2002.7.1.  池上高志から、「おれは恋の空騒ぎが好きだ」というメイルをもらった。  「馬鹿だと思って生きている女の子のほうが、 自分はりっぱだと思ってる大学の先生 よりましだろう。そっちをを攻撃の対象にしろ」 というメイルである。  眠っている間に池上からのメイルについて考えていたらしく、 今朝起きた時には、何となくはっきりしていた。  思うに、どんなものも必ずダメなこと、毒、欠点を含んでいる のであって、  それがあからさまに出ている場合はまだ良くて、隠蔽されている 場合の方が本当はマズイのではないか。  池上が言いたかったことは、そんなことかなと考えた。  それから、脈絡なく、だから資本主義がいいんだと思った。  資本主義の場合、あらかじめ、個人が自分の欲望に従って競争 するということが制度化されている。「原罪」が最初から顕在化 されているわけで、逆にいえば、それ以上悪くはなりようがない。 行きすぎた利己主義は、後から税や法律で修正すれば良い。  それに対して、「個人は万人のために、万人は個人のために」 というような美しいスローガンを掲げた社会は、様々な悪の 種が隠されている。だから始末に負えない。一見美しい動機の 背後に、醜いものが潜んでいる。  あからさまに下らないものよりも、隠れて下らないものの方が 始末が悪い。  それを学んだのが、二十世紀だったか。  日曜の午後、The Sixth Senseを見た。Bruce Willisが精神 分析医をやっていて、対象にした子供の症状が実はdead people が見えることに起因していた、という筋書きの映画である。見た人は 知っているだろうが、最後にちょっとしたドンデン返しがある。  なるほどね、と思ったが、やはりあまり感心しなかった。  私がハリウッド映画に感心しない根本的な原因は良くわかっていて、 要するに筋書きという「計算」に全体が奉仕して、その剰余が ないからである。  資本主義が内在化されて、全ての行動が計量化され、 存在全体がそれに奉仕するかのような構造が耐えられないのである。  しかし、これも、池上高志流に言えば、ハリウッド映画は くだらなさが顕在化しているだけ、まだタチがいいということに なるのか。  まさに資本主義の本家の映画である。  一方で私は、掛け値なしの傑作というのはあると信じていて、 どちらかと言えばそちらを見つめて生きる人生になりたいと 思っている。   そろそろハリウッド映画を見るのも飽きたので(N=4)、 今度は手持ちのMeistersingerのDVDを細切れでもいいから 見ようと思う。  これは掛け値なしの傑作である。  ロナウドが金色のカップにキスをしているのを見て、切なくなった。 全てのサッカー少年の夢が、はかなく思えた。  私が生きているうちに、日本のチームがワールドカップで優勝 することはまずないだろう、と思ってしまったからである。  オリンピックならば、まだ、誰かが何かで金メダルを取るかもしれない。 ワールドッカップは一つしかない。  日本のサッカー少年の夢は本来的に儚い。叶わない。  まだ、オレがクオリア問題を解く可能性がの方があるかもしれない、 と思った。  そして、頑張ってみよう、と妙な回路を通って思った。 2002.7.2.  何だか、少し疲れていて、朝お風呂に入りながら「天才バカボン」を 読んでぼーっとしていた。  時間になったので、だるいなあーと思いながら家を出て、 電車に乗る。  年に数回来るだるさの底である。  光藤くんの論文が、難関のPervasive(何でも倍率が8倍とか) に通ったので、「良かったなあ」と肩をどーんと叩いて、 最近発見した無線LANでメイルをチェックする。  いつものCSLの始まり。  長島が斜め後ろにいて、プログラムを書いている。  あーでもないこーでもないと、軽口を叩く。  世界中がだるさに包まれている。  午後3時、講談社の「オブラ」編集部の大場葉子さんが 来る頃から、少し元気になった。  「私の100冊」という記事の取材で、100冊のリストを 作って、それを交えて読書について語る。  広報部の中谷さんも同席。  大場葉子さんは、「激しい原稿追い込み」「早朝の印刷所ゲラ 一番入稿」で鳴らすNHK出版の大場旦さんの奥さんなのだが、 昨日初めてお会いしたのである。  100冊リスト。  田谷くんに渋谷に誘われていたのだが、増井俊之さんと 目が合った時にあさりで飲もうということになって、 田谷くんの方を呼び出した。  11時くらいまで飲んだ。  そして、今朝はまただるい。  ここのところ発作的に腕立てふせなどしているから、身体が 疲れているのか。  ちょっと俗世にまみれた気がするので、クリスタル・クリアな 概念世界に遊んでみることにする。 2002.7.3.  まだ、だるい。  夕方、突然声が出なくなってびっくりした。  今朝は出ているが、アリアは歌えそうもない。  今日は午後1時から駒場で授業(池上高志は2限目から 来るようである)。  夜、大阪入りして、明日、あさってと大阪大学で授業なので、 声が出なくなると非常に困るのである。  一瞬、手振りでコミュニケーションしようとしている自分を 想像する。  最近、時々、人生を早回しすることを想像する。  早回しして見ると、実は脳が接している情報空間は案外狭い。 人と人のコミュニケーションも同じことである。  『三四郎』の中で、三四郎と美禰子は随分いろいろな交流を しているように思うが、  それを早回ししてみると、最後の美禰子の 「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」 という独白のカタストロフィまで、実は三四郎と美禰子がやりとり している情報はそれほどでもない。  一日でやっていることを早回し、一月でやっていることを早回し すると、やはりそれほどのことでもない。  その中に、人生というものを託さなければならないから、 「一期一会」などという考えが出てくる。  問題は、いつもいつも「一期一会」の覚悟などできないということだ。  リアリストであるということは幸福なのか、不幸なのかということを 歩きながら考える。 <引用>  「結婚なさるそうですね」  美禰子は白いハンケチを袂へ落とした。  「御存じなの」と言いながら、二重瞼 を細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、か えって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。その くせ眉だけははっきりおちついている。三四郎の 舌が上顎へひっついてしまった。  女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほ どのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の 上に加えて言った。  「我はわが愆知る。わが罪は常にわが前にあり」  聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らか に聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。 2002.7.4.  駒場で授業をする。  池上高志はちょうどラッセルとホワイトヘッドの話をしている 時にやってきた。  終了後、議論をしに来たハッカー小出や、カドヤさん、言語の宇野 (渡部) さん、それに田谷、柳川、小俣、恩蔵、長島といったメンツで池上 と開一夫さんの研究室を訪ねる。  光トポの装置などを見せていただいて、その後缶ビールで カクテルタイム。  となりの院生の居室に行って、開さんに「この人がクオリア日記を 愛読している人です。そういう人がいたと書いてあげてください」 と言われたのだが、肝心の名前を忘れてしまった。  髪の毛がボサノバの、野武士のような人だった。  新幹線で新大阪へ。うなぎご飯を食べて、さて仕事と思っている うちに眠る。  ここのところずっと千里中央の阪急ホテルに泊まっていたのだけども、 今回は中津の三井アーバンホテルにした。  インターネットが使える、ということ以外にも理由がある。  どうも、最近、大阪に来ても、歩き回らなくなった。  ホテルに着いて、コンビニに靴下を買いに行くとき、なか卯という うどん屋があった。  以前ならばソッコーで入っていたのに、最近は、「コンビニで何か 買って部屋で食べればいいや」という発想が先立ってしまう。  これは、マズイのではないかと思っていた。  大阪と、私の間に膜が出来て、それがだんだん厚くなっていってしまう。  千里中央という新興の人工都市に泊まることで、その膜が安定化 していた。    通天閣の下を歩く、路面電車に乗って堺の下町に行って、銀シャリの ご飯を食べる、海遊館に行ってジンベイザメを見る、天王寺動物園で キウイを見る、美々卯に行ってうどんすきを食べる。・・・・空き時間に 随分いろいろなことをやったものだが、数年前からさっぱりそのような ことをしなくなってしまった。  これじゃあダメだな、と心底思い始めていた。  ここが分水嶺だというので、なか卯に入って、きつねうどんを頼む。 一口汁をすすった瞬間に、かつおブシの味と香りがぷーんと来て、 「これや!」と思う。  周囲の客の雰囲気や、店のしつらい、そのようなものを呼吸している うちに、  やっぱり街の中に出なければダメだ、千里中央ではダメだ、 と思った。  なか卯の中に、とてもおいしそうな「親子丼」の写真があったので、 今朝の朝食は親子丼にすると決めている。  この日記を書き終わったら、ソッコーではふはふである。  ここのところ熱病にうなされたように「普通の認知神経科学」 以外のことを喋っていたが、今日、明日の大阪大学の授業は、 久し振りに認知神経科学のネタをいろいろ喋ろうかと思う。  少し各論に戻って、もう一度いろいろ考えてみたい。  どうも、昨日今日は古きを温ねて新しきを知るのようである。 2002.7.5.  いつもは朝書く日記を夜書いているのは、 明日の朝は早く起きて大阪大学の授業2日目の準備をしようと 思っているのと、  今夜行った宗右衛門町の高嶋の印象が新鮮なうちに何か書いておきた かったのである。 http://www.ny.airnet.ne.jp/kanami/99-9/19990906.html  一人でカウンターに座って酒肴を味わうなどということは、 年に一回あるかないかである。  学会に行っても、大抵同僚がいる。学生がいる。  一人でうまい酒と料理を味わう時間というのは、一刻一刻が浸み渡る。  その贅沢を今晩はしようと決めていた。  授業が終わる少し前から、そわそわし始めた。  浅田稔研究室の吉川さんがコーヒー豆をひきはじめるのを横目で 見ながら、「じゃあ」と言って千里中央から心斎橋に出た。  高嶋を発見したのは、ちょうど花見の頃だったと思う。道頓堀で グリコと食い倒れ人形を見て、たこ焼き屋の屋台を左に曲がって すぐにそれはあった。「花見弁当」というお品書きに心が引かれて、 ふらふらと入った。  素晴らしかった。上のURLにある、ご主人の顔を見た瞬間、 「しめた」と思った。  歳経た樫の木の幹に、柔らかな日差しが指しているような顔である。  そうか、これが大阪のハイ・スタンダードなんだ、と一瞬の うちに悟った。  京料理とは一線を画する、上方料理との出会いであった。  それ以来、大阪に来るときは高嶋に行く機会を虎視眈々と狙っている。 しかし、学生と飲んだり、同僚と飲んだりするのでなかなか果たせない。    今晩の高嶋は、まず鯛のお造りを下さいと言ったら、「普通のにしますか、 薄造りにしますか。普通の醤油とポン酢醤油の違いですけど。」 と来た。  薄い方を頼んで、次に若鮎の塩焼きを頼んだら、「鮎が上がる前に」 と落小芋の柚子がけが出た。  若鮎は、もちろんタデで食うのだが、「取り皿です」と行って、小振りの サツマイモの甘露煮のスライスが一切れ載った皿が出る。  白い割烹着を着た若い衆がぼそぼそと言ったような気がするのだけれども、 要するにサツマイモの甘露煮が何をしているのか判らない。  鮎を一つ、二つと丸食いしているうちに、そうか、これは、一口では 食べない上品な人のために、鮎の頭を休ませておく枕か、と気が付いた。  鮎を食べ終わり、枕も食べて、次は枝豆しんじょと海老の吸い物である。 すると、亭主の高嶋さんが茄子をちぎり始めた。その上に何か黄色いものを かけている。しょうが汁だった。この一夜漬けがうまかった。夢中で 食べた。食べ終わる頃、お吸い物が来た。しんじょがぷりぷりしていて、 その弾性係数について考えているうちに、辛子新レンコンの天ぷらが 食べたくなって、注文した。  レンコンが来る間に、高嶋さんがまた茄子をちぎり始めた。包丁を 入れるのではない。ちぎるのである。また食べたいな、頼もうかな と思っていたら、高嶋さんの腕がすっと伸びて、私の前に茄子が 一つ置かれた。  「一つ余りました」とのお言葉である。  「うれしい。もう一つ頼もうかと思っていたんです。」 というと、高嶋さんが、「殺気を感じました」と言って笑う。  レンコンの後は、じゃこ(雑魚)飯とわらび餅で締める。  御馳走様でした。幸せでした。  このような店に来る度に思うのだが、東京の日本料理は 関西の料理の水準から比べると全く駄目である。金を出す出さない の問題ではなく、極めて重大な欠落がある。  「高嶋」に行くのが楽しみなのは、その欠落を再確認できるからである。  店にいる一刻一刻が芸術体験である。  生きていてよかった、まだ死にたくないと思う瞬間である。  「考える人」の創刊号を千里中央で買って、ぱらぱらと眺めた。  自分の原稿を読み返す。  何だか照れくさい。 2002.7.5.  授業準備を中断してホテル前にある「なか卯」で牛丼、卵、 みそ汁、漬け物を食べて来た。  うまいうまい。「こだわり卵 60円」は、黄身がオレンジ身で 盛り上がっている。  ホテルの一階にはスターバックスがあって、タテのロングを 頼むと、「赤いランプの下でお待ち下さい」と言われる。  小テーブルの上に、おとぎ話に出てくるイチゴのランプのような ものが二つある。  場所を指定するのに、「赤ランプ下」と言われると、 まるで魔法をかけられるのを待っているようでドキドキする。  魔法がかかったラテを飲む。 2002.7.6.  ここのところの日記が「おしら樣化」している (食べ物のことばかり書いている)という指摘を受けてショックを 受けた。  確かにそうである。しかし、上方の食べ物はうまいのである。  浅田稔さんと昼食を食べるはずが、授業が終わって真っ直ぐ 千里中央から新大阪に向かい、のぞみに乗った。  よく寝た。京都を過ぎるあたりから、新横浜までぐっすり寝た。  CSLに着いて、柳川くん、田谷くんと議論する。  来週の月曜日までに神経回路学会に論文を出すかどうかで テンパっているのだ。  4時過ぎに着いて、議論できたのは午後5時30分までで、 新宿の朝日カルチャーセンターに向かう。  今日から、「脳から言葉が生まれる時」の5回シリーズである。  editorの長澤さんと打ち合わせ。竹内薫が10月から出講するの だけれども、何と私と同じ金曜日の前の時間に組まれて、 竹内は私が終わるのを待って飲むと言っているらしい。  ラッキー。  そのようなことがあるととても楽しい。    終了後、6人くらいでビールを飲み、カラオケに突入 したのであるが、そこでも私は良く寝たのである。  尾崎豊の「15の夜」、「I love you」、L'arc en cielの PiecesとNeo Universe、宇多田ヒカルのTravelingあたりを 歌っていたら、さすがに今週のロード生活の疲れが出て 床に膝を抱えて座っていたら、いつの間にか眠っていた。  BeatlesのCome togetherを歌いそこなったような気がする。  明るくなってきたので、See you bye!(池上高志から移った 口癖である)と言ってタクシーで帰った。  しかし、新幹線の中とカラオケで良く眠ったので、このまま 活動開始なのである。  朝5時に炊飯器のスイッチを入れて、高嶋から買ってきた ちりめん雑魚(じゃこ)で朝食を食べる予定である。  やっぱりおしら樣化してしまった。     「考える人」で小谷野敦が世間を敵に回しそうなことを書いている。 馬鹿が発言するようになったというのである。  私も密かに賛同するが、しかし、小谷野のように学歴と結び付けて 考えようとは思わない。  大学行っても馬鹿なやつは馬鹿だし、中卒でも利口なやつは利口だ。  私が魂を込めて尊敬する天才、Richard Wagnerの最後の作品、 Parsifalはいつも私とともにある。   形式化し、形骸化した宗教団体を救う者は誰か?  意味もなく白鳥を殺める、その罪も知らない、何も知らない 一人の愚かな若者である。  しかし、この若者は、人の苦しみに同情することによって、宗教 的覚醒を得る。  小賢しい知識では買えない、天才ならではの気づきというものがある。  それを信じているから、私は小谷野のように学歴を分水嶺としよう とは思わない。  だが、それにしても、馬鹿が発言しすぎるのは確かだ。  しかし、小谷野のようにそれをあげつらうのではなく、 ただ黙々と価値のあることをすればいいのではないかと思う。  もちろん、文句を言うやつがいるのは、 暴力装置としての若頭のごとき存在として頼もしい。   2002.7.7.  TSUTAYAでモンゴル800の Messageを買って、半分まで 聴き、後は宇多田ヒカルのDeep Riverを聴きながら実家へ。      TSUTAYAの書籍売り場(と言って良いのかどうか判らないが) を見ると、いつもうんざりする。  ボイコットしてやろうと思うのだが、つい雑誌は買ってしまう。  あれは、本屋ではないだろう。ガラクタ屋だろう、 と毒づきながら、文教堂に行くとほっとする。こちらは本屋である。  なるべくTSUTAYAを干してやろう、文教堂に金を落とそうと 決意する。  子供の頃、町の本屋で岩波文庫を置いていなかったところは なかったと思うのだが、TSUTAYAにはない。  その代わりに眼がチラチラするタレント本が置いてある。  あれは何なのだろう、と、小谷野敦の「バカ論」と絡めながら 考える。  もっとも、小谷野が何を言いたいのかイマイチその思想の社会的身体が 判らない。少なくとも、バカは発言するなということは言えないはずだ。  インターネットは、あらかじめ誰でも発言できるということが 前提のメディアだから、小谷野のようなことを書くのならば、 最後にどこに落としたいのか、社会的展開を考えずにやると 単なるぼやきになる(「もてない男」もそうだったので、 ぼやきが彼の芸風なのかもしれない)。  再び何でTSUTAYAのような「本屋」があるのかと考える。  要するに、昔からマトモな本を読んでいる人の絶対数は 変わらなくて、本など手に取らなかった人たちがそれでも 手に取るようになったのが、あのような「タレント本」なのか。  だとしたら、単にvolumeが水増しされているだけだから、 一人静かに青山ブックセンターに行けばいいのか。  他人のことなど放っておけばいいと言うかもしれないけど、 私は昔から放っておけない性分で、  あんなミニクイ活字の羅列を頭に入れて、他人事ながら、 頭の美容は大丈夫かと思う。  あまり普段人様が何を読んでいようと気にならないのだが、 TSUTAYAの書籍売り場の惨状には心が寒くなる。  要するに、地方で、ナイーヴに育つ少年が、世界があのような ものだと思うことが恐ろしいのである。  世界には岩波文庫やレクラム文庫の世界もあるということを知らずに、 タレント本が世界であって、それに自分が適応しなくてはいけない、 と思いこませられることが恐ろしいのである。  地方の本屋がTSUTAYAばかりになったらオシマイだと思う。  少しは反省しろよ、TSUTAYA。  モンパチはまあ良かったが、単調さが金太郎飴なのが気になった。 アルバム1、2枚めはいいとして、その後どうするのか。  彼のコンサートに行ったら楽しいだろうけど。  Deep Riverは、少し中だれして、最後の「光」というのが 奇妙な曲だった。  モンパチが金太郎飴なら、宇多田は水彩画というか、少なくとも 光と木漏れ日と暗がりとそよ風がある。 2002.7.8.  実家に行って、シベリア流刑についての 本をひょんきっかけで読み始めた。  面白い。チェーホフが流刑民の調査でシベリア旅行を敢行した時の ことなど。  モスクワから、シベリアまでの長い道のりを、足かせを付けられて 延々と歩かされる流刑者たちの列。  村を通る時に、みんなで物乞いの歌を唱和し、村人たちからもらった パンやソーセージを皆で分ける。  ほんの100年ちょっと前にあった人々の切実な体験である。  大澤真幸さんが、近著『文明の内なる衝突』の中で、政治権力 というものが「殺す権力」から「生かす権力」へと変質したのが 近代だと書いていた。  確かに、ほんのつい最近まで「国家権力」という言葉の持っていた 抑圧的な響きを私たちは忘れている。  天才バカボンの中にも、ピストルのお回りさんが、「国家権力の 手中にありながらこの余裕。。。」と漏らす場面がある。  安保とかベトナム戦争とかいろいろあった頃に書かれた「シベリア流刑」 は、歴史の本であるとともに、執筆された時代精神を感じさせる本と なっていて、それが今の私にちょうど良い清涼剤だったのだろう。  しかし、恐らく絶版。  実家から車で10分行くと雑木林があって、 そこに朝8時頃出かけて行って木を何本か蹴ったが、クワガタは 落ちてこなかった。  そのかわり、アマガエルが二匹取れた。  田圃のハゼに、オタマジャクシがうわーっといた。    「市民プール」に行って、1時間泳いだ。 これは、私が小学校の時にできて異様に興奮した記憶がある。  「流れるプール」がある。  水が冷たい。考えてみると、室外プールで泳ぐのは実に 久し振りである。  水着のままTシャツを着て、少年野球を見ながら乾くのを待つ。  レコード屋で元ちとせを買って聴きながら帰る。  この人の声は、声量を抑えた領域でもよくコントロールされていて、 それが「100年に一人」とか言われる所以なのだろう。  「ワダツミ」は、このメロディーラインを普通の人が歌っても 凡庸な歌になってしまったような気がする。  自分で楽曲をつくっているのではないことが気になるところで、 この声に合う曲を作り続けてくれる人がいるか。  奄美の島唄が沖縄本島あたりのとは違うという説には興味を引かれる。  東京の家に帰ってきて、駐車場の茂みでネットをしばらく回す。 とれた小昆虫を、アマガエルを入れた水槽の中に放す。  私の掌の中で、「生かす権力」と「殺す権力」が交錯した。 2002.7.9.  暗闇の中歩いていると、 何か白いものがある。  気配や形から生き物だと思ったが、 鳩だと判った。    この時間に、暗闇に鳩がうずくまっている。 その時点で何かがおかしいと思う。  近づいて頭をなでても逃げない。 ただ、2、3歩歩くだけである。  青みがかった灰色の鳩。  怪我をしている様子もない。 ただ、目が少し潤んでいるように見える。 暑さで参ってしまったのか、老衰なのか。  可哀想に、長くは生きられまい。  なるほどね、と判ったことがある。 TSUTAYAのような本屋が増殖し、 テレビのヴァラエティが増える理由は何か?  要するに、現代、人が人に対して「断絶」、「突きはなし」という 厳しい態度をとれなくなったからではないか。  相対性理論を、テンソル解析を知らない人、リーマン幾何学を 知らない人が理解するのは不可能である。  それでも、相対性理論についてわかりやすい本をつくり、 テレビ番組をつくろうとすれば、「判ったような気」にさせなくては ならない。  本当は努力しなければ判らないものを、突き放せない、断絶できない。   そこに現代の病理があるのではないか?  えっ、判らない? 知るかい、そんなこと。 それは、お前がバカなのか、努力が足りないのか、センスが悪いのか、 その全部なんだろう。   顔を洗い直して、おととい出てきな。  そういう突きはなしが出来にくくなっている時代なのである。  私には良く判らない茶道の奥義というものがきっとあると思う。  だから、私は茶道の達人に突きはなされても仕方がない。 そのように考える。  しかし、現代において、茶道についての本、テレビをつくるとしたら、 そのような突きはなしはできないだろう。  1時間だか2時間だかで、茶道のことを理解したような気にさせる、 そんな本、番組しかできないだろう。  そう考えると、TSUTAYAの書籍売り場に行くとうんざりするこ との理由は、自分なりに判ったような気がする。  誰でも、突きはなされて初めて判ることは必ずあるはずだ。  失恋のことを考えて見ればよい。  現代は、道を極めるに失恋しにくい時代なのである。  明日から水、木、金と神戸大学の集中講義である。  郡司と喋るのは楽しみであるが、どうも体調はまだ悪い。 夏ばてというやつだろうか。  それでも二日連続でビールを抜いて、今朝は少し身体の芯が 跳ね上がったように思う。  あの暗闇のうずくまり鳩にシンパシーを感じる。  オレもがんばるからお前もがんばれ。  これからオレはカエルの餌を取るから、 お前も何か餌をついばめ。  分からず屋の仲間など、突きはなしてしまえ。 2002.7.9 今朝のアマガエル君の献立 ハエ2匹、テントウムシ1匹、ハムシ3匹 採集所要時間10分 ハエを水槽に入れて1分後には、もうアマガエル1号が口にハエを くわえていた。 あまりにも素早い動きである。 2002.7.10.  麻布のTheseという店で、ウンジャマラミーの松浦さんと小川さん、 それに池上高志と会っていた。  すばらしい店で、会話も楽しかったのだが、 キウィジュースを1杯飲んだだけで後は何も食べられなくなった。  ソファに横たわって、うーんと言っていた。 明日から神戸大の授業で、早くいかなくては、と思いつつ、 午前0時30分までその店にいた。  池上と途中まで一緒にタクシーで帰り、速攻で寝た。  翌朝、苦しいけど行くか、とテレビをつけると、新幹線が止まっている。 どうも行けそうもない。  郡司の自宅に電話して、止まっているから行けない、と言って、 お茶漬けを一杯食べて眠った。  起きたら午後3時だった。  だるい。お腹が重い。食欲がない。 ここのところの無理がたたったのか。    今朝になって、新幹線は動いているが、体調はまだあまり良くない。 昨日ほどではないが、とても神戸に行って授業をする元気がない。  それで、今日、明日の残りの集中講義も延期することにした。 もともと、郡司は、時間が足りなくなることを気にしていたのだが。  少し寝ていようと思う。 2002.7.11.  午前中はうんうん寝転がって漱石の「坑夫」を再読して、 ああ、やっぱり良かったとシュリンクと起きあがって 酢豚のお昼を食べたら、だいぶ調子が戻ってきた。  それで、午後から仕事を再開したら、急にやらなくては ならないことが山脈のごとく見えてきて、緊張感が立ち上がってきた。  松浦さんと話していた時、池上高志が山岳遭難小説を 読むのが好きだということを言っていたが、  それで思い出したのが、漱石の「それから」の中で、代助が Mountain accidentsを読むくだりである。  本当にやりたいことは、一日では少しのインチしかにじり進めない ようなことで、  仕事の骨格はその一部に張り付くことしかできない巨大山脈として ある。  いつ遭難するか判らない。  安斎ローランさんに勧められたフランスの映画監督Tatiの The Trafficが来たので、最初の30分を見る。  オシャレな映画だが、爆笑というわけではない。  画面は美しい。いずれにせよ、何かそこに見るべきものがあるような 気がする。  先週末にオンエアされた「東京物語」のリメイクで、原節子 役の松たか子が、「皆に色目を使っていた」と聴いて 爆笑してしまった。  なんじゃ、そりゃ、という感じである。ホントに原作見ているのかよ、 脚本書いたやつ。  最初から見る気はしなかったが、冒涜のようなものである。 しかも幼稚園以下の冒涜である。  テレビの99%は下らない。その下らないのを一千数百万人 から二千万人が見て、あははは笑っている。それが現代である。  『考える人』で、小谷野敦が、中島義道が「僕の読者なんて 精々人口の1%ですよ」と言っているのに噛みついて、  1%ならば100万人だ。いくら何でもそれはないだろう、 せいぜい0.1%だろうと書いていた。  それとテレビの15%とか20%とかと比べて見れば、 自然に判ることがいろいろある。    吉田修一の『パレード』を1/3読む。なぜ1/3かと言うと、 手許の「小説新潮」には1/3抄しか載っていなかったからである。 確かにうまい。うまいがinside out現代である。「ナースのお仕事」 とか出てくる。  せっかくのうまいパンも、現代に水浸しになっているとあまり 喰う気がしない。  現代なんてものを、信じてはいないからだ。  かと言って、現代と無関係には生きられない。そんなことは、判っている。  しかし、どうせ、呼吸している以上皮膚から現代が入ってくるんだから、 創作する時くらい、現代を閉め出したらどうか。    Tatiや小津には確実にあって、吉田修一にも松たか子にもないものがある。 現代は過剰において語られがちだが、たまには欠落を通して現代を 見てみてはどうか。  夜、買い物を行くついでに、松浦さんからもらったデモCDを 聴いた。  驚いた。当たり前だが、この人はプロのミュージシャンで、 CDを7枚くらいも出しているのである。ウンジャマラミー やパラッパラッパーの音楽も作っているんだから、当たり前なのだが、 プロの音が、いつも目の前で静かにワインを飲んでいる人から 出てくると驚く。  音楽の現代は良いのにテレビの現代がダメなのはなぜか?  現代の堕落に、視覚という感覚のモダリティの特質が関与 しているとしたら面白い。  少し考えてみようと思う。 2002.7.12.  寝転がっていると、いろいろ面白いことを思いつく。 なるほど、思考というものは、悪天候、食料不足、敵の襲来などで 動けなかった時に生まれてきたものかと思う。  本当に面白いことは、クオリアに関することなのだが、 それ以外にもいろいろ考える。  例えば、現代というものについてである。  アメリカでは企業会計不信が吹き出しているようだが、 私の方は現代不信である。   もっと正確に言えば、現代の文化状況の不信である。  逆に言えば、一人よがりではなくて、現代の文化の流通状況、 マーケットというものが見えてきたのだと思う。    体調の悪いままに「小説新潮」の掲載作品を次から次へと 読んだが、  どれもうまい。なるほど、プロの言葉の並べ方というのは こんなものかと思う。  ところが、全て共通の欠陥があるように思う。共通ということは、 一人一人の資質の問題なのではなくて、時代の問題なのではないかと 思う。  この「時代の問題」を考えるのは、先日の「川端康成賞」とかの 授賞式を見学に行って、作家というものが実は皆至極まともな しかも志の高い人たちで、ではなぜあのような作品が出てくるのか と考えた時に、ははあ、これはマーケットの問題だなと思ったのが きっかけである。  考えて見れば、彼らは現代のマーケットの勝ち組で、 勝っている以上、現代のマーケットに適合していることになる。  戦争に極端に現れるように、人間は時代精神(Zeitgeist)に 抗するのは案外難しいもので、抗するとしても大変なエネルギーが いる。  歴史を見ると、100年や200年の暗黒時代はある。  たまたま我々はそれに当たってしまったのかもしれない。  マーケットに乗っていけいけどんどんやっている今の「文化人」 は暗黒舞踊の踊り手なのかもしれないのである。  斎藤美奈子の「文壇アイドル論」を是非読みたいと思ったが、 やっぱり止めようかとも思う。  彼女は優れて現代的な人だと思う。現代のマーケットに乗っている 人だと思う。  中島義道も、斎藤孝もそうである。  しかし、みんなひっくるめて、現代不信になってしまったのである。  現代不信なので、随分放っておいたトーマス・マンの『ファウスト博士』 上中下を読み始めた。  読んだからって救われるわけではないが、少なくとも他の回路が できる。  案外、核心にあるのは「情報」の概念であると思う。 「情報」という概念に反旗を翻さなければならないのだ。  そこには、「断絶」の問題があり、そして「絶対不可視」 の問題がある。  そんな思考の道筋は大体見えてきた。  問題の本質はかなり深刻なのであって、  そのことは「現代」をぽーんと遠くに投げて考えてみないと 判らないことなのではないかと思う。 2002.7.13.  朝起きたら、何とかいけそうな気配だった。  朝ご飯もちゃんと食べて、新幹線に乗ったら、 身体が「弱っているから何か入れてくれ」というシグナルを 送って来たので、  さらにカツサンドを食べた。  カツサンドを食べてから眠った。  身体がいったん谷になった後に、ぐっと上がっていく感じが 好きだ、と言ったら、ある人にそれは東洋医学的には好転反応という のだと教えてもらった。  私は、まさにカツサンドを食べて好転反応をしたのである。  京都からトンネルを戻って南草津に行き、バスに乗った。 立命館大学で第一回Qualia Community関西meeting。  羽尻公一郎、私、塩谷賢(おしら樣)の順番に喋る。  羽尻は独我論的世界観を背景にしつつ、自己のクオリアと他者の クオリアをつなぐ概念としてのメタクオリアについて。  私は最近考えているカオスと認知の関係、及び世界の至るところに ある断絶の問題、神の視点の問題。  そして、塩谷は、「見る」という行為についての考察、それに 複線的作用の図式について。  終了後、羽尻がとってくれた居酒屋へ。  草津駅前にある、レトロ風に再現された地下街の中にある。  「小さな神の視点」というのは、物理的世界を根底としつつ、 その上に構築しようとすれば問題になるが、  徐々にそのような世界観から別のところに移していくという ことを考えれば、問題にならないのではないか。  などとスルドイ意見が飛び交う。  NHKの脳の番組を見るのはいいのかわるいのか、 生きる現場における一流と二流について、 などなど様々な見解模様。  羽尻のとってくれたキャンパス内の「立命21」の門限が 12時なので、  早めに切り上げ、塩谷とタクシーで戻る。  好転反応も少し疲れていて、  窓を開けると、何かぎいこぎいこと音がする。  はて、あれは虫だろうか、人工音だろうかと首を捻っている うちに眠ってしまった。   2002.7.14.  塩谷賢(おしら樣)夫妻と、八日市の「招福楼」に行き、お昼を食べる。  塩谷が駅前の眼鏡屋でフレームを探し始めたので、 お先に、と先に上がり込んだ。  庭に打ち水の白い作務衣の人がペコリと頭を下げる。  彦根城を見学し、塩谷夫妻は帰る。  私は、列車に乗る。  案外混んでいる。少し疲れたので、立ったまま目を瞑って、 ローエングリーンの第一幕を序曲から頭の中で響かせてみた。  国王が裁判に来て、エルザに誰を代理人に立てるか聞く。  エルザは夢で見た棋士のことを語り、やがてお告げ通り ローエングリーンが現れる。  まるで浮世離れした話だが、「断絶」ということに関心のある 今の私にとって、ローエングリーンが現れなかった時の エルザの戸惑いは人ごとではない。  人間は社会的動物であり、「現代」から逃れることは 難しい。  そんなことを考えているうちに、何だ、そもそも、言語を 使用しているということが、社会への強制適応ではないか、 オレは日本語でも英語でも何でもない独自の言語を使う と言っても、誰も相手にしない、  そうである以上、そもそも人間は心の芯まで 社会に串刺しされている。  そんなことを考える。    あーあ、と嘆息して目を開けると、ローエングリーンの グラール語りの音楽は消え、目の前に沢山の心を串刺し された人間が現れた。  それを、やはり串刺しされた私が見ている。  今日はけいはんなの認知ロボティックスの研究会へ。  台風が来て、新幹線が止まって、帰れなくなるのではないかと 心配である。 2002.7.16.  京都から電車に乗ってけいはんなに着いた。  認知ロボティクスのワークショップ。  浅田稔さんが次々にワインを注文して乾杯する。 銅谷さんが来て、小脳と扁縁系の学習機構の違いについて いろいろ議論。  名古屋大の石黒さんが話す。 「ここは2枚目のスライドに行くのに30分かかると聞いて 来ました」 と始めた。  30分はかからないけど、次々に質問が出て、スライド 進行の粘性抵抗大きく。  明日喋る京大の辻田さんと、和歌山大の宮下さんが、 それを見て「やばい」と言っている。    ナイトセッションで、浅田さんがRoboCupのHumanoid Leagueの videoを見せる。  Humanoidが倒れ込んでシュートを阻止する。  これで、肩の関節が外れたそうである。  朝のホテルで関西の芸人が出るトークショーを 見ていたら、これがなかなかいい。  教師が子供をなぐった、バイオテクノロジーの新しいのが出た、 調子が悪い時もなんばグランド花月に立つと元気になる、 様々な世事について語るのだが、  要するに人間のスケールに全て引き寄せられていて、 観念が暴走することがない。  関西ローカルの番組らしいが、なるほど、これは関東と 違うなと思った。  それから、よしもとの芸人の東京のテレビで見せる上滑りは、 あれは出稼ぎだからか、と考えた。  料理も、京都や大阪から東京に出稼ぎに来ると、味が落ちる。  台風が来ているらしいが、今朝のけいはんなは穏やかである。 2002.7.17  けいはんなの研究会の二日目は、通総研の小嶋さんの、発達認知 科学に関する発表。  共同注意や、心の理論、乳幼児のコンピテンスなどについて 議論する。  心の理論や、ジョイント・アテンションなどの能力を、私たちが 自然言語ないしはそれ以前の概念を通して記述せざるを得ない ことが様々な問題をはらんでいる。  発達の段階で、ある能力が突然現れる、そのような0−1の記述に なる傾向があるからだ。実際には1になる以前に潜行している 0の部分が重要である。  相手の意図をくみ取ったイミテーションが人間以外の動物に あるかどうかという論争も同じような構造を内包している (PovinelliやTomaselloは人間以外にはないという立場)。 本来進化的、発達的に連続なものを、概念という非連続性で 切ることで見えなくなるものがある。ここをどう回避するかが、 認知の発達、進化における中心問題の一つかと思う。  お昼でけいはんなを出て、新幹線で東京へ。  中華弁当を食べたらすぐに眠くなって、2時間熟睡する。  CSLで柳川透君とシミュレーションに関する議論。 結局spiking neuronにしなければという結論になりそうだが、 その前に今の連続変数のモデルから言えることは抽出しておこうと いうことに。  平均と分散の妙な関係が何を意味しているのかを考える。  銀座7丁目の資生堂ビルで、田中優子さんと松岡正剛さんの 対談を聴く。  「江戸の恋」(集英社新書)で初めて知った田中さんだが、 松岡さんとは長年の知り合いとのこと。  ある意味では現代というものに対して斜めに背を向けている 二人の背中に反射する現代というものの色、彩が面白い。   松岡正剛さんの言葉は、小さな水滴を掌に転がして、そこに 映った広大な世界を見せるようなところがある。  子供の時、父親がなかなか自転車を買ってくれなかったので、 スポーク、ハンドルなどの部品を集めていた。その部分から、 全体を夢想していた。やがて、父親が「もういいだろう」と 買ってくれたが、実体化した自転よりも部分から夢想していた 全体の方が素敵だった。  アインシュタインの相対性理論を語る時に、シュヴァルツシルト 半径という「部分」から語る。その横に、一見関係ないものを 置いてみる。その時夢想される「全体」について考える。  そんな松岡さんの言葉が心に残った。    最近思うことは、違うものを無理に統合しようとするな ということである。二つの文化は、とりあえず違うものとして 自らの中に複線性を立ち上げておけば良い。けいはんなの認知 ロボティックスで議論している時、柳川透君と神経回路網シミュレーション について議論している時、松岡正剛さんの話を聞いて考えている時、 それぞれ立ち上がるものも必要な能力も出会う世界も違う。  その違うものの時々の現場で真摯に最良のものを志向することが 大切だ。  どうせ一つの脳の中で起こっているのだから、いつかは暗示的に橋渡し される。  これが橋でございと、明示的な安普請を架けない方が長い目で見ると良い。  クオリア問題における実際的態度は恐らくそのようなものである。 統一原理はどうなのかということは、異なる複線的世界に生きつつ 考えなければ仕方がない問題ではないかと思う。  いったんは、人文主義の最良のものをきちんと見つめ、そこに 立ち現れる様々な陰影を引き受けなければならない。  分裂を体験してこその統一なのである。    科学主義の立場から、陳腐な精神世界のモデルを作っても仕方がない。  それができずに、科学主義から線形に延長できる貧弱な精神世界 のトイモデルを作ることが、多くの科学者が陥る罠である。 2002.7.18.  体調の谷からの回復の過程で、世事雑事のことが読みたくなって、 文芸春秋、ダカーポなどしばらく買っていなかった雑誌を買ってみる。  田中知事の脱ダムの件。道路公団の件。既得権益化した公共事業の 問題は、日本を変えるための本質だと思うが、最近私がつくづく 思うことがある。  それは、自分がダム工事業者、道路公団関係者という「一人称」 の立場で考えたらどうかということである。  恐らく、もっとも素直な行動は、「抵抗勢力」になることではないか。 自分の生活、家族の生活、仲間の生活がかかっている。抵抗勢力に なることは、サッカーでボールが来たら蹴ることくらい自然な 行動だろう。  問題はそこからである。誰がどう見ても、日本が土建国家であり 続けることは難しい。抵抗勢力になってとりあえずの米櫃を確保 しても、日本全体が沈めば自分も沈む。結局、「撤退」するしか ない。この間合いが難しいのだと思う。  失恋での身の引き方のようなものである。  失恋での「抵抗勢力」が見苦しいように、公共事業にたかって 国の借金の赤玉をふくらませることがみっともないと思えるかどうか。  世間には、公共事業に関する三人称の批判は溢れているが、 一人称でどのように身を処すべきかの処方箋はあまり見ない。  誰か処方箋を書かないか。  そういば、「チーズ」はそのような本だったか。    身体が治って嬉しいので、ゼミの後学生と「さくら水産」に行った。 樽生を頼んで、ざーっとビールをジョッキに注ぎ込んで飲んだ。  日本酒も飲んで、カキの天ぷらも食べて、さっと帰った。    夢の中に養老孟司さんが出てきたのだが、眼鏡をとって、 顔が変わっている。  あれれ、これでは、街で会った時に養老さんと判らないぞ、 どうしたんだろうと考える。  目が覚めて、あれは「ダカーポ」で福田康夫に化けた南伸坊の 写真を見たからだと気が付いた。  とても本人だとは思えない、不気味な写真だったのである。   2002.7.19.  この所、朝になると駐車場横の茂みでネットを振り回して、 入った小動物を二匹のアマガエルが入っている水槽に落としている。  最初は、飛んでいるハエなどを狙っていたのだが、 そのうちに闇雲に振り回して入ってくる小さな宝石たちで十分 だということが判った。  それでも、アマガエルにとっては一抱えも一銜えもある。  困ったことが判明した。3ミリくらいの白黒斑の、羽の生えた 昆虫が大量にとれ、それを主食にすれば良いと思っていた。  ところが、どうも食べていない。入れると、その人たちがふらふらと 飛び回るのだけれども、2日め、3日め、と日を重ねる度に、 カエルの反応がにぶくなった。  疲れているわけではない。その証拠に、8ミリくらいの緑の クモが入った時には、真っ先にアマガエル1号が飛びついて もぐもぐと食べた。斑3ミリの方は、見ているとぱくっと銜えても また吐き出すことがある。  どうやらマズイらしい。  問題は、生まれつき味の見当を付けているのか、それとも 一発学習で、とにかく何でもぱくついてみて徐々に味を覚えていくのか ということである。  小動物を水槽に閉じこめて飼う時に、せめてやってあげられる ことは、じっくり観察することだと思う。  そして、脳裏に焼き付ける。  池上高志と谷淳さんがCSLに来てtalk。 聞いているうちに、何だか燃えてきてしまって、うぉーっと 叫びたくなった。  「メガスター」を作ったソニーの大平貴之さんに 初めて会った。  32個の投影レンズに5万とか30万とかの星を レーザーでうがって、 全体で170万になる。  とにかく凄いらしい。 http://www02.so-net.ne.jp/~oohira/  最後に天の川を見たのはいつだったかなと考えた。  時々、現実の星空の1万倍くらい明るい星がミルキーウェー を作る空を、巨大な星の蒸気機関車が走り、その背景に 歯車がかみ合って回り続ける夢を見ることがある。  それを見上げている私は、「うわーつ」といても たってもいられなくなる。  しばらくあの夢を見ていないが、 あの夢を自在に見るためだったら、明晰夢のトレーニングを してもいいかなと思う。    そう、あの仮想の星空の下、うわーっと走り回る人生を送りたい。 2002.7.20.  夜道を帰りつつ、一人になりたいなと思った。  人と会うのは毒の部分がある。誰がどうのというのではなく、 全体の作用として毒になることがある。  その全体の作用に久し振りに当てられた一週間だった。  そもそも、言葉というのが毒である。  他者の思考が、頭の中にダイレクトに投げ込まれるのだから。  他人の言葉で傷つく。元気づけられる。共感する。不安になる。 全て、言葉というものがダイレクトに心に侵入してくることに よるエフェクトである。  私は、子供の頃から、社会的にはナイーヴな立場を保ちたいという 強い動機付けを持っていた。  個人の事情を剥き出しに人と人がぶつかり合う といった状況に耐えられない子供であった。  「大人」になった今でも、そのように個人の事情を剥き出しに するを目撃すると大いに驚き、そして逃避したくなる。  毒の作用が積み重なって、人は徐々に皮膜を作っていく。 その皮膜を、たまには眩いくらいのライトで照らして 世界を透かしてみたい。 2002.7.21.  昼間はあまりにも灼熱なので、  太陽が落ちる寸前に走り始めた。    噴水広場に近づくと、リズムの響きが次第に大きくなる。 「○○よさこい祭り」とある。  良く日に焼けた若者が、上半身裸で巨大な旗を振り回している。 こういうのを請け負う人たちがいるのだなと思った。  ステージの上に並んだ数十人の若者たちが音楽に合わせて 踊り、  それを周囲の人たちがぽかんと見ている。  広場を通り過ぎて陸上競技場に向かうと、音はいつの間にか 忘れられて、  風が少し爽やかになった。  視界を斜めに横切る何者かがあり、何だろうと注意を明瞭にすると、 それは連ダコだった。  さっきよさこいを踊っていた若者と似た気配の男が3人、 座り込んでその長い紐を大気に伸ばし伸ばし。  数えると、70ある。地面に近づくにつれて間が広くなった ように見えるのは、単純な幾何学の法則だったかと、 走りを緩めて歩きながら思った。    そして、連だこの一番天に近いところに、それはあった。  あれ、こんな所にあった、と驚いた。  なぜ、今この時に再会したのだろうと思った。 連だこの一番頂点の吹き流しが、ホウネンエビに見えたのである。  あれは小学校の2年生の時だったか、家の近所の田圃にホウネンエビが 発生した。  後にも先にもあの時だけだった。  私と、布目人志と、大野茂行が見つけた。  3人で、新種だ新種だと大騒ぎになった。  腹に生えた繊毛を上にして泳ぐその姿は、竜宮の使い、異界からの 啓示、何か異常なものの実体化のように思われたのである。  名前を付けようとしたのは、その異変に何かラベルを付けて、 安心しようとしたのかもしれない。  それで、「のもひげ」と名付けた。  ぬのめひとしの「の」、もぎけんいちろうの「も」、ぬのめひとしの 「ひ」、おおのしげゆきの「げ」でのもひげである。  誰にも言うなよ、秘密だぞ、きっと、これは新種だからな、 とちょっと怒ったように大野茂行が言った。  あれから三十余年。ひさしぶりに「のもひげ」を見た。 連だこの吹き流しかもしれないが、私にとっては「のもひげ」だった。  世間的にはホウネンエビかもしれないが、  私にとっては「のもひげ」だった。  あの異界からの使いは、あの時も、そして今回も、何かを 象徴しているように感じられる。  麒麟のような、何かやがてくるものの前兆現象であるように 感じられる。  そのようなメタファーを立ち上げて、私は再び走り始めた。  あの時一緒に新種を名付けた大野はこの世にいない。布目がどこに いったのか判らない。  私はここにいて、もう恐竜時代くらい遠く隔たってしまった 少年の頃を思い出している。 2002.7.22.  最初に目に入ったのは、肩のあたりに花を彫った ワンピースの女だった。  大胆だな、と思いながら、じゃぶじゃぶ池に足を漬けていた。  そこは公園の端にあって、階段のピラミッドの頂上から 水が涌きだし、じゃぶじゃぶ池に設置された3基の水砲から 時折水が噴出する仕掛けになっている。  ふと見ると、ワンピースの女が子供を仰向けに寝かせ、 顔を水面ぎりぎりまで押し下げている。  子供もワンピースも笑っている。  笑いながら、顔の耳のあたりまで喫水線が上がって来ている。  変わったことをする親子だなと思っていると、突然、 両肩に立派な牡丹の彫り物をした浅黒い男が乱入してきて、 ワンピースの女を後ろから捕まえた。  そして、二人で海老になりながら、水平に水を噴出している 水砲の方ににじり寄っていった。  牡丹の男が、そのまま、ワンピースの女を水泡の前に立たせて、 水の楯にした。  ワンピースの女のポニーテールに水塊が跳ねた。  それから、その口ひげを生やした牡丹の男と、ワンピースの女と、 その子供らしい8歳くらいの男の子の「水遊び」が延々と続いた。  牡丹の男が、ワンピースの女をじゃぶじゃぶ池に浸ける。 男の子が牡丹の男に水をかける。  ワンピースの女が、水砲の水の方向を変えて、牡丹の男にかける。  牡丹の男が、「今度はお前か」と叫んで、男の子を追いかける。  周囲の家族連れは、少し困ったように見ている。  この様子は何かに似ているなと考えているうちに思い出した。 小学校の時、好きな女の子と水かけ遊びをしていると飽きなかった ことがある。  好きだという表現としての遊びに熱中して、そのうち遊びが 一種のブラックホールになって、人々がそこを中心に回り出す、 それが、微妙な安定を続けながら、いつまでも続く。  あの感覚に似ている。  大人になったら、そのようなものに託する必要はないのに、 この人たちはそのような遊びを30分も1時間も続けている。  彫り物と無邪気さの共存には、何か考えるべき問題があるなと 感じて、しばらく思いを巡らす。  太陽を浴びていたら疲れたらしく、 夕方のランニングをする時間に、ちょっと、と横になったら、 目が覚めた時にはとっぷりと日が暮れていた。 2002.7.23.  電車での行き帰りに、  講談社の大場葉子さんにいただいた星野智幸「毒身温泉」を 読む。  大場さんが、下さる時に、「うちの文芸の担当者の間で 次はこの人と評判のいい人です。何がいいと聞くと、narrativeが いいんだよね、とのことです。やはり今の世代だとこの人かなという ことです。」 などと言うので、そうですか、そうですかと読み始める。  確かに妙な味わいのある文体である。1人称というよりは1.5人 称。  微妙に、自我の中心から視線がずれている気がする。そのせいで、 回りが、サラウンド5.1チャンネルのように立体的に見えている気がする。  講談社編集部としては三島由紀夫賞に続いて芥川賞あたりをとらせたい と思っているのだろう。  星野さんの作品とは直接関係ないのだが、日本の純文学の 「ストライクゾーン」が「独身の、自我の問題に悩む青年」に なっているように思われるのは何故だろうと考えることがある。  夏目漱石の初期作品には、時代の大状況が作品の中に時折 入ってくるが(例えば、「猫」におけるクシャミ先生を取り囲む 人々の談話や、「坊っちゃん」の日露戦争の提灯行列、「三四郎」 の広田先生の「日本より頭の中の方が広い」)、後期になると そのようなものがさーっと背景に引いて、個人の生活感情の 濃密な霧の中に他のものが見えなくなる。  日本文学史を体系的に調べたことがないので判らないのだが、 いつからブンガクは、個人の事情を事細かに書くのを専らとする ようになったのだろう。  開高健が、「スパイ小説というのは、文明がある程度成熟した 社会においてしか出現しない」というようなことを書いていて 感心したことがある。  ある編集者に、「最近はジュンブンガクの書き手よりも 直木賞をとるような書き手の方がよほど勉強しています」 と言われたことがある。  要するに、どうも、日本のジュンブンガクの「ストライクゾーン」 が個人の生活感情、とりわけ独身の青年のそれに設定されて、 そこに大状況(チベットの独立問題とか、アメリカ企業の会計問題とか、 アフリカの飢餓問題とか)は入れない、とされていることが、 ジュンブンガクの閉塞と大いに関係しているように感じるのだが、 違うだろうか。  人間、そんなに感性だけで書き続けられるものでもないし、 書き続けるべきでもない。時代時代のアクチュアルなマテリアルが 必要だ。  実際、我々の生活感情は、そのような時代のアクチュアリティと 一連なりなのだから。  漱石の初期作品のような、個人の生活と大状況が自然につながっている ような作品を読んでみたいと思う。  フランスから2ヶ月の予定でARNAUDが来た。  柳川君と田谷君に研究のプレゼンテーションをしてもらい、その 後ARNAUDに喋ってもらった。  何をしたら面白いかなといろいろ考える。例の強化学習とカオスの 問題はどうだろうかと思う。  今日は早稲田でロボットと三輪さんやカオスの相澤さんや 非線形の三宅さんと議論するので楽しみである。 2002.7.24.  早稲田大学の大久保キャンパスに行くために、新大久保から 真っ直ぐの道を歩いていった。  歩いているうちに、そういえば塩谷賢と最初に来た店が このあたりにあったな、確か、扇寿司という名前だったと思い出した。  歩いていくと、実際に「扇寿司」があった。記憶の中よりも、 地味な店構えである。  確か、安くてうまい店ということで塩谷が言って、わざわざ 来たのだと思う。  塩谷がそうやって誘うまで、私には遠くまで特定の店を目指して 行くなどという習慣がなかった。  塩谷は最初からそのようなことに熱心で、お互いの懐具合が 良くなるに連れて、徐々に店のレパートリーが広がっていった。  うなぎ屋、そば屋、バー、どじゃう、活性生ジュース、 ラーメン屋。。。。  それを積み重ねて、彼は体重が2倍になって、私は1.2倍になった。  あいつは、あのころからおしら樣だったのだなあと思う。    早稲田の研究会は、非線形の相澤洋二さんや、ロボットの三輪敬之さん、 それに東工大の三宅美博さんなど。岡山県立大の渡辺富夫さんの 「うなずきロボット」の話を始めて聞く。  目が点になった。  三宅さんの話が、初めて芯から納得できたような気がした。  文部省の「ゆとり教育」関連の記事を読むとヘドが出る。  バカか、あの官僚どもは。  大体、外国語の学習で、中学校では単語幾つとか、人工的な small worldを作ってどうするつもりなんだ? 工業製品を作っている わけじゃないんだぞ。  今朝も慶応の戸瀬さんたちの記事が出ていて、また思い出して 怒りがこみ上げて来た。  そんなくだらねえ文部省の方針なんか無視して、例えば、 高校入試でも大学入試でも、パンピーの受ける入試と、 勝手に自分で受けるTOEFLを選択できるようにして、  TOEFLがある点数以上の時は、パンピー入試はパスできるように すればいいだろう。  文部省のパンピー工業製品製作方針など、知ったことか、ばーか。  大体、世界観が間違っているんだよ。  個人個人がどのような才能を伸ばすかは、国家が介入すべきことじゃ ないの。  逆に言うと、一人一人とがるところが違うんだから、そのとがった ところを、一般的な入試で計ることはできないんだよ。  逆に言うと、一般的な入試はなるべく簡単な、最低限度のものにして、 そこから先一人一人が何を積み上げるかは、個人に任せれば いいんだよ。  だからアメリカのSATは簡単になっている。  日本の大学入試みたいに、高校までの範囲に絞りつつ、アクロバットを やらせても仕方がないだろう。  そんな暇があったら、とっとと先に進ませた方がいいだろう。 別に中学や高校からカントールの集合論やったって言い訳だし、 原書でシェークスピア全巻読破したって言い訳だし、自分で Harry Potter程度の小説を1つ書いたって良い訳だし。  そういう、一人一人がとがる部分は、品質保証して試験できる ことじゃないだろう。  そんな単純なことが判らないから、私は官僚というものを 全く信用する気にならない。  法学部にいた時、将来官僚志望の女子学生と喋って、 「あなたみたいな人は初めて見た」と言われたことがある。  もっと見た方がいいぞ。東アジアの官僚文化の外に出たいんだったらな。 2002.7.24.  ついでに思い出したので。  大学の時、早稲田の商学部の会計学やっているやつと喋って、 大学の物理は、要するに高校の物理のバネや球が増えたことを やっていると思いこんでいたので驚いた。  そんな無知なやつは放っておけばいいのだが、 こういう文系バカが生まれるのも、量子力学や相対論の怖さの さわりだけでも高校で教えることをしないからである。  大体、有限集合論を教えて、ベン図で「帽子を被っていて 眼鏡をかけていない人は何人いますか?」と計算させても、 まともな人だったら、バカにされているとしか思わないだろう。  集合論は、無限集合論まで言って初めて面白くなる。  連続体仮説を知らないで世界観を語らないでほしいー>文系バカの 人たち。  何だか今朝はあったまに来ているが、要するに、下らない大学入試で small worldで談合しているから、本当に面白いことが 教えられないし伝わらないんだよ。  文系のやつだって、連続体仮説や不完全性定理や量子力学や 相対論のさわりは知っておくべきだろう。  だって、こういうこと知らないで世界観を構築しても、幼稚園の 世界観になるからな。  実際、そういう幼稚園の世界観でごたごた言っているやつは 一杯いるんじゃないか。  頭の中が幼稚園だというのは、サダイ服を着ているのと同じ くらいカッコワルイとどうして判らない?  郡司ペギオ幸夫や池上高志がカッコいいのは、外見だけの問題じゃないぞ。  頭の中がカッコいいからだ。  判ったか、チャラタレのくだらないドラマを見ている暇はないんだ、 世界には知らなくてはいけないことが無限にあるんだ、  はあはあはあ(暑さにあえぐ犬風)  しかし、あの会計学のやつ、今思い出してもあったまに来るなあ。 まあ、どうでもいいけど。さあ、仕事仕事。 2002.7.25.  講談社の「オブラ」の「明るかった未来」の特集の関係で、 SF評論家の小谷真理さんとお会いする。  新高輪プリンスホテルのやたらと巨大なロビーに入って行くと、 大場葉子さんが随分遠くから手をさっと挙げた。  人に気が付いた時、すぐにさっと手を挙げる人と、少し近づいてから 手を挙げる人がいるけれども、大場葉子さんはすぐに手を挙げる 人である。  座敷でメールをチェックしていると小谷さんが来た。   いきなり、「昔の未来図は明るかったというけど、調べてみたら SFの未来図は暗いのが多い。強いて探せば1930年代くらいに 明るいのがちらほらある。」とジャブ攻撃が来た。  それでこちらのアームがだらんと落ちて無防備になっている所に、  「William Gibsonの1984年のneuromancerが、 今日のインターネットや携帯電話などの情報ネットワークを予言していた」 とアッパーカットが来た。  サイバーの走りか。  私の方は、何となく、空中都市のチューブを車が走り、流線型の 飛行車が空を走る未来図を描いていたころの、「人工物のルネッサンス」 についてナイーヴな話をしようと思っていたのだが、  SF専門家からのスルドイ突っ込みに防戦を余儀なくされた。  それで、「私はそもそも『情報』というメタファーに未来を託して いいのか疑問に思っている。そもそも、世界は至るところ断絶しているの であり・・・・」 と、全く予定していなかった認識論の問題を持ち出さざるを得なくなって しまった。  さらに追い打ちをかけたのが、フェミニズム問題である。  「Nicola GriffithのSlow Riverは、下水道の掃除をしているLesbianの 女の人二人の話で、そういう「汚い」SF作品もある」というアッパー攻撃が 決まったあたりから、実は未来像や情報に対する態度は、 (genderとしての)男と女でとらえ方に大きな差があるという話に 流れていった。   要するに、明るい未来像を喜ぶのは、マッチョな男という方向に 話がいってしまった。私はマッチョということになってしまった。 そして、小谷真理さんは、「テクスチュアル・ハラスメント」を書いた フェミニズムのヒトでもあったのである。  このあたりから話は迷走(瞑想)し、上野千鶴子やファンタジーの 本質や新井素子や吉本ばなな、あるいは印象批評の是非、斎藤美奈子の 是非、マッチョの是非、明るい絶望の後にはファシズムが来る、 シニカルであることはつけ込まれることだ、ツインタワーに飛行機が 突っ込んだ時、あなたは何をしていましたか、「9・11以降」 という特権的な言い方はどうなのだろうと、まさにコンセプトの バトルロワイヤルと化していったのだった。  最後は刺身の大皿盛りを前にビールで乾杯し、SFの奥深さをかいま見た 4時間の対談?は終わった。 オブラの記事の方は、木村大場タッグで うまくまとまることとして、私はさーっと有楽町方面に逃走した。  有楽町で降りたら、何となく吉野屋に入りたくなった。  黄色いおそろいの服(どこかの制服か?)を着た20歳 くらいの女の子が二人、一足先に座っている。  吉野屋といっても、ここは有楽町の吉野屋なのである。  「牛丼並、つゆだく、ネギだくで。」 と言っている。つゆがだくだくするのは判るのだが、ネギもだくだく するのか?    そのうち「前、肉だくありますか、と聞いたんだ。そしたら、 「肉だくはありませんとか言っていた。」 と言っている。  さらに、「あの、スプーン下さい」 と言っている。  店員が空のお椀にスプーンを入れて持ってくると、掬って食べている。 そして、「私、スプーンで食べるの初めてなんだ」 と言っている。  言っているのは、一貫して、左の黄色い女の子である。それを 頷いて聞いているのは、一貫して、右の黄色い女の子である。  同じ黄色い女の子でも性格が随分違う。  万有の真相は唯一言にて尽す。曰く「不可解」。  私は、何だか少し打ちのめされて、AERAを買って、さっさと地下鉄に乗り込んだ。 2002.7.26.  田谷文彦君と、「見える、見えない」のmodel化について議論。 「見える」ということは、ある情報がvisual awarenessの中で保持されつつ、 それが運動にも反映されるということを意味するが、 この神経回路網における表現は何か?  両眼視野闘争などで或る程度「見える」、「見えない」の切り替わりの メカニズムは判って来ているが、そもそも「見える」という主観的状態は いかにして生み出されるのか、その本質は判っていない。  その本質を何とか理解したい。  柳川透君とのsimulationは、いよいよsaliencyのsignalを 入れる段階に。あと一月でECVPなので、間に合わせないといけない。 でも、柳川のことだから、何とかするだろう。  NHK出版の大場旦さん、ライターの永江朗さん、大場さんのパートナーで 講談社「オブラ」編集部の大場葉子さんと渋谷の「和楽」で飲む。  まずは大場旦さんとモアイ像前で待ち合わせ。  大場旦さんと会うのは久し振りで、二人で大澤真幸さんの近著の 話から始まって、現代社会における情報のあり方などの話を していると、大場葉子さんが丸い透かし窓の向こうに姿を 表した。  「何を二人でムズカシイ話をしているのですか」 とその一言で何だか場の幾何学が変わったような気がした。  すぐに永江さんも現れる。ヘーゲルの精神現象学の訳は どれがいいのか教えてもらう。  何でも、最近ヘーゲルを読み直して、「ここに全て書いてある」 と感じたそうなのである。  永江さんが人気タレントIのゴーストをしているという話になり、その あたりから話の経路はカオスの様相になっていったのである。  カオスにして、何だかとても楽しい飲み会であった。  しかし、私は必ず大場旦さんに飲み会で一回は怒られることに なっている。  前には、タレントは良くないという話をして怒られた。  昨日は、イェルサレムの「西の壁」の前で壁に紙を差し入れて、頭を 前後に振って祈っている黒服の人たちを見て、 「ピピタン」のクオリアを感じたと言ったら、また怒られた。  しかも、大場葉子さんも旦さんの後に続いてタシナメモードに突入。  「ピピタン」的要素について語る時には、別の例を出した方が 良いようである。 2002.7.27.  夕飯を食べようとしたら、bk1から斎藤美奈子の「文壇アイドル論」 が届いた。  夕食後、読み始めて気が付いたら最後の「田中康夫」まで一気に。  一週間前から、「斎藤美奈子が受けるのはあまりにも現代そのものだ。もう、 斎藤美奈子を褒めるのは止めたほうがいいんじゃないか」といろいろな 人に言っていた。  しかし、読んだらやはり面白かった。  面白かった一方で、やっぱり才能の浪費のような気もした。  私はtermを作るのは案外当たるところがあって、しばらく前の「第二の敗戦」 もメディアで喧伝される前に言っていた。  村上春樹が「喫茶店のマスターの文学」だというのも一時期友人たちに 言っていた感想だけども、ねじめ正一がとっくの昔にその指摘をしているとは 知らなかった。  村上龍は、何となく昔から敬遠していたのだが、友人に「コイン・ロッカーベイビーズ」 を勧められてしぶしぶ読んだ。この人の文学は勘違いにいちゃんの 文学だなと思ったのだが、そのことを、斎藤美奈子は「おっちょこちょい」 という表現でい言い当てていた。  勘違いぶりは、最近の経済評論家きどりで加速している。    「文壇アイドル論」で私が出色だと思ったのは、最後の田中康夫論である。 私はこの本の中で取り上げられた「文壇アイドル」の中では田中康夫に 一番好意的だった。   しかし、その「好意」は、何だか漠としたもので、人に自信を持って 言えるものではなかったんだけれども、そのあたりを斎藤美奈子は見事に腑分け してくれていた。  そうか、固有名詞なのか、と思った。  立花隆、林真理子、吉本ばなな、上野千鶴子、・・・・・  どれも見事な腑分けではあったが、やはり「文壇アイドル論」は才能の浪費かも と思ったのは、要するに1980年代以降の日本の現代って、ロクな時代じゃ ないんじゃないのか、そんなもんを批評の対象にしても仕方がないところが あるんじゃないかと思っているからである。  いつの間にかサブカルチャーは立派なものということになっているらしい。  確かに、ジブリとかゲームを作る、クリエーターの側はいい仕事をしているのだろう。 しかし、それをポストモダンとかオタクとか言って評論している側は、ロクな もんじゃないのではないか。  そういうのが文化だと思っている現代も、ろくなもんじゃないように思う。  斎藤美奈子は、もっといいものを評論の対象にしたらどうか。  骨董屋だって、いいものを見ていないと鑑識眼は養えないだろう。  数日前に必要があって樋口一葉の「たけくらべ」を読み返したけれども、 やはりこっちの方がいい。  もう個人的には現代モノはいいかな、と思っている。  私は、現代に対して反逆したい。 2002.7.28.  夏の休日は涼しい室内で読書に限る。  菊谷匡祐の「開高健のいる風景」(集英社)。  菊谷さんは、昭和32年、開高健の処女作「パニック」を読んで「新しい 文学の誕生」を感じた。当時早稲田の学生新聞で学芸欄を担当していた 菊谷さんは、開高健に原稿依頼に行くが、あっさり断られる。  文學界に二、三作書くことになったというのである。それが「巨人と玩具」 それに「裸の王様」で、開高健はあっという間に芥川賞を受賞して、 文学界の階段を昇って行く。  この本の意義は、何といっても「夏の闇」のモデルになっている女性と 開高とのことがいろいろ書かれていることだろう。   「夏の闇」は、開高健の作品の中でも、いや、私が読んだ文学作品の中でも 最も素晴らしいものの一つであると思う。  池上高志にしばらく前にすすめたことがある。  この中に、どうやら開高健にとって切実な意味をもっていたらしい 女性が出てくるのだが、そのことについていろいろ書いてある。  かなり驚くことが書いてある。  どうやら、「夏の闇」は、その女性の交通事故死の後に書かれた ものらしい。  ところが、開高は、そのことを親しい友人である菊谷さんに云わない だけでなく、その後も生きているかのような虚構を喋っていたらしい。  どうも、恐ろしい暗闇がこのあたりにある。  開高健は、ある時期まで、「自らの内面に寄りかかって」書くことを 禁じていた。それで、「日本三文オペラ」のような虚構の世界を 積み上げた。ベトナム戦争に行ったのが切っ掛けで、その禁を解いた。 「夏の闇」は、自らの体験の切実さに寄りかかって書いた作品であった。  読んだ人は知っているだろうが、最後に、作品の最後で、開高は再びベトナムに 旅立つ。  ベトナムが、旅が開高にとってどのような意味を持っていたかが忍ばれる。    斎藤美奈子の「文壇アイドル論」 に出てきた作家は、本来まともにとりあう必要のない作家たちなのかもしれない。  そのような雑魚が、大衆社会の流通の仕組みの中で拡大されてしまうことが、 現代固有の状況なのだろう。  斎藤美奈子だって、開高健、中上健次、大江健三郎などを「アイドル論」 で取り上げようとは思わないだろう。  こっちは本物だからである。  本物の一つのメルクマールは、「断絶」だということが最近判ってきた。  そのことを、そのうち「断絶論」という形で書きたいと思う。  次に森鴎外の「渋江抽斎」が待っているので、コーヒーを飲んで そそくさと朝食を済ませ、読書に移りたい。  「渋江抽斎」は、高校の時の敬愛する現国の教師、中村穎司が 激賞するのを聞いて以来、二十余年ぶりの対面である。随分長い間気に かかっていた。 2002.7.29.  都心に車ででかけることはあまりないが、  珍しく秋葉原のヤマギワと、日本橋の高島屋に行った。  高島屋は駐車場が一杯で、少し離れた兜町パーキングに停めると、 送迎車で送り届けてくれる。  それが黒塗りのハイヤーだった。  これで採算が取れるのかなと思う。 当方は結局「お好み食堂」でトンカツを食べただけだったのである。  6階の美術品売り場あたりの雰囲気に、ナイツブリッジの ハロッズと同じ気配を感じて、  景気が悪いとか何だかんだ言っても、東京はやはり世界有数の 金が溢れている都市なのだなと思う。  百貨店の中を歩くなどということは普段全くしないので、 見るものがかえって新鮮である。  「渋江抽斎」は、なかなかの難物であるし、中村穎司が何を もって「このような小説がいいというような人にならなくては ならない」と書いたのか、今となっては正確にわからないが、 私がなるほど、と思ったのは、歴史という不可視なものに 対する態度であった。  抽斎と鴎外を隔てる時間は数十年に過ぎない。  しかし、数十年と言っても、もはや絶対不可視である。  鴎外は、殆ど抽斎を巡る人々の人生の外形的記述に徹して、 安易な心理描写をしない。  その態度の徹底には、摩耗されて丸くなった 河原の石のような潔さがある。  私が同じ鴎外の「高瀬舟」を嫌いな理由は、 この作品が「見てきたような 嘘を言う」時代小説の偽善の一つの源流なのではないかと 思っているからだけども、渋江抽斎にはそんなところはない。  禁欲的な記述の向こうに、かえって、江戸時代という、もはや 仮想するしかなくなった時代の人々のなまめかしいさざめきが 聞こえてくる。  鴎外と、少しは和解できるかもしれない。  帰路、首都高を飛ばしながら、珍しくベートーベンの 5番と6番をかけた。  「このように運命は戸を叩くのだ。」「これは農民が 踊っているところだ」「一天俄にかき曇り」「雨が上がり、 太陽が再び顔を覗かせて」などと、標題音楽的にライナーノートを 書くのが一時期流行ったように思うけれども、  この、音楽が何かを表現するという言い方はいったい何なのだろうか と考え込む。  それを言うならば、言語は標題音楽である。標題音楽という 一種さげすみ的な言い方が成立するならば、言語という言い方も 一種さげすみ的な言い方になり得る。逆に、言語表現ですばらしい世界が 開け得るのならば、標題音楽でも素晴らしい世界が開けうる。    そうか、マズイ小説は、意味を捨象して、音楽として、絵として マズイのだな、だが、我々はその中の言葉の意味に引きずられて かえってそのマズサが見えないのだなと思った頃、首都高を 降りて、地球と私の距離が近くなった。 2002.7.30.  ボルドー大学の学生で、CSLに研修で9月15日まで来ている Arnaudの歓迎会を五反田の「あさり」でやった。  研究テーマは、強化学習をやろうということになって、 こんなことを目指したらとべらべら喋ったら、  1ヶ月半でそれができるでしょうかあ。。。と心配している。  控えめなヒトなのである。  文化の背景が異なるヒトと喋るのはとても楽しい。  その楽しさは、ちょっとした面倒くさを乗り越えた後にやってくる。  昨日も、歓迎会ということで、田谷くん、柳川くん、小俣くん、 光藤くん、長島くん、恩蔵さん、関根くん、内田さんと勢揃い。  こういう混成の時は、私とて日本語で学生と喋る気楽さと 比べてしまうし、ましてや学生たちは英語で喋るバリアが高くて、 関根など、I cannot speak English.お前喋っているじゃないか などと冗談を言っていて、He looks like a famous Japanese comedian. などということになって行ったのだが、とにかく面倒なことは 面倒である。  しかし、その面倒さの向こうに、オモシロイものが待っている。 それに触れた瞬間、宝石を掴んだ気になる。  例えば、この前Valerieが来た時に、「日本で自由の女神を見つけるのは 簡単である。ある種のホテルや、ボーリング場の上にある」という 話をしたら、「それは、オリジナルの精神の冒涜ではないか」という。 それで、そうか、フランス人にとっては、例の-egalite-liberte- fraternite-の象徴だっか、と悟る。そのような、差異を 悟った瞬間に、何とも言えない味わいがある。 Arnaudとも、日本では何故か自由の女神はキッチュな存在なんだよね という所から始まって、オリジナルな像は小さいけれどセーヌ河に あるとか、この前のシラク狙撃事件のこととか、いろいろ喋った。  10年後私自身がどこにいるのか、何をやっているのか 全く見当が付かないが、きっと、学生たちとわいわい飲んでいた このような時間のことは、懐かしく思い出すことと思う。  「夏の闇」が見つからなくて、結局買ってもう一度読み始めた。 数年ぶりか。やはり名作である。というか、開高健は、龍とか 春樹とかばななとはそもそもレベルが違う。最初から比較にならない。  しかし、悪貨が良貨を駆逐するというのは、 まさに大衆社会の病理だな、と思った瞬間、そもそもなぜ 悪貨は良貨を駆逐するのか、その理屈は何なのだろうと考え始めた。 どうも、情報に対する態度、流通に対する態度が重要なのでは ないかと思うが、あまりきちんと考えたことがない。  昼食に入った店で、料理がくるのに40分もかかって、 その間「群像」を読んでいたのだが、どうも、上のようなこと (良貨と悪貨の区別)は、判るヒトは判っているらしい。 というか、「プロ」はみんな判っている。そのあたりの ことが最近とてもオモシロイ。高橋源一郎も、対談を読んでいると 恐ろしくシャープなヒトだ。デビューした時に、吉本隆明に、 「やっと、もはや小説には何も書くことがないのだということを 前提に書く人が現れた」と褒められたそうだが、そのスタンスは 維持できるのか、と三浦雅士に突っ込まれていた。  まあ、何が良貨で何が悪貨かちゃんと判っている人たちが いると言うことは安心する。売れる売れないのプレッシャーで マーケットに妥協するという側面はあるのだろうが、 田村隆一と「荒地」の話を熱く語るようなヒトがいる限り大丈夫だろう。  今日から3日間山に行くので、他に三木清「人生論ノート」、 島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」を買う。行き帰りの 車用に、メンデルスゾーンの「無言歌集」、ガーシュインの 「ラプソディーインブルー」、ベートベンの「クロイツェル」ソナタを 買う。「ラプソディーインブルー」は、それをかけて狂った体操を するのが好きなのだが、ここ3年くらい、持っているCDがどこかに いってしまって、狂った体操をすることが出来なかったのである。 2002.7.31.  万座に来た。  途中、硫黄で黄色くなった山肌が蒼い空に向かっている様子は、 何か見てはいけないものを見ているような気にさせる。  地質学的な例外(anomaly)が作り出す景観は、個物としての 例外とは異なる感覚を与える。私たちは景観を個物とは異なる カテゴリーに入れているのだ。  足元を奇妙な生き物がちょろちょろしているのとは違う、 もっと空気的な、鼻につんと来る、時々刻々と染み渡る、 うぁーっと叫びたくなる強烈な印象で私たちの身体を包む。  カリフォルニアのデスヴァレーに行った時もそうだった。  ホテルに着く。   高原を散歩し、プールで泳ぎ、バイキングを食べ、 寝た。  妙な夢を見た。長島久幸君と大学の研究室の廊下を 歩いていたら、開いているドアがある。  入ると、ダイヤモンドの研磨機がある。ブリリアントカットの 作り方などと書かれた本がある。  どうやって原石を固定するのだろうと考えている間に、 もう二人で麻袋に手を突っ込んで原石を物色している。  これでいいだろうと一つづつ取り出して磨き始める。 あっというまにできあがって、かざしてみると、 どうも飴色に濁っている。  「これはあまりいい原石ではなかったですね、茂木さん」 と言って、長島君はもう次の原石を物色している。  私は急に心配になって、一つで止めておいたら良かろう、 誰かが来るかもしれないしと思うが、長島君は平気である。  案の定、ドアがノックされ、女性教官が顔を覗かせる。 私たちは、いつの間にか白衣を着ていて、二人で 「学生実験です」と言って誤魔化す。  女性教官が行ってしまった後、「ずいぶん老けた学生で、ばれたんじゃ ないか」と思い、その瞬間に目が覚めた。 2002.8.1.  志賀高原の発哺温泉には、トンネルをくぐって行く。  ここから、東館山に行くゴンドラリフトがあるというので、 発着場の近くの駐車場に停めた時から、  どこかで見た光景だなという基本感情があった。  駐車場から短い急坂を下ったところにあるホテルを見て思い出した。 ここは、3年前に物性若手夏の学校で来たところだ。  池上高志、時田恵一郎がいた。そういえば、津田一郎さんもいた。  急坂を降りながら、いろいろなことを芋蔓式に思い出していった。  そういえば、あの時、池上高志は、車に乗せてきたイグアナが 死んでしまったと、しょげていたのだった。  両手に載せて持ってきたその身体は、思ったよりも大きく、30センチ くらいはあった。  まるで、緑の金塊のように重い質感があった。  時田と三人で、ホテルの裏のスキー場のスロープに穴を掘って 埋めた。  また、いつかここに来よう、そんなことを言ったような気もする。    地図で発哺温泉という地名を見ても、何も思い出さなかったんだから 記憶というものはいい加減であるが、その場所に行くと、思い出す。  ゴンドラリフトで上がりながら、眼下に見える斜面を、前に 来た時に一人で下ったのだ、と思い出した。  オリンピックの大回転が行われた場所だった。  こんな急坂をスキーで滑るのかと思った。  その緑の斜面を、ゴンドラリフトは、逆走していく。  ホテルの下のスキー場のことも思い出した。  横に小さな谷があって、上っていくと、ハヤシミドリシジミだろうか、 裏が白くて表が金属光沢の緑に輝くシジミチョウが舞っていた。  そんなことを、次々と思い出した。  イグアナを埋めたはずの斜面へ向かう細い道は、夏草が生い茂っていて、 再会を果たすことができなかった。  そういえば、ちょうど3年前の7月末から8月初頭のことだった。  そして、帰りに、池上と初めて善光寺の戒壇巡りにいって ショックを受けたのである。 2002.8.2.  休暇三日目は、松本城を見て、穂高に行った。  国宝松本城は、外から見たことはあるけれど、中に入るのは 初めてだった。  急な階段を上っていくと、6階に天守閣がある。この前彦根城 に登った時もそうだったが、板間に横たわって、しばらくはあはあ と城主気分を味わった。  もっとも、周囲を観光客がうろうろするので、この城主も気が散って 大変なのである。  穂高は、某土地の現状を見に。  良く判らない、と諦めた頃に、がたがた砂利道を入ったあたりに それはあった。  穂高で時間を取られて、長野善光寺の戒壇巡りは断念。 中央高速をひたすら上っていく。  持ってきたCDが尽きたので、NHK教育のラジオをつけて みた。  こんなんじゃ、日本人は英語うまくならないはずだよな、 とあきれる。  mineralという単語は、minererのように発音されることがある。 特に次にwがくるとそうなる、だからminerer waterのように 聞こえるのだ。  そう、もっともらしく講師が解説するが、そんな断片的な「ルール」 を頭に入れて、話したり書けたりできるはずがない。  one of those...は「例の・・・」だという。  そういわれればそうかもしれないが、one of those....はone of those....で あって、それを「one of those=例の」と単語帳を作って覚えても 仕方がないだろう。    何じゃ、これはと思っているうちに、秋山仁が高校数学入門を やって、ナントカカントカという人が方丈記を解説して、 ナントカカントカ2という人が倫理について喋った。  「人はヒトに迷惑をかけずに生きて行けるのでしょうか。例えば、 今日、私はNHKに来るのに電車に乗ってきました。電車は混んで いました。もし私が電車に乗らなければ、もう少し空いていたでしょう。  さらに、最寄り駅から時間に間に合わないとタクシーに乗りました。 もし私がタクシーに乗らなければ、地球の環境汚染も少しは ましになっていたでしょう。人は、ヒトに迷惑をかけずに 生きていけるのでしょうか。」 などと、随分電車やタクシーを気にしている。  イマドキの高校生は、こういうのを聞いて「それは大問題だ」と 思うのだろうか。  そのうち高校音楽Iが始まった。まずはカレン・カーペンターの Singをかけて、これをみんなで歌いましょうという。  「皆さんの前にある譜面は二つのパートがありますが、そのうちの 一つを私が、もう一つを、国立音大を卒業された○○○さんが歌います ・・・・」  イヤな予感がした。バリトンとテノールが複式呼吸、 二つのパートで歌うSingを聞いて、案の定、私は笑いが止まらなくなった。 運転があぶない、Life Storeの駐車場に停めて、買い物に行った。  帰ってくるとまだSingを歌っていた。    思うに、学生をバカにしてsmall worldを作ってはいけないのでは ないか。  国立音大の卒業生だったら、音楽の世界の、それこそ超絶技巧の 名曲を知っているだろう。  それを歌わしちまえばいいだろう。  どうせ、今の高校生は、浜崎あゆみとか椎名リンゴとか聞いている んだから、どーんと本物のクラッシックを歌わせる、少なくとも 聞かせればいいだろう。  倫理だって、人間の行為の基礎に関する、曰く言い難い問題を そのまま言ってしまえばいいんだと思う。  それで判らないとか抜かしやがったら、お前のセンスが悪いんだと 言えばいいだけの話だ。    学生、素人、パンピーを甘やかすな。  そのように強く思う今日この頃である。もともと薄いジュースを さらに薄めたコンテンツ0.00001%くらいのsmall worldを作って、 これが世界でございと甘やかしてどうするんだ。  「わかりやすい」ということが評価される時代はもういい。  本物をどーんと示して、それで判らなければお前が悪いんだ という「断絶」の時代が来ると私は思っている。  家に帰ったら、アマガエルの一匹が死んでいたので、もう一匹は 逃がしてやった。  空に雷鳴がとどろき、雨が降り始め、3週間のsmall world暮らし から解放された小さな魂を歓迎していた。 2002.8.3.  妙な夢を見た。  今はボストンにいるはずの田森佳秀が私の目の前にいて、 あっちの方を見て妙な顔をしている。  「オレ、MT野(動きを抽出する大脳皮質の中枢)が壊れたんだ」 という。  私が驚いて、「じゃあ、waterfall effect(滝のように、一定方向の 動きをしばらく見ていて他のところを見ると、逆方向の仮現運動 が見える現象。運動残効)も見えないのか?」 と聞くと、田森が、  「うん、そうなんだ。他の人が見える見えるというから、そうなのかと 思うだけなんだ。」 と言う。  それで、私は、田森かわいそうだなと思った。  一体、どんな詩的真実が私にこんな夢を見せたのか?  また、田森に会って話したい。  一つには、表象の幾何学における、数少ない戦友であるということも ある。  もう一つは、「田森佳秀半生を語る」の、隠し録音コレクションに 重大な欠落があるからである。  それは、「山本鶴」の巻で、  田森の自分の人生で起こったオモシロ話の中でも最高傑作の一つである。  落とし穴、えっほ、えっほ、スローモーション、・・・と言えば、 この話を知っているこの世界で恐らく20人くらいの人の口元は、 自然に緩んでしまうだろう。  3月の伊勢神宮の研究会の時に、田谷文彦君と恩蔵絢子さんは、 五十鈴川のほとり、おかげ横町の川端屋という 最高のロケーションで、「山本鶴」の 巻を聞くことができたのだった。  これは実はものすごく幸せなことなのである。  遠野物語ではないが、ぜひ後世に伝えるべきだと思うので、 ここに幾つかの話のその概略を記す。  「にんじん」の巻・・・北海道豊頃町に生まれた田森の弁当箱には、 いつもにんじんが丸ごと生で入っていた。「他の子供の弁当は、ちゃんと 料理してある。なぜおいらのだけにんじんが生なのか?」と抗議すると、 母親は、「こうするのが一番うまいんだ」と答えた。本当は、料理の 仕方を知らなかっただけだった。  「鎌」の巻・・・子供の頃、鎌を縄の先に付けて、それを木に投げて 刺して上った。一度に3本使って、足場をかためながら上った。なぜ そういうことをしたかというと、大切な持ち物を、木の上に隠したかった からだ。そうしたら、鎌を使って木に登るのが、友達の間で流行ったので、 隠し場所が無駄になった。  「手づかみ競争」の巻・・・父親が商工会議所の仕事をしていた関係で、 商工祭りの福引きのつかみ取りを企画した。 どれくらい掴めるのかあらかじめ 予想しなくてはいけないので、「佳秀、生きた鮭は何匹掴めるものか やってみろ」と言われた。股の間に2匹、脇の下に2匹、それに アゴの下に1匹挟んで、最後に両手に1匹づつ掴めばいいことが判った。 別の年には、「佳秀、100円玉をどれくらい掴めるかやってみろ。」 と言われた。いろいろやってみて、一番いいのは、まず指の間に100 玉を挟んで、それで手をグローブのようにして、がさっと掬うことだと 判った。  「帯広川、よつばい」の巻・・・ 故郷の帯広川の河川敷 は、冬になると凍る。粉雪の層の上に薄い氷の膜ができる。 その上を、手足をついて体重を分散させながら 這っていくと、何とか川までいける。  ある日、失敗して雪の中に落ちてしまった。子供だから、 首までざぶんと潜る。深い所は頭の上まである。非常に危険な状況だ。 田森は、そこで、落ち着いてしばらく考えた。  息を思い切り吸って、深い雪の中を 猛然とダッシュした。そうやって深いところを乗り切って、 浅い所についたら首を出して一息ついて、また息を止めて ダッシュした。そんなことを繰り返してやっと「生還」 した(3月26日の日記から再録)。  「ハードボイルドになれない」の巻・・・小学校の時、ある朝 学校に行ったら、みんなが「タモリ、タモリ」と言って笑っている。 何のことか判らず、聞いてみたら、タレントの「タモリ」がテレビに 出始めたのだった。それ以来、タモリ佳秀はハードボイルドに なれない人生を送っている・・・・  田森がMT野を壊したので、遠野物語ならぬ「田森物語」を 思い出した土曜の朝である。 2002.8.4. Qualia 6 「脳の中の仮想と現実」を、神田の甘味屋、たけむらでやる。  私と竹内薫、井上智陽が喋り、参加者数20名。座敷で白玉 を食べながら。  ここの白玉は、絶品である。  いろいろ試行錯誤しながらやってきたQualia Meetingだけども、 最近「美しい形」が見えてきたように思う。  まず、「心脳問題」とか「意識」とか、そういう限定を 付けることをやめた。  QualiaはQualiaなのであって、そこにある種crypticな記号性を 持たせた方が、様々な問題を境界なしに議論できるということが 判って来た。  そもそも、心脳問題は、一体どんな回路で解決されるのか (解決されるのならば)。思わぬ回路を通って解決されることは 大いにあり得るし、あらかじめ方法論、コンテクストを限定 しない方がいい。  それに、気が付いてみたら、随分「いい人たち」が集まるように なってきた。  議論するのがとても楽しかった。  二次会でさくら水産にいたときに、「おーっ」と思う瞬間が あって、これは、本当に境界なきcommunityになりつつあるかも しれないと思った。  次回は10月6日にやる予定。こんな感じで時々議論できたら と思う。  最近一番気になっていることは、言葉にしろクオリアにしろ、 その個別性をどう表現するかということ。個別性をゲーデル のように全体性に結び付けていわば解消するしか方法がないのか、 そのことが気になる。  普通の理論的枠組みがやるように、統計的なアプローチに結び付ける 方法はtrivialすぎて取り上げるに足らない。  このあたりのことは、脳科学や認知科学の人は全く考えていなくて、 案外哲学をマジメにやっている人と議論するのが一番生産的である。  問題の断面によって、このような人と議論すると良いという、 いわばしつらいのようなものがあるように思う。  その、しつらいの一つの形として、Qualia meetingsがある。 2002.8.5.  雷が鳴っているのに、人々が公園で遊んでいる。  ぴかっと光って、1、2、3、・・・と数えてみると、 どうやら数キロ離れたところが稲妻のふるさとらしい。  人々は、テニスをし、サッカーをし、ぶらぶらと歩き、 犬の散歩をし、談笑している。  そういう私も、六本木のキャラヴァンで買ったTシャツを 着て走っている。  戦争が来る前は、案外こういうものかもしれないと思う。  波乱のない日曜だったが、布団の中で波乱を作ってみた。 なるべく極端な近未来を考えて、その時自分の心と身体が どう反応するかを観察してみた。  例えば、8月の末までにクオリア問題を解こうと思った。  明日からビールを飲むのを一切止めようと思った。  タヒチに行ってくらそうと思った。  毎日20キロ走ろうと思った。  明日がガンの手術だと思った。  衆議院に立候補しようと思った。  どれもあり得ない話だが、オモシロイことに、そう極端な ことを思うと、主観的体験が特有の反応をした。  このように、志向性だけで極端から極端に揺れるだけでも、 心と体はついてくる。  もっとも、本気でそう思ってみないとダメである。  哲学者というものは、  安楽椅子に腰掛けて、今度はあの山に登ってやる、 次はあの山だ、その次はあの山だ、と志向性だけで 世界の山を登頂した気になる、そんな人種じゃないかと 塩谷賢に言ったことがある。  実際に山に登ることと、登った気になることを 等置してしまうのが哲学者ではないかと。  あれは数年前で、あの時は批判的な文脈で言ったのだが、 仮想登山は案外な美質を含んでいるなと最近思う。  もちろん、実際に山に登る時間のどうしょうもなさも好きである。 だから走る。走っていると、自分がこの肉体というどうしょうもない 容器に入っているということが実感される。  そのどうしょうもなさの谷間に差し込んでくる夕日の残照が クオリアである。 2002.8.6.  開高健の「珠玉」の中に、  部屋を出て階段のところまで来た時に、「ああそうだった」 と気が付くこと、日本語で言えば「後智恵」を、フランスでは Esprit d'escalier(階段の智恵)と言うと書いてある。  これはうまい言い方だなと思って、本当にそういう風に言うのか とAnaudに聴くと、彼は知らないと言った。    我々は五反田の「あさり」でビールを飲んでいた。  柳川のシミュレーションのRとLのチェッカーボードパターンを どうしてくれようという問題と、  見る、見えないをどう表現するかという田谷との問題を議論していたら 喉が渇いたのでみんなで出かけた。  「結婚」議論が面白い。Anaudが、フランス人は結婚したがらない、私も しないと言う。  話しているうちに、どうも、「結婚」という制度にまつわる 宗教的なもの、国家的なものがイヤらしい。  日本の若者の束縛されたくないから「結婚」しないというのとは 少しconnotationが違う。  だから、Anaudは結婚はしなくても、commitmentはする。  実際、girl friendと9年一所に住んでいる。  ところが、彼がcommitmentという英語を知らなくて、 commiter(コミッテ)とかデタラメのフランス語を喋って説明している うちに、  次のビールが来て、どうでも良くなった。  今朝のこと。  幼体はサソリで、成虫になると武者のパターンに なる蛾が昔日本にいたのだが、絶滅してしまった。しかし、1800何年に ダレソレが撮影した最後の個体の写真が残っている、  要約すればそんな夢を見た。  夢というよりも、ストーリーがなく、そんな観念がぱっと瞬間的に 来た。  脱眠時幻覚というべきかもしれない。  眠りから覚醒へ向かう階段での智恵のようなものかもしれない。    いずれにせよ、その武者蛾に魅せられた、何しろ、模様が左右非対称 である。羽の上に、迫真の落武者の絵が描いてあり、左上に武者の顔が ある。  見事な蛾絵一幅であった。  コーヒーを飲みながら新聞を開いたら、最近は妖怪が人気で 幽霊は人気がないとある。  活字を追っているうちに、武者、幽霊、妖怪が頭の中で ぐるぐると回り出した。 2002.8.7.  子供の頃野山を駆け回っていた時の記憶から、  川村俊一「昆虫採集の魅惑」(光文社新書) のような本を見ると、何はともあれかってしまう。  そして、一気に読んでしまう。  読書の「はまり」は独特である。活字を追っていると、 もっともっと読みたくなる。  映画のようなpassiveな娯楽とは異なる谷間に落ち込む。 活字を読む以外のことをやるのが面倒になる。  この川合さんという人は、私と2歳しか違わないが、 大学を出たあとフィリピンに採集にいって、そのまま 標本商になってしまった。  アジアに行き、動く宝石をとり、日本に帰ってきて売る。 昆虫採集をしている人は誰でも知っているが、自然がしっかり している限り、少々採っても減ることはない。  森の果実を受け取るようなものだからである。  それでも、遠い昔に止めてしまったが、今でもやっている 人たちの話を読むのは、ファンタジーを読むようなもの、 代償行為のようなもので、楽しい。  網を持って、蝶を待っている間の雰囲気が好きだった。  ワグナーの「ローエングリーン」1幕、エルザが「私を救うのは 夢に見た騎士です」と言い、国王が命じて呼び出すが、誰も答えない。  人々は、エルザはやはり有罪だと詰め寄る。  もう一度呼び出しても、青空がどこまでも広がっているだけで、 騎士は現れない。  この時の、世界の無限定の広大さの中から、何かが来るのを待っている 状態が、蝶を待っている状態と同じである。  やがて、ローエングリーンは現れるが、蝶は現れるとは限らない。  鹿児島の霧島、高千穂峰山頂は、ヒサマツミドリシジミや タッパンルリシジミ などの珍蝶が吹き上げられてくる場所として知られている。  子供の時、一度だけ行ったことがある。  網を握りしめ、ローエングリーンを待ったが、現れなかった。  逃がした蝶や、見なかった蝶の方が記憶に残りませんか? 以前、養老孟司さんにそのように言ったら、 養老さんは、むしろ虫の断片を見付けた時の方が気になる、 一体こいつはどんな格好をしているのだろうといろいろ考えて しまうと言われた。    ローエングリーンは去り、エルザの手の中に一切れの白い布が 残る。  そんなストーリーがどこかにあったか。 2002.8.8.  William MaceがAffordanceと遮蔽の話をするというので、 本郷の山上会館に出かけた。  少し遅れていったら、驚いたことにメインの会場は一杯で、 プロジェクタの部屋に入れられた。  さらに驚いたことに、逐語訳だった。  Maceが喋ると、日本語に直す。最初から原稿を書いて渡しているのか、 かったるい英語である。  これは、少し参ったなと思い、Maceがfilmを見せるまでは 論文でもパラパラ見ているかとfMRIの論文を 取り出していると隣に朝日新聞の服部さんが座った。  そのうちに、  ちょっと耐え難くなったので、第二食堂の下の書籍部に行って、 津田一郎さんの「複雑系脳理論」と文学界を買って、お茶も買って もどるとMaceはまだ遮蔽の話をしていた。  要するに遮蔽の話で、affordanceの話ではなかった。  終了後、服部さんと立ち話。この議論が面白かった。  そのうちに、学生たちがばらばらと会場から出てきた。  恩蔵さんが、紙切れを持っている。STUPIDと書いてある。 その下の絵は何かとよく見たら、人がいて影が描いてある。  要するに遮蔽ということらしい。  私のように、書籍部に行って散らすことができなかったので、 恩蔵さんは絵を描いたんだなと思った。  本郷キャンパスに隣接している学士会館分館のビヤガーデンに 行く。  恩蔵さんや張さん、SFCの高嶋くんは消えて、  残ったのは、Anaud、柳川、小俣、長島、須藤、内山、田谷、私、関根 である。  長島がせっせとカウンタに行って生ビールやつまみを注文している 姿を見て、そうだ、昔あの役割は私がやっていたんだと思い出した。   何しろ、学部2年、学部2年、院5年と9年もいたから、 いろんな思い出が埋まっている。  村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」を読んだ。  阪神大震災をモティーフに、確か発表当時かなり褒められもした 短編集である。  うまいと思った。しかし、思ったほど新しくもなかった。  それにしても、夏目のような私が好きな作家にはあって、 村上春樹のように確かにうまいが、私にとっては今一つ何かが欠けている 作家にはないものはなんだろう?  冷房の良く利いた部屋でソファに寝そべって考えていて、 はっとした。  判ったのである。  その、分水嶺の概念があまりにも意外なものだったので、 私は思わず「そうか!」と叫んでしまったのである。  その分水嶺とは、「武士」的なものを感じさせるかどうか だったのである。  そういえば、私は、ずっと昔から武士でいたかったのである。  しかし、その概念があまりにも因習的で歴史的なコノテーションに 満ちていたので、今まで気が付かなかっただけなのだ。  もちろん、ここに言う「武士」とは人を殺すという意味ではなく、 世界への厳しい向き合い方である。  自分のことは自分で処置し、人に寄りかからないということである。  「僕は一面において俳諧的文学に出入すると同時に一面において 死ぬか生きるか、命のやりとりをするような維新の志士の如き烈しい 精神で文学をやって見たい」  (夏目漱石ー>鈴木三重吉の手紙)   私には、村上春樹のスタイルは甘ったるすぎる。  私が「鼻毛が見えている」と表現する村上春樹作品にかいま見る 無防備なナルシシズムには、いつまで経っても 慣れることができないように思う。 2002.8.9.  時折、山手線に乗る代わりに代々木から原宿まで 明治神宮を抜けることがある。  脇道にそれると、森がはっとするほど濃くなる。  ベッドに横たわって、梢だけを見ながら移動していったら、 どんなにいいだろう、そう思いながら歩いていて 「木漏れ日」について考えた。  一体、「木漏れ日」は、どのような物理現象を指しているのか?  光が葉と葉の間の小さな隙間を通り過ぎてくると、地面の上に 丸いパターンができる。これが「木漏れ日」か?  見上げると、眼球の中に、葉の間からちらちらと太陽の 光が飛び込んでくる。まぶしい。これが「木漏れ日」か?  あるいは、あかあかと、エメラルドグリーンに燃え立つ 木の葉、その表から裏から照射される始源的な光、それが 「木漏れ日」か?  そうだ、「木漏れ日」は、これらの全てのものを指すのだ。 さらには、このような全ての物理的現象に私がさらされた 時に、私の心の中に立ち上がるある種の感覚をも指すのだ。  夜、「光」は何を指すのか考えた。  「光」とは、物理現象としての「光」を指すのか?  では、あの人は私の人生の光だという言い方は? ゲーテの「もっと光を」は?  「光」という言葉は、一体何を指すのか?  蛍を古語で「火垂る」とも言うという発見から野坂昭如は 小説を書き始めたらしい。  蛍は、一体何を指しているのか? 暗闇の中にちらちらと 飛ぶ光? じゃあ、暗闇とは、本当は一体何を表しているのか?  2ヶ月くらい前か、カオスについて考えたことが切っかけで、 自然言語の叢林に迷い入り、なかなか抜けられそうもない。 2002.8.10.  微細構造定数が、60億年から100億年の間に、10万分の1 くらい変化していたかもしれないという報告(Webb et al. 1999) を、Paul DaviesがNatureで議論して、微細構造定数を 構成する電荷、プランク定数、光速度のうち、光速度が 変化していると考えるのが妥当なのではないかとしている。  微細構造定数の変化を説明するためには、電荷が増加、もしくは 光速度が減少しなければならない。  電荷が増大するとすると、ブラックホールの事象の地平線の中の 領域が減少しなければならない。すると、熱力学の第二法則に反する。 一方、光速度が減少するとすると、事象の地平線の中の領域は 増大する。  このようなことから、Daviesらは、光速度の方が変化するのでは ないかと結論する。  アインシュタインの相対性理論においては、全ての観測系(慣性系) において光速度が一定であるということが公理になっている。  この時、観測系というのは、同じ(近接した)時間において 並列的に存在する観測系である。  今回の議論のように、100億年で10万分の1(1年あたり 100京分の1)変化するというようなことは、 上の公理とどのような関係にあるのか?     上の公理の前提となったマイケルソン=モーリーの 実験と、今回の議論は矛盾しない。なぜならば、マイケルソン=モーリー の実験は、時間的にも空間的にも局所的な領域(19世紀末の地球) における話だからである。  では、長い時間で見ればどうなのか? 宇宙の全履歴を 一つの多様体と見れば、相対論の光速度一定は、局所的に 成立する原理として考えて、それをつないでいけば全体が出ると 考えれば、何とかつじつまが合いそうである。   しかし、より根本的な問題は、このような議論と別のところにある。   小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」を久し振りに買って 読んでみる。  9・11のテロの話をどう書いているか、興味が涌いた からである。  思ったほどひどくはなかったが、どちらかと言うと別のことが 気になった。  つまり、このような本を読んで何かが心の中で立ち上がったように 感じるであろう一般の人々のことである。  小林は、衆愚を批判しつつ、自分の熱狂的な読者が実は同じ 衆愚であるということをどう考えているのか?  光速度が一定かどうかというような自然科学の真理の問題 と違って、歴史認識についての発言は、一つのカンヴァセーションで ある。  私が、「地図を読めない女、話を聞かない男」の類の本を 最悪だと思うのは、それが、客観的な真理の問題よりは 寧ろ社会的カンヴァセーションの領域に属しているということに あまりにも無自覚であり過ぎるからである。  社会的な文脈において、無自覚は、時に悪意と等価になる。  毎日暑い。  どうも、光速度の問題について考えている方が気楽なようだ。 2002.8.11.    千住真理子のチケットがあるというので、 何も知らずに文京区のシヴィックホールに出かけた。  入り口で、配っているビニル袋。てっきり講演パンフだと思って、 手の中の其れをみてムムムと思った。  「8月10日は道の日」と書いてある。810Road Thanksのような 妙なTシャツも入っている。  国土交通省、道の日フェスティヴァル実行委員会などと書いてある。  「道の日」制定署名にご協力お願いしますなどと背広が叫んでいる。  こんなもん、捨てちまっていいよ、と私は言って シヴィックホールのロビーの三角のプラットフォームにビニル袋を 置いた。  それでプログラムが判らなくなって反省したが、 千住真理子の前に妙なものがある。  「8月10日は、大正○○年に初めて道路整備計画が制定された 日です。」などと永井美奈子が言っている。  国土交通省の道路部長が出てきて、「道の日標語コンクール」の 表彰をやっている。  「この道から始まる未来」とか、「ゆとりのある道路が余裕の 運転をつくる」とか、そんな標語を作った人たちが賞状をもらって ペコリとおじぎしている。  タレントの清水圭という人が出てきて、「道ってこうじゃないですか」 などと言っている。  こういうのを愚民政策というのだなと思った。  この時節、徹底的に本質を隠蔽してソフトな駄弁で何かをプロパガンダ するというのは、確信犯だとしてもセンスが最悪である。  こんな愚劣なイベントに税金を使うのかと、怒るよりも あきれて、ぐったりと座っている間に眠ってしまった。  千住真理子のアンコールのG線上のアリアで少し復活した。 この手があるのだなと思う。  ポピュリズムに絶望している今日この頃だが、バッハのこの曲のように 間口が広くて奥が深いというのもあるんだなと思う。  特に、主題が提示された後の展開にやはり非凡なものがある。  池袋のジュンク堂書店の大澤真幸×東浩紀のトークセッションに出かける。  大澤さんのNHKブックスの出版記念で、編集の大場旦さんが 誘ってくださったのだ。  終了後、ビール。何だかいろんなことを話す。  東さんと話すのは初めてだったが、ふと思うと池上高志に似ている ところがある。  飲み屋を出て、水戸に帰省している郡司に電話して、東さんに渡し、 大澤さんが喋り、私に戻ってきた電話で、郡司が、「東さんどうだった?」 と聴く。  「面白かったよ」と言うと、  「おれ、昔から池上高志に似ていると思っていたんだ」と言う。  こういうところが、郡司は、存在論的、郵便的にスルドイ。  タクシー的に帰宅する。 2002.8.12.  午後9時を過ぎて走り出すが、公園の中には人々が まだ歩き、佇み、花火をしていて、  空気はまとわりついて汗をかいても爽快感がない。  トラックを黙々と歩く人たちがいる。横切ろうとして、 黒いシャツを着た人にぶつかりそうになった。  白昼、レインボーブリッジを超えてお台場へ。  大塚家具のショウルームを見る。  上から滝が降ってくるディスプレーは、確か前に 塩谷や竹内の妹と見たことがある。  その広場に、異様な人たちの群れがいた。  地べたに座り、パンフレットのようなものを持ち、 籠の中にびっしり並んだジュウシマツのように さざめいている。  ビッグサイトでコミケット(コミックマーケット)をやっていて、 同人誌を売買する人たちであった。  「世界名曲歌曲集」のようなCDをかけて運転する。 どうも、この週末は、魔王や鱒のような曲を聴きたくなる気分だった。  ちょうど首都高の下の暗闇を走っている時に、  「魔弾の射手」の二幕のアガーテのアリアになった。  この曲には思い出がある。学芸大学付属高校の辛夷祭で、 上演した。私は照明をやった。  今は中村亨の奥さんになっている古谷さんが、アガーテ役だった。  このアリアは好きである。ドイツの森の暗がり、静けさ、 そこから秘やかに放射されてくるロマンティックな雰囲気が 好きである。  そうか、日本に居て想うヨーロッパの仮想は、実際の ヨーロッパと違うのだなと想った。それから、赤毛のアンや、 清里や、様々な連想が生まれる。  しばらく前に、人が書いた文章の感想を述べてはいけないのは、 基本的に文章というものは一度書かれてしまえば「死者」 の世界に属するからだと思った。  故人をしのぶようなキモチで語るのはいいが、目の前の 生きている人間に結び付けてはいけない。  昨日の自分も、10年前の自分も、20年前の自分も 故人のようなものである。死者の世界に属している。  確かに、現在という断面の私の生き方は、その故人としての 過去の私の生き方の残滓によって条件付けられている。  しかし、それは、この宇宙の全環境に固有の問題であって、 私という身体に囲い込まれた特殊な条件ではない。  清里に行って、「MILK BOY」と描かれたTシャツを見て うんざりしたり、プリンスエドワード島に行ってロブスターを 食べたり、アガーテのアリアにまだ見ぬ暗いドイツの森を 想った過去の私は、全て死者の世界に属している。  そのことを、連続よりは断絶の文脈において捉えたい 今の私の気分がある。 2002.8.13.  ここの所読書の快楽に浸っていて、暇があれば活字を追っている。  ついに、家から最寄り駅まで行く道の上でも、二宮金次郎するように なってしまった。  酒井邦嘉 「言語の脳科学」(中公新書)。これは、 チョムスキーの理論を基盤にした、いい教科書だった。  東浩紀「動物化するポストモダン」(講談社現代新書)。 諸点なるほどと思う。    <ヘーゲル哲学は一九世紀の初めに作られた。そこでは「人間」とは、 まず自己意識を持つ存在であり、同じく自己意識を持つ「他者」との 闘争によって、絶対知や自由な市民社会に向かっていく存在だと規定 されている。ヘーゲルはこの闘争の過程を「歴史」と呼んだ。  そしてヘーゲルは、この意味での歴史は、一九世紀初めのヨーロッパ で終わったのだと主張していた。(中略)というのも彼は、ちょうど 近代社会が誕生するとき、まさにその誕生こそが「歴史の終わり」 だと宣言していたからだ。(中略)コジューヴは、ヘーゲル的な歴史が 終わったあと、人々には二つの生存様式しか残されていないと主張 している。ひとつはアメリカ的な生活様式の追求、彼の言う「動物 への回帰」であり、もう一つは日本的なスノビズムだ。>  このあたりの話を、五反田の「さくら水産」で田谷、柳川、長島と 喋ったら、田谷は「萌え」を知らなかった。  柳川のホッケの食べ方を見ていると、どうも妙である。普通は背骨を まず外すか、背骨に沿って肉を外すと思うのだが、柳川は  ばきばきと一切を無視して骨と肉を一所に切っている。  あれれ、と見ていると、背骨を肉と一所に口に入れてもぐもぐ している。  そこで手許の酒に注意が行ってしまったので、骨がどうなるか 見届けられなかった。  山手線の中で、いや、柳川の性格には意外な側面があるのかもしれない、 ホッケの食べ方にそれが現れている、とさっきの話をしたら、 柳川が  「須藤さんにも、ホッケの食べ方に愛情が足りないと言われました」 と言う。  骨はそのまま食べてしまうのだそうだ。  デートした時に、相手が骨バキバキを素敵と思うかどうかが ポイントだなと言うと、「微調整するから大丈夫です」と柳川。  8月下旬、GlasgowのECVPで発表するシミュレーションも微調整 しなければならない。  骨バキバキという感じで、シミュレーションの着地点を 見切って欲しい。  今日は二宮金次郎をしながらアンナカレリーナを読みたい。  動物化するポストモダンに戻って。ヘーゲルの歴史認識には共感する。 最近いろいろな人とヘーゲルの話をする。カントに比べて評価されて いないのだそうだ。現代と対決するためには案外「精神現象学」 かも知れない。前夜、寝る前にページを捲ったのは「方法序説」だった。 盛夏はキリリとしたものが読みたくなる。 2002.8.14.  「大きな物語」がなくなったと良く言われるが、 そんなことはない。  私たちの身体を含めて、全ての物質は自然法則に従って 動いており、そのうちの神経細胞と呼ばれる 物質系の変化に従って、私たちの主観的体験が生まれる。  この「大きな物語」の中で、私たちは生きている。  確かにクオリアの固有性は依然として謎である。  しかし、その部分だけ、「なぜだか知らないが、クオリアが未知の 形式で生まれる」というパッチを当てれば、物語は 完成する。  その網の外に逃れ出るものはない。  そんな話を田谷文彦君としていたら、「もしそこにパッチを 当ててしまって、解くのを諦めてしまったら、もうやることは ないですね。」と田谷君は言った。  松岡正剛さんの編集工学研究所を訪ねる。  夜遅いというのに、皆仕事をしていた。  松岡さんは原稿に直しを入れているところで、 しばらくお話しした。  屋上からは六本木の変化していくスカイラインが見え、 風が吹き抜けていった。  神宮外苑花火の音がしていたんですよ、と案内の人が。  世間はお盆で静かであり、私はその静かな東京の街を歩きながら 大きな物語と、そのほころびについて考えていた。   2002.8.15.  東京に日常的に出てくるようになったのは、15の春のことだった。  埼玉の田舎で育った私は、世田谷の高校に通うことになって、毎日日比谷 線を端から端まで乗っていくことになったからである。  もちろん、それまでも休日などにあそこ、ここと出かけてはいたが、 生活の中に「東京」が入ってきたのはあれが初めてだった。  あの15の春、教室の中で笑いさざめいていた クラスメートが、おそらく実質的に 東京というものに出会った最初だった。  それから、高校で3年、大学で11年、その後もイギリスに 行っていた2年間を除けばずっと「東京」にいた。  だから、「東京」というものに浸るという行為はすでに完結して いて、もはや新しい断面もあるまいというように思っていた。  それが、車で都心を動くことが出てきてからまた風景が変わった。  もちろん、タクシーに乗ることはしばしばある。だから、 点から面への理解が受動的から能動的になっただけの話なのだが、 何か、とてもフレッシュな気分がする。  新しい都市に移住して来たような気がする。  私は、少なくともずっと観念的には、「東京」から逃走したい というようなことばかり考えていたように思う。  最近になって、一回りしたというか、考えてみると、仕事も 遊びも、友人も思い出も全てこの街の中にある。  つけ込んでいた魚がいい感じにこなれて、この街が好きだ と思えるようになってきた。  そうなるのに、20年以上かかったかと思うと、 長すぎるような気もするし、もともと都市と人間の 関係というのはそういうものであるような気もする。    開高健の『珠玉』の中に、セーヌ川から歩いて10分の 所に住んでいながら、もう40年もその流れを見ていない老人の ことが出てくるが、都市という窪みに満ちた多岩地帯では、 そのようなつくりものめいたfableもあるかもと思わせる。  都市の風景を描くのはムズカシイと丸谷才一は野坂昭如に 言っていたらしい。    近年、都心にマンションが増えてきて、その中で全てが 収まるような生活空間ができあがりつつある。  もともと、町内毎に寄席があった江戸、明治、大正あたりの 東京はそのような場所であったような気がするし、  ロンドンの美質もそのあたりにあるような気もする。  ネオ東京がどのように変貌して行くのか、 その中での自分の生活とともに少し思い浮かべてみる。 2002.8.16.  南アジアの二つの大国が再び緊張している、とのニュース。  しばらく前の日記で、二人のさえないおっさんがボタンを押すと 1200万人が死ぬという状況をどう思うか、こんなおっさんたちに 運命をゆだねていいのかと書いたら、  それを読んだ本郷の哲学科の魚川くんが、「国家というものには もう少し切実なものがあるのではないか」と言った。  確かにそれは判っているのだが、それでも敢えて書きたかったので ある。  この前、東浩紀さんと喋った時に、文系の人たちは なぜそんなにお互いの言説を気にするのか? という話になった。 文系は、客観的な真理を記述するだけではなくて、performativeな 言語行為としての性格がある。だから、自分の言説の流通への志向を 含めて議論するのだと東さんが言った。そうかと腑に落ちた。    このperformativeというのは、社会的な発話行為を定義付ける 際に確かに鍵になる概念だなと思う。  私が、インドとパキスタンの両首脳を揶揄する時、両国の 政治状況に関する客観的な真理を言っているのではなく、 ある種の事大主義に対する反発としてperformativeに言っている。  昨今の日本ハムの問題を、どちらかと言えばそんな制度を作った 農水省と、自分のことは棚に上げて騒ぎ立てる消費者ファシズムに おいて議論したいと思うのも、客観的に日本ハムに非が ないという意味ではなく、performativeな意味においてである。  社会的な言説は、performativeであるということを認めた 瞬間、立場によって言うことが変わるのは当然であるということに なる。  「部屋が暑い」という人と「部屋が寒い」という人の間でクーラー をどうするか、喧嘩になる。「暑い」「寒い」が客観的なstatement ではなく、performativeなものであると考えれば不思議ではない。  大東亜戦争、原爆投下、9・11、狂牛病、教科書問題・・・ これらの問題についての言説も、客観的真理を巡っての争い と考えるより、performativeな言説だと考えた方がもっともらしい。  思うに、このような社会的、歴史的事象において客観的真理が 例えあったとしても、それはあまりにも巨大、複雑すぎて、 なかなか言説に定着しがたいところがあるのではないか。  だから、人々はperformative sentenceというsound biteで対処しようと する。  テレビで10秒で言わなければならないコメントだけがsound biteなの ではない。  歴史問題に関する、100ページの論文でも、歴史という複雑巨大な 事象の全体から見れば、所詮はsound biteなのである。  青年期、私は、performativeな言説の政治的な匂いを本能的に 嫌って避けたように思うが、いまとなっては、巨大な氷山にしがみつく 人間というけし粒の必死の世界定着への努力であるようにも思われる。    トルストイの「アンナ・カレリーナ」、現在5分の1。最近、 この作品に現れているような、奇をてらわない偉大さに引かれる。 2002.8.18.  大阪で乗り換えて、福知山線というのに乗った。  宝塚を超えたあたりから、山の気配が濃くなる。  三田駅で降りて、タクシーに「関西大学セミナーハウス」 へ行ってくださいと言うと、「セミナーハウス」は3つあると 言う。  北大の河村さんに電話して、「関西地区セミナーハウス」 というのがそれだと判った。  車は、田圃の中の細い道を飛ばす。  ここには、10年以上前に一度生物物理夏の学校で来たことがある。 今度は、生化学夏の学校である。  会場に行くと、林衛さんや長谷川真理子さんの姿が見える。  長谷川さんたちと、午前4時まで飲む。  京大の中西重忠さんといっしょに脳神経分科会。  これを企画したのが、北大の河村崇史さんなのである。  中西さんのmGLRのreviewを非常に興味深く聞き、その後 60分喋った。  夏の学校。当時堀田研究室の伊藤圭たちと、理学部一号館 でああでもないこうでもないと企画した覚えがある。  あれから十数年。集まっている大学院生たちを見ると、 あのころの自分はどうだったかということを思い出す。  まだまだ、ナトリウムは水の中で爆発的に反応して、 皮膜を作る時期ではない。 2002.8.19.  有楽町マリオンの下の地下鉄通路に、カレーと寿司が向かい合う カウンターがある。  学生の時、カレー屋の方に良く来た。映画を見る前、 歌舞伎を見る前など、食券を買ってカウンターに座った。  いつも一人で、誰かと連れだって行った記憶はない。  もう10年くらい行っていなかったが、新幹線を東京駅で降りた 時に、何となくそこに行って見ようと思った。  有楽町で降りて、マリオンの谷を抜けて階段を下りた。  寿司は回転になっていて、カレー屋の方はグリンピースが 入るようになった。  それ以外は何も変わっていない。  あの頃よくそうしていたように、カレーを食べ終えた後、 隣の本屋をのぞく。  加藤陽子著、「戦争の日本近現代史」(講談社現代新書)を買う。  そんなことをしたせいか、大学院の時に予備校講師のバイトをしていた 郊外の駅の近くにあった、「江戸寿司」という店のことを思い出した。  いつ行っても客がいない店で、オヤジさんと、オカミさんが 二人でやっていた。  当時、二人とも50前後か、オカミさんは黒縁の眼鏡をかけ、 ピクミンのチャッピーのような顔をしていた。  一度、予備校の校長が金の先物取引でもうけたと言って、 お好みの寿司をおごってくれたことがある。  それ以外は、いつも握りの定食を食べに入る店だった。  ある時、少し遅い昼食をとろうと店に入ると、 やはり誰もいなかった。  奥に3畳くらいの座敷があって、そこにチャッピーのおかみさんが いた。  私が入ってくるのを見ると、顔を上げて、ぬっと笑った。  その時の笑顔が、不思議なことに忘れられず、今でもこうして 時々思い出すことがある。  その時、おかみさんは、客が来ないというので、その座敷でジグソー パズルをやっていたのである。  ピースの多い難しいパズルではなく、300ピースくらいの、 簡単なやつだったと思う。  それで、ああ、客が来たというので、顔を上げて笑ったのであるが、 その笑顔が忘れられないのである。    あまり流行らず、客が来ないこと。昼間からジグソーパズルを やっていること。そのような全てを、ばさっと捨ててしまって、 ただその幸せに浸っているような、そんな笑顔だった。  自分の生活条件を常に神経質に振り返らざるを得ない、せわしい 精神が当然の現代において、あの少女のようにナイーヴな笑顔は、 実は希有なことであったと、十余年経った今思うのである。    機会があったら、行ってみたいと思うが、 あの店は無事に現代を生き延びているだろうか。   2002.8.20.  今朝は涼しいと、小雨の中走り出す。  いつものように養護施設の横のダチョウの囲いを見て、 「たんぽぽ公園」まで戻ってきたところでふと足を止めた。  ブドウの棚があり、見上げるとマスカットのような色の葉が ツタの上に配列している。    その葉の一つの裏に、緑色のカマキリがいた。  ブドウのツタと一つながりのような曲線で身体を曲げ、 葉の裏に優美なフォルムで止まり、揺れている。  この姿勢は、雨宿りの機能しか果たさないだろう。 あの葉の裏に、獲物が飛んでくることはないだろう。  それにしても、このカマキリのあのぷくっと充実した身体は、 今まで彼が補食した数多の昆虫の身体によって購われているわけであり、  茶色や、黒や、緑や、いろいろな昆虫の身体の分子が、 このカマキリの身体の分子に転化されたわけであり、  残忍であることが、このカマキリにとっては優美に生きるという ことと同じ意味なのであり。  明け方に夢を見た。  自分が野生動物と化して、概念空間の中で狩りをしている。  駆られるものは、水面にきらりと輝くサーモンの赤い婚姻色 であったり、  あるいは、暗い密林の中の蝶の目玉であったり。   ああ、世界は美しい、訴求力のある質感に満ちている!  それらの概念的な質感を追いかけながら、私は身をくねらせ、ネジレ、 流れる。  目が覚めて、私はカマキリになったんだなと思った。  CSLで増井さんや高林さんと話す。  高林さんは、私がアンナ・カレーニナを読んでいることを知っていて、 これがいいです、ジャン・クリストフがいいですと言う。  ベートーベンがモデルになっているらしいですと言う。  それだったら、私はトマス・マンの「ファウスト博士」を途中まで 読んで止めている。これも音楽家が主人公だと答える。  増井さんが、「これがとても良くできていた」というので、 「初恋の来た道」のDVDを借りる。  柳川、田谷と、24日(土)から出かけるGlasgowのECVPと、 その前に論文を提出しなければならないICONIPの内容について 議論。  柳川は、理想を高く設定し過ぎて座礁しかかっているように思えたので、 このmodelのset-upだとこうするしかないんじゃないかという 線を空中に概念クレヨンで書いてみる。  概念空間の中で狩りをするという意味では、カマキリも 我々も一所である。  概念に対しては、我々はもっと残忍になってもいいのではないか。  アンナ・カレーニナは2巻の半分。まだ農事家は二回目のプロポースを していない。 2002.8.21.  最近、どうも目覚める少し前に、頭が概念的に活性化する。  今日も、創造性においては、変化よりも、同一性が維持される ことが重要だという観念が、火山の下のマグマの流れのように うねうねと頭を満たした。  外形的に何が起こるかということに、リアリティを感じない 日々が続いている。  むしろ、頭の中にどのような観念を感じるかということが 「体験」の主要な部分であるように感じる。  街でふとタクシーに乗り込む女性を見る。  そのような表象も、現実に起こっている物理的な現象というよりは、 むしろ一つのエニグマであるように感じる。  一体、世の中に、クオリア問題、言語の意味論、認識論と存在論 の交錯領域以外に、nontrivialな問題が残っているのか?  タクシーに女が乗り込むということは一体どういうことなのか?  私は考え込んでしまって、  はて私は何をどうすればいいのだろうと途方に暮れる。  今でもジジイ化してはいないつもりだが、青年期と 何が変わっただろうと考えていて、はっとしたことがある。  明らかに変わったことがある。  それは、「今すぐ全てを!」という感情の表出がどれくらい あるかである。  随分辛抱強くなったというか、この瞬間に全てが解決されなければ ならないということを要求することが少なくなった。  それを人は成熟というのだろうが、それではいけないと 思い出したのがこの2−3日である。  もっとも、「今すぐ全てを!」という感情の内実については、 青年期よりもよりリアルに見つめることができる。  「今すぐ全てを!」と思って、何か行動して実現するという わけではない。  この感情は、もっと無限定なものであって、  大地、空気、概念など、拡散的な対象に広がっていくものである。  それが、生きるということを駆動する形式にも 間接的、ないしは伏流的なものがあって、  そのことについて考えつつ、  この感情を少し抱卵してみたいと思うのである。 2002.8.21.  どうも、日本ハムを巡る報道が気持ち悪くて仕方がない。  税金を詐取したというのなら、それを返還させて、 刑事罰を必要ならば課せばいいだろう。  それと、シャウエッセンとか、ハムとかとどのような 関係にあるのか?  新聞記事を読んでいると、記者が何も考えないで書き流している ことがわかる。  一番腹が立つのは、「世間がこれで許してくれるかどうか?」 「世間に対して申しわけない」 といった発言を引用した記事である。  なんだ、その世間って?  町内会新聞に載った町会長の挨拶じゃあるまいし、 700万発行の新聞が、 そのような無定義発言を何の批評的スタンスもなくて流して良いのか。  そりゃあ、当事者が何となくそういうことを言いたくなるというのは 判るよ。  しかし、それを無反省に書くだけじゃ、本来社会的言説とは 言えないだろう。  私は文春の回し者ではないが、こんな記事ならこども新聞の記者 でも書ける。  レベルが低すぎる。  そもそも、本当に悪いやつらはどこにいるのか?  こういうくだらない制度をつくった農水省と、働きかけを 行った政治家(MとかSとか)ではないのか?  そういうことを調べて書かないんだったら、新聞記者などいらない。  Informationではなく、disinformation(目くらまし)ばかり 流さないでほしい。  私はすでに、牛乳を買うときには雪印を買うことにしているが、 今後は肉製品は日本ハムを買うことにする。  肉は肉だし、ミルクはミルクである。  即物的に買って、即物的に飲んで食えば良い。  だいたい、自分たちのことは棚に上げて、鬼の首をとったように 騒ぎ立てる「世間」の人たちよ、  もう少し自分の頭で考えたらどうか。  世間に雷同するより、  「世間なんて知ったことか」と生きる方がカッコいいぜ。  だいたい、おれが世間だ、という人を見たことがあるかい?  オレは見たことがないねえ。  だったら、そんな幽霊みたいなものは早いとこバスターしちまいな。 2002.8.22.  本当に秋らしくなった。  空気が肌に2ヶ月のコントラストをもって感じられる。  柳川くんのECVPとICONIPの締め切りが一所に来て、 彼はせっぱ詰まっている。  Journal Clubで、Progress reportをやったのだけども、 どうにもうまくまとまらなくて、延々と議論になった。  おかげで、Arnaudのreinforcement learningの progress reportを忘れて、  長島くんが「茂木さん、忘れてますよ! ひどいなあ」 と言わなければならなかった。  結局、何とかなりそうだというような感じになったが、 依然として、揺らぎを独立の因子としてコントロールできるのか どうか不明。  一番議論になったのが、Aという状態とBという状態を 交互にやるというsimulation設定で、  これはこれで生かしてseparateしたものは別にやろうということに。   24日から出かけるGlasgowのpubで、また延々と議論することに なるかもしれない。  米粒が沢山あつまるとご飯になるように、そのような活動が 沢山集まって日常ができる。  子供の時、ふざけて米粒一つ一つを箸でつまんで眺めたことが あったけれども、  たまには、自分の人生という 時間の流れの中の米粒を、じっくりと目の前において、 あちらこちらから眺めて見たくなることがある。  恐らくスケール不変であるということが、一番潜在的に恐ろしい。 2002.8.23.  参宮橋駅で降りることは、人生でそんなに何回もないような 気がする。  蕎麦屋はないかと歩いていると、ふとマクドナルドが 目に入ったので、例の「平日○○円」というのがやりたくなって、 入ってチーズバーガーとコーラのRegularを注文した。  お金を払ってから、○○は幾らだったのだろうと看板を 見ると、79と書いてある。  1分くらいで食べてしまって、コーラを飲みながら 元オリンピック選手村に向かった。  中央棟に入ると、EDAの長島さんがエレベーターの 前でぱっと手を挙げる。  時間を見ると、もう10分前である。遅れると 思って、待っていらしたのだ。しまったと思う。  513研修室に入って、iBookからの出力をチェックして、 「他人の心がわかる」とはどういうことかという話をする。  要するに心の理論の話なのだが、最近気になってしょうがない 断絶の問題である。  EDAはソニー教育財団のブランチで、井深さんが作った もともと早期教育に関心のある人たちの集まりである。   終了後、懇親会に出て、菊池さんや町田さん、長島さんと 赤ワインを飲んで現代の教育について歓談した。  懇親会でたくさんの人とお話するよりも、やはりこっちの方が ほっとする。  新宿駅を降りた時、ルミネの中の青山ブックセンターに しばらく行っていないなと思った。  思わぬ発展を見せていて、セレクトした妙な漫画のコーナーや、 同人誌のコーナーがある。  思想のコーナーも充実している。  このような本屋の中にいると、気持ちが落ち着いていく。  ツタヤの書籍売り場を歩いていて、だんだん気持ちが荒んで行くの とは対象的である。  もっと頻繁に来ようと思いつつ、思想コーナーにあった 郡司ペギオ幸夫の「生成する生命」を買ってエスカレーターを 降りながらもう読み始めている。  全く郡司そのものだなと思いつつ、その瞬間から、昼間の私を 支配していたモードとは全く違ったモードに入って行く。    懇親会でどのように話すべきかという問題にも、 実は考えるべき旨味が詰まっている。  日常の様々な一見些細な問題群の中にも、考えるべき旨味が 詰まっている。  例えば、マクドナルドでセットにしてポテトを食べながら 歩いていくべきかどうかという問題とか。    何だか郡司にしばらく会っていないなと思う。 2002.8.24.  CSLの近くにチェゴヤという韓国料理屋がある。  そこに田谷くんと柳川くんと入った。    今日から28日までGlasgowに行く。  European Conference for Visual Perceptionで、田谷、柳川と発表する ためである。  柳川は、そのためのsimulationでテンパっていて(ここ3ヶ月 くらいずっとテンパっていて)、  それでも、ばんとデータを入れて結果待ちになったところで 夕飯を食べに行こうということになったのである。  チェゴヤに向かいながら、Glasgowは楽しいぞ、Pubに入って うぐうぐ飲もう、などと言っているうちに、そんな気は なかったのだがビールが飲みたくなった。  しかし、柳川くんは飲むと眠ってしまいそうである。  だからといって田谷くんと私がガマンするのも何である。  だからと言って柳川くんまで飲むと眠ってしまいそうである。  どうしよう、という気分を引きずってチェゴヤに来た。  メニューを見ていて、この何とかクッパというのにしよう、 と手を挙げて店の人を呼んでいるうちに、はっとひらめいた。  「生ビール、ジョッキ2つ、グラス1つ!」  向かいに座っている田谷くんが笑い出した。  私は、となりの柳川くんの肩をぽんと叩いて、 「悪い悪い、グラスでガマンしてね」 と言った。  やがて、二つのジョッキと、それに比べると本当に小さく見える グラスが一つ来た。  クッパはうまく、うぐうぐ、はあはあしていると、 隣の席に暦本純一さんとインタラクション・ラボの人たちが 座った。  柳川くんは、午前6時に家を出る。その前に結果を送ります というので、私は午前4時に起きた。  それで、「今起きたよ」というメイルを入れると、  すぐに、「いま刺激を両方からいれて様子をみているところです。」 という返事が来た。  ああ、眠っていないんだな、と少し可哀想になった。  と、こんなことを書いていたら、「methodのところだけでも checkしてください」とメイルが来たので、 一時中断してパワーポイントのファイルを見る。  ガンマ関数のようなhistogramがちゃんと書けていた!  これで第一喚問は突破である。  表現の直しをメイルで送る。    さてさて、一息入れてコーヒーを飲む。  どうも、チェゴヤで食べたクッパの辛みがまだ身体の中に残って いて、  げに唐辛子はオソロシキかなと思う。  そんなことを考えたら、お腹が空いてきた。 2002.8.25.  イギリスは2年も住んでいたんだから、 第二の故郷という感じがするのは当然か。  Heathrowに降り立った瞬間、落ち着く感じがする。  飛行機の中では、The Time Machineを見る。  Plotはむちゃくちゃだが、美術的には見るべきものがある。  Time Machineの周囲で地球の風景が変わっていくところや、 「猿人」の造形など。  しかし、「過去は変えられない」というせっかくのphilisophyを 支えるplotがあまりにもちゃちすぎる。  翌朝残らないのがいい酒である。   ならば、見てその場で印象が消えて、2日後には何も 残らないハリウッド映画は、いい酒であるという皮肉な見方もできるか などと最近考える。  Hertzで車を借りて、柳川くん、田谷くんとCambridgeへ。 いつも、M25を出るのが時間がかかるように感じるのだが、 考えてみるとM11に入った後はもう40マイルくらいなのだった。  Cambridgeにはまだかろうじて明るいうちに着いて、 Grantchester meadowに行く。  TuringやWittgensteinが散歩しながらいろいろ考えたところである。  私は、牛を見ながら歩き、パブでの最初の一杯のことを考える。  むかし、自分自身も散々懲りたチクッとする草を見付けたので、 柳川君にふざけて、「これ触ってごらん」と言う。  柳川は触るが、「何ともありません」 と言っている。  あれ、おかしいな、メカニカルな痛みというよりも、 ケミカルな痛みになるはずだけど、と言っているうちに、 やっぱり痛くなったらしい。  痛い、だんだん痛くなってきた、と言いながら歩いている。 その様子を、田谷君がビデオで撮っている。  オレが悪いんじゃない、柳川が本気にしないからいけないんだと 嘯いて、それから、車で5分のCambridgeの街に行った。    Trinity Collegeの暗闇を歩き、後ろの川の気配を感じ、Physiologyの キャンパスを歩く。CrickとWatsonが「二重らせん」の中でDNAの 構造について議論したThe Eagleに入り、最初のパイントを飲む。 IPAに決めている。The Eagleで好きなのは、一番奥の、飛行機を モチーフにした部屋である。  「ここに来るたびに、畜生、クオリアの問題を解いてやるって 思うんだよね」 と、WalkerのCheese & Onionの crispsを食べながら言う。    一晩寝て、部屋の前に届けられたThe Independentを読み、紅茶を 飲むときに、ふと、「やったろうじゃないか」と思った。  何をやるかというと、とりあえずケム川を散歩してその 後朝食をとってからのことである。 2002.8.26.  学会会場のあるGlasgowに来た。  1994年8月以来である。  あの時の生理学会で、初めてHorace Barlowに会ったのだった。   時は流れ(川の下をたくさんの水が流れ)、 Glasgowの街にはシドニーオペラハウスのような 流線型の建物が出来ていた。  朝食の席でも、車の中でも、飛行機の待合所でも、 ずっと柳川君のsimulationの話をしている。  相互抑制を入れていないんだったら、いっそのこと 片方だけにしてしまえとか、  全体の平均ではなく、ローカルの平均を見ようと いいながら、  コーヒーを飲み、ハンドルを回し、芝の上を歩く。    Heathrowを飛び立って、うとうとしてはっと気が付くと、 くねくねと見覚えのある形に曲がった川があり、 あのあたりと見当を付けた所を見ると、London Bridgeがある。  ところが、それから高度がなかなか上がらない。  精々数千メートルのところを飛んでいるような気がする。  はっきりと畑の境界のつくる奇妙な線を見ながら (朝、St. John's Collegeの図書館前で田谷くん、柳川君と見た Penrose Tilingと似ていないこともなかった!)   このままずっと見て行こうと思っていたら、やがて 綿々の雲が出てきて、私の意識も霧の中に消えていってしまった。  Cambridgeと東京のQualia問題を考える時の感覚は、何となく違う。 Cambridgeでは、世界の森羅万象の変化を微分方程式で記述した ニュートン、計算機の一般理論をつくったTuring、言葉の意味論 について深く考察したWittgensteinなどの伝統があるから、 (その多くの人名は、Trinity Collegeのチャペルの記銘板に見ることが できる)Qualiaについて考えること、その解決を期待することが、 あたかも内在化した、身体の中に漂う霧のようなものに感じられる。  一方、東京では、人々の中にこのような原理的な困難について 長い間考え抜こうという志向があまり感じられない代わりに、 そのような問題があることに対する生き生きとした、敢えてその 言葉を使えばやじ馬的な関心がある。  こんなにも、場所によって考える時の内的感覚が違うのかと、 GrantchesterのOrchard Gardenでお茶を飲んで、その後ケム川 沿いのKing's College所有の牧草地、すなわち Grantchester meadowを再び歩きながら思った。  この牧草地は、「今自分がその中にいると思っている広大な 風景も、私の脳のニューロンが作り出した脳内現象に過ぎないのだ」 と思い、生きている限り、意識ある限りどこへ行こうとも一生 この狭い頭蓋骨の中に閉じこめられたものとして「私」が 存在するということに気が付き(もちろん、論理的な話としては 前からそう思っていたが、身体の隅々まで霧が行き渡る ような体験として気が付き)、衝撃を受けた忘れられない場所である。    いろいろなところを漂流しつつ、脳内現象としての私は、 結局同じ一つの問題を巡ってぐるぐるぐるとしている。  Glasgowでサーモンを食べ、ワインを飲んでいる時も、 同じ場所でぐるぐるしている。 2002.8.27.  毎日のように、目が覚める直前に見ていた夢が 起きがけの気分を決定する。  昨日は、誰かと意識について議論していて、 「私の見ているこの赤と、君の見ている赤が同じである、 ということを信じられるかどうかが問題だ。信じられないやつに 問題を解く視角はない」ということに同意して、オテロとヤーゴの ように肩を抱き合ってそうだ、そうだと合意した。  今朝は、まるでRPGのような世界にいて、 大きな犬が死んで、巨大なゴリラにならなくては 次に進むために必要な秘密が判らないのだった。  朝のテーブルでも議論して、歩きながらも議論して、柳川くんの発表は 無事終わった。  3人で、GlasgowのWest EndにあるThe Ubiquitous Chipという店にいった。  実際にはそれほど明るくもないのだが、まるで昼間の陽光が差し込む グリーンハウスのような空間に噴水がある。  その部屋の中にいるのもいいだろうが、その部屋をガラス越しに やや暗い部屋の中から見る我々の席も良かった。  ガラスの横に、夢の世界の貝殻の帆のようなランプがある。  このような空気感は、店の写真からはなかなか掴めず、 その中に実際に身を置いてみるしかない。 http://www.ubiquitouschip.co.uk  後ろのテーブルに、いかにもアメリカ人の男が二人がいて、 ウェイターに注文するたびに長舌告をする。  「グレンフィディッチをくれ。」  「グレンフィディックですね。」  「グレンフィディッチだ。こちとら、英語を喋っているのでね。 そもそも、スコッチウィスキーというものは。。。」  一人がトイレから帰ってきて、向かいの男にいう。  「一つがっかりすることがあるよ。トイレは、あのドアを出て、 ぐーっと回っていかなくてはならない。特に難しいのは、階段の ところだ。上がっていくのがつらい。」  確かに我々も飲み過ぎた。シェリーから始まり、リオハ、 シャトルーズ、またスペインワインとグラスが沢山テーブルの 上に並んでいる。  どれ、とトイレに立つと、くだんの階段はギシギシと 足に重かった。  The Ubiquitous Chipに行く途中のタクシーでも、帰りの タクシーでも、今度はICONIPに出す論文の議論をしている。  明日の朝は私は午前4時に起きるから、柳川くんはこれと これをやっておいてね、  と確か行きのタクシーの中で言ったのだが、 リオハやシャトルーズのせいか、ホテルに帰ってきて、 エレベーターの中で「あれと、それから。。。。」と確認しようと して二つ目が思い出せない。  柳川くんも思い出せない。  電話するわ、と別れて、部屋に歩いていく途中で思い出した。 「0.25から0.5と、0.5から0.75についても、空間分布を見て欲しい。」 と電話して、テレビをつけたら、ITVでカーペンターズの 特集をしている。  そういえば、カレン・カーペンターというのはいい声だったな と思っているうちに、頭の電気が消えた。 2002.8.28.  旅に出ることの美質の一つは、日常の夾雑物が落ちていって、 エッセンシャルなものの姿だけが見えてくることかと思う。    そのことの意味は、旅を重ねる度に徐々に解ってきたような 気がする。  帰国の飛行機に乗っても、あまり日本の新聞を見たり、 NHKニュースを見たりしたいと思わなくなった。  道路公団の話は今Criticalな時期を迎えているようだが、 本当のエッセンシャルは別のところにあると身体に染みこむ のである。  ところが、日常に帰ると、次第に夾雑物が 再び次第にまとわりついてくるのだけれども、そのかわしかたも だんだん判ってきたように思う。  GlasgowのScience Museumで、認知系のデモを幾つか見た。 お湯のパイプと水のパイプが互い違いになっているものを握るのは、 実は初めて体験した。  解説のプレートにも書いてあったのだが、実は熱く感じるのではない。 むしろ、熱さ、寒さの感覚から独立した、「何かextremeなもの」 を触っているという感覚が立ち上がる。  これは何なのだろうと、何回も握っていると、子供を連れたお母さんが 不思議そうに見ていた。  強いて言えば、イラガの繭を誤って触ってしまった時のぴりっと する感覚に似ている。もっとも、あのようなあとを引く感じはない。  柳川くんと田谷くんはあと2日間学会に出るけれども、 私はもう帰る。  昼食をとるパブで、初めて一人になった。  学生とわいわいやるのもいいけど、こうして一人でいるのもいい。 Scottish Royal Bankの建物を改造した、The Counting Houseというその Freehouseは、巨大な吹き抜けのドームの天上から陽光が差し込んで、 その下で人々がそれぞれの時間をやり過ごしている。  フィッシュ・アンド・チップスをカレドニアンというエールで 流し込みながら、  このような時間に人生に酬われたと感じるのだなと考える。  成田エクスプレスに乗ろうとしたら、私の前で時間切れになって、 そのあとにきた、一日一本のウィング・エクスプレスという レアものの列車に乗った。  最近では見掛けない、古典的な特急車両である。  そして、これを書いている。  横机にはFast Food Nationがある。FeynmanのThe meaning of it allと Six easy pieces、小説The Alchemist、Allan de BottonのThe Consolations of philosophy.......空港の書店で、たくさん本を買った。  本当は、Scotlandのポンド紙幣がHeathrowでも通用するのか、 試したかったからである。  小柄のインド人女性は、大げさに紙幣を確認する。  長身のインド青年は、私がいったジョークに無感動で さっさと仕事をする。  どちらも、イギリスで見るインド人の一つの典型である。  レストランのインド人は、また違った感じになる。  このような典型が一体どのように生じるのか。  考えていることはあるが、ここには書きにくい。 2002.8.29.  帰国の日、飛行機を降りて数時間後、午後10時過ぎに 公園にジョギングに行った。  信じられないことに、まだ暑い。  じとっとTシャツに汗がにじんだ。  あんなに学生と食べまくったから、体重が増えていると思ったら 変わっていなかった。  考えてみると、ハードなスケジュールだったのだ。  柳川くんからのメイルに、田谷くんと往復2マイル走って ストーンサークルを見に行ったと書いてあった。  もちろんちゃんと仕事もしていて、下條信輔さんとChristof Kochの 話を聞いてMDに録っておいてくれている。  Prefrontalでルールを検出するニューロンの研究をした 人に質問したというので、柳川も進化したなと思う。  郵便がどっと机の上にあった。  講談社の「オブラ」に「未来のクオリア」について書いたのと、 新潮の「波」に湯川薫の新作「百人一首 一千年の冥宮」について 書いたのの掲載誌も届いている。  オブラは、編集の大場葉子さんにそそのかされていつもと文体を変えて しまった。  それにしても、未だ破られない最高速度の世界記録を持つ 蒸気機関車「マラード」やエジプトの ナカダ文化の「ヴェニス・ビーチのマドンナ」が大きな写真とともに 「未来のクオリア」と してデビューしたのは良かった、とパラパラと掲載紙を捲っている うちに、そうか、日常会話のリアルな感じを出す、という王道は 確かにあるなと思った。文体のことである。  誰も、文章のようには喋っていない。美しい文語体もあれば、 リアルな会話のテンポもある。  そのリアルな日常性をうまく掴むというのは王道としてあると 確かに思う。  編集者というのは恐ろしいもので、大場さんが何を考えて この文体で書くことを勧めたのか判らないが、  上の問題を考えるきっかけになっただけでも自分としては良かった。  「波」の方は、湯川薫の新作を「二重国籍者の文学」として評論 している。  仲間内の褒め言葉、ということ以上の意味が今回の文には込められている。  書いているうちに、20歳からの親友、竹内薫の資質が「二重国籍」 性にあるということに気が付いたのは大きかったし、実はそれも 私の資質でもあると改めて自覚したことも良かった。  意識化は、今年の春のピサからフィレンツェへの旅から始まっていて、 このようなことも旅の効用の一つかと思う。  二重国籍性とは、すなわち、一見相容れないように見える二つの世界に 生きる基礎を置くことである。  意図的にそうするというよりも、そのようにせざるを得なくなって しまうことである。  私の場合、定量的な科学の世界と、主観的な生活感情、芸術の 世界の分裂に悩む時期がずっとあって、そのことについて考え詰めた 結果として、クオリア問題への到達があった。  竹内薫の場合も、超ひも理論に基づく宇宙論で博士号をとる 合理性と、人間誰でも持つ深い感情の世界、非合理の世界の間で 分裂していて、その結実が最近「湯川薫」のペンネームで書いている ミステリーである。  竹内の場合、小学校の時ニューヨークにいたことから生じる 事実上の二重国籍性もあって、そのようなダブルバインドな状況が 彼の人生の波乱要因であると同時に、ユニークさの源泉でもあった。  そんなことをつらつら考えながら、買ってきたフォートナム・ メイソンのクッキーを食べていると、オレも地理的な多重国籍 性をもっと追求しなくちゃならん! と思うのだった。 2002.8.30.  夜、車を運転しながら、非常に珍しいことだけども、 巨人対広島のナイター中継をNHKラディオで聴いていた。  ふと、そうか、野球は昭和のスポーツだったのだなと思った。  確か南千住にあったのだと思うが、東京球場というのがあって、 そこに父親に連れていってもらったことがある。  ロッテとどこかが試合をしていたのではないかと思う。  監督が金田だった気がする。  それで、その時のスタジアムの雰囲気が忘れられない。観客が ぱらぱらと客席にいて、酔っぱらった親父がヤジを飛ばしていた。 私も面白くなって、「若さだよ、ヤマちゃん!」と大声を 出したら周囲の人たちが笑った。  それで図に乗って、何回か繰り返した。  スタンドを渡る風が心地よかった。  あの雰囲気が、もう過ぎ去ってしまった昭和なのだなと思う。  あのトランペットの応援歌が何とかならないかとずっと思っていたが、 昭和の化石なのならば仕方がないかと思う。  小津安二郎の「秋刀魚の味」の冒頭にナイター中継の場面があるが、 あの映画の中にあった野球は昭和の終焉とともにその最盛期を 終え、今は遺物として維持されているのかもしれない。    こんなことを思うのも、学生たちと野球の話をすることは全く ないからである。  院生たちは22−24くらいだが、彼らとの話題は圧倒的に サッカーであって、野球には殆ど関心がないのではないかと 思う。  そのことが実感として判る。    ちょっと酷だが、制度や活動としては依然としてあるけれども、 もう終わっている、という話は一杯ある。  たとえば、この前生化学夏の学校にいった時、  昔250名くらい来ていたのが80名くらいの参加者になった、 その理由は、研究室のボスが、夏の学校に行く暇があるんだったら 実験をしろと言うのだと聞いて、私は、ああ、そうか、生化学というのは 学問としては終わっているのかもしれないなと思った。  オリジナルなアイデアを持つことが重要なのだったら、 他者と交流し、意見を交換し、議論することは不可欠である。  たとえば、アイデアだけが勝負の物理の先生が、夏の学校に 行く暇があったら計算していろということはまずない。  2−3日計算しようが大勢に影響なく、 画期的な新しいアイデアを得てしまえば それで終わりだからである。  ワトソンとクリック、モノー、リボザイムのチェックあたりまでは生化学は 生き生きとしていたのかもしれないが、今や、単なるプロトコルの 競争になっているのかもしれない。  もちろん、分子を通して生物を理解するというアプローチがやるべき ことがなくなったのではない。  しかし、本当にエッセンシャルな問題は、もはや、システム論の方に 移っていて、そこでは、新しいアイデアが発見されるのが待たれていて、 それまではプロトコルの競争が延々と続くのかもしれないのである。  野球にも、かってワトソン、クリック、モノーの時代があったのだと思う。 終わったといっても突然また復活することもあるし、まだ先は判らない けれども、  そんなノスタルジアを感じてしまうラディオ中継ではあった。 2002.8.31.  上野動物園に行くと、ペンギン舎の前でソフトクリームを 買い、ペンギンを眺めながら食べるのを楽しみにしていた時期がある。  ペンギンたちが、水際に並んで、水に飛び込みそうで飛び込まない。  どれが最初に飛び込むか、その間合いを見て楽しんでいた。  やがて、一羽が飛び込むと、次々と飛び込む。  その習性を、特に不思議とも思わず、ペンギンというのはそのような ものなのだと思って眺めていた。    ある時、ペンギンのあの習性は、海の中にシャチなどの捕食者が いるかもしれないので、誰かが飛び込んで安全だと判るのを待っている のだと知って、そうか、チキン・ゲームの逆のペンギン・ゲーム なのかと納得した。  小泉首相が北朝鮮を訪問するというニュースに対するメディアの コメントを見ていて、なんとなくこのペンギン・ゲームのことを 思い出した。  「これで拉致問題が解決しなければ、コイズミさんもおしまいだ」 などとしたり顔にいうやつ、そのような記事を無反省に垂れ流しする 記者は、一体何が言いたいのか。  そうやって、最後まで飛び込まずに見ていたいのか?  とにかく行ってみるしかないのであって、それで何の成果も出なかった としても、それはそれだけの話である。  飛び込んでみないと判らないことがあるだろう。  そもそも、人が何かをしようとした時に、自分を安全圏において 評論するようなやつを信用しない。  そんなことを言うんだったら、自分で身体を張って何かやってみれば いいだろう。  それができずに安全圏に永久冷凍されているようなやつが、何を 言ったって私は相手にする気はない。  友人の竹内薫は、そういえば、あの頃から真っ先に水に飛び込む ペンギンだったような気がする。  まだ、出版社から本を出すということが想像も出来なかったある日、 竹内がふらりとやってきて、  「今度日経サイエンスから本を出すことになった」 という。  それが、竹内の処女作、「アインシュタインと猿」というパズルの 本になったわけだが、  私がどうやって出すことになったのだと聞くと、竹内は、  「いやあ、こんな本を出したいって、日経に電話して企画を 持ち込んだんだよ」と事も無げに言う。  その頃の私は、そもそもそんなことをするというようなことが 想像もできなかったから、  ああ、こいつはこういうところがスゴイんだ、と友人を見直した。  その時竹内の企画を取り上げたのが、「脳とクオリア」を出版して 下さった松尾義之さん(現在、白日社)である。  松尾さんは、一番最初に水に飛び込むペンギンの心意気を 買う人であったのだ。  「脳とクオリア」の企画も、私がケンブリッジでクオリア問題に 悩んで悶々としていて、それを読む相手がまさか「アインシュタインと 猿」の担当編集者だとは知らずに出した手紙に、暖かく反応してくれた ことで実現したのである。    私は、できることならば 真っ先に水に飛び込むペンギンでありたいと思うし、 他のそのようなペンギンたちに対しても、暖かくありたいと思う 夏の終わりである。