茂木健一郎 クオリア日記  http://6519.teacup.com/kenmogi/bbs 2003.9.1~ 2003.10.31 2003.9.1.  高松まで飛行機で飛び、  高松港から船に乗って、   直島に来た。  ブルータス編集部のハシモトさんが、 直島というのは、みんなが素直だから直島と言うらしいのです、 というので、  それを、自分たちが言ったか、 他の人が言ったかで意味が違ってきますね! と私は言った。  直島は、ベネッセが美術館を建て、 民家をアートハウスにするプロジェクトを している。    まず、杉本博司の、「護王神社」。 本殿に向かって氷の階段がのびている 作品。  最初は、神様がお上りになる階段かと思ったが、 地下のほの暗い部屋から、  その氷の階段が出現している 様子を見て、実は階段自身がご神体なのだ! と思う。  次に、宮島達男の、「角屋」。メインの Sea of Time 98は、村の人々がデジタル・タイマーの リズムを設定して、それを民家の居間の水の中に 沈めた作品。  とにかく圧倒的にキレイである。  田舎にかえってきた子供が、  知らないで来て、 おじいちゃんに、なんかすごいものがあるよ、 と言いにいったりするらしい。  点滅するものが揺らぐ水の中にあると、 またたきが強調されるんだなあ、と思った。  南寺にある、ジェームス・タレルの「Backside of the Moon。 真っ暗な部屋に入り、 10分や15分じっとしていると、  目が暗順応して  次第に四角や赤いスポットが見えてくる。  まったくの暗闇だった空間が、 その中を自由に歩き回れるほどくっきりとした、 しかしそれでもやはりあわい広がりになる。  見えるか見えないかのかすかな光の世界の中を 歩き回って、  残暑厳しい夏の日差しの下に出ると、 まるで、今までの淡い視覚的存在の世界が 私のたましいが住まう本来の世界のように思われ、  ギラギラとした太陽の下、 くっきりと、鮮明に見える色の数々が、 あまりにも強烈すぎて、キタナイもののように 思われた。  そして、最後は、「きんざ」に収められた、 内藤礼の作品「このことを」。 これに一番衝撃を受けたが、  『ブルータス』のQUALIA記事で 取り上げる予定なので、  詳細は省略。  家プロジェクトの4つの作品を見終わり、 いよいよベネッセ文化村の美術館へ。  美術館本館から斜行エレベータで とことこと上っていくと、  別館がある。  安藤忠雄の設計である。  海を見渡すすばらしい部屋の中で、 まずはともかく、  と鈴木さん、ハシモトさんと ビールで乾杯。  灼熱の中を歩き回っけで、  もし、現代人が、そういうことは地味で映画の題材としては とるに足らないと思っているのだとすれば、  それは、現代人のある浅はかさの鏡なの だろうと思う。  おそらく、原節子が小津映画に出たのは、 これが最後なのだろうと思うが、  娘と榛名湖畔に旅行して、  「お母さんあなたとここでゆであずきを食べたことは、 決して忘れないわ」  というシーンがひょっとしたらこの映画のドラマの 頂点で、  結婚式が終わって、  一人でアパートの部屋で布団の上に座って ため息をつくラストシーンの姿には、  あの原節子がこんな役をやるなんて、 という晩秋のひんやりとした感じがあるけれど、  このようなシーンに違和感を覚えることが あるとすれば、  現代人が、「いつまでもお元気で、いろんなことに 興味を持って」  というように、人生があたかも最後までお祭りのように 続く、というフィクションの中にいることが  まるでヒューマンであるかのような思いこみの中に いるからだと思う。  人生、終わる時は終わる。  ときどき、自分が死の床についていて、 あと何時間で人生が終わる、というときの心理を 想像してみる。  晩春、秋刀魚の味、秋日和といった映画で、 子供を結婚させて一人になってうちひしがれる親 の姿は、  実は、そこで、人生のプライムが終わったのだ という、事実上の死が描かれているのだ。  そんなことはない、いつまでもお元気で、 というのは、あたまが徹頭徹尾情報論的に出来ている 現代人の勘違いなのだろう。  老いる時は老いるし、死ぬ時は死ぬんだよ。  小津映画の中で、女の子に向かって、  「いくつ? 24か。じゃあ、もう嫁に いかなくてはね。」  と親や親の知り合いが言うことを、 前近代的とか、個性を無視しているとか、 そういうリアクションをするのはきわめて 簡単だけど、  よくよく考えてみれば、そこに象徴されている ことは何なのか、  わかるヒトにはわかるし、  わからないヒトはまあいいから、  その個性とやらを追求してみればいいと思う。  自作の映画の中で「24か、じゃあ、もう嫁に いかなくてはね。」  とステレオタイプに繰り返した 小津安二郎自身は生涯結婚しなかったし、  原節子もしなかった。  それを個性と言いたければいえばいいが、 その監督がなぜ  「24か、じゃあ、もう嫁に いかなくてはね。」 とオブセッションのように繰り返したのか、 現代人はとくと考えてみるべきである。  「24か、じゃあ、もう嫁に いかなくてはね。」 が方程式の左辺にあって、  「人間はいつを 取りながら言葉を組み立てている。  そこに、そのコンテクストを無視した 形でモンクを言われると、大変ココロが消耗する。  というわけで、なんだか大変疲れた 一日であった。  一晩寝たら復活するか、と思ったが、 まだちょっと疲れている。  美しい音楽でも聴いて、ピュアさを 取り戻すしかあるまい。 2003.10.25.  小金井公園で、「月光浴」の写真を とる、石川賢治さんと対談。 http://fullmoonlight.net/  近くにあるスタジオから、「商店街の 福引きで当たった」というマウンテンバイクに またがりやってきた石川さんとの 対話は、すばらしいものだった。  「秒刻み」の忙しさで商業写真を 撮っていた石川さんが、  月光で写真を撮ることを思いついたのが、 JALの仕事で訪れたカウアイ。  サイパンで実際に花を月光で撮ってみて、 そこに、「宇宙」が現れていることに 衝撃を受けたという。  われわれの見上げている青空は、 いわば、地球自身の姿であって、  その向こうに広がっている宇宙を隠す カーテンになっている。  そのカーテンが消え、広大な宇宙が 姿を現すとき、  地上のものたちは宇宙とひとつらなりに なる。  石川さんは、地上にすなわち宇宙が あるということを示す「究極の一枚」 を求めて20年仕事をしてきたが、  おそらくあと20年かけても撮れないのでは ないか、と言う。  考えてみれば、満月は一月に一度。  被写体、撮影場所との組み合わせや、 シャッターの開放時間(時には2時間に及ぶ) を考えれば、そもそもそんなに数はとれないのだ。  月光で世界を撮ることを続けてきて、 石川さんの目には、世界が全く違ったものと して見えているらしい。  感銘を受けた。  仕事を終え、妙な時間に中野を通過したので、 思い立って、いつも行列で入れない  「青葉」 http://www3.justnet.ne.jp/~ishizu/syousai/aoba.htm にとても遅い昼食のため立ち寄る。  そんな時間だというのに、3人並んでいたが、 すぐにしめしめとカウンターに。  誉れ高いここの中華そばは、何がいったい そんなにうまいのかと、  「特製中華そば」を注文。  結論。うまい!  特にチャーシューは絶品。    さっそく、「研究室のラーメン大王」、 「カモノハシ関根」 に電話して自慢した。  その時、「どううまかったか明日の日記に 書く」 と言ったけど、百書は一食にしかず、  とりあえず行ってみなはれ。  夜は、東京国立博物館でQUALIAの会。  長谷川等伯の国宝「松林図」を見る会で あったが、  遅れてくるひともいるだろうし、 私はずっと「松林図」の前にいます、 と事前に言っていたのだけど、  本当に90分間松林図の前に立っていた。  まったく飽きなかった。    それどころか、見ているうちに、 次第にアタマがぽっかぽっかしてきて、 最上のオペラの公演を見たあとのように、 「これなら1ヶ月は持つ」と思うほどの 深い活性化状態になって、  それが今朝になっても続いている。  その間、いろいろなことを考えたけど、 それは今度芸大の授業で喋ろうかと思うので、 省略。  考えてみれば、入場料だけで、 その気になれば、あんな至高の体験が できるのだからすばらしいものである。  どんなすばらしい作品でも、人はプラクティカル に生きるくせが染みついているから、  せいぜい10分見て次の作品に行ってしまうけ れど、  美なんてものはプラクティカルとも 時間節約とも関係がない。  青空が宇宙を覆い隠してしまっているように、  プラクティカルが美を覆い隠してしまっている。 2003.10.26. 先日、 投稿者:イギリスのコメディ  投稿日:10月25日(土)16時13分43秒 森健さんがいらしたとき、 「イギリスのコメディを観るのが趣味だ」 と言ったら、 「モンティ・パイソンとかですか」 と言われたので、 「最近は、イギリスのコメディはものすごく進化しちゃって、 とくにThe Officeというのがすごいです」 と答えたのだけど、 その、イギリスを席巻したThe Officeのseries 2のDVDが届いたので、 やることはたくさんあったのだけど、 最初のエピソードを観た。 そうしたら、あまりにも面白くて、最後のエピソード6まで一気に 観てしまった。 スタッフの仲間受けのバカワライが入っている 日本のお笑い番組はもうとっくの昔に 見捨ててててしまって、興味がないが、 せっかく古典落語の立派な伝統があるのに、 もったいない、 イギリスでは、ここまでコメディが進化してしまっていると いうのに。 何がすごいかは、下のAmazon.co.ukのreviewをよめば すこしはわかるかもしれないけど、 もう笑いとか、ドキュメンタリとか、そういうジャンルをこえて、 人間の真実を描いているという意味で、 さすがシェークスピアの国というか、 インテリがまじめにコメディを書き、観て、論ずる国というか、 あまりにも日本の現状とかけはなれていて、 絶望的な距離がある。 台本を書き、演出し、主演しているRicky Gervaisさん、 いいものを見せてもらいました。 本当にありがとう。 http://www.amazon.co.uk/exec/obidos/ASIN/B00008W63T/ref=sr_aps_dvd_1_1/026-4909762-2559607 2003.10.26.  仕事のため、いい小説ばかり 2週間くらい読んでいたとき、  ふと、自分の精神状態がとてもよい ことに気がついて、  ああ、そうか、要するに人はうつくしいもの、 よいものに浸っていれば精神状態が よくなるんだなと気がついた。  松林図の前に1時間もたたずんでいれば、 それだけで精神状態がよくなる。  美によるセラピー。お試しあれ。  だから、美しいもの、いいものだけを 観ていればいいので、わざわざ悪いもの、劣るものに ついて書くことはないと思っているのだが、 それにしても日本のテレビの惨状には心が痛む。  「トリヴィアの泉」という番組がはやっている らしいが、  そんな時間に家にいないし、みたことが ない。  しかし、人からどんな内容か聞く限り、 別に観なくていいんじゃないかと思う。  むかし、バブルのコロだったか、 「カノッサの屈辱」とか、「なんとかQ」 (ある分野についてのオタクの知識を聞く クイズ番組)とか、  ああいうのを面白い、と思うキモチは 私にもあるし、  その意味では、「トリヴィアの泉」 もおもしろいと思う回路があるかもしれないが、  年をとって、それなりに成熟して、  そんなものをある作品に求めているわけでは ないということを自覚してしまったから、もはや 見る気がしない。  そもそも、日本のテレビをつくり、見て、 批評する(そんなもんがあればだけど)人たちには、 テレビ番組が作品であるという認識は ないんじゃないか。  「レギュラー番組」を毎週タレナガシに つくって消費していたら、   そんな認識を持つ閑がないだろう。  日本のテレビ番組は、要するに、 安普請の家をつくっては壊しているようなものである。  100年持つような美しくしっかりした 家をつくろうという意識がまったくない。  わかりやすいたとえで言えば、 テレビ番組で、「松林図」や小津の映画 くらい丹精に作り込んで、100年経っても 人々がそれを見て感動する、  そんなものがあるとは最初から 思っていないのだろう。  前にも書いたが、BBCのコメディ番組は、 一年に一回の一シリーズが、せいぜい30分 ×数本制作されるだけである。  それだけのために、一つのプロダクションが 1年かけてじっくり創れば、  それは時にはいいものができる。    いまだにコメディ番組の旧約聖書と言われている Fawlty Towersは、1シリーズ6話が2シリーズ、 たった12話しか制作されていない。  それでも、未だに人々がくりかえしくりかえし 見る。  再放送されるし、ビデオが売れる。  ちょうど、松林図の前に長谷川等伯没後500年 経っても人々が集うように、  Fawlty Towersは、イギリスにおける national institutionになっているわけである。  表現者として生まれた以上、どうせなら そんな番組をつくってみたらどうか。  もちろん、日本のテレビ関係者だって そんなことは分かっているんだろうが、   みなが「いそがしい、いそがしい」 とばかり言っていてクオリティなど 気にする閑がない「日本病」の中で、  そもそも一年一シリーズ、数作という テレビ番組の作り方がある、ということ自体 思いつかないんだろう。  ただ、貧相なチャラタレが安普請の家に 出入りして見せるだけのことである。  そういうわけで、  トリヴィアの泉が視聴率何パーセントとろうが、 日テレのプロデゥーサーが視聴率で不正を しようが、そんなことには興味がない。  日本のテレビの番組の質を 立て直すのは、大変なことだろうと思う。  私のまわりには、地上波など見ない、 という人が多いけれども、  あんな安普請をよろこんで見ている 人たちが国民のかなりの割合だとしたら、  この国の知的資源が劣化するのは 当然だと思う。  問題は (1)プロダクションの人が、単に安普請の 家を急いで安くつくれ、と言われるのではなく、 本当にいいアイデア、本当にいい作りの 番組にはそれなりの正当な報酬が支払われて 経済的にやっていけるシステム (2)瞬間最大風速の安普請視聴率じゃなく、 10年、20年に渡って良質なコンテンツとして 引き続き収入が入って、ペイするシステム をいかにつくるかだろう。  オレはテレビ関係者じゃないから、 だれか志のあるやつ、やってくれ。 2003.10.27.  松井選手は残念だった。  「4番の重圧」とか、いろいろ 後づけで説明することはできるだろうけど、  たまたまカラダがうまく動いて くれなかったのだろうと思う。  小学校の頃は、巨人のV9時代、 ONの全盛時代で、  私は王選手に夢中だった。  仲間たちと、夏の間中、  野球をやっていた。  児童公園にブランコがあって、  それを超えるとホームランということに なっていた。  一本足打法で、50号まで打ったことは 覚えている。  もっとも、距離は、今にして思えばせいぜい 20−30メートルだったのだろう。  それでも、  子供にとっては、ブランコの上をボールが 超えていく快感はなにものにも代え難かった。  もちろん三振も多かった。  ツーストライクになって、クラスメートの 女の子が見ていたりすると、  三振するのではないかと、びくびくした。 玉がきて、カラダが変な風にまわって、 やっぱり三振してしまったときなど、  あーっと思って、  その後のキモチの紛らし方が難しかった。  よく、ネコが獲物をとろうと思って 失敗すると、獲物なんて最初からとろうと していなかったよ、とばかりにごまかす と言うけれども、  ネコのキモチがよく分かる。  松井選手のようなプロ中のプロと比較する わけにはいかないけど、  自分のカラダというのは、思ったようには 動かないものだ、ということは、  子供の時の草野球で身に染みている。   つまりそれは意識と無意識の関係であって、  意識がコントロールしようとする下を、 無意識がよく把握できない形ですべっていって しまうことがある。  うまく引っかかるとは限らない。  松井選手の場合、  たまたま、ワールドシリーズの第5戦、 第6戦は、無意識が意識の下をすべってしまった。  それだけのことだと思っても、悔しいことは 悔しいだろう。  また、明日から、トレーニングを積むのだろう。  トレーニングの意味は、無意識への意識からの 働きかけのパスを少しづつ開くことだと思うけれども、  それならば私たちの日常というのは、 少しづつ人によって命題は違うけれども、  一連なりのトレーニングのようなものだ。  トレーニングの結果、肝心の時に  無意識が意識の下をすべってしまうか、  それともうまく引っかかるか、  そのことに一喜一憂するのは野球だけの ことではないはずだ。 2003.10.28.  先日、芸大の授業の後で布施英利さんと お話していた時、  布施さんが、「自分と異質な他者に出会うことで、 自分というものがよりよくわかる」 ということを言われた。  芸大の油絵科の「鳩画伯」、 蓮沼くんが、私の東工大の研究室の南紀白浜合宿 にきたとき、はじめて、なんのてらいもなく 「自分はアーティストだ」と言えた、 芸術を仕事にしているのではないひとたちの 中にいて、はじめて自分が肯定的に規定できた、 というメールを布施さんに送ってきたらしい。  そんなこんなで自分が鳩画伯くらいの 年だった頃のことを思い出した。  法学部に学士入学することに より、異質なひとたちの間に身を置くことに よって、はじめて私は自分というものを 肯定的に規定できたのかもしれない。    先日文藝春秋のお仕事で いらした森健さんと話しているときに、 私が、法学部に学士入学する直前に、 はじめて「人間と人間の関係をどうにかする ことを仕事の要としているひとたちが社会に いることに気がついて驚いた」と言ったら、 森健さんは大笑いして、まとめてくださった インタビュー記事の中にもそのことを 書いてくださったが、  本当に、私は22の春まで、社会がそのような ものとして動いていることを知らなかった、 というかそのことに気がつかなかったのである。  そんなことを今書くとバカみたいだが、  人間というものは、一人一人が宇宙に 向かいあっていて、  それがあつまって社会ができている、 というルターみたいな世界観を持っていたのである。  もちろん、今では、人間と人間の関係が 人間にとって何よりも大切だということは わかっているし、  本の中に、「関係性から魔法のように あたらしいものがうまれるのが創造の メカニズムである」とずうずうしくも 書いたりしている。  二十歳の私がそんなものを読んだら、 こいつはバカか、人間は一人で 立つものだ、と思うだろう。  人間は、自己を定義するために 他者を必要とする。  そのことは、4歳前後に、自己意識と 他者の心の所在に対する感受性(心の理論) が同時に発達してくることを考えても 間違いない。  自己と他者が響き合いながら発達 する過程は、生きているかぎり おそらくいつまでも続く。  この前の芸大の授業で杉原くんとぶつかった おかげで、  私は「松林図」の前でじっくりと 芸術家というのはどんな人種だろう、 と考えることができ、  その結果、それなりの結論が出た。  私は、芸術愛好家ではあったが、 芸術家の心根はまだわかっていなかったなあ と思った。  逆にいえば、科学主義の、人間の生き方に 作用するあるやり方がわかった。  41歳にして、はじめてそのことに 気がついた。  これだから、異質な他者というのはありがたい。  男と女がお互いを必要とする理由も 上のようなことにあるのかもしれない。 2003.10.28. 「意識とはなにか」(ちくま新書) の永江朗さんによる書評が、現在発売中の 週刊朝日2003.11.7号の138ページに掲載 されています。 引用 「この本は、自然科学に関するものとしては異色だ。 たいていの脳科学の本は、研究の結果こんなことがわかって きました、と書いてあるのに、茂木健一郎は逆。 研究したらわからなくなった、というのである。 研究すればするほど問題が増えて、わからないことだらけに なる。謎はますます深まっていく。」 2003.10.28. 10月26日の毎日新聞読書欄に、 「意識とはなにか」(ちくま新書)の中村桂子 さんによる書評が掲載されていました。 引用 「ここまで読んで、大きく肯いた。というのも、これまでの 文章の脳科学という言葉を生命科学に変え、成果の部分を 数々の遺伝子研究に置き換えると、まさに同じことが 起きていると感じているからだ。脳科学での壁は、 脳内の神経活動によって、なぜ意識が生み出されるかが 皆目わからないことである。因みに生命科学の場合は、 生命そのものに迫る方法論がわかっていない。」 2003.10.29.  最近、独立に、何人かの人が、 「一般書」がどうの、「専門書」がどうの と言っていたので、  私は、はっとして、 そういえば、世間でそういう区別をうんぬん 言う人たちがいるのは知っていたけど、 自分の意識としては、そんな区別、ずいぶん 長い間考えたことがなかったなあと思った。  早い話が、プラトンの「饗宴」は一般書 なのかよ、専門書なのかよということである。  ダーウィンの「種の起源」はどうなんだよ、 ということである。   専門書だから程度が高いとか、 一般書だから内容が薄いとか、  そういうメタファーが私にはまったくわからない。  そういうことを言っているやつは、 そのことに関して言えば、 おおむねくだらないやつだと思っている。  人間の記憶というのは不思議なもので、 「文系の研究者たちは、自分たちは紀要とか 論文誌に、引用文献とかレフリーがどうの こうのとかいう論文を書くことがエライことだと 思っているくせに、自分たちが研究する 肝心の対象は、引用文献もレフリーも くそもないものばかりじゃないか」 と思ったのが、  タクシーに乗っていて、 無線で  「松鶴家ちとせさん、四谷***、どうぞ。」 という呼び出しが入った直後のことだった、 ということをエピソード的にはっきり覚えている。  ニーチェにしろ、カントにしろ、 本居宣長にしろ、文系の研究者が 研究対象にするのは、専門論文じゃねえだろう、 むしろ、そういう意味でいえば、「一般向けの 文」だろう。  そこに含意されている矛盾を、とくと かんがえてみるがよろしい。  早い話が、マカロニみたいに 引用文献がずたずた引いてある「専門論文」 よりも、  世界にひとつ、すっくと立っている 文章の方が、クオリア的にピュアで うつくしいんじゃないか、と思う。  アインシュタインの1905年の相対論の 論文に引用文献が一個もないのは有名な 話だが、  今はそういうことがやりにくい時代では あるにせよ、  本当に100年後、200年後に 読まれるようなものを書きたいと思ったら、  専門論文などよりも、 いわゆる「一般書」 でカントやニーチェに相当するものを 書くことを志した方がよい。  逆にいえば、それがいかにむずかしいことか、 ということである。  専門論文は専門論文でメシのたねとして 書けばいいが、  カントやニーチェを一般書として 書くのは、 とてつもなくむずかしい。  むずかしいが、本当のアーティストだったら、 それを志すべきだろう。  今の読者だってばかじゃない。  もしそのようなすごい本が出たら、 拍手喝采、あたらしいカントが出た! と叫ぶだろう。  そこの、専門論文とも紀要とも関係の ないあなた、  専門性がどうのこうのと、こうるさい やつたちは放っておいて、   一つ現代のカントになること、 本居宣長になることを  志してみたらいかがですか。  やってみたら、とてつもなく難しいとは 思いますが。。。 2003.10.30.  あまり体調が良くないのだが、 午前中は、いそぎの仕事を傘張り職人の ごとく  しこしことやる。  高校のときに、はじめて英語のペーパーバックを 何冊か読んだとき(TolkienのThe Lord of the Rings とか、Silmarillionだったと思う)、  最初の2、3冊は、読んでいて、なんというか、 脳がつらいというか、  腕立て伏せをつづけているかのように とても疲れたが、  そのうちに、苦しさが抜けてすらすら 読めるようになった。  集中して仕事を3時間、4時間と続けている ときの感覚は、あの時の、慣れないpaperbackを 読む苦しさにちょっと似ている。  むずかしい仕事ほど、そうだ。  脳が苦しいと感じているときには、  きっと、シナプスがいろいろつなぎ 変わっているのだと思う。  保坂和志さんの「書きあぐねている 人のための小説入門」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794212542/ref=sr_aps_b_/249-9004904-1862726 を読みながら、東京芸術大学に向かう。   以下引用。  「人間の能力というのは奇妙なもので、 最初の一作のために全力を注ぎ込んだ人には、 二作目がある。しかし、力を出し惜しんで、第一作 を書きながら二作目のネタを残しておいた人には、 二作目どころか第一作すらない。  この一見矛盾した言い方は、しかし本当は「奇妙」 でも何でもなく、簡単に説明がつく。なぜなら、 全力で小説を書くことで、その人が成長するからだ。」  美術解剖学教室をお借りして、 鏡リュウジさんと、「映画」について 対談。  Brutusの映画特集用である。  最初は、Matrixとか、ああいう 映画を中心に話せばいいのかと思っていたら、  実は映画だったら何でもいいのだった。  しばらく前に考えていた、  「心に残らない、カラダに対するマッサージの ように機能する映画」 について熱く語ってしまっていた。  鏡さんは、ユング心理学の 概念をいろいろ出して来られて、 私はなるほど、そういうことか、 と思ったことがいくつもあった。  一日のうちに、アタマの使い方というのは いろいろあるが、  その中で、苦しいように感じるものは、 確実に脳を高めているはずだ。  もちろん、苦しさにもいろいろあって、 対人関係のコミュニケーションがうまくいかないのは、  仕事をしていてむずかしいことを考えていて 苦しいというのとは少し違うように 思われるけれども、  実は同じことかもしれない。  対人関係が苦しいと感じている人も、 そこにはひょっとしたら脳のシナプスをつなぎかえる チャンスがあると思えば、   少しは気が紛れるかもしれない。  関係性が創造性の源泉であるということは、 つまりそういうことでもあるかもしれない。 2003.10.31.  ひさしぶりに、 池上高志に渋谷で会って、  タイ料理屋にいって、ビールを飲んだ。  池上高志といっても、知らないひとは 知らないかもしれないけれども、  東大の駒場の広域科学で、 複雑系の視点から認知科学をやっている、 私の親友である。  それで、そのイケガミタカシと久しぶりに ビールを飲んで、本当に楽しかった。    何が楽しいかといえば、他に、一緒に しゃべっていて、あのグルーヴを出せる 人がいない。  知的で、しかし衝動的で、 多動的で、深く、その言説が、「金剛顔」 (これは私がいま池上の顔をどう表現しようか と2−3秒逡巡してあみだした日本語で、 どういう意味かは、私の中ではそのクオリアが はっきりしているけど、かならずしも 世間の人にはつうじないかもしれない、それは まあいい)から出てくるところが 本当に楽しい。  あっ、ここに顔があった。 http://dolphin.c.u-tokyo.ac.jp/~otss/Interview/tikega/  ところで、私はしばらく前に小津安二郎の DVD全集を見ていて、ふと厳粛な思いに襲われた ことがある。  小津といえば、私たちは原節子さまや、 笠智衆、佐分利信、中村伸郎、佐田啓二・・・ といった俳優たちを思い出すけれども、  DVDを見ていて  ある瞬間にはっきりわかったことは、 もし、原節子さま(なぜ原節子だけ「さま」 がつくのかといえば、それが世の中のきまり だろう、という他に理由は答えられない)や 笠智衆といった個人がいなければ、  小津の映画は、決して我々が知っている、 「あの」芸術性を持ち得なかっただろう、 ということである。  顔の表情、声のトーン、パーソナリティー・・ 原節子さまや、笠智衆が、あの特定の 属性を持っていたということが、「東京物語」 や「晩春」、「麦秋」、「秋刀魚の味」 といった、「ユネスコ人類遺産」としかいいようの ない名作群の芸術性と 分かちがたく関係していて、 もし、原節子さまや笠智衆がこの世にいなかったら、 小津は、要するにあのような形での芸術性は 示せなかったろう、  小津が、どんなに天才でも無理だったろう、 と思うのである。  これは大変なことである。  われわれは、映画の芸術性といえば、 ストーリーだとか、主題だとか、  ローアングルがどうのこうのとかそういう ことばかり考えるけど、  実は、芸術性というのは、まさに原節子さまが 原節子さまである、という、きわめて 偶然的な「個人」のキャラクターに依存して しまっているのだ。    別の言い方をすれば、そのようなやり方で 小津は映画を撮った。  恩蔵画家絢子(東工大)、田谷サッカー文彦 (阪大)、津口オノミチ評論家(芸大)、 佐々木宴会部長(電通)といった綿々といっしょに、 池上高志と他愛のないことをいいながら大笑い する時間の中で、  池上高志のこのグルーヴは、顔とか、表情とか、 声とか、脳の構造とか、この宇宙におそらく 一回しか実現しない微妙な要素の組み合わせで しか実現しない、  というようなことを私は考えていた。    もちろん、そんなことを考えているということを 悟られないように、私はゲラゲラ笑い続けていた。  厳粛なことを考えるときには、 ビールを飲みながら大笑いするのがよろしい。