteraction labの歴本さんと喋っていて、「いつまでも古くならない 近未来」というメタファーのことが出てきたのだけども、2001 年の今、少し、そのような近未来のヴィジョンが復活する傾向が あるように思う。  なかなかfinish lineへもっていけない「プロセス・アイ」で描き たいのも、そのような明るく眩しい近未来のことだ。  昨日 SONY本社の人と話していて、2010年頃はともかく、2020年頃の 様子をしっかりとイメージすることはなかなか難しいという話に なった。未来を見通すのは難しいが、案外、少し前の本を読むと、 時代の雰囲気と言うのはこんなにも変わることができるのだという 事実に驚く。その驚きが、未来には何でも起こりうるという「未来感覚」 の練成につながると思う。次の瞬間には革命が起きているかもしれない という「待ち」の緊張感が、あらゆる分野のブレイクスルーに必要だ と近頃改めて強く感じる。 2001.2.1.  都営大江戸線に乗って、Zaurus MI-E1でテクストを読んでいた。  私の向い側にはシルバーシートの4列の席があって、ドアに一番近い 席に、カジュアルな服を着た四十歳くらいの男が座っていた。駅に 着き、黒いかばんを背負った小学生の女の子が乗って来て、ドアと 座席の間の隅っこに立った。男は、女の子に気を 利かせたのか、一つずれて端の席を開けた。  いい人だなと思った。    しかし、女の子は、一向に席に座る気配がなく、ドアのそばに立って 外に流れるトンネルの暗闇の方向を見つめている。やけに落ち着いた女の子 だなと思った。それから、2、3秒の間、認知不協和があり、私は何となく 女の子の足元を見た。10センチはあるハイヒールの、黒い革の ブーツを履いていた。それで、はっとして、 私は、その女の子が実は成人の女性 であることに気がついた。  顔がドアの方を向いているので、表情を読み取ることはできなかったが、 髪の毛を長く延ばしたその女性は、金色のアクセサリなどを身に付け、 黒いドレスに身を包み、落ち着いた大人の風情をかもし出していた。 私が彼女を小学生だと思った理由はただ一つ、彼女が、ドアのガラスに 辛うじて顔が届くくらいの背しかなかったことである。  普通の人の腰くらいの背の高さかな。私はそう思った。そして、しばらく の間、成長ホルモン、注射といった言葉が脳裏を駆け巡った。  次の駅に着いて、ドアが開く時、なぜかどきどきした。何人かの人が 乗り込んできたが、皆空いている車内の座席に直行して、彼女に気を とめる人はいなかった。ただ、隅の座席を開けた男だけが、時々 ちらちらと彼女の方に視線を走らせた。  彼女の、内面生活はどのようなものなのだろう。いろんなことが あるのだろうな、そんなことを考えて、またスケールの暴力といった 抽象的な思考が意識の流れの中に浮かんでは消えた。 何駅かが過ぎ、彼女は都庁前駅で降りていった。 電車が動きだし、ホームを、とても落ち着いた足取りでゆっくりと 歩いていく彼女が見えた。私と彼女の距離が遠くなり、スケールを参照 するものがなくなり、彼女はパリの街角を歩いている 落ち着き自信に満ちた女性のように見えた。 2001.2.1 断章  前日の日記で「こちらアポロ」のことを書いたところ、集英社の 鯉沼さんから、ひょっとすると集英社社内に残っているかもしれない というメイルをいただいた。コピーなどできるかもしれないとのこと。 もし再会できたら、とても嬉しい。  中野に用事があり、帰りに噂の「まんだらけ」に寄った。くらくらした。 学習漫画はなかったが、プラスティックのフィギュアに圧倒された。  「まんだらけ」は小さな店鋪の集合体で、ぼんやりと入って、中には バスケットを下げた女の子がいて、どうも 私はいてはいけない雰囲気だなと思って外に出てから良く見ると、 女性向け同人誌専門とあった。来ている女の子の雰囲気が、以前 「明和電気」の展覧会にいった時と似ていると思った。  夜、数カ月ぶりに「速報歌の大辞典」を見る。唯一良いと思ったのは m-flowだった。浜崎あゆみはうまいとは思うが、昔から、この手の歌詞と メロディーは、何か自分と関係のない異質な世界のように思えてしまう。 それと、2秒くらいちらりと流れたSex Machine Gunsに心を引かれた。 1年くらい前にやはりベスト10番組を見ていて、ちらりと流れた Sex Machine Gunsがいいと思ったことがあるので、このgroupは 一度きちんと聞いてみたい。なにしろmaximumで10秒くらいしか 聞いたことがないのだ。 2001.2.1 断章  前日の日記で「こちらアポロ」のことを書いたところ、集英社の 鯉沼さんから、ひょっとすると集英社社内に残っているかもしれない というメイルをいただいた。コピーなどできるかもしれないとのこと。 もし再会できたら、とても嬉しい。  中野に用事があり、帰りに噂の「まんだらけ」に寄った。くらくらした。 学習漫画はなかったが、プラスティックのフィギュアに圧倒された。  「まんだらけ」は小さな店鋪の集合体で、ぼんやりと入って、中には バスケットを下げた女の子がいて、どうも 私はいてはいけない雰囲気だなと思って外に出てから良く見ると、 女性向け同人誌専門とあった。来ている女の子の雰囲気が、以前 「明和電気」の展覧会にいった時と似ていると思った。  夜、数カ月ぶりに「速報歌の大辞典」を見る。唯一良いと思ったのは m-flowだった。浜崎あゆみはうまいとは思うが、昔から、この手の歌詞と メロディーは、何か自分と関係のない異質な世界のように思えてしまう。 それと、2秒くらいちらりと流れたSex Machine Gunsに心を引かれた。 1年くらい前にやはりベスト10番組を見ていて、ちらりと流れた Sex Machine Gunsがいいと思ったことがあるので、このgroupは 一度きちんと聞いてみたい。なにしろmaximumで10秒くらいしか 聞いたことがないのだ。 2001.2.2 断章  ダイエーの食品売り場で、最近、「さかな、さかな、さかなを食べるとー、あたま、あたま、あたまがよくなるー」という謎の歌が流れていて、耳について仕方がない。衣料品の品揃えはテイストの悪いダイエーだが、食品売り場はそれほど悪い雰囲気ではない。イギリスのテスコを思い出させるところがある。  ヨドバシカメラで長時間録音できるMDを買う。竹富島の研究会を録音するため。新宿西口の電気街で買いものをすると、ポイントカードを出す時になって、「ここヨドバシカメラでしったけ?」などと確認する。どの店か意識しないで入っているからだ。私の横の人も同じことを言っていて、皆実は判らずに入っている、ということは、ポイントカードは囲み込みの機能を果たしていないのではないかと思う。  新宿の電気街で買いものをしていると、哲学書房の中野さんから電話。前回の養老シンポジウムの原稿をついに郡司さんが出してしまったので、後は私にプレッシャーがかかることに。必死になって書かないとマズイ。 2001.2.2   時間だけは、全ての人に平等に与えられている。  最近、このことの重みをよく考えるようになった。   お金がない、だから南米に旅行にいけない、いい家に住めない、お金を 稼ぐために働かなくてはならない、そのような、社会経済的な 手垢のついた時間概念から離れて、無垢な時間の流れだけを 見ると、これだけは当然ながら全ての人に平等に流れている。  そのことの重みをもっと感じるべきだ、感じたいと思うようになった。  工夫次第で、その平等に流れている無垢の物理的時間を いかようにも使える、そのことの自由をもっと噛み締めるべきだな と思った。そのような感覚が、次第に失われてきていた、 そのように感じる。  落語家の川柳川柳が、よく話の枕で「年とると時間が経つのが 早くてねえ。正月なんか、子供の頃は滅多に来なかったのに、 最近だと1年に何回も来るような気がする。年とった人で、 ああそうだねと感じない人は、それはぼけているんだよ」 などと言って笑いをとっているが、これは、どうも、加齢に よる生物学的な問題に加えて、私たちの時間の流れが、次第に 様々な社会的、文化的コンテクストに絡めとられていって、 無垢な物理的時間の流れの重みを感じとれなくなっていくからでは ないか、そのような考えを持つようになった。もしそうだと すれば、年をとっても、自分が今まさにさらされている時間の流れを、 様々な社会的、文化的コンテクストの網からはぎとって無垢のものにする ことによって、再び子供の時のようなぎっしりと詰まった重い 流れとして時間を感じることができるのだろう、 そのように感じるようになった。  星野道夫の本の中に、アラスカで白熊の写真をとっていて、 自分にも、大雪原の中で生きる白熊にも、平等に時間が流れている という認識に達して異様な感動を覚えるというくだりが出てくる。 星野道夫が達した境地と、グレングールドがバッハの演奏で達した 境地は、ひょっとしたら同じだったのかなと思う。 2001.2.3  しばらく前、東大駒場の池上高志さんのセミナーを聞きに行く際に、 東急文化村で「良寛展」を見て、その時、「そうだ、私は小林秀雄 をここ2、3年で急速に好きになったけど、彼の自筆の何かなら、 古本屋で買えるかもしれない。小林秀雄だったら、没後そんなに 経っていないし、また文系の職業研究者の間では評判が悪いようだから、 それほど値段も高くないかもしれない」と思い付いた。    それ以来、webpageなどで探していたのだが、昨日ついに小林 秀雄の自筆の葉書を手に入れた。神田の「玉英堂書店」が3万円で 売っていたのだ。  他に「批評とは無私を得んとする試みなり」という色紙もあったが、 こっちは40万円だし、プラスティックケースに入れて持ち歩いて 人に見せるのには葉書の方がいいので、葉書を買った。  カイロから、「三浦徳治」という人にあてた絵葉書。 「三浦徳治」さんだが、 この人は他にも吉田健一からも葉書をいくつかもらっていて、それが 玉英堂書店のリストに載っており、どんな人なのかと思う。gooや googleで検索すると、「三浦徳治」さんは、唯一、小林秀雄や 吉田健一から葉書をもらった人として出てくる。  文面は、次の通りである。  カイロに着く。久し振りで青空を仰ぎ太陽を浴び大変元気で旅して いる。明日はナイルを600マイルほど上り一週間程奥地を見に行きます。 奥さんによろしく 小林秀雄 1953年2月10日の消印がある。  テクストファイルにしてしまうとこれだけなのだが、草書体の字の 崩し方などに何とも言えない味わいがあり、書き損じなども面白くて、 酒を飲みながら眺めていると、1時間くらいはゆうに楽しめそうだ。 3万円は安い買いものだったと思う。  しかし、このようなものは、お金には換えられない、まさに唯一 無二のもので、大切に扱う義務があると思う。この手のものを買って いいのは、自分が、「どんなに批判されても、決して裏切らず、 その人の視点を擁護していけるくらい、作品を理解して、愛している 人」に限るべきだと思う。日本人では、今のところ、私が そこまで敬愛しているのは、小津安二郎、夏目漱石、小林秀雄 だけだ。夏目の筆は、良寛に通じる見事なもので、いつかは身近に おいて眺めてみたいと思うけど、値段的にも、自分にそれだけの 責任は負えないという気持ち的にも、まだまだ手が出ない。  小林の葉書は、持ち歩いていろんな人に見せようと思うが、それでは 限りがあるので、  とりあえず、スキャナーで取り込んで、web上で公開することにした。  裏面は、ALEXANDRIAのThe "Corniche"というところの風景(白黒 写真に着色したもの?)になっている。 http://www.qualia-manifesto.com/cairo.html 2001.2.3  昨日の朝日新聞の夕刊の「思潮21」を読んで、久し振りに 爆発してしまい、朝日の広報室あてに下のようなメイルを送った。 大人気ないとは思うけど、後悔はしていない。    自分で分析するに、私が怒りを覚えるのは、あるpettyな学問上の 体系で、人間を理解したと思い込む惰性に接した時のようだ。 それと、爆発の相手は、「強者」に限られている。弱いものいじめは 最悪だと思うからだ。   岩井克人という人には会ったことがなくて、会えば好きになる 可能性もあるけど、「貨幣論」とか読んでいる限りは、煮え切らない ヒトだなという印象がある。万が一、本人が私が書いた文章を読んだら 申し訳ないとは思うが、それはそれで仕方がない。  インターネットのブロードバンド時代になって、メディアの下克上 が始まれば、メディアのヒエラルキーも変わると思うし、そうしたら より未来志向でさばけているメディアが登場することだろう。 かって、新聞もそのようなメデイアだったはずなのだが・・・ 朝日新聞文芸欄担当者様 意見を申し上げます。 文体は辛らつなレトリックを使っていますが、 私の正直な気持ちです。 朝日の文芸欄の権威主義、ポリシーのなさについては、 私の周りの多くの心ある人たちが怒っています。 このままでは、知識人がdefaultでとる新聞としての 朝日新聞の地位が維持できなくなりますよ。 大体、朝日の文芸欄は、夏目漱石がつくった、 由緒あるスペースじゃないですか。 碌にものを考えないで、単に権威主義的に お高く止まった筆者に書かせていて、何の意味が あるんですか。 日経の方が、よほどいい仕事をしています。 養老孟司さんは、以前から朝日新聞が嫌いだそうですが、 私もそうなりそうです。 それでは。 茂木健一郎 http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html 以下意見 (複数のメイリングリストに投稿) 古本市で、敬愛する 小林秀雄が昭和28年にカイロから 出したぺン書きの葉書を 3万円なりで買って 気分よく帰ってきました。 それで、朝日の夕刊で 岩井克人が「高慢と偏見」を評しているのを読んで、 一気に気分が悪くなりました。 終わっているぜ、岩井克人。 朝日新聞も、東大教授とかそういう肩書きだけで、 小学生の作文なみの小説評を書くやつに 1面使って原稿書かせるなよという感じで。 「高慢と偏見」は、資本主義の論理と倫理を書いた小説なんだとよ。 それで、エリザベスがダーシーの求婚を断るのは、「売れなければならない」という 資本主義の論理を超えた「売れればよいというものではない」という資本主義の 倫理を示したんだとさ。アホか、こいつは。 小林秀雄が、学者は、自分の方法にとらわれてバカになると言って いるが、まさに見本だね。 そんな単細胞の考え方で、小説を評論するんだとよ。 笑わせるぜ。 山形浩生みたいな文体になって、ゴメン。 もう何回も朝日をとるのはやめようと思ったことのある私ですが、 そろそろ限界。 日経新聞と、英字紙の組み合わせにしようかと、マジで思っている 私です。 茂木健一郎 2001.2.3.  4月15日の長野マラソンにエントリーしたことだし、そろそろ トレーニングを始めようかと、残雪が消えはじめた光が丘公園を久 し振りに走った。  3キロジョギングするのと、10キロ走るのでは、質的に違う。 2周目あたりから、苦しかった筑波マラソンのことが思い出されて、 ああ、またあの苦しい思いをするのかと、遥かな山頂を目指して麓を 上りはじめた登山家が抱くかもしれない後悔が胸を掠めた。  森や林の中を駆け抜けていくのは気持ちがいい。バードサンクチュアリの 端に、30センチほどの望遠レンズを構えた10人以上の男達の群れがあり、 探鳥会にしてはものものしかったので、2周目に立ち止まってレンズの 向かっている方を見てみた。  ウグイスのような小さな鳥が、枝から枝へと飛び移っている。  「何か、珍しい鳥なのですか?」  私が声をかけた男の人は、ちょっと顔の筋肉を震えさせ、  「カラフトムシクイです」  と答えた。    この男の人の顔の筋肉の震えは、私にはとても良く理解できた。何らかの 愛好家が、内心の興奮を押さえつつ、そのような背景知識を共有してい ない一般の人に、なるべく冷静に、しかし伝えるべきことは伝えようと する時に、このような表情をするように思う。私も、キマダラルリツバメ (という珍しく、美しいシジミチョウがいるのだけども)が光が丘 公園を舞っていて、それを追い掛けている時に一般の人に「何か、 珍しい蝶なのですか?」と尋ねられたら、あんな顔をするかもしれない。  「カラフトムシクイというのは、数が少ないのですか?」  「ええ、都内では初めてではないかな」  その、ジャンパーを着た恐らく40前後の男の人は、重大な 秘密を打ち明けるように言った。  カラフトムシクイは、しばらく望遠レンズのファンたちを楽しませる ように枝のステージで舞っていたが、ひゅっと飛んで濃い薮の中に消えた。  「ああ、駄目だ駄目だ」  と言いながら、数人の男が、驚くべき早さで三脚を畳み、その後を 追い掛けた。  私は、あと1周して帰ってくる時にはまた見つかっているかもしれない と思って、再び走り始めた。  木立の中で、チューブのはちみつを持って立っているおじいさんを 見て、「ああ、また会えた」と嬉しくなった。このヒトは、いつも はちみつのチューブを手に持って、「あーあー」と発声練習を しているのだ。ところが今日は、恥ずかしがってか、私の姿が見える うちは声を出さず、通り過ぎてから「あーあー」と発声練習を 始めた。  再びバードサンクチュアリに戻って来ると、探鳥の男達は消えていた。 あんな小さな鳥を、男達はそもそもどのようにして見つけ、これから どのようにして再び見い出そうとしているのだろう。見上げると 青空はあまりにも大きく、その中を体調5センチほどの小さな生きた 宝石を求めてさまよう男達が、なんだかとても掛け替えのない人たち のように思えた。 2001.2.5. 断章  荻窪の魚徳で鮟鱇鍋の会。塩谷賢、池上高志、長谷川一、小沢久、 その他大勢。終了後、カラオケ、ラーメン。久し振りにタンメンを食 べた。荻窪駅前の古書店で、中島敦の「弟子」が「新人創作」として 出ている中央公論(昭和18年2月号)を買う。他に「米国の世界支 配謀略の全貌」「食料増産研究座談会」などの記事。 Harry Potter and the Philosopher's Stone. by J.K.Rowling Bloomsbury を読了。寄宿舎学校におけるGryffindor, Slytherinの間のポイント制競争、 敵役のSnape, Malfoyの存在、Hermione, Ronとの友情など、ツボを押さ えたストーリー。TalkienのThe Lord of the Ringsのような世界観や悪の イメージの深さはないが、それなりに楽しめた。Nativeではない私が言う のも変だが、文章が時々乱れているような気がする。  ちょっと爆発続きで疲れたので、しばらく静かにくらしたい。世間と言 うものが、容易には動かし難いものであることを改めて実感。 2001.2.5.  私たちの感じるクオリアのレパートリーは、様々な理由である程度 固定化しており、新しい刺激を外界から取り入れるという形でしかその レパートリーが増やせない。例えば、私は2年前初めてコノワタを 食べて、それが、「イカの塩辛にかんきつ類のフレーバーを加えた」 ようなクオリアを持つことを知ったけど、このクオリアとの出合いは、 実際にコノワタを食べることによってしか成立しない。ドリアンの クオリアと出会おうと思ったら、実際にドリアンを食べるしかない。  一方、志向性(クオリアと志向性の二項定立が気に入らなければ、 志向的クオリアといってもいいが、言葉の問題だけのこと)の 向かう先は、外界からの刺激に依存しない、私たちの内部のダイナミックな 思考によって、いくらでも自由度があるように思われる。志向される 先(それが「ブラジル」という国でも、「真理」という抽象概念でも、 あるいは数学の概念でも)の可能性は無限にあり、その極く一部 しか人類はまだ体験していないように思う。    この、志向性の自由度にこそ、心脳問題などのhard problemを解く 可能性があるのであって、ここにかけるしかないと私は思う。 そのような意味でドゥールーズなどの相対主義を見直すと、 これは実は志向性のダイナミズムの自由さを確保しろという主張のように 思われる。生と死、正常と異常、男と女、このような区別を固定化 するな、それに対する我々の志向的態度を自由に保てという主張なので あって、これは、物理学に代表されるような厳密な絶対主義的 世界把握と必ずしも矛盾しない、微妙なねじれの関係にある。ところが、 上の意味での相対主義と物理学的な絶対主義がしばしば対立的に とらえられてしまうということがある。実は、志向的態度における 自由さを確保することは、物理学のような絶対主義的世界把握において 創造的な仕事をする上で重要なことであり、矛盾することではない。  一度、このような視点から、相対主義と絶対主義の間の関係を整理 すべきである。  そんなことを、最近夜道を歩きながら考えている。 2001.2.6.  ツマキチョウという、春にだけ出現する蝶がいる。桜の花が咲く頃、 モンシロチョウよりはやや小さな白い蝶が、弱々しく風に舞うように 飛び交い、2週間もしないうちに姿を消す。良く見ると、前羽の「つま」 先がオレンジ色に染まっている。それほど珍しい蝶ではないが、しかし、 良く観察しないと区別がつかないので、「ああ、モンシロチョウだ」 と思っている人が多いかもしれない。  ツマキチョウという現象は、限られた時間の中で現れ、消えていく。 自然がつくり出したものたちが私たちの生活環境のほとんどを占めて いた時代は、私たちの目にうつる現象は、そのような、はかなく現れ 消えていくものばかりで構成されていたはずである。  ここのところ、情報が大量に流通する社会と、我々の生きる実感の変容の 関係が気になって仕方がない。  インターネットを流通する大量の情報は、我々の生存にとってneutral なもので、superflatな空間の中で、穏やかにmanipulateできる 類いのものである。ジャングルの中で空腹を抱えて食料を探していたり、 あるいは捕食者から懸命に逃げようとしている時のような、生存との クリティカルな連関がない。このような、neutralな(生存にとっては どうでもいいが、しかしそれなりに興味を引く)情報が大量に流通 する世界が、実現しようとしている。  しかし、恐らく、死の病でベッドに横たわっている人にとって、これらの インターネット上の情報は、違和感を持って受取られるのではないか。 あるいは、胃が痛くてうずくまっている時、大きな悲しみに捕われている 時、それらの自分にとっての重大時に関わることのみが心の大部分を占めて、 あれほど穏やかに無限のヴァリエーションを持って目の前に出現し、 消えていった大量の情報達は、舞台の全面から引き下がっていくことに なるのではないか。  ツマキチョウのような時を限られた「現象」が消えていき、半永久的に 存在するデジタルデータが我々を囲むようになる。このような変化の中で、 私たちの感受性は、とてつもないな変化を経験しつつあるように 思う。    再確認すべきことは、いかに我々人間社会がデジタルデータにあふれ つつあり、人間の実存がその奥底迄デジタルデータに満たされつつ あると言っても、われわれの存在の本質は、桜の咲く時にだけあらわれる ツマキチョウと同じだということだ。我々は二度と同じ状態に戻る ことなく日々の生活を生き、やがて死んでいく。そのことを忘れさせて しまうのが、デジタル・ネットワーク社会だ。  ツマキチョウを見ないと、春が来た気がしない。4月上旬、桜が散る 頃の郊外を散歩していれば、必ず、弱々しく可憐に飛ぶつま先がオレンジ 色に染まった白い小さな蝶に出会えるはずだ。 2001.2.7.  夜遅く、CDをジャケットに入れて整理する作業をした。  聞く度にジャケットをそのあたりに放り出していくので、  CDのディスクと空のジャケットの山ができることになる。  中には、3年前までのイギリス滞在時代に持ち運んでいた  黒いビニルケースに入れたままになっているCDもあって、  5年振りくらいに自分の母なるジャケットに戻ったCDも  あったことだろう。  整理しながら、目に付いた音楽をかたっぱしからかけてみた。  Aidaの最後の2重唱。  マーラーのシンフォニー5番の第4楽章アダージョ。  ビートルズ ラバーソウルから、ノルウェーの森とインマイライフ。  バッハのコーヒーカンタータ  バッハのマタイ受難曲から、Erbarme Dich, Mein Gottのアリア  グレツキの悲歌シンフォニー  ・・・  昔は、こんな風にして、DJみたいにいろんな曲をかけていたな と思い出した。  生活環境が変わって、以前の生活環境で頻繁にしていた行為を、 殆どしなくなるということがある。  久し振りにその行為をしてみると、様々なことを思い出す。  下宿から大学までの暗い道を、オレンジの街灯の下歩いて いたことを思い出した。  あの頃は、クオリアの問題に気が付いていることで、 自分が回りのイギリス人とは違う特別な存在であると感じていた。  今では、クオリア問題はある種常識になりつつある気がする。    最近、ちょっと俗にまみれ過ぎたなと、バッハを聞きながら思う。 バッハの音楽の絶対性を聞いて心の中に引き起こされるクオリアや 志向性も、当然心脳問題の一部であり、  バラの赤や水の冷たさだけが心脳問題の考察の対象なのではない。  それにしても、Erbarme Dich...のアリアから引き起こされるあの 感じというのは、何なのだろう。  タルコフスキーはサクリファイスでこの音楽を使ったが、  Erbarme Dich....が似合う作品をつくれる人が、どれくらいいるの だろうか。  1週間くらい前にみた漱石の自筆の水彩画が忘れられない。   2001.2.8.  風邪の症状が少し重くなったので、早めに寝た。  寝転んで、「我が輩は猫である」を拾い読みした。  迷亭、寒月、くしゃみ先生、三平くん、彼等の会話は何回読んでも 上質の落語のようで飽きない。    単に滑稽なだけでなく、切れば血が出るようなある種の覚悟と、 明治の日本の知識人が見つめていたグローバルな変動の全域に一瞬の うちに到達する幅広さがぐっと来る。  全ては、くしゃみ先生の狭い書斎で起きるのだが。  旅順陥落。大和魂。明治の御世。新世紀。 天下国家、大状況の話が、極くプライベートな空間の中に、スケール不変で 入ってくる。この感覚が、漱石の初期の作品に独特のテーストを与えてい ると思う。「それから」あたりを境にして、漱石は、ごくプライベート なスケールに留まった作品を書くようになった。「こころ」などは 典型的にそうだ。その気分が、現代まで続いている。  しかし、そろそろ、時代の大状況の話が、プライベートな空間に 「我が輩は猫である」のように自然に入ってくる、そんな作品が書かれて もいいのではないかという気がする。  小林秀雄は、ある時の講演の中で、現代の文学は男女の惚れたはれた などという下らない話を書いていて、価値がないと述べているが、 (読んではいないが、「失楽園」などは典型的なのではないか) 確かに、漱石の後期作品はすでにぎりぎりのところを歩いているのであって、 現代は、むしろ、 スケール不変な世界要素の流通する「大状況からプライベートまで」の 作品が書かれるべき時が来ている。 とりあえずそう断言してしまおう。  週末から竹富島に行くので、何とか風邪を悪化させないように気を 付けようと思う。「おいしくたべる マルチビタミン」というのを 2粒づつ飲んでいる。フレッシュライム味。ビタミンや栄養学などと いう概念など ない石器時代には、人々は直観で「何となくこの食物に含まれている 成分が俺に欠けているような気がする」と導かれて食物を 選んでいたのだろう(選べる時には)。実際、蛋白質なら蛋白質が 欠けていて、それ以外の食物を食べても腹一杯にならない、 specific hungerというのがあるそうである。  その伝で言うと、最近少し人に当てられていて、人のいない大自然の に対してspecific hungerを持っているので、週末からの竹富島の 研究会はちょうどいいfood for thoughtになりそうだ。 2001.2.9  土曜日に竹富島に行くための那覇行きの飛行機を、羽田発朝6時30分 にとっていたことに昨日気がついてショックを受けたためか、 はたまた風邪で熱が出ていたのか、一晩中眠りが浅く、長い長い 竹富島の夢を見た。  その中でびっくりしたのが、砂浜にいって、白砂を手ですくいあげる のだけども、例の星砂の形がひと粒ひと粒きれいに見えて、それらが 手の中できらきらと輝きながらすべり落ちていくのが全部並列して 見えたことだ。しかも、星砂の中に、あられのような形をした やや大きな白い粒(珊瑚礁のかけらか?)も混ざっているのが見えた。  私の脳は、外界からの入力なしに、いかにしてこのような詳細なイメージ を作り上げるのだろう?  夢の中の竹富島の砂浜は、何故か木がうっそうと生い茂った険しい 坂道を下ったところにあって、おかしい、こんなはずではないのだが と夢の中の私は思った。  そう、なぜだか知らないが、まるまると太ったかぶと虫の幼虫も 出てきて、私はつぎつぎと指でつまむのだった。  あの感触は、今でもはっきり残っている。  これで、見た夢の10分の1くらいを書いたことになるのだろうか。 忘れてしまっていることも多い。  The things that are most  important for us are hidden from us by virtue of their simplicity and  familiarity とは、ヴィットゲンシュタインの言葉だが、我々が夢を見るという ごくありふれた現象も、考えてみるといろいろ絶望的に不思議なことが ある。  脳科学が現時点でできるのは、せいぜい夢の時にも第一次視覚野が 活動していますよなどと言うことだけだ。 2001.2.10  大学院時代の先生(若林健之さん)が定年退官されるので、 その最終講義を聞きに本郷の理学部4号館へ。 1220教室は、量子力学や統計力学などの授業を聞いた、懐かしい 空間だ。  私は大学院時代は「構造生物学」というのをやっていた。 やるはずだったのだが、実験の研究室で空前絶後、理論で博士号を とった。  今となっては、随分無理をしたなと思う。    大学院を出てから、来年の春が来ると十年になる。 昔のことがいろいろ思い出されて、恩師の最終講義というのは、 自分の過去と向き合う営みでもあるということを悟る。  終了後の理学部物理学教室のパーティーでは、昔のメンバーが 殆ど来ていて、やはり最終講義というのは皆来るものなのだなと 思う。理学部の建物の中に、昔のメンバーと一緒にいると、 まるであの頃にタイムスリップして、何も変わっていないように 思えるから不思議だ。  様々な、言葉にできない感慨。  風邪気味だが、やはりこういう時はというので、二次会も出て、 そして大森駅からタクシーで大田市場の中にある「アーバンホテル」へ。 市場の中は、トラックが所狭しと並べられ、フォークリフトが スターウォーズのように行き交い、その中をタクシーが アクションゲームのように停止、発進を繰り返しながら進んで行く。  やがてホテルに着き、フロントで朝5時50分のシャトルバスを予約。 空港迄は、7分で着くようだ。  いろいろな思いで眠りが浅く、4時30分に起きて、今こうしている。 2001.2.14.  竹富島の研究会は、最初は、2時間くらいの持ち時間で それぞれの問題意識をプレゼンし、その後ディスカッションするという 形をとろうと思っていた。  竹富島に遅れて着いて、小さな島とはいえ 中々皆と会えず、民宿大浜荘の近くの喫茶「マキ」 でハイビスカスティーを飲みながらメモをしていた。大浜荘にスケッチ ブックを一枚やぶって「今日のメイン会場は喫茶マキ」と書き置きして きた。 しばらくして、「何やっているんだ」 と田森が他の3人の参加者と入ってきた瞬間に、かっちりとした プログラムが私の心の中から 消えてしまった。結局、参加者が、町並の中で、 浜辺で、民宿の庭で、延々とqualia などのhard problemについて語り合 い続けるという、プラトンの「饗宴」のような会になった。  それで良かったと思う。  竹富島のような環境では、きっちりと区切られた時間というフォーマット は似合わない。  後で役に立つのかどうか判らないが、とにかくMDLPの4倍モードで 延々と議論を録音し続けた。胸ポケットに入れたまま、皆が黙って 歩いている時も、風の音だけを拾っている時も、機械を止めなかった。  3日目の夕方だったか、奇妙なことに気がついた。何時もデジカメで動画を とるのが好きな私が、そのことを忘れていたのだ。音を拾っている 安心感で、視覚的な記録を撮るのを放棄してしまったのだろうか、そう 思った。あるいは、MDだったら、回しておけばディスク交換なしで4 倍モードで5時間以上とれるから、デジカメのようにいちいちボタンを 押すことがイヤになったのかな、そう思った。  夜、喫茶マキに集まり、石垣島地ビールを飲みながら議論していた。 私は時折議論の輪から外れて、石垣と赤瓦の集落をふらふらと歩いた。 暗闇の中に吹く風を聞いていた時、ふと、目が見えない人にとっては、 私がMDに記録し続けた音が、体験のほぼ完全な記録なのだということに 気が付いた。MDの上には、彼等が体験した「音の風景」が、ほぼ再現 されているのだと思った。それから、突然、まわりの音が明らかな 空間的な配置を伴って聞こえはじめた。普段は意識しないような、 音の相互関係の微妙なニュアンスにも、注意が向けられるように思った。  それから、こんなことを思った。視覚は、ある特定の方向を注意 しなければならない。スポットライトを当てたように、その方向は見えるが、 他の方向は見えなくなる。一方、聴覚は、ただたたずんでさえいれば、 音があらゆる方向から入ってくる。私の胸ポケットの中のステレオマイクと 同じように、私の両耳が音をとらえて、私の脳に送り込んでくれる。 だから、竹富島にいる時のように、ぼんやりとゆったりと考え事 をしている時には、聴覚の方が、視覚よりも、優れたメディアなのだと。  MDで周囲の音を延々と記録し続けなければ、このようなことには 気が付かなかったように思う。MDが私の身体性を拡張した。  2日目の朝、島の東のアイヤル浜に皆で自転車で向かった。低木の森の 中の細い道は、正面から差す太陽を受けて明るく照り輝き、蝶が たくさん舞っていた。その中を、自転車を漕いで人の群れが進んでいく。 やがて、海の青い輝きが見え、辿り着いた白い砂浜で、私たちは 風を避ける陰を見つけてたき火を起こし、火の横に座って再び hard problemについて語り合った。あの、星のような時間の流れも、 MDの上に音の風景として記録されているはずだ。音の風景と 視覚的風景の間で相互変換はできないが、少なくとも私の脳の中では、 両者は分かち難い記憶として、結びついている。 2001.2.15.  竹富島最終日、皆が帰ってしまってから私は1時間ほど自転車で 名残りを惜しむように島を1周した。    御獄の近くの木立の上を、オオゴマダラが舞っていた。白い大きな 蝶が、ゆったりゆったりと空気をあおいで飛んでいく。  ちょうど、その少し前に、南の浜で、マルオミナエシのきれいな 貝殻を拾った。富士山を積み重ねたような複雑で多様な模様のできる この貝殻を竹富島に来ていらいずっと探していたのだけども、 やっと肉厚の、まとまりのよい模様の貝殻が見つかった。  オオゴマダラの白地に黒い斑紋が、マルオミナエシの模様と重なった。 自然が作ったパターンを眺めながらワインを飲んだり、ウィスキーを 飲むととてもいいのだと思いだした。 アルコールの作用で、心の中に浮かんでいる視覚 的クオリアのパターンが、純粋な経験として立ち上がってくることが ある。あれは、この上なく素晴らしい時間だ。 そんなことを思い始めて、私は、突然、オオゴマダラが欲しくなった。  小学生の時、蝶を専門的に採集していた頃は、どこに行くにもネットを 持ち歩いていて、捕まえてはすぐに三角紙に入れていた。羽が痛まない ように、胸を圧迫して窒息させてから入れていた。そうすることを、 ためらわなかった。ある時期から、そのようにすることが可哀想に なって、もう20年近く、蝶を採集することはしていない。 竹富島にもネットは持ってこなかった。それが、急に、オオゴマダラが 欲しくなった。  ちょうど、私の目の前を飛んでいた個体が、花に止まった。 これはゆったりとしている蝶だから、手でつかめるかもしれない。私はそう 思って、茂みに分け入っていった。こんな時に、罰でハブに咬まれるの かもしれない、そんなことを思った。見れば見るほど、傷一つない、 素晴らしい個体だった。素早く作戦を練って、 ぱっと後ろから掴むと、私の指は二つの羽の うち左側だけをとらえ、蝶ははばたいて逃げようとしたけれども、 もう一つの羽をつかまえて胸のところを押さえるのは簡単だった。  ついに、オオゴマダラが自分のものになった。  オオゴマラダの羽の模様を、手の中でゆっくりと見るのは始めて だった。白と黒のコントラストが美しく、まるで珊瑚礁の中から 生まれてきたような蝶だと思った。一時期のベルナール・ビュフェが このような絵を描いていたなと思った。  それから、私は、1分くらい思案した。三角紙は持っていない。 ちり紙に包んで持って帰ればなんとかなるかもしれない。しかし、 帰ったらすぐに展翅しなくてはならない。こんな見事な個体を、 小ぶりの箱に入れて飾ったらさぞいいだろう。しかし、身体が 硬くなったら、軟化剤を打たなければ・・・私がどんな算段を しているか、私の指の間で震えている小さな生き物はもちろ ん知ることはなかったろう。  結局、私はその個体を逃がした。私が、蝶の採集を再開するとしたら、 あの瞬間を置いてなかったように思う。しかし、私はその個体を 逃した。オオゴマダラはふいといなくなり、私は名残りを惜しもうと 思って見渡したが、すでにどこかに飛び去っていた。  なぜ、放してしまったのか明確に意識できている わけではない。しかし、私には、手に入った であろう蝶一個体の標本よりも、蝶を指に挟んでいる1分間の間に 私が経験した心の揺れの方が、価値のあるもののように思えた。 私の心は、私の指の中の小さな生き物と同じように揺れていた。指を 挟んで、私たちは鏡に映った双子同志だった。 2001.2.16.  集英社の鯉沼広行さんが、集英社社内の資料保存室に1冊だけあったという「こちら アポロ」をコピーして送って下さった。  学習漫画 こちらアポロ 380円 製作 木乃美光とスタジオK 昭和四四年十月十日初版発行  おかげで、もう20年以上一瞥もしていない少年時代の懐かしい本ともう一度 出会えた。  記憶というものは不思議なもので、とても細かい部分まで、見ればそれと 認識できる。最初に人類が月を様々な物語の中によみこんできたという 説明があるのだけども、そこで、短冊を持って「名月や、名月や」と首をひねっている おじいさんなど、見た瞬間に鮮明に思い出した。  なにしろ、恐らく20回、30回とくり返し読んだ本なので、記憶が何十にも 煮染められている。  コピーの紙をめくっていると、あの頃の自分が、ちょうど現在の地層のずっと 下の層のように、確かに今でも潜んでいるということが実感できる。人は、 一瞬一瞬の経験が積み重なることによって出来ている。私たちの脳の中には、普段は 明示的には取り出さなくても、今迄の人生の記憶が何層にも積み重なっている。  鯉沼さんに感謝である。  あの頃読んだ学習漫画が懐かしいのは、自分が子供の頃の思い出ということも もちろんあるのだけども、あの頃は、科学が、明るく輝かしくまだ見たことの ない未来を切り開いていく手段として、輝いていたように思うからである。 科学技術が、宇宙や地上において、今迄と違う未来を創っていく様子が、 子供にも実感できたように思う。  最近のITや携帯電話というのは、もっと身近で、それほどめくるめく未来へと 連れていってくれる気はしない。  未来が、今日とは異なるものになりうる。一瞬先に、何が待っているか判らない。 過去との断絶として、未来が常に開かれていく。このような「未来感覚」に、 あの頃は溢れていたように思う。時代が巡り巡って、そのような「未来感覚」 が再び強まる時代が来たように思う。  個人的な人生においても、あと何回かは「未来感覚」のピークをつくっていきたいと 思っている。 2001.2.18.  全く不調で、ランニングも2月4日以来やっていない。今日 あたりは少しは走らないと、立ち直りの切っ掛けをつかめないかもしれない。  夕食の時、転がっていた日本酒を飲んでみたが、うまくなかった。  越路吹雪という少しふざけたネーミングの酒である。  お酒の味などは、明確に確信を持ってうまいとかまずいとか 言いにくい部分もあって、こちらの体調などもあるから、なかなか決めつけにくい。  8年くらい前に、飯能の骨董品屋で買った御猪口を久し振りに出してみた。 九谷の安物で、「江上吟」という漢詩が内側に書いてある。  調子のいい時には、この内側の模様を読んでも面白いのだろうが、  今はあまり面白くない。  高校の修学旅行の時に、やはり風邪をきっかけに体調が悪くなったことが ある。奈良の日本旅館で髪を洗って冷たい風にさらして悪化した。  次の日、八名くらいのグループで石舞台古墳などを回ったけど、 ずっと関節が痛くて、辛かった。  それでも身体を動かしていると、ある時ふっと「晴れ上がり」の瞬間が 訪れて、それから楽になった。  あの時の体験が、一つの原像として私の中にある。  調子が悪い時でも、あまり引きこもっているとデフレスパイラルに陥って しまうから、身体を動かして「晴れ上がり」の瞬間を待つしかない。  来週は修士論文の審査をしなくてはならないし、SONY CSLの合宿も あるから、あまり引きこもっていられない。  とは言いつつ、本当はふとんにくるまって漱石をゆっくり読んでいたい 気分である。 2001.2.18.  何とかいやがる身体を引きづり出して、軽いランニングに出かけた。  練馬のこのあたりは、昔水路だったところが暗渠になっていて、自転車と 歩行者しか通らない小さな通路になっていて、この水路道を通ってずっと3キロ くらい走ることができる。  2週間も走っていないと、踏み出す一歩一歩が弱々しく、頼りないのが 自分で判る。  この、「弱々しい、頼りない」という感覚も一つのボディ・イメージ だと思うが、Damasioがgut feelingと名付けようと名付けまいと、そのような 感覚があることは人々は幼稚園の頃から知っている。脳科学者の多くが、思想において カマトトのレベルに堕しているのは残念なことだ。  難しいのは、「弱々しい、頼りない」という主観的な感覚の質、その質自体の 起源であって、そのような感覚があって、それが「合理的」な人間の判断にも 影響を与えることは、別にDamasioに言われなくても知っている。  アインシュタインやディラックのやったことに比べたら、今のところ脳科学は カマトトの学問体系だ、と自戒する。  携帯電話でメイルを送りながら、犬を散歩させている人がいる。  水路道で前を行く自転車の人がいると、速度調節をするのに苦労する。抜かすのが 心理的に面倒なのだ。  今日もしばらく足踏みして一台やり過ごした。  無理矢理身体を動かすと、少し、芯の方で何かが立ち上がってきたような気がする。 少しバターが溶けはじめているように思われる。 私にとって、運動するということは、無意識に直接働きかけるテクノロジーである。  確かに、意識的にはどうすることもできない、無意識の領域がある。しかし、 身体を動かしたり、自分が経験することを傾向付けたりして、無意識のやる ことにある程度影響を与えることができる。  こんなことも、もうとっくの昔から誰でも知っていることだが。    調子が悪い時には、天が下、何も新しいことはないように思われる。 2001.2.20  体調を落としていたのに加えて、1年半くらい愛用してきたPowerbook G3が 立ち上がらなくなって、テクストのインプットやインターネットへの 接続ができなくなり、おそらくここ2年くらいでも最低の3日間を過ごした。  最近Appleは、修理制度の改悪をして、以前はQuick Garageに持ち込めば その場でやってくれていたのに、連絡して宅配業者にとりにきてもらわなければ ならなくなった。1日たりともPowerbookなしでは仕事が進まない私としては、 これは致命的にトロいプロトコルである。大切なPowerbookが一度工場に 行ってしまったら、いつ 修理されて戻ってくるのか、見当もつかない。  これでは、プロのユーザーはほとほと困ってしまう。  それでも、何とかメイルも書かなくてはならないし、テクストも打たなくては ならない。部屋の隅に転がっていたPowerbook 2400cで騙し騙しやってみたが、 バッテリーは持たないし、PHSが以前使っていたドコモの劣化している 機種しか使えず、電波を拾うのに一苦労だった。自分の持っているマシンが このような状態だと、自分自身までもがみすぼらしく思えてきて、 不思議な回路を通して、久しぶりの深い存在論的な不安に陥った。 自分の周りの意味を与えている社会的なコンテクストが崩壊していく、 そのような感覚を味わった。 こんな時にと言っては なんだけども、客員をしている東工大の修士論文の審査もあり、 朝早くすずかけ台まででかけなければならなかった。 電車の中で読んだ北杜夫が、自分の今の存在論的な不安と共鳴するように 思えた。 そして、こういう不安な状態に陥るのも、そんなに悪くないなと思った。  次のPowerbook G4も発注はしてあるものの、どうやら極端に在庫が 少ないらしく、いつ入荷するか分からない状態だった。組織の中では、 そもそも、発注しても決済が通るのに1か月かかる。これは、もう耐えられないな と思った私は、自費でiBookを買うことに決意して、新宿のソフマップ にでかけた。今はiBookを買うには最悪の時期で、22日のMacworld Expoで 新製品が出ることは分かっているのだが、それでも最後に残っていた Graphite1台をデビットカードで買った。メモリを増設して、20万円ちょっとだった。  ついでに、今のPowerbook G3の内臓HDを iBookで読めるように、2.5 inch HDをFirewireに接続するadaptorを買った。 家に帰り、大切なデータの入った2.5 inch HDの中身がiBookから 読めることを確認して、やっと私の存在論的不安は おさまってきた。  それにしても、iBookをまさか手にすることがあるとは思っていなかったけども、 使ってみるとやはり美しい。Windows machineとAppleの差は微妙なことのようだけど、 やはり絶対に譲れないある質感の差がある。iBookをとりあえずぶんぶん使って、 ここの所の仕事の停滞を取り戻したい。  それにしても、北杜夫は存在論的不安にかられている時に読むととてもイイ。 2001.2.21.  山の手線の中で、木村佳乃が出ているJALのポスターがあった。  彼女が、母親役らしい役者とおそらく沖縄かどこかの海岸で戯れている。  娘が、母親に後ろから絡み付き、「大切な人との旅だから、絶対いい旅にする」 というようなコピーが書かれている。  二人の顔が、大写しになっていて、その下に、からみ合った腕が配置されている。  私は、なぜか目が離せなくなって、しばらくそのポスターを見つめていた。  そして、次第に、不安になってきた。    どう考えても、あの顔の下に、あのように肉体があるのはおかしい。  違和感がある。  どう考えても、あのように腕があるのはおかしい。  さらに  どう考えても、あの顔の後ろに、木村佳乃という人の「心」があるのはおかしい。 あの「顔」という筋肉のかたまりの中に、心が潜んでいるというのは、何かおかしい。  と思えた。  電車を降りてからもしばらく、違和感が続いた。  どのような要素が関与しているのか、自分でも判らないのだが、時々、ある種の イメージを見て、人間の持っている身体に体する違和感が沸き起こってくる。我々が この手足の付いた肢体の中に「閉じ込められていること」に体する違和感が 沸き起こってくる。きっかけになるのは、動画 よりも、静止画の方が多いようだ。おそらく、ある特定の配置が固定化されて 示されることが、異化作用につながるのだろう。くだんのポスターを見た時も、 木村佳乃というタレントの 顔の筋肉の微妙な配置で、あのような違和感に導かれたように思う。  時々、人が手を振って歩くのがおかしくて仕方がなくなってしまう。気になり出すと、 とても気になる。もちろん、自分でも歩く時は手を振っているのだろうし、そのことを 普段は意識しないのだが、いったん意識し始めると、「なぜ手を振らなくてはならない のだろう」「何だか、手を持て余していて、それで仕方がなく振っているようだ」 と次々と違和感が連鎖していく。以前、当時の新宿三越南館2階にあったウィーン風の カフェの窓際に座って通りを行く人を眺めているうちに、発作にとらわれたことがある。 皆歩きながら思わず手を振ってしまう、どんなに若い人も、年寄りも、みすぼらしい 人も、かっこいい人も、皆手を振ってしまう。そこに、私は人間のひたむきさ と弱さを見たような気がして、とにかくおかしくて不思議で座り心地が悪かった。 それでも、魅了されていつまでも見ていた。手を振って歩く奇妙な棒のような 生き物を、見ていて飽きなかった。  プラトンのイデア論は、このような違和感と魅了感とともにあったのかなと時々 思う。 2001.2.22  朝5時30分に家を出た。  今日から1泊2日の予定で、ソニーCSLの合宿があり、9時過ぎに 三浦海岸に着かなくてはならなかった。  昨日、横須賀近辺のホテルを探したのだが、どこも満室だった。  それで、前日に近くに泊まるのを諦めて、早朝家を出ることにした。  昔からそうだが、こういう時、私は、極端に早く出て、ラッシュの前に 都心を通り過ぎてしまう作戦をとる。  品川駅から京浜急行の特急に乗ったのが7時過ぎだった。  窓際の席に座って、iBookで今日のプレゼンを作りながら次第に 郊外へ。  iBookは、テクストを打つにはいいが、画像関係の処理をさせると 少しスピードが遅い。  横須賀を通り過ぎたところから、急に崖の上に木が茂っている光景に 変わった。  ホテルには8時過ぎについた。  マホロバマインズと言うところは、全く謎の雰囲気を持った場所で、 フロントに入るとスリッパに浴衣姿のおじさん、おばさんが歩き回っていた。 朝食をとるレストランに行列が出来ていたので、諦めてトーストと コーヒーを注文した。夜になるとクラブにでもなるのだろうか、 暗い空間の中にソファが置かれていて、iBookを開いてメイルチェックをしていると、 女の子が来て跪いて注文をとった。  朝に相応しくない雰囲気だった。    5時30分に家を出て、最寄り駅に歩いている時、後ろから マスクをしてジャンパーを着た初老の男が追い抜いていった。 知らない人だったが、「おはようー。」と声をかけてきたので、 「おはようございます。」と答えた。「早いのに大変だねえ。 おじさんは、運動しているだけだけどね。」と言った。 まるで勤労青年になったようで、少しうれしかった。  しかし、そのおかげで今は眠い。私の出番は終わって、今はインターネットの セッションで、IPv6などの話題が出ている。  私の眼の前に、iBookの白いイメージがぼんやりと浮かんでいて、まるで 幽霊のように見える。となりには増井さんがいる。最近日経産業新聞に 出ていたので、冷やかしておいた。 2001.2.23  CSLの合宿には、池上高志さんも来ている。  いつものごとく、力学系の意味について論争になる。  セッションの合間に、マホロバマインズ別館の10階の廊下に出て、はるか 彼方を京浜急行の赤い電車が時々通り過ぎるのを見ながら、議論した。  池上さんは、しきりに、カオス・ダイナミックスが哲学的革命を引き起こした かどうかという点を問題にする。  私は、やはり、マンデルブロ集合のようなものが出てくるということ、 その具体的な一つ一つの形態が問題なのではないかと言った。個々の時刻に おけるリアプノフ指数のようなものではなくて、アトラクタならアトラクタの 具体的な形状が本質的な要素として利いてくる、そのような理論を作らなければ 革命はおこらないだろうと。  ナイトセッション。  一つ一つの部屋が大きくて、皆で707号室に集まって、ビールを飲みながら 話した。アルゼンチン出身のEduardoや、イギリスから来たHenryなどと だべった。ひさしぶりの雰囲気で面白い。しかし12時頃になって、 急にFermat's Last Theoremが読みたくなって、部屋に帰ってベッドに横になった。  朝になり、温泉に入りながら、力学系の問題を考えた。結局、今扱っている 力学系はやはり自由度が小さすぎる、もし、アトラクタの具体的な形状が 利いてくるようなことがあったとしても、当然自由度が大きくなるとアトラクタの 性質も変わってくるだろうから、少数自由度の力学系だけを考えていても ダメである。また、アトラクタなどの形状はある程度時間が経過して始めて 明らかになってくることであるから、リアルタイムで大自由度のシステムの性質 として刻一刻あらわれてくる脳活動に伴う表象の様子を記述することはできない、 そのように思えた。  多自由度の系の短時間の振る舞いを、少数自由度の系の長時間の振る舞いにマップ するような話があれば別だが。しかし、そもそもマッピングを仮定することが ダメなように思われる。  というわけで、どうも力学系を使う気がしない。しかし、他に具体的な 理論的方法論がすぐに見つかるわけではない。世界はかってに時々刻々進行しているが、 それを理解しようと努める人間の悩みは深い。  マホロバ・マインズの6階の部屋からは、海が見えて、その海で反射した 太陽の光が部屋に差し込み、まるで反射板で照明を受けた舞台のようだ。 その部屋のテーブルでこの日記を書いている。  Macworld Expoで新しいiBookは発表されなかった。その直前にやむを得ず iBookを買った私としては、何だか得をした気分だ。しかし、今度はflowerpowerの iMacが欲しくなってしまった。人によってはAppleの中にLSDをやっている やつがいるに違いないと揶揄するが、私はあのデザインが好きだ。 2001.2.24  三浦海岸のまほろばマインズというのは、どうも変な空間だった。 http://www.maholova-minds.com/  廊下がやたらと狭い。客室に行くのに、北、中央、南と違うエレベータに 乗らなくてはならない。客室へ向かう廊下が、マンションのように外側にある。 部屋がやたらとでかく、その中に奇妙な家具が置いてある。  奇妙な理想郷(まほろば)のヴィジョンだ。    増井さんと朝食をとった。シェフが鉄板でステーキを焼いてくれるような 構造のスペースで、和食のバイキングを食べる。  ガラス張りのシックな空間に、浴衣とスリッパ姿のおばさんたちがいる。  2001年とは思えない光景だ。  顔を向き合わせている時、ふと、増井さんは「増井大仏」というペンネームで 世に出たら受けるのではないかと思った。  増井さんは灘高から東大にいって、それからシャープとかいろいろ転々とした 後、今SONY CSLでいろいろハッキンぐしていて、最新のSONYの携帯電話にも 「増井method」の日本語入力システムが載っている。月刊アスキーに連載も 持っている。丸顔で髪の毛が Q.P.ちゃんに似ていて、まるで奈良や鎌倉の大仏のようなお姿なのだ。 「増井大仏」というペンネームにしたら、キャラが立つのではないか、そう思った。 あるいはQ.P.増井でもいい。  そんな勝手なことを言っていても、増井さんはにこにこ笑っていて怒らない。 ますます、増井大仏という名前がぴったりのような気がしてきた。  セッションの合間、トイレに入って壁紙を見ていた。  トイレは退屈な空間だ。私は家では必ず何かを読んでいるが、マホロバマインズ ではそういうわけにもいかない。しかし、壁紙の模様が、良く見るといろいろ な形に見えて、実はトイレの壁紙は、退屈しのぎのためにその中に様々な 模様が見えるようにパターンを工夫しているのではないかと思った。  講談社から出した「心が脳を感じる時」の中に、おばあさんの顔に見える 染みの図があるが、実はこれは東京の青山の国連大学で行われた意識に関する 国際会議、Tokyo 99の際にトイレで見つけた壁の模様である。  変質者みたいだなと思いながら、デジカメを取りに戻って、壁の模様を撮影した。 編集の小沢さんも、まさかあれがトイレの壁の模様だとは思わなかったろう。  合宿は7時に終わり、鎌倉に増井さんと大平さんとでかけ、ひさしぶりに友人の デザイナー、井上智陽と会った。私以外は鎌倉在住だ。 小町通りの入り口にあるスパイラルという 店である。コロナビールを飲んで、タコスを食べていたら、増井大仏の御本尊の顔が アステカの彫像のように思えてきた。 増井大仏の御尊顔が見たい人は http://www.csl.sony.co.jp/person/masui 2001.2.25.  CDで音楽を聞きながら、養老シンポジウムの報告原稿を書いた。  ここのところ、バッハを聴いている。仕事をしながら聴くBGMには、 バッハの音楽が一番良いように思われる。    文字をキーボードを通して打ち込んでいく作業は、ある意味ではピアノを弾く 作業に似ている。マーラーの音楽のように、うねりや流れがある音楽では、 ピアノのキーを押すタイミングがそれに影響されてしまう。しかし、バッハの曲は、 多くがある一定のリズムで密につながっていくので、キーボードの上の タイピングの作業が影響を受けないのである。    それと、バッハの音楽の内容が、ある種の密な精神状態をつくり出すのに 有効であるように思われる。マーラーを聴くと、気分が分散していってしまう。 部屋の中でタイピングをしているよりは、外に出たくなる。風を受けて散歩したくなる。 仕事をする上で必要な、禁欲的な態度が保てなくなる。  マーラーは、むしろ、自然の中を歩きながら、ウォークマンで聴くのに適している。  民放のバラエティ番組を間違えて一瞬つけてしまうと、あっと言う間に精神が ダメージを受けるが、あれはどうも、意味が立ち上がる前の純粋の音の段階 で、汚く猥雑だからだと思う。タレントが馬鹿な話をしているのはしょうがないが、 その馬鹿な話の内容が、バッハの音楽のような美しい音の流れとして 伝わってきたら、あれほど我慢できないということはないだろう。  テレビの音声をバッハ風にする、  「バッハフィルター」のようなものを売り出したら、案外売れると思うのだが、 たいていの人は冗談だとしか受け止めないだろう。  気分を変えたい時には、薔薇の騎士の最後の3重唱などが良い。Marshallin, Sophie, Oktavianの3人の歌の後で、何も知らないSophieの父親が、Marshallinに、 「若いものは幸せそうでいいですな」と言い、Marschallinが「そうですわね」 と言うところがいい。MozartのJupiter Symphonyの第一楽章で一瞬鈴の音が 縮んでいくように感じられるところがあるが、あそこと同じような一点に 凝縮した味わいがある。  今日は天気がいいので、ある程度の距離を走ろうと思う。長野マラソンまであと 1か月半しかない。本当に走れるのか? 2001.2.26.  Cambridgeにいた時のboss,  Horace Barlowは、いろいろな点で尊敬すべきところがあったが、 その一つが、「世の中の成り立ち」というか、「実際のところ」に対する 一種のリアリズムだったような気がする。  ある時、Barlowが主催する会議にNew Yorkの有名な研究者Mがなかなか abstractを送ってこなかった。Mとメイルをやりとりした人が、 「自分が会議を喋るのかまだ判らないと言っている」と言うのを 聴いたBarlowは、「Then why doesn't he write up and find out?」 と言った。それを聴いて、私は、まさにその通りだよなと思った。 このようなBarlowのリアリズムが、彼の信頼できるところだと思った。  何かを書く時、私たちは、あらかじめ書く内容が決まっていて それを単に吐き出すのではない。むしろ、書いているうちに、自分が 何を書きたかったのか「発見」していく。いや、一歩進んで、書く内容は、 それまでなくって、書く時に出来上がっていくのだと言っても良い。 Barlowが、「まだ何を喋るのか判らない」と少しもったいぶった Mについて、やや皮肉めいて「書いてみれば何が喋りたいかわかるよ」 と言ったのは、単に茶化したというだけでなく、この世界と我々の 成り立ちについてのリアリズムに基づいていたから、強く 私の印象に残ったのだろう。  Mは、NYUにいる、Motion Perceptionの研究者で、まるで あざらじのような顔をしていて、早口で喋る。このように書けば、 Mが誰なのか、ピンとくる人にはピンとくるだろう。  昨年あった養老シンポジウムの報告原稿をやっと書き終わって、 ひさしぶりに「書いてみて何がいいたいのか初めて判る」気分を 味わった。意識と揺らぎについて書こうと思ったのだが、最後に クオリアの問題が意外な形で絡んできて、自分でも予定していない 終わり方になった。問題意識自体は以前から持っていたものだけども、 ひさしぶりに思い出して、何となくその問題が再びアクチュアルな ものになったような気がする。  ひさしぶりにまとまった距離(12キロ)走って、今日は足が痛い。 苦しい時間の充実を再び思い出す。今度はハーフの距離を走ってみよう。 断想    ひさしぶりにユニクロに行って、服を買ってしまった。去年レイヤード シャツを着ていて、あまりにも同じのを着ている人が多いので やばいと思ってしばらく買っていなかったのだが、今年の春の色は水色だと 何となく思ってしまって買ってしまった。ユニバレ(ユニクロを着ていることが バレること)しないように気をつけて着よう。  マイライン、NTT以外のどこにしようかと思っていたが、東京電話が わざわざバイク便を飛ばしてやってきたので、面倒なのでハンコを押してしまった。 NTT以外ならどこでもいい。  初めてamazon.deで注文。WagnerのMeistersingerのDVD。これでアメリカ, イギリス、ドイツのamazonから買い物をしたことになる。インターネットで、 実は世界のどこともつながっているはずなのだが、なかなかその発想がいかない。 これで思い付いて、ドイツ語のメイルマガジンか何かとろうかと思ってしまう。  butterfly@freeml.comに加入して以来、蝶のオタッキーな話題を皆が しているのを読むのが楽しくて仕方がない。しかし、採集がしにくい環境に なっているようで、まだactiveにやっている人たちは可哀想である。 2001.2.27.  amazon.deでDVDを注文したら、いろいろドイツ語で案内のメイルが 送られてくる。 Wir hoffen natuerlich, dass diese Information fuer Sie von Interesse ist. Wenn Sie jedoch zukuenftig lieber keine Nachrichten dieser Art von amazon.de erhalten moechten, senden Sie eine E-Mail an: などという文章を読んでいると、ドイツ語が、英語に比べてやや重厚長大な 表現になっているということが改めて感じられる。電子メイルというメディアの 中で読んで始めて、そのような違いがコントラストとして立ち上がってくるのだ。  英語というOSのプラクティカルでエコノマイズする感覚が、おそらく彼等の 世界観と強く結びついていて、だからこそ近代世界のパラダイムを作ることが できたのだと思うのだが、「よろしくお願いします」という日本語の言語感覚も ある意味ではドイツ語と同じようなフリルがたくさんついているようで、昨今の 停滞と絡んでいろいろ考えさせられる。  インターネットは、本来、世界のどこにでもつながっているはずなのに、ついつい 自分の「既知圏」の中でサーチしたり、サーフィンしたりしてしまうことを 反省する。例えば、南極にVinson Massifという最高峰があり、そこを登攀する ツアーがあったりする。これは2年前に偶然見つけたのだけども、このような、 突飛もない情報に接することこそ、インターネットの価値なのに、どうしても 自分の「既知圏」の中で何かをしてしまう。  森喜朗は終わっている。それと同時に、日本の民放の番組で、 タレントが馬鹿なだべりをしたり、素人が醜態をさらしたりするあの世界も 終わっている。「所さんの目がテン」はいい番組だが、所ジョージの 喋りが邪魔である。科学番組に、タレントはいらない。情報番組にも、 タレントはいらない。実質的な情報の入った部分だけを流してくれて、 その前後の関係のないコメントなどはカットしてしまえばいい。 今の日本の民放は、タレントというわけのわからない人種のための 生活保証の場と化している。つきあわされる方が迷惑である。 無視すればいいと人はいうが、どうも私はこのようなことが 無視できない。それでいろいろ腹が立つのだけども、実はこのような腹立ちは テレビというメディアがそれなりの権力を持っていると思うからこそであって、 実はインターネットによって世界のあらゆる微少な情報とつながっていて、 インターネットというメディアを経過することによって、事実上腐敗した メジャーなメディアをバイパスできる、そのようなことに気が付いた時、 ぱっと新しい世界が開けるように思う。  ブロードバンド時代になると、誰もが動画を発信し、受信できるようになる。その ような時代のメディアのあり方について、今の時点で明確な「着地点」を イメージしておく必要がある。ニュージーランドのペンギンがいる浜辺が 常時実況中継されるようになる。BBCの番組をイギリスと同時刻に 世界のどこでも見られるようになる。ミャンマーのポップすチャート番組も 見られるようになる。ジャック・デリダの生の喋りや、ケニアの老婆の 語りが編集なしで聞けるようになる。 そのようなことになった時、今の民放のコンテンツが 無傷でいられるか? おそらく、隕石が落ちて、タレントは絶滅するだろう。  ネガティヴなものは、ポジティヴなものによってしか駆逐されない。ブロード バンド時代には、様々なチャンスが埋まっていると思うが、そのチャンスを 生かすためには、感性が時代を先取りしていなければ行き先自体が見えてこないだろう。 2001.2.28  CSLの3階で、CSLから他の組織に行く二人の送別会があった。 谷さんは理研のチームリーダーに、寺岡さんは慶応大学の教授になる。  Catering serviceでシャンパンやシャルドネやボルドーがグラスに注ぎ込まれ、 乾杯する。  所さんやアイボの土井さんのスピーチ。  その後、谷さんがベースを弾き、土井さんがサックスを吹き、増井さんが キーボードを弾いてセッションが始まった。  所さんが、As time goes by.とMy foolish heartを歌った。  私は、Musicianたちのすぐ横で、ソファに高安さんや春山さんと座って ぼんやりしていた。Catering serviceが持ち込んでTableにかけたクロスが 玉虫色に輝いていて、あのようなクオリアはどのようなRGBの分布で 生じるのだろうと思った。それから、自分の周りのグラスや、照明を 眺めて、それぞれのクオリアが生じるメカニズムについていろいろ思いを 巡らせた。    目に映るものは、色だけではなく、透明感や、金属光沢や、輝きや、 様々な視覚的クオリアに満ちている。どれも、私の脳の中でニューロン たちが網膜の上の光の波長分布の非局所的な性質を計算して作り出した 表象だ。  指で、小さな三角を作って、そこを通してグラスの透明な部分を 見ると、透明感は非局所的にしか計算できないから、突然 ふつうの色になってしまう。一方、照明の輝きのクオリアは、周囲が 暗くて中心が明るいことによって生じるから、小さな三角を通してみると、 やはり周囲の暗い部分との対象で輝かしいままである。ところが、 この輝きが広い視野に広がって一面同じ明るさになると、とたんに輝く なってしまう(はずであるが、指を使って試すことができない)。 音楽を聴きながら、そんなことをして遊んだ。  生まれた時からクオリアは感じてきたが、脳の中でニューロンの関係性が ダイナミックに変化してそのようなものたちが生まれてきている ということには全く気が付かないで生きて来た。問題に気が付いた後も、 相変わらず、クオリアの機嫌はミステリーのままで、時々、問題に気が付く 前のようにナイーヴに現に今を生きている自分に気が付く。  シャルドネを口に含むと、バターの香りとでもいうような幽かな芳香が 感じられる。そのクオリアを感じた時、私はなぜか、自分がさざめきと明るい 照明の中にいることに違和感を感じて、そして少しtristeになった。  宇宙の百億年の時間の流れと、百億光年の空間の広がりの中で、今自分が この特定の場所にいて、そして時間が不可避に流れていき、私はクオリアを 感じていて、そしていつかは全てが去っていく、As time goes byという 私の感覚自体が去っていく、そんなことを思った。 2001.3.1  最近DVDを良く輸入していて、例えばMonty Python's flying circusなど、 英語字幕をつけたりできる。  字幕をつけて見たりして気が付いたのは、聴くことは見る ことよりも脳のリソースに対する要求が大きいということである。  活字を見ている時は、よく判らなければ視線を滞留させたり、戻って みたりすることができる。しかし、聴く場合には、音声はリアルタイムで 流れ、過ぎ去っていってしまう。良く判らなかったと思っても、もうすでに 次のものが来てしまっている。だから、音声の方が、視覚よりも、より 高いworking memoryとattentionを要求する、そのようなことを思った。  文学作品を音で聴いたらどうなるのだろう、そう思って、新潮から出ている 坊ちゃんの朗読テープを聴いてみた。端折っているのだろうと思っていたが、 案外テクストを忠実に朗読している。朗読しているのは風間杜夫で、この人は 浅草でロケをしているのを見たことがある。小さな人だった。  聴いてみると、とても良い。坊ちゃんが、とても簡易でリズミックな表現で 書かれた作品であることが、身体を通して伝わってくる。活字を自分のペースで 追ったのでは気が付かないような機微が実感される。冒頭から、坊ちゃんが 世間との交渉において様々な違和感を抱いた、そして肉親からも冷たくされた 存在として描かれていて、それが一つの頂点に達した時に、清が登場する。 もし清が登場しなかったら、坊ちゃんはどうなっていたのだろう、そのような 悲痛な感情が起る。「懲役に行かないで生きているばかりである」という言葉が、 ある種の痛切なリアリティを持って胸に迫ってくる。  活字では、おそらく十数回くらい読んだ作品だが、音で聴くと、脳の別の 部分が刺激される。様々な雑務に終われながら、この奇跡的な作品を 2週間で書いた漱石その人の息遣いが感じられる。    竹富島で「耳」に目覚めて以来、目が注意をしばり、音が自由にするという ことが気になって仕方がない。「坊ちゃん」のテープを聴きながらも、私の 目は夜道の風情を自由に取り込んでいる。音は、ambientな意味の霧として、 私をぼんやり包んでいるだけである。目は、もっと多くのことを要求する。 そこに視覚と聴覚のメディアとしての大きな違いがあって、私自身は 今はもっと聴覚に向かうべき時だと思っている。なぜならば、精神は、 自由に動ける空間を必要とするからだ。