2002.9.1.  Red Lobsterという店に行った。  この前に行ったのは、20年くらい前になるのではないか。  その時食べたのが、何だかせこいテルミドールのような 料理で、その時の印象が強すぎて、「あそこは小振りの偽物の ロブスターを出すところである」と勝手に思いこんでしまっていた。  店に入って驚いた。水槽の中に、生きた 巨大なロブスターが沢山入っている。 その上に、「週に二回、ハリファックスから直送!」と 書いてある。  それで、ああ、ハリファックスならば信用できると思った。  Red Lobsterには悪いことをした。20年前、私は単にお金がなくて せこいメニューを選んでしまっただけだったのだろう。    プリンス・エドワード島には2度行ったことがある。  ロブスターは島の名産で、特に、『赤毛のアン』のグリーン・ゲーブルス があるCavendishから自転車で海岸沿いの道を行ったところの、 North Rusticoにある巨大なロブスターのレストランがお気に入りだった。  アペリティフに出るムール貝がおいしく、皆山のように積んで 食べていた。  これも、10年以上前のことである。  今では、カナダ本土とプリンス・エドワード島は信じられないことに 海上橋で結ばれてしまい、雰囲気も大分変わったに違いない。  その本土側にあるのが、ハリファックスである。  ロブスターのせいで、次々と昔のことを思い出した。  生まれて初めてスティームしたロブスターを溶かしバターで食べたのが、 ハワイ島のヒロのレストランだった。  日経サイエンス10周年の懸賞論文が当たって、他の数名の 方と一緒に東大地震研究所の中村一明さんとともに火山を見る旅に 出かけた。  ヒロ・ラグーンホテルのレストランで、さて、何を食べますか という時に、高校生だった私はの目は、「ロブスター」の文字に 釘付けになってしまったのである。  それで、回りの「大人」に遠慮しながら、恐る恐る「私は ロブスターがいいです」と言った。  一番高い料理で、当時で20ドルくらいした。  同行の読者の中で一番の異彩を放っていた松崎さんが、 「君、ロブスターはハワイで採れるものではなくて、東海岸から 来るものやで」と言った。  それでも、溶かしバターに浸されたロブスターの肉は美味しかった。  Red Lobsterで溶かしバターに肉を入れて口に放り込んでいたら、 あの時の松崎さんの声を思い出した。  ソニーのクリエィティヴの森宮さんと、なぜ匂いは強烈な 感覚を引き起こすのかという話をしていて、  きっとそれは身体の中に直接入り込んでくるからではないか という議論をしたのが先週である。  視覚情報は押しとどめて処理できるが、匂いや味は、 もっと無防備に身体の中に入ってくる。  そのことと、記憶の在処が、共鳴をするのだろう。  私は、Red Lobsterのテーブルで、ロブスターの肉を味わったのか、 遠い昔の記憶を味わったのか、よく判らない。 2002.9.2.  仕事と作業が終わって、さて小僧寿司で買ってきた マグロとトリ貝でも食べようかと座ると、  教育テレビに山下洋輔が映っていた。  やるかな、と思っていると、画面がオーケストラに切り替わって ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーに変わった。  音楽というのは、その社会、時代の何かが結晶化するものでは ないかと思う。  モーツアルトの音楽と、ザルツブルクのあの雰囲気はやはり 切り離せないような気がするし、  ラプソディー・イン・ブルーは、アメリカの都市の景観 (シカゴという感じがするのだが、絶対的な根拠はない)と 切り離せないような気がする。  山下洋輔がライブでこの曲を弾くのを見たのは、確か日野市 だったのではないかと思う。  塩谷賢夫妻と出かけた。  例の「ひじ打ち」を含めたパフォーマンスで、 ジャズ感がより強い演奏である。    その、もう10年くらい前の演奏のイメージを重ねながら、 テレビ画面を見た。  なかなかひじ打ちにいたらず、カデンツァと言っていいのか、 即興演奏のパッセージを丹念に弾いている。  最後の最後になって、やっとひじ打ちが出た。  一時期、この曲に会わせて踊っていたことがある。  エアロビだか何だか判らないが、またたびを嗅いだ猫のように、 ラプソディー・イン・ブルーを聞くとはね回っていた 時期がある。  事情を知る人からは、「怖い体操」と言われていたが、 この曲には其れくらい人を動かす何かがある。  深夜、新潮社の「考える人」の次の号の原稿に使うので、 バイロイトのヴァーンフリートにあるワグナーの墓の写真を 昔のハードディスクから吸い出して、Fetchを使ってweb上に置いた。  この墓には強い印象を受けていて、4枚撮ったが、1998年当時は まだCamediaを使っていたことなど忘れていた。  動かし難さという点から見れば、日野市の山下洋輔と ヴァーンフリートのワグナーの墓は同じ領域にある。  過ぎ去った過去の動かし難さというのは、一体なんだろうか。  ベランダに座って、そんなことを考えていると、 時間が流れて体験がどんどん動かし難い方向へと流れて行く。 2002.9.3.  残暑というのは、とりわけ、 「もうこれで終わり」と思っていたのがぶり返すと 心理的にキツイものである。  8月下旬のある時期、涼しくなって、「これでもう秋か」 と思うと、また暑くなる。  初夏の暑さが、物理的には酷でも心理的な新鮮さに満ちているのに 対して、  ぶり返しの暑さは、「まだ続くのか」というウンザリ感をもたらす。  要するに、同じ暑さでも、それに伴う感情は異なるという ことである。  関西に、鱧のおとしという料理がある。  真っ白な鱧の肉を、氷の上に置き、梅肉で食べる。  京都の鴨川のほとりの床で食べると、夏が来たという気がする。  ある時、鱧は何かに似ている、何だろうと考えていて、 はっと気が付いた。  まだ小学校に上がるか上がらないかのある夏、家の近くの 小川に裸足で入って、タナゴを捕っている光景である。  今ではドブ川になっているその川は、信じられないことに、 昭和40年代の前半は、まだ清流だった。  タナゴが住む、水晶のように澄んだその真砂のつめたい水の中に 裸足を浸している光景を思い出したのである。  それから、そうか、私にとって、鱧を食べるということは、 あの幼少時の、裸足を冷たい清流に浸すという行為の代償 なのだと思ったのである。  鱧を食べることが、今ではすることがなくなってしまった幼少時の 夏の冷たい清流の代償行為であると気が付いてから、私は あまり鱧を食べなくなってしまった。  鱧のミステリーは解かれたのである。    熟れた梅の実のような残暑の朝、鱧のことを思い出していたら、 少しは涼しくなったような気がする。 2002.9.4.  ある本の書評を書いていて、appreciateに対応するニュアンスの 言葉を使いたいなと思った。  しばらく考えていたが、どうしても判らなかった。  このようなことは、過去に何度もあったなと思った。  appreciateを辞書で引けば、認識する; 評価する; 判断する;  感知する; 味わうなどと書いてあるが、どれも違う。強いて言えば 「感受する」というのに近いのかもしれないが、まだニュアンスが 足りない。結局、この言葉を使うのは諦めた。  田谷くん、柳川くんとイギリスに行ったとき、朝ホテルで仕事を しながら、BBCのKilroyを見ていた。  長年続いている名物番組で、ニュースが終わった後、9時から 始まる。  スタジオに一般の人々が集い、Kilroyがコーディネートしながら 議論をする。  その日のテーマは、「主婦が、家庭に飽きたからといって、 夫や子供を捨てて独立してもいいのかどうか」 だった。  議論が白熱する中、ある参加者が、「私もそろそろsocial lifeを 持ちたいと思って」と言った。  これを聞いて、私は考え込んでしまった。social lifeに対応する 日本語がないと思ったからである。  一昔前ならば、「社交」と訳されたのかもしれないが、これだと 皮相的な、あるいは階級的なコノテーションが入ってしまう。  あの参加者が言っていたsocial lifeは、要するに一緒にお茶を 飲んだり、パブにいったり、様々な人と会って会話するという、 極めてコストの安い、気楽な関係のことだけれども、果たして それに対応する日本語の概念は何かということについて、すっかり 考え込んでしまったのである。    このようなことは、しばしばある。たとえば、英語のconstitutionは、 断じて日本語の「憲法」ではない。「憲法」が、文章化した具体的 ルールというコノテーションが強いのに対して、constitutionは、 一般的には目に見ることのできない、国を支える制度を指す。 その制度の一部として、文章化されたルールがあるに過ぎない。 従って、英国が「非成文憲法」だというのは、もともと非成文 であるものをわざわざ特例であるかのように騒ぎ立てているような もので、本当はおかしいのである。  このことに気が付いて以来、いかに私の世界の見え方が変わったか。  言葉というものは難しい。日々自分が使っている言葉の背後にも、 そのような深淵が広がっていると考えると苦しいような 嬉しいような妙な気分になる。   2002.9.5  引っ越しつつある。  もっと早く終わると思ったが、 結局朝から晩までひたすら段ボールに荷物を詰めても、終わりが見えず、 深夜に切り上げた。  引っ越しはいつもぎりぎりに追いつめられるのは何故だろう。  イギリスの下宿を引き払う時は、徹夜で部屋を片付けて、 最後に残った食料品をテーブルの上にひとまとめにして、  「もう10分でヒースロー空港へのタクシーが来ます。これ以上 キレイにはできません。お世話になりました、さようなら」 と書き置きをして出てきた。  「500ポンドの敷金はいいです」と書いて、 逃げ出してきた。  もちろん、そんなヒドイ状態で出てきたわけではなかったが、 イギリスのスタンダードでどうったのかは知らない。  オーナーは、私が出た後すぐ、家を売り払ったらしい。  一日中、ずっと段ボール詰めや移動の肉体労働を していたら、胸筋のあたりがぽかぽかと 暖かくなってきて、  こういうのを一週間も続けたら肉体改造になるだろうなと 思った。  普段肉体労働をあまりしないから、 身体がびっくりしている。  引っ越しの過程は好きではないが、引っ越し終わると 引っ越して良かったと思うのが通例である。  所有の概念などについていろいろ考えたのだが、 もう引っ越しトラックを迎える準備をしなければならないので、 「クオリア日記は今日はこれでいいです」 と書き置きして家を出る。 2002.9.6  何か仕事に集中している時に、ふっと自分が消えていたことに 気が付くことがある。  消えていたということに気が付くのであって、これから消える、 あるいは今消えているということに気が付くのではない。  「自分」ということに関する情報処理は、本来 贅沢なもので、ここぞと「テンパって」いる時には、 そのようなluxuryに計算資源を使う余裕がないということなの であろう。  あの忘我の時間の流れというのは、あたかもこの世界から 自分が消えてしまっているようなもので、もったいないような 気もするし、他の世界に自分が行っているのだから、 得をしているような気もする。  一歩進んで、「心ここにあらず」という言葉の意味を考えると、 実はそれは重大なことを意味しているような気がしてくる。  そもそも、私たちの心は、「どこに」あるのだろうか。 何となく、物理的な脳と同じ「物理空間」の場所にあるように 普段は思っている。確かに今私が見ている机は、物理的に 私の近傍にあるものだし、外の雨を触れば濡れる。濡れるのは 近接、接触するからである。    だが、そのような感覚的な領域から、「志向」の領域に 至ったとたん、心がどこにあるのか判然としなくなる。  この一週間、私は、バイロイトのワグナーの墓のことを 思っていた。プリンスエドワード島のロブスターレストラン、 ハワイ島のヴォルケーノハウス、「江戸寿司」のジグソー パズルのおばさんのことを思っていた。時間的にも 空間的にも、心は「今、ここ」から遠い所を彷徨っていた。  このようなことを、私たちは単なる「比喩」として 捉えがちで、心は「今、ここ」に歴然としてあり続けると 思いがちだが、本当にそうか?  実は、「心ここにあらず」という言葉は、単なる比喩以上の 何かを表現しているのではないか。  時間の流れを忘れて何かに集中して、はっと気が付いた時に、 そのようなことを考える。  集中の鬼といえば、畏友田森佳秀である。 ある時、田森は夕方から計算を始め、そうだ、この仕事を 終えたら、あのカレーのレストランに行こう、 あの大好きなカレーを食べよう、とそれだけを楽しみに 鉛筆を走らせていた。  はっと気が付くと、もう7時過ぎである。まずい。 あのレストランは8時閉店だ。今出ないと、あの大好きなカレーが 食べられなくなってしまう、そう思って下宿の玄関を出た。    すると、世界の様子が何か変である。爽やかな空気が頬をなで、 スズメがチュンチュンと鳴いている。人々が、背広を着て 急ぎ足で歩いている。  はっと気が付くと、それは、朝の7時だった。   田森は、それと気付かずに、12時間以上計算を続けていたのである。  普通の人だったら、このような話は作り話だと思うだろうが、 田森を知っている人は皆、あいつだったらあり得ると思うはずである。  カレーを食べるのを楽しみに計算を続けていた12時間の間、 田森の心はまさに「ここにあらず」だったのだ。 2002.9.7.  朝、新聞を取りにいくと、ずらりと並んだ郵便受けの所で オジサンがスリットから向こうを眺めている。  「いや、新聞がまだ来ていないからそろそろ来るかなと 思って。」 と言っている。  「朝日はもう来ていましたけど。」 というと、オジサンは、  「讀賣はまだなんだ。あっ、来たかな?」 などと言って、スリットの向こうの物音を凝視している。  日本野鳥の会のようなオジサンなのである。  夏休みの間休んでいたが、 久し振りにThe Brain Clubをやる。  小俣くんが、McGurk effectに関するEEGの論文。どうも結論がはっきり しない。  「いや、読んで面白くないと思ったんですけどね」 と小俣が言うと、田谷くんが  「そういう時は、違う論文を選ぶの!」と言っている。  来週は、水、木、金と研究室の合宿で沖縄に行く。 渡嘉敷島のビーチでA42枚くらいの英文のレジュメを発表し合おうと 言っていると、田谷君がまた、  「M1は、そろそろ何かシミュレーションの練習とかしないと。 いきなり最先端の研究は始められないからね」などと言っている。  思えば、田谷君が来たのは私がCSLに来て半年くらい経った時 だった。  いわば「一番弟子」で、すぐにCambridgeに連れていってHorace Barlow の前でseminarをやってもらったり、Oxfordに行ってRoger Penroseに 会わせたり、それなりの「エリート教育」をしてきたが、 最近になって、「飛び道具」としての性能を発揮して頼もしい限りである。  特に大阪大学の生理の研究室に2年間所属して、鍛えられたのが 良かったのではないかと思う。  ある種のsquareな学問性というのがどのようなものか、そちらの方も 判ってクオリアに興味を持っているからである。Squareな学問性の 人たちとも対等に議論できるようでなければ、クオリアについても 考えられない。  田谷が、自分でものを考えているなとはっきり判ったのは、第一次 視覚野のニューロンが周囲のコンテクストに応じて反応を変えるという 性質を持っているという話をした時だった。  たとえば、縦縞の周囲にやはり縦縞があるのと、横縞があるのとでは、 真ん中の縦縞に対する反応が異なる。  ここまでだったら、まあ誰でも知っている。  しかし、  田谷は、続いて、「それにも関わらず、なぜ我々の中央の縦縞の 知覚は安定しているのでしょうね。」と言った。  それを聞いて、私は、「ははあん。こいつは、自分の頭で考えているな!」 と思った。  大脳皮質のニューロン活動のコンテクスト依存性の問題は、 知覚の安定性の問題と表裏一体である。その問題を自分で考えて 発見しているところがエライ!  学生とつき合っていて楽しいのは、時々こちらが思いもかけないような 大跳躍を見せてくれるからである。渡嘉敷島のビーチでも、きっと 驚かされることだろう。  Arnaudが迷路の強化学習のシミュレーションについて喋り、 光藤がチューリッヒの学会の報告をして、柳川がECVPの時のイギリス ビデオを見せて、Brain Clubは終了。  Clubに出入りしている慶応SFCの 福本さんは、来年からZekiの研究室に行くかもしれないと言う。  世の中は動いているのである。  帰宅の途中、地下鉄のトイレに入ると、  若い男が3人いて、ざわざわ動いている。 一人が、鏡をしばらく見た後で、  「オレ、焦点が定まらない」と言っている。  仲間が「大丈夫かあ」などと言っている。  考えてみると、自分が焦点が定まっていないと気が付くだけ エライよ、どういう脳機構だろうね、と私はその若い男に心の 中で声をかけて歩いていった。 2002.9.8.  新しい住処から、公園を抜けて5分くらい歩いたところに 「サミット」というスーパーがある。  夕食はメンチカツだ! という硬い決意を秘めて、 私はサミットまで歩いていった。  入り口から、カクテキ、納豆、キャベツ、梨、サランラップなどの アイテムを籠に入れながら徐々に「総菜」のコーナーに 近づいていくと・・・・  何ということだろう、何もない!   以前の行きつけの「ライフ」には、充実した総菜のコーナーがあったが、 サミットには何もない。  メンチカツもない、コロッケもない、キタアカリのポテトサラダも ない。  私はしばらくぼんやりして、仕方がないので、シューマイを 籠に入れてレジに向かった。  こうなったら、インディーズ系の、オバサンが一人でやっているような 揚げ物屋を見付けるしかないな、と思ったが、  江古田通りには何もそのような店はなく、  そうか、この通りに対してほぼ90度の角度で、目白通りに平行に 走っているあの通りをぶらぶら歩いていった方が、  小さな店でメンチカツを揚げているところがありそうだ、今度は あの通りを試してみよう、とメンチカツ難民は密かに誓うのだった。  本を整理していると、どのような本が長く残って、どのような 本が消えていくのか、手にとるように判る。  いったん全部段ボールに入れたので、本の「予選会」をして、 「予選オチ」の本は、そのまま段ボールに戻した。  そうすると、なるほど、読み終わった後も長い間本棚に置いておきたい 本というのは、はっきりと判る。手にとってさっと見れば、  瞬間的にそのひよこがオスなのかメスなのか判る。  むろん、一世を風靡して、あとはただ消えていくのみの本にも、 それなりの風情がある。  生きているということは、どこか浮ついた部分があるもので、 その浮つきの上澄みの部分をすくい取ったような本にも、それなりの 価値がある。  それでも、上澄みは、段ボールの中で しばらく休んでいてね、と思いつつ 本棚に予選勝ちの本を並べていく途中で、 ついつい『阿呆列車』を読み出してしまう。  (できすぎているようだが)以前岡山の古本屋で求めた初版本で、 三笠書房の鹿の浮き彫りがしてある。  丹那トンネルに入る時、山系を促して展望車のデッキに出て見た。 いつぞや、十年ぐらい前に通った時、トンネルのこっちの入り口の 壁に蝙蝠が一ぱいいて、痒くなるほどこびりついていたのを思ひ出した から、今日もいるかと思ったのだが、まだいてもいい時候なのにどういふ わけか、一匹もいなかった。  おしら樣哲学者、塩谷賢がこの「痒くなるほど」という表現を 褒めたことがある。  今度、東海道本線の方に乗って沼津あたりまで行ってみたいなあと 思う。   2002.9.9.  目白通りを走りながら、ウェーバーの「魔弾の射手」を 聴いていた。  クライバー指揮のこの録音をちゃんと聴くのは5年ぶりくらいである。 冒頭、Viktoria, Viktoria, Vikitoria!の合唱のテンポが途轍もなく速い。  一体、クライバーは何のためにこんな速いテンポで振ったのかと 不思議に思うくらい速い。  もっとも、あの有名な「ばらの騎士」の録画で、オーケストラピットの そでからさっと歩いて来て、ぱっと振るカッコいい振る舞いを見ていると、 運動神経に裏付けられたイラチの人だったのかもしれない。  過渡期的な作品である。  ドイツオペラの歴史の中では忘れることのできない作品である。  それまでのイタリア風全盛の中で、暗闇、森、愛、不安、真実、 魔法、信仰、聖、俗といったドイツオペラの概念装置を初めて 実現させた。  初々しく、そしてぎこちない。  このぎこちなさの中に秘密があるなと思った。   ワグナーはウェーバーに多大な影響を受けた。 「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」には、まだまだ ぎこちなさがあるが、「トリスタンとイゾルデ」や「パルジファル」 になると、もはや構成など洗練されていて、その洗練には、 人々にやる気をなくさせるところがある、そう思った。  あるジャンルの作品がぎこちないうちは、そのジャンルは まだまだ発展の可能性があるが、  あまりにも洗練された、神品とでもいうべき作品が出てくると、 そのジャンルの発展は止まって、衰退してしまうんではないか、 そう思った。  シンフォニーにおけるベートーベンしかり、  演劇におけるシェークスピアしかり、  小説における漱石しかり。  人生でもそうで、ぎこちないうちが華ということかもしれない。 青年期、ぎこちなくウロウロ、オロオロしているうちは発展するが、 スタイルが完成されて洗練されてしまうと、かえってそれで 終わりということなのかもしれない。  朝5時に起きて、ベランダから近くの公園の森を見ると、 ハトが三十羽ほど飛んでいる。  このような群れには見覚えがある。伝書鳩を、どこかの家が 飼っているに違いない。  グルグルグルグル、旋回を繰り返している。  そのうちの、二羽の白い鳩の飛び方が何となくぎこちなく見えた。 色からくる錯覚だろう。 先日、田谷くん、柳川くんとCambridge郊外のWimpole Hallを訪れた 時、白い羊たちの群れの中に2、3頭のblack sheepがいた。  そういえば、彼らの草の食み方も、どことなくぎこちなかったような 気がする。 2002.9.10.  西新宿五丁目駅の改札を出て 階段を登って行くと、青木さんが電話をしていた。  青木さんは、ソニー本社の某セクションに今はいらして、 某プロジェクトについてお話をしながら、ウマイ北京ダックを 食べようというのである。  青木さんは、電話を終えると、今度はお店の人に 電話した。  「あー、どっちの方向に歩いていけばいいのでしょうか? 山手通りの方ですか? 都心の方ですか、郊外の方ですか?」  どっちが郊外だろうとスカイラインを見上げると、片方には 高いビルがあって、片方には低いビルがある。  それではあっちが郊外でしょうと、二人でテクテク歩いて行った。  青木さんのパートナーはソニーピクチャーズエンターティンメントの 人で、最近の作品の興行収入の○×の話から、最近飼っている ウサギのJ君の話まで、いろいろなことが話題に。  車マニアの青木さんはいろいろ面白い車ネタの話をしてくださって、 その中でとても心を引かれたのが、「富士スピードウェーのところに AUDIのドライヴィング・スクールがある」という話だった。  といっても、免許を取るためのスクールではなく、 濡れた路面で時速80キロで急ブレーキをかけると、車が いかにくるくると回転するか、それを体感させてくれる、という 話だった。  「それがね、茂木さん、最初はゆっくり回っているんだけど、 それがどんどん加速して行くんですよ。あれが面白い。」  一人3万円なのだが、インストラクターが一人ついて、至れり 尽くせりで、あれは絶対赤字ですという。  そうか、それは、ぜひ富士スピードウェーに行かねばなるまいと 北京ダックを食べながら決意を固めた。  もっとも、スピンを常習する人は一般道でもする。  同じ大学院の研究室で、修士を終えてから電通に入った相内が 一般道でスピンをするヒトであった。  今でもはっきり覚えているのが、東大の竜岡門の横の、 不忍池に向かう細い曲がりくねった道を走っているときに、 相内が、いきなり  「茂木さん、スピンしてもいいですか。」 と言ったことである。  私は良く意味が解らなかったので、 「ああ、いいよ」 と気楽に言うと、いきなり車体がくるっと傾き、  キキキキキ・・・・・ とタイヤがきしむ音がして、車が180度回転した。  それ以上は回らなかったけど、ちょうど180度回転した。  それから相内は、何事もなかったかのようにそのまま走って いった。  ある種の女のヒトだったら、「相内さん、素敵!」 と思ったかも しれない。  あれはあの頃の彼の作戦だったのか。  その相内と、今年になって、10年ぶりに再会したのだから 人生は面白い。  かっての「スピンしてもいいですか」にいちゃんは、 立派なデンツーマンになっていた。 2002.9.11.  引っ越しの荷物の山をかき分けかき分け、 どうやら、着ることができそうなスーツを見付けた。  そう思ったのも束の間、ズボンのお腹がとてもキツイ状態になっている ことが判った。  でも、もう遅い。  ちゃんとした格好をするのは、1年ぶりか。  神田の学士会館で「経営文化セミナー」という、大企業のトップが 集う勉強会の講師を勤めるので、さすがにスーツを着ようかと 思ったのである。  実は朝まで服装については何も考えていなかったのであるが、 チノパンがぐてっと床の上に転がっているのを見て、さすがに これはマズイのではないかと思ったのである。  Yシャツを着て、ネクタイを引きずりだし、お腹を 無理矢理入れて街を歩き出すと、あーら不思議、何故か 自分がビジネス戦士のような気がしてくる。  CSLの入り口で、須藤さんが出てくるのに会った。 大げさにびっくりして、後ずさりしている。  部屋に座っていたら、柳川と田谷がわっと言っている。 Arnaudも、nice suits!などと言っている。  まるで、小俣がリクルートスーツを着て、部屋の中に入り込んで 来たような初々しさなのである。    五反田から都営地下鉄に乗って、日本橋で乗り換えて、竹橋 から歩いた。  毎日新聞には、イラストの井上智陽とタグを組んで「毎日小学生新聞」 に「トゥープゥートゥーのすむエリー星」というSF童話を 連載していた時によく来た。  当時の編集長の森さんと打ち合わせした古風な喫茶店の代わりに、 スターバックスが入り、am/pmが入っている。  考えてみると、あれから十数年たっているのだ。  学士会館320号室は、二列にテーブルが並べられ、講師の 席が金屏風の前に置かれ、その前に、文芸春秋の「同級生交歓」に 出そうなおじさまたちがずらっと並んでいる。  私の席は、講師に推薦してくださったソニー顧問の愛甲次郎さんの 前だった。  こういうのは緊張しますね、と言うと、「ああ、あの屏風は 結婚式で使うやつだよ。私も確かここで披露宴に出たことがあったなあ」 と言われる。  食事が出て、コーヒーが出る頃に、事務局長の山崎さんが、「そろそろ ・・・」というので、「ではでは・・・」と結婚式の金屏風の前に 座って、1時間ちょっと「判断の脳内機構」についてお話させて いただいた。  帰路、暗い通りを歩いていると、黄色い服を着た 女の人が、コンビニの袋を持って妙なリズムで歩いている。  何だか変だな、と思っていると、いきなり私の方を振り向いて、 いきなり「ばかやろー!」と言った。   ぎくっとするくらい、大きな声だった。  しばらく歩いた後に、あのヒトの人生は大丈夫 なのだろうか、と思った。  四十半ばの年齢だったか、あのくらいの女の人が、夜道で、見知らぬ 男にいきなり「ばかやろー!」と言ってしまう人生は、かなり マズイ人生のような気がする。  私が被害者なのか、彼女が被害者なのか、よく判らない気がする。  もっとも、すっかりホッとして、ネクタイを外し、Yシャツをはだけて、 ぶらぶらとだらしなく歩いていた私は、確かにばかやろうに見えたの かもしれない。 2002.9.12.  沖縄には何回も来ているが、  渡嘉敷島に来るのは、1993年の3月以来である。  合宿と言っても、全員休暇をとって自費で来ているので、 何をやろうと自由なのである。    那覇空港に着いて、ソッコーでジャンボタクシーに乗り、 公設市場まで移動。  2階の食堂で、まずはオリオンビール10杯、ウーロン茶1杯 で乾杯し、ソーキそばを食べた。    そこから泊港まで歩き、午前4時30分発の高速船で渡嘉敷島に 渡った。  後部のデッキで太陽を浴び、風を受けていると、とても不思議な ことだけど、海、風、太陽の三点セットで、自分の中で何かが 溶けて、モードが切り替わるのが判る。  この瞬間を迎えるために、時々南の島に来る必要がある。  民宿は「ケラマ荘」。タッチ&ゴーで荷物だけ置いて、 隣の阿波連荘でオリオンビールを10個、ウーロン茶1個を買って、 阿波連ビーチまでぶらぶら歩く。  そして、オリオンビールを片手に、岩場に向かう。  魚を見る。マルオミナエシの貝殻を拾う。  さざめく水の上に光が落ちて作る無限の様式を味わう。  騒いでいた人たちが静かになったので、後ろを振り向くと、 Arnaudが、光藤が、関根が、恩蔵が、田谷が、顔を落日の方へ 向けて佇んでいた。  今日は月はどうかなと言っていると、ほんのりと優美に細い 下弦が出た。  これはまさにミルキーウェーとしか言いようがない乳白色の 銀河の筋が現れ、  私たちは那覇で買った泡盛や、Arnaudがフランスから持ってきた 赤ワインを飲み、暗がりの中にうち寄せる波と戯れ、月の 道を眺めていた。  しかし、その静かな光景の中に、惨劇の種はすでに蒔かれていた のである!  長島久幸が酔っぱらって、関根崇泰を海に引きずり込んでぬらし始めた。  「仲がいいね。あの人たちはホモだから。」 と冗談でArnaudに言っていると、  そのうち、被害者が加害者のスタイルを覚えたのか、長島と 関根がいっしょになって小俣圭を海に投げ込んだ。  「わはははは、バカだなアア、あいつら」 と笑いながら、人々の心には実は不安が忍びこみはじめていた。  案の定、長島が、「Who is 無傷?」とか叫びながら、次々と 人を投げ込み始めた。  最初にやられたのは恩蔵絢子だった気もするし、私がその次だった ような気もする。  優雅に横たわっていたArnaud Vandourも、両腕を捕まれて、わーっと 飛行機のように海の中に飛び込んでいった。  「わはははは」と笑いながら、月が照らし出す波打ち際で、 人間飛行機が次々と海の中に飛び込んだ。  「あれ、光藤雄一がいないぞ」と言って探すと、 光藤は気配を消して闇の中にいた。  さすが居合い抜きの達人、と思うまもなく、光藤も人間飛行機と 化して、夜の海に特攻した。  須藤珠水は、サーフィンの格好で横たわりながら、「こうなると、もう どうでも良くなるわ」とか言いつつ、泳ぐまねをした。  私もArnaudもすっかり諦めてシャツを脱いで絞っていたら、 また小俣と長島の悪魔に捕まって、裸のまま海の中に突っ込まされた。  そうやって、私たちは、月に照らし出されて、何回も何回も海に入って、 そのうち訳が判らなくなって、わはは、わははと笑い続けた。    ずっとウーロン茶で通して、静かに座っていた内山リナには最後まで 誰も手を出さなかったが、ついには「Who is 無傷?」長島と関根に海に  誘われ、合宿参加全員ずぶぬれの惨劇は完成したのである。  ヨレヨレ、ズブ濡れで夜風に吹かれながら 宿にもどる道すがら、「Who is 無傷?」が合宿の恒例行事と化したら ヤバイ、と思ったのは私だけではなかったろう。  一夜明けて、皆すっきりした顔をしてレジュメを交換している。 ビーチに持っていくとずぶぬれになりそうなので、シュノーケリングを して、魚を眺めながら読んだレジュメを思い出すことになりそうだ。  夕方には、フェリーに乗って那覇に戻る。 2002.9.13.  那覇の夜は、安里の「うりずん」でふけていった。  古酒(クース)を飲み、ゴーヤチャンプルーを食べ、島魚盛り を食べながら、  このメンツでうりずんに来ることがあるとは思わなかったな と奇妙な感覚になる。  夜、浮島通りにある「新金一旅館」という、長島久幸が探してきた 独特の風合いの場所で、光藤雄一、田谷文彦と一緒の部屋に 寝ていると、徐々に皮膚が熱をもってくるのが判って、 しまったと思ったがもう遅い、  夜に何回も目が覚めた。  学生が、オイルだとか乳液とかを塗っているのを、 私は横目で見ながら、「オレはそんなに軟弱じゃないもんね」 と嘯き、阿波連ビーチでシュノーケリングをしたり、波打ち際で 戯れていたりした。  そんな自信があったのも、以前に、「6月の夏至近く、久米島の はての浜半日日焼け体験」という日焼けの「絶対基準」を経験 していたからである。  その日はちょうど4年前のフランスで行われたサッカーワールド カップの日本対ジャマイカ戦の日で、私は久米島の民宿でその試合を 見ながら、激しい日焼け後遺症に身もだえしていたのである。    今回は9月上旬、大したことにはならないだろうと、 海に半身使って、学生たちが書いてきたレジュメを読んで、 ランチはオリオンビールとホットドッグで済ませ、  帰りのフェリーの中で甘美なシエスタをとって、  夜のうりずん宴会にそなえたのである。    9月の渡嘉敷島の太陽もそれなりにキック力があったらしく、 今朝の私は皮膚が身もだえしているが、それがまだ身体の芯に入る までには至っていない。  まだまだ余裕なのである。  それにしても、シュノーケリングはやはり楽しかった。  岩から岩へと、魚たちの群れを追い求めて泳いでいくと、 ところどころ思わぬ陰影や奥行きがあって、  そうか、美しい魚も、実は、南の島の海の中に差し込む陽光が 作り出す生態系の美しさを照らし出すキャンバスに過ぎないのだな と悟ったのだった。  景色の中の小さなものが、逆に景色をメインのオブジェにするという トポロジーの逆転は、以前クリストの「アンブレラ」で体験した ことがある。  このように言語化できるものがほんの少しであるほど、渡嘉敷島 のビーチでの半日の水遊びは楽しかった。  しかし、今日はもう文明の中にいて、夜には東京に帰るのである。 2002.9.14.  沖縄合宿最終日。  Arnaud Vandourが正午過ぎの飛行機で一足先に東京に帰るので、 まずは首里城に行き、守礼の門のところで記念撮影をした。  Arnaudは、大阪に行っても「人権博物館」に行くくらい politicalな意識が強いフランス人で、  私と首里城を回りながら、沖縄、日本、そして中国の政治史の話 ばかりしていた。  このように、参加人数が11人の合宿だと、いろいろ面白い population dynamicsが生じる。  誰と誰が何を喋ったか、全部を見渡せる神の視点はないから、 後で聞いてへえーと思うことがある。  田谷文彦君に、行きの飛行機の中で小俣圭君がこんなことを 言っていましたよ、と聞いて、へえーと思った。  この日記を読んで、茂木さんとArnaudはそんなことを話していたのか、 とへえーと思う学生がいるかもしれない。  首里城を出たところでArnaudと別れ、それでは昼飯を、と考えていると、  恩蔵絢子さんが沖縄そばだ! というので、関根崇泰君が持っていた ガイドブックをいい加減に見て、「御殿山(うどんやま)というのが あるけど」「150年前の民家でそばを食べると書いてあるけど」 というと、恩蔵さんが「そこだ!」というので「それ!」 とタクシーに分乗して御殿山に行った。 http://www.wbf.co.jp/oka/ztama/udunyama.htm  そばを食べて、庭でぼんやりしていると、ちょうどいい石の テーブルが空いていたので、店の人に、「あのー、今家の中で そばを食べたのですが、ここでぜんざいを食べてもいいでしょうか」 と聞くと、「ああ、いいですよ」というので、座って 250円の氷ぜんざいを食べた。隣の小俣君が、しきりに「うまい、 うまい」と言った。  それでは、というので、関根君がボディイメージに関して 自分でまとめてきたレジュメ(英文)を説明しはじめる。  これはみんなが興味を持つテーマだから、あーでもない、 こうでもないと言っているうちに、時は経ち、そろそろ移動しようか、 ということになった。  首里城に通う役人が使ったといわれる金城町の石畳道の上まで タクシーで行く。オリオンビールを飲みながら、樹齢二百年の大アカギの 下でセッションを続けようという算段だったのだが、蚊がいる、 刺される、学生たちが文句を言う。 http://museum.mm.pref.okinawa.jp/nature/data/azb0047b.html  けっ、軟弱なやつらめ、と言いつつ、自分も足をポリポリ かきつつ、金城の石畳を降りて行くと、中程に、何とも ヨサゲな休憩所がある。縁側があり、二間の座敷があり、猫が 寝ている。  何だか判らないけど、ここでセッションをやったらいんじゃないか と上がり込む。それが、金城村屋だった。 http://www.ii-okinawa.ne.jp/people/azuma-s/muraya.html  猫をなでたり、途中で地元の小学生の襲来を受けたり しながら、レジュメを説明していく。  長島久幸が関根の隣にすわって小突く。  小学生は、タイワンカブトムシとノコギリクワガタを戦わせたり しながら、我々が何をしているのか興味があるらしく、  「ねえ、そのペットボトルちょうだい」  「いつまでいるの?」  「誰か傘持っている?」 などとなかなかかしましい。  途中、管理人のような人が来たが、我々の様子をさりげなく見て さりげなく去っていった。  このあたりの懐の深さが沖縄である。    最後に、最高のロケーションで真剣な議論も出来て、3日間の沖縄 合宿はまあ成功だったなと思いつつ、東京に飛び帰り、 田谷くんと地下鉄に乗って 議論していると、クオリアを巡る深刻な論点にあっという間に 絡め取られていって、沖縄で「もうどうでもいいかんね」の人と 化していた私は、芯が再びかたまっていくのだった。  思うに、この往復のダイナミズムが旅というものであろう。 2002.9.15.  日焼けの身体でCD-Rを焼いていたら、 睡眠時間2時間になってしまった。  午前11時、パシフィコ横浜でのSony Dream Worldへ。  Qualiaの展示を見るのが目的。  コンセプト・プレゼンテーションで、4人の映像作家が競作。  SDWは、15日(本日)までで、Qualiaの展示は、エレクトロニクス・ ゾーンで、ソニーの歴史の展示の横にある。 http://arena.nikkeibp.co.jp/trend/pickup/20020912/101846/  午後1時、東口の崎陽軒本店の2階にあるイル・サッジオで、 竹内(湯川)薫の新作「百人一首 一千年の冥宮」の出版を お祝いする会。  一番端の席に座って、どんどんワインを注文してしまう。  午後5時、品川で、「スターウォーズ・エピソードII」を 見る。  悪口を書くと思う人がいるかもしれないが、書かないのである。  ここまで人と技術と時間とお金を注入して作り込まれると、 何も言う気力がなくなってしまう。  また、しばらく前にたどり着いた、「ハリウッド映画は、翌日 何も残らない酒のようなものである」という説からすれば、 これは極上の酒ではないか。  End Creditの延々と続く人名の列を見ながら、これは、要するに visualな酒を造るindustryだなと思った。  見て、何も残らない。  思うに、人が惑い、悩むのは、何をしたらいいのか判らない、 どう考えたらいいのか判らないと、途方に暮れる時ではないか。  スターウォーズのような作品には、そのような淀みはない。   何しろ、誰が悪で誰が善なのか、決まっているのだから 気楽である。  リアル・ワールドではそうはいかない。  エンターティンメントとしては、わざわざ惑いを求めて 来る人が少ないというのは当然のことなのかもしれない。  惑い、悩みというのを隠蔽するというか、それにとらわれない ようにするというのは、アメリカという文明の本質である。  そこには美点も病理もあるのであって、世の中には そのようなものがあるとしか言いようがない。  スタウォーズのような映画しか見ない人が、 実生活では大いに惑う人であれば、それでいいのではないか。  人間の生活から惑いがなくなって、無菌状態になることは 恐らくないだろうからである。  2002.9.16.  引っ越して、 飲んだ時にタクシーで帰りやすくなったのは良かったのだが、 一つ困ったことがある。  ランニングをする線が、微妙に確保しにくいということである。  基本的に静かな住宅地だし、近くに公園もあるし、 しばらく走れば哲学堂公園もあるし、それほど都会というわけでは ないのだが、  何しろ今までいたところが駅から15分あるいて、周囲に畑が まだ残っているところだったので、  木の気配、空気の様子が微妙に異なる。  それで、走っていると、何となく「野蛮な気分」にならないで、 へなへなと止めてしまう。  思うに、都会というものは、その中を歩き、人と会い、酒を飲み、 仕事をし、映画を見て、劇を見るといった、文明的なことを する場としては良いのだけれども、ある種野性的な気分でウォーと 身体を動かすには向いていない場所なのではないか。  時折、驚くほど都心でもジョギングしている人を見掛けるが、 私は、どうも、都会的な空気の中で野性的にウォーと行くという 適応をまだしていないようなのである。  同じ理由で、室内でマシーンを使って何かするとか、 ああいうのも生理的に受け付けない。  五反田のスポーツジムの会員証を持っているけれども、 ずっと行っていない。  狭いところでうだうだやるのが、そのうちバカらしくなって しまうのである。  これは、かなり参ったなあ、と、信号のところで止まったのを 機会に歩き出しながら考えた。    理想的には、北国の湖の畔のような、そんな風景の中を 走れればいいんだけど。  そうすれば、ものすごく野性的な気分になって、何時までも 何時までもウォーと走って行けそうな気がするんだけれども、  車がびゅんびゅんと走るような場所でウォーと走るような 気にはならない。  まあ、これから人生の時間をかけて解決して行くべき問題なのだろう けれども、とりあえずは車で20分くらいの所にある 光が丘公園まで行って、駐車場に車を停めてだーっと走るということを 試みるしかない。  そのうち身体が適応するかもしれないし、あるいは、うまく、車の 通りが少ない細い道をつなぐ、走る線が見つかるかもしれない。  今年も、筑波マラソンにエントリーしてしまったし。  先日、学生と那覇の大カナギの所に行った時も思ったのだけれども、 私はきっと平均人よりもよほど野生のヒトなのである。  やはり、子供の頃野山で蝶を追いかけていた時の自然との 対話の皮膚感覚は一生消えないらしい。  山登りでもするか。 2002.9.16.  というわけで、午前6時過ぎに車で光が丘公園まで走り、 12キロ走ってきた。  走り終えて、Tシャツを着替る時、渡嘉敷島の日焼けの皮膚が はがれ始めたことに気が付いた。  行きは弦楽のGoldberg Variasions、帰りは伊勢正三のベスト盤を 聞きながら帰ってきた。それぞれ15分、20分の音楽の旅である。  このパターン、案外いいかもしれない。問題は、平日にやると どれくらい車が混むかである。    走り込んで5キロくらいは減量しないと、 今年もつくばマラソンがまた「前半は走り、後半は歩き」  の複合競技になってしまう。 2002.9.17.  小泉訪朝を巡る報道の仕方を見ていると、 おい、本当にお前らそう考えているのかと首を捻ることが 多い。  自分を含む、日本社会のメンタリティの柔らかく弱い部分を 鏡で見せられているようで、居心地が悪い。  十数名の人が、北朝鮮の国家機関によって「拉致」された。 それが本当なのかどうか知らないが、とりあえず本当として、 それが「国」と「国」の間の交渉において、どのような 位置づけになり、どのように扱われるのか?  どうも、「拉致問題を解決しなければ国交回復はない」 などと繰り返す言い方は、窓口にいる頭の硬い役人 と喋っているようで、キモチワルイのである。  冷戦時代の話だろう。それに、国と国とのことだろう。  戦争をしていないだけ、ありがたいと思うべきなのではないか。 「拉致」された人の家族が戻ってきて欲しいと考えるのは、 人間として当然として、国と国との間には、曰く言い難い問題が あって、幼稚園児のように、「先生、あの子悪いんです!」 と言っているだけでは済まないというのがリアリティの感覚だと 私は思う。  多摩川に迷い込んで生命の危機に瀕しているアザラシに 「タマちゃん」などと名付けて、癒されるとか勘違いの報道をしている マスメディアが、「先生、あの子悪いんです!」とやるのは 視聴率を上げる 商売の話として判らないわけではないが、実際に北朝鮮との 外交交渉に当たるプロたちには、当然違ったリアリティが あって当然である。  そもそも、北朝鮮は「ああいう国だから」と自分を 安全圏に置くような発言をする人たちは、世界から見れば 日本と北朝鮮は地図の隣にあって、いわば「親戚」 のようなものに見えるということが判っているのだろうか?  親戚がマズイ状態になっているというのは、日本もきっと ダメな所があるんだろうね、と思われるのが関の山、 幼稚園のようにピーチクパーチク言っている場合ではない。  そんなことを考えながら、ケーキを食べて、コーヒーを 飲む。ケーキとかコーヒーをコンビニで買ってくるという わけにはいかない人たちが、飛行機でいけばあっという間の ところに住んでいる。  自分を安全圏において、幼稚園児のポリティクスを何時までも やっている場合じゃない。  外務省の役人が、ガキの引率も疲れるぜ、とため息をついている くらいならば、かえって頼もしい。 2002.9.18.  久し振りにニュースを長々と見た。  拉致問題の結末は、重苦しい。  なぜこんなに重苦しく感じるのだろうと、その理由が良く判らなかった。  今朝になって、そうか、実は、この結末を人々は何となく予感していて、 それが確認されたからこそ、この、特有の重苦しさを感じるのだな と思った。  断片的に伝わってくるニュースを総合してかの国の実態について イメージをつくれば、  このようなことになっているという予感は生まれる。  その予感が、意識化されていない時に現実化されたから、 手の中に重く冷たい煉瓦を持っているような気分になる。  国連児童基金(UNICEF)に提出された報告書によれば、  北朝鮮の平均寿命は93年に73.2才だったが、 99年には66.8才と、6.4年減ったという。  また、5才以下の児童の死亡率は、93年の1千名あたり27人から 99年には48人に増加し、出生率は93年の2.2%から99年の2%に減少した という。  想像するに、この時期にあの国を襲った飢饉などの自然災害と 社会的混乱の中で、拉致された人たちが死んでしまったということも あるのではないか。  一人一人の末路については、今はただ想像するしかない。  家族の悲しみは判るとして、  日朝交渉で調印するなとか、そのような国家のレベルの話について、 自分たちが納得することを条件として求めることに対する違和感は、   一夜明けた今日も判らない。  リアリティの問題として、国家の問題をそのようなレベルで 考える気には、私はならない。  国というものは、良かれ悪しかれ、もっと恐ろしいものだという 感覚があるからである。  例え、自分がどんなに悲しい思いに浸っていたとしても、 それを持って国家の意思決定を云々、左右しようなどという ことは、私は思いもしないし、思うべきでもないと思っている。  もっとも、あの家族の人たちは、まさにそのような動かし難い ものとしての国家の重みに長年の闘いの中で疲れ果てていて、 どうせ聞いてはもらえないだろうけど、という絶望の叫びを 上げたのかもしれない。  それならば判る。  国家の動かし難さとは、結局、スケールの問題であり、 一個人がそれを動かすというテコの支点は、そう簡単に見つからない ものだからである。  そのような、スケール感に対する重苦しい絶望も、昨日のニュース に対するリアクションの中にはあったのではないかと思う。  早稲田の三輪さんの所で「共創」部会の研究会があり、 今日は私が話題を提供した。  1時間、クオリアの問題と、個物の問題と、コミュニケーションの 問題について喋った。  最近、クオリア問題の所在自体については、説明しなくても すぐに判ってもらえるような状況になってきた。  あとは解くだけであるが、そのことを思うと、容易に動かし難い 巨大な概念世界の岩塊が迫ってきて、身が引き締まる思いがする。  テコの支点を求めて彷徨う人たちが世界の中にいて、 その人たちは案外似たような表情を見せるものではないかと思う。 2002.9.18.  この問題について書くのは、最後にしたいが、 国際政治においてナイーヴであることは罪であると思う。  タブロイド判夕刊紙の見出しを見ていて、イエロージャーナリズム というのはこういうことを言うのだと思った。  遺族の気持ちになれ、調印は早い。小泉に猛反発。  そのような意見に同意することは、いかに簡単なことだろう。  だが、そのようなことを言う人たちは、冷戦期の南北分断の 朝鮮半島のリアリティについて、少しでも考えたことがあるのか?  この世界に客観的な属性としての悪があるわけではない。 Bから見てAが悪に見えるという関係性があるだけである。  冷戦期の北朝鮮が悪に見えるとすれば、それは、現代の日本から 見て、彼らの振るまいが悪に見えるような関係性があるという だけである。  全体主義国家に生まれ、何らかの理由で特殊任務について、 何かをしなければ自分の命が危ないという状況に追い込まれた 時に、あなたは何をするのか?  あなたが特殊工作員の妻だったとしたら、親だったとしたら、 あなたは何を考えるのか?  そのような、別の関係性に身をおいて見れば、同じ事象が全く 違って見えてくる。    繰り返すが、遺族の気持ちがわからないわけではない。  つらいだろう、苦しいだろう。自分がそのような立場に置かれたら、 同じようなことを言っているかもしれない。  しかし、そのような感情とまた別のリアリティがあることを 想像できなくなる、そのような幼児性がはびこる国はとても危ない。  マジで、南北が38度線で分断されて、冷戦という大状況の下、 南の同胞とテクニカルには交戦状態にある社会、しかも、 独裁者が支配する社会で生きていかなくてはならない人たちのことを 想像してみろよ。  そういう得体の知れない状況が、この平和な日本のワイドショーの コメンテーターに判るのか?  もちろん、そういう体制を批判するのはいいよ。でも、そのような 政治状況のリアリティを考えた上で、より将来につなげるための ぎりぎりの選択を小泉はしたんじゃないのか。  オレは彼の決断を支持する。リアリティに目をふさぐ幼稚園児には つき合っていられない。もちろん、遺族の方々の切実さは別だよ。 オレが言っているのは、尻馬に乗るやつらのことさ。    私には、イエロージャーナリズムの中に流布する  北朝鮮憎しの大合唱が、戦前の、経済封鎖する米英憎しの大合唱と 重なって見える。  あの時も、国政政治のリアリティを省みないことが、より大きな 悲劇へとつながったのではないか。  今回のような事象を見ていると、イエロージャーナリズムも、 それに踊らされる「大衆」という得体の知れないものも、 ますます信用できなくなる。 2002.9.19.  朝、森の上に伝書鳩の群れが飛ぶ。  それが、しばらく飛び回っていると、ふっと消えていなくなる。  どうやら、住処に帰ったらしい。  中学校に通う道に、伝書鳩を飼っている家があって、 朝、群れが舞っていた。  なぜ朝飛ぶのか、鳩の習性なのか、飼い主の方針なのか、 いずれにせよ、朝の空をしばらく舞って、やがて姿を消す。  進化の連続性を考えれば、動物にもクオリアはあると 私は考える。  それについて自省できるかどうかは別として、  鳩が空を舞っている時に、風を切る羽毛の感覚や、 様々な匂いや、太陽の輝きや、そのようなものを、 鳩は、クオリアの体験世界として感じているに違いないと 考える。    渡嘉敷島にフェリーで渡ったとき、船が意識で、その下の 広大な大洋が無意識なのだというメタファーが立ち上がった。  さらに、人間の脳の神経細胞のアーキテクチャーからして、 人間が原理的に感受できるクオリアのレパートリーは、本来 あるクオリアの空間のほんの一部(大洋に対する船のように、ほんの 一部)なのだということを思った。    空を飛ぶ鳩は、そのようなことを私に思い出させる。  鳩に、私たち人間のように木漏れ日について考え、月面に降り立つ という体験について考えるという道は閉ざされている。  一方、私たちには、鳩のように軽やかに風を切り、光を受け、 空気の中を躍動するという道は閉ざされている。  世界の至るところに断絶があり、それをニーチェは「個別化の原理」 と呼んだのだった。   2002.9.20.  修士一年の須藤珠水さんのことでお願いがあって、 東大、駒場の長谷川寿一さんにメイルを差し上げたら、  なんと眞理子さんとあさってからスリランカに行かれるという。  それで、須藤さんは金曜に長谷川研に伺うことに。  それにしても、スリランカに調査しに行く分野も、 楽しそうだなと思いながら、夕刻、吉祥寺に向かった。  なぜ吉祥寺に向かったかというと、  日本生理人類学会第40回大会が11月16日、武蔵野女子大で あり、そのシンポジストが集まって座談会が開かれたのである。  主催は、武蔵野女子大の橋本修佐さんで、他に、菊池 安行さん、 綿貫 茂喜さん、小西 啓史さん、大六 一志さん、志茂田典子さん が出席。  サンロードを五日市街道の方に向かいながら、今日は一体 どんなことになるんだろうと、やや緊張しつつ思う。  こんな時間の流れが、  私は好きである。  何しろ、皆さん初対面で、生理人類学という学問分野についても 茫漠たる印象しかなく、一体どんな話をしたものかと身構えつつ やがて飛び込む、そんな間合いが好きである。    「いけす 吉祥寺」という店の奥座敷。  隣に菊池さんが座り、工業デザインの世界で活躍されてきた 方らしく、ぐいぐいビールを飲む、猪口を傾けるという感じで、 後で小西さんに、菊池さんはあのように豪快な方なのですと伺う。  大六さんは心の理論をやられる、下條信輔さんのお弟子さんで、 毎日新聞の青野由利さんが下條研にいた時に助手をされていたと いうこと。  青野さんが、修論で、男女の性差は実はないということを証明 しよとして、一番性差が出ると言われているメンタル・ローテーションを 一生懸命やっていたという話は初めて聞いた。  それで、結局性差は消えなかったらしい。  小西さんは、パーソナル・ディスタンスなどがご専門で、 Edward HallのThe Hidden Dimensionがあまりにも多くのことを やってしまったので、その先に行くのがなかなか難しいですと言われる。  綿貫さんは博多におられて、出身は宮崎、宮崎から博多に行くには いまだに小倉経由で行くしかないのですと、半分九州の血が入る 私としてはとても親近感の持てるお話。ご専門は工業と芸術の 境界領域。  というわけで、生理人類学会という未知の分野の風合いのようなものが、 ビールをぐいぐい飲んでいるうちに判ってきたのである。  帰りは、最近馬鹿なことをするのが好きなので、中野から家まで歩いて 見たのだが、45分で着いてしまったのであまり馬鹿でもないのであった。  しかも、昼間に30分ほど歩きながら考えた時には随分ぐいぐいと 詰めて考えられたのに、  ビールの泡が中野街道の暗みに消えて、どうも詰めて行くような 思考ができない、どんどんと拡散していく。  なるほど、アルコールの作用はこのようなものかと、  なぜかずっと一緒に歩くことになった歩け歩けのオバサンと歩調が 会うのはいやだなと思いつつ、  おれもスリランカかカリマンタンか、 とにかくそういう所に行ってみたいと夜風に思ったのであった。 2002.9.21.  いつも飲みに行く五反田の「あさり」 が、そういえばランチをやっていたよね、 というので、学生たちと食べに行った。  朝もカレーだったな、と思ったのだが、 「行列のできる店 北イタリア ホワイトカレー」という、 何だかよく判らないものだったので、その敵をとろうと思って、 カレーにした。  3人は煮込み、3人はカレーになったが、どうも煮込みの 方が美味しそうに見えた。  ゼミで、恩蔵絢子さんがアリの迷路学習がコンテクストに依存する (あるいは動機付けに依存する)という私自身も何回も引用している 論文を取り上げた。  何だか気合いが入っていて、どうやら波に乗ってきたようだな、 良かったと思った。  田谷文彦君が神経コードに関するバランスのいいレビューをして、 それに上海から来ている張さんが絡んで行ったのが面白かった。  須藤珠水さんには、来年2月にハワイで行われる国際神経心理学会に 出したアブストラクトが通ったという通知が来た。  長島久幸君が、言いよどみのイベント間インターバルの分布を 調べて、二つ目のピークらしいものを見付けた。  のそりのそりと、物事は進んでいるのである。  夜は朝日カルチャーセンター。  終了後、筑摩書房の増田さんに脅かされて、コワかった。  山下篤子さんから、新たに訳された「人は嘘なしでは生きられない」 (角川書店)を頂く。  表紙が、Arcimboldoの本の男で、なかなか凝っている。  講義内容は、今日はユニークネスの起源だったのだが、 映画はベルイマンの「ある結婚の風景」とヴィスコンティの 「ヴェニスに死す」で、この選択がどうのこうのと、ウルサク 言う人がいた。  さてさて、このように、私の阿呆人生は、秋の夜長を進んで 行くのでした。 2002.9.21.  貴ノ花が立ち会いで変わったら、非難された。  前から、このような非難はどこか理不尽だなと思っていたのだけれども、 今日、ぼんやりと考えていて、そうか、ルールで許されていることを やって非難されるのが理不尽な感じがするのだな、と思った。    お父さんの貴ノ花は軽量力士だったし、よく北の湖に対して 変わっていたように思うけど、非難はされていなかったように思う。  舞の海が変わっても非難されないのだろうし、何か釈然としない。  相撲というものは、ルールの範囲内で勝つことに全力を尽くす というようなスポーツではないらしい。  実人生の中にも、似たようなことがあるような気がして、 未解明の理不尽さの後味が残るのである。 2002.9.22.  いくら目を凝らしても、見ることができなかった。  「ほら、あの光の塔が立っているあたり。」  「ああ、随分見えてきたね。」  オジサンが、糸を繰りながら、周囲の人に説明している。  私は光が丘公園の中でランニングをしていて、凧揚げの オジサンに、思わず足を止めてしまったのである。  腕組みして目を凝らしても、どこにも見えない。  糸は、斜めに上がって、やがて空気の中に溶けて見えなく なるけれども、その想像上の延長のあたりをすーっと サーヴェイしても、あれか、と思うものは鳥だったり、 目のシミだったり、気のせいだったり、一向に 見えない。  そのうち、オジサンがゆったりを糸の先にたぐり寄せている ものが、抽象的な観念であるように思えてきた。  やってみるかい、と言われて糸をたぐり寄せている 子供も、何だか判ったような判っていないような  顔をしている。  あのスピードでたぐり寄せているんだから、1分間で 何メートル、いくら高く揚がっていると言え、これくらいで、 と腕組みして待てども、それは見えず。  諦めて走り出すか、と思ってふと今までと違う角度の空を 見ると、それはあった。  思いがけずくっきりと、雲の中にそれは浮かんでいた。  黒く、タカかワシのように羽を広げて、ピンで止められた ようにしっかりと、それは浮かんでいた。  どんなものでも、量の変化がジャンルの変化になるのだな、 と、インターネットで凧を検索しようと思いつつ走り出す。  日記を書いている今は、鳩の群が空を舞うのが見える。  秋、空が高くなるせいか、空を舞うものに興味がある。  しかも、ジェット機のように力づくで浮くのではなく、 空気にとけ込んでふわふわと飛んでいくものに興味がある。  あるいは、高山の清澄な空気でもいい。  高さというものは、それ自体で、人間の魂を浄化する作用が あるように思う。  月面で宇宙飛行士が受けた啓示を、高さの作用というメタファーで 捉えることも可能であろう。 2002.9.23.  10月6日のQualia 7の相談で、保坂和志さんと 電話でお話した時のこと、  保坂さんが、「腕力」の話をされた。  絵というのは、3次元のものを何とか2次元で表現しようとするでしょう。 そこに工夫がいる。  文学も、現実世界を文字の世界に置き換えようとするという意味では 似ている。  ところが、すでに文字に置き換えられた世界で並べ替えて遊ぶような ことはできるし、また、そのような文学は沢山ある。  今まで文字の世界に置き換えられていないような世界の様相を 文字の世界に定着しようとすれば、腕力を必要とする。  ぼくの今の文学観は、そのようなものです。  と、そのような趣旨の話をされた。 私は、ああ、それは大変判る話だなあと思った。    科学の世界でも、似たようなことがある。すでに手法が確立し、 何をどう並べたらもっともらしくなるのか、そのようなことが判っている 世界で並べ替えるのが好きな人たちもいる。  一方、未だ言葉になってさえいない世界の諸相を、何とか記号の 世界に定着しようとジタバタとする人たちもいる。  後者は大変に「腕力」のいる作業、尊い作業である。  世間には、並べ換えをしている人の方が多い。文学もまたきっと そうなのであろう。 http://www.qualia-manifesto.com/qualia7.html  引っ越して、朝日新聞しか取っていなかったが、 どうも日経もとっていないと仕事上困るなあ、と思っていたら、  日経新聞の勧誘の人が来た。  まるで、野矢茂樹さんのような雰囲気の人だった。  しばらく立ち話をして、じゃあ取りますか、ということに なったのだけれども、  その時、その人が、「私は7紙取っていますけれどね。ニュースも、 1紙だけ見ているのでは判らないから」と言っていたのが、 今日になって妙に気になる。  あの時は、「ああ、新聞の勧誘の人だから、7紙くらい取るのかなあ」 と思ったのだが、考えて見ると勧誘しているのは日経新聞だけである。 勧誘する上で、紙面を読み比べてみる必要があるとも思えないし、 あれは、自分の趣味で、そしてもちろん自費で取っているという 意味だったのだろう。  だとすると、これは、かなり類希なこと、類希な人だったのでは ないか。  だから、野矢茂樹さんのような雰囲気がしていたのではないか。  思わぬところで類希なものに出会うことがあって、後々になって はっと思い返す。  大学院生の頃、軽井沢の「魔笛」という音楽関係の人が集まる ペンションに宿泊していて、その時たまたま同宿したJTBの人が、 今から思うとタダナラヌ人であった。  その人が、談話の最後に、「私もいろいろな音楽を聴きましたが、 最近、やはりブルックナーだな、と思うのです。」 と言ったその口振りが、何とも説得力があり、そんなものか、と、 私はそれからしばらくブルックナーを気にかけて聞いたことがある。  まるで、カールマリアフォンウェーバーのような雰囲気の人だった。  野矢茂樹も、ウェーバーも、外見が似ているというよりは、気配 とでも言うべきものが似ていたような気がするのである。 2002.9.24.  それにしても、Air Mac は、 より一般に無線LANは偉いと思う。  この人たちのおかげで、どんなにか生活が自由で のびのびとしたものになったことか。  光藤くんのCHIに出す論文の締め切りだったので、 ベランダの机に座って、コーヒーを飲みながら 英語の表現を直したり、submissionのプロトコルについて メイルをやりとりした。  数時間のうちに、十数通やりとりしたと思うが、 その間、頬に風を受け、時々木の梢を見て、 コーヒーをいれて、来たかな、とメイルをチェックして、 頭は疲れるが、気分は爽快である。    しばらく前に、突然、「そうだ、最近カステラを食べていない。 カステラを食べてみたい」と思って、それ以来時々 思い出しては忘れていた。  昨日、スーパーマーケットに寄りし折り、「長崎カステラ」 というスライスがビニル袋に入ったものを見付けたので早速 買ってきて、  夜に一つ、明けた朝に一つ食べた。  どうも、文明堂のものに比べると、卵もバターも少ない、 随分淡泊な味である。  しかし、カステラが食べたいという思いは、とりあえずこれで 果たせた。  明日から神戸大学で集中講義のはずなのだが、郡司ペギオ幸夫 にメイルを送っても、返事が来ない。どこかに出かけているのだろうか? 勝手に、初日は午後2時からと決めているのだけれども、  郡司はどうでもいいとして、学生たちはちゃんと判るのだろうか?  郡司は、ぼーっとしているようでちゃんとしている所があって、 良く判らない男である。  今回の集中講義のレジュメも、私が知らない間に勝手に書いて くれて神戸大のページに置かれていた。 http://www.math.s.kobe-u.ac.jp/~fukuyama/syl02/geol/36g.html  初めて郡司研究室にセミナーに行った時、「クオリアと時間 ソニー高等研究所 茂木健一郎」などと、私が考えもしない タイトルと、実在しない研究室の名前が紙にキタナイ字でなぐり書き してあって、そうか、こいつはこういう男なのかと納得したことが ある。  思うに、わーっと考えて、わーっと書いてしまうのだろうと思う。  その時の紙は、記念に取って置こうと思ってしまって、 どこかに行ってしまった。    しばらく前からクオリア問題について新しい着想を得ていて、 どうも先にいけそうな気がするのだが、そんなこともあって、 今回の集中講義では、脳科学の話をすることはするのだろうが、 どうもあまり気が乗らない。本当の問題はそんなところにはないと 判っているからである。パワーポイントも何だか使う気がしない。 しばらく前から、黒板にウダウダ書くというスタイルが好きになっていて、 マジメにパワーポイントのファイルを用意する気にならない。  というわけで、3日間も時間があるのだが、どんな集中講義に なるのか全く判らない。  郡司がちゃんと時間を掲示しているかどうかも判らない。  まあ、こちらとしては、郡司や研究室の人と議論できれば、 それ以外のことはどうでもいいのであるが。  ここに、私が思っている時間を書いておけば、郡司研の誰かが 読んで、ペギオに伝えてくれるかもしれない。 10日 午後2時〜午後6時 11日 午前10時〜正午、午後1時〜午後5時 12日 午前10時から正午  というわけで、こんな時間で良いでしょうか? 教室は どこにしましょうか? 2002.9.25.  今は昔、駒場の体育の授業でサッカーをやっている時、 誰かの蹴ったボールが大きくそれて驚くほど遠くまで飛んでいった 時、  すかさず「ゲガンゲン!」(gegangen!) と言ったやつがいる。  ドイツ語の「行く」という動詞の完了形である。  「行ってしまった!」という意味になる。  それ以来、落語の「青菜」の「義経になりました」 ではないけれども、時々、「ゲガンゲンになった」 ということを人には言わないけれども自分に言うことがある。  昨日はiBookがゲガンゲンになった。  CSLの裏の階段を上っていて、つまづいて転び、鞄をぶつけた。  あれ、ずいぶん強くぶつかったなあと思いながら、 それほど気にもとめないで、そのまま歩いていった。  D通のI山さんとお会いする用事があったのだが、 その前に、iBookを開けた瞬間、 液晶の表面に、キスマークのようなものがあった。  あれ、スクリーンセーバーが変わったかな、と自分の iBookのスクリーンせーバーが勝手に変わるはずがないのに、 ぼんやりと思ったのが一瞬、よく見ると、 液晶にヒビが入って所々が黒化している。  その一つが、キスマークになっていたのだ。  ゲガンゲン!  神戸に行く前に困ったことになったなあと、 私は少し落ち込んだ気分で秋冷えの街を歩いていったのだった。  家に帰り、睡眠時間を削ってiBookのデータを最低限 powerbook G4に移して、神戸出張はこれで乗り切るしかない。  と、こんなことを書いていたら、もうそろそろ出かける時間である。  今度はPowerbook G4がゲガンゲンにならないように 気をつけなくてはならない。  それにしても、少しは大人びた格好をしようとリュックサック から手提げ鞄にしたのが悪かった。  やはり、転んだ時の安定性はリュックサックが勝る。  またリュックサックに戻ることになるのだろうか。 2002.9.26.  久しぶりに  神戸に来た。  大学の教室にいくと、なんだかあたり一面きなこをまぶしている ような気がする。  置いてある机や椅子が小学校のそれに見えて、 なんだか目がチカチカする。  これは、一体どういうことだろう、 自分が一人称で大学生だった時には、そんなことを考えもしなかったのに。    始めてpowerbook g4をプレゼンに使おうと思ったら、ビデオの 出力端子がなんだか変なやつで、青野くんがとりにいってくれた。  それで、認識論的神の視点と因果論的神の視点の話から議論を 始めた。  郡司は、1時間ほど会議で遅れて、ひょこひょこと 例のアロハシャツを着てやってきた。  喋っていて疲れると、椅子に座って郡司や助教授の小松崎さんと 議論した。  集中講義第一日目が終わって、郡司の研究室に行くと、 ずいぶん立派な建物に入っている。  神戸港が見渡せる場所に広大なテラスがあって、 そこに立ってあーだこーだと言っていると、  「あの、一応研究室に来ませんか?」 と迎えに来た。    早稲田の三輪さんに噂には聞いていたが、郡司はずいぶん立派な ところに住んでいて、入り口に「郡司プロジェクト」と書いてある。 何だ、この「郡司プロジェクト」というのは、と聞くと、 「いや、なんだかよくわからないけど、書類はみんな他の人が 書いてくれて、俺はハンコを押したんだ」と言う。  小松崎さんがその方がいいというので、JRの六甲道の近くまで 降りて、「あうん」という店に行った。  とりあえずはビールの人なのだけれども、郡司が、「キュウリ酎ハイ がうまい、おまえ、キュウリ酎ハイを飲め」というので、 キュウリ酎ハイを二つ、と頼んだら、店の人が、うちには 酎ハイはありません、と言って、焼酎の水割りにキュウリを入れた ものが来た。  ほのかに、メロンの香りがする。これがいいんだ、と郡司が言うと、 小松崎さんが、「それならば、メロンを買えばいいのに」と言った。  長島久幸君にちょっと似ている高島君というのが、郡司の隣に座って どつかれる役回りのはずなのに、  なんだか私の方にどうなんだ、こうなんだと言いつつ郡司が迫って くる。  うわあ、と逃げ出したら、またそこに郡司が来た。  2次会はバーに行って、3次会は三宮に出て、郡司と二人で いつも行く「水族館」バーに行った。  生田神社の近くである。  なんだかしんみりしてしまって、時計を見たら午前2時だった。  郡司と一緒にホテルサンルートソプラまでぷらぷら帰って、 郡司はそのまま家までふらふらと帰っていった。  その郡司の後ろ姿を今思い出しても、何だかしんみりする。 2002.9.27.  二日目の授業は、立命館から羽尻公一郎と、京都産業大学から 三好博之さんが来た。  それで、テーマとしては、動物における同一性の認識、 情動、V−C次元、クオリア、心の理論などにした。  まず私がばーっと喋って、その後、郡司とか羽尻とか三好さんとか とあーでもない、こうでもないといい、そこに学生が絡むという スタイル。  話が一段落すると、郡司が、「たばこ休憩にしよう」とか 「コーヒー休憩にしよう」といって教室の外に出ていく。  郡司と青野といっしょに生協にコーヒーを買いにいった。 雨がぱらぱら降っていた。  そうか、郡司は、頭が楽になるという状況を受け入れられない やつなのだなと思った。  そういうメタファーを得たよ、と郡司に言うと、 高橋が、「いや、郡司さんは、頭が楽になると狂ってしまうんですよ。」 と言った。  最後は、せっかく来たからというので、羽尻に30分喋って もらった。  羽尻は、言語システムにおけるモニターの話をした。    三宮に出ようというので、阪急の六甲駅まで降りていく途中、 三好さんが、「モニターというのは誤解されやすい概念なのですよ。」 と言った。  郡司が、「いや、おれは、言葉の意味というものが何なのか、 あまり気にしていなくて、その場その場で使っているだけだからなあ」 と言った。  チキン・ジョージというライヴハウスのある通りの居酒屋に入った。  郡司はチューハイ道を邁進しているらしく、やたらチューハイを 頼む。  一杯目は、ビールを注文したが、二杯目からは求道者につきあって チューハイを注文した。  その後、また「水族館」へ。外に出て風に当たっていると、 羽尻がふーっと通り過ぎる。  よお、煙草買いに行くのか、と聞くと、ああ、と言って そのまま歩いていった。    店に戻ってしばらくして、三好さんが、「羽尻は帰ったんじゃ ないのか?」と言う。  電話してみろよ、というので番号を押すと、電波が届かない ところにいる。  結局、羽尻は戻ってこなかった。  昼間に郡司が、わかった、おまえは、ロココ調の天使だ。ロココ調の 天使というのは、どういうのか知っているか、黒死病が流行って、 子供たちが痩せて死んでいくのを見て、ふっくらとした 天使の像をつくったんだ、茂木は、ロココ調の天使だ、 と言った問題を、ホテルに行く道すがら持ち出して、 おまえは窪塚なんとかいう俳優に似ていないか、というと、 郡司が、いや、いつかは誰かがその問題をもちだすんじゃないかと おそれていたんだと、と言って、ちょうど信号が青になったので、 何だか知らないけど二人で笑いながら横断歩道を歩いて行った。 2002.9.28.  京都に寄ったら、変なおじいさんに会った。  向こうから歩いてきて、すれ違いざま、 「私は石に絵を描いているんだけれども、買ってくれないか」 と言うのである。  何だか判らないけれども、ああそうですか、見せてくださいと 言うと、青い丸いクッキーの缶を出した。  見た瞬間、しまったと思ったが、銀閣寺を大きく描いたもの よりも、嵐山あたりの風景を細かく描いた絵の方が見られる。 1000円札を出したら、これはサービスだと言って、 白い砂糖のかかったおせんべいをくれた。  ああ、そういえば、こんなおせんべいがあった、 これを見るのは10年ぶりくらいだなと思った。    ホテルで、明かりの下にかざしてみると、山に使った 緑色が、思いの外明るく、まるで初夏の新緑のようである。  萌え出ずる石なのである。  京都の石の思い出と言えば、白川の北西あたりを歩いていて ふらっと入った店は、地元の人しか行かないようなところで、 店の親父が、兄ちゃん、「刹那」というのは何だか判りますか などと問答をしかけてきた。  その店の親父が、隅に置いてあった、石膏か何かで作った 白い石の表面に細かい字がたくさん書いてあるものを 「これ持っていきな」とくれた。    案外重く、ホテルに帰ってベッドサイドにおいて、 途方に暮れた記憶がある。  刹那問答の思い出にと、東京まで運んできて、引っ越しのごたごたで 紛れてしまったが、今でもどこかのダンボールの隅で刹那について 考えているはずである。  石に託されるユニークなキャラクター性というのは、一体 何だろうと考えていると、新緑の石と刹那の石が私の 知らない間に対話をしているように思えてくる。  家についてすぐAir Macを見たら、すでに信号が入っていたので、 そうか、こいつは、私が神戸にいる間、常にkenmogiADSL に接続しているつもりでいて、ただ電波が届いていないと 思っていたのだなと、その断絶の刹那について考えた。 2002.9.29.  ベランダの机で、Powerbook G4を使って、A beautiful mind のDVDを見た。  2/3夜見て、1/3朝見継いだ。  虫の声が聞こえ、風が体を包む気配の中でスクリーンだけが 明るく見えていると、まるで野外映画上映会で見ているかのように 思えてくる。  ドライヴインシアターには一度だけしか言ったことがない。  「もののけ姫」だった。  すでに映画を見た人たちからいろいろ聞かされていたが、 その人たちが言っていたほど悪くなかった。  問題になっているのは主観と客観の関係である。  The sixth senseでもそうであったが、映像のnarrativeとして、 主観と客観の衝突をどう扱うか、これは案外難しい問題だと思う。  その意味で、A beautiful mindは、いささか掟破りをやりつつも、 そのあたりをうまく見せてくれている。  そもそも、見ている赤が同じ赤かというのはよく持ち出される 例だけれども、  主観と客観の齟齬がもっと強烈な場合はどうするのか、 さらには、「客観」という安全圏を破壊してしまったらどうなるのか と追求していくと、  そもそも物語が成立しなくなるのかもしれないが、原理的な 問題としてはある。  とりわけ数学とか抽象的なコンセプトにおいては、本来 そのような問題が不可避な事象として立ち上がるはずである。  それを言うならば脳内現象として作り出されるものは、 すべて主観であって、それがいわゆる「客観」、カント の言うもの自体、世界自体にゆるい意味で合致するのは、 そのように脳がconfigureされていないと生きる上でコマッタ というだけにすぎない。  その「コマッタ」というのを外してしまうとどうなるのか、 統合失調症における幻覚と天才の創造性の関係を議論した 本が出たが、  そんなに予定調和では行かない深淵の縁の世界がそこには 当然現れる。  30日から3日まで、シドニー大学のAllan SnyderがCSLにくる。 A beautiful mindを見ている間にちょうど彼からメイルが 来たので、今この映画を見ていたんだ、と返事したら、 すぐに、  By the way,I believe John Nashe's genius was do much to his psychosis. と書いてきた。  こういう破調の文を書くというのが実はnativeというものである。 文部科学省の役人がつくったsmall worldの中で英語を学んでいると、 こういうのはなかなか書けない。 2002.9.30.  晴れてきたので、 何となく近くの公園までタッパーを持って出かけた。  蓋には、ところどころ空気穴が開けてある。  ふらふらしながら、目についたものをタッパーに入れた。  体長1センチくらいのミニバッタや、キノコの近くにいた テントウムシを細長くしたような黒地に赤のや、  草むらを刈った後の斜面を這っていたカメムシを入れた。    イチモンジセセリは、草の上に止まっていたのを 後ろからそっと近づいて、しばらくすーっと眺めた後、 ぱっと取った。  掌の中で、粉っぽい噴水ができたような感覚がして、 それを数秒楽しんでから開いて逃がした。  イチモンジはかなり素早いので、何だか自慢したくなった。  蛇にでもなったような気分である。  水をやり、熱帯魚の餌などタンパク質をやり、草や土を入れて やってもタッパーの中の昆虫たちはいつか死んでしまうだろう。 (今朝はまだ元気にタッパーの中の直径10センチ、高さ5センチの 円筒世界を歩き回っている。)  そうしたら、ルーペで彼らの体をじっくり観察して、 それから土に返してやろうと思う。  生き物を飼うという少し野蛮な感じがする行為の贖いは、 とにかく彼らをよくみてやることだと思う。  虫たちは死んでしまうだろうが、一緒に拾ってきたコケ類は 長生きするだろう。  石垣があって、その石と石の間の隙間に生えていたのが、 いくつかこぼれ落ちて道路の上に落ちていたので、 かがんで「落ち苔拾い」をした。  もともと土が薄いところで育っているから、 苔シートのように緑の層の下に土の層があり、  そのまま青い陶器の皿の上に置いて、時々水をやって 直射日光の当たらぬ窓際で育ててみようと思う。    こんなことを書くと、いつもやっているようだが、 実はこういうことをふらふらやるのは、思い出せないくらい 久しぶりである。  雨雲が一瞬晴れて、太陽がのぞいた。その気配の中に、 あたらしいことでもやって見ようかと思わせるキック力があったの だろうと思う。  それに、その時たまたま近くに蓋に空気穴が開いたタッパーが 転がっていたのだ。 2002.10.1.  日時を間違えることは時々あるが、 今回のはまずかった。Allan Snyder が来る日を、一日間違えていたのだ。  朝、CSLに向かいながら携帯の伝言を聞いたら、  AllanがHi, Ken.....とか言って、その後、女の人が代わって 日本語で「ただいまAllan Snyderさんが第二ターミナルのA4カウンターに いらっしゃいます・・・」と話した。  私は、あれ、なぜSydney空港に日本語を喋る人がいるんだろう、 と考えて、それから、うゎーつ、ひょっとしてAllanは成田空港に 着いているのか、と気がついた。  しかも、着いたのは昨日の夜である。。。。私は、学生3人と 迎えに行くはずだったのに、見事にすっぽかしてしまったのだ。  2番目、3番目のメッセージが入っていて、 3番目のメッセージが、「今ホテルにいる、あえなくて残念だった、 イミグレーションが2時間かかったかもしれない」だった。  すぐにホテルパシフィックに電話して、「一日間違えていた!」 と謝るメッセージを残した。  こうなったのも、Sydneyからのフライトがnight flightだと 思いこんでいたからで、それならばなぜ午後7時に着くことに なるのか、よく考えれば合理的な説明はできないのである。  結局、会えたのは午後3時30分だった。恩蔵さん、柳川くん、 光藤くんと会いにいった。  一緒にCSLに歩き、その間もずっと議論して、 タクシーで六本木に行った。  一日すっぽかした割には、楽しく議論できたし、学生にとっても 有意義だったのではないかと思う。  今日は午後4時からAllanのbig talkなのだが、 「戦後最大」とかいう台風が来ているようで、どうなるか 心配である。  台風もすっぽかしてくれないかな、と思ったりする。    小泉首相の改造の仕方は、何となくイギリスの改造の仕方に 似ているなと思う。  年齢を見て、まだ60なんだったら、いっそサッチャー みたいにずっとやってしまったらどうかと思った。 2002.10.2.  Allan Snyderをソニーの社員食堂につれていった。  光藤、柳川、田谷も一緒である。  チャーメンを食べている。私はカツ丼である。  午後4時から、Allanのtalkがあった。  所真理雄さんや、土井利忠さんも出席。  私はよく知っている話なので、どちらかというと 聴衆がどんなリアクションをするかを見ていた。  台風が近づいて来ていたが、所さんの車で Allanを丸ビルの「招福楼」に連れて行く。  オープンしたばかりの、旬の店である。  36階の窓から外を見ていたAllanが、嵐が止んだのでは ないかという。  確かに、雨も降っていない。  所さんが、窓の外を見て、電車も動いているねと言った。  そのまま台風は行ってしまったのかと思ったが、 Allanと所さんを見送って、東京駅に歩いて行く頃になると、 また風雨が強くなってきた。  地下鉄なら動いているだろうと、丸の内線と大江戸線を 乗り継いで、今朝買った「小林秀雄全集」を読みながら帰った。 8巻と13巻を買ったのだが、なぜこのような巻を買った かというと、そこにはふかーい理由がある。  それはそうと、札幌の西友で返金して、人が殺到した という話は、近頃久々におもしろかった。  特に、若者が携帯電話で連絡を取り合って集まって、 もらえないと判ると騒いだという話がおもしろかった。  何がおもしろかったかというと、本来何の権利もないのに、 どの時点から、「おれはそういう権利があるんだ」と思いこんで その要求をするようになったのか、その心理的メカニズムに 味わうべきものがあるうおうに思えたのである。  なんて破廉恥なやつらだ、と考えるのは単純なリアクションで、 群集心理もあって、そうなってしまうメカニズムを考えると、 案外そこに、人間社会におけるentitlementの起源に関わる おもしろい問題があるように思う。  今日は、郡司ペギオ幸夫や池上高志が来て、Workshopである。 Allanもtechnicalなtalkをするという。  池上は、スイスに2ヶ月行っていて、昨日の台風で帰れるかな と心配していたのだが、  大江戸線に乗っている時に池上からの電話で携帯がふるえたので、 ああ、帰って来たのだな、と思った。  新江古田で降りてから電話してみたが、出ないのでメッセージを 残した。  今朝になって、メイルをチェックして見ると、午前3時過ぎに メイルが来ている。  あれは東京から電話したのではなくて、実は大阪からだった というのだ。  台風で、関西空港までとばされたというのだ。  一体、それからどうやって東京まで戻ってきたのか、 よく判らないが、池上は大変な目にあったらしい。  それやこれやで、今日のWorkshopが楽しみになってきた。 2002.10.3.  午前中は私と学生たち、それに張さんの話で、 それが終わって、 お昼の寿司虎のランチボックスをAllan Snyder、郡司ペギオ幸夫 と食べていた。  なかなか池上高志がこなくて、誰か学生にあげてしまおうかな とおもっているときに、  池上が大きなリュックを背負って息せききってやってきた。  部屋に入るなり、池上は飛行機がどうなったこうなったと まくし立て始め、しばらく立ってから、  Allanが握手して、hello I am Allan Snyder...... と自分から挨拶した。  そこだけとると、まるで映画の一シーンのようである。  午後は、池上高志、Allan Snyder、所眞理雄、郡司ペギオ幸夫の 話である。  郡司の前に、少し30分くらい休もうというので、 CSLの隣のシーメンスビルの前の広場に行った。  Allanと池上に何か飲みたいかと聞くと、何もいらないと言う。  池上が、beerならば。。。。 というと、Allanも、Yes, I would like a beerと言うので、 柳川君と長島君に買いにいってもらった。  時刻は午後4時。ちょうど、カクテルタイムである。 植え込みの周りを歩きながら、思い思いにビールを飲む。  なかなか楽しい。  タカハシ君が郡司と喋っていて、何を言っているのかと思ったら、 郡司が、「いやあ、こいつが、こうやってみんなでビールを 飲んでいるということは、もう郡司さんは喋らなくていいとやんわり 言っているんじゃないかって言うんだ」と言うので、  そんなことはない、ちゃんとやります、 と予定より30分遅れてワークショップは再開。  6時に終えて、みんなで五反田のあさりに行って、最後は 田谷くんと光藤くんと一緒にAllanをホテルパシフィックまで 送って行った。    拉致事件の話は、家族の方のことを考えると心が痛むが、 報道のされ方には依然として違和感がある。  北と南って、戦争状態が続いているんじゃなかったのか?  冷戦という構造の下で、国が何をするかということは、 そんなこと知っていたんじゃないのか?  なぜ、今更ながら驚いているのか、とても不思議である。  思うに、現代の日本の市民生活の感覚で、このような事象を どうこう言っても仕方がないのではないか。  どうこう言っている同じ人たちは、スパイ小説や、戦争映画、 ゴルゴ13などをどう読み、どう受け止めているのか?  まさか、市民生活を寄せ集めたものが国家権力になると 思っているわけでもあるまい。  こんなことを書くのも、私は青年期の一時期、国家というものの 暴力性にかなり敏感で、「国家」という概念をなかなか受け入れられな かったからである。  私にとっては、何か不思議な事象として国家というものの不条理さは あって、某都知事のようなナショナリズムは一種の思考停止のように 思えてしまう。  そもそも不条理なものとして国家を考えている者にとって、 その不条理な存在が今回のようなことを他国や自国の市民にやる ということは想定されうることで、とりわけ、そのようなことを 知り尽くしているはずの政治部の記者などには、市民感覚でひどい などと書く以上の、国家という得体の知れないもののリアリティに 即した記事を書いてもらいたいと思っている。  そうでなければ、その得体の知れないものに巻き込まれて 人生が狂ってしまった人たちは浮かばれないだろう。  子供は、目の前に怖いものが現れると手で目を覆って自分の 見ている世界から消そうとするが、そうしても怪物の存在自体は 消えるはずもないのだ。 2002.10.4. Allan Snyderは、バスに乗って手を振りながら去っていった。  いろいろと議論をしながら、鎌倉に行って、増井俊之さんや 竹内薫などと会食したのだけれども、  鎌倉大仏をあらためてじっくりと見て、  「大仏」増井さんと実は顔が少し違うということを 再認識した。  当たり前だが。  竹内がイタリア料理屋を押さえておいてくれて、 そこで白ワインと赤ワインを飲み比べた。    何だか疲れた4日間だったのだが、 なぜかと考えるに、一つの理由は、Allan Snyderの、 「単純さ」を志向する思考形式につきあったことも あるかなと思う。  これは、イギリス経験主義の問題とつながる話で、 Cambridgeにいるときに何回か考えたことがある。  実際的というか、様々な回路を乱反射する過程そのものではなく、 そこから出てくる最終生産物を志向するというか、 とにかく、一見無防備な議論をする。  うーむと思いつつ、そこに何かがあるのだろうと 4日間議論した。  Allanが帰ると、そこには静かな秋の空気が広がっていて、 私はまた自分の問題を考え始める。  クオリア問題で、イギリス経験主義的な志向とマッチするような 単純な成果が出るかどうか、  そういうことを考え始めると、まるでまた自分がCambridgeの 街を歩いているような気がしてくるから不思議である。  文化というものは、人を媒介して伝搬するものだ。  いろいろなところを経由して、揺れて、動いて、 それでも残っていくものが「自分」なんだと思う 2002.10.5.  全日空ホテルに行った。  普段、あまりそんなところに行く用事はないんだけれども、 用事があって行った。  まずは、哲学書房の中野さんにお会いして、ぼそぼそと 喋った。  中野さんに最初にお会いしたのは養老シンポジウムの時で、 何だか、とてもダンディーで静かな方という印象。  それから、全部で3回の養老シンポの度にお会いして、 静かで実務的な方という印象を受けていた。  ところが、その後、いろいろな人から、実はあの中野さんというのは 恐ろしい人で、「エピステーメ」という雑誌を一人で立ち上げたり、 「現代思想」の黄金時代に関わっていたり、要するに静かににこにこ 笑っている背後で何を考えているのか判らないひとだということが 判ったのである。  それで、なるべく馬鹿なことは言わないようにと、緊張して 喋ったら、かえって舌が暴走して、あることないこといろいろ 話してしまった。  その中で、中野さんがいろいろな著者、本について付けたコメントが 一日たって振り返ってみると恐ろしい。  中野さんが帰った後、「小林秀雄賞」の贈呈式とパーティーというのが 地下であった。  受賞者は橋本治さんと斉藤美奈子さんで、養老孟司さんが選考委員を 代表して選評を述べられた。  いつもながら言うことがオモシロイ。  「私が東大におりますときに、利根川進さんがノーベル賞を受賞されて、 テレビ局から、なぜ京大ばかり受賞者が出て東大は出ないんだ、 今からテレビカメラ持って行くから何か喋ってくれと言われました。  私は困ってしまって、何だか適当なことを喋りました。  その時、「東大は賞をもらう方じゃない。あげる方なんだ」と言った。 (会場爆笑)。  そもそも選ぶほうよりももらう方が偉いに決まっているんで、授賞式、 賞を授けるというのはおかしい、と思って会場に来てみると、ちゃんと 贈呈式と書いてある。さすがは新潮、 ちゃんと日本語がわかっていらっしゃると感心いたしました・・・・・」  最近思うのは、賞というものは感謝状のようなものではないかと いうことである。  エライことをした人に差し上げる、というよりは、その人の おかげで、いろいろな人が生活でき、新しいアイデアを思いつき、 楽しい時間を過ごすことができた、そのような感謝の思いを 形にしたのが賞ではないか。  橋本さんにしても、斉藤さんにしても、出版社の人の生活を支える、 読者にたのしい思いをさせる、新しい世界を開くということで大いに 貢献している人だから、「ありがとう」ということでの賞なのだろう。  このあたり、関係性、複線性、個物の属性の問題にからめてムズカシイ ことはいろいろ言えるのだが、  昨日の今日なのであまりムズカシイことは言わないことにする。   2002.10.6.  中野に出たが、オモシロイところである。  「まんだらけ」は前から知っていたが、 何というのは、街全体に底が抜けてしまって、 お祭りをしているような雰囲気がある。  「まんだらけ」エリアは、あそこまで行くとすごい。 そのうちしたいことがあって、それは、いいストーリーの漫画の原画を 2ページくらい、額装して壁にかけて時々眺めてみたい。  「まんだらけ」には売っているが、本格的な値段である。    ケンブリッジで借りていた家の階段に、いい感じの漫画の額が かけてあって、あれはいい趣味だなと思った。  ストーリーは他愛なく、店員募集の公告を見て入った 男が、支給されたステーキを食べていると、硬くてかみ切れない。 そこにピストルを持った強盗が入って来たが、硬いステーキが 盾になって助かる。  それで、最後に、店を守ったというので、店主にチップを もらいながら、誇らしそうに硬いステーキを指して、 「This saved my life」 と言うのだが、これが何回も見ているうちにとても気に入ってしまった のである。  引っ越して家を出てくる時に、寂しい思いがしたくらいだ。  あんな感じで、他愛ない漫画を額装してかけておいたら 案外いいのではないかと思う。  今日は、Qualia 7があって、保坂和志さんをお招きした。  保坂さんは、「この人の閾」で芥川賞を受賞された方だが、 今読んでいる「世界を肯定する哲学」(ちくま新書)もとても 良くて、お会いするのが楽しみである。  その他に、ウンジャマラミーやパラッパラッパーを作った 松浦雅也さんもいらして、今日は非常にいい会になりそうだ。   それに池上高志や郡司ペギオ幸夫や羽尻公一郎やその他 いっぱいいっぱい来る。  午後6時に終わると、すぐに成田に行って パリへと飛ばなくてはならない。  CSL ParisのWorkshopとOpen Houseがあるのである。  またもや2泊4日、10日に帰国の神風出張である。  しかし、今回は、3つ星に行こうと密かに ディナージャケットを調達してあるのだ。  出発前にしなくてはいけないことがたくさんあるので、 午前4時に起きていろいろがちゃがちゃやっている。 2002.10.7.  保坂和志さんと、松浦雅也さんが来てくださった Qualia 7は大盛況だった。  郡司ペギオ幸夫が、初めて実物として現れた。 いろいろ書きたいことがあるけれども、  二次会の場所だけsettingして、自分は泣く泣く NEXに乗り、Air Franceの最終便で来て、 朝4時についてホテルでシャワーだけ浴びて すぐに朝からのSony CSL Paris workshopに出る という時間の流れの中で、そのうちゆっくりと書きたいと思うが とりあえずQualia 7は大盛況だった。  RERに乗ろうと思ったら、お札は使えないわ、VISAの credit cardは使えると書いてあるのに使えないわで、 他にも10人くらいうろうろしていて、  しかたがないのでbusに乗って凱旋門まで行った。  凱旋門からホテルのあるカルチエ・ラタンまで乗るタクシーから 眺める街が美しかった。  シャンゼリゼ通りの朝6時過ぎに、なぜ若いカップルが ふらふらと歩いているのか、夜通し飲んで帰るところなのか、 それにしても今日は月曜というのに、  しかし、その雰囲気が何ともいえず素敵である。    他の街に来ると、一気に気分が変わるのは昔から不思議である。  自分が喋るのは午後5時からだけれども、午前中の話では University College LondonのWolpertの話が面白かった。  例の、自分で自分をくすぐれないというのを脳活動でとらえた人である。  北野宏明さんが、Sydney BrennerがNobel賞をもらったと言って 騒いでいる。  新聞社からコメントを求める電話が入っているらしい。  私はそんな彼を横目で見ながら、さっさとEtherをつっこんで DHCPを始動した。 2002.10.8.  またやってしまった。  Sony CSL Paris Workshopは、エコールノルマルやエコール ポリテクニーク、ソルボンヌなどがあるパリのエリート高等教育機関 地区の中、ラジウムの研究でノーベル賞を受賞したキュリー夫妻を記念した キュリー・インスティチュートの中にある講堂で行われた。  それで、私の出番は午後4時10分、前に喋ったのが、Matt E. Diamond, Peter Konig, Daniel Wolpert, Olivier Coenen, Stephen Scottだったの だが、私はCSL Tokyoに一ヶ月間滞在していたArnaudの斜め前で、 半ば聴きつつ自分のPowerpointを作っていて、次第にイライラしてきて いた。  要するに、どれもsquareな研究なんだけれども、認知の本当に難しい ところにはかすってもいないじゃないかと、アタマに来始めていたので ある。典型的なのは運動制御の問題である。トルクや、張力、関節角 などのconstraintで、エラーがこうでその分散がこうで、こうすると 最小になる、その時のニューロンのポピュレーション・コーディングは こうなるとか、そのような話はまあアリだとは思うが、それで 面白いロボットが作れるかというと話はまた別である。別に クオリアの話を持ち出さなくても、認知にはある程度抽象化された レベルで面白いことがたくさんある。  この人たちは、脳を、まるで単純機械であるかのように研究している。    それで、プレゼンを変えてしまって、まずは長島久幸君と やっているマイクロスリップのビデオを見せて、何がスリップなのか というのは実は行動の文法構造に相対的にしか決定できない、 認知の構造と行動の構造は切り離せない、私は運動は制御の問題 では尽きないと思う、というところから始めて、  もっとも難しいと思う、「計算要素の同一性を、いかに保証するか」 という問題を、志向的プロセスと感覚的プロセスのマッチングの 問題として徹底して論じた。  それで、最後に、「こういう本質的な問題をやらなければ、 脳科学なんて、単なるディテールの寄せ集めになるだろう」と言って しまった。  一応、ホスト側の人間としては、こういうことは言ってはまずいん ではないかという領域に行ってしまったのである。  しかし、そこからが意表をついた展開で、所眞理雄さんが最後に 挨拶に立って、来てくれてありがとう、オーガナイザーにも感謝する、 また会えることを楽しみにしている、と言って、それで終わるかな と思ったら、「ソニーCSLは、今までやっていることの延長では ない、線形ではない結果を出すことを志向している。延長の結果を 幾ら出し続けても、そんなことは意味がないと思っている」 と発言。  終了後のレセプションでも、アイボの産みの親、土井利忠さんが、 「茂木くんは客あしらいがうまかったね」と言う。  フツーの日本の組織だったら、失礼なことを言うなとか 言うかもしれないけれども、この人たちはスゴイ。  今まで、あのように「爆発」して、たしなめられたことは何回も あったが、油を注がれたのは初めてである。  Conference dinnerは和気あいあいと、私が一番気に入ったのは やはりくすぐりのDaniel Wolpertで、彼のジョークのセンスは 私と波長が合う。  University College Londonの人だけれども、昼食の時、 北野さんがずっとSydney Brennerのノーベル賞の話で盛り上がっていて、 平和賞だけはオスロで授賞式があるという話が出たので、 私がすかさず、「Which do you think is the more political prize? The Peace prize or the others?」と言ったら、はっはっはと 笑い出したのはDaniel Wolpertだけだった。  北野さんは、「それは平和賞だろう」と私のジョークの言い方が 悪かったのかもしれないが、マジメに返してくれた。  最後にホテルに帰るとき、Daniel WolpertにStephen Scottが、 「お前、自分で自分をくすぐってもくすぐったくないとか、 ああいうのばかりやらないで少しはまじめなサイエンスやれよ。」 と言うと、Danielが、「いやあ、おれは面白いネタが好きだからな。 今年は、12本論文が出たよ」というと、Stephen が、 「ワーオ。おれなんて、生涯で12本かも」と冗談を言い合った 間合いも好もしく、そのうち学生を一人Wolpertのところに送り込もうかな と思ったのだが、東京でこれを読んで焦っている学生がいるかもしれない。 2002.10.9.  楽しみの一つはカフェに入ることで、 ギャルソンのきびきびした動作を見ていると気持ちがいい。  ノートルダム寺院の近くのノートルダムというカフェに入ると、 たまたま当たったのがきびきびというより猫のようににたりにたり としたギャルソンで、  そうするとこちらもニタリニタリの動作になるから不思議である。  ワインを飲み飽きたような気がしたのでハイネケンを頼んだのだが、 そうなるとなぜか食べ物もハンバーグにしたくなった。  上に目玉焼きが載っていて、この当たりがフレンチ・レジスタンス なのかと思ったが、味付けが薄くて、テーブルの上に塩やこしょうがない。  振り返って、目が合って、両手で振りかけるまねをすると、 「あー!」とでも言うように口を開いて驚いて見せた。  それで、これはどうも妙なコミュニケーションだな、と思った。  イギリスで塩や胡椒がないと言いたいときには、やはりちゃんと 呼んで、言葉で言うのではないか。  それがフランスでは猫のジェスチャーになる。  このような身体感覚、コミュニケーション感覚の変化が面白い。  窓から外を見ていると、交差点をわたってきた女が前を 歩いていた女を追い越そうとして、ぶつかったので、急ブレーキを かけるようにキキキキと止まって、肘を軽く握ってパルドンと 言っているのが見えた。  これも、考えてみると失礼をした方がまたわざわざ身体に 触れるという面白いコミュニケーションの方式である。  そういえば、猫ギャルソンも、私に注文を取りに来て、 聞き終わると判ったというように後ろから肘のあたりを握る。  何だか、心のアースを取っているようである。  CSL ParisのOpen Houseにはマジメに行って、 マジメに研究を見てきた。  神経科学関係は、0livier Coenenのsquareな研究スタイル に沿ったものが多かったのだが、 一つだけ、ロボットが自分の身体の形状についての知識を 何も持たずに、力の出力と感覚フィードバックだけで 逆に身体の構造を再構成できるかという問題を、  非可換代数を使って議論しているのがあっておやっと思った。 詳しく話を聞こうかと思ったのだが、なかなかうまく機会がなかったので、 今度来たとき話せばいいやと思って、そのまま出てしまった。  Luc Steelsによると、CSL Parisに来たばかりのようである。  今日もまた猫ギャルソンや狸ギャルソンや狐ギャルソンの 業状を観察してから、日本に帰りたいと思う。 2002.10.10.  パリ最終日、開いた時間を使ってピカソ美術館に行った。  ここは、ピカソ自身が持っていた自分の作品を集めてある。 一番有名なのは、砂浜を手をつないで走る二人の女を描いた「The Race」 だろうか。  「塩の館」と呼ばれるポンピドーセンターの東の古い建物に、 ピカソの遺族が相続税の代わりにdationという制度で国に寄贈した 作品が収蔵されている。  見て驚いた。よく知られた青の時代、古典自体、キュービズム のような作風意外に、ピカソはありとあらゆる作風を試しているのである。 しかも、アートマーケットに乗りにくいような「ガラクタ系」のものも 含んでいる。そこらへんに転がっているあれやこれを寄せ集めて 作ったとしか思えないヘンテコなものがたくさんあって、これが天才 じゃなかったら単なるゴミ集めおじさんだなと思えるほどである。    なるほどと思ったのは、あれだけ多作でなければ、仮想という 広大な空間は旅することができないのかもしれないということである。  多産でスタイルが次々と変わったピカソでさえ、彼が本来 旅することができたかもしれない仮想空間の広大さに比べれば、 ほんのわずかな部分空間しか旅していないのかもしれない。  創造性とは脱抑制のことであるというのはもはや脳のメカニズムとしては 間違いのないところだと思うが、  同じ脱抑制するならばパブロ・ピカソくらい徹底して脱抑制 しなければ、人生生きるカイがない。  朝4時の飛行機で来て2日半後の午後11時30分の飛行機で 帰るというスケジュール、さすがに疲れたのか、シャルルドゴール 空港に4時間前に着いてひたすら仕事をしていようと思ったのだが、 眠くて眠くて仕方がない。頭がまったく作動せず、チェックイン する前も、チェックインした後も、結局仕事はまともにできずに、最後は 出発まで椅子に座って眠っていた。  背もたれの低い椅子では眠りにくいが、人は疲れれば何でも いいと思うものである。  飛行機に乗ったら、食事以外はずっと眠っていて、2時間前に おきた。少し頭がクリアになったので、ずっと仕事をしていた所である。  そろそろ成田に着くので、日記でも書いて置こうかと思い これを書いている。  今思うことはただ一つ、ピカソの多産を目指せ! である。 2002.10.11.  ニュートリノの小柴さんはある程度予想していたとは言え、 田中耕一さんの方はあまりにもおもしろく、 わざわざTBS News iで過去のニュースのアーカイヴを引っ張り 出してきて見てしまった。  オリジナリティそのものを素直に評価しているという点で、 大変フェアな選択だったと言えるのではないか。  私の周りには、ノーベル賞というとどちらかと言うとシニカルな 態度を取る人が多い。  いろいろな理由があるのだが、世の中にはもっとも難しい問題が あるだろうというわけである。  しかし考えてみると、話は逆なので、難しい問題を簡単にすること こそが重要なのかもしれない。  アインシュタインにせよ、相対論は原子力の解放(暴走)につながった わけだし、光電効果は素子に使えるわけだし、  難解だと思われている理論も、実は誰にでも判る応用がある。  クオリアでノーベル賞を取ることは可能か?  一つだけ道筋が見えているのだが、もちろん秘密である(笑)。  要するに、クオリアというきわめて難解なものを、誰でも判る 簡単な応用に転化できればいいのである。  もっとも、ヴィトゲンシュタインやフッサールのような難解さも、 やはり私は好きなんだけれども、彼らの哲学が新聞の一面トップに ならないというのも、また世の中というものなのだろう。  そういえば、パリの街角で、小津安二郎の「東京物語」と「秋刀魚の 味」のDVDを手に入れることができた!  ポンピドーセンターの近くの、ハリウッド映画を安売りしているような 店でさりげなく置いてあった。一つ15ユーロであった。  日本ではまだ売り出していないので、非常にうれしい。  さっそく、少し見てみた。  「東京物語」はVoyage A Tokyoなのに対して、 「秋刀魚の味」は、Le Gout Du Sakeである。このSakeというのは、 一体何なのか、こんど安斎ローランさんあたりに聞いてみたいと 思うが、めぼしい場面をフランス語の字幕付きでみると 面白い。  早速今日の朝日カルチャーセンターで使いたいと思う。 2002.10.12.  代々木駅のプラットフォームで立っていると、 前を20代の女性が二人喋りながら通り過ぎた。 A「私、あの顔、何で好きなんだか自分で判らないんだ。」 B「ふうん。」 A「カッコいいというわけじゃないんだけど、何故か好きなんだ。」 B「そういうの、ヤバーイんじゃない?」 A「そう、私も、自分で、ヤバーイと思う。」  ヤバクないよ、そういうのが本当にいいんだよ、 と思いながら山手線に乗った。  11時からluch time seminar。  田谷君がMT野とVIP野のニューロンのポピュレーション・ コーディングの論文紹介、  柳川君がArieliの神経細胞のongoing activityの解析の論文を紹介。  途中で、長島ネアン久幸君と近くのセブン・イレブンに行って、 おにぎり、サンドウィッチと、カップスープの類をたくさん買ってきた。    このカップスープが大当たり。論文を読みながら暖かいものが のどを通っていくと、何故かほっとする。  そんな季節になった。  柳川くん、長島くん、須藤さんが「progress report」をやって、 ゼミは終了。  須藤さんが東大駒場の開一夫さんの研究室に行ってきてレポート したのが面白かった。いろいろアイデアで爆発しているらしい。  長島くんは、やっとデータが出てきた。  朝日カルチャーセンターは、今日から「コミュニケーションの脳科学」。 終了後、今日から「やりなおす物理」という講座を始めた竹内薫と、 何人かのレクチャー参加者と飲む。  話は日本の科学ジャーナリズムのあり方に及んだのだが、竹内と 私の意見が一致したのは、日本の科学ジャーナリズムにはある種の形而上 学が欠けているのではないかということである。    朝日カルチャーの前にやった打ち合わせでも、日本のマスマーケットの 動かしがたさ(「海馬」という本のことが話題になっていたのだが) について議論していて、結局マーケットというのは良質な コミュニケーションをすれば変えることができるのだから、 とにかく暖簾に腕押しでもがんばって働きかけるしかないという結論に なった。  光の(と自分が信じている)方向に仕事を続けるだけである。 2002.10.13.  インターネット関係で、niftyのアドレスと qualia-manifestoのアドレスがほとんど使われていない状態になって いたので、  eudoraの設定で、複数のパーソナリティーを設定して、 kenmogi@nifty.comとkenmogi@qualia-manifesto.com も 使うことにした。  ところが、qualia-manifesto.comの方はhostingがbekkoameで、 何しろずいぶん長い間使っていないので設定パラメータがどれだったか 思い出せない。  ゆっくりゆっくり思い出しているうちに、何とか設定できた。  これからは、仕事関係のofficialはcsl.co.jp、その他はdefault qualia-manifesto.comで行きたいと思う。  某所から、整理法について短い文章を 書いてくれないかという依頼が来て、 それを引き受けるというと私の机の様子を知っている人は大爆笑 すると思うのだが、実は引き受けることにした。  現実の物理空間の整理と、脳の中の整理は別で、脳の中の整理の 方がよりエッセンシャルであるということを書きたい。    あまり詳しくはネタバレになるので書けないが、要するに ある種の職業の人が盛り場を歩いて新しくオープンした店が ないか常に見張っている、あれは一つの整理である。  あるところに物理的に何かが存在しても、自分の脳がそれを 感知しなければ、それは存在しないのと同じである。  先日来たAllan Snyderが、sleep on itという言い方をしていたが、 あるものを一度脳にインプットしておいて、それが無意識でどのような 作用をするか、しばらく置いておく。  要するに、外界と脳内を一続きに扱い、外部と脳のインタラクションを 通して脳を手入れする。  そんな視点から見れば、整理というのは自分の本棚、机にとどまる ものではなく、本屋に行って棚の本を見る、人に会う、街を歩く、 そのようにして、あそこにあんな本があった、あんな人がいた、 あんな店があったというのも整理である、というようなことを 書こうと思う。  これ以上は、原稿を書いてのお楽しみである。  バリ島の爆発はショックであった。  竹内薫とかと、行こう行こうと言っていたのだ。  バリに最後に行ったのは、ハリー彗星が来た時である。    思うに、アメリカ対イスラム原理主義という対立構造の中の テロならばまだ認識できても、世界中の様々な主張を持った個人や 団体が、我に正義ありとテロを始めたら、それはさすがに やめてくれのカオスということになるのではないか。  ワシントンDCでの連続スナイパー事件や、フィンランド、 フランス艦船など、脈絡ないテロリズムが続くようになると、 大きな文脈よりは小さな逸脱の方が見えてくる。  世界について考える時も、まず脳にいろいろインプットして 手入れし、sleep on itしてみる必要があるようだ。 2002.10.14.  ここのところ、 休日に近所を歩くとき、小さなタッパーを持ち歩く。  そして、ハムシやカメムシなどの小さな昆虫類がいると、 入れてしまう。  コケのかけらも拾い、枝や草も少し入れて、小さなインセクタリウムを 作る。  それを時々眺めては、秋が深まるのを感じる。  案外快適な小宇宙となっているらしく、 体長1センチくらいの茶色の小バッタは脱皮までした。  養老孟司さんの鎌倉の家でたくさんの甲虫類の標本を見て以来、 自分も近所で気楽に集めて見ようかと思っていた。  タッパー一個の気楽な収集である。  やって見ると、かなり面白い。  まず、子供の頃さんざんやった 蝶と違って、全く類推ができない。  蝶なら、だいたい見当が付く。だから、ある意味ではつまらない。  昨日は、近くの森でムラサキシジミを発見して驚いた。  蝶に興味がない人は、ムラサキシジミと書いても単なる記号だろうが、 私には、九州の親戚の家の近くの森の息づかいが思い出される、 関東で初めて目撃した時の驚きが思い出される。  そのような重層的な記憶とともに、「ムラサキシジミ」という 小さな南方系の蝶の認識が脳の中で立ち現れる。  (温暖化の傾向は確からしく、最近南方系の蝶を見かけることが 本当に多くなった)  ところが、甲虫類は、まったくそのような類推が付かない。 名前はもちろん、蝶のような豊かなコノテーションも浮かばない。  それが、テラ・インコグニタのようで新鮮である。  第二に、基本的に這っている小さなものたちをタッパーに入れる 感覚は、蝶のようにネットを振り回して大捕物をする感覚と 違う。  たとえていうと、植物から果実を収穫する感覚に似ている。  なるほどね、甲虫をやっている人たちは、こんな感覚だったのか と不惑を前にして思う。  私も10月20日で40である。10、20、40と、何だか 意味ありげな数字が並ぶが、それを前にして、タッパーで 昆虫を集めているというのも何だかどうかと思うが、 さらにどうかと思うのが、昨日、小学館のwebで、 赤塚不二夫のDVDの漫画全集を 注文してしまったことである。  「天才バカボン」が好きで、しかし全巻を集めてもどうせ散逸 してしまうから、だったらDVD4枚で全作品が入っているのを 持っていようかと思った。  最近になっても竹書房の文庫のやつを時々読んでいるけれども (全21巻あるらしいが、とても全部は持ちきれない)、 面白い。バカボンのパパがうなぎ犬にくすぐられる場面は、 何回かレクチャーで使ったこともある。  酒を飲んで、夜寝る前に、10分くらい読んでいて眠くなる という間合いがちょうど良い。  DVD1枚持っていけば、どこでもそれができるから、 ちょっと高い(7万!)がまあいいかと思った。  私のBritish ComedyのDVDのコレクションも拡大しつつあるが、 笑いの関係の良質のものは、同じものを何回見ても楽しいから不思議である。  The Fawlty Towersなど、何回見たか判らない。  「天才バカボン」も、気に入ったやつは何回か読んでいる。  バカボンのパパが、自分で自分の家を壊して、強盗が入ったと思いこむ 回など、全健忘の症状を説明するのにいいスライドだから、今度使って 見ようかと思う。  カートゥーンを使うのは、アメリカやイギリスの研究者はよくやること である。  とDVD全集を注文した言い訳をして見たりする。 2002.10.15.  10月11日の日記で、フランス版のDVDで小津安二郎の 「秋刀魚の味」が、Le Gout Du Sakeと表記される問題について クリエーターの安斎ローランさんにそのうち聞こうと書いたら、 ご本人からメイルが来た。  「Sake」というのは、つまり、「酒」のことなのだそうだ。  そうか、素直に考えればいいのかと、「サケ」=「鮭」という 回路が開いてしまった自分の脳をしげしげと観察する。  そう言われて見れば、この映画は、オルミの「聖なる酔っぱらいの伝説」 と双璧ではないかというくらい、酒を飲むシーンが登場する。  娘を嫁にやる父親の思いを、秋刀魚の腑の苦さに例えた原題を、 「酒の味」としたフランス語訳は、当たらずとも遠からずということに なるのかもしれない。  秋刀魚はフランス語ではbalaouというのだそうだ。    昨日は私の父親が「秋刀魚の味」だった。  私の妹の結婚式があったのである。  親族紹介、神式での挙式、そして披露宴へと流れる古典的な 結婚式で、  そういうのに親族として出席するというのは久しぶりだったので、 当事者意識なくいろいろと観察して、密かにいろいろなことを 思ったが、まずはメデタイ。  私の妹は、オーストラリアに行ったり、プーケットに行ったり、 南太平洋から東南アジア方面を長年にわたって漂流していた人生で、 いつの間にか潜り(スキューバダイビング)を生業とするように なり、しかしちょっと前に日本に帰ってきて、普通の就職をしたので、 これは結婚でもする気なのだろうかと思っていたら、お見合いで 決まったという知らせが来たのがしばらく前のことだった。  たまたま何となくデジタルビデオを持っていったら、何と私以外に ビデオを回している人が一人もいなかったので、私の撮影が「オフィシャル ビデオ」になってしまい、酔っぱらった頭をしゃんとさせて、 いろいろアングルとかコンテとか考えながら回したのだが、最後に新郎の 親族の挨拶のところでビデオが時間切れっぽくなってしまい、 その後の「花束贈呈」と「挨拶」は絶対に収録しなくてはならないので、 その挨拶はすまないが少し端折ってしまった。  本人たちは一番そう思っているのだろうけども、ああいう儀式というもの は、自分のものであって自分のものでないような、奇妙な不自由さがある。 その不自由さこそが儀式なのだろうが、全てがインフォーマル化した 現代において、そのようなプロトコルに身を置いてみると、 何だか不思議な感覚になる。  なんと、今朝からバリ島に新婚旅行に行くそうである。妹の性格から して中止するはずはないと思っていたが、大丈夫だろうか。  誰かが、親が死ぬと、死と自分の間に何も隔てるものがなくなるという ことを書いていたが、  どうもそれは結婚式から始まっているのではないかと思う。  神主が祝詞で子孫繁栄とかナントカ言っていたが、要するに 水生動物から両生類、ほ乳類、そしてピテカントロプスとかネアンなんとか とかその辺りを通って、原生人類に至る生命の連鎖の中に自分を置く という儀式は、自分もまた数珠の珠の一つになるということであって、 実は人はそこで微かに自らの死を意識するのではないかと思う。  そんなことが、私がその神式の儀式を見ながら密かに思っていた ことなのだが、もちろんメデタイ場でそんなことを言うはずがない。    今年の春に伊勢神宮でお神楽奉納を 見ておいたので、神式の儀式の「絶対基準」は何となく判る。  近代的なビルの中にしつらえた祭壇でも、その雰囲気を何とか 再現しようと努力しているらしいということは判った。 2002.10.16.  人生にはいろいろとトレードオフの関係があるように思う。  たとえば、やることが沢山あって、次から次へといろんなことを やっている時代は、一歩後ろに引いて、自分の人生を振り返る、 あるいは味わうということができないように思う。  それで、気が付いたら何日も何ヶ月も何年も経っていたということに なる。  一方で、いかに生きるべきか、自分は何をすべきかなどと 悩んでいる時期は、  自分の人生を見つめることが中心的な仕事になるけれども、 今度は物事が進まない。  それで、自分はパーマネント・ヴァケーションの中にいるのでは ないかと思ってしまう。  今振り返ってみると、学生時代のある時期、ああでもないこうでも ないとウダウダしていたことが、一つの資産になっているような 気がする。  一つのピークは、おしら様哲学者、塩谷賢と、隅田川の ほとりで夏の夜、缶ビールを飲みながら二人で寝転がって 取り留めのないことを喋っていた頃である。  薄暗がりの中、まるで浮浪者のように二人でマグロになっていると、 散歩しているカップルたちが大きな円を描いて避けて通っていった。  あの夜の思い出は、情けないようでいて、実はあの無為が 人生の一つのピークだったような気がするのである。  ウダウダ悩むというのは、実は一つの才能であるように思う。 問題は、そのウダウダを、どのように着地させるかということである。  これが難しい。  必ずしも、着地さえさせればいいと言うものではないが、 ウダウダをあまり長くやっていると、そのうち発酵して腐ってしまい、 ウダウダがあまり楽しくなくなってくる。  この辺の間合いが難しい。  久しぶりに10キロ走った。  それに、信じられないことに、一日トータルで腕立て、腹筋を それぞれ200回づつやった。  その辺りの筋肉が今朝は確実に痛い。  こういう運動をしている時は、あまりウダウダ悩まない。  悩むのは、大抵、何もしていない時である。  小さな甲虫類をタッパーに入れて観察していると、 このヒトタチはあまりストレスを感じないのだろうなと思う。  ストレスというのは、要するに、複雑な適応が可能だからこそ 感じる。  適応の可能性がなければ、ああしようこうしよう、ああできたのに こうできたのになどと考えなくてもいいから、ストレスというものも なくなる。  ウダウダ悩むのは、結局、ああもしたい、こうもしたいと、その 志向性の向かう先が無限定に広がるからである。  そんなに複雑な志向性を持たない石ころは、きっと悩まない。  悩むというのは、潜在的な適応能力の大きさの証左である。 2002.10.17.  東工大のすずかけ台キャンパスに久しぶりに出かけた。 朝10時から、博士の中間発表、予備発表の審査があったのだ。    まずは中村清彦研の角田くんからで、サッケードのモデルを聞いた。 後ろを振り向くと、恩蔵さんと関根くんがいて、途中で長島くんが 入って来た。  しばらく時間が空いたので、11階の院生の居室に行った。 2階から階段をずっと上っていったら、6階くらいからはあはあぜえぜえ になって、着いた時は夏の日の犬のようになっており、 長島に、茂木さんどうしたんですかと言われた。  「茂木研」の院生は、中村研の居室に一緒にいる。去年までの部屋に 比べるとぐんと明るく大きな部屋で、そこで仕事をしながらだべったり しているうちに、午後の審査の時間になった。  審査が終わったら、ゼミ兼飲み会をしようねと言っていたのだが、 何と長島がすでにビールとかを買ってあった。  その時の会話で、長島が「買ってありますよ、茂木さん」と 言ったにもかかわらず、私が繰り返し「買い出し行って来てくれい」 と言ったらしく、後で須藤さんに「茂木さんはターン・ テイキングができませんね」と言われてしまった。  確かに不思議だ。ずっと樺島研の統計物理の発表を数式とかに集中して 聞いていて、注意の向け方が変になっていたのかもしれない。  714号室に行ったら、恩蔵さんがニコニコしながらケーキを 出す。  何と、20日の私、19日の田谷くんの誕生日を祝って、 ケーキを焼いてくれたというのだ。  ろうそくを立て、「ハッピーバースデー・トゥー・ミー」 を歌いながら、私は少し動揺してしまった。  何しろ、誕生日にケーキを焼いてもらうのは、ずいぶん久しぶり のような気がする。  しかも、とてもおいしい紅茶ケーキだった。  「失われた時を求めて」のマドレーヌのように、私には高校時代の 記憶がよみがえった。  そう、あの時、Yさんが私の誕生日にケーキを焼いてきてくれて、 クラスルームでいきなりくれたのである。  私はあわててしまって、訳のわからないことを口走った。  その中で、「うちのワンちゃんにも分けてあげようかな」 と言ったのが、Yさんの気に障ったらしく、  「犬にあげるなんてひどいわ」と言われた。  かわいいチンなんだけど、と言っても、もう遅かった。  その時のことを何人かの人に聞くと、やはり、犬にケーキをあげるのは、 それがいかにかわいいチンであっても、御法度らしい。  そんな記憶がよみがえった。  恩蔵さんのケーキは、犬に食べられることもなく、無事、茂木研 学生+樺島研・佐塚くん、中村研・澤くんによってアプリシエイトされ、 何となく飲み足りない私たちは、青葉台へと繰り出したのだった。  澤というのは自衛隊から来ているヒトで、いろいろトンデモない ことを聞いた。  例えば、自衛隊では、8キロ泳げなければならないというのである。 8キロというのは、東京湾を泳いでわたれる距離らしい。  「いやあ、東京湾の真ん中に、一つだけ無人島があるんですけど、 そこまで泳いでいって、帰りはフェリーで戻ろうと思ったら、チケットは 往復でしか買えませんと言われたので、仕方がないので帰りも 泳いで来ました」 とか言っていたような気がする。  あと、  「バイクで東京から北海道まで日帰り旅行というのを決行しました」 と言っていたような気がする。   やら何やらで、久しぶりに楽しい飲み会であった。    飲み会の最後に、誰が毛深いとかそういう話になって、関根くんの 背中に「腰毛」があることが判明したような気もする。  「坂本龍馬に腰毛があったというのを読んで、自分にもあるので、 ぼく、それが普通なんだと思っていました」 と言ったような気がする。  いろんな気がする秋の夜長なのであった。 2002.10.18.  ウンジャマラミーの松浦雅也さんからNew!というタイトルの メイルが来て、  私は何じゃらほいと目黒の七音社に出かけていった。    松浦さんが、先日のqualia 7で「昔ブラウン管を丸くしていたら、 向こうから誰かがのぞいているような気がしてイヤだという 人が続出して四角くなった」という話をしていたが、  それに匹敵するオモシロ話がいろいろ登場した。  それで、New!とは何だったのかということなのだが、 おそらくそれは一つのメタファーだったのかもしれない。  私も松浦さんも、生きるカンヴァセーション・ピースとして そこに座っていた小川さんも、New!というのが何なのか、 何となく合意はしていたと思うのだが、誰も何も言わなかった。  この、判っていて誰も何も言わないというのが最近しみじみ 面白い。  夜は、電通のおじさんたちと飲んだ。  築地市場の中にある魚四季という店で、 マグロの頬肉、あご下など、まるで獣肉のような味わいのものを ワシワシと食べ、ビールを飲んだ。  それで、久しぶりにカラオケに行ったが、後半眠ってしまって、 「よく眠っていましたね」と言われてしまった。   タクシーの中で、powerbookを広げていたら、また眠ってしまった。  眠っている間も、松浦さんのNew!というメイルのタイトルのメタファー がずっと頭の中にあったと思う。  イメージとしては、PSY'S時代の松浦さんが、ボーカルをやりつつ、 飛び跳ねる。  それで、口が軽く開いた状態になり、足を広げていて、 ギターをぴょんと横に突き出していて、  それで、口から出ている吹き出しの中に「New!」と書いてある。  そんな感じをずっと引きずっている。  街を歩いていて、New!というメタファーに合うものを 無意識のうちに探してしまうような気がする。  新潮社から、小林秀雄全集の特典CDをいただいた。  小林秀雄が、ワグナーについて語っている。  さっそくそこだけmp3にしてpowerbookに入れた。  私の鞄の中のNew!である。 2002.10.19.  学生たちとの研究が、佳境に入ってきている。  それで、一日のかなり多くの時間を、彼らとの議論や、アレンジメント、 方向性、関連したことについていろいろ考えることにとられるように なってきた。  午前中は、等々力にある井深さんの作った幼児教室、EDAを訪問。 須藤珠水さんとやる認知研究についての相談である。  町田さんや菊池さんに一通り説明、議論した後、 山田レイコさんが「心の理論」について思わぬスルドイ指摘をして、 等々力渓谷の横のそば屋で考え込んでしまった。    考えこんでしまったのは、「これ新しそうだ!」と注文した かき玉そばが、あんかけ味だったのにも原因がある。  電車に乗って移動中、須藤さんが立ったままノートブックを開き、 そこにケイタイを載せてメイルチェック始めたので、オレ以外に そんなことをやっている人を見たのは初めてだ、と須藤に言った。  午後は、CSLで柳川くんと長島くんとプログレス・レポート。 柳川くんは11月17日からシンガポールで、長島くんは11月2日から フロリダでの学会発表を控えている。  つまり、長島ネアン久幸の方が「てんぱって」いる。  長島君の研究テーマは「マイクロスリップ」(手などの動作に、 意識しない微少なゆらぎ、よどみが生じること)なのだが、 春からうんうん言っていて、私もうんうん言っていて、 そのうんうんの中で暗雲がたれ込めていた。  ところがである。長島ネアン久幸が、パワーポイントでデータを 示していて、うん、うんと次第に顔が曇って来た時、突然、 「うん?」と「うん」が「うん!」に転化したのである。  「今、何ていった?」   「今、何、見せた?」 という感じになったのである。  そして一分後には、  「それで、ニューロサイエンス・ミーティングはOKじゃん!」 となったのである。  長島ネアン久幸は、マイクロスリップという現象のしっぽを つかんだかもしれないのだ。  ただ、本人がまだ自信がないといっているので、ひょっとしたら 「うん?」が「うんうん」に戻る可能性がないとは限らない。  だが、私は行けるのではないかと直感している。  いずれにせよあと2週間の勝負だ。    夜は、おしら様哲学者、塩谷賢と久しぶりに会い、そしてギャラリー オープンに行った。  ここのところ、「ネオ東京」の文化シーンについては、「うん?」 ということが沢山あるのだが、  塩谷はそんなことに関係なく、相変わらずサンダル履きであった。 2002.10.20.  毎年、新聞を開いてそこに美智子皇后の会見が載っているので、 ああそうだ、今日は自分の誕生日だっけ、と思い出す。  不惑ということになるが、惑わなくなるのがいいことなのか 悪いことなのか判らない。  ゲーテは、『ファウスト』の中で  Es irrt der Mensch, solang er strebt. と言っているし。  誕生日の夢は、何故か私がダニエル・デネットになって、聴衆の前で 意識についてレクチャーするという奇妙なものだった。  無線マイクが蝶ネクタイのようにのど元についていて、 言葉はなめらかに出てくるのだが、声がでない。  それで、もっと大きな声で喋らなくては、と必死になっている うちに目が覚めた。  しばらく前に、やはり聴衆の前でスピーチをしている夢で 声が出なくて、目が覚める直前に、自分がその通りに口を 動かしてささやくように喋っていることに気が付いたことがある。  要するに、レム睡眠の時には運動系に抑制がかかっているから、 声帯の筋肉がふるえないのだが、それを一生懸命ふるわせようと しているのだ。  脳のある場所がやろうとしていることが、別の場所がやろうと していることとコンフリクトを起こしている。  また、中野に出て買い物をした。  サンプラザの前では、いつも何か やっている。  昨日は、山形県御免町の鬼剣舞というのをやっていた。  笛の音に合わせて、「鬼」が踊っているのだけども、途中で 二人の鬼が向かい合って肩を掴んで人工衛星のように回るのが 妙な間合いで、  まるで人間おにぎりのようだなと思って見ていた。  それで、サンプラザの前のカフェでカプチーノを飲みながら 岡本太郎の「芸術と青春」を読んで帰ってきた。  タローのパリ時代の文章は、独特の質感があって、 ほほうと思う。  意味よりも、感覚を通して訴えかけてくる文章である。  リテレール別冊の「今年読む本いち押しガイド」の原稿締め切りが 迫っている(というか過ぎている)のだけども、  文庫本の1冊はオカモトタローで決まり!  である。  自分がデネットになってしまった夢は、こうして覚醒していても 何故かあとを引いていて、  全てのリアリティの源泉は夢であるという保坂和志説について また考える。 2002.10.21.  目白通りを島忠家具センターに向かいながら、 新潮にもらったCDで、小林秀雄を聞いていた。  ベートーベンの解説で、「解釈なんてどうでもいいんですよ」 と言っているところで、  ああ、こういう所は池上高志に似ているなと思った。  それで、その後のワーグナーの指輪でジークフリートが死ぬところの 解説とあわせて、連想が続いて行った。  一つの神話的なメタファーとして、ある人間が、その本性に 忠実に生きることによって破綻するというものがあると思う。  池上は強靱だし、一見破綻とは無縁のように見えるけれども、 「解釈なんてどうでもいい」といかにも小林秀雄のように言い切りそうな 点において、  ジークフリート的な破綻を迎えるモティーフを内在している。  実際そうなるかどうかは別として。  どうも、私は、ジークフリート的な破綻を迎える可能性のある 人間にしか、本当の意味では興味を持たないのかもしれないな、 特に男の場合、とハンドルを切りながら思う。  小林秀雄のことを、ああいうのはよくないといろいろ批判する 人間よりは、あそこまで無防備に「解釈なんてどうでもいいんですよ」 と断言する人間の側にいたい。  実際に破綻する必要は全くないが(実際、小林秀雄の人生が破綻など とは誰も考えないだろう)、少なくとも、その無防備さが破綻への 予感を感じさせるような人間の近くにいたいし、自分もそうありたい。  イギリスのアマゾンから来たThe OfficeのDVDの6つのエピソードを 週末に全て見た。  今イギリスで一大ブームを呼んでいるコメディーであるが、 とても良かった。 http://www.bbc.co.uk/comedy/theoffice/ http://www.geocities.com/the_office_comedy/ http://www.totalcress.co.uk/theoffice/  コマーシャルとタレントの生活保障の おまけとしてちゃらちゃら作っている日本の民放の番組など全部消えて しまえ、という感じだが、TVというジャンル自体には、 まだこんな可能性があるのだと、改めて見直した。  以下、ちょっと文体を変えて、感想を書いてみる。  「イヤなボス」をやっているのがRicky Gervaisで、その人に officeの人達が振り回されて、でもボスだから何も言えない、 など、現実のofficeの感じがリアルに出ている、 そんな風に聞いていたが、 実際に見てみると、もっと奥深い作品だった。 何だか最後は感動してしまった。 Ricky Gervaisの「イヤなボス」も、途中から脈絡なくギターで 歌など歌ってしまって、 「イヤなボス」から、「ひょっとしてこの人イイヒトかも?」 とちょっと好感を持ってくる。 その、「イヤなんだけど、好感を持ちつつある」、 「どっちにしよう」という感じが、 ものすごくリアルである。 手法的には、まずlaughter trackがない。 これがものすごくいい。 ドキュメンタリー手法と言われているけど、 これも画期的で、 俳優が演技しながら時々カメラの方を見たりする。 要するに、officeにカメラが入って それを時々意識している、というフェイク感があるんだけど、 それが逆に、「確かに普通のofficeにカメラが入ったら、 人々はあんな風にやるよな」という感じで、とてもリアルである。  ああ、なんか、こういう画期的に新しいものをつくりたいよ。  今の民放のクダラナイ番組ぜんぶ消して白紙にしてしまって、 そのあと「しばらくお待ちください」というバラの壁紙を 流して、  それでオレとか池上高志とかにかってにやらしてくれないかな。 2002.10.22.  日記で池上高志のことを書いたら、 本人が物象化して現れた。  角川書店の松永さんと、新宿の「千草」で、NeuromancerのGibsonや Lord of the Ringsや、釜が崎の話をしていたら、池上が「今迷っているん だ、オレはどこにいるんだ」と電話してきた。  それで、ふらふらと歩きながら「どこにいるんだ」というと、 「ベネトンの前だ」というので、ああ、あそこかと歩いていくと、 いきなり道路を越えて襲いかかってきた。  北澤さんが駒場に来てずっと喋っていたということで、 ビールを2杯づつ飲んでいる私や松永さんよりも池上の方が ハイだった。  誕生日のプレゼントに、千と千尋のマスコット4点セット をくれた。  お約束通り、「おしら様」のフィギュアを指して、「塩谷賢がいる!」 と叫んだ。  40歳の誕生日には、豚の丸焼きを食べるんだ、と以前から主張 していたが、  例の英語モードで、店主のおじさんや、アルバイトのおねえさんに、  「Do you have a whole roasted pig? ブタノスガタヤキアリマスカ?」 と何回もマジっぽく聞いて、  松永さんがそれを見てニヤニヤ笑っている。  「すみません、ブタのみそ焼きでいいです」 と私が言い、しばらくしてブタのみそ焼きが出てきた後も、 池上は、  「ブタノスガタヤキアリマスカ?」 と繰り返し聞いていた。  よほど、ブタの丸焼きはウマイらしい。  一生のうち一度は食べてみたいと思う。  朝、トイレに入って、数ヶ月前に買って放っておいたシュタイナーの 「神智学」をパラパラめくっていたら、 突然、そうだ、昨日の夜の夢の中に、ダライラマが出てきたんだと 思い出した。  しかも、その夢を見ている時に、こんなにリアルにダライラマが 出てきているんだから、  明日の朝目覚めた後、ダライラマの夢を見ていることをきっと 覚えているに違いないと思ったことも思い出した。  ところが、おそらく、トイレに座ってシュタイナーを捲らなかったら、 しかもそこにアストラル体とかよく判らない言葉が書いてなかったら、 ダライラマの夢のことは思い出さなかったろうと思う。  シュタイナーをペラペラ眺めていたのは、ほんの1分くらいのことである。  その窓を通って、忘れそうになっていた記憶がよみがえった。  それにしても、リアルな夢だった。ダライラマの服の山吹色も、 ちょっと片方の足を引きずるように歩く感じも、非常に鮮明に残っている。  興味深いのは、見たことを思い出さなかった場合の私の人生だ。 きっと、無意識のうちに、昨日の夢を見たという痕跡が残り、 それが私の認知構造に微妙な影響を与えたろう。  見て思い出さない夢は、無数にあるに違いない。  それが、無意識の構造化に関与していることも、まずは間違いの ないことだと思うが、  脳科学の現状ではアプローチのしようもない。 2002.10.23.  しばらく批判ということを控えていたが、最近気分が変わった。  批判も、生命としての動きを止めない批判だったらいい。  つまり、柔道の技のように、ぱっと止めてかっと交わすような、 そのような批判だったらやってもいい。  丁々発止、ぱっ、ぱっ、ぱっと止めつつ動くような、 そんな感じで批判するのはOKだろう。  というわけで、「海馬」という緑色の本が売れているようだが、 朝日出版社の方にこれをいただいた夜、私は読んで頭に来て バーンと部屋の隅に投げ捨ててしまった。  糸井重里というヒトは、バス釣りを広めたり、いろいろあざとい ことをやるが、この本はあざとすぎるのではないか。  別に、流通が商売だからやっているんだろうが、  こんな本脳科学と何の関係もない、糸井重里の思いつきだろう。  読者も、こんな本読んで感動したとか言っているんじゃねえよ。  (担当の編集の方は非常に素敵な方で、これは一種の確信犯 だとは思ったけど)。  これは、脳をネタにした、糸井重里の思いつきを喋る本です。  宮崎駿や手塚治虫の仕事ぶりを糸井重里が語るところは、 両クリエーターがピカソの多産を思い出させるところがあって、 オモシロかったけれどね。  いずれにせよ、こういう本を読んで「感動した」とか言っている のは、出来レースのようで非常にキモチガワルイ。  おいおい、脳みそ、大丈夫か?  日本の出版界のインテリジェンス・デフレーションも、行き着く ところまで行った感じだな。  その、インテリ・デフレに糸井重里の商売気がうまく乗っている。  そういえば、昨日は温泉の夢を見た。  私が、ヨーロッパ人3人と一緒に温泉に入っている。  視野の右側にいる男が、気持ちよさそうにタオルを頭に載せて、  「この泉はいつもこんなに熱いのか?」 などと言っている。  それに対して、その左側にいる女が、  「そうだ、だからホット・スプリングというのだ」 と言っている。  私は、そんな会話を、満足げにぼーっと聞きながら、 お湯に浸かっている。  どうも、私がこの人達を温泉に連れてきたらしい。  それで、客が満足ならば私も満足というわけで、 いい気持ちでお湯に浸かっている。    目が覚めて、要するに、私は温泉に行きたいんだなと思った。  田谷文彦君と考えている神経回路網における情報の安定と 変動の問題は、ひょっとすると振動を正面から問題にすると いいのではないか、という議論になってきた。  目指すは、来年のNIPSだ。  それで、その議論をネタに、原宿で飲んだ。  駅の近くに、「チョコ・クロ」というチョコ入りクロワッサン屋 さんがあったので、  これはうまそうだというので、5個入りの箱を買ってしまった。  酒を飲んでラーメンを食べたくなったことは何度もあるが、  チョコ入りクロワッサンを食べたくなったのは始めてである。  今朝食べたら、高校の時に、ランチタイムに売りに来た チョコ入りパンの味に似ていた。 2002.10.24.  コンピュータの環境の整備の仕事を始めると、どうもはまる。  Powerbook G4の内蔵ハードディスクを40GBから60GBに して、  ついでにメモリを512MBから768MBにした。  メモリは、この前CSLから品川に向かう階段で転んで 液晶がオシャカになったiBookからガメタものである。  iBookは、死して、メモリを残す。  それだけの作業なのだが、新しいHDからなかなか立ち上がらなくて、 いろいろ工夫した。  最後に、システムフォルダを一度開いてまた閉じるという ずいぶん昔にやったテクを使ってみたら、うまく行った。  60GBにしたら何だかパワーがついた気がして、 夜、車を飛ばしてPC DEPOTまでジャガーを買いに行った。  ジャガーというのは、OS Xの愛称である。  行き帰り、  クナッパーブッシュの1951年のバイロイトのニーベルングの 指輪の録音で、神々の黄昏でジークフリートが死ぬ前にラインの乙女 たちと会う場面から、最後まで聞いた。  家に着きそうになってしまったので、目白通りや哲学堂のあたりを わざとグルグル回りながら最後まで聞いた。  この前、全集の特典CDで小林秀雄がジークフリートがハーゲンに殺された 後にかかる音楽(ジークフリートの葬送行進曲)について喋ったのを 聞いて以来、どうもこれが聞きたかったらしい。  OS Xを買いに行くというよりも、葬送行進曲が聴きたかったの かもしれない。  高校の頃から何度も聞いて、すっかり知っていると思っていた 曲だけど、クナッパーブッシュのせいか、全く違って聞こえる。  というか、こういう楽劇で、歌手が歌う背景で鳴っている音楽って、 一体何なのだろう?  その時の気分を表すとかそういう通り一遍の理解ではなくて、 もっと不気味なものがそこにあるなあ、とそのことを考えていた。  葬送行進曲で、ためらいというか逡巡というか、そういうパッセージが あった後、徐々に感極まってきて、それが頂点に達した時 ジークフリートのモティーフがトランペットで高らかに鳴る所が あるけど、そこを聴いて初めて芯から恐ろしいと思った。  豊島園の横を通っていた時だったと思う。  これ、主人公はジークフリートでも、ハーゲンでも、群衆でも ないジャンと思った。  ジークフリーという存在を必然化し、その死を必然化したものは、 それを時代精神と呼んでも何と呼んでもいいけども、  人間一人でも、人間の集まりでも何でもない、もっと得体の知れない ものだ、その得体の知れないものが、ジークフリートが死んで、 その後の葬送行進曲として鳴っている。  その得体の知れないものの前では、ジークフリートはもちろん、 普通の人間など芥子粒のようなものでしかない。  そうハッキリと思って、私はOSXのヒョウ柄のパッケージを 助手席に置いたまま、わーっと叫びそうになった。  ちょうど、NHKブックスの大場旦さんからいただいた檜垣立哉 さんの新著「ドゥルーズ」に、現代は人間主義でありながら 人間が解体されて行く時代であり、そこに危機とともに新しい時代の 可能性がある、と書いてある。    そう思うと、「神々の黄昏」の最後は、決して愛による救済 ではないような気がしてくるし、ワシントン郊外やモスクワの 劇場で起こっていることは、もはや人間が主役ではないのだという 気もしてくる。  小林秀雄のCDを聴いたせいで、ジークフリートの葬送行進曲が 全く違ったものに聞こえてしまって、その流れで現代が 恐ろしくかつ希望に満ちた時代に見えてくる。  「海馬」の編集者の赤井さんから丁寧なメイルをいただいた。 今、ああいうポジティヴメッセージの本が流行るということを、 人間解体とジークフリートの葬送行進曲と重ねて考えて見ると、 そこには簡単にウッチャレナイ問題があるような気がする。 2002.10.25.  東北新幹線に乗るのは、久しぶりのような気がする。  東京駅で、白に緑の車体を見ている時から 何か寒々とした気がして、  弁当と赤ワインを買ってしまった。  仙台に実際に着いて見ると、それほど寒くもなかった。  仙台駅で、週刊文春の坪内祐三さんのエッセイで紹介 されていた庄司薫の「僕の好きな青髭」を買った。  1969年の新宿駅とか、アポロとか、いろいろ 私が好きそうな話が書いてあるらしい。  ところが、今朝起きて見ると、どこにもない。  どうやら、タクシーの中に置き忘れてしまったらしいのだ。  何だか、マヌケな気がする。  国際シンポジウムの主催者が用意してくださった ホテルは、仙台から車で25分行った泉区のパークタウン内に ある仙台ロイヤルパークホテルで、  何だかずいぶん瀟洒な建物である。  広瀬通あたりをふらふら歩く仙台とは違った、 落ち着いた仙台がここにある。    私の気分も落ち着いて、 エビアンを飲みながら少し仕事をしてから、眠った。  日本に来てしまった人を帰さないという「政府の決定」 だが、よく判らないところがある。  家族の気持ちとしては判るような気もするのだが、 本人の気持ち、さらには子供の気持ちを考えると よくわからなくなってくる。  自分の親が拉致日本人だと知らずにあの国で育った 子供を連れて帰ってくることが、それほどオートマティックな 正義なのか、あるいは適切なことなのか、私には判らない。  そんなことを考えながら眠ったせいか、なぜか夢の中で 小泉さんが不信任決議案を採決されて、否決されて、 まだ首相をやることになり、  これもなぜだか判らないが、私が歩いている何の変哲も ない道路で、いきなり人々のわーっという拍手と歓声が 上がり、  小泉さんが横断歩道を渡って来て、そこで人の群れに もみくちゃになり、  「小泉首相オメデトウございます!」 と不信任案を否決されたことを人々に祝福された。  小泉首相が私の近くに来たので、 私も何となく拍手してしまった。  そうしたら、小泉首相は、私の横に立っていた、緑のドレスの 女の人の胸のあたりを、ふざけるように指でちょんちょんと 突いて、歩き去って行った。  あの女の人は、小泉首相の知り合いだったのだろうか。  ところで、帰国すべきかどうか(させるかどうかという 言い方も、国家の意思を個人の意志の上に置くということを アプリオリにしていて、何だかヘン)という問題は、 今檜垣立哉さんの「ドゥルーズ」を読んでいると実はすでにいろんな人が 違う形で、あるいは抽象化された形で考えていることのように思うのだが、  新聞やテレビのメディアの報道に、ドゥルーズのレベルの思考 (徹底度と抽象化度において)を 要求することは無理だということもまた判っており、  どうなってしまうのだろうと、事態の進展を注視しながら 少し考えてみるということしかできそうにもない。  そんなことを考えていると、また、 夢の中に小泉さんが出てくるかもしれないが。  マジでシリーズものの夢になったらどうしよう。 2002.10.26.  会場に着いた時、  ちょうど西澤潤一さんがスピーチしていた。  英語で話すのを聴いたのは初めてだが、 何だかずいぶん骨格が太い口調で、  木が伸びて花が咲くとかそういうことをうれしそうに言っているので、 ああこの人はきっとエライのに違いないと思った。  昼はネギみそラーメンにコーンをトッピングして、青葉通り の近くをぶらぶら歩いていると、L'Epicierというお茶の専門店が あった。  思わず入って、中国茶のリストの一番上にあったやつ(400番の 祁門紅茶特級)を頼んだ。  これはナカナカいい店である。私が入ったのは、仙台中央店らしい。 http://www.lepicier.com/shop/index.php3  私の出番は午後3時過ぎからで、 前はインターネットの検索技術についてイタリア人が、 後は量子力学についてチェコ出身のイギリス在住の人が話すという まさにインターディシプリナリーなシンポジウムだった。  毎年東北大学としてやっていて、持ち回りで主催して、 今年は情報科学研究科の主催だったらしい。  懇親会の前に、突然発作的にスキャナーが欲しくなって、 講師の赤いバラを外してもらう時に、「あの〜、この辺で コンピュータ周辺機器などを売っている店はないでしょうか?」 と聞いた。  仙台駅の向こう側に、ヨドバシカメラがあるという。  歩いて10分だというので、レッツゴー! で 往復して、目的の小型スキャナーという商品ジャンルはなかった が、9800円で、キャノスキャンのA4サイズを買って、 ほくほくと会場に戻ると、ちょうど学部長の先生のスピーチ が行われていた。  日本語で話して、それを中村慶久さんが英語に逐語訳する。  何だかミョーな感じで、とても面白かった。  ビールを飲んでぼーっと立っている時に話しかけてきて くださったのが、篠澤和久さんで、ギリシャ哲学、特にアリストテレスが 専門だという。  私が、シンポジウムの時に、クオリアが物理主義の外にあるというような 単純化した話をしたのだけども、「それについて、あれは結局 クオリアは物理主義でOKということなのですか? そもそも、 クオリアの身分は・・・」と、その「身分」ということで、 私ははっと悟って、「あ、そういうモードで喋ります」 と切り替えて、ギリシャにおけるフィジカとアーティフィシャルの違い や、アリストレスの『魂論(De Anima)』 では、第一性質と第二性質がロックと 逆になっているといった超オモシロ話を伺った。  その後、今回のシンポジウムに呼んでくださった岩崎祥一さんや、 音響がご専門の鈴木陽一さんと、インディペンデント・コンポーネント・ アナリシスや、英語だと聞き取りのノイズ耐性が悪い話をした。  睡眠の神経機構がご専門の山本光璋さんには、セロトニンや ノルアドレナリン系の作用機序の話を伺った。  最後に、何だかひょこひょこといらしたのが、物理の 堀口剛さんである。  「いや、東北の物理を出た、親友がいまして・・・・」 と言うと、  「田森でしょ。」 と言う。  その笑い方が、何だかとても田森佳秀に似ていて、 ヤヤヤヤと思った。  「あの、クオリアというのは、何か実体としてあるのですか。 形になるものなのですか。」  と、そのような議論が始まって、近くに立っている岩崎さんが 乱入して、とても楽しかった。  坂口さんは田森の先生で、「あいつは優秀ですよ」と、何回も 繰り返し言うので、私も何だか「あいつは優秀なんだ」という気分に なってきた。  スゲーオモシロイ懇親会だった。  一人になって、牛タンを食べてタクシーに乗っている時に、 ふと、タクシーの運転手に「あの〜、今日、偶然仙台四郎の写真を 飾ってある店を見つけたんですけど、ああいうのはどこかで売っている ものなのでしょうか?」と聞くと、  「あ〜、仙台四郎ね。無線で聞いてみましょうか?」 と言う。  「え〜。仙台四郎の写真というのは、どこで買えるものなのでしょうか、 どうぞ。」  「仙台四郎の写真。ちょっと待ってね。え〜、どなたか、仙台四郎の 写真がどこで買えるかご存じの方はいらっしゃいますか、どうぞ。・・・・ あ〜223番、どうぞ。」  「はい、どうぞ」  「あ〜仙台四郎の写真は、青葉一番町のモリテンユウドウで売っている そうです。でも、あそこは8時で閉まるんじゃないかと言っていますけど、 どうぞ。」  「あ〜判りました、どうぞ。」  「8時で閉まってしまうそうです、どうぞ!」  すっかり恐縮して、明日行きますと言った。  ホテルに帰って、ホテルのバーでジントニックとポートワインを飲んで、 ふざけてコースターに描いたペンギンの絵をスキャナーで取り込んで アップして、それから腕立てふせと腹筋とヒンズースクワットを ちょこっとやって眠った。 2002.10.27.  何だか、イヤなニュースである。  モスクワの劇場占拠の顛末。  あの事象だけ取り出すと、善と悪の分布はハッキリしている ようだけど、  そもそも何であんなことをしたくなったのかと考えれば、 事態はもっと複雑である。 英紙「インディペンデント」の記事:世界でもっとも野蛮な戦争 http://news.independent.co.uk/europe/story.jsp?story=346228  ロシアの兵士は、チェチェンのナンバープレートの車を止めさせる 時には、非常にシンプルな方法をとるそうだ。  走っている車の直前に、マシンガンをぶっ放すのである。  ペルーの日本大使館の占拠事件の時には、もっとはっきり、 占拠された方が人間的にはイヤなやつらだと思った。  もっとも、こんな反社会的な(笑)ことを書きたくなったのも、 なくしたと思った庄司薫の「ぼくの大好きな青髭」が リュックのポケットから出てきたからである。  1969年の気分なのだ。  そうか、庄司薫がいたか! という感じである。  庄司薫は、「赤ずきんちゃん気を付けて」という非常に 誤解されやすいタイトルの、しかし実はとてもさわやかな 青春小説の名作を書いていて、 この小説のラストシーンでは、青年が、横断歩道を渡りながら、 「そうだ、オレは自分の下で人々が憩えるような、大きな大きな 木になるんだ!」と決意するのだけど  (「赤ずきんちゃん気を付けて!」は、確か、横断歩道を わたろうとしている小さな女の子に対して主人公が発する 言葉なのである)、20歳くらいの時にこれを読んだ 単純バカの私は、「そうだ、おれも大きな木になるんだ!」 と決意したのだった。  誰か村上春樹と比較して論じた人はいないのか?  村上春樹の文学性に私が疑いを持っているのは、 一つには、「喫茶店のマスター」と私が形容する、 ある種のナルシズムがどうもイヤなんだけど、  庄司薫の小説の方は、村上春樹的ではあるが、 変なたとえだけど、少し「オシッコ」のにおいがする。  さわやかな青春小説に「赤ずきんちゃん気を付けて」 というタイトルを付けてしまうところにも通じるんだけど、  スムーズでプラスティックなナルシシズムではなく、 もっと雑菌のにおいがする。  こっちの方が文学的なのかなあ、と私は午前4時40分に ほうじ茶を飲みながら考えるのである。  なぜこんなに早く起きているかというと、昨日は「すし哲」 というすばらしい寿司屋に入って、さんざんウマイものを 食べて、ホテルに帰ってきて、さあ日本シリーズを少しみてから 仕事するか、と思ったら、あっという間に寝てしまったからである。  4回裏あたりだった。  本当は仙台まわりのことを書く方がふさわしいのだろうが、 チェチェンー>青木大使ー>庄司薫 という連想で、こんなことを書いてしまった。  波に浮かぶカモメについての感動的な物語もあるのだけれども、 それは自分の中で大切に暖めて行きたいと思うのである。 2002.10.28.  仙台から帰る新幹線の中で、 「僕の好きな青髭」を読み終わった。   スゴイ名作だ! と思った。  ところが、今朝になると、少しインプレッションが柔らかく なって拡散し始めている。  この辺りが、庄司薫の柔らかさというか、やや硬質な 構成感があって把握しやすい村上春樹に比べて  マス・マーケットに乗りにくい理由なのかもしれない。  だけど、私は庄司薫が好きだ。  それにしても、世界の中にはプチ悲劇からメージャー悲劇まで、 いろいろな悲劇があふれているなと思う。  モスクワの人質の死者のほとんどは毒ガスで死んだんだそうだ。  何なんだろうね、こういうのは。  結局、他者の行動を支配しようというテコの視点を得ようとすると、 こういうことが起こりうるのだろう。  医者が患者の肉体を支配しようとして麻酔をかければ それによる事故は起こりうるし、  遊園地の遊具で人をぐるぐる回せば、チェーンが切れて 人が飛んでいくかもしれないし、  あるいは、我々は多細胞だけども、ガン細胞というのは 支配を受けた細胞に起こる事故のようなものかもしれない。  いわゆる新聞やテレビの「ニュース」というものは、 事象の表面1センチをなぞってそれをテクストにするだけなので、  たまには新聞をバーンと投げ捨てて、テレビもプチッと 切らないと、逆説的だけど、ニュースとして現れている 事象の本質は判らないのではないか。  朝7時のテレビのニュースをぼんやり見ていたら、 当選する人が皆若い。  しかし、不思議なのは、なぜみんな事務所でバンザーイを やっているのかということで、  なぜ選挙運動のスタイルが、場所代もかかるだろうに、 事務所に背広姿のオッチャンたちが詰めているという形に なっているのか、せっかく当選者が若くなっているのに、 それが判らない。  例えば、絵として、立候補者が自宅の居間で待っていて、 そこに選管から当選の電話がかかってくるのを待っている、 そんな風になったら、選挙というのもずいぶん違ったものに なると思うのだが。  あんなに事務所とかナントカ援助してもらったら、 そりゃあ後ろめたいからいろいろ支持者のために道路引いたり 便宜計ったりするよな、と考えてしまう。  住民基本台帳で番号をふったのだから、いっそのこと 立候補なしにして、誰でも選挙で推薦できるという形にしたらどうか。  基本台帳の番号で投票する。  別に、番号が公開されたからって、直ちに情報が漏れるということには ならないだろう。  ドクター中松が、「新しい政治制度を発明する」とか言って ぴょんぴょん跳ねていたけど、案外そのようなギャグの中に 本質が隠れていたりするからオモシロイ。   2002.10.29.  以前ゴーヤのみそ汁を作ってみて、 これだけは二度と作るまいと思ったのだが、 あのとき、ニガミのエキスがリーサルに水の中を漂って、 それが舌に一斉爆撃をしていたように思ったのは、 単に私がアク抜きをしなかったかららしい。  「ん? ということは、ゴーヤ・チャンプルとかも アク抜きしているのか?」 と聞くと、ゴーヤ達人は「そうだ」と教えてくれた。  ショックである。ゴーヤに悪いことをした。  あの時、私はたんにスパスパスパと包丁で切って、 ドボドボドボと鍋に投入しただけだったのだ。    ネットで調べてみると、ゴーヤの苦みを「アメリカン」にする方法 としては、 1:白いワタをしっかりと取る 2: 水にさらす 3:塩もみをする 4:下茹でする 5: 油を使って調理する があるらしい。 http://www.58kingdom.net/shitsumon/stmn103.html  そのうち、みそ汁にまたチャレンジしてみよう。  小俣圭がうだうだ悩んでいるので、「小俣圭君を励ます会」 を開催して、別れたホーム、  小俣が向こうのホームに見えるのだが、声をかけても、 よく通らないので  ケイタイをならすと、着信画面を見て笑って取った。  「お前、終電だいじょうぶか?」  「だいじょうぶっすよ。」  「今、急行が通過してしまったね、寂しそうだったぞ。」  「ははは。ところで、こうやって茂木さんの唇を見ながら 声を聞いていて居ると、ディレイがあって妙な感じです。」  「どれどれ。あっ、本当だ。お前の唇が動いて、少し経ってから 音が聞こえてくるのが、妙な感じだ。」  「音速っすかね。」  「というか、NTTの中継に時間がかかっているんだな。何だか、 妙な感じだ。」  そう、とても妙な感じだった。まるで、小俣の唇のあたりが、 ゴーヤの苦みでしびれてしまったような、そんな感じだった。  なぜそのことをオモシロイと思ったかというと、唇が動き、 それから思ったよりも時間がかかって声が届くという「不具合」が あった時に、私の脳は、その不具合を私の脳のシステムに帰属する ものではなく、小俣の唇という世界の中の一点に帰属するものとして 表象した。 その表象に伴って生み出されたクオリアが、いわば抽象化されたゴーヤの 苦みのしびれ」だったということが ! だったの である。  私の脳は、声が遅れてくるという世界の不具合をナントカ表そうと 苦悶して、その結果、「苦みのしびれ」のメタファーに達したのだ。  エライやつだ!  田谷文彦君と帰りながら、「脳が考える、これはOKか?」 「OKじゃないですか。」「心が考える、これはOKか?」 「何となくOKじゃないような気がしますね。」「とすると、 世の中には、主語になれる概念となれない概念があるということか?」 「そうですね。『私の心』が考える、と言った場合はどうでしょう。」 「うーん微妙だ。しかし、この「私」という言葉、主語問題の困難を デフォルトで一気に解決してしまうマジックワードだな」「そうですね」 「あっ、駅だ! また会おう」「じゃあまた、明日!」 とう会話を交わしたのだが、あの会話を交わした主語は誰だったのか。  会話を交わしたのは、「私」だと簡単に片づけたくないのは、 ゴーヤの苦みのしびれのメタファーのせいか。  少し水にさらしてアメリカンにしてみよう。 2002.10.30.  ソニーCSLは、月に何回かあるGeneral Meetingの日。  会話を記憶をたどって。  黄色いソファに座ったら、隣がコンピュータ・ネットワークが 専門の長健二朗さんだった。  長さんとの会話。  「この前、ルーターがサイバーアタックに会いましたよね。」  「ルーター?」  「何だか知らないけど、世界に13個しかないやつ。」  「ああ、ルート・ネームサーバーね。あれは、たいしたこと なかったよ。素人のイタズラ程度だったのに、アメリカのメディアが 騒いでタイヘンなことになった。」  「そうなんですか。ああいうのは頻繁にあるのですか?」  「時々あるよ。。。。。ところで、茂木さんは、ルート・ネームサーバー が何なのか、判っているの?」  「・・・・えー・・・、ネームサーバーのハブみたいなものでしょう。」  「全ての枝構造には、ルートがあるよね。」  「ええ。」  「ネームサーバーで、.comとか、.netとか、.orgとか、その一番最初に 聞きに行くIP addressをキープしている、それがルートネームサーバー。」  「そうなんですか。」  「それで、.comで終わるdomainのIP addressは、そこが全て管理 しているわけ。」  「そうなんですか!」  「そう。」  「うーむ。知らなかった。しかし、誰かに話して自慢したいなあ。」  池上高志と谷淳さんが来ていて、増井俊之さんもいっしょに四人 で「わに屋」で飲む。  日本酒を飲もうということになって、増井さんが、  「ここに来たら『14代』だろう」  と宣言する。  「ほかでも飲めるような酒を飲んでどうするんだあ!」  「じゃあ、14代」  「まあ、待て待て待て。20種類あるんですよ! スミマセン、 『14代』ください。ほらね、ここは、店主を呼ばないと、『14代』 は飲めないことになっているんだ!」    池上と谷さんの会話。  「ノーベル田中がさあ、1000万円もらって何に使いますか と聞かれたらさあ、『デジカメでも買いますか』と言っていたよな。 なんなんだあ、あいつ。」(池上)  「ノーベル賞って、N、O、V、E、Lって綴るんだっけ?」(谷)  「えっ、何だって?」(池上)  「N、O、V、E、Lだよね。」(谷)  「わはあー。そういうところが、谷さんは、スゴイんだよ!」(池上)  私も、谷さんはスゴイと思った。  そういえば、「ぼのぼの」で「お父さんってすごい」 というせりふがあったなあと思って検索したら、こんなページが あった。 http://village.infoweb.ne.jp/~chineko/bono/bono_sugoi02.htm 2002.10.31  いやあ、驚いた。  空いた時間を利用して、松濤美術館の小林秀雄「美を求める心」 展を見にいったのだが、  東急本店から適当に歩けば見つかるだろうとテキトーに歩いたら、 お屋敷町に入ってしまった。  それで、「住宅地の中にある美術館だから、何となくあれが 美術館だと判るだろう」と思って歩いていると、  ナント、どの家も「これが美術館であってもおかしくない!」 というスケールと外観なのである。  いったい、この人達はどういうヒトタチなのか。  以前、駒場から渋谷に歩いてくる途中に、松濤の外れに、 例の足裏診断でならした宗教団体の本部(今はなくなっていると思う) があって、その「ベルサイユ性」に驚かされたが、  今回もチョット驚いた。  それで訳がわからなくなって、結局東急本店に戻って、文化村の 入り口の階段の両側に長押のようなものがあるところでpowerbookを 開いて、場所を確認した。  なんだ、結局、駒場に歩いていく道のすぐ右側ではないか。  小林秀雄にはついてはいろいろ不思議なことがあって、  その一つは、若い時はタイヘン貧乏をしたとどこかで書いてあったと 思うのが、  なぜ、このような書画骨董を買うくらいリッチになったのかという ことである。  私は、去年アタマがおかしくなって、夏目漱石がハガキの裏に 書いた小さな絵 http://www.qualia-manifesto.com/soseki-e.html を買ってしまったが (値段がイクラか知りたい人は、湯川薫著「百人一首 一千年の冥宮」 (新潮社)を読んでください http://www.kaoru.to/mystery.htm )、  とても、小林秀雄のように「美を手許に置いて愛玩する」 充実したコレクションを作る資力はない!  もっとも、全て本人が所蔵していたわけではないし、 どれが本人所蔵が判らなくなってしまったので適当に書くが、  ゴッホ、ルオー、李朝白磁、ピカソ、古伊万里、ルノアール、 縄文土器、埴輪・・・ とハンパではないのである。    後で学生に聞いたら、小林秀雄くらいになると、金持ちが「どうぞ どうぞ」と言ってくれるんじゃないですかとの説だった。  さて、これらの美しきものたちを見ている時に、とても ヘンな気がした。  というのも、じっとこれらのものたちを見ていると、それらが、 果たして自分の外にあるのか、内にあるのか判らなくなって 来たのである。  先日、シャトーラフィットロートシルトというもの を飲むことがあって、そのクオリアに大いに瞠目したのだが、 ワインの場合、身体の中に取り込むというメタファーがあるから、 自分の中に入って一体化するというのはよく判る。  一方、絵などは、ワインと同じような意味で入ってきて 自分の肉体に同化するなどということは、我々は普通考えない ものだ。  しかし、私は、ルオーのピエロの顔(これは正真正銘小林が 所蔵していた絵である)をじっと見ていて、確かにその顔が 自分の内側にあるような気がした。   というよりも、そのピエロの顔が、もはや自分の精神の一部に なっているような気がした。  考えてみると、内側にあるか外側にあるかというのは、最終的な アトリビューションの問題であり、もともとは自分の脳のニューロン 活動なんだから、ワインと同じ意味で、確かに痕跡も残るし、 一体化もしているのだ。  だからこそ、小林のように書画骨董を身の回りに置き、さわり、 眺め、取り込むことに意義があるのだろう。  松濤のベルサイユ屋敷に住みたいとは思わないが、 できれば美しいものには囲まれていたいと思う。