茂木健一郎 クオリア日記  http://6519.teacup.com/kenmogi/bbs 2003.1.1~ 2003.2.28 2003.1.1.  おしら様=塩谷が、この前の魚徳のもちつきの時に、 「中世はいいよな。やっぱり中世だ」 と言っていたが、  それで私もなんとなく、私にとってのチュウセーという ものを考え始めた。  修道院の中で、ひたすら内側に沈潜していく、そのような メタファー。  現代は、情報が至るところから降ってくるが、 本当にオリジナルなものは、内側からしかやってこない。  フェルマーの最終定理を解くために、数年間自宅の2階に 閉じこもったワイルズ。  光を追いかけるとどうなるか、という着想を、特許局で コツコツと仕事をしながら10年間追いかけたアインシュタイン。  こういうのが、私にとってのチュウセーだな。  現代はうるさすぎる。 情報が流れすぎる。  NHKの行く年来る年で、ノーベル賞の小柴さんが、カミオカンデの 若者としゃべっていて、 いきなり「だから、感度で勝負しようと思って、フォトマルを 開発したんだよ。」とか、身内モードになっていた。  おそらく視聴者には通じないだろうが、それでイイノダ!  視聴者にやさしいとか、そういうのはクロクラエだよ。  断絶することも重要なんだ。  私がフォトマルがどうのこうのというヒトタチと一緒に いたのは、20代の数年間だけど、  ああいう世界は、一種のチュウセーの世界だったなあと思う。  要するに、情報が世間に流れる時は、もう遅いのであって、 本当にオリジナルなものは、中世の修道院と同じように、 こもった世界の内側からしか生まれてこない。  あの頃は、カミオカンデのヒトタチは、世間的にはこもっていたように 思う。  「フォトマル」は、その世界での「おはよう」とか「こんにちは」 のようなものだったな。  しかし、世の中には、すでに情報として流通してしまったものを 追いかけているオッチョコチョイの方が多い。  本当に大切なものは、自分の内側、インナーシュラインにしか ないというのに。  2003年は、私も、より上のよbロこっと二つ目の山が出て、これは なんとかならないのかと相談。  柳川のスパイク・ニューロンのシミュレーション は、機能的意義を詰めないとダメだあ、と議論。  そもそも、シミュレーションでひとかたまりと見なせる 神経回路網は、脳の中のどれくらいの範囲か、という ことを話し合う。  そして、  雨の降る中、何となく、「わに屋」で軽く飲んだ。  全く無関係なのだが、ふと思い出した光景がある。  小学校の1年から3年まで、私は一駅先の小学校まで 仲間たちと通っていた。  ある時、ホームの電車にみんなで駆け込んで、 一人だけ、ちょっと太めだったN君だけがホームに 取り残されて、プシューとドアが閉まってしまい、 N君の心細そうで、情けなさそうな顔がガラスの向こうに 大写しになって、電車の中では仲間たちが腹を抱えて 笑い、  しかし、電車がカーブを曲がるあたりになって、 N君のことが気の毒になった、そんな時間の流れがあった。    あの時のN君の顔を思い出して胸に抱いて 歩くと、街の風景がしっとりと見える、 そんな雨の夜だった。 2003.1.29.  今朝の日経を見ていたら、 史上サイテーのヨタ本、 「話を聞かない男、地図が読めない女」 の続編が出るという。  それがどうした、こんな、アメリカ人のコンサルタントが 書いたヨタ本を喜んで買っているから、  日本は浮かばれないのだ。  このようなヨタ本は、無知への課税である。  日本人がこういう本を買って、アメリカ人がウハウハ喜ぶ という構図は、他の分野でもいくらでもあるような気がする。  「アエラ」の大和久さんが、記事の中でちょっとこの本のことを 批判的に書きすぎたかもしれないとメイルしてきたが そんなことはない、こういう品性下劣な本は、どんどん批判した 方がいい。  本当にアッタマくるぜ、こういうヨタ本がまたクダラネエ テレビで消費される回路。    だいたい、男の脳はこうだ、女の脳がこうだと決めつけられる ほどわかっちゃいねえんだよ、  そうやって決めつけて、おまえら自分の陳腐な人間観、 男女観を押しつけているだけだろう。  なんだ、ヤツラのノリが少しでもあればいいのにといつも思う。  それで、恩蔵と田谷に、もっと自分から話せるように ならなければね、と言ったら、恩蔵は落ち込んでしまったらしい。  恩蔵の場合、あれは、一種の失語症のようなもので、 それは悪いことではないと思うのだけども、  うまく無意識の解放をしてあげられればいいのにと思って、 私は小津のDVDを貸した。  何かがつらいと思っている人は、結局無意識との つきあい方の問題なのだろうと私は思っている。  たとえば、私はこの日記を毎日書いているけど、 まったく苦労もせず、ただパワーブックの前に座った 瞬間に指がタイプをはじめて、無意識が吐く言葉を 意識がモニタして、「テニヲハ」を直すだけである。  生成というのは本来そのようなものだと思っている。  小津の映画は、なぜか、そのような無意識の生成 の問題を考えさせるところがあって、  そのあたりがタダモノではない、と私は思う。  もっとも、最初に小津の映画を見たときは、何がなんだか 判らなかった。  バイトしていた予備校の近くにレンタルビデオ屋があって、 そこで正月に「東京物語」を借りて、見て、なんだか わからないけどドシーンとしたものが残って、 それで3月にもう一度見て、そしたら熱病にかかったように どうしょうもなくなり、冒頭と最後に出てくる尾道に桜が 咲く頃出かけていって、映画の中に出てきた風景の名残を 求めてさまよい続けた。  2ヶ月は、いわば、潜伏期だったのだろう。  あの潜伏期に、私の脳の中でなにが起こっていたのか、 私は知らない。  そこから抜けたら、はっきりと何かが判ったことがあった。  恩蔵の失語症は一種の人生の潜伏期だと思うし、 田谷は、徐々に自分のスタイルを確立して行くのだと思うが、  私が小津を見返してメランコリーになってしまったのは、 「ゲーム脳がどうのこうの」と言っている、くだらない世間と、 小津の映画に現れているようないわく言い難いしかし美しい 世界とのギャップに、オレは依然切り裂かれて立っているんだなあ、 と思ったからである。  「ゲーム脳がどうのこうの」というようなヨタ話を書くセンセイ とは、おそらく永遠に話が通じないのであって、  そのような断絶した世間でオレはどうやって生きていけばいいん だよ、  ただ、松浦さんとか、池上とか、郡司とか、塩谷とか、 安斎ローランとか、そういう 気の通じ合うやつらが虚空から奇跡的に現れるのを待って、 話が通じるやつらの中だけでパス回しをしていればそれはそれで 心地よいのだけども、私は、どうも「ゲーム脳がどうのこうの」 というヨタ話を書くセンセイやそれを無邪気に受け入れるヒトビト がいる世間というものが、見捨てられないらしい。  いっそのこと、グールドのように出家してしまえば いいんだろうけど、  そうすることは、今までの生き方の何か核心になるものを 捨て去ることを意味するような気がする。    聴講者の一人に、今日の講座で紹介した「ひらきこもり」 のすすめという本は、本当はどうでもいいと思っているとい うことが伝わってきて判ってしまった、と言われたが、それ はそうなんであって、本当はゲーテの「ファウスト」でホムン クルスのガラスが割れてしまうことだけをずっと考えていたい けど、「脳」整理法というタイトルで朝カルの講座が立ち上が ってしまって、そこで「ひらきこもり」のすすめという本を斜 め読みした結果を報告している私がいる。  次回は、思い切ってブンガクの方に飛んでしまうことにしよう。 2002.2.23.  軽井沢にスキーに来た、というか、スキーにくるはめになった。  一番最初にスキーをした時、私はもう30になっていて、 脳研究の重点会議の合宿で蔵王に行って、いきなり頂上の樹氷 の上につれていかれるというトンデモない人たちと滑ってしまって、 幅がそれほどない氷雪の回廊を、直滑降で滑って転ぶという ことを繰り返しながらナントカ降りてきた経験がある。  それから、せいぜい2年に一回、リフト3回分くらいしか やらないので、いっこうに上達しない。  なんだか、スキーに行くのはめんどくさい。海に入る 時にはいろいろなものを脱いで行くのに、スキーでは、 ウェアや、ブーツや、板や、いろんなものを着けていかなくては ならないのが面倒くさい。  それに、これが重要なことなのだが、スキーがたとえ うまくできるようになっても、それがどうしたのだ、 という気持ちがあるのである。  リフトの上からさっさっさと美しく滑ってくるスキーや スノボーの人たちを見ていても、それはまるで答えが一つの 最適化問題を解いているようにも思われ、  むしろぎこちなくハの字型に滑っている人や、 スノボーを片足脱いで斜面で呆然と座っている人たちの方に、 シンパシーを感じるし、魅力を感じる。  酒を一緒に飲むならば、どちらかというとこちらの 人たちと飲みたいと思う。  とは言え、斜面を滑ってくるのはそれなりに 楽しい。  私はターンはナントカできるけど、止まるのが相変わらず 苦手で、  きっとガサッと思い切って何か踏み込んだりしなければ ならないのだろう。  今度、スキーの理論書でも読んで来よう。  夜、食事が終わった後、何となくmp3でとれる IC recorderを持って軽井沢の雪の平原を歩き回り、 思いついたことをいろいろ録音してみた。  樹木の中に立って、ぼんやりと白く浮き上がる雪の 気配を感じていると、  やっぱり軽井沢に来て良かったのかもしれない、 と思えてくる。    そんな中、創造性や自発性の起源に関する大発見(笑) をしたように思うのだが、それについてはそのうちに。    それにしても、スキーでうまく滑る人が、なぜ魅力的では ないのか、という問題は、実に深い問題だと思う。  ATRで、最適化されてピンポン球をポンポンしている ロボットがなんかバカみたいなのもそうだし、   カスパロフを打ち破ったdeep blueはいっこうにintelligentな 感じはしないし、  どうも、人は、ぎこちない発展途上のもの、それどころか 単にぎこちないだけで発展さえしないものの中に、 より人間的な性質、ある種の魅力を感じるものだと思うが、 それは認知の問題であると同時に、脳という臓器の本質の 問題でもあるように思う。  いかに最適化ではない学習理論をつくるか、というのが、 私の継続して考えているテーマの一つではある。 2003.2.24.  県民性というのは、こんなマスメディアの発達した 2003年において、ないようでいて実はあるように思う。  私が小学校から大学にかけて油絵を習った吉野先生は、 長野の小諸か何かの出身だったと思うけど、  とてもイイ先生であったが、時々びっくりしたことがあった。  イキナリ、教訓めいたことを言うのである。  一度、お宅に泊めていただいて「合宿」のようなものを したことがあるが、その時、「朝起きたらすぐ歯を磨きなさい」 とか、「厚着をして寝ると健康に良くない」などと教訓を もらい、これは一体なんなのだろうとびっくりしたことがある。  それが、どうも、長野の県民性と関係しているのかな、 と思い始めたのは、たとえば、車山の小さなホテルで、 オーナーのおばさんに、「何々してください」「何々 してください」と言われて続けた時だった。  再び、これは、一体なんなのだろうと思った理由は、 もう少し下で説明する。  プリンスホテルのスキー場でレンタルをしようと 運転免許証を出したら、「住所変更がしていませんね」 という。「ええ、スミマセン」と言ったら、  「早く住所変更した方がいいですよ。身分証明になりませんから」 とそのオトコが言って、  オレは、別にお前のところのスキー場で身分証明するために 免許を持っているわけじゃねえ、とプチレイジ(petit rage)に なってしまった。    「これはどうも長野っぽいな」という感じというのは、 要するに、なんというのか、何かを言うとき、それが プラクティカルな文脈で言われるというよりは、 モラルな文脈で言われるというか、言っている方が moral righteousnessを持っていて、その「正しい無謬の 立場」から諭されているようなグルーヴ感が立ち上がるというか、 そんなことが案外頻繁に起こるように思う。  車山のホテルでも、ホテルの支配人として、実際困るから 言うというよりは、袖振り合うも多生の縁という感じで、 この際だから、人生で大切な教訓を授けるから、よく聞くように、 という感じで言われたので、私はビックリしたのである。    ベイズ推計ではないが、ここまで珍しいことが長野 周りで起こると、アプリオリ確率から言って、これは やはり長野風というものがあるんじゃねえか、と思っても、 そんなに偏見野郎ということにはならないのではないかと思う。  私は別に長野グルーヴが嫌いだとかそういう わけではなく、あまり普段の他の生活では出会わないような コンテクストだから珍しく、自然に関心を持ってしまう。  有名な教育県長野の文化的遺伝子は、この長野グルーヴ で保たれているのかもしれないと思えば、  このすべてを均質化するグローバリズムの時代に、 好もしいし、私ももうすこし諭されつつ、長野グルーヴを 味わってみたいと思うくらいである。  それにしても、モラルというのは、一体何だっけ、という 問題を、私は随分長い間考えていないような気がする。  学生の時、倫理学をやっているという友人が、まぶしくも 見えたし、イケてないようにも見えたけど、  ethicsというのは一体なんなのか、という問題は、 リンゴが木から落ちる必然性と、擬似的にであれ自由 意志を経由した上でのsollenの違いは何かという問題に 関係していて、要するによく判らないがおもしろそうな 問題ではある。  滅多に私が考えないsollenの問題を一瞬経由する回路に 導いてくれて、  長野グルーヴさんありがとう。 2003.2.25.  出井伸之さんを最初に「生」で見たのは、  CSLのオープンハウスで講演されるために どしどしどしとソニー10号館に入って来られた時の ことだった。  周囲を視線で圧しながら入ってくる その様子は、何となく、やくざの二代目みたいだなあ、と思った。  その後、何回かお見かけしたけれども、 至近距離で見たのは、出井さんが私の週刊文春の対談記事を 読んで、「クオリアだ!」と言われ始めて、最初の会議が あった時である。  いきなり黒のタートルネックのセーターで現れて、 どしんと椅子に座って、「○○クンはねえ、××なんだよ」 と始まり、  いきなりこのテンションで来るのか、と思い、  その後の他の人と出井さんのやりとりを見ていて、 ソニーというのはこういう会社なのだ、と密かな 驚きとカンドーが広がっていったのである。  つまり、それは、脈絡ない直感的なインスピレーションの テンションとノリで、いろんな 会議が行われる、そんな会社なのだ、ということである。  あれから、出井さんのようなヒトがCEOになるから、 ソニーはこういう会社なのであり、ソニーはこういう会社 なのだから、出井さんがCEOになるのだと、  様々な「タッチポイント」を通して私の学習が進んで いったのである。  恵比寿にある羽澤ガーデンで、出井さんの「非連続の時代」 (新潮社)の打ち上げパーティーがあり、私も少しお手伝い したので、参加させていただいた。  飯塚さんが、「ビアガーデンではないですからご安心を」 と言っていたので、そうか、ビアガーデンか、と思って、 恵比寿から寒い中をブルブルと歩いていったら、 歩いていったら、何のことはない、この上なくいい感じの 屋敷的、深窓的、森林的、隠れ家的レストランであった。  飯塚さん以外は、はじめてお会いする方々ばかりだったが、 ここでもいろいろな驚きがあって、その一つは、 どうも、普段いろいろギロンや打ち合わせをしている エンジニアの方々とは雰囲気が違う、ということで、 このあたりが、なんというのか、複雑系というか、 全然違ったニュアンスの人たちが一つの組織にいるというか、 このあたりがむちゃくちゃでいいなあ、と、私は ワインを飲みながらアタマを整理していたのである。  出井さんはビジネスディナーを終えて9時前にいらっしゃって、 バーに移ってシャンパンで乾杯をした。  私は出井さんに「出井さんの言われているクオリアというのは、 正しい理解だと思います。120パーセントエンドースいたします!」 などと言ったら、飯塚さんに、「CEOにOKだしている やつがいるかあ!」などと突っ込まれてしまったのであった。  ちなみに、飯塚さんは、CSLの同僚の潮野崎の奥さんであり、 私は潮野崎にも飯塚さんにもいつも突っ込まれてばかりの ような気がする。    とにかく、ソニーというのは不思議な会社である。  ルールで動いているわけでもなく、ひょっとしたら機能で 動いているわけでもなく、どちらかと言えば、一つの生体に 近い。  つまり、それは、前例とか建前ではなく、 生成のプロセス、無意識と意識のインターフェイス に敏感な組織であるということで、 そのあたりが、私がシンクロを感じる部分であるかもしれない。 2003.2.26.  意識と無意識の関係というのは突き詰めてかんがえると よく判らないのであるが、  一つ言えるのは、「意識的に見る」というようなことも、 多くの無意識に支えられているということだとおもう。  この前の日曜美術館は、「ボッシュ」で、郡司ペギオ幸夫と 良く似た楳図かずおが出ていた。  以前、マドリッドのプラド美術館に行った時、 うかつにも私はそこに「快楽の園」 http://www2p.biglobe.ne.jp/~summy/museum/delight.html があることを知らなくて、  いきなり目の前にあの絵がどーんと現れて、 ショックのあまりその前に30分ほど立ちつくしたことがある。  ちょうど、バックパックをしょったアメリカ人の Tシャツ青年が、私のように前に立ち、首を振っていた。  私には、彼が首を振るキモチが良くわかった。  あれは、私が以前から大好きだった「快楽の園」が、 プラドにあるという事前知識を意識しないで行ったから、 「えっ、ここにあったの?!」という衝撃のボーナスが あったといううかつにもラッキーな出来事であった。    あの日、呆然と立ちつくしていた私は、 とうぜん一生懸命「意識的に」絵を見ていたように思うが、 その時間の流れは、同時に、脳の中で無意識に起こっている プロセスに懸命に寄り添おうとしていた時間であったと 言っても良いと思う。  一般に、何かを意識的に見るということは、その時 起こっている無意識のプロセスに寄り添う行為である。  意識は無意識に寄り添おうとする。  何でそんなことを考えたかというと、ブランドに関する 一橋の先生と電通のヒトとのブレインストーミングの 時に、意識的に見るということの意味について注意が 向いたからである。  それにしても、一日4件もミーティングがあると、 意識の無意識への寄り添い方がお釜のご飯をヘラで なすりつけたようになる。  夜は、祐天寺のClub Kingへ行き、安斎ローランと コメディと戦争の問題について話した。桑原茂一さんが 眼鏡の奥からあの静けさをたたえる眼でじっと見つめていた。  Club Kingは、まるで学園祭のノリでつくられたアジトの ようで、  以前寺山修司が住んでいたという部屋の中にある。  赤ワインを飲みながら、ピザを食べているとき、 安斎ローランが、ガールフレンドがスプーンでみそ汁の 味見をしている動画を見せてくれた。  その小さな画面を意識的に見ているとき、私の中では 無意識が小さなサイズでひっそりと寄り添っていた。  小津安二郎の「晩春」で、原節子が、ヤキモチやきは 包丁で沢庵を切るとき、よく切れなくてつながってしまう、 と父親(大学の先生)の弟子に言うシーンがある。  そんなことを思い出していると、何となくみそ汁と 沢庵が食べたくなる朝である。 (以下、小津安二郎「晩春」脚本より)   30 その近く 砂の上に腰をおろしている二人――  紀子(明るく)「じゃ、あたしはどっちだとお思いになる?」  服部「そうだな・・・あなたはヤキモチなんか焼く人じゃないな」  紀子(微笑して)「ところがヤキモチヤキよ」  服部「そうかなア」  紀子「だって、あたしがお沢庵切ると、いつだってつながってるんですもの」  服部「そりゃアしかし包丁と俎板の相対的な関係で、沢庵とヤキモチの間には何ら有機的な関連はないんじゃないですか?」  紀子「それじゃお好き、つながったお沢庵――?」  服部「たまにはいいですよ、つながった沢庵も――」  紀子「そう?」(と微笑)   39 喫茶店 明るく向い合っている紀子と服部――  紀子「ねえ、何がいいの?」  服部「そうですね・・・」  紀子「どんなもの?」  服部「そりゃ先生から頂くんなら、何か記念になるものがいいな」  紀子「せいぜい二、三千円までのものよ、高くて」  服部「何がいいかな」  紀子「ある? そんなもの――」  服部「ありますよ、考えますよ」  紀子(ニッコリして)「お二人でね」  服部「そうしましょう」  紀子「まア・・・」  服部「ね、紀子さん、巖本真理のヴァイオリン聴きに行きませんか」  紀子「いつ?」  服部「今日、切符があるんですがね」  紀子「いいわね」 服部、切符を二枚出して、見せる。  紀子(微笑して)「これ、あたしのために取って下すったの?」  服部「そうですよ」  紀子「ほんと?」  服部(微笑して)「ほんとですよ」  紀子「そうかしら――でもよすわ、恨まれるから」(と返す)  服部「いいですよ、行きましょうよ」  紀子「いやよ」  服部「恨みませんよ」  紀子「でもよしとくわ」  服部(微笑して)「繋がってますね、お沢庵」  紀子(明るく)「そう、包丁がよく切れないの」   2003.2.27.  久しぶりに目黒のとんかつ屋「とんき」に行ってみようと 思った。  五反田にofficeがあるのに、となりの駅のとんきに一度も いったことがない。  最後に行ったのは、10年以上前か、まだ学生をしていた かもしれない。  駅を降りて、こっちかな、と見当をつけて歩くと、 「とんき」という看板があって、入ると、見覚えのある 白木のカウンターがあったので、ここだここだと入った。  「ロースカツ定食」を注文して、座っていると、なんだか ヘンである。  どうも、店のスケール感が、記憶の中にあるものより だいぶ小さいというか、白木のカウンターはやや大きめの 寿司屋くらいに感じられるし、カウンター内の職人さんも 3人くらいしかいなくて、あれ、こんなに少なかったっけ、 と首をひねる。  記憶というものは、しばしば編集されて変容するものだけど、 それにしてもヘンだな、あの、記憶の中のとんきの、 洗練された大食堂という感じ、その中で人の空気がざわついている 感じがないなあと思いつつ、でも、どこにも「支店」 などとは書いていないから、これがやはり「とんき」なのだろう、 と自分をナットクさせつつ、食事を終えた。  記憶の変容というのは実際不思議なもので、私は タルコフスキーの「ストーカー」のラストシーンのイベントの 順番を反対に記憶していたことがある。  身体障害だが熱い情熱を持つ女の子が、思いを込めて テーブルの上のコップを見つめていると、突然コップが ツツツと動く。奇跡が起こりそうで起こらない映画の中で 唯一起こる小さな奇跡であり、細かいことは説明する暇がないけど タイヘン感動的なシーンなのであるが、私は、この、 超能力であることがあらわになる前に、電車がガタンゴトン と通り過ぎて、それでコップがツツツと動いて、人々は 電車のせいで動いたのだ、と思いこむのだが、実はその後、 女の子が動かしていたということが明らかになって、人々は 衝撃を受ける、というシークエンスだと長い間思っていた。  そのような筋で、カルチャーセンターで「だから タルコフスキーはすばらしい」と熱弁してしまったこともある。  しかし、しばらく前に見返してみたら、実は女の子は 最初から視線でコップを動かすのであって、すべてが 終わった後に、電車がガタンゴトンと通り過ぎるのであった。  私が「記憶」していた、「電車の後に女の子」という 筋は、私の脳の中で編集された、架空の存在であったということ になる。  熱弁してしまった私は、一体なんだったのだろう。  あれと同じか、私がとんきの記憶を編集してしまったのだなあ、 と思いつつ、  何となくモヤモヤした感じを抱えて今朝になってネットで 調べてみたら、なんと、目黒には、「とんき」という店が 二つあるのだという。 http://www.h2.dion.ne.jp/~and-a/texts/tonki.html によると、  以前は東口正面のビルの2Fにあったようですが、2001年の暮れに、リニ ューアル移転オープンし、現在の位置になったようです。以前から、い わゆる、超有名店の「とんき」と混同されていたようですが、移転前は 違っていた内装も、移転後に有名店の「とんき」のトレードマークであっ た白木のカウンターが採用されたようで、ますます混同されやすくなっ ているようです。 念のため、有名店の「とんき」は西口から出た方が近いです。 方々でレビューを見かけるかぎり、「ウワサで聞いたが・・・」などと、 首をかしげた方が多数見られます。こちらは有名店の「とんき」ではあ りません。 名前が同じ、そして白木のカウンターですが、有名店の「とんき」とは、 関係がないようです。本店、支店という関係でもないようです。 偶然、同じ土地、同じ屋号、白木のカウンターだというだけのようです。  ガーン、そうだったのか。    私は、「にせとんき」の中で、記憶の変容とかそのような問題に いろいろ思いを巡らせていていたわけで、考えてみれば間抜けな 話である。    マヌケではあるが、何となく、このあたりに人間の認知 の問題点があるような気がする。  あることを動かし難いものとして前提とし、そこから 演繹するというタイプの思考を、われわれは常に やっているわけだけど、  それだと、いろんな「にせとんき」が世の中に現れて、 気がつくととんでもない方向に向かっている、 ということになりかねない。  一方で、そこに、創造性とか、仮想の可能性というものも あるように思われ、  私の心は、すっかりこの現実世界を離れて、「にせとんき」 や「にせラストシーン」でできている仮想世界の中に 紛れこんで、いろいろ考えはじめてしまうのである。 2003.2.28.  河出書房新社の「文藝」の対談で、保坂和志さんと 飲み会を含めて5時間くらいしゃべった。  いろいろなことをしゃべりすぎて、どうまとめていいのか 判らないのだけども、  一番大切なことを一つまとめれば、何か作品を作る 時でも、人に接する時でも、作品を見る時でも、 自分の心の中の感じ(クオリア)に忠実に寄り添う ことが大切である、ということだろうか。  人は、社会での評価とか、イデオロギーとか、 ラベルとか、対人関係とか、そのようなものが設定する コンテクスト性の中で、自分が心の中で感じている クオリアを曇りのない感覚でみつめるということを しないことがある。  しかし、本当に価値のあるものは、自分自身が今どのように 感じているか、その曰く言い難い感覚に忠実になることに よってしか生まれない。  保坂さんは、作家として、この作業を辛抱強く続けている のだと思う。  一方、冗談のようなというか、文藝の吉田さん、高木さんの 両編集者にも爆笑されてしまったのが、  私が、宮部みゆきの「火車」が10年に一度の傑作などという PRにだまされて、土浦のキオスクで買って、特急で 上野駅に着くまでに読んで、あまりのくだらなさにショックを 受けたという話をした時で、  何でそんなに笑われるのかよく判らなかったのだが、  どうも、保坂さんとか吉田さんとか高木さんの属する 「文藝」の世界では、宮部みゆきというのは、最初から 議論の対象にならないらしい。  そんなものかと、あれは確かイギリスから帰ってきた 1997年だったと思うのだが、エンターティンメント小説? というものをそれまであまり読んでいなかった私が、  ナイーヴにメディアのプロパガンダにだまされた話が、 保坂さんたちには新鮮だったらしい。  それから、私は、ナブコフとか、ジョイスとか、 小津安二郎とか、フェルメールとか、なるべく「美しい」 世界だけに集中して話し始めたのだけども、  今度は、保坂さんが、利根川進はバカだ、 野口悠紀雄がバカだ、と言い始めて、  なんだ、少しは凶器攻撃をしても良かったんですね、 と言ったら、また吉田さんとか高木さんが笑った。  どうも、笑われてばかりである。  しかし、そのうち、保坂さんが、「この小説が 10年に一度の傑作である、というような嘘にだまされて 読んだ読者のうち、心ある人は、それだけ、小説なんて くだらないものなんだ、と思って離れていってしまう」 などと真剣に話し始めて、  「ぼくはエンタティンメント小説なんてジャンルの 寿命は10年くらいだと思っている、その後は、ごく少数の 小説好きが、本物の小説を読む世界がくるんじゃないか」と 予言した。  私が、たとえば小説を読んでいる時、自分の心の中に 生じるクオリアをリアルに見つめることが重要である、 と言ったのは、保坂さんの予言と関係していて、要するに、 たとえばナブコフの「ロリータ」を原文で10ページくらい 読めば、その時に得られるクオリアは、たとえば林真理子の 「不機嫌な果実」を読んで得られるクオリアと全く違う、 そのクオリアを、社会での評価とか、プロパガンダとか、 そのようなものと無関係に感受していくのが大切、 とそのような流れでしゃべったら、また吉田さんとか高木 さんとかが爆笑して、保坂さんが  なんでそんなものを読むんですか、というから、 いや、週刊文春に掲載されていたので、思わずだまされて 読んでしまった、と言ったら、また笑った。    しかし、クオリア的に言えば、 「不機嫌な果実」を読んでいてうまれるイヤーなクオリアも、 クオリアはクオリアだから、本来は平等なはずだ、そのあたりが 理論的にはムズカシイ、と私は続けた。    このように書くと、ヨタ話ばかりしているようだけど、 実際にはほとんどの時間は、いわく言い難い美しくも ムズカシイ話をしていた。  最後に、保坂さんと千駄木の駅前で握手をして別れた。  保坂さんの小説におけるモンダイ設定は、あまりにも ラジカルで、小説というジャンル自体の根幹に関わる ことのように思うけど、  ご自身を、矢に当たっても何でもかまわず走っていく 足軽にたとえる保坂さんは、  ああ、久しぶりにドンキホーテを見た、自分の心の 中のクオリアに接して言えるヒトだなあ、と、 私はカンドーしていたのだった。    それにしても、保坂さんに吉田さんと高木さんは実は フーフです、と聞かされて、えっ、対談中も、酒の時も、 そのような気配は、一切消えていたけれども、と思い、 あの二人はタダモノではないかもしれない、とその日 最後の驚きを感じたのだった。