茂木健一郎 クオリア日記 http://www.qualiadiary.com 2004.1.1.  午後3時、この3年くらい「構想中」 だった小説『プロセス・アイ』 をとりあえず終わらせる。  この4日間、酒を飲まずに精進した。  全部で700枚で完結。  「ららら科学の子」を読んで、 なんとなく刺激を受けて、 えいやっと終わらせた。  果たしてどんな出来か、自分では よく判らない。  近未来物で、さまざまなファクターの 要素を取るのがちょっと苦労した。  徳間書店の本間肇さんに原稿を メールで送って、  ランニングに出掛け、  ちょっとすっきりして、  歳末につき、 車を運転しながら、  バーンスタイン指揮、 ベルリンフィルの  「第九」を聴いた。  私の持っているのは、1989年の ベルリンの壁の崩壊の後出た、  壁の破片が入っている特別ヴァージョンだ。  確か、ベートーベンは、第九を作曲した 時には、耳が聞こえなかったのではなかったか。   運動出力する<私>と、感覚入力を受ける<私> は違う。  環境に出力して、環境からのフィードバック を通してループが完成しない限り、  <私>と<私>は対話できない。  <私>と<私>の対話が完結しない状況に 置かれたベートーベンにとって、「第九」 というのは暗闇に投げたコガネムシのような ものだったのだろうか。  しかし、このコガネムシは、暗闇の中で ぶーんと羽音を立てて飛び立つ。  曲想が、あっちにいったりこっちに いったり、躍動する。  最後の合唱も、よく聴いていると 何がなんだかわからない。  むちゃくちゃな人だなあ、 といつも聴く度に思う。  「第九」は、ベートーベンのような 人でも、 滅多に書けるような作品ではないだろう。  プロというのは、作品について言い訳しない 人のことだと思っている。  ベートーベンがこの曲を作る時に 何を考えていたのか、  興味はあるけれども、  今  自分たちの目の前にあるのは、 その作品だけで、  言いたいことも、託したいことも、 その作品に尽きている。    そういうあり方は、美しいと思う。   2004.1.2.  人間と人間のコミュニケーション というものは、  基本的にミスコミュニケーションへの 契機をはらんでいる。  子供の発達の過程で、 だいたい4歳くらいで他人の心の状態を 推定する能力(心の理論)が 獲得される、 と言われる。  自閉症の子供は、心の理論を 獲得する上で困難がある。  上は、認知科学上の事実であるが、 だからといって、「健常人」が完全な 心の理論を持つ、と思ってはいけない。  他人の心の状態というのは、原理的に 知り得ないのであって  (自分の見ている赤と、他人の見ている 赤が同じかどうかということさえ、 わからない!)  心が通じ合った、と思算をしていた、 という伝説的な人物である。  関根がそういうのにあこがれる、というのは バカヤローであるが、偉いとおもう。  世間は、あややがどうしたとか、広末が できちゃったとか、自衛隊の先遣隊が どうのこうの、とか言っているのに、  フォン・ノイマンの数学的知性にあこがれて、 ムキになって議論をふっかける、  それはおそらく世間から見ればバカヤロー学生 であるということになると思うが、  そういう「超えた」世界へのあこがれがなかったら、 学問なんてやっていても仕方がない。  おりしも、今朝の朝刊には、高3 10万人学力 テストで、数学の30問中、1問しか期待の正答率 を超えなかったという。  だからどうした、晩飯食うな、である。  文部科学省が設定するようなせこいレベルなど、 本当に学問を志向している人間は最初から 相手にしていない。  そういうことをうんぬんしている人たちには、  フォン・ノイマンのレベルの話は 想像さえつかないだろう。  言っちゃあわるいが、二次元の世界に生きている 生物にとって、三次元の世界が想像できないのと 同じことである。  問題は、フォン・ノイマンにあこがれる バーカヤロー学生を何人生み出せるかだ。  寺子屋数学ばかりやっていないで、 本当にすごいものをちらりと見せる、  チラリズム教育をなぜやらないか。  相変わらず規格品の品質保証ばかり問題にしている 文部科学省のヒトタチは、  悪い意味のバカヤローたちだ。  本当のバカヤローになれよ。  本当のバカヤローをつくれないことが判っているから、 最近はやりの公文のドリルとか、  ああいう寺子屋的なものに、 私はまったく関心がない。  だから、ドリルだ、広末だ、あややだと言っている 世間からずれた、バカヤローに私もなって いってしまうわけだが、  がきの折りから手癖が悪く、抜け参りからぐれ出したんだから、 仕方ねえ。  一部改変  ソニーの高輪オフィスの中にあるメディア・ワールドで、 日本マーケティング協会の方々に対して講演。  クオリアについて。  それを終えて、研究所に戻る。  それで、うるさ型の田谷文彦を「審査委員長」として、 関根崇泰と恩蔵絢子の修士論文の進行状況 チェックの会を行った。    すでに修士論文という関門を通り抜けた 先輩たちが、眼をキラリと光らせて、  何か言ってやろう、と待ちかまえる中、 まな板の上の鯉、かごの中のウサギ、  アリジゴクの巣の縁を歩くアリとなった 二人が、進行を報告する。  最後に、田谷うるさ型委員長に、「それでは、 このまま修士論文を進めてよろしいでしょうか」 とうかがったところ、  「苦しゅうない。」 とのお答だったので、  恩蔵、関根は、このまま修士論文の完成に向かっbR匹跳ねている絵が掛けられ、  その下には信楽焼の大壺があった。  と、思わず田口トモロヲの口調になって しまう、状態であった。  それにしても、小林秀雄の写真がかけてあり、 その回りにふるい写真がいくつかあり、  それは、普通の意味でいうと「おじいちゃんと その回りの」写真を飾ってある、というファミリー ピクチャーの系譜になるわけであるが、  そこに小林秀雄がある、というのは 何とも不思議な感覚であった。  その不思議な感覚の中で育って来られた 信哉さんであるが、能の上演のプロデゥースなどを されていて、  2月22日には熊本で戦国時代のテンポ (今の2倍)で能を上演して、それをイタリア 料理を食べながら見る、という企画をするらしい。  残念ながら同じ日に私は仕事があり、 行けないけども、  戦国時代のテンポ感というか、バサラ感には とても興味がある。   これからの信哉さんの動きを瞠目して 待ちたい。  私もバサラをして行きたい。  信哉さんの焼いたすっぽんの味は、 フランシス・ベーコンの絵におけるように 肉が滋味次元に向かって豊かな拡張を 見せ、現象学的に流れはじめてしまった 鶏のようで、  つまりは肉と脂肪組織とよくわからない なめらかなテクスチャのものの混淆がそのような クオリアを現出するわけだが、  「これを食べたら、もう焼き鶏は食べられない でしょう」 という信哉さんの言葉がすっぽりはまった。  やがて、我々はタクシーにて  深夜の渋谷に繰り出し、信哉さんと、小池憲治 さんと、NHKのディレクターの谷口雅一さんと ともにカラオケをいっぱい歌ったような 局面もあったような気がするのだけども、  それをのぞけば、きわめて田口トモロヲな夜だった。  私が一番目のコーラスを歌い、信哉さんが 二番目のコーラスを歌う、という形で 尾崎豊とかを歌ってしまったような気もするけれども、 それをのぞけば、やっぱり田口トモロヲだった。  それにしても、信哉さんは、イギリス遊学中 フォックス・ハントをしたという。  私は遊学中、パブ・ハントはしたけども、 赤い服を着て馬に乗って小ぶりのラッパを 鳴らす、などということは絶えてなかった。    また今日から精進したい。 2004.2.16.  どうも、現代はわかりやすい、ということを 重視しすぎなんじゃないかと思う。  そのことの弊害を、ずっと感じていたが、 うまくピンポイントの言葉に出来なかったのだけど、 小林秀雄の 「無常という事」を読んでいて、ああ、 と思った。  そもそも、なぜ「無常という事」を読んで みようと思ったのかと言えば、  小林秀雄の講演があまりにも素晴らしいので (講演界の旧約聖書だと、私のアタマの中では 勝手に言われている)、  しかし現在手に入る講演は有限なので、 そうか、小林の書いた文章を、アタマの中で 小林秀雄の声で鳴らしてしまえば、 それも一つの講演というものになるんじゃないかと 思ってやってみたのである。  実際に朗読してしまうと、自分の声になってしまって 仮想小林秀雄にならなくなってしまうので、 つまり私は声に出して読みたい日本語的な ことを言いたいのではないので、 そこのところヨロシク。  小林の文章をそのようにゆったりと 読んでみて、これは、現代の編集者 だったら、「これはわかりにくいです」とボツに するんじゃないかと思った。  小林がわざとわかりにくく書いている、 ということではない。  小林の不親切さの背景にあるのは、 一人称の思想のダイナミズムである。 人にわかりやすく説明する、文章を書く というモードとは違う、  自分が未踏の仮想の暗闇の中を探索する、 その探究者の精神力学に寄り添って 小林は文を書いているのだ。  人間は、一人称で必死で未知の問題を 考えている時には、三人称に対するわかりやすさ など、知ったことではない。  その時には、孤独な魂として絶対者に向かい合って いるのであって、そのスタンスからはき出される 言葉が小林のエッセンスになっていると私は 気がついた。    だから、こういう文体が出てくるのだ。  上手に思い出すことは非常に難しい。だが、それが、 過去から未来に向かって飴のように延びた時間という 蒼ざめた思想(ぼくにはそれは現代における最大の妄想 と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方 のように思える。成功の期はあるのだ。この世は無常 とはけっして仏説というようなものではあるまい。 それはいついかなる時代でも、人間の置かれる一種の 動物的状態である。現代人には、鎌倉時代のどこかの なま女房ほどにも、無常ということがわかっていない。 常なるものを見失ったからである。  私もこういう文体で書きたい、と言っているのでは ないので、編集の方々、ご安心召され(笑)。  一人称で生きることの切実さ、というものを 横から見る、  というようなスタンスのナラティヴがもっと あっていいかと思う。  あまり正面からわかりやすく、親切にとやると、 地上波テレビになってしまう。  活字の世界まで、地上波テレビにする必要はない。  たとえば、橋本治さんあたりが、一人称の 切実さに寄り添って不親切に書いたものを ぜひ読んでみたいと私は思う。 2004.2.17.  人生は有限、表象は無限である。  NHK出版の大場旦さんと五十嵐広美さんが 研究所に来襲、  現在執筆中の「ホムンクルス本」 (主観性の起源に正面から取り組む本) の進行をチェックしていった。  ヴィジュアル的に、二人で来るとは 思っていなかったので、あせった。  タン&ヒロミのヒール・タッグを組んだとは 知らなかった。  見た瞬間、  怒られるのが二倍になると思った。  二倍! 二倍! (今笑ったあなた、高見山を知っていますね) 科学であれ、芸術であれ、ソフトウェアであれ、 表象の配列を生業とする人間は、 常に無限と向き合っている。  ずっと忙しくてできなかった、 柳川透からの顔の表情認知の研究の提案に やっと返事したのだけども、  表情認知の研究だけでも、そこに真剣に 向き合うと一生を費やすような無限が見えてくる。  文学はもちろん無限だし、  心理的時間の知覚を考えただけでも、 またこれも無限である。  感情のメカニズムも無限であり、  評論も無限であり、  ユーザーインターフェイスも無限であり、  経済システムについて考えることも無限であり、  笑いについて考えることも無限である。  人生半ばにして、私は無限に囲まれて、 ため息をつきつつ、とぼとぼ歩いていかなければ ならなかった。    そんなことをオオバタンに言って、ごまかせば 良かったのか、とも思う。  後知恵というやつである。  恩蔵絢子と関根崇泰の修論発表が今日なので、 ここのところ3回くらい練習をした。  やるたびにうまくなっていくし、 何かを掴んでいっているような気がするのだけども、  そのような、学習の曲線もまた無限である。  古書店に行き、そこに並んでいる本を見ると、 その本たちがこうして生き残っている奇跡よりも、 消えていってしまったおびただしい本の鬼籍に入るを 思う。  しかし、本というものが消えちゃうというのも、 無限なんだから仕方がない。  国会図書館は、全点保存で無限のニヒリズムに 対抗しようとしている。  足を突っ張って、一生懸命無限と張り合おうと しているのだ。    アレキサンドリアの人たちも同じ無限と向き合って いたのか。  言葉を獲得したとき、人間が向き合う無限の 質が変わったのだろう。   2004.2.18.  通過儀礼というのは、人の心に 何とも言えない作用をもたらすなあ、 と思う。  おそらく、恩蔵絢子と関根崇泰の あたまの中では、何らかの神経伝達物質が 昨年の11月頃から徐々に濃度が高まっていって、 昨日の午後2時頃急速に低下していったはずだ。    通過儀礼があると、そんなゆっくりとした 時間経過で、人の気分というのは変わっていく。  これは考えてみると大変なことではないか。  オンゾーとセキネの修士論文発表は、拍子抜け するくらい無事に終わった。  私は一応「主査」だけども、「主査」というのは、 実際には他の4人の審査員の先生方がきびしい 質問をして、オンゾーとセキネが答えているのを、 はらはらして見守る役割である。  必要に応じて、  「あーそれは、ですね。」 と助け船を出す役割である。    しかし、助け船を出さなくても大丈夫だった。 自分で自分を助けていた。  修士に入った頃は、科学的方法論とは何か、 実験データから確実に言えることと、 推論でしかないことの区別はどこにあるか、  自分の仮説が実験データによって裏切られたとき、 どのような態度をとるか?  そんなことに関して、よろよろ、 ひょろひょろだったのに。  (田谷文彦の証言によれば、セキネはごく最近 までよろよろ、ひょろひょろだったいう説も ある。)  それが、先生方の鋭いツッコミに、 ちゃんと答えている。  ほら、ごらんなさい、あの子がちゃんと 手を動かして、口をぱくぱく動かして なんか言っていますよ。  先生方に、「いやあ、おもしろかった」 なんて過分なお言葉まで頂戴していますよ。  ほら、あなた、あの子が、立ち上がりましたよ、 歩き始めましたよ。  短い間に、  よくここまで成長した、となんだかじわーっと 熱くなった。  人間のアタマって、すごい。  オンゾーとセキネはすごい。  それで、やはり無事修論発表を 終えたお隣の中村研究室の澤くん、末永くん 宮下研究室の小松さん、その他のメンツで 青葉台の笑笑で「大打ち上げ大会」 をやった。    えー昨年は、破顔一笑の柳川透くんの 笑顔がショウゲキを与えましたが、 恒例となりました、  今年の笑顔は、関根崇泰クンです。  関根だけが笑笑だったのではない。  澤はすっかり、本官モードの笑笑だったし、  小松は、「ボクはねえ」モードの笑笑だったし、  小林(中村研M1)は「ぼくは絶対飲みません」 モードの笑笑だったし、  梅田(中村研M1)は「ぼくは絶対に非計算論 的存在としてここにある!」モードの笑笑だった。  わらわらしているうちに、何だか随分飲んだ。  仕事があったので、私は一足先に帰ったが、 通過儀礼を終えたヒトタチがいったい 何時まで飲んだのか、私は知らない。  まあ、昨日くらいは飲んでもよい。  何しろ、何ヶ月もかけて徐々に上がって いったキンチョーの脳内物質が、  ぐーんと一気に下がった記念すべき日だったん だから。   2月17日は、わらわら記念日。 2004.2.19.  日本歯科医師会の会報に 一年間「人間と科学」の連載をする件で、 前年度の連載者の松井孝典さんと はじめてお会いする機会があった。  ニューオータニの「なだ万」で。  歯科医師会の先生方が居並ぶなか、 私はとなりに座った松井さんの方をちらちらと 見ながらお話を聞いていたが、 なんだかずいぶんメディアを通して得た印象と 違う方なので驚いた。  私が物理学科の大学院に入った時、 松井さんはすでにとなりの地球物理学科の助手を されていた。  私がガクセイだった頃、松井さんはすでにセンセイ だったわけで、  それから分野こそ違い、直接お会いすることは なかったにせよ、 松井さんという人を、ずっと知っていたつもりだった けれども、  実は全く違った人だった。  古典的な意味でエクセレントなヒトというか、 随分スパスパとアタマの切れるヒトで、 ああ、こういう方だったか、と何だかなつかしい 気がした。    メディアの中のイメージと、実際のその人が ずれている時、私はいつも大変驚いて、  ひょっとしたら夏目漱石とか小津安二郎とか 南方熊楠なんかも本当は違っていたんじゃ ないかと思う。  一度だけでも直接会えばいい。それである種の ことが分かるのだけども、  一度も会っていなければ、本当に分からない ということがある。  自分の心の中で大切な位置を占める 先人たちは、要するに、永遠にそのひととなり の分からぬ、ディスコミュニケーションが運命 付けられたヒトタチなのだ。  カントがどんなやつだったか、 ニーチェはどうだったのか、ニュートンは、 アインシュタインは、パスカルはどうだったのか。  そんなことは、決して決して分かりはしないのだ ということを肝に銘じよ。  松井さんが言われていたことの中で おもしろかったのは、  我々は形而下では特殊を珍重するのに (珍しい物質をありがたがるのに)、  形而上では普遍を志向する (普遍的な真理をこそ求める) というもので、確かにそうだし、 酒を飲みながら考え込んだ。  いろいろ考えることのとっかかりを 得たなだ万の夜だった。  途中で、やはり連載をしたことの ある長谷川真理子さんの話になって、 長谷川さんの携帯に電話してみた。  松井さんがかわって、なにやらもごもご 話している。  そのうち、松井さんと、長谷川さんと、 私は、学芸大学付属高校の同窓だ、 ということを長谷川さんが言ったらしく、 松井さんが、「なんだあ」と急にやわらかくなった。  あの高校は不思議な高校で、なんとも 言えない同窓感がある。  他に、野矢茂樹さん、長谷川寿一さん、 香山リカさん、吉村作治さんが同窓である。  それじゃあ、私のあとは香山リカさんで、 それで吉村作治さんで、  などと松井さんと勝手に盛り上がってしまった けれども、  それにしても、松井さんのやっている、 秒速50キロで物質をぶつけるレーザー銃の ことが気になったのだった。 2004.2.20.  午前中からmeetingとかで忙しくて、 それで、夕刻、柏書房の五十嵐茂さんと 「本の未来はどうなるか」の歌田明広さん http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121015622/249-9004904-1862726 を前に、  3時間くらいハイテンションでだーっと しゃべって、終わってしばらくぼーっとしていたら、 博士課程の最後以来、ひさしぶりに心臓が どきん、どきんとちょっとゆっくり 鼓動するような気がしてびっくりした。  博士課程の審査のとき、私は最後の一週間 ほとんど学校に泊まり込みで、一日2時間 くらいしか眠らなかったので、どきんどきんとした とき不整脈か、と思ったのだけど、  すぐになおったので、人間の身体というのは、 過労するとあーなるんだな、ということを 学習した。  ここのところ、ちょっと忙しすぎたのかも しれない、と反省。  もう少し正確にいうと、テンションが高い 状態でいろいろなことをやらなくてはいけない ことが続いていた、と反省。  身体が警告してくれたのだろう。  というわけで、終了後、五十嵐さんと歌田 さんと軽く打ち上げをしているときには、 他愛ないはなしをしてははははははと笑って、 すっかりカラダはよくなった。  と、このように自分のカラダのことを書くと、 文章としてどんな味わいになるのだろうかと ためして見ているだけなので、みなさん ご心配は無用です。  ところで、「ポップな現代哲学の体現者」、 朝日出版社の赤井茂樹さんから、読売新聞の 文化欄で松浦寿輝さんが書いていた 文芸季評の一部を送っていただいた。 綿矢りさの美質は「攻撃的な楽天性」とでも いった失踪感だと思う。 「愛」とか「孤独」とか、ありきたりの文学 少女が足を取られがち な観念のゲームを蹴散らして、彼女の言葉は 前へ前へと進んでゆく。 ……このたびの芥川賞は綿矢と金原の共同受 賞ということになった。 島本理生にとっては残念な結果とも言えるが、 あれは結局、文学と はまったく無縁のメディアの馬鹿騒ぎにすぎ ない。数年前にあの賞 を貰ったわたし自身の体験から言うと、ふだ んは文学に興味もなけ れば愛もない俗な連中が作り笑いを浮かべて 馴れ馴れしく近づいて くるのにずいぶん嫌な思いをしたものだ。 ……お祭り騒ぎをさらり と楽しんだ後は自分の道に戻って、右顧左眄 せずそれを真っ直ぐに 進んでいってほしいと思う。(2004年1月20日)    まったくだよな、と私は思った。  私の審美者としての名誉にかけて、今回の 2作品は、一定の芸術性に達していると 断言できる。  それは、カフカを読んでその社会的制度の 不可視性に感じ、  James JoyceのDublinersを読んで その完璧な散文性に感じ入るのと同じ文脈で 芸術性を持っていると断言できる。  ふだん小説をろくに読まない連中が、 わーっとよってきて、作文みたいだとか、  なんとか勝手に言うのは、 おまつり騒ぎなんだから別にかまわないが、 松浦さんの言うように、そのようなばか騒ぎ は芸術としての 文学の本質と全く関係ない。  現代は、専門性ということに対する リスペクトが低下している時代だと思う。  自然言語で書かれているから 私にもぼくにもわかるはずだ、と思ってしまうが、  小説にだって、専門性があるのだ。  別に、天才芸術家の世界だとは 思う必要はなく、  こつこつと言葉をつむぐ職人の世界 だと考えてもよい。  そのような専門性に対するリスペクトなしに 勝手なことを言うやつらが跋扈する現代は、 どこかサムイ景色である。  専門家が選んでいるのに、自分が何も 感じられなかったからと言って、  なぜ、自分のせいかもしれない、と反省しないのか。    2004.2.21.  青土社の「ユリイカ」に評論を 書く仕事に絡んで、  押井守さんの「イノセンス」を 有楽町の東宝本社の試写室で見た。  映像のつくりこみ、ファンタジーの質 において、  第一級というか、世界水準でも おそらく最高の映画だと思う。  私がこの映画の評論を書く、 ということになると、 これはもし本気で書くとすれば、  かなりやっかいな、しかしやりがいの ある仕事になりそうだ。  「攻殻機動隊」とあわせて、 気合いを入れて書いてみたい。  ここでこれ以上書くと、エネルギーが抜けてしまう ので、続きは「ユリイカ」4月号で。  試写を終え、ピエール・マルコリーニ でチョコレートを買う。  なんだか知らないけど、行く度に 人の列が長くなっているような気がする。  2月14日も終わったというのに、 これは一体どういうことなのだろうか。  世はチョコレートブームか。  ピエール・マルコリーニの味わい方 だけど、  ピエール・マルコリーニ を食べて、  「ああ、おいしい、ああ、おいしい」 と思った後で、  コンビニで売っている普通のチョコを食べて、  「うわー、凡庸な味!」 とやるのがうれしい。  不思議なことに、その凡庸な味がそれなりに うれしい。  そのココロは、凡庸な、しかしそれなりに うまい味わいが口の中に広がるにつれて、 「さっき、オレは、これよりもっと繊細で、 官能的で、ステキな味わいを口の中に 感じていたんだ」 と記憶しつつ、 「今は、こどもの頃から慣れ親しんだ、 この凡庸なチョコレートの味わい感じている オレがいる」、というその「クオリアのコントラスト」 がうれしい。  思うに、これは、フランス料理を食べた後に 牛丼やラーメンを食べると嬉しいのと 同じ理屈ではないか。  あるいは、冷たいアイスクリーム と熱い珈琲のコントラストが嬉しいのと 同じ理屈ではないか(アイスと珈琲の効果 については 寺田寅彦が随筆で書いている)。  ピエール・マルコリーニのチョコは、小さな一粒 300円もして、たいへん高いが、  クオリアのコントラスト(「寺田寅彦効果)を 体験できるだけでも、  値段の価値はあるのではないかと思う。  と、こうして書きながら、二粒食べた。  やっぱりおいしい。  そうだ、「イノセンス」評論は たいへんやっかいな仕事になりそうなので、 ここは一つ「イノセンス」用ピエール・マルコリーニ のチョコを用意しておいて、  それを魂(ゴースト)の推進エンジンとしつつ 一つ取り組んでみたいと思う。 2004.2.22.  私のやっているQualiaのdiscussion meeting(Qualia 11)が新宿であって、  心脳問題というハードなテーマなのに、 30人以上集まってびっくりした。  もともとはqualiaというメーリングリスト から始まっているのだけども、  みなさんが時々心配してくださるほどには、 こういうメーリングリストを運営したり、  meetingを開催したり、ということは 手間がかからない。  インターネットのおかげである。  つまりは、メールを打ったり、告知を したり、実際にmeetingをやったり、 といった物理的な手間の積み上げだけが かかるだけで、それは驚くほど小さい。  それでいろいろな方と知り合いになれるの だから、こんないいことはない。  このように、人々がぱっと集まって ぱっと散っていくのをflash mobというらしいが、 インターネット社会の一つの可能性なのではないか。  qualia communityは、ネットに支えられた flash mobだ。    月曜にかけて大変な量の仕事をしなくては いけなくて、  私は本当に申し訳ないのだけど、  塩谷賢(おしら様哲学者)と馬場純雄さんが talkをしている間、それを聴きながら  パワーポイントのファイルを作っていた。    今朝は朝刊抜き! 新聞を読むヒマもない。  クオリア日記だけは書く。  クオリア日記も書かないときは、本当に物理的に ギリギリの時だけである。  meetingの後の飲み会も、私はその後仕事を しなくては、とあまり酔えない。   今度から、こういうことのないように、 仕事の余裕をもって来ないとつまらない。  それで、芸大の植田(P植田)が来て、 就職活動をしている、代理店関係を中心に やっている、と言ったので、  なんだか不意打ちになった気がして、 それが何なのか、  街を歩いてしてしばらくしてわかった。  学生というのは、要するに脱皮を くりかえす存在なんだな。  社会人になったり、大学院で博士課程 にまでなったりすると、ある一定の状態が ずっと続く。永遠とは言わないにせよ、 ずっと続く。  だけど、学部の学生さんの「学生である」 状態は、はかなく短い。  オレは、なんとなく、P植田というのは いつも芸大のあたりにいて、  女の子のことを追いかけたり、  絵を描いたり、 へらへらしているように思っていたけれども、 P植田の「そういう学生である状態」 というのは、  ほんの少しの間しか続かないんだ。  考えてみれば、当たり前のことなんだけど。  それで、新宿の雑踏を歩きながら、 よし、オレも、2年ごとか、3年ごとかに、 脱皮を繰り返そう、と思った。  通過儀礼を繰り返し繰り返し迎えよう、 と思った。  「なになにである状態」のオレが、 生命が尽きるまでずっと続くのではなく、  ほんの儚い2−3年しか続かないような、 そんな人生を送ろう、と思った。  そう思えたことが、いろいろ 楽しかった今回のqualia meetingの、 もっとも印象的で意義深いことであった。  認知の気づきというのはいつも 思わぬところから不意打ちするんだ。   2004.2.23.  ノーベル物理学賞を受賞された 小柴昌俊さんが、賞金で創設された 「平成基礎科学財団」主催の 講演会「楽しむ科学教室」 http://www.kogakuin.ac.jp/events/200402/2201.html で高校生たちに脳の話をした。  新宿の工学院大学である。  私は、高校生だからといって、 手加減した話をするのは間違っていると思っている。  高校生の時の私だったら、どんな話を聞きたいと 思ったか、  そんなことを念頭において内容を組み立てた。  日本の教育は間違っていると思う。 子供をばかにしている。 最初から、本当のことを伝えるべきだ。  たとえば、集合論をやるときに、 ベン図を書いて、  「帽子をかぶり、メガネをかけた人は 何人いますか」 などとやっていても、何でそんなことをやらなくちゃ いけないのか、いっこうに分からない。  集合論は、要素が有限ではなく、 無限である、無限集合論に行って、はじめて 意味がある。  私は、高校生に「連続体仮説」を教えるべきだと 思う。  「連続体仮説」を知っているか知らないかで、 世界の見え方は全然違ってくる。  英才教育というのも、こじんまりとした箱庭を 作って、ドリルをやっていても もしかたがないのであって、  最初から現場に投げ込むべきだ。  モーツアルトの早期教育が見事だった理由は、 最初から、宮廷のプロのミュージシャンの現場 にいたことにある。  というようなことを思いながら、話をした。  なんだか随分いろんな質問が出て、 40分間、活発に議論した。  高校生、侮るべからずである。  終了後も、会場の横で、 何人かの人と立ち話をした。  日本の将来の水脈、ここにあり。  そこに目をつけた小柴先生は偉い。    小柴先生の素粒子実験の教室は、 私が物理学教室に進学したあの頃、 そこだけ奇妙な明るさに満ちていた。  ノーベル賞を受賞されたことは 喜ばしいことだけども、  明るさは、すでにあの頃非凡だった。    小柴先生のあの明るさを受け継いだ 高校生がこれから出てくれば、  日本の未来は底光りしてくるだろう。  この世でもっともまぶしい光を放つものは、 美貌でもスタイルの良さでもなく、  本物の知性である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E4%BD%93%E4%BB%AE%E8%AA%AC 2004.2.23. 平成基礎科学財団「楽しむ科学教室」講演 (2004.2.22. 新宿、工学院大学) Part I (37.1 MB、81分) 科学的発見が人間が見る世界を広げてきたこと/脳はどのように情報を処理しているのだろうか/脳と心の関係はどうなっているのだろうか/知性と意識はどのように関係しているだろうか http://www.qualia.csl.sony.co.jp/~kenmogi/koshibazaidan20040222/highschoolmogi1.MP3 Part II (32.3MB、70分) 脳は自分自身と他者をどのように認識しているのだろうか/脳の中の感情のシステムはどのような働きをしているのだろうか/日常の中に還っていく科学 http://www.qualia.csl.sony.co.jp/~kenmogi/koshibazaidan20040222/highschoolmogi2.MP3 質疑応答 (19.4.MB 、42分) http://www.qualia.csl.sony.co.jp/~kenmogi/koshibazaidan20040222/highschoolmogi3.MP3 2004.2.23.  本日発売のYomiuri Weekly(2004年3月7日号)に、 茂木健一郎による、島本理生著『生まれる森』 の書評が掲載されています。   近年の日本文学、特に若い女性の書き手によ る作品のレベルは、相当に高い。島本さんは、話 題を呼んだ今回の芥川賞における「第三の女」だ ったわけだけども、この作品が受賞しても良かっ たのではないか、と思わせるくらいレベルが高い。  いったい芸術とは何か? むずかしい問題では ない。良い絵の前に立ち、しばらく眺めていると、 だんだんうっとりとし、陶然としてくる。心を動 かされる。じわっとする。それと同じことが、小 説を読んでいる中で起きるだけである。この小説 を読んで、その分だけ人生が豊かになった、と思 える出会いがあるだけである。 ・・・・  島本さんたちの世代の「日常を描く」という特 徴は、しばしば欠点としても批判される。「世界 が狭い」とも言われる。しかし、芸術として小説 を見たら、世界が狭い、ということも、また一つ の確信犯的な表現行為であり得る。世界を広げた ら、それなりの印象になるだろう。日常に素材を 限れば、それなりの印象になるだろう。どんなア プローチをとっても、それぞれの印象が生じるだ けのことである。問題は、その印象が、どれくら い人間の生の根幹に迫り、現代という時代の可能 性と困難を引き受けているかということだけだ。 ・・・・ 全文は、ヨミウリ・ウィークリーでお読みください。 http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/ 2004.2.24.  NHKの「地球・ふしぎ大自然」でホタルの木を やっていたけれども、  見てみたら案内人は大場信義さんだった。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4886223214/249-9004904-1862726    大場さんの本は、私は去年読んで大変感銘を受けて、 レコレコのブックガイドで年間ベストの一つに 選んだものである。  ホタルの木というのは、エコロジカルな奇跡 のようなもので、  様々な条件(ホタルが棲息できる広がり のある土地の見通しのよいところに木があるなど) がそろわないとできないのだそうである。  ここのところ私は自分は職人だ、と思っていて、 要するにあまりにもやることが多すぎて、  ほとんどの時間は、インスピレーションとか そういう問題ではなくて、  とにかく細かく部品を組み立て、動きを調べ、 もしインスピレーションを込めるとすれば、 その部品の間の潤滑油として込めたり、 あるいはぱっと見てもう一度分解して組み立て直そう と決断したり、そういうものとしてある。  この分だと、一生、職人生活なのではないかと思う。  それで、  大場さんがホタルの木を見に行く映像を見ていて、 ああ、ああいう人生もあるんだなあ、 ああいう人生を送ってみたかったなあ、 とため息をついて思うのだった。  ライアル・ワトソンの「未知からの贈り物」 に、  ワトソンがインドネシアで夜船をこぎ出して、 そこにわーっとイカが光を放ちながら 集まってきて  光の海になるシーンがあり、 そこでワトソンは、「このイカたちの眼球がこれほど 精密なつくりになっているのは、彼らの中枢 神経系があれだけ粗末なことを考えるとおかしい。 これはきっと、何か巨大なもののために かわりに見ているんじゃないか!」 というインスピレーションを得るのである。  私の熱帯熱というのは周期的にやってきて、 大学学部のころはかなり重症の時期があり、 家で南米のインコを飼ったり、ずっと部屋に 熱帯の鳥たちの鳴き声を流していた。  ジャングルの中を歩きながら、 波の音がする砂浜を歩きながら、 いろいろ考えて、インスピレーションを得て、 それで仕事をする、  そんな生活をしたい、 という気持ちが心の底にあって、 それが大場さんの番組を見てふたたび蘇って きてしまったような気がする。  暗闇の中をホタルの木を捜しにいったり、 夜の海にこぎ出してイカに囲まれたり、  暗い密林の中、ひっそりと咲く 赤い花を見つけたり、  そんなことをして、 小屋に帰り、ゆっくりと仕事をする。  そんな人生を送ってみたかった。  職人であるのはいいけれども、 大自然の中を放浪する、そんな職人に なりたかったなあ。 2004.2.25.  「日本で一番オリジナルプリントが高い男」 と言われる、  美術家の杉本博司さん http://village.infoweb.ne.jp/~blitz/story43.html と、現代美術のパルテノン、「ギャラリー小柳」 (銀座)の小柳敦子さんのお宅に、  スズキ+ハシモトの『チーム・ブルータス』と ともに伺った。  小柳さんが、アペレティフのシャンパンを 用意してくださる気配を見せる中、  杉本さんが「まずは上の部屋に行きましょう」 と言われて、  われわれは「上の部屋」にいった。  この「上の部屋」が、たいへんなところだった。  進行中のプロジェクトにつき、詳細は 不記とするが、白い壁に囲まれた空間の中に、 その中に長くいればいるほど気づきがうまれてくる さまざまなたくらみが秘められていた。  とくに、気がつくと「ああ!」と叫ばずには いられないのは、壁の角度の問題だった。  0度、35度、55度、90度の 4種の角度のおりなす微妙な質感が、 高橋由一の『豆腐』のごとく、無限といって よい形相を見せていた。  「バカの壁」ならぬ、「杉本の壁」だった。  杉本さんは、この部屋は太陽光や光や影や さまざまなものの観測装置だと言われていたが、 私は、「自分自身の内面」の観測装置でもあるなあ、 と思った。  気づきの瞬間、しみじみとした美が立ち上がる。  その美は、おそらくは内面からしみ出る美である。  壁に魅入られ、杉本さんがいろいろ「ギャラリー トーク」をしているうちに時間があっという間に 経ち、小柳さんが心配して上に見に来た。  ではでは、と下に降りて、杉本シェフの お料理をいただきながらいろいろお話を。  先日の銀座のメゾン・エルメスでの 展覧会でも確か展示されていた、  なんとかという鎌倉時代か平安時代のお坊さん が夢を記した掛け軸を杉本さんが 解説してくださった。  夢の中に15、6の女形が出てきた。   まだ修業が足りないらしい、  うんぬんかんぬん という内容らしい。  そら豆が盛られた器は、平安かなにかの 釜で、失敗して捨てられたのが出土した らしい。  「ふくろうの器」と呼ばれていたのは、 江戸時代の職人がさっさっさと フクロウかなんだかわからないナゾの 鳥を描いたものらしい。  なにしろ、いろいろ「らしい」ものの気配に 満ちた場所なのである。  杉本博司さんは、ブレイクする前、普通の 写真を撮るヒトなら商業写真を撮ってやり過ごすの に、  ニューヨークで骨董をやられてやり過ごされた、 らしい。  小学生の時には、「鉄ちゃん」 として蒸気機関車の写真を撮っていた、 らしい。    気がつけば、夜の闇の粒子はきらきらと ひかり、  愚僧めも、  たっぷり、美のシャワーを浴びました。  小柳さんのお人柄に感銘を受けました。  たいへん楽しい一夜でした。  ありがとうございました。  これで、また今日から仕事にはげめます。  今年も残すところ、あと10ヶ月。  愚僧の修業も、まだまだですわい。 (下は由一の「豆腐」について、赤瀬川源平さんのエッセイ) http://www.shikoku-np.co.jp/feature/kotohira/19/ 2004.2.26.  ちょっと休憩。  ここのところ、いろんな方向から テニスボールが次々と飛んできて、  それをスコーン、スコーン、スコーン と打ち返している状態だったが、  昨日、お昼を挟んだミーティングが 一つあり、  そっちは元気だったのだが、  その後、午後にやったミーティング でなんだか精神的にひじょー に疲労して、  それで前日からの風邪の気配が 悪化しはじめて、  あーもうだめだ。 という感じになった。  本日は、ちょっと休むことにする。  「コンテクスト疲れ」もあるかな、と思う。 つまりは、自分の行動、時間が、つねにある コンテクストの中に設定されたものである、 という状態がずっと続いているので、  たまにはコンテクスト・フリーに、 たとえば南の島の砂浜でぼーっとしているとか、 そんな時間を持ちたいものだと思う、 それがコンテクスト病である。  今日の症状は、風邪に、コンテクスト病 が重なって起こったものと推定される。  とにかく、風邪を治さなければ。 おやすみなさい。  コンテクスト病については、いいオクスリを探して おります。 2004.2.27.  一日休んだら、だいぶ身体も心も 良くなった。  休んだ、と言っても、眠っていたのは 2時間くらいで、  あとは結局仕事をしていたのだけども、 どこにもでかけない、ということ自体が 身体と心を休ませるのだなあ、と思った。  去年の夏、アカスジキンカメムシという 緑の地に赤い線が入ってぴかぴかした この上なく美しい昆虫を、  ベランダで「繁殖」させてみたい、 という妄想に突然かられて、  近くの公園で彼らがとまっていた木が 椿だったので、  最初は挿し木で増やそうとも思ったんだけど、 待ちきれなくなって、大きなツバキの鉢植えを 買ってきた。  白侘助という品種だった。  年が明ける頃から、  公園のツバキはすでにぷっくりと大きな花芽が 出ているのに、  私の白侘助は花芽が出なかったので、 なにか日照とか肥料とかが悪かったのかな、 と悲しい気持ちで半ばあきらめていた。  それが、昨日、眠りからさめて水を やりに近づいてみると、  花芽がある。  最初に気づいたのの近くに、 あそこにも、ここにも、いろいろなところにある。    白侘助の中では、ちゃんと春が息づいていたのだ。  植物を近くに置く、ということは、 このようなうれしさがたった一つでもあれば いい、ということなのだな、と思う。    春が来たら、逍遥学派になって、たくさん たくさん歩いてみたい。  机も椅子もコンピュータも紙も 鉛筆も本もモニターもiPodもいらない。  ひたすらたくさん歩いて、 もっともエッセンシャルなことと、 もっともプライベートでささやかなことを たくさん考えてみたい。  そんなことを、白侘助の花芽に思ふ。 2004.2.28.    伝統といふもの  沖縄に島があって、 その島が、最近高波の被害にあっている。  だんだん波が高くなって、 ついにはずいぶん内側の方にもはいってきて しまって、  ついには住人は避難しなくならねばなった。  それで、土砂をもってきて、近くの海を 埋め立てて、もう一つの島をつくる。  空から土砂がふり、徐々にうずたかくなっていく。  しかし、二人乗りの漁船で沈みゆく島と 作られつつある島の間を往復しながら、 どうにも納得がいかない。  なぜ、島に高波がくるのか。  なぜ、一つの島が海の下に沈みつつあり、 もう一つの島が作られなければならないのか。  今朝見た夢の話であるが、 どうにもわからない。  私にとって、あの島たちは何なのだろう。  ゼミに、早稲田大学の院生の石津智大さん、 京都大学の理学部2回生の沙川貴大さんと村主崇行さん、東京大学理科1類の辰見龍さんが遊びに来た。  論文を、3つ読んだ。  それから、石津さんが、ご自身の身体論の 研究についてプレゼンしてくださった。  この前、アスレティックでぶら下がったり ゆらゆらしたりして遊んでいたとき、 こういう自分自身が揺らぐような 激しい動きにおけるボディイメージって どうなっているんだろう、と思ったんだけど、 石津さんの話はそこにつながるように思った。  それで、ゼミが終わって、五反田の遠野物語 にいってビールを飲んだら、沙川が本性を あらわにした。  いろいろ議論をふっかけてきたのだ。  ブルバキがどうのこうの、カテゴリーが どうのこうの、と議論をふっかけてきた。  面白かった。  村主も沙川も、京大二回生だけど、 同じ学年の中にお前たちみたいなへんなやつは、 そんなにいないだろう、と言ったら、  顔を見合わせて、一学年300人のうち、 10人くらいです、と言った。    将来学者になるやつは、間違いなくその10人 の中から出る。  理学部の偉大な伝統というか、こればっかりは その中にいたことがある人じゃないと 分からないんだけど、とにかくヘンなやつらがいる。  世間など関係ない。  仮想の世界に生きているんだよ。その10人は。  おれが理科I類だったとき、佐藤の超関数論とか、 吉田夏彦の論理学とか、ランダウの場の古典論 とか、「これを履修する以外に、とりあえず 人生は考えられないだろう」と思う授業に 出ると、  おしら様哲学者、塩谷賢が必ずその場にいた。  それで、おれは、「この授業をとる以外に 人生は考えられないだろう」と思っていたのに、 1000人くらいいる理科I類の中で、10人 くらいしかそういう授業をとらない、ということに 深い衝撃があった。    もちろん、アタマがおかしかったのは、おれと 塩谷の方だったんだけど。世間から見れば。  おれたちは世間知らずだったわけね。  吉田夏彦の授業など、最後はオレと塩谷の 二人だけになってしまった。2/1000である。  おれは、沙川と村主に言いたい。世間の風は 冷たいかもしれないけど、まあ、がんばっておくれ。 あと、そういう理学部的な知のあり方と、 意識の中でありありと見えているクオリア、 日常における認知のやわらかさの 間にある<<絶望的な距離>>も、ぜひ感じてほしい。  そのためには、恋をするのがいいかもしれないよ、  サガワくんへの手紙です。  辰見くんは、池上高志に熱力学の授業を受けたらしく、 その授業の様子を聞いてバカ受けしてしまった。  池上高志は、授業においても池上高志らしい。  そこがあいつのすてきなところなんだな、たぶん。  そうやって、世間の風とは関係なく、 伝統は受け継がれていくんだなあ。 2004.2.29.  昨秋、修士号をとってホンダに旅立って いった長島久幸くんが、南方はるなさんと 結婚する、ということで、  私はわっせ、わっせと舞浜のディズニー アンバサダーホテルまで出かけていった。  結婚式のセレモニーが終わった後、 これからちょっとイベントがあります、 というから何が始まるのか、と思っていたら、 中庭に久幸くんとはるなさんが立っていて、 そこにミッキーとミニーが来て、  いろいろ遊び始めた。  ミッキーとミニーが、結婚証書にサインした。  ぼくは、ミッキーとミニーの顔をじっと 見ていて思った。  あいつらは、まばたきを全然しない。  中島敦の「名人伝」に出てくる、 弓の修業のためにずっと目を開いて 眠るときも目を開いている紀昌みたいだ。  ミッキーとミニーが、夜眠るときも 目を開いているのか、そもそも眠るのか、 おれは知らん。  久幸くんとはるなさんは、東京ディズニーランド でアルバイトをしていて知り合ったので、 ディズニーのホテルでやったのだ。  それで、いろいろ面白い。  披露宴の会場にいってすぐに、司会の方が 私の方にきてごにょごにょと言った。  スピーチをしろとは言われていたけど、 まさか一番最初のスピーチだとは思わなかった。  それで、乾杯前の、みんなしらふの時に、 私も、しらふでスピーチをした。 (約3分、3.6MB) http://www.qualia.csl.sony.co.jp/~kenmogi/nagashimawedding.mp4  私のスピーチの中でも予告したように、 その後、研究室の面々(柳川透、関根崇泰、 恩蔵絢子、田辺史子、須藤珠水)が 「寸劇」をやった。  てっきり長島のマイクロスリップを やるのかと思ったら、  そうではなくて、恩蔵と、田辺と、女装した 柳川(やなちゃん)が、それぞれとんでもない味の みそ汁を作って、晴れ舞台にいる長島に飲ませる、 というなんだかしみじみとすさまじい寸劇で、  私は床に座って笑い転げてしまった。  すまん、おれのスピーチだと、あれが長島の 研究内容だということになっちゃうね。ま、いいか。  結婚式に出て思うことの一つが、 「一回性」と「繰り返し」の出会いにおいて生じる 演劇性の問題である。  結婚する側は、(おそらく)一回性のことだと 思ってくる。  しかし、式場側は、(牧師も含めて)毎日繰り返す 日常である。  一回性と繰り返しが出会う時、 繰り返し側に演劇性が生じる。  ドレスのすそを持って導いたり、  動作をやるように促したり、 そのような式場側の立ち振る舞いに、演劇性が 生じる。  そのような現場を見ると、 私はいつもなんだか落ち着かない 気持ちになる。    その落ち着かなさにディズニーテイストが入っていた。  新たな風合いの誕生である。  それにしても、  久幸くんとはるなさんは幸せそうだった。オメデトウ。 2004.2.29. 本日のコメディクラブキング 携帯サイト「日めくりコメディ」 は私が担当です。 **** ニュースです。 参議院を廃止するかどうかが 話題になっていますが、 逆に一つ増やして 参議院を本当の三議院に すべきだ、という意見が出ています。 あらたに開設される議会は、 小学生の方、変態の方、ホームレスの方、 刑務所におられる方、政治家に なるほどの金も閑もない方、 単に無関心な方、年齢のせいで 引退を迫られた大勲位の方など、 ・・・。 続きは、 携帯でアクセスください↓ http://ccking.jp る、なんとも言えない detachmentの感覚はいい、とってもいい! と思えるようになっていった。  今日の日本のように、ポピュラーサイエンスの 語り口が完全に崩壊してしまっている 文化状況では(「前頭葉産業」や、 「あるある大辞典」じゃなあ)、  私は科学をやゆするよりも、 むしろ科学をプロモートしなくちゃいけない、 と強く思っている。  養老さんが、今月号の「諸君!」 で「私の憂国」という文章を寄せられている。  この中で、  戦争や安全保障といった深刻な社会 的な問題について、  思想の問題としてとらえるのではなく、 理系の発想を重視すべきだ(テロリストの 出現する地域は、水道などのインフラが整って いない地域とほぼ一致する!)書かれている ことに、共感する。  科学というものは、そんなにやわな ものじゃない。  それはそうとして、どうも 科学者というのが、ほとんど凡人だ、 凡人に見える、 というよりも、凡人のように振る舞うことで 科学者になる、 ということに関する思想的な落とし前の付け方に ついては、  無意識のうちにずっと悩んでいた、のかもしれない。  開高健が、フランス語の「階段の智恵」 (esprit d'escalier)という表現について 書いているが、  階段を降りているときに、 あっ、そうか、と思った。  科学は、どんな凡人でも、あるプロトコルに従って データを集めれば、  そのデータは価値のあるものになる、 逆に、データを、天才がとったのか、 凡人がとったのかということとは関係ない 形でプロトコルが定められている、 そこが偉いんじゃん!  と気が付いた。  こういうのを、腑に落ちる、というのだろうか。  文学や芸術、数学では、凡人がつくったものが それなりに役立つ、ということはない。  しかし、科学では、凡人が集めたデータが 役立つ、ということがある。  これが、科学というメソドロジーの偉大なんだ、 と気が付いた。  だから、科学では、あまり独創性とか 天才性とか、そういうことばかり強調してはいけない、 そこばかりにスポットライトを当てると、 科学という営みの持っている大切な価値を 見誤ってしまう。  科学者が、一見凡人のように見えることが あるのも、この大切な価値と関係している。  そこを見誤っちゃいけない。    わかったか、お前、 と私は修士一年の私に対して語りかけるのだった。  思えば、そんなことを言ってくれる 科学者の先輩は、あの頃いなかった。 2004.2.4. 「世界を変える100のメタファー」(不定期連載) その3  ノーベルは、ダイナマイトを発明した罪滅ぼしに、 100億円寄付して、賞金が1億円のノーベル賞を 創設した。  ビル・ゲイツは、質の悪いソフトで市場を支配し、 人々の時間をうばった時間泥棒の罪滅ぼしに、 1兆円寄付して、賞金が100億円のゲイツ賞を つくるべきだ。  そうすれば、マイクロソフトを許してやろう、 と思う人が少しは増えるかもしれない (関根崇泰が、修論を書いていて、『Wordって、 図が勝手にずれちゃうんですよ』と泣いているのを 見て思いついた) 2004.2.5.  私は、教育というのは、セカンド・オピニオン のことだと思っている。  ある人の立場に寄り添って、話を聞き、 考えるというのもいい。  しかし、それと同時に、セカンド・オピニオン、 つまり、全く違った立場の人の話を聞くのが、 とてもためになる。  たとえば、私が新潮社の小林秀雄の講演テープを 聞いてすっかりはまってしまい、  会う人ごとに「小林秀雄の講演は素晴らしい」 と言いまくっていた時期、  人文系の研究者の数人が、しらーっとした 口調で、 「ベルグソンを小林経由で知る、というのはまずい ですよ。」 とか、 「小林よりも、吉田健一の方がいいですよ。」 と言った。  そのような時、私は、そんなものか、 そういう考え方もあるのか、と少しは考えて 見て、  吉田健一も読んでみたりするが、 結局最後に残るのは小林秀雄である。    むしろ、単に小林が好きだ、と寄り添って いた時よりも、小林秀雄を見るときの陰影が 深くなるように思う。  リヒャルト・ワグナーについても、 この20年来、 音楽関係の人から散々いろいろなことを 言われて、  その時は、そういう考え方をする 人もいるのかと思っていたが、 (まあ、そのおおもとの一人はニーチェだけど) 結局ワグナーは残る。  モーツアルトやバッハは音楽における偉人だが、 ワグナーは音楽以上の何かを志向し、 達成した人だ、とわかる。  一度違う角度から見て、ぐーっともとの岩場に 戻ってくる。  戻らない時もあるが、戻る時は戻る。  戻った時、景色の陰影がより深くなっている。  だから、セカンド・オピニオンは大切である。  ソニーコンピュータサイエンス研究所の パリのブランチから、オリビエ・クーニャン (Olivier Coenen)が来ているので、  小脳の計算論の話をしてもらった。  オリビエのアプローチは、ノイズ・リダクション がどうのこうの、ベイズがどうの、 Independent Component Analysisがどうの、 Principal Component Analysisがどうのと、 私がどちらかと言えばどうでもいいと思っている ものだけども、  学生にそういうプライベートなオピニオンを 言うだけでは、教育として完結しないと思っている。  だから、別のアプローチをやっている 人の話をぜひ聞くべきだ。  その上で、何がおもしろいと思うか、 それはその人の個性だから。  個性を伸ばすのが教育である、という昨今の テーゼはおそらく正しいと思うし、 セカンド・オピニオン、サード・オピニオン、・・・ オピニオン畑でオピニオン摘みをすべきだ。  柳川透とか、小俣圭がオリビエの話を どう聞いたかは知らない。  私はああいう話をケンブリッジの統計一派から 散々聞かされて、  それでおれはクオリアで行こうと思った。  私のクオリアは、少なくとも、 統計一派との仁義なき戦い によって鍛えられている。  そして、計算論的神経科学においては、 統計一派の勢力は大きい。  マイクロソフトほどではないけど。  牛丼界における、松屋くらいのものか。  オリビエにありがとう、ということで 五反田の「あさり」で飲んだ。  研究所の研究員関係のひととか、 学生からソニー本社関係になった佐塚クンとか、 わーっとみんな来て、  あさりの長テーブル一台を占領することになった。  オリビエも笑って楽しんでいたから、 ありがとうの役割は果たしたんだと思う。  オピニオン摘みじゃなくて、 日本の居酒屋フード摘みが出来たんだと思う。 2004.2.5. Public Relations 現在発売中のBrutus 2004.2.6.  新潮社から新たに出た 小林秀雄講演CD全集の 掛け値なしに美しい装丁を担当された  デザイナーの小池憲治さんと銀座でお会いした。  いやあ、それにしても秀じいはカッコいい、 とこれも小池がデザインされた小林秀雄生誕百年 「美を求める心」展のポスターを眺めながら、 自分が女だったら、と思った。  見てくれも良いし、 頭もいい。  岡本かの子がほれていたそうである。  何かおごってほしい。 (上は同展の図録で、やはり小池さんデザインですが、 ポスターにはこれに「眼で触る」というキャッチが入ります)  小池さんは、言葉刀のきらりと鋭い人であったが、 白州家の当主、白州信哉さんの話をしていた時に、 「婆娑羅は乱暴なクレオールだ」という言葉を 吐かれた。  これは実に重くヒットするボディブロウだと 私は思った。  カルチュラル・スタディーズとか、 ああいう、クレオールを被害者的なコノテーションを 含意しつつ、中心に対する引け目において 語るのではなく、そんなことは知るか、と  婆娑羅=乱暴なクレオールに転化する。  これは、おそらくYMOの「増殖」のちょっと 先に広がる光景だろう。  小池さんにお会いする前、私は打ち合わせを 終え、銀座を歩いていた。  ヤマハでオペラのDVDを衝動買いして、 「ばらの騎士」を聞きながら、世紀末のウィーンに トリップした。  そうしたら、占いにならんでいる女たちがいて、 その顔がとてもさびしいものに見えた。  占いに並ぶ女の顔はさびしい。  その向こうの、誰も客の来ない占い師の顔は、 また別の種類のさびしさに満ちていた。  お昼、「フランクリン・アヴェニュー」で 文學界の大川繁樹編集長、山下奈緒子さんと お会いした。  次号から始まる新連載のタイトルの相談である。  たまたま研究所にいた佐塚クン、柳川クン、 田辺サンも陪審員として同席。  カタカナか漢字かで呻吟したが、 結局漢字にきまったいいかんじ。  大川さん、山下さんとお会いすると、 たいてい、私と大川さんが原節子さまへの愛を 語り、  それを山下さんがあきれて眺めている、 という構図になる。  その構図自体のあいらしさが、 ウィンターガーデンの一輪の薔薇のように ほんのりと赤みを帯びて、 そこにいるものたちを照らし出している。  私がiPod自慢をしていたら、 大川さんが音質はいいのですか、と御下問に なるので、  どうぞ、とお聞かせしたら、 「ああ、これは、小林秀雄の『現代思想について』 の冒頭ですね。今朝、聞きながらきましたよ」 という。  私はもう驚いてしまって、アボカドバーガーを 食べながら目をまわした。  さらに、ダイヤルをくるくる回して、 「ばらの騎士」の最後の重唱のところを出したら、 「いきなり『ばらの騎士』ですか」と来た。  ブラインドテスト2連発。結果=ポジティヴ。 重度の仮想酔いの気配あり。  大川さんには、どうも手裏剣を投げてもだめだ。 原節子や、ハラセツコ国の住人たるコバヤシや マリーテレーズたちへの大きな愛の中に、 すべて受け止められ、溶かされてしまう。  そして、手裏剣が消えていく様子を、 山下さんがあきれて見つめることになる。  こうして、時間をさかのぼって 一日を記して見ると、 その向こうに見えてくるのは、  どうにも思い出せない記憶の気配である。  その記憶の気配も、ハラセツコ国への 愛の中に次第に噴霧となり消えていく。  2004.2.7.  アートのうちのいくつかは、 一回限りしかできない、体験できないもので、  そのようなものは、 一回しか起こらないけれども、私たちの 脳に決して消えない深い痕跡を残す。  自覚的に行うアートではないけれど、 たとえば、小学校の入学式というのは、 一生に一回しかなくて、  しかも、それを体験するもの、 それを見つめるものに忘れがたい痕跡を 残す。  そのようなものは、二度繰り返しても もはや同じ意味は持ち得ないのであって、 一度しかやらず、あとは決して 繰り返さない、という潔さの 経済性こそが芸術性につながっている。  マリーナ・アブラモビッチが行った 数々のパフォーマンスも、一度しか やらない、二度と繰り返さない、という 点にこそ本質があると思う。  その一回性が、マリーナ個人の人生に おける神話になるだけでなく、  広く多くの人がシェアできる形で 流通するところに、  アーティストのアーティストたる ゆえんがある。    こうして見ると、同じことを反復しない、 という経済性には、深い含蓄があることが 見えてくる。  経済性というのは、数値や論理の話だと 思いがちだが、 一回性、個別性が、重複(redundancy) から自由に、広大な仮想空間に そのインパクトを放射していくことができる というのが、経済性の芸術的側面である。  大切なことを人生で体験したとき、 私たちは、その大切なことが時間の流れの 中で次第に薄れていき、  「今、ここ」のありありとした 鮮明性を失っていくことを惜しむ。  しかし、  一回だけしか起こらないからこそ、 通りすぎて、もう二度と戻ってこないと わかっているからこそ、  脳の長期記憶のアーカイヴの中で、 次第に他の項目と絡み合い、  文脈をつくり、  響きを届かせ、  深くもぐりこんでいく存在がある。  一回しか起こらない、というのは さびしいことのように思えるが、  上のようなことに思い至った時、  はじめて人は 一回でいいよ、起こってくれてありがとう、  と言うことができるようになる。  そして、記憶というものの大切さを 愛おしむようになるのだろう。 2004.2.8.  青山で行われた宣伝会議の雑誌「ブレーン」 の鼎談に出席。  カウンターパートは、 六本木ヒルズやモエレ沼公園ガラスのピラミッド などの照明を手がけたエクスパート集団 ライティング・プランナーズ・アソシーツ (LPA)を率いる面出薫さん、 http://www.lighting.co.jp/user/staff/mende_j.html  それにパフォーマンス集団パパ・タラフマラ を主宰する小池博史さん http://www.kikh.com/ であった。  小池さんが、だんだん海外公演が多くなって きて、  日本ではそれほど受け入れられない、 と言われたので、  私は、ちょうど朝見たシルヴィーギエムの 足の動きを思い出しながら、  それは、きっと、今の日本人は 生の実相をむき出しにした「やばいもの」 を見る精神の強さがないからでしょう、 と申し上げた。  ヴォリュームゾーンに行くのは、 見て聞いてにっこりできる 無毒化されたものであって、 あまりにも根源的で、魂をわしづかみに するようなものが公共空間で語られる、 流通する、ということが 起こりにくいのである。この国の現状は。  小池さんが、ムサビで教えていて、 学生に好きな劇団はどこか、と聞くと、 劇団四季だと言われて脱力するという。  福田和也「悪の読書術」の社交術のメタファー で言えば、  劇団四季がたとえ実際に上質の舞台を 提供していたと<しても>、これから プロの表現者を目指すはずの者が、 劇団四季が好きだ、ということの 社交的意味に無頓着である、 というところに、  現代日本の地上波的現状があるのであろう。  もっとも、私はこのような日本の現状を 切って捨ててそれでよしだとは 思わない。  椹木野衣の「日本・現代・美術」で、 彼が日本を「悪い場所」と規定して、 その上で日本の戦後美術を論じていた、 あの批評精神の由来するところに私は 共感する。  起源のない現状などはない。 養老孟司が、「日本が戦後ものづくりに 専意しなければならなかった理由」を論じるのと 同じ文脈で、  私は、スーパーフラットな日本の 歴史的起源に関心を持つ。  鼎談の最中、私が、石川賢治の「月光浴」 で、月は太陽の465000分の1で、 ここにどんな数字が入っても何となく納得がいかない ような気がする、月と太陽の圧倒的差が、 どんな数字でも、数字に回収されるということは あり得ないような気がする、 ということを言ったら、  さすがは専門家である。面出さんが いきなり計算を始めた。  「白昼に照度計を出すと、20万ルクスで、 月の下だと、0.5ルクスだから、・・・うん、 だいたいあってますよ。」 と、そこで面出さんの顔が上がった。  ほんとの面出さんになった。  いろいろ素晴らしい瞬間の つまった鼎談となった。  『ブレーン』の次号に出ると 思うので、  みなさまお読みくだされば 幸いに存じます。  帰りは明治神宮の森を抜けた。 表参道のモリハナエビルの 「メゾン・ド・ショコラ」に寄ろうと 思ったら、  だーっと並んでいてやめた。  そういえば、VDが近いのだ。  仕方がないので、『新潮』を買って、 ぶつぶつにやにや読みながら帰ってきた。  チョコレートのかわりに文芸誌を もとめて道すがら。 2004.2.9.  先日、ソニーのクリエィティヴ・センターの 森宮祐次さんといろいろ環境映像関係の ことをギロンしたことが伏線になっていたのか、  週末、切ない思いつきを実行した。  それは、つまり、お宝映像を環境として 流してしまう、ということである。  それも、とびきりの、本来集中して向き合う べき作品を流してしまうということである。  人生も半ばをすぎ、気が付けば暗い森の 中を迷っていた、  のではなくて、気が付けば日々仕事に 追われ、  草間のインフィニティ・ネットのように この次はあれ、次の次はそれ、 とやるべきことが山積し、  魂の糧とゆっくり向き合うヒマがない、 だったら、全く接しないよりは、 仕事をしながらちらりと、  ものをとりに行きながらきらりと、 至上の作品の断片だけとでも向き合う ことができたら、  それは、それで魂へのマンナとなるであろう。  こんなに忙しい一つの理由は、 あまりにも多くのことに首を突っ込んでいる からであるが、  クオリア、という問題設定がそのような ヤマタノオロチ的態度を必然化する のだから仕方がない。  ヤマタノオロチはのたくりながら、 チラリ、チラリと、魂の糧を食いちぎっていく。  小津安二郎の『秋刀魚の味』を毎日環境映像の ごとくかけていた人と言えば保坂和志さんだが、 その保坂さんが新潮の小説論で、アマゾンでの 書評を引用していたのには笑ってしまった。  アマゾン書評が新潮の小説論に引用されるのは、 いわば二階級特進のようなものではないか。  それで、アマゾンの私の本に書かれた書評には 私も内心怒っている。 増田健史(ちくま書房)や大場旦(NHK出版) の二人の若頭も、時々殴り込みを したくなる衝動にかられるというが、 あそこは「誰でも書ける」(保坂和志)ところだから まあ仕方がない。  ネットに殴り込みをかけるわけにもいかない。  まあ、それはそれとして、私がやっかいだなあ、 と思っているのは、アマゾンでは、 どうも、最近思想系の人達が書評を書いてくださる ことが多いことである。 (「意識とはなにか」なんか特にそうだった)  で、たとえ斎藤環ぐらいの見事な芸があったとしても、 私は思想系の書評のあのうねうねぐたぐたレトリックが うねっていく感じが、やっかいだなあ、というか、 面倒くさいなあ、という感覚を否めない。  クオリアとしてのピュアさがないというか、 私にとって作品とは、E=mc2でもいいし、 長谷川等伯の「松林図」でもいいし、要するに そういううねうねぐたぐたをピーカンと突き抜けた ところに現れるもので、うねうねぐたぐたの まま作品でござい、と言われることには、  例えそれが評論・批評であっても、ものすごい 違和感がある。  小林秀雄の評論がいいのは、クオリアとして ピュアだからなんだよね。  あれは作品になっている。  まあ、そういううねうねぐたぐたの思想系の 方々も書評を書いてくださる傾向があり、その 傾向は今書いているNHKブックスの次の 意識本(気合い入りまくり)でももっと明確に なるだろうから、またあの面倒くさい人達から うだうだくねくね言われるんだろうなあ、 なんかいやだなあ、と今から思いやられつつ、 要するにオレは、問題が解けるか解けないか、 ということにしか興味ないんだもんね、 そういう、途中のうだうだくねくねは勝手に どこか思想系の暗いバトルフィールドでやって いてくれないかなあ、と今日も ちらちらマンナを受け止めながらひたすら 仕事を続けるのだった。 2004.2.10.  岩國学校、開講。  セブンイレブンの創始者の一人である 岩國修一さんが、  対談のためいらした。  一時間強対談したあと、 参謀の横田さんと、 そこらへんにいた学生たちと、 五反田の「わに屋」へ。  開講したのはそこでである。    わに屋は、知る人ぞ知る、五反田で 日本酒のうまい店なのだが、  いろいろマスターが技をくりだして きている中、  岩國さんの目は、掛居の上にずらりと 並んだ  箱にぴたりと留まっている。  「御主人。先生がいらっしゃるのに あそこの磯自慢を出さないのは失礼じゃ ないですか。」  センセイ、とか言われても、 私はいつも研究所の仲間と来て 安酒をくらっているので、  お里が知れている。  しかし、ここは岩國さんの眼力に にらまれた  カエルのように私は動かず、 黙って慈雨をいただく。  富士山の清水でつくるから、うまいとか、 ここの蔵元は、静岡の各市に、一カ所づつしか おろさないとか、  いろいろ日本酒講釈を聞きながら飲んだけれども、 やはりとってもうまかった。  実は、すげーうまかった。  水が違うというか、すーっと透明なものが 喉を落ちていくというか。    記録のために、磯自慢 純米大吟醸35 中取り ANNEE 1998 1434番 である。  ヴィンテージがあるところとか、番号がついている ところとか、  なんだか知らないけどすごい。  日本酒に詳しい人が上のデータをみると、 「うぉー」とか   「わあー」とか声が上がるのだろう。  わに屋は、もともと、注意をして頼まないと、 値段が0が一つ多い酒が多く収蔵されていることで 有名であるが  (間違ってそういうの頼むことを 「わに屋で地雷を踏む」と言う)、  上のように細かく記録がわかるのも、  後で値段を聞いてびっくりして 思わずボトルを持ってきてしまったからである。  フランスのグラン・ヴァン並の値段だと 申しましょうか。なんと申しましょうか。  お客さんのはずの岩國さんが、私がちょっと 外を歩いている間に払ってしまったので、 私は焼きおにぎりとかデザート日本酒 だけを払ったけど、  なんだか申し訳なかった。  学校というのは日本酒のことじゃなくて、 経営学、人生訓のことである。  なみいる学生は、田谷、柳川、恩蔵、関根、 佐塚、みんな真剣に聞き入っていた。  師曰く、セブンイレブンのことを ほめてくださりますがね、セブンイレブンの経営は ロジックでできる。本当にむずかしいのは、イトー ヨーカードーの方ですわ。  師曰く、この世は資本主義社会なんですから、 キャピタルゲインをもらって、はじめてその 制度を生かしたことになる。  師曰く、50億円あるとね、お金が減りませんわ。 2%としても、1億円でしょ。普通に生活していれば、 3000万円も使わないでしょ。  岩國さんが「50億円」とか「3000万円」 とかいう度に、学生たちが「はあ」とため息を ついている。  佐塚が、果敢にも「2%の金利なんてあるんですか」 と質問をすると、  岩國さんは顔色もかえずに、「プライベートバンキン グとかいろいろありますしね。それに、2%も とれないような人は、企業家ではありません」 とさらりと言った。  私は、岩國さんのご教訓をいかし、 今日からは、知のキャピタル・ゲインを 目指して精進したいと思う。  磯自慢のブルーボトルは、 ベランダの植物に水をあげるために つかいたいと思いマス。 2004.2.11.  原美術館のJoy of Lifeの オープニング・レセプションにてくてく歩く。  原美術館は、研究所から歩いて5分ほどの ところにあるのである。  アフリカの二人の写真家の作品展示だが、 Joy of Lifeというのはなかなかいいタイトルを つけたものだと思う。  しばらく前から、アフリカの生き方のalternative 性、というものが気になっていて、  文明を相対化する視点というのか、 本気で寄り添っていけば、 その向こうにすばらしく始源的な、しかも 高度に重層構築できるway of lifeがある 感じというのか、  そういうやわらかな原石がアフリカに 転がっているような気がしてならない。  もっとも、私はアフリカに行ったことも ないし、  上のような感覚は、私の脳の生み出した 仮想なのかもしれない。  いずれにせよ、驚異の髪の毛アート写真や、 ゆったりと、生の躍動感を持って踊っている 人たちの写真を見ていると、  なにかとてもやわらかな心のバターが溶け出し ていくのを感じるのは事実である。  杉本博司さんとばったり出くわした。 ラッキー。  日本でもっとも写真のオリジナルプリントが 高い美術家、と言われている杉本博司さんだが、 先日Brutusの仕事でメゾン・ド・エルメスで お会いしたときに、  その作品のすばらしさはもちろんだけど 気さくな人柄にすっかり惹かれていたのである。  となりには、六本木の美術バー、 Traumarisの住吉智恵さんがいた。  芸術新潮を定期購読することにした、と言ったら、 住吉さんに、「いきなり新潮ですか〜」 と言われた。  むむむ? と思ったら、つまり、芸術新潮に 出る美術家=「上がり」の作家というメタファーが あるらしい。  芸術新潮は、上がり雑誌らしい。  住吉さんも美術批評を書いているという 「インビテーション」を薦められた。  前回のメゾン・エルメスでの 「歴史の歴史」展にも出品されていた、縄文時代の 石の棒について、杉本さんに いろいろおもしろい話をうかがった。  あれは、いかにもあるもののシンボルに 見えるんだけど、  本当は何だかよく判らない、 特に左右対称になっているところが、 あれのシンボルにしては、どうもおかしい。  大変古いものなんだけど、 実はそんなに高くなくって、  青山のなんとかという美術商の店など、 ドアの外の誰でも持っていけるところに 転がしてあって、小さなものなら6万円程度 で買えるそうだ。  「歴史の歴史」展で杉本さんが 展示していた、手術台に載せられた1メートル ほどのやつで、30万だという。  この石棒は、どうも、「分水嶺」のところで 出土するらしい。  里山の地形などで、そこを境に水が 右と左にわかれるところに、  この石の棒が置かれていたらしいのだ。  縄文人は、何かをつくるときに、 それを具体的なものの似姿として構想した と思いがちだけど、  火焔型土器を見てもわかるように、 実は高度な抽象性にアクセスしていたことは 明白だ。  あの石の棒が何を表しているのか、 それとも表していると考えるべきなのか。  その石の棒の前に立った時に、 自らが受ける、クオリアの質だけが 問題なのではないか。  今度、青山を歩いて、あの棒がごろりと 転がっているところをぜひ見てみたい。  それをわきにかかえて表参道を歩く、 いかにもあやしい自分が今から 思いやられる。  ソニーのクオリア事業推進本部の 青木崇さんにもお会いできて、 いろいろお話して、クオリアだった夜。 http://www.gotonewdirect.com/newreview/archives/000061.html 2004.2.12.  「蹴りたい背中」 と  「蛇にピアス」 をこの順番に読んだ。  どちらも立派な芸術になっていた。  質の良いものをつくった時に、 それを世間が、というよりも権威がきちんと 認めてくれる、  という安心感は、創造するものに とって、一つのセーフベースになるのだと 思う。  それで、テレビとか、映画とか、 他のジャンルが、上のセーフベースの構築に おいて崩壊している中、  文学だけは、かろうじてセーフベースが 維持されているように思われる。  この国の文化状況全般を考える時、 これは奇跡的なことではないか。  小説の芸術たるゆえんは、 言葉を用いて構築しながら、言葉にならない なにかに触れさせることができることである。  その何かがあるかどうか、その何かが どのような質を持っているか、が全てである。  今回の2作品は、確かにその「何か」を 持っていた。  それは容易に言葉にはできないことだけども、 クオリアとしてはとてもユニークにはっきりと 感じられるものである。  その言葉にできない何かをあえて言葉にすれば、 それが評論や批評になるわけだが、  そのような言葉は、クオリアのピュアさに おいて、どうしても作品自体には負ける。  評論や批評自体を芸術にしよう、 ということを試みる人がいないわけではない。  小林秀雄は、おそらくそういう人だったのかも しれない。  それで、2作品のクオリアのピュアさが 私の中にはまだ強烈に残っているので、 不記、というわけではないが、  具体的に評論的なものを記す気に今はなれない。  もう少ししたら、何か言いたくなるかもしれない。  アマゾンの読者レビューを見ていると、 悲惨というか、  何ともうしましょうか。 自分の本を批判されるのもキモチが良いものでは ないが、  この2作品についての「勝手批評」のヒドサに くらべたら、  まだマシか、と思う。  思うに、こういう石つぶての圧力 でどんどん質が低下していったのが、  テレビであり、映画なのだろう。  文学という制度が、 創造者にとってのセーフベースを 維持し続けて欲しい、と心から 願わずにはいられない。 2004.2.13.  QUALIA東京で、 雑誌「PEN」の取材。  写真をぱちぱち撮られた後、  ソニービルの7階にある、 もと盛田会長室で、  デジタル・メディア評論家の 麻倉怜士さんとの対談。  以前、早足で歩くのを得意技にしていた頃、 パリでびっくりしたことがある。  ルーヴルから北駅まで歩いたのだが、 次から次へを私をパリジャン、パリジェンヌたちが 追い抜いていくのだ。  クソ、負けるか(って何の勝負か判らないが) 一生懸命歩いたが、ダメだった。  あの時は驚いた。上には上がいるんだな、 と思った。  (最近の私は、iPodを聞きながら、 ぼんやりと考え事をしながら、  ゆったりと歩くのを得意技にしている。)  それで、麻倉さんにも驚いた。  「じゃあ、始めます」と開口一番、 だーっと言葉の機関銃。  それも、私の場合には、おそらく(自分では解析 しきれないけど)こぶしのようなもの、ふしまわしの ようなものが入った早口だと思うのだが、  麻倉さんの場合、純粋に言葉の情報を はき出す早口というか、イギリスのテレビ番組、 ドクターフーに出てくるDalekの声を早回しに したというか、  上には上がいると思った。  それで、麻倉さんは、Pen編集部の吉田克典さんに 「しゃべりすぎですよ!」と突っ込まれながら、 ばーっとしゃべり続け、  私も負けじとこぶし回し系の早口で ばーっとしゃべり、  そのうち麻倉さんが、となりの編集の 小倉若葉さんの方をひょいと見て、 「もうこれくらいでいいでしょ」 と言って、涼しい顔をしている。  いやあ、驚いた。 上には上がいる。  人間、長く生きていると、いろんなことに出会う。  さて、さかのぼること、朝9時からは、 東工大の三宅美博研究室の山本知仁 さんと、武藤剛さんの博士の最終試験 があった。    この時間にすずかけ台のキャンパスにたどり着く のは大変だが、  こういう通過儀礼の朝はキモチもすがすがしい。  頬をなでる空気の中に、さわやかさがある。  慎重な審査の結果、  二人とも無事合格。  今日まで学生だった人が、博士号をとって、 一人前の研究者になる。  だから、今日からは、山本さん、 武藤さん、と対等の関係になる。  そうですよね、三宅さん、と言ったら、 武藤さんが、「いやあ、三宅さんには、何時までも、 あの時お前助けてやったろう、とか言われ そうだなあ」と言って笑った。  うるわしい師弟愛である。  師弟愛の花びらがちらちら散る中、山本さんと 武藤さんには一足先に春が来た。 2004.2.13.  Public Relations(遅ればせながら)  ただ今発売中(明日くらいまでは書店にあると 思う)のBrutus 2004 2/15号(「大人の会社見学」 特集)p.123で、美術家の川俣正さんが、 「意識とはなにか」(ちくま新書) の書評をしてくださっています。 (一部引用)  『意識とはなにか』を読んで、茂木健一郎さんが 提唱している「クオリア」という概念は、脳や、 認識や、感覚に関する分からない部分、言葉に できない部分をつなぐミッシングリンクに なるんじゃないか、と思ったんです。  茂木さん自身、非常に感覚的で感受性の強い人 だと思うのですが、著作の中では、感覚や 意識について、科学的な整合性を持って分析的に 記述されています。「そういう部分は闇の中で いい」と思いがちなアーティストにとっては とても刺激的だし、いろいろな部分で腑に落ちたり、 つながったりするところがありました。 茂木さんは、現在、東京芸術大学で授業を持って います。ぜひその授業の中で、僕らが当たり前の ものとして意識しない部分を、「クオリア」という 概念を使ってシャープに切り刻み、印象論では ない新しい美術の見方、評論を提示してほしい。 それをどう感じ取っていくかが、僕らアーティスト の課題です。 2004.2.14.  松浦雅也さんに、 お願い事などあり、  徳間書店の本間肇さんと 白金にてお会いする。  『プロセス・アイ』(仮題)は、 現在、文芸のベテランの某編集の方の手にあって、 今月末、書き直しなどの相談をする予定。  日の目を見るまでにはいろいろありそうである。    それで、松浦さんとの相談というのは、 ここは一つどーんとメディアミックスとか そういうことも考えてもいいのではないか、 それでもって、わしらも、アカデミーアォーズの コンデナストのパーティーに行く人生が あってもいいのじゃないか、 という、あにきい、一つわしにどーんといかせて くだせえ、の若頭系の談義である。  (なんでここで文体が椎名誠風になったのか よくわからないけど、まあ、いいだろう)。  もちろん、現時点では、全ては妄想の 霧の中に涙でかすんでよく見えない。    松浦さんと話すと、いつも楽しい。 昼間の電車の中は、島本理生を読む純文学 な人生だったのに、気分が  急速に「正しいポップ」な方向に 急カーブを切る。  純文学的なものとポップなものの違いは、 純文学が、言葉で言葉にならないものを描こうと するのに対して、  ポップは、どかーんと、新しい言葉を作って しまうところにあるのだろうと、インドでわしも 考える。  それで、松浦さんは、新しいぐっとくる 言葉をつくる人だと思う