茂木健一郎 クオリア日記  http://6519.teacup.com/kenmogi/bbs 2003.7.1~ 2003.8.31 2003.7.01.  今朝、画面を立ち上げたら、  イタリアに済むFrancesというヒトからメールが来ていた  「最近、SONYがQUALIAという名前のブランドを出した というニュースを聞き、私はたいへん驚きました。  というのも、私の結婚前の姓はQUALIAだからです。  どのようなきっかけで、QUALIAは、意識や主観的体験の 特徴を表す概念になったのでしょうか?  私の家族は、みんな興味を持っています。  もしかしたら、昔QUALIAさんという人がいて、 その方の研究がきっかけになっているのでしょうか・・・」  思わずコーヒーを飲みながら「うーむ」 とうなってしまった。  昨日は、  日本大学医学部(板橋)の酒谷先生のところに、 光計測に関するお話を聞きにいった。  日大医学部には、以前、酒田先生を訪ねていった ことがある。  酒谷先生の研究室で、脳活動の光計測において、 日立と、島津製作所と、酒谷先生が共同研究している 浜ホトの方式がどう違うのか、  いろいろテクニカルなことをうかがう。  医学部というのは、一種独特の雰囲気があって 面白い。  エレベーターに乗っていると、白衣のヒトが どんどん乗ってくる。  酒谷先生が、「じゃあ、お見送りしましょう」 と玄関まで来てくださっった時、  それまで部屋の中では背広を着ていたのに、 わざわざその上に白衣をはおられた。  それで、  「ああ、そうか、医学部校内では、白衣というのは 一種の制服みたいなものになっているんだなあ」 と思った。    私も、修士の時に生化学の実験をして、 そのあたりを白衣を着てうろうろした時に、 いっぱしの研究者になったような気がしたことを 覚えている。  ワトソンが書いた「二重らせん」という本の中に、 ケンブリッジのカレッジでは、下がどんなにキタナイ 格好でも、  ガウンさえ羽織ってしまえばばれないので 便利だというような記述があった。  服というか皮というか、それが人間の心理に どのような作用を及ぼすかというのはオモシロイ 問題である。  私は一度だけ女装をしたことがある。 インドネシアのバリ島の地中海クラブにいった時、 ある夜のイベントで、女装をさせられるはめに なってしまった。  化粧をして、金阯垂黷ス。  思い起こせば、長島と私の2年間の「キョウカン!」 「ナガシマ!」生活のハイライトは、  2月に情報通信学会の研究会で北海道に行った時だろう。  登別温泉で日帰り入浴し、熊牧場でクマにエサをあげ、 ゆけむりを眺めながら生ビールを飲んで、  はあ、ごくらく、ごくらく と千歳空港にたどりついたら、  なんと飛行機が濃霧で運航できず、 ワレワレは千歳で一泊することと相成ったのであった。  ながしまんが、「茂木さん、ここですよ!」 とその持ち前の野生のカンで見つけた バーが「ビンゴ!」  で楽しく飲んだことなど、 私のながしまん思い出帳にしっかり刻み込まれている。  ホンダ生活を本格化させる今、ぜひ、 将来のCEOならぬCBO(Chief Bar Officer)を目指して、 宇都宮のバーの新規開拓に励んでもらいたい!  その成果を、ワレワレは必ずやチェキしに行くことであろう。  それにしても忙しい一日だった。朝イチバンから、 数え上げてみると、5つもミーティングがあった。  そのうちの3つが、自分がばーっと喋らなければ ならない「ピピタン系ミーティング」だった。  あさりにたどり着いた時は、 「オレはもう疲れた。とにかくグズグズ言わないで 早く生ビールよこせ!」  状態になっていたのだが、 飲み会が盛り上がりを見せたその真昼時には、1−2分、 「オレはもう眠い。もうダメだ。」 状態に陥り、うとうとしながらも、  「おいみろよ。」  「もぎさん、疲れているんだよ。」 と誰かが言っているのがカワセミの笑い声のごとく はっきりと聞こえたのだった。 2003.7.26.  金曜も、自分が主にピピタンするミーティング2件 + 須藤の修士論文の予行。  さすがに疲れたのか、今朝は起きて何もせずに コーヒーを入れて、  Austin Powers:NTERNATIONAL MAN OF MYSTERY を見た。  何だか、ドクター・エヴィルの縮小版、ミニ・ミーが 出てこないためか、  前にみたやつ(The spy who.......)よりもつまらなく 感じた。  もともと、Austin PowersやLeningrad Cowboysが オモシロイといっても、  それは小津やタルコフスキーとは意味が 全く違う。  現代は、あまり深いところまで入ってこないで、 精神の入り口あたりでマッサージだけをして帰って いく文化が流行っているが、  それはそれでポップの一つのあり方、 一方で、小津やタルコフスキーのように存在のイチバン深い 所まで入ってくるものもあり、  もともとそっちの方から流れてきた  私は、現代というものを憎みつつ愛しているティヴだった。 http://www.jca.apc.org/jatan/  どうも、私がケンカ乱入したのは、この組織が 設立された直後のようだ。  布施さんの話から、青春のSturm und Drangの 話に飛んでいってしまった。  だから、脳の内部運動は面白い。 2003.8.26.  夏目漱石の前期と後期で作風が違う という問題についていろいろ考えていたのだけども、  ちくま書房の増田健史さんと 「意識とはなにか ー<私>を生成する脳」の再校 ゲラの訂正点の打ち合わせ の後、  五反田のダーツバーで飲んでいて、 話しているうちに、  そうか、と思われるようなポイントがあった。  某雑誌で「漱石論」を連載しませんか、 というようなお誘いを受けているのだけども、 (実現するかどうかはまだわからないけれども)、  いろいろ考えているうちに、少しづつ いろいろなことが見えてきたような気がする。  昼間は、ハーバードから来ているジローを 囲んで、  「意識のワークショップ」をやった。  私と、ジロー、田谷文彦がそれぞれ 1時間喋った。  私のテーマは、Reclaiming Homunculusで、 要するに神経科学の一番初日にわれわれは 脳のどこにも意識の座はない、ということを学び、 その後、そのことを前提に脳の神経回路網の 情報表現ということを議論するけれども、  実は、さまざまな神経生理学的なデータを 総合すると、  むしろ、いかにvirtualなhomunculusを 脳のどこかに自我の中枢があるというような trivialな形ではなく構成するか ということこそが本質なのである、  ということを主張した。  この問題は、今意識を巡るもっとも重要な テーマと私の中では感じられていて、論文や 本をこのテーマで書くつもりだ。  ジローは、意識の本質を巡るいわゆる Higher Order Thought theoryのreviewと解説。  なかなか良くまとまっていた。  しかし、HOT theory自体については、 どうも中途半端な気がする。  田谷文彦は、visual awarenessについての レビュー。  ボディ・イメージの神経機構について、 なかなかユニークな視点を提出して、  議論を巻き起こす。  増田さんとのダーツバーに戻るけれども、 電気式ダーツがあって、  楽しかった。  2ゲームやって、2回とも私が勝った!  ふふふ。だてに、イギリスのBBCで ダーツ世界選手権を見ていたわけではないのだ。  増田さんのあからさまな悔しがりかたが、 ステキだった。  今度、学生を連れてぜひ行ってみたいと思う。  そして、そのうちに、  ダーツで真ん中のBullを射止めるように、  意識の本質を射止めてみたい。 2003.8.27.  竹内薫が、QUALIA016の「返還」 のためにソニーCSLにやってきた。    それで、当日の朝になって依頼する、 というヒドイ話だったが、  カオルが、String Cosmology, Fabric of Reality, and the Ubiquitous Consciousness ( or "who told you my cat was not conscious?")というタイトルで 英語で講演してくれた。    さすがにカナダのマックギル大学で博士号を とってきただけに、英語でのレクチャーがさまに なっている。  その様子を、QUALIA016で撮影しながら 聞いていたが、  特に量子力学の観測問題は、小俣、柳川、関根 たちの関心を引いたらしく、  カモノハシ関根はつたない英語で(時折日本語になりながら) 懸命に質問し、  終了後、小俣、柳川がカオルに「観測問題 のアレコレはナニナニなのですか!」 と迫っていた。  学生たちが、観測問題に興味があるというのは ちょっとカンドーだった。  そうだよな、ああいうミステリアスなことが、 科学の醍醐味だ。  技術に貢献することだけが科学の意味ではない。  わからないからこそ価値のあることがある。  そういうことに関心を持つ感性があるというのは いいことだ。  竹内とタクシーで赤坂ACTシアターへ。  パスを首から提げた電通の佐々木さんと落ち合う。  今話題の「ビーシャビーシャ」の招待券を都合して くださったのだ。   明けて今日は、筑摩書房の増田健史さんが「招待枠」 の恩恵にあずかるそうだ。    評判の通り、人が空を飛んだり、水が降って来たり、 タイヘンなパフォーマンスで、  視覚的エンターティンメントとしては、 オソロシク洗練されていた。  ずっと見上げて自分たちの上空で全てが起こる、 という空間設定も斬新。  私は、ヒトビトが熱狂するのを会場の端から 見つめながら、  昨日漱石の前期、後期の関係を考えていて 思いついた、  個別性と普遍性の間の関係について さらに考えていた。  それで、増田さんが「あれ、まだ読んでいないのですか」 と言った、小林秀雄の「Xへの手紙」のことを絡めて、 いろいろ思いをめぐらせていた。  現代は、おそらく、この「ビーシャビーシャ」のような、 あまり深い形而上学に絡んでこないパフォーマンスが 流通しやすい時代である。  ウォーなどと歓声を上げて熱狂するヒトタチを見ながら、 このヒトタチはまるで動物のようだなあ、と思った。  もちろん、動物的なものは私の中にもある。  あるいは、もっと正確に言えば、肉体の個別性に根ざした 生理のようなものがある。  その個別性の問題と、小林が「Xへの手紙」の中で言う 「女は俺の成熟する場所だった」という述壊は もちろん関係している。  どんなに偉大な抽象的、普遍的原理を考えていたとしても、 目の前に自分の魂を魅惑する異性が現れた時に、  その異性が、世界そのものよりも大きな存在に なってしまう、ということの根本には、  「ビーシャビーシャ」で熱狂する動物的なヒトタチが はまっている肉体的な個別性がある。  その個別性に、もちろん私も条件付けられている。    前期の漱石が、「三四郎」の広田先生の警句 にあらわれるような大世界への視線を持っているのに 対して、後期の漱石が、ある女性とのいかんとも しがたい関係性に執着するのも、  そのように考えると興味深い問題を提起する。  そして、現代は、観念化された抽象的な普遍よりも、 個別的な肉体の生理の方が優越する時代である。  「マトリックス」で人が手をばたばたさせて 弾をよけるシーンは、  ゲーテ、ドストエフスキー、ワーグナーのような 意味での形而上学にいかなる意味でも連結 しないけれども、  われわれの中の動物的な生理に働きかける。  現代は、動物的であろうとするヒトにとっては 居心地のよい時代だ。  などということを、私はアルゼンチンから来た(?) ひとたちが空をびゅんびゅん飛ぶのを眺めながら 考えていた。  竹内薫は腕組みをして見ていたが、彼が何を 考えていたのかは知らない。 2003.8.28.  目黒の「七音社」にて、 「エスクワイア」のQUALIA CAFE第二回 の松浦雅也さん http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20020322/gdc04.htm との対談。  松浦さんと知り合ったのは、朝日カルチャーセンターでやった 養老孟司さんとの対談の時だったけど、  あれからいろいろなことを話してきた。  今回、一応こういう形で会話が公に記録されることは とても楽しい。  それにしても松浦さんはポケットの大きい人で、 喋る度に新しいことが出てくる。  これは、どうやら、「あらかじめ考えずに、その場で 触発されたことを喋っているからだな!」 と思って、そう言ったら、  「それはそうですよ、わはははは」と 言って笑った。  今回のはmp3に撮ったので、そのうち機会を 見てネット公開したい。  移動中は、「近代の超克」(富山房百科文庫)を 読んでいた。  「文學界」の昭和17年9月、10月号に掲載された、 小林秀雄らの座談会の記録である。  先日、「文學界」の現在の編集長の大川繁樹さんが いらした時に、あの座談会はまだ読めるのでしょうか、 とお聞きしたら、読めますよ、と言われて、  お送りくださったのである。  昭和16年の太平洋戦争の開戦は、当時の 知識人に衝撃を与え、西洋近代の超克ということを どう考えるか、ということを議論するための座談会 が開かれたのである。  何しろ、昭和17年時点では、今日のワレワレの 後出しジャンケン的な智恵がない。  あの当時、未来に広がっているものとして 見えたかもしれない仮想の世界は、  今日的な意味でも興味がある。    それにしても、小林秀雄は、当時から異彩を 放っている。  他の人が、日本人にとって、西洋近代は 今までは無条件のうちに偉く見えた、しかしこれからは・・・ などと判ったようなことを言っているのに対して、 小林は、「そんなこと私は知らんけんね」 とばかりに、  「如何に論理的に表現しても、言葉が伝統的な日本の言葉 である以上、その文章のスタイルの 中に、日本人でなければ出てこない味わひが現れて 来なければならんと思ふ。・・・その点で哲学者は非常に呑気 である。・・・その点はどうお考へになりますか。」 とか、  「僕はプラトンの偉さが此頃やっとわかる様に思ふのです。 あの人のイデアは空想ではない。」 などと、「時局」と無関係に、自分の言いたいことを 言っている。  いわゆる人文系の研究者や書き手と会うようになって、 彼らの一部分に、小林秀雄をまるで価値がないもののように こき下ろすヒトタチがいてタイヘン驚くことが あるが、   小林秀雄の「われ関せず」という態度がキライな 人はキライなのだろう。  河出書房新社の文藝別冊の「小林秀雄」(現在発売中) の中にも、  「戦後に書かれた・・・小林の文章は、同時代なら いざしらず、後世の人間が読む必要がどれほどあるか 疑わしい」 などと、エラソーに書く人を見かけたりする。  そんな時、おいおい、10年後に読まれないのは 「小林の文章」か、それとも「エラソーな君」の書いた文章か、 とツッコミを入れたくなる。  あるジャンルに囚われない意志を貫くのは むずかしいことである。  「近代の超克」座談会の中で、小林秀雄は、 座談会のテーマそのものについて、  「僕らは近代にゐて近代の超克といふことを言ふのだけれど、 どういふ時代でも時代の一流の人物は皆なその時代を超克 しようとする処に、生き甲斐を発見してゐる事は、確かな 事と思へる。・・・そういふ立場から観ると、歴史を 常に変化と考へ或は進歩といふやうなことを考へて、観て ゐるのは非常に間違ひではないかといふ風に考へて来た。 何時も同じものがあって、何時も人間は同じものと 戦ってゐるーーさういふ同じものーーといふものを貫いた 人が、つまり永遠なのです。」 などと発言する。  私は深く共感するが、こういう発言に反発を 覚える人は、今も昔もいるのだろう。  突然話は飛ぶが、松浦雅也さんと小林秀雄に 共通することは、ジャンルやある特定の見方に 囚われることを拒否する姿勢である。   真にクリエィティヴであろうとすれば、 どうしてもそのような態度を取らざるを得ない と思う。  しかし、クリエィティヴであろうと 思う人の割合は、どの時代もそれほど大きいわけではない。    2003.8.29.  一ヶ月の「サマー・インターン」生活を してきた  Ruggiero Cavallo(Giro)の 「仕上げtalk」があった。  今週やると決まってから、 ワークショップ形式で発表して、議論しあったり、 恩蔵のメタコグニションのシミュレーションを 発展させたらどうかと示唆したり、  メタコグニションの下での自発的/強制的選択の 神経回路モデルをつくったらどうかと 助言したり、  いろいろなことをやってきたけど、  最後の最後になって、 Giroは、とてもAI(人工知能)色が強い プレゼンテーションをつくってきた。  これは、所眞理雄さんや北野宏明さんが 聞いたら、ブーイングだろうなあ、と思いつつ、 本人があれだけ揺らしても、なおこのプレゼンを つくってきたということは、  それ以外の経路ではアタマが動かなかった ということで、  現時点でのGiroの個性のようなものなのだから、 仕方がない、このまま行かせるしかないな、 と思った。  それで、Giroは意識のHigher Order Thought理論 から始まり、  メタコグニションを論じ、  Feeling of Knowingを論じ、 最後にfuzzy logicにつなげるプレゼンテーションをして、 見事「撃沈」した。  所さんに、「日本では第五世代コンピュータ のプロジェクトがあって、  そういうことを10年も20年もやって、 結局何の役にも立たないことがわかったのだ」 と言われて、  すっかりしょげていた。  急遽、Giroを研究室の学生たちと 五反田の『あさり』に連れていくことにした。  とは言っても、私はその後電通の石山さんとの打ち合わせが あったので、  「かんぱい!」 とビールを一杯だけ飲んで、   あとはカモノハシ関根にお金だけ渡して サヨナラした。  あとで聞くに、みんなで一生懸命Giroをなぐさめて いたらしい。  なんだかむずかしいなと思う。  Giroに事前にダメだしして、もっと脳の現実に 即したプレゼンを強制することはできたろうけど、  それでは、まるであやつり人形のようになってしまう。  やはり、どんな場合でも、自分が正しい、価値がある と信じるものを出して、それがコテンパンの評価を 受けたら、  それはどうしてなのだろう、と考えるしかない。  ある意味では、一ヶ月の滞在期間中の最大の教育的 シグナルを、Giroは昨日のプレゼンで得たのかもしれない。  もともととてもアタマのいいやつなんだから、 何か考えるだろう。  その時何が出てくるか楽しみだ。 2003.8.30.  「踊る大捜査線」が 「南極物語」の記録を抜いたとか何とか新聞で書かれている。  「踊る・・・」は絶対に見に行かないが、 1983年の「南極物語」は1983年の公開当時見に行った。  両親の家の前に映画館のポスターを貼るボードがあって、 毎月タダ券が来ていたからである。  タローとジローが白い大地に置いてこられる映画だった。  なんのカンドーもカンガイもない映画だった。  人々が、あの類の映画をなぜ好きこのんで見に行くのか、 未だになぞである。  「踊る」や「南極」とはレベルがあまりにも違いすぎる 小津安二郎の至宝、「東京物語」と「秋刀魚の味」を朝日カルチャー センターの授業で取り上げた。  「保坂和志さんが、『秋刀魚の味』の中で、 岩下志麻さんが振り返るシーンをまるで幽霊映画のように オソロシイと書いているけれども、それは、個人的な感想で、 ヒトによるのではないか」と質問された方がいた。  ちょうど、先日のエスクワイアの対談で、松浦雅也さんと 私がクオリアの問題について議論したいた時に、  編集部の方が、「何が良いクオリアであるかは、 人によって異なるのではないか」と聞かれて、 それに対して、私は、その場で、そうか、このように 整理しておけばいいんだな、と思いついたことがある。  それは、人によっては、「東京物語」よりも、 「南極」や「踊る」の方が面白い、価値があると いう人がいるかもしれない。  そのような場合に、「小津の映画とはあまりにも レベルが違う、アリンコ映画だろう」と言っても、 水掛け論になるだけである。  だから、他人の趣味については、とやかく言っても 不毛である。  問題はおそらく、AさんとBさんの趣味の比較の中に あるのではなく、  今ここに保坂さんのように小説のフィールドであれ、 あるいは私のように評論やエッセイのようなフィールドであれ、  クオリアと向き合うような仕事をしている人がいるとする。  その時に、その人自身としては、よりよいクオリア、 至高のクオリアがあると考えざるを得ないということがある。  自分の中では、「南極」や「踊る」はクズであり、 「東京物語」で原節子が「あの、もうお焼香ですけど。」 というシーンはスバラシイ、という基準が揺らぐことはない。  自分がつくり出すものの中に、「まあ、クオリアといっても 人それぞれだから。踊るナントカみたいなクオリアが あっても、東京物語のようなクオリアがあっても、 それはどちらでもいいや」という立場から 出発することは絶対にあり得ない。  いかにして、タンホイザーの「夕星の歌」のクオリアに 到達することができるか、ということで奮闘努力することは あっても、  いかにして「踊るナントカ」のクオリアを自分もつくれるか、 ということを目指して七転八倒することはあり得ないのだ。  どうやら、世間では、『東京物語』の「あの、もうお焼香 ですけど」やタンホイザーの「夕星の歌」のクオリアよりも、 「踊るナントカ」のクオリアの方が流通しているようだから、 私は当然戦うことになる。  世界陸上を見ていて、なんでアスリートの世界に このクズタレントがエラソーに出てくるんだ、 なんで陸上の専門家を出さないんだ、 と心から思うから、ざけるんじゃねー、とテレビ局に 電話することになる。  これは、別にAさんのクオリアよりもBさんのクオリア の方がすぐれている、というような自己優位を 主張する行為ではなく、  単に、自分にとって大切なクオリアを守る 闘いである。  王監督の顔をトイレに使うようなクズタレ番組を 糾弾しても仕方がないのかもしれないが、  それを、訳知り顔の人が「日本はコメディ後進国だから、 シャレが判らない」などと書いているのを見ると、 おい、冗談じゃないぜ、と言いたくなる。  クズタレのタレナガシお笑い番組には、何の批評性もない。  一方、イギリスのBBCの良質のコメディには、 社会に対するこの上なく知的な批評性がある。  日本にも、落語のような、すばらしい批評性を もった笑いがあったのに、  いったクズタレ番組跋扈の現代日本はどうしてしまった というのか。  クズタレ番組が好きだという人が、その番組を 見る権利は絶対に守るべきだ。  その一方で、自分の中で、その笑いのクオリアよりも、 よほど上質で、洗練された笑いのクオリアがあると 確信している以上、  クズはクズであると断言することは、 少なくとも私というプライベートにおいては、  仕方がないこと、  それ以外の生き方はできないことである。 2003.8.31.  以前、筑摩書房のPR誌「ちくま」に書かせていただいた 養老孟司さんの本「人間科学」の解説文「一網打尽」は、 自分でもうまく書けたと思うし、いろんな人の評判も良かった。 http://www.qualia-manifesto.com/ichimodajin.html 「脳とクオリア」を出した時に養老さんが読売新聞に書評を 書いてくださって以来の諸々のご恩に、何百分の一かの 恩返しをできたような気がする。  あの時、私は、甲虫をとる人と、蝶をとる人の世界観が 違う、ということを書いたわけだけども、  今年になってアカスジキンカメムシのせいでいよいよ 私の甲虫熱が「しきい値」を超えて、  私は蝶の人から甲虫の人になった。  要するに、野外を歩いている時に、きょろきょろ見て 探す相手が、蝶から甲虫になったのである。  甲虫の人になってみると、確かに世界が変わって見える。 その一つが、甲虫は、すぐ横にどんなに違ったのがいるのか、 わからないということである。  蝶ならば、なにしろあのヒトタチはふだん飛び回っているから、 ある場所に行ってしばらくぼうっと立っていれば、だいたい そこにいる蝶のラインアップが判る。  ところが、葉っぱの上でじっとしているカメムシや ハムシやテントウムシは、滅多に飛ばないから、  全体の様子が一目ではわからない。  ここは、こうか、と思った瞬間に、そのすぐ横に、 「こうか」とは全く違う未知の世界が広がっている 可能性があるわけである。  そう思って見ると、世界とはもともとそういうものだったか、 と思う。  普段見慣れている光景の中に、私がすでに知っている 世界とは、遠く離れた、予想もできないほど異質な世界が 潜んでいるのだ。  そんなことを、妹に子供が生まれたというので 久しぶりに訪れた両親の家の近くにある森の中で思った。  数限りなくある異質な世界のうちの、 ごく一部分だけを、  人は体験しつつ、生き続ける。  もう東京では見られないような、 排気パイプを改造して、ブンブンブブブン、などと 音を出して飛ばしているお兄ちゃんをみかけて、  ああ、あのような人が見ている世界の中には、 「踊る大捜査線」みたいなのが違和感なく中心を 占めているのだろうなあ、と思った。  それはそれで一つの人生だ、 と思う。  一方で、車を運転しつつ久しぶりにじっくり 聞いたグールドの「ゴールドベルク」のようなのも、 一つの人生だ、と思う。  「踊る大捜査線」と、「ゴールドベルク」は、 全く異なるテイストの甲虫として、  人生という草むらの中で息を潜めている。    メモリースティク・リーダーを手に入れたので、 QUALIA016が、本格的な 「使い倒し」 の時期を迎えた。 http://www.sony.jp/products/Consumer/QUALIA/jp/slot_03.html   最初は、ペンダントみたいに首からさげようか、と思って いたが、  竹内薫も言っていたように、手のひらの中にふわっと いれている感覚が良い。  まるで、きゃしゃな蝶々が手のひらで休んでいるように、 そのやわらかな感触を、  ときどき目の前にもってきて、カシャリと心に映る 光景を収める感覚が良い。  今日、明日と、『ブルータス』の仕事で 直島のベネッセの美術館に行き、そこから 南紀白浜に向かう。  東工大の研究室の合宿があるのだ。  おしら様=塩谷賢のおすすめの温泉に入り、 那智の滝を見て、  3日に帰ってくる。  この前、コテンパンにやられて一時的に落ち込んでしまった ハーバードからの勇者、ジローと、  芸大の授業で知り合った「ハトの芸術家」、蓮沼クンも くる。  その間、私の手のひらの中の小さな黒い蝶で、 心に残る風景の数々をつかんできたい。