茂木健一郎 クオリア日記  http://6519.teacup.com/kenmogi/bbs 2003.3.1~ 2003.4.30 2003.3.1.  SF映画などで、よく、空に 大きな月が二つ並んで輝いているシーンがある。  ワレワレの住む地球にも、衛星が二つあったら、 夜空の光景はまた別のクオリアを私たちに 提供してくれていただろうと思う。  しかし、私は、月が一つしかない地球の現状を、 不満に思ったり、なんとかしなければと思ったりはしない。  月の数を増やすとか、減らすとか、そのような ことが、自分の力でどうにかなること(コントロール可能なこと) とは思わないからである。  人間は、宇宙全体に責任を負うことはできない。 木星のオーロラの動き方を操作することはできないし、  太陽風の動きを左右することもできない。  ビッグバンから拡張しつつある宇宙が、拡張し続けるのか、 やがてビッグクランチに向かうのか、それをどうにかすることは できない、  ワレワレのボディ・イメージは、そこまで拡張しない。  今朝の朝日新聞の「松本被告に死刑求刑へ」といった ニュースを見ると、私は、腹を立てる。  死刑制度に反対とかそういう問題じゃなくて (それも問題ではあるが)、 おまえら、何年かけて裁判やっているんだよ、バカか? と腹が立つのである。  以前、静岡駅前のガス爆発事故の民事訴訟が、20年ぶりに 結審したというニュースを聞いたときも、私はアッタマ来て、 いろんなところに文句を言ったが、  のれんに腕押しというか、天体のように動かし難い 反応が返ってくるだけだった。  日本の法律専門家は一体何をやっているのかと思う。 「要件を満たしているのか、厳密に立証していると 10年とか20年かかるんだ」という言いぐさが すでにくるっている。くるくるパーである。  刑事裁判で言えば、無罪であるかもしれない被告を それだけの期間拘束するわけだし、証人の記憶も 徐々に薄れるし、事件も風化するし、  民事裁判で言えば、被害者救済を20年後にやったって 意味ねえし、要するに、彼らのいいぐさの「厳密に 裏る。  その何者か、が何なのかは興味がある問題ではあるが、 民放の番組自体は、見たいとは思わない。  私は、コンテンツが見たいからだ。  コンテンツとは、要するに、繰り返し繰り返し見て、 その中から古典が誕生していくような存在。  たとえば映画がそうだし、おそらくゲームもそうだし、 本もそう。  民放のテレビ番組は、そのような「コンテンツ」の王道 から遠く離れたところにある。  つくっている側も、見ている側も、最初から、それが 繰り返し見られて古典化して行くなどと思っていないのだから。  視聴率の根拠なき熱狂があるだけなのだ。  さてさて、ケーキを食べて、少しでも(1時間くらい?) 博多でおいしい酒が飲めるように精進しましょう。  しかし、一つ波が終わると次の波が来て、  結局休めないので、  4月からはあらかじめ休みの日を決めて、山にいったり しようと思っている。 2003.3.24.  やっと終わらせたのは、田谷文彦君と書いた 「脳とコンピュータ」のブルーバックスで、 2年くらい前からだらだらしていたら、年明けに 編集部の 梓沢修さんが「4月に決めちゃいましたよ」と刊行日を 決めるという作戦に出て、田谷くんにまず100枚くらい 書いてもらったのだけど、  その後は、私が文体の統一や、流れなどを考えて 結局一人で田谷君の書いた文を「材料」として使って 書くことになって、実質4日くらいで250枚書くという 信じられないことになったのである。  他にもいろいろやることがあって、ブルーバックスを 書く時間が4日くらいしかなかったのだ。  ひたすら書いていたら、まるで清水宏保の500メートル スケートのような気分になった。  つまり、文章の流れとか、カーブで少しでも 外側にふくらんでしまったら、時間切れ、オーバーで アウト、という感じで、  こんなにタイトな時間プレッシャーで文章を書いたのは 初めてであった。  まあ、しかし、なんとか終わらせた。  書いてみると、田谷くんが今関心のある 「情報コーディング」の問題に的を絞って、 自分でもオモシロイ内容になったと思う。  今朝の朝一で梓沢さんが入稿しているはずなのだが、 これではまるで新聞を発行それが服を着るという体験のほとんどだよね、 という点からヤマモトヨウジの服を論じてみました。  6月1日には、「スキンタッチを着る」というタイトルで 話もします。  それで、ヤマモトヨウジさんの資料をベランダで森の 緑をみながらいろいろ読んでいたんだけど、  一番心に残ったのは、ヤマモトさんが 「ばくち」とか「勝負」というメタファーを使うことで、 ご自身も武道をやられるみたいだけど、  この、「勝負をかける」という感覚は実に 大切だなあ、と思ったりしたわけである、 と突然日記が椎名誠風の文体になって 自分でも驚いてしまうわけだけど、  やっぱり、勝負をかける、 という形で気合いを入れることは、重要だと 思うんだよ。  クオリア問題にしても、ポストチューリングマシンに しても、  「この問題はむずかしいからさあ」と難解の海に 逃げ込むのではなく、  まさに勝負をかける現場としての思考の身体 というものを維持しなければならないと、  私はヤマモトヨウジのコレクションで、 美しいモデルがシャン、シャンと歩く度に ゆったりとしたスカートがぽんぽんと足を 打つスキンタッチの映像を見ながら、  「この人はこのコレクションの前の数ヶ月、 この日のためにすべてを集中してかけてきたんだろうなあ。」 と想像しつつ、そうだ、オレも勝負だ、 と脱兎のごとく半袖ショーツで森の中へと かけていったのだった。  以上、1/6くらいシイナマコト風フィクションが入っています。 2003.4.21.  明日の朝は日記が書けないかもしれないので、 今のうちに書いておこうと思って。  今日は、郡司ペギオ幸夫、塩谷賢、田森佳秀、 芸大の津口くん、恩蔵、田谷、柳川と 湯河原のオレンジヴィラというところで 研究会合宿。  池上高志もくる予定だったのだが、 38度の熱を出したというので来れなくなった。    途中で、近くに住んでいる布施英利さんが 車で来て、 津口くんが30分だけ布施さんの温泉旅館改造 ホームに行って、  コーヒーを飲んできた。  何だか雨が降っていたけど、 窓の外を見ると、そこはどうも オレンジ畑だった。  夕食は、焼き肉をじゅうじゅう食べながらビールを 飲みながら議論して、戻ってきてまた 議論した。  田森は、夜が更けるにつれてますます元気で、 一般相対性理論がいかにすばらしいかを力説している。  オレはそのとなりでこの日記を書いている。  なんだかしらないけど、とても楽しい。 2003.4.22.  みんな3時間くらいしか眠らなかった  2日目の午前中は、朝食後、郡司ペギオ幸夫の 発表を聞きながら、  みんなであーでもない、こーでもないと言って いたら、チェックアウトの時間になってしまった。  それで、おしら様哲学者、塩谷賢の車に乗って、 真鶴に昼食を食べに行った。  8人乗りの車に、ちょうど8人乗り。  塩谷は、睡眠時無呼吸症で体重を減らさなくちゃ、 と言っている割には相変わらず「ここの店がうまいらしい」 というグルメ情報に強い。  ところが、三石定食というのを頼んだら、その塩谷も 食べきれないくらいどーんと来た。  刺身だけだったらよかったのだど、最初にたくさん出てきた 小鉢がくせ者だった。  郡司が、「なんだか小鉢がたくさん出てくると損した 気分になるよね」と言った。  ボディーブローのように効いてきて、せっかくの刺身を 全部食べられなかった。  「田森が、『こういうのを残してはいけない』と言いながら 食べようとしたが、ついに力尽きた。」  三石海岸 に行って、散歩した。  二つの岩の間に渡されたしめ縄のところに 行くまでの海の中の道は、ごろごろと岩に満ちていて、 柳川に、「アシモはこの海岸を歩けるだろうか、 という問題を考えたか?」と聞いたら、  「今考えました」とアイツは言った。  それで、しめ縄のところまで行って、  田森と郡司がまるで二匹の猿のように岩の頂上に座り、 その下に津口くんが陣取り、おしら様が黒い服で うろうろして、恩蔵さんがぺたりと座って、 私はふらふら歩き回り、  しばらく実によき時間を過ごした。  塩谷に小田原まで送ってもらって、 郡司はそのまま新幹線で神戸に帰り、  私はこだま号で東京に戻った。  こだまに乗ってうとうとしていたら、 柳川から電話があって、  「今みんな小田急に乗っています」というので、 「そうか、オレは新幹線」とだけ言って、 それから  東京までの40分を夢遊した。  東京に着いて、ソニー2号館でしばらくアレコレして、 それで午後6時からmeetingに出た。  さすがにちょっと困憊して、 東京駅の本屋で買った養老孟司さんの「バカの壁」 を読みながら家に帰ってソッコーで眠った。 2003.4.23.  品川駅からプリンスホテルの裏に出て、 右手に折れると、ソニー2号館とか10号館とかが ある坂がある。  その坂を降りていたら、折からの強風に あおられて、後ろからピンク色の花びらが ばーっと降ってきた。  これは、どの木から降ってくるのかしら、 と後ろを振り返ったら、  ちょうど、紺のブレザーを着たおじさんが 坂を上っていて、  風上、つまりの坂の上の方から吹き下ろしてくる 花吹雪にむかって、  まるで風を受けて中を舞うかのように両手を広げながら ゆっくりと歩いていく瞬間を目撃してしまった。  きっと、そのおじさんは、誰も見ていないと思って、 そのような、世間的な意味で言えば外見とそぐわないような 動きにはまってしまったのであろう。  それで、数年前に池袋駅で見た光景を思い出した。  あれは午前0時を回っていたか、 東武東上線と東武百貨店の間にあるちょっとした広場みたいな ところで、 ホームレスのおじさんが、もう停止してしまった エスカレーターをとんとんとんと上っていくシーン。  その時、そのおじさんは、色つきのレインコート( 何色だかはっきりしないのだが、赤系統だったような気がする) と、透明なビニル傘を持っていて、  そのおじさんが階段を上っていくシーンは、まるで メルヘンの一場面のようで、  実際にはおそらくその日のねぐらを探しにいくのだろうけど、 まるで、その登り詰めた向こうに、すばらしいパステル調の 新世界が待っていて、  そのおじさんはその予期に胸を弾ませている、 そんな風景のようにも見えたのだった。  そのような、数年に一度しかあわないようなフォルムの 類似に出会ってしまうと、  心が動揺して、そのようなまれな事象を抜きにして そもそも世界は考えることはできないものなのだよな、 ということを想起するのである。 2003.4.24.  養老孟司さんの「バカの壁」を読み終わって、 風呂に入ってぼんやりしていて、  「ああ、そうか。」 と思った。  しばらく前に保坂和志さんと「小説というのは、その小説を 読まないと感じられないクオリアを感じることだ」 という話をしたけど、  養老孟司さんの書くものを読むと、固有のクオリア体験がある。  そのクオリア体験のかなりの部分が、「養老孟司」という 個人のキャラクターに依拠している、というところが 養老さんの書くものの特徴なのだ、と気づいたのだ。  要するに、「キャラが立っている」のである。  今回の本で心に残った部分の一つである、東大の学生が 「知の技法」なんてくだらない本を読むのが気にくわない、 これは一体どういうことか、と一年考えて出した結論が、 「知る」とは、ガンの告知のことである、要するに、 あなたはガンであと半年の命です、と言われたら、 桜の花が今までとは違って見えるでしょ、それが 「知る」ということです、という話をすると、 さすがに学生にも判る。それくらいのイマジネーションは 持っているらしい、というところは、議論自体としても 面白いけど、いかにも養老さん、という感じがする。  あの人の書くものは、文章としての意味だけでなく、 それを書く養老孟司というキャラが立っていて、その キャラが魅力的だからあの人は人気があるのだな、 と風呂の中で気がついて、ばちゃばちゃお湯をかき回した。  かき回しているうちに、地上波テレビのことを考えた。  最近よくやる議論は、「メディア(ハード)としてのテレビと、 そこに現在流されているコンテンツの内容は別に議論しよう」 ということだけど、  ホント、私の周りでは地上波テレビは見ない、という人が あまりにも多すぎて、  しかし私はそれは一種の棄民ではないかと思って、  この1週間くらいときどきサンプリングすることを心がけて いるんだけど、   昨日は11時過ぎから8チャンネルのお笑い? の番組を10分くらいサンプリングして、どうやら 「ネプなんとか」という番組らしいんだけど、  「徹子の部屋」のまねをして、ホストの人が ホテルのスィートルームの部屋で寝ていて、  そこにアタマがはげた岡田真澄が訪ねてきて いきなり本番のトークショーになる、という趣向なんだけど、  そのホストの人は、しばらく前に田谷くんと、 山手線の中で、切符を買っている写真が使われた広告を見て、 「こういう立ち位置でとられているということは、 この大きな顔の男は、一般人じゃなくて、有名な人なのだろうか?」 と田谷くんに尋ねて、「さあ、ぼくは知りません」 と言ったけど、私はやはりあの立ち位置から言って きっと芸能人か何かなのだろう、と思った人だった。  でも、いまだに名前が判らない。  それで、その顔のでかいお笑い芸人がホストを やって適当にトークして終わるんだけど、  それを見ていて、「バカの壁」を見ていて養老 さんのキャラクターが伝わってきたように、地上波テレビを 見ていると、そこに出ているタレントのキャラクターが 伝わってくる。  要するに、そのキャラクター(本人の生のキャラの出方では 必ずしもなく、テレビという場の設定におけるキャラの出方) が、私は好きじゃないんだな、そのことを、テレビの メディア性と関連付けてとらえないとダメだな、と思うのである。  それでも、  なぜ「テレビは見ません」とエラソーに言うのは棄民じゃ ないか、と思うかというと、  東京の街を歩いていて、向こうからすれ違っていく ヒトタチを見て、「ああ、このヒトタチは、ひょっとして 宮部みゆきを見たり、ハリーポッターを見たり、地上波テレビを 見て喜んだりしているんだ、だからといって、私はこのヒトタチを くだらない、といって切り捨てられるだろうか?」ということを 時々自問自答してみるからで、  それは、中学まで進学校でもなんでもない田舎の学校にいて、 学生の時火を付け回っていたやつが、消防士になったり、 友人が電話ボックスにいたら誰かが自分の車を盗んでいって、 あっ、あのやろう、と思ったら、中学時代の同級生だった、 というような話が普通にある世界に生きていたから、  「テレビは見ません」ですませることは、あの友人たちを 見捨てることだ、というキモチがどこかに一種のトラウマとして あるのかもしれない。   それにしても、何とかしたいよね、日本のテレビの惨状。  みんなジャンクばかり食わされて、ますますバカになっていく、 みたいな。  一つは、イギリス風の洗練されたコメディかな、と思って、 相変わらずイギリスのコメディを体系的に見続けているし、  桑原茂一さんの「難問会」に参加させてもらって、 少しづつコメディ台本のエチュードを書いたりしているんだけど。  BBCのアッテンボロのNature Filmとか、The Officeみたいな すごいリアルなMocumentaryだったら、一年のうち 20日くらいはそのために働いてもいいかな、と思うんだけどね。 2003.4.25.  芸大の講義の後、田谷くんや津口くんたちと根津で飲んで いたんだけど、  ふっと一人で歩きたくなって、  根津神社から本郷通りの方へ抜けて、春日まで歩いた。  根津神社は今がちょうどサツキのきれいな季節だけれども、 そのサツキたちは暗闇の中で見えなくて、  ただ、大きな山門のシルエットだけがぐっと迫ってきて、 その中をくぐり抜けると見覚えのある細い道の両側に  屋台がたくさん出ていた。    何度、この道を歩いたことだろう。  しかも、深夜、誰もいない時間に歩くことが多かった。  根津交差点の横の細い路地を入り、カクカクカクと 3回くらい曲がって、そして根津神社の暗闇を抜けて、 日本医科大学の病院の明かりが見えてくる。  おでんが出汁の中でだんだんしみてくるように、  私のカラダには、この光景がしみこんでいる。  あの頃は、どうしようもないものを抱え込んでいたなあ、 と思う。  社会化などということが珊瑚礁の中にかすかに届いてくる 外洋の波の砕ける響きにすぎず、  荒れ狂っているようなエネルギーを、どのようなトンネルを 通して外に出していいのか、よく判らなかった。  今だって、判っているかどうかわからないけど、  少なくとも、あの頃は、エネルギーをもてあまして途方に くれる、だから根津神社を歩く、ということが  飴のようにずっと続く時間の中で続いていたように思う。  芸大の大学院でフランシス・ベーコンをやっている 津口くんとはまだ2−3回しか会っていないけど、 彼のエネルギーのもてあましの感覚は、とてもよくわかる。 彼が、時々過剰なまでに極端な意見を言うのも、  まあオレにもそういうことはよくあったから、 よくわかる。  一方、田谷文彦が相変わらずあのような時にずっと 押し黙っているのも、  それはそれでよくわかる。  しかし、津口はそのうちエネルギーの出し方を ソフィスティケートしなければならない時がくるし、 田谷は殻に穴を開けなければならない時がくる。  文化的遺伝子の世界は淘汰圧がきびしいから、 そうでないとやっていけないし、輝かない。  オレは自分のことを教師だなどと思ったことは 一度もないけど、  ちょうど養老さんの「バカの壁」で人を教えることの 厳しさのようなことが書いてあって、  一方で津口や田谷のどうしょうもなさと、 オレが大学院生の時のどうしょうもなさがつながった ような気がして、  そういう回路を通してだったら、オレも教師である 瞬間があるかもしれない、と思いながら、  本郷通りの農学部の門を横目で通りすぎると、  何だか景色が熱を持った肉のように爛熟してきて、 なんだかやりきれないキモチになるのだった。 2003.4.26.  不思議な天気の一日だった。  東京は、最近高層ビルがニョキニョキ増えてきているけれども、 空気が煙って、  ビルの上半分が不透明な霧のようなものの中に隠れている。  原美術館の館長の家のベランダからは、そんなビルが いくつか見えた。  原美術館でレセプションがあって、その後館長宅 でパーティーのようなものがあり、  ヤマモトヨウジさんとか、鷲田清一さんとか いろいろいた。  ヤマモトヨウジさんには、バイロイトで「トリスタン」の 演出をした時のことをいろいろ聞いた。  鷲田さんには、「Talking to myself」という ヤマモトヨウジさんとの本についていろいろ聞いた。  あとは、ヨウジヤマモト社の人とか、原美術館の人 とかとダベリングをしていたら、  夜が更けていった。  ふっとワイン片手にベランダをうろうろしている時に、 これからの自分の人生の向かい方、というものを 考えて、   それで一つのインスピレーションが出たような気もするけど、 よくわからない。  でも、こういう機会につかんだインスピレーションは、 無理に記憶しておく必要はなくて、  自然に任せて育つかどうか見ればよい。  何だか、東京の空が煙っていて、  その向こうにいつもと違うものがあるような気がしたことが、 昨日起こったいろいろなことの象徴であるような気がする。  煙っていると、  その向こうに、今までみたことのない何者かが 潜んでいるような気がするものである。 2003.4.27.  たまにはテレビ番組ほめてもいいかと思って。  夜9時からあったNHKのコウモリダコのは すばらしかった。  深海の生物の90%が発光する能力を持っているというのだが、  クシクラゲが危険を感じて発光するときの、 カラダを光のパターンがふわーっと伝搬していく様子を 見て、  私は思わず「あっ!」と叫んでしまった。  あれ、絶対にライフゲームのパターンに似ている。 http://www.math.com/students/wonders/life/life.html  光の粒子が踊りながら、現れては消え、クシクラゲのカラダを ぶわーっと波のように伝わっていく様子は、まさに二次元の ライフゲームだ。  こんなものが実際の生物であるとは、思いもしなかった。    コウモリダコの青い発光器もすばらしく、敵が近づくと、 二つの美しいブルーの点が現れて、8本足がぎゅっとめくれて 返り、そして、その二つのブルーの円の大きさが すーっと小さくなって行くので、  敵はコウモリダコが遠ざかってしまったものだと思う。  それで、実際にはまだそこにいて、ぶつかってしまうと、 コウモリダコは光る粒子をはき出して、  敵を攪乱するというのだ。  なんと詩的な宇宙が深海にはあることでしょう!   上のURLは、ライフゲームのパターンをさーっと引いて シミュレーションすることができるけれども、  私が高校生の時に「日経サイエンス」でマーティンガードナーの コラムを読んでライフゲームにはまったときは、  こんなに気楽にシミュレーションする環境などなくて、  家では碁盤でやったり、  高校の授業の最中に、方眼紙にライフゲームのパターンを 描いて、  鉛筆で計算したりしていたものだった。    そういうことが、深海の中で人知れず自然のシミュレーション として行われているというのは  なんとすばらしいことではありましょう。  ああいうすばらしい番組を2−3本制作すれば 生きていくような環境を、とくにフリーの人に対して 用意することが、私はきわめて重要なことのように思う。  あーいう番組に、タレントがプレゼンターとして出てくる 必要は全くない。  昨日の番組のように、シンプルにナレーションだけで すませばよい。  だから、「所さんの目がテン」などは、 せっかくのいいネタを台無しにしている、と私は あくまで思う。  タレントに払う金があったら、フリーのスタッフが リサーチをしたり、考えたりする努力に対してお金を たんまり払ってほしい。  (#もちろん、テレビ・パーソナリティーが 固有の仕事をするような番組があってもいいことは いいんだけど、nature programみたいなのは、 それをつくるスタッフこそが偉いのであって、 タレントが出てくる必然性もjustificationもないでしょ。 どうしてこんなsimpleなことがテレビのプロデゥーサーには わからないのか)  今日から5月2日の朝まで、education & learningの workshopでSevilleに行く。  というよりも、正確に言うと、Carmonaという 街に行く。  久しぶりに、英語シャベリで人格が変わって、 ばーっとなるのがタノシミである。  あーやって英語でピピタンしてばーっとなっている ときって、  なんとなく言葉のライフゲームが動いているような 気がするのだけれども。 2003.4.28.  フランクフルトに向かう飛行機の中で、 開高健の「日本三文オペラ」を読み終えた。  しばらく前から読みたかったんだけど、まとまった 時間がとれなくて、  やっと読めて、アタマの中にぐにゃーっと 水飴がはいったようでよかった。  読後感は、ちょっと処女作の「パニック」に似ている。  バルセロナに向かう飛行機に乗り換える時、 空港で、Yann MartelのLife of Piと、  Joseph StiglitzのGlobalization and its discontentsを 買った。  Yann Martelはカナダに住んでいる作家で、 これは「動物園小説」らしい。それで、ボートに少年と虎 とハイエナとオランウータンだけが生き残る話らしい。 2002年ブッカー賞受賞作品。  Stiglitzは、情報経済学で2001年のノーベル経済学賞を とった人だけど、この本は、彼がクリントン政権の経済アドバイザー だった時のことや、世界銀行でポリシー・メイキングして いた時に見聞きした愚行を糾弾した本らしい。  IMFとかが市場原理をナイーヴに信じて政策をつくることが、 「情報の非対称性」などを通して、発展途上国の人々の貧困を加速化 する、といった話。  それで、動物園小説の方をさっそく読みながら飛行機に 入っていったら、ソニーコンピュータサイエンス研究所の 所長である所真理雄さんがいた。  「所さんこんにちは。」  「あれ、君はどこ?」  「ずっと後ろの方です。それでは、また」 と会話を交わして、私は座席にすわって、 ソッコーで本を読み、ソッコーで眠った。  バルセロナからセヴィリアに向かう飛行機の中で また所さんと一緒になった。  「またお会いしましたね。」  「それはお会いするでしょ。」 と会話を交わして、  私はまた飛行機の後ろの方に歩いていった。  セヴィリアについたら、ソニーCSLパリのフランンソワ のもじゃもじゃアタマが見えた。  手を振って出たら、もう所さんがいた。  それで、フランソワの車に乗って、Carmonaに 向かった。  泊まるところは、Case de Carmonaというところ。  Luc Steelsや、Marleenや、佐々木さんがいて、 さっそくワインを飲みながら談笑。  わたしの斜め前には、イギリスのOpen Universityの Marc Eisenstadtがいて、  いろいろAIのこととか、sensorimotor coordinationの こととかしゃべったんだけど、  Rummelhartがコネクショニストモデルで タッチタイピングのタイプミスのモデルを つくっていて、面白いと言っていた。  判りましたか、長島くん。  この会場はLucが選んだんだけど、 相変わらずすばらしい場所である。  私の泊まっている部屋には、ベッドルームにフルーツの絵が 10枚、バスルームに蝶の絵が3枚あって、  ベッドカバーとか椅子のカバーは、 天使が二人で花のスティックを運んでいる 絵が描かれている。  しかしスケジュールはびっしり。 2003.4.29.  朝から夜までずっと会議で、  10分くらいづつ2回外に出た。  Carmonaの街はかなり古いらしく、  車一台しか通れない道の回りに白い家がずーっと立っている。  ここで車一台しか通れないというのは本当に通れないのであって、  車が通ると、その両側に30センチくらいづつしか隙間がなくて、 そこが、ちょうどヒラメの縁側みたいな感じの質感の 舗装になっている。  そのヒラメの縁側を人々が歩く。  道は全く格子の法則を無視していて、  空間的感覚がスルドイはずの私でも、 そのいかにも適当な方向に曲がっていく道を歩いていくと 方向が判らなくなりそうである。  それで、5−6回曲がっていける範囲で ふらふらと街を歩いた。  スペインの田舎というのはどこもそうなのか、 ぜんぜん東洋人がいない。  夜、Luc SteelsがMarleenが降りてこないから きっと寝てしまったんだろうと上に消えて、 イギリスのOpen UniversityのMark Eisenstadtと、 CSL ParisのFrancois Pachetとビール飲みながら ベラベラしゃべっていた時に、  今回のworkshopのテーマの一つでもある flowの状態になっている感じがした。  だいたい、英語を聞いて、しゃべって、ヘラヘラして 一日くらい経たないとflowの感じで英語をしゃべれない らしい。  ところが、英語の人格が日本語の人格とは違う と思っていたのに、よく観察してみたら、 あまり違わないような気がした。  これは、どうも、日本語の人格の方が、 「ベラベラしゃべる」という意味で、  英語の人格に近づいた結果のような気がする。  池上高志とかと出会った頃には、もう今の日本語の 人格になっていたような気がして(そういえば、 あいつも日本語の人格と英語の人格が変わらない やつだけども)、そうか、オレの 今の東工大の学生たちは、オレが人格変わってしまって からしか知らないんだ、と思ったらおかしかった。  私も、むかしはもっとオトナシイ(というか 抑制的にしゃべっていた)時があったのです。  そうか、だから、柳川とか、田谷とか、小俣とか、 恩蔵とかみなおとなしいけど(関根とか長島とか 須藤はうるさいけど)、おとなしい人が ベラベラしゃべるようになるためには(それは 表現者として必要なことだけど)、あいつら、 英語でしゃべらせればいいんだ! と今思いついたのだった。  午後1番のColwyn Trevarthen(University of Edingburgh) の話が面白かった。  新生児と母親のやりとりを、リズムとかトーンとか そのような音楽的な見地から見ると、  ある一定の法則を満たしているということで、  たとえば、見事にある特定の感覚で「あー」「ああー」 とやりあって、たとえば母親が「なんとか、かんとか、 テディーベアなんとか」といいながら、「テディーベアなんとか」 のところで新生児をくすぐると、その「なんとか」 のフィニッシュのところに併せて子供が「ああー」 と言ったりするというのである。  今回のWorkshopに参加している人の中で、 もっとも面白い、と思ったのがこのColwyn Trevarthenで、 ところが彼はdynamical systems approachが あまり好きではないらしい。  その理由が誤解と偏見から生じていて、要するに、 力学系でemergentというけれど、その初期状態が 重要だろう、新生児は白紙で生まれてくるのではなく、 その初期状態が重要なのだ、とかいうから、  私が、「物理的に言えば、あなたの言う初期状態も、 力学系のシミュレーションで設定する初期状態も 位置づけは同じなんだから、力学系が原理的に 初期状態を無視している、と言うのはオカシイんじゃないか」 と言ったのだが、  その後も、所さんに、「あなたはparallel dynamical systems がお好きなようだが、私は・・・」 などと文句を言っていた。  昔よほど力学系にひどい目にあったらしい。  ぜんぜん知らなかったのだが、セビリアでは今Feriaという 祭りをやっているらしい。  その祭りを見に行く時間があるのかよく判らないまま、 セビリアから車で30分くらいの田舎町のホテルで ひたすらlearningについてあーだこーだ言っている。 2003.4.30.  またやってしまった。。。。。  といっても、アタマ来たから仕方ないか。  ポーツマス大学のクリス(Chris Sinha)のプレゼンテーションは、 創造性におけるメタファーやアナロジーの 役割というテーマで、  面白いなあ、と思って聞いていたんだけど、 最後に彼が挙げた例でアッタマ来てしまった。  行動が文化的要因によっていかに制約されているか という例として、  クリスが7歳の娘といっしょに メキシコに旅行した時のことを話し始めた。  茶色い皮膚の女の人が壁のとこに座って、壺に囲まれて にっこり笑っている写真を見せながら、  「この女の人が、娘に一緒に壺をつくりませんか と誘ってくれたので、娘は喜んで行った。  言葉は通じないけれども、壺をはさんで娘はその インディオの女の人とにこにこ笑って壺をつくっていた。  ところが、壺をつくり終わったら、女の人は、 そんなんじゃダメ、というように、娘のつくった壺を たたきつぶして、その周りにおいてあった「見本の壺」 と同じものをつくった。  それで、娘は泣き出してしまった。  これは、娘が受けた西洋の(Western)の教育では、 個性を出すということがもっとも重要視されるのに、 インディオの女の人にとっては、見本と同じものをつくる ということが何よりも重要で、そのような文化的な 衝突が起こったのだろう。」  などと言ったので、 その時点で私は「ヘン、このやろうめ」と思っていた。 そしたら、イタリアから来た、「flow状態」 (スケートの清水宏保が金メダルをとった時に 自分の滑るべきコースが光の線になって見えた、と いうような、最高のパフォーマンスを引き出せる状態) について、せっかくおもしろいテーマなのに つまらないプレゼンをしたアントネラが、  「そうなのよ、文化によって、先生になにを 期待するのかが違っていて、ミラノでも、 他の文化から来た人は、先生が権威的になってほしい と思っているんだけど、西洋の(Western)の私たちは、 もっと個性を重視する教育をしてほしい、と先生 たちに願っているのよね」 などとくだらねえことをいいやがったから、 私はついに切れてしまって、  「なに、その文化の差っていうゴミ(culture rubbish)は? だいたい、ある範囲の人が、「文化」っていう入れ物に 入っていて、その中の人はその文化に従って行動する なんて思考自体が荒すぎるんだよ。何が「西洋の」 だよ。みんな自分が「西洋の」といいたがっているんじゃ ないか。ロシアのセント・ペテルスブルクの人は、 自分たちも「西洋」だって言いたがるだろうよ。 だいたい、西洋の教育が個性を重視するって、いつの ことを言っているんだい、1910年代のプロシアの教育は 個性的だったとでもいうのかい?  そのインディオの女の人が壺をたたきつぶしたのは、 単に彼女がプロだったからじゃないのか?  イギリスのウェッジウッドの職人さんだって、 見習いが変な皿をつくったら、たたきつぶすんじゃないのか?  はっきりいって、「西洋の文化」は個性重視で、 「インディオの文化」は全体主義的だ、っていうのは、 科学的な説明原理としてはあらすぎるよ。  文化なんてゴミ概念(culture rubbish)は捨てちゃった 方がいいんじゃないか!」 とまくし立てたら、  ケンケンがくがくの議論になって、 大変なことになってしまった。  でも、あとで、Ulrichと、Marleenは、ちゃんと味方を してくれた。  ふざけんじゃねえよ。ああいう時に、「西洋は」(Western) などと特権化して言うときのあの態度は、まったく鼻持ち ならないし、政治的にも間違っているし(politically incorrect)、 なによりも科学的な説明概念としてあまりにも荒すぎる。  しかし、Chrisとは、ちゃんとそのあとのコーヒーブレイクで にこやかに談笑したのだった。  まあ、これはこれ、それはそれ、っていうことよ。  思い起こすに、九州であった「科学と芸術」のシンポジウムでも、 パーティーに学生を連れていったら、学生は入れない、 などと言われて、池上高志とオレであばれてしまったし、  新潟県の新井市であった養老シンポジウムの前夜も、 養老さんが今井通子とか神津カンナとかとワークショップを やっているところに郡司ぺぎお幸夫と乱入して、 「おまえらなんでそんなくだらないこと言っていやがるんだ!」 と言って、  そのあとみんなが次々とマイクをとって、 今の学生二人は生意気だ、と集中攻撃を受けて たいへんなことになったし、  どうも、アタマにくると言ってしまうという習性は、 私と私の友人には共通していて(どうも、松浦雅也さんとか 保坂和志さんもそーいうタイプのような気がする) またやってしまったのは、いわば風物詩、俳句の季語のような もので、仕方がないと言えるだろう。  それに、あの、「西洋の文化は個性的で、 東洋とかは全体主義」とかいうゴミ(rubbish)は、ときどき 日本人もいうときがあるけど、あまりにもくだらないので、 そろそろマリアナ海溝の奥深くにしずめてほしいと思う。