2001.3.1 断想  本屋にいたら、並んでいる本が、桜の咲く季節にだけ現れて消えるツマキチョウのようなはかない存在であるように思えて、いつもほど俗悪な本たちに対する腹が立たなかった。最近、デジタルデータが生まれては消えるというメタファーにとても魅せられている。古本屋でプレミアム付きで売られるような本はほんのひとにぎり。ほとんどの本は、やがて朽ち果て、裁断され、消えていく。  新宿のEddie Bauerの中のCafeでnifty経由でfaxを打っていたら、後ろの席に数人の若い女性のグループが座った。テクストを打ち続けてしばらくして耳の方に注意がいったら、韓国語のような言葉のさざめきが聞こえてきた。最近ミヤンマーの文字を見て、それが○のような図形が並んだ全く類推のきかないパターンだったのでショックを受け、アジアの多様性ということを思った。Eddie Bauerの中で、アジアとのチャンプルー感覚を味わった。  日本をアジアの多様性の一要素として見ること。  身体のどこかで、芯が溶け始めてむずむずしている。子供の時から、春がくるとこのように感じる。しかし、春が実際にこないと、そのことを思い出さない。東工大の専攻会議に行くために早起きした。すずかけ台のキャンパスを歩いていると、もう白梅や紅梅の色の点が木々を染めていた。 2001.3.2.  その人は、バスの、私が立っている場所から少し運転手よりに、 座っていた。  七十歳くらいの人に見えた。  原稿用紙を手にして、窓からの太陽に照らし出されていた。  眼鏡をかけ、マスクをしていた。  原稿用紙には、ぱらぱらと文字が書かれていた。  1行びっしりと並んで、その次の行は半分くらい。  文字が読めて、それが、短歌であることがわかった。  1行20字であるから、短歌三十一字は、ちょうど1行半ということになる。  短歌と短歌の間は、1行開けられている。  その人は、しばらく確かめるように原稿用紙に目を走らせていたが、 やがて原稿用紙を4つに折り始めた。白い裏が表になるように折ると、 その中に、4つに畳んだ千円札を入れている。おや、と思って見ていると、 その人は、真っ白な封筒にその千円札入りの原稿用紙を入れた。封筒には セロハンテープがつけられていて、その人は、テープを閉じようとして、 テープがなかなか紙につかずに苦労していた。  そこまで見て、私には事情が推察できた。あの人は、短歌の同人誌に 投稿しようとしている。千円札は、投稿料である。一度封をしたのだが、 気になって開封して確かめていたのだろう。  それは、昼下がりのバスに相応しい光景のように思えた。  私は、ずっと短歌が嫌いだった。同人誌という一種の権力構造が嫌いだった。 素人とプロの間には、それほどの差がないと思っていた。そもそも、歌人などいう 専門性が疑わしいと思っていた。小説や詩に比べたら、短歌などというジャンルには 天才はいない、そう考えていた。 その考えが本質的に変わったというわけではないが、 その人の様子を見ていて、私はむしろ好ましいと思った。  その人が折り畳んできた原稿用紙と千円札の積み重なりのことを思った。短歌の 内容よりも、その折り畳む行為の積み重ねの方が、人生のリアリズムに通底している ように思えた。  今日から6日まで、プライベートで台湾に行く。おそらくSONYのaccountには アクセスできないだろう。インターネットカフェなどで、webにはアクセスできるかも しれない。台湾に行くのは、10年ぶりくらいだ。 台湾 2001.3.2  台北のホテルは、敦化北路の中泰賓館。  荷物を置いてすぐ、MRTで龍山寺駅に向かった。  龍山寺には、10年ほど前に、友人と台北に来た時にいったことがある。 あの時、いろんなところを見たが、龍山寺が一番印象に残っている。 故宮博物館などより、よほど印象に残っている。  台北は、それ以来だ。  龍山寺の建築様式は、独特のものがある。屋根の上の龍のヒゲが、ピンと そらに向かって細長く跳ねている。   龍山寺の境内に入ると目に入るのは、一心に祈っている人たちの姿だ。 恐らく、何らかの現世の利益を願って祈っているのだろう。  日本ならば宗教的な傾向とは無縁であるように思う若い娘達までが、 長い線香を両手の間に挟んで、手と手を合わせて祈っている。  経文のようなものを読んでいる人がいる。  三日月型の木片を投げて、何やら占っている人がいる。  猥雑さの中に、真摯さがある。  現世の利益を、あれほどまでに懸命に祈るというのも、一つの形 而上学と言えるのではないか。現世のある具体的な御利益を願うと いうことは、実は、死んだ後の永遠の楽園を願うというよりも、 よほど切実で、本寸法の願いなのではないか。何故ならば、人間に は、この現世以外のものは存在しないのだから。「死んだ後の 幸福」などというものは、言語が指し示す対象に過ぎない。このような 志向性がどのように立ち上がるかは、重要な問題ではあるが。  龍山寺の奥には幾つかの廟があり、その中では、 小さな金色の仏像が沢山円筒状に並んで、その円筒が回転していた。  その前でも、三日月型の木片を投げて占い、祈っている女がいた。  奥の廟では、全てが金色で、全てが手が込んでいて、全てが過剰 である。  これが、一つの、極楽のヴィジョンなのだろう。  中華風の、派手で極彩色で金ぴかの極楽のヴィジョンは、日本的な 感覚から言うと、どこか繊細さや 真摯さに欠けているようにも思われる。  しかし、このような楽園のヴィジョンは、現世の利益をあれほど 懸命に祈るという台湾の人たちの向き付けられ方と微妙なところで共鳴 しているように思う。  極彩色で金ぴかの極楽のヴィジョンの向こうに、案外繊細で心の底に 染み入る精神世界がある。  まだうまく言葉にできないのだが、何か大切なものが頭の片隅を掠めて、 そして私は今まで見ていなかったものを垣間見た気がした。  台湾 2001.3.3  幼虫や蛹は、蝶という最終到着点への通過点に過ぎないという ように思いがちだ。  しかし、台中から車で1時間30分程の哺里にある木生昆虫世界で 見たオオゴマラダの蛹は、金色の輝きの中に黒い模様が入ったまるで宝石のような 美しいものだった。  蝶になれば、繁殖のための一種のディスプレーとして美しくなるのは判る。 しかし、羽化の前に幼虫から蝶へのメタモルフォーゼが起きる容器に過ぎない 蛹が、金メッキしたのかと思うくらいの金属光沢を持っていたことは、全く 意外だった。  羽化ハウスの中の、蝶が出ていってしまった蛹の殻は、半透明で、もはや 金属の輝きはなかった。あの金属の輝きは、中で進行している生命の メタモルフォーゼを反映した輝きだったのだ。  台湾の代表的な蝶は、キシタアゲハである。キシタアゲハの幼虫は、大きく、 長い突起が出ていて、触るとまるでゴムで出来た人形のようで、やがてなる 蝶と同じような王者の風格を持っていた。  このまま成長せずに、ずっと幼虫のままでいて欲しい、そのように思えるような 存在感があった。  案内の女の人がキシタアゲハの幼虫をしばらくハンドリングしてから渡して くれた。  手の上に載せてみると、ずっしりと重く、ペットにしたいとさえ思えるような 皮膚への親近感があった。  途中のステップに過ぎないと思っていた幼虫や蛹が、そこで時間が止まって欲しい と思うような美しさを持っている。  バタフライハウスの中を飛び回る成虫たちよりも、地面の上の緑の葉の上を這い、 枝に糸で繋がれた幼虫や蛹たちの方が、私の心を引き付けた。  標本館は、世界中の美麗感、希少感のある種をチョイスして展示してある。 膨大なように見えて、実は絞り込みに絞り込んだクリームの上澄みのような コレクションだ。  モルフォチョウの標本は、全て腹部が外してある。腹部からしみ出す成分で、 青い金属光沢が汚れてしまう、そんな話を確か聞いた記憶がある。  館長の余清金さんとしばらく話した。一大コレクションを作り上げた余木生さんの 息子さんで、標本館の前に、銅像が完成していた。九州大学名誉教授 で、日本を代表する蝶の碩学、白水隆さんが台湾に調査に来た時には、 いつも一緒に回っていたそうだ。  金属光沢の蛹や、ゴムで出来た人形のような存在に囲まれて生きていく 人生。  入り込むと、それは、「これもまた一局」と呼べるようなものなの だろう。 台北 2001.3.4.  数年前、私は、新宿の紀伊国屋の地下で、一つのヤゴの標本と出会った。 腕をぐっと曲げているその姿は、そこに並べられている十数個の標本の 中でもっとも造形的にユニークで美しく、イタリアの第3紀の地層から 出たその標本を、私は衝動買いしてしまった。    それ以来の年月の流れの中で、私は、私が求めているものが、 例えばワインを飲んで世界に対する過剰な志向的クオリアの意味付けの ネットワークが剥ぎ取られたような時に、手にとり飽きずに眺められる、 小さなアイテムであるということを徐々に徐々に認識してきた。 化石でも、大きな ものは欲しくない。焼き物でも、大きなものは欲しくない。小さな、 掌に納められるものが良い。  小林秀雄の絵葉書、竹富島の海岸で拾ったマルオミナエシの貝殻、 飯能の骨董品屋で買った九谷の御猪口、そして、今回の台湾旅行で 買ったミイロシジミタテハ(500NTS)と、アシナガミドリツ ヤコガネ(200NTS)の標本と、全てが、掌の中に納めて眺め られるというコンセプトに適合している。 ミイロシジミタテハの切手 http://club.pep.ne.jp/~mnaito/gunia.htm ミイロシジミタテハの写真 http://www.thais.it/entomologia/farfalle/schede/sc_43.htm アシナガミドリツヤコガネ http://www.thembugs.com/Insects/1432.htm  このようなものに、すでに中国では伝統的な名前が与えられている ことを、台北の国立故宮博物院の3階の展示室で知った。  博物院が発行している「故宮文物宝蔵続編ー多宝格編」には、 次のようにある。  ・・・昔の読書人は、一日の大部分の時間を、一人書斎に閉じこもり 学問をしていました。彼らの「玩具」は、書斎の中の多種多様な、巧妙 にデザインされ、美しく精巧に作られた文房具と置き物でした。学問 に疲れると、それらの文房具や置き物を手に取って鑑賞し、玩(もてあそ) びながら、自由自在に思いをめぐらしていました。これらの趣きが あって、しかも美しい文房具や置き物のことを、「文玩」とか、「珍玩」 といいます。・・・  3Fの展示場には、清朝時代に盛んに作られた飛切りの珍玩を収納 する多宝格が沢山展示されていた。 http://www.npm.gov.tw/japan/collections/coll_08.htm  小さな美しいものに、のめり込んで行く。美しいものにのめり込んで、 バランスを崩していく。そのような回路が、中国には綿々と受け継がれて 来たのではないか、そのように思えた。 2001.3.6. 台北断章  台北のCD屋には、おそらく海賊版の日本の楽曲のCDが溢れていて 、一つ数百円で買える。  奇妙なChinamanが表紙(周星馳)になっている「新鹿鼎記」という 映画のVideo CDを数百円で買って、どのファイルをクリックすれば映 画がQuick Time Playerでかけられるか確認できたので、本格的に探 す。候孝賢の「非情城市」のVCDはさすがに2000円弱とまとも な値段だった。中国語なのに、なぜか字幕があった。白い下着をむき 出しに着ている父親役が10年前に見た時にも強い印象に残ったこと を思い出した。  日本統治時代には靖国神社があった場所に立てられた忠烈祠では、 1時間ことに抗日戦争の英霊を守る儀杖兵の交代がある。まるで機械 仕掛けの人形のように、兵士達が5人で歩いていって、5人のうち2 人が本殿の前に直立している儀杖兵と交代する。段差がある時には、 その直前に一際高く靴音をならす。ダークスーツの男がいつも同行し ていて、観光客が前を横切ったりしようとすると、静止する。  全てが終わり、交代した二人の儀杖兵が台の上で微動だにしない人 形になると、ダークスーツの男がチェックして、服装や銃剣の房の乱 れを直していた。  交代を見て、門の方に帰っていくと、5人の兵士達が出てきた兵舎 の中に、民間人が大声で喋りながら入っていった。入り口にはもちろ ん立ち入り禁止とある。彼が兵舎内に入った頃、なかから弾けるよう な笑い声が聞こえた。友人が友人を訪ねてきたという感じだった。暗 い兵舎内を覗くと、テレビモニターがあり、その画面にプレイステー ションのアイコンがくっきりと写し出されていた。私は、ネタばれを 見たような気がして好感を持った。  日本のポップカルチャーが大きな影響力を持っていることが感じ られる。街頭テレビでは、日本語のコマーシャルをそのまま流して いる。日本漫画の翻訳だけでなく、そのままのものも売っている。  漢字表記の中にも、日本語風の表現が入り込んでいる。逆に、こ ちらの漢字表記の感覚も微妙な影響を受ける。書いた漢字表記のや り取りは通じるが、発音が全く違うので、言葉では通じない。だん だん、日本語の漢字の発音がまがい物に思えてくる。漱石が漢文の 素養から豊かな文学表現の可能性を開いたのと似たようなことが可 能ではないか、そんな気がしてくる。 来たのではないか、そのように思えた。 台湾 2001.3.6.  台湾バナナはうまいものだと聞いていたが、  哺里から台中の間の道路の脇に、バナナ畑に隣り合うように バナナを軒下から下げて売っている店があったので、買い求めた。    小振りの黄色い皮と赤い皮のものがあり、どちらも皮に黒い 斑点が出始めていた。しかしこれがベストコンディションなのだろう。  赤い皮の方はほくほくとデンプン質の甘さがあり、まあ予想の範囲 外だったが、黄色い皮の方の味は新しい世界だった。  薄い皮を剥くと、中に、中国人が愛でる玉のようなといっても いいような滑らかな表面の、白くほの輝く実が出てくる。口に 含むと、しっとりとしたテクスチャの中から、芳香に満ちた甘さが 広がってくる。その芳香は、私が今までイメージしていたバナナの ものというよりは、むしろ、例えばライチーとのような、深い吸引 力を持つ果物のものに似ていた。  一房で二十本近くあり、台中から台北に向かう列車の中でも、4本 くらい食べた。それでもまだ余って、台北に来てからも食べた。  黒い染みが出来はじめた皮の中に、清楚な光輝に満ちた甘いテクスチャ の世界が広がっている。バナナという果物にとっての成熟の頂点において、 すでに皮では腐敗のプロセスが始まっている。    列車の中で目を閉じていた時、ふと、このようなバナナの成熟 のプロセスは、人間の成熟のプロセスと似ていないこともないな、 そう思った。皮膚に染みができ、撓み、衰えはじめたその時にこそ、 内面の輝きがもっとも純粋な高みに達する。そのような人生もあるの ではないか。  そのようなことを考えてすぐに思い出したのが、老境に達して 新潮から出ている講演をしている時期の小林秀雄だった。  今朝、黒い部分が広がった黄色い方のバナナの皮を剥いてみると、 玉のようだった果実の一部が黄色に溶けていて、口に含むと、幽かな 腐敗臭がしたように思えた。果実の成熟の時が終わり、崩落が始まった ようだった。  あと2時間で台北ヒルトンをチェックアウトして、中正国際空港に 向かう。 2001.3.7.    着いてすぐiBookを開いてメールをチェックしようと思っていたら、 ふたが完全に閉っていなかったらしく、バッテリーが消耗していた。 底が熱くなっていた。このようなことがあるとは聞いていたが、初体験 だ。成田エクスプレスの中で台湾の印象をまとめておこうと思ったのに、 そのcomfortableで楽しい時間の予想が外れた。疲れていたので、 アエラを買って読むことにした。  車窓から見る東京の夜景は、随分暗いように感じられた。 台北駅の南の新光展望台から眺めた夜景が随分暗かったので、東京の 夜景はもっと明るいはずだ、そう思っていたのだが、やはり東京も 新宿や渋谷などの一部のエリアをのぞいて、夜は暗闇の中に沈んで いたのだ、そのようなことを思い出していた。  5日間中国語の看板にさらされた結果、日本語の中の漢字の 活字にも奇妙な違和感をおぼえるようになった。ためしにひらがな だけでかいてみる。やろうとおもえば、できないわけではないように おもえる。クオリアのもんだいをかんがえるとき、というように、 カタカナもつかえばなんとかなるか? やはりだめか?  言語の表記の問題は難しい。クオリア問題に対するような感覚と 同じように、ラジカルに言語の表記の問題にも取り組むことが できたらと夢想する。しかし、Gengo no Bawai Muzukasii no ha tasha ga iru to iu koto de aru.言語の場合難しいのは他者がいる ということである。  ダメだ。自分の指が漢字を吐いているということにとてつもない 違和感を覚える。この違和感は、どこから来ているのだろう。    しばらく、台湾後遺症が残りそうだ。 2001.3.7 どうやら、漢字、ひらがな、ローマ字に関わらず、 全ての言語表現に対する違和感のようなものが立ち上がっているようだ。 しばらく大切に転がしてみたいと思う。 2001.3.8.  日ざしは暖かく、しかし頬をなでる風は冷たい、 そんな街角を歩いていて、よく冷やした桃のような環境感覚だな と思った。  良く熟れた桃の暖かさを孕んだ果肉が、冷蔵庫の中でひんやりと 冷やされている。口に含んだ時に私たちが感じる魅力は、 多くは、暖かさが冷たさにくるまれているという、 そのコントラスト、違和感の調和にあるように思う。  このような環境感覚が街にあふれている季節は、 あっと言う間に過ぎてしまう。  やがて、はっきりと暖かい、冷たさの表面がとけてしまった 季節がやってくる。  やがて、晩夏の灼熱の底に、私たちは、幽かにやがてくる冷たさの 殻が形成されつつあるのを感じるようになる。 2001.3.9.  大手町の日経サイエンス社に行く。  「脳とクオリア」改訂版の打ち合わせ。  いろいろな都合で、3月中には原稿を上げなくてはならない。  そのように脅された。  ほぼ5年前、当時日経サイエンス社にいた松尾義之さん(現 白日社) あてに、 「脳とクオリア」の企画書を送った時のことを思い出す。 今、ひさしぶりにその時のファイルを開けてみると、 「心と脳の関係を求めて」(仮題) 茂木健一郎 著 企画書 株式会社 日本経済新聞社 出版局 科学出版部 御中 1996年3月18日 というところから始まって、随分肩に力が入った文章が続いている。 「脳とクオリア」というタイトルは、松尾さんがつけてくださった。 いろんな意味での恩人である。 最近、養老孟司著『脳と自然と日本』を編集された。 白日社へ移籍して第一弾のお仕事である。 http://www.hakujitsusha.co.jp/ 5年の歳月が、随分長い時間だったように思われる。 改訂版では、ほぼ全体の30%くらいの内容を入れ替える予定である。 志向的クオリアの問題、言語の問題、システム論的転回の問題 についての議論を付け加える。  予算の問題で、表紙のデザインが変わるかどうかは判らない。  大手町を歩いていると、当然なことながら、背広姿の人が多い。 学部学生の頃、茂木さんのイメージは、霞ヶ関か大手町と言われたことも ある。   今では、スーツを着ることは年に数回しかない、そのような生活に なってしまった。学生の頃とは、随分性格も変わってしまった。  一番変わったのは、無意識とのつきあい方ではないか、そのように 思う。  漁師が潮の流れを読むように、今日の無意識の流れがどちらの方向を 向いているか、それをアンテナで感じて生きるようになった。学部 学生の頃は、もっと、意識的に全てをコントロールしようとしていた。  大手町には、意識的にいろいろなことをコントロールしようとしている 人たちが多いと思う。日経サイエンス編集部は少し違う風が吹いている けれども。  春風が不思議な回路で感慨をもたらし、あり得た別の分岐 について考える。 なぜ、人生を 投稿者:Licht Mehr Licht  投稿日: 3月 9日(金)11時50分48秒 難しいものと考えてしまうのか。 BachのGoldberg Variationsに相当する ものを一つ創れればそれで十分僥倖である。 そう思えば、随分いろいろなことが簡単になるし、 覚悟も腹も決まる。Gouldを聴きながらそのように思う。 2001.3.10.  電車の中で、編集者の松尾義之さんが送って下さった養老孟司 さんの新著「脳と自然と日本」(白日社)を読んでいた。  都市が、徹底的に自然を排除し、人工的なものだけで空間をうめ尽くす という話。  その中で、人間の身体だけが、どうしても排除できない自然であるという 話。  ふと車内にいる人間達を見ると、その口から肛門までの消化器官が、 一つの連続した管であることがイメージされ、そのような菅が腹部に ぐるぐると折り畳まれて入っているところが想像され、自分の身体の中に もそのような菅が詰まっていることが感じられた。  何だか、やりきれない気持ちになった。  いても立ってもいられないように思えた。  前に、スーツを着て、書類鞄を下げた若い男の人がいた。  その男の人の腹部を見ているうちに、ここを開けてみて、中にハード ディスクやCPUが入っていないことが、むしろ違和感を持って 感じられる、そんなことがあるかもしれないと思った。  身体性の回復などということが言われる。私も、ある文脈では それに賛同するけれども、一方で、人間の精神の根本的なあり方の どこかに、我々が、消化管の詰まった肉体を持っていることに対する違和感 があることも否定できないように思う。  プラトン的世界とは、そのような違和感、不安から析出して逃避していく 概念だと私は思っている。  逃避の先に、人間の本質があるということだってあり得る。  CSLに向かう途中で、そういえば、五反田駅のそばを食べる つもりだったのだということを思い出した。  そばが消化管を通って行くと言うイメージを、抑圧していたのかも しれない。  コンビニで、おにぎりを二つ買った。  セロファンに包まれた三角形の塊を手に載せると、それが金属 の塊、何かのパーツであるかのように思えた。  CSLに着いて、iBookをethenetにつなぎ、メイルを 読みながらおにぎりを食べている頃には、消化管のことは すっかり忘れていた。 2001.3.11.  ブラックスーツの男が  車に乗り込もうとしているゴリラに頭を下げている。  今朝の朝日新聞も日経新聞も、そのような写真が一面を飾っていた。  ゴリラに頭を下げようと思う人が世の中に一人でもいようとは 思わなかったが、おそらく職務の習慣で下げてしまったのだろう。 プライベートに戻れば、世間の人と同じようにゴリラは石川に帰って バナナでも食べていろとば倒しているのかもしれない。  いずれにせよ、ゴリラにブラックスーツが頭を下げているというのは ニュースの内容と微妙に呼応して印象に残ったらしく、一面を飾る 写真となった。  新しい水が流れこまない池が腐っていくのは当たり前のことで、 ボウフラが次々に湧いて、蚊柱が立っている。身の回りを見ても、 才能があって仕事ができる人は、政治家になろうなどとは思いもしない。 ボウフラの水に飛び込んで行くやつらは、ろくでもないということは 世間の人は皆知っている。  立候補制は止めて、誰でも「この人にやらせたい」という人を自由に 記入するようにしたらどうか? ある選挙区で10万人くらいの名前が 上がったとしても、その名寄せは今のITでいくらでもできるはずだ。 4年くらいなら、我慢してパブリックのために尽くそう、そのように 考える人がいるかもしれない。  職業政治家、キャリア政治家という制度が、ボウフラや蚊柱をわかせる。 才能があり、世間で仕事をしている人が、4年間奉仕して、また 世間に戻って行く。そのような制度を作れば、ボウフラが湧く 余地はないだろう。 2001.3.11.  この世界は何か得体の知れない異常な世界である。  時々、つくづくそう思う。  かって、3月10日に東から金属の塊が飛んできて、東京を 火の海にしてしまったことがある。あの時の人々の体験は、どこに いってしまったのだろう。  マヤ文明にも、天才的な人々がいたに違いない。文字が解読できない 今としては、それらの天才は永々に記憶から失われている。  私たちは、バッハやニュートンは永遠の名誉を持っていると思って いるが、巨大隕石が一つ落ちれば、マヤ文明の天才と同じことに なるのは疑いない。  一体、この世界の根本的な成り立ちとは、何なのか?  それを掴みたいと思っても、果たすことができない。  ファウストがやけになって悪魔と取り引きしたのも、 よく判る話である。  突き詰めて考えれば、今、現在を掴むことしか、我々には できないことが判る。「今」に生きながら、我々は、同時に、未来や 過去を志向する表象を持つことができる。「ここ」に生きながら、 はるか彼方の銀河を志向することができる。「今、ここ」に生きつつ、 時間や空間の遥か先を志向することができるということを通して 我々は世界と交わるしかない。  しかし、時間や空間の遠くと交わることが できるとは言いながら、我々は、「今、ここ」にしか生きることのできない 存在であることは変わりない。我々は、「志向性」を通して、か細く遠く の時空とつながっているに過ぎない。  だから、クオリアや志向性といった心的表象の第一原因を 解明しようという心脳問題は、世界の根源の問題に深く関わっている。  ビールを飲みながらこのようなことを考えていると、 科学的な世界の理解というのは、茶番だな と思う。それでも、そのような茶番を演じ続けるのは、生きるということが、 上のような根源的な問題を取りあえずは忘却しなければうまく行かない からだ。生きることに埋没している時には、根本問題を忘れている。 一方、根本問題を見つめることができるのは、生きることに距離を置い ている、そんな時間である。  そんな時間が終わり、ビールのグラスを置いて電車に乗って本を読み 始めたりすると、また生きることに没入して根本問題を忘れてしまう。  次に思い出すのは、このように自分の最近の体験を日記に残そうと思う 時である。 2001.3.12.  なぜか、宮本輝と同じ講演会に出ている夢を見た。  (私は、彼の小説を読んだことがない)  宮本輝が私の前の出番に喋っている。最後に、何かアメフラシのような 動物の絵を黒板に書いて、その胴体のある器官を指して何か言っている。 会場の人が、信じられないというようにどよめくのが聞こえる。  どうやら、その器官に魂がやどる、他の世界への窓であるというような ことを言っているらしい。  私の番が来て、私は立ち上がった。  私がお話するのは、心と脳の関係についてです。「心」というと、 いかにもやわで、曖昧な感じがします。「心」について語る人は、 軟弱な感じがします。コンピュータのCPUのクロックアップについて 語るのは、ハードボイルドな感じがするのに、「心」について 語りはじめると、曖昧な感じがするのはなぜでしょうか?   しかし、本当は、心というものは、精密で厳密なものなのです。    ここで、私は黒板の方を向いて、  心=精密な事象 と白墨で書いて、続ける。  私たちの心の中に、あるニューロンの活動が生じると、極めて 精密に、心の中には様々な感覚が生じるのです。私たちの感覚を 構成している質感を、クオリアと言い・・・  ここまで喋って、私は夢の中の自分がぺらぺらと淀みなく言葉を くり出すのに吃驚したのか、目が覚めてしまった。  しばらく横になって、コンピュータのクロックアップの話から入るのは、 妙だったな。あの先、どのような話が出てくるのか、聞いて 見たかったな、と思った。 2001.3.12.  最近の断章  日曜日、今年初めてモンシロチョウを見る。南の地では一年中溶けている 空気中の氷の結晶が、ここではやっと溶けはじめたのか、そんな感じが 心を過る。奇妙なヴィジョンを持ったのも、竹富島や台湾に行ってきた ばかりのせいかもしれない。  タクシーに乗ったら、運転手の後ろに演歌のポスターがはってあり、 吉原勇とある。コロンビアレコードからA面B面時代に発売になった 歌の宣伝が書いてある。あれれと思って運転席の写真を見ると、吉原 勇夫と書いてある。見比べると、とても似ている。  「運転手さん、歌手なんですか」 と聞くと、「そうですよー。」と自信を持って答える。 それから、しばらく、歓談した。  カセットテープを手にとって、スロットの中に入れようとした。 ああ、自分の歌を聞かせるつもりなのだなと思った。  そうしたら、突然止めて引っ込めた。  しばらくすると、またスロットにカセットを近付けて、そして止めた。  この間、二人とも無言で、ラジオが流れている。  ためらって往復するカセットテープから目を離して外を見ると、冷え込 んだ夜の空気がある。  快楽亭ブラックなどを見ていると、本当に爆発力があって面白い ものは、マスメディアの中では流通しないのだな、そう思う。ブロード バンドになって、人々の間を流通する情報が熱帯雨林の中の生物種のように 多様になって、初めてある種の情報は流通できるのだろう。今は、 皆がヤマザキの食パンを食べているようなものである。 2001.3.13.  私は、整理がどうしても苦手である。  ほとんどの仕事をノートブックコンピュータ1台で済ませるようになって 良かったのは、HD disk上のファイルがいかに散らばっていても、「サーチ」 一発でどのファイルにもいけることだ。  物理空間はそういうわけにいかない。3年前にイギリスから引き上げて 来た時の段ボールの幾つかが開けられていないままになっていたが、 えいやっと開けて中のものを整理しはじめた。  記憶の貯蔵庫から引き出すのを忘れていた、しかし見れば一目で私と 関わりがあったものと判るものたちが、少しづつ出てくる。  Heath Robinsonの絵。研究のメモ。イギリスの外国人登録証。かくも 永い間、お前達はここに眠っていたのか、powerbookの上のfileならば、 一発で検索できるのになあと語りかけた。  それと同時に、私は、私の脳の随分永い間使っていなかった部分が 活性化するのを感じた。部分というよりは、ある使われ方が活性化 するという方が正確かもしれない。昔のものと向き合うということは、 自分の脳の昔の使われ方をもう一度体験してみるということでもある。  長い間放置してある仕事、忘れかけている本、昔大切に集めた 石や貝殻のコレクション。これらのものに一度血を通わせることに よって、現在の自分が志向するものが変わって行く。常に現在しか ないことは確かだが、現在において、どのような過去、どのような未来を 志向するかということが変わる。  イギリスの段ボールを開けて、私は、忘れていた志向の行き先を 思い出した。 2001.3.13.  はっきりして来たことがある。森嘉朗は、おそらく、妖怪だということだ。  ここまで無神経で、破廉恥な人間に首相の座に居座ることで、 我々は、日本の中に巣くっている妖怪たちの存在に気が付いた。  とても、真っ当な人間の感性では理解できない行動様式で妖怪たちは 行動する。妖怪は、自分達こそ暗闇から出てきた存在のくせに、 おれは名門の出だとばかりに 私生児や、橋の下の捨て子を馬鹿にし、夜な夜な「文化保護」との名目 で料亭で会合をくり返す。  「早く辞めれば、ゴルフ三昧に浸れるのに。」 との声は、妖怪の膿で塞がれた耳には届かない。  脳みそも、腐ってただれはじめているのに、妖怪パワーは留まる ことを知らない。    9割以上の人がこの妖怪を不愉快に思っているのに、それを支持する 集団がいて、しかもその集団が国政を握っている。妖怪に支配された 国。  民主主義とか選挙とかそのような目くらましを剥ぎ取れば、浮かんで くるのはそのような構図である。  歴史上、このような不愉快な気分に人々が襲われたことは、何度も あったに違いない。我々は、百姓一揆をするところまでは追い詰められて いない。しかし、もし国家財政破たんでハイパーインフレが起り、 貯蓄の価値が100分の1になったりしたら、何が起きるか判らない。 ひどい世に生きるということは、歴史上かって人々が経験してきた 様々な悲惨な、不条理な、取り返しのつかないことを共感を持って 思い起こせるという意味で案外良いことなのかもしれない。  妖怪たちが跋扈している時代の後には、指導者の少しの合理性、少しの 決断力、少しの弱者への視線でさえ、明るく眩しく感じられるはずである。  理性の光が、妖怪達を駆逐するのを待とう。 2001.3.14.  とても仕事のスケジュールがタイトになっている。このような 時には、かえってこまごまとしたことがやりたくなるもので、 3年間封印していた段ボールを開けたついでに、幾つかの絵を 壁に下げた。  Heath Robinsonの絵にしようと思ったが、やめて、以前 Brusselで買って来た、「魚屋」と「鳥」のプリントにした。  よくヨーロッパで売っている、昔の本の1ページを切り離した ものである。  壁にかけてみると、それだけで気分が変わる。  今まで、ずっと包装紙の中に隠れていたことが申し訳なく思う。  何かをすることで、今まで凝固していた血液が流れ出し、 そして新たな活動の潮流が生じる。  カトリックの人たちがキリストの血が溶ける奇跡に訴求力を 感じるのも、上のような「生命の潮流の溶け出し」のメタファー と共鳴しているのだと思う。    取り出して日を当てなければ、血液はいつまで も凝固したままである。    ここのところ、get things doneということで、かなり脳と身体を 動かしているのも、凝固したままたなざらしになっている大切な ものが沢山あるような気がして、少し焦燥しているからのような 気がする。  焦燥は、あまり良いものではないが、凝固したものを溶かすためには、 ある程度ちろちろと炎を燃やす必要がある。  「脳とクオリア」第二版の作業を進めていて、ああ、第一版の原稿を 書いているときは、私はずいぶん焦燥していたなと思い出した。 もっとも、あの時の焦燥は、凝固したものを溶かすためというよりは、 ぱんぱんに張ったプチトマトのようなものから瀉血するためだった ように思う。  脳がある活動をすると、そこに血流が増える。血流の増加が逆にニューロン 活動(短期長期)に影響を及ぼすというような、そのような回路もある はずだ。デジタルなかちかちとした情報処理に比べて、液性の情報処理も あなどれない。  ゲーテの火成論と水成論の比較を思い出す。 2001.3.15.  他人の心を読む能力を「心の理論」(theory of mind)と言う。 自閉症(autism)の子供には、この能力が欠けていると言われている。  安易なカテゴリー分けをするなという批判も当然ある。  カオスの研究で有名な今は北大にいる津田一郎さんが、かって、 研究会の時に、上のカテゴリー分けを批判されて、「私は、心 の理論のテストでは、自閉症の子のように答えてしまう。しかし、 私は自閉症ではない。このことをどう考えるか」と熱弁された。  皆、津田さんの一種独特のおかしみに伝染して、下を向いてにやにや 笑っていた。  というのも、この「心の理論」のテストは、誰がどう考えても 常識的に考えれば「合格」するテストであり、津田さんが合格しないと いうのは、その類い稀な知性から考えても、面白い冗談のように 思えたからだ。  もっとも、高い数学的能力を持つ自閉症の人もいる。フィールズ賞を とった数学者が、実はAsperger syndrome (比較的軽度の自閉症) だったという報告もある。  子供の頃のエピソードで、数年に1回思い出すことがある。今朝、 ひげを剃っている時にふと思い出したのだけども、今度いつ思い出すか 判らないので、ここに書いておきたくなった。  小学校5年か6年の時、私は、千葉県の外房にある清澄山という場所に ひとりで日帰りしたことがある。その頃憧れていた「ルーミスシジミ」 という可憐な蝶が 関東近辺では清澄山にいて、それを採集に行ったのである。 ルーミスシジミ http://www2.odn.ne.jp/~cae97600/kyushu/lyc/gan.htm  深い森につつまれた山で、希少種であるルーミスシジミを、私は結局 見かけることもできなかった。  途中で、やはり捕虫網を持ったおじさんに会った。  「下の沢に降りて、日の照らすこずえのあたりを見て御覧、飛んでいる かもしれないよ。」  などと、親切に教えてくれた。そのおじさんも、その日はボウズだった。 随分いろんなことを話して、帰りは一緒のバスで帰ろうなどと言っていた のだが、そのうち、私は、なぜか、一人になりたくなってしまった。 何と言っても大人とのやりとりは気を使うし、森の中の静寂を一人で 楽しみたいと思ったのかもしれない。とにかく、私は、何かの拍子に、 森の中の道をどんどん進んで、少し離れた沢に降りてしまった。  「おーい。」  「おーい。どこにいるんだあ。」  しばらくして、おじさんが、私を呼ぶ声が聞こえた。木々の葉の波の 向こうから、図太い大人の声が聞こえてくる。私は小さな 子供だったし、どこかで迷っているのではないかと、心配になったの だろう。  悪いなと思いながら、私は返事をしなかった。広大な山の中で、 かくれんぼをしている気分だった。おじさんは、それから、何回も 呼び続けた。時間が経つにつれて、返事をしないことが、とても すまないことのように思え、それでますます返事がしにくくなった。  じりじりと、何か奇妙な気分が、私の胸の中に込み上げて来ていた。  やがて、おじさんの声が沢の方に近付いてきた。私は意を決して、 おじさんの方に歩いていった。  迷ったふりをしよう。  そう思った。おじさんの声がする方向に歩きながらも、 それでも、おじさんの呼び掛けに返事をしなかった。  声がだんだん大きくなって、私たちは、細い坂道ではち合わせした。  「だいじょうぶか?」  おじさんは、本当に心配しているように言った。  「ええ、すみません、迷ってしまって。」  私は、素直にあやまった。  それから、私たち二人は、バスに乗るべく、一緒に下山していった。 しばらくして、おじさんは、  「それにしても、返事くらいしてもいいだろう」 と言った。私は、言葉なく、首を垂れた。  今朝私が思ったのは、あの時、私の心を、おじさんは どのような「心の理論」で推定したのかということである。  私の中を去来した様々な思いを、おじさんはどの程度推測 できたのだろうか。    津田さんは、あの日、 本来、コンテクストや歴史性、物語性に依存する豊かで複雑な 「他人の心理を読む」というプロセスを、簡単なテストでとらえる ことができるという思い込みに対する正鵠を得た批判を展開していた のだという気がする。 2001.3.15.  この3年程、3月15日になると江古田に行っている。  2年前は、商店街のだんご屋がしきりに「だんご3兄弟」を 流していた。  1年前は、住宅街の中の趣味のいい喫茶店を見つけた。  今年は、再びその喫茶店を訪れて、すばらく仕事をした。  なぜ、毎年、最終日にならないと確定申告ができないのか、 自分でも判らない。  今年は危機だった。源泉徴収票が見つからず、家やオフィスを探した。 おかげで、随分ゴミが出た。最後はなぜか青物横町にある事務所まで 取りに行くという情勢になったが、あと1時間という時に、奇跡的に 出張の領収書入れから出て来た。  幾許かの所得税を追加で支払って、無事確定申告終わり。  ほっとしたのか、L'arc-en-cielのDVD(Chronicle)を衝動買いして しまった。Piecesだけ見たが、映像がナイフが引き起こす連続殺人で、 あまりコンセプトに合っていない気がする。  「脳とクオリア」第二版の仕事など。新たに増える3章の冒頭 に、必ず小林秀雄とヴィットゲンシュタインは引用しようと思って、 適当な箇所を文献から探している。  仕事に集中するため、ここのところアルコールを絶つ。イスラム 教徒に改宗した気分。 2001.3.17.  雑居ビルの1階にあるトイレに入ろうとした。トイレの前に 自動で開くガラス戸があって、そこから先はパチンコ屋になっていた。  入り口を潜ると、掃除のおばさんがモップを洗っているのが見えた。 恥ずかしいので、個室に入ろうと思った。しかし、二つある個室は、 どちらも塞がっていた。  私が、諦めて入り口に戻ろうとした瞬間、おばさんが何かを言った。  「入っていいよ。もごもご」 どうも、ロックがどうのこうのと言った気がするが、注意がそちらに 向いていなかったので、聞き取れなかった。  私は、個室の方に戻った。しかし、どう見ても、やはり、ドアは 閉っていた。再び入り口の方に戻ろうとすると、おばさんが言った。  「いいのよ、入ってえ。ずっと中に入ったまま、ロックしているんだ からあ。さっきなんて、中で電話しているのよ。いいから、ノックして 入ってよ。」  どうやら、長時間中に入っている男がいるらしく、それが気にくわないの で、私に、彼を個室から追い出せと言っているようなのだ。  私は、おばさんの勢いに押されつつも、  「いや、いいです。」 とささやくように言って、そそくさとその場から逃れた。  まいったなあ、という感じだった。  トイレで出会った意外な体験というと、もう10年前になるだろうか、 あるターミナルビルの中のトイレの個室に入っていた時のことを思い出す。 洋式に腰掛けていると、外で子供の足音の気配がした。  その子は、私の個室の前で立ち止まると、ドアを開けようとした。 鍵がかかっていることがわかると、困ったと思ったらしい。 やがて、鍵穴の所に、小さな黒い目が現れた。中を覗きこんでいるのだ。 大きく見開かれたまぶたの間から濡れた黒い目が真剣に「誰か入って いるのかな、何をしているのかな」と中を伺っているのが判る。  目の表情から、その子の必死さ、ひたむきさが伝わってくる。  ちょうど、鍵穴に目が来るくらいの背丈しかない小さな子だ。 年令にして、5ー6才くらいだろうか。  非礼だとかそんなことは思わなかった。せっぱつまって、鍵穴から 覗く、その自然な流れが好ましく思えた。  私は、中から 「今出るよ。待っていてね。」 と声をかけて、急いでドアを開けてあげた。  今となって思うと、あの時鍵穴から覗いていた小さな黒い瞳に出会えた ことは、とても希有な体験だったように感じられる。まるで子供という 「自然」が人工空間の中に一陣の風として通り抜けたような。 2001.3.18. DVDの良い点は、仕事の合間に少し息抜きをしようと、 notebook computerで見れることかもしれない。 今は、Steve Coogan、The Fast Show, Monty Pythonの3つの British Comedyを疲れた時に10分くらい見ている。 amazon.co.ukのサイトを時々チェックしているが、なかなかDVD になったcomedyが増えない。PALのビデオを再生できる装置を 買えばいいのだが、すぐにDVDになるような気がして、なかなか 踏み切れない。  ビデオソフト市場がDVDに変わることは、単にコンテンツが新しい mediaに移る以上の意味を持っているように思う。 私の場合、資料的価値の高い、何回も繰返し使えるcontentsでは ないと、DVDを買う気が起らない気がする。 一度見れば済む映画は、せいぜいレンタルすれば良いという気がする。 何回も見たい映画というと、小津の東京物語、秋刀魚の味、晩春、 麦秋にとどめをさすが、残念ながら小津作品はまだ一つもDVD化 されていない。  東京物語のDVDは、出た瞬間に速攻で買うことになるだろう。  「あど街っく天国」で成増をやっていて、爆笑。今住んでいる ところは、成増から歩いて40分くらいのところ。このエリアとの 付き合いは理化学研究所に1992年4月に入って以来。歓迎会の 後、理研から歩いて成増まで飲みにいったことを懐かしく思い出す。 番組の中では十何位だったが、私の成増一位は誰が何といっても ダイエーの近くにある「丼藤田」である。ここのウニ丼は見た目も 美しく、ぐるりとコの字型のカウンターに10人も座れば一杯の店の中で 丼をかっ込むのは至福の時だ。夜は居酒屋になっている。 長島重広という 酒が飲めない男がここに入り浸って、刺身を食べまくり、丼を3拝お代わ りして、酒を頼んでいないのに勘定が1万を超えたという伝説がある。 長島は、確か、今は関西の方にいるはずだ。私と同じ研究室の出身で、 構造生物学をやっている。この前、恩師の最終講議の時にひさしぶりに 会った。 2001.3.19.  自分が10年前に意識を失って、たった今目覚めたとしたらどんな気分 だろう。  時々、そんなことを考えてみる。  目覚めて、新聞を読んでみる。10年間に、インターネットや経済後退 やワールドカップなどの変化があって、その他にも暗黙知として共有 されていることがあって、自分はそれを知らない。  呆然とするだろうが、本質的なキャッチアップは、案外短い時間で 終わるような気がする。  こんなことを思うのも、どうも、同時代というものが自分にとって とらえにくいものになっているからではないかと思う。  現在にいながらにして、過去や未来を志向することができるのが 人間だが、この志向のウェイトが高くなるにつれて、 現代(コンテンポラリー)のウェイトは、低下して行く。  今まさに感覚的クオリアを通して感じているものたちは、確かに 今のものたちだが、志向的クオリアは、確かに現在の私の脳のニューロン 活動によって生み出されているものの、志向の対象は、時間の限定を 超えて、空間の限定を超えて、様々なものに向かっていく。  私の関心が、感覚的クオリアから志向的クオリアに移りつつある こともあり、自分が現代に生きているということの重みが低下しつつ ある。10年くらい意識を失っていても、大したことにならない 気がする。本質的な問題は、10年くらいの年月ではあまり進歩 しないからだ。 2001.3.20.  数カ月前の領収書をひっくり返して、何とか出張の精算手続きを 済ませた。  こういうことがとても苦手で、国内出張で幾つか精算手続きをしていない ものがあるような気がするのだが、定かではない。  こんなのは私だけだと思っていたら、毎日新聞の科学環境部の Aさんもそうで、 時々上司に、「どうせ出張精算しないんでしょう。だったら、予算 使っちゃうよ」と言われるそうだ。    新宿のソフマップでFirewire接続のCD-RWを購入。日経サイエンスの 詫摩さんに、「脳とクオリア」改訂第二版の図版を送るためである。 地下鉄に乗る前に、仕事の本は読みたくない気分だったので、話題の 「誰が本を殺すのか」を購入。  読みふけっているうちに、終着駅に着いた。  確かにひどいことになっているようだが、100年、200年という 単位で考えると、また違ってくるように思われる。「金太郎飴書店」には いい本が並ばなくなったというのはその通りだが、 では100年前はどうだったか? 一般庶民が、それほど本を読んでいた か? 金太郎飴書店が、コンピュータ配本で棚を自律的に作ることを しないというけども、おそらく、ノウハウも知識もない経営者が 楽をしようと思ったら、それが一番合理的なのだろう。 いずれにせよ、いろいろ業界の内幕話が出ていて、面白い。  最近私は書評や広告で気になった本をインターネットで注文するように していて、金太郎飴書店にはほとんど雑誌しか買いに入らない。 イギリスでは、本を売る店とマガジンを売る店は分かれていたような 気がする。  夜道を、CD-RWの重い袋を下げてとぼとぼと歩いて帰る。 4月10日の長野マラソンで走るのは恐らく無理だなと思った。 2001.3.21.  アルコールを抜いて仕事に専念して10日間くらいになるか。 次第に気分が高校生の時のようになってきた。  私の高校は、東横線で渋谷から10分くらいの駅から歩いて 15分くらいのところにあった。美しい校舎で、素晴らしい仲間が いた。  大学に入った時、知的レベルが落ちたと感じた。  和仁陽という男がいて、今は東大法学部の助教授をしているが、 その年の共通一次試験で全国一位をとった。いろんな意味で忘れられない 人物である。  和仁とは高校2、3年が同じクラスで、彼との思い出を書いていると 短編小説になりそうである。  ある時、受験が迫ってきた時期、ホームで彼が一人で読書していた。 見ると、エリザベス女王か誰かの伝記の原書だった。なぜここで そんなものを読んでいるのかと聞くと、この時間以外に魂の自由が 得られる時がないのだと答えた。彼の卒業文集の文章は、 「ラテン民族における栄光の概念について」というタイトルだった。  一度、彼と体育の授業で腕を組まされて、くすぐったくて笑いが 止まらず困ったことがある。「なんでそんなに笑うのですか」と 真面目に聞くので、ますます当惑した。  あの頃、私は、女が月に向かって手を挙げているような絵ばかり 書いていた。私の「月の時代」である。 2001.3.22.  ちょっと中休みで飲む。  クオリアを通して純粋に世界を観照している気分になれることは確か である。  しかし、morning afterで目覚めた時の身体の緊張感がやはり違う。  ふたたびタリバンになることにしよう。  ふと、自分の目の前にいる人間、ものが、この上なく形而上的な ものに見える瞬間がある。  ペンローズを読んで、プラトン的とは数学的ということだとしばらく 思っていたが、プラトンの原義は、より広く、およそ人間が思い付く 観念(倫理、美、あるいは醜悪なもの)は全て本来プラトン的世界 に所属するということらしい。  その方が正しいと思う。みみずがのたくる感じもプラトン的だし、 毒蝮三太夫のキャラクターもプラトン的であり、のみ屋の親父の 生え際もプラトン的である。我々は、プラトン的なものに囲まれて 暮らしている。  以前、八幡のスペースワールドで仮面ライダー展をやっていて、 歴代の等身大のフィギュアが間接照明で照らし出されていたのを 見て衝撃を受けた。 サブカルが 突然ルーブル所蔵の古代ギリシャの彫像のような形而上的なものに トランスフォームした。  プラスティックに塗色すれば、大理石のような質感も出る。しかし、 大理石の方をありがたがる性向は根強くある。    結論。今、現に自分の前にあるものを掴むしかない。プラトン的な ものはそこにある。写生とは、そのようなことではなかったか。   2001.3.23.  深夜、帰宅時、緑地管理事務所の脇を通っていて、 フェンスの向こうに黒いジャンパーを着た若者が何人か見えた。 一人はしゃがんで、ライターで地面の上の何かに火をつけている ように見えた。  たき火を囲んで、語り合おうとしているのか。  そんな思念が2、3秒続いて、こちらに背中を向けて佇んでいる その様子があまりにも静かで、おやっと思ったのがまた2、3秒。  若者達は、フェンスの中の木立だということに気が付いた。  背がちょうど大人の人間くらいの、円錐形に刈り込まれた針葉樹が 柔らかい暗闇の中に立ち並んでいる。間接照明が暖かくそれらを 赫し出していて、たき火と同じ志向性をもたらしたのだろう。  それだけのことだったのだが、心はあやしくさざめいた。たき火を している若者達が、とてもリアルな存在に思えた。  道路の上の橋を渡っている時、暗闇のそこここに静かに佇んでいる 人たちがいるように感じられ、私の志向性が生み出したそれらの 感触に、しばし私は浸っていた。  2001.3.23.  断想  タリバンに危機が。昨日羽尻から電話があって新宿に呼び出されて 講談社の小沢久さんと千葉大の塩谷賢ともども飲んだと思ったら、今 度は今日の夜は東大の池上高志研の送別会だという召集令状が。脳と クオリアは難所の5章の改訂に差し掛かっていて、しかし飲み会もむ げに断れず。困った。    公園の階段で転ぶおじさん。なぜか笑いながら転んでいた。正確に 言えば、転んでから笑ったのだろうけど、笑いながら転んだように 見えた。周りを見渡したときには、もう笑い顔が消えていた。  明日の朝日カルチャーセンターの松岡正剛さんとの対談に備えて、 日本流を読み返そうとリュックに入れたつもりが、なぜかヴィットゲン シュタイン全集が入っていた。仕方がないので「誰が本を殺すのか」 を読みながら来た。  CSLに来たら、野村進さんの「脳を知りたい!」が届いていた。 2001.3.25.  曇った穏やかな朝、家の周りを散歩していたら、同じ人に3度あった。  以前は水路だったのが暗渠になっている細い道に入ろうとしたら、 トレーナーを来た端正な顔の初老の人が腕組みをして立っていた。  まるで、潮目を読んでいる漁師のようだなと思いながら、学校の 横の道を歩いた。  数分後帰って来たら、同じ人が、同じ格好で同じ方向を見て立っていた。  少し足を動かすだけで、確固とした志向性をもってある方向を 見ている。  不思議だなと思いながら、暗渠の道をぐるりと周り込んで、家の裏 の道に出ると、白い車が通り過ぎ、同じ人が運転していた。  助手席には、奥さんとおぼしき人。  最後に腕組みをしているのを見てから、1分と経っていなかった。  まるで、そのおじさんが現実の肉体を持った人間ではなく、そこかしこ に出現する空気の屈折現象であるかのように感じた。  合理的な説明をしようとしたら、その人は奥さんが車で来るのを 待っていて、運転するのを交代したということになろうか。  昨日は、新宿の朝日カルチャーセンターで松岡正剛さんと対談。 70名がキャパの部屋に85名入る。日本文化論における「語り得ぬ もの」と心脳問題の関係などについて言葉をかわす。  質問の際、随分詳細な知識に裏付けられた本質的なことを言う 人がいて、途中で「日本人と脳」の書名が出て来たので、松岡さんが あれ角田さんじゃないとささやいた。  終了後、声をかけて来られて、やはり角田忠信さんだと分かった。  打ち上げの際、「100年の孤独」をはじめて飲み、何だかとても うまいと思った。松岡正剛事務所の方が4名、編集工学研究所の スタッフが十名近く来ていて、いやこれだけの人たちを養うのは 大変だ、脳科学ではせいぜい自分一人だけですと言うと、隣に 座っていた西洋の芸術家、作家の自筆ものを扱っている高野さんが、 私も同じですと言った。  朝日カルチャーの「心と脳の関係を求めて」のシリーズはこれで 終わり。次にもしやるとしたら、あまり自分が今まで考えていない 問題についてやりたい、例えば生命倫理の問題とか、そういうことに ついて考えてみたいですと担当の長澤さんに。  広島の地震のニュースを聞いて思い出したのが、尾道の町並だった。 東京物語にも出て来たあの景観を、私は3度通って心に染み付けてきた。 2001.3.26.  ケーブルテレビ会社の人が、「点検」に来る。  ケーブルに加入していないところも、集合住宅全体で地上波、NHKの BSを流しているので、時折どれくらい強い信号が来ているか「点検」 するのだという。  しかし、半年前に来た時もそうだったが、仕事ぶりがのんびりしている。 「どんなCDがお好きですか」とか、「競馬はお好きですか」とか、 どうみてもケーブルの信号の強さとは関係のない話ばかりする。  ははあと思い、ケーブルテレビに加入するのは簡単なのですかと尋ねた。  それからも要領を得ない。要領を得ないのが新種のセールストークなのか、 しかしNHKの受信料をケーブルテレビ会社を通して払うと安くなります などと強調するのは普通のセールストークと変わらない。 Discover Channelは見たいが、WowWow は見たくないので、ベーシックセット月3800円のにした。  セットトップボックスを設置に来た人は一転して寡黙な人で、ほっと する。  午後6時、ケーブルテレビ開通。  これで地上波はますます見なくなるなと思った。    英語音声でCartoon Networkを流していると、まるでアメリカに 旅行に行っているような気がする。もっと早くやっておけば良かった。  最近、もっと早くやっておけば良かったというようなことが多くて、 人生においてもドッグ・イヤーというのはあるのだなと思う。より 正確に言えば、あることをすることで一気に風景が変わる。だったら、 もっと早く窓を開けておけば良かったということだろうか。Qualia and the Brainの英語版の件と、プロセス・アイは「もっと早くやって おけば」の最たるものなので、どちらも怒濤の寄りで完成を誓う。 2001.3.27.  使っているノートブックコンピュータ(iBook)の右側のふちがときどき 気になる。  CD-ROM / DVD-ROMのスロットがあるのだが、まるで、ケーシングの プラスティックが緩くなってガタガタしているかのように一瞬錯覚を 覚えるのだ。  その錯覚が、iBookという私の延長された身体感覚の取り返しのつかない 喪失のように思えて、どきりとする。  自分の歯が、ぐらぐらし始めた時の喪失感と似ている。  実際には、出入りするパーツはある程度遊びを持って作られている というだけのことだが。  今は大阪大学医学部の博士課程にいる田谷文彦君とOxfordにPenroseを 訪ねた時、レンタカーを駐車場の金属の杭にぶつけて、フロントバンパー を壊してしまったことがある。思いもよらないところに杭があったから、 もっと注意をすれば良かったなどと言いながら郊外のThree Treesという パブに向かっている時、自分が思ったよりバランスを崩しているのを 感じて驚いた。しばらく考えて、ああ、車の破損を、まるで自分の身体 の一部の取り返しのつかない破損のように感じているんだ、それで バランスを崩しているんだ、そのように気が付いた。  空港で車を返す時に、250ポンド免責だけお金を払った。実損は それだけだったのだが、身体の喪失感が残った。  あれ以来、身体の喪失感というメタファーが時々気になる。事故や 事件でトラウマを負った人の精神状態を想像してみる。 2001.3.28.  今年の桜は、気が付くともう満開に近くなっていて、人々は 不意打ちを喰らって酔っぱらう暇がないようだ。  あれ、もうこんなに、とまるで奇跡でも見るかのような気分で、 静かに花のアーチの下を歩いた。  身体が感じる空気の暖かさは、そういえば、すでに桜が咲く頃の ものだったような気がする。  しかし、カレンダーの数字で季節感を測ることになれてしまった 現代人は、なかなか皮膚を信用しようとしない。  時々行くガストは、トイレのドアの表示がGENTLEMEとなったまま、 もう1年近くなる。眼鏡をかけた、髪の毛がふさふさの志村けんの ウェイターがいて、騒ぐ高校生たちに悲し気な表情でサービスして いる。今日は見ないなと思ったら、とても良く似た顔の若者がウェイター をしている。  ガストに家族経営などというものがあるのだろうか。  となりのテーブルの女子高生が手帳をめくっていて、そこから目が 離せなくなった。  ページからページへと、プリクラが隙間なく張り詰められている。 ラメ星や、全身ポーズ、2人、3人、様々なタイプのシールが、1ページ に20枚ほど、それが何ページも続いている。  映っている人の数は、ページ当りのべ40人として、あの手帳全部で 数百人から千人になるのだろうか。  どんなものも、徹すると芸術になるのだな。  その女子高生がゲームセンターで費やした時間の積み重ねを思って、 私は青春とはあんなものだったのかもしれないと自分の高校時代を 思い起こした。  まだ花は咲かないと思っているうちに、実は満開になっていて、 その花々を楽しむことに気が付く前に、散ってしまう。  そんなことがあるような気がする。  花が咲いたことに気が付くためにも、人は、皮膚感覚において敏感 である方が良い。 2001.3.29.  Sony 11号館で開かれた幼児開発協会(EDA)の年次研究報告会 で喋る。  EDAは井深さんが作られた財団法人で、幼児教育の実践と研究を している。  最近、人前で喋るのは、サッカーの試合をするのに似ているなと 思う。  喋りながら、次に何を喋るか、会場の人はどんな顔をしているか、 時間はどれくらい経っているか、いろんなことに気を配らなくては ならない。  理事長の多湖輝さんの「頭の体操」ネタを途中で仕込んであったので、 その少し前にちらりと表情を見る。  せいぜい多湖さんの顔を見るのが精一杯で、その回りの人の顔まで きちんと見渡すことができない。  講演の中田がいたら、いろいろな状況情報をきちんととらえて、自分の 話に反映できるようになるのだろうか。  安部英が無罪になったことについては、構成要件に該当しなかった というのだから仕方がないが、法律家、特に日本の法律家のメンタリティー については一言言いたいことがある。  法律というのは、人間が作った、恣意的なものであることを忘れるな。  法律家というのは、法というリジッドなものがあたかもあるような 顔をして、論理的に厳密な判断をしているようなふりをしているだけ であることを忘れるな。  common lawに法源を認める英米のやり方の方が、実定法という虚構を 墨守する日本のやり方より、よほど人間の本性に合っている。もちろん、 適当に法を摘要しろと言っているのではない。厳密さという虚構を 信じているような「顔をする」のはいいけど、そんなこと本気で信じるなよ ということである。  安部が悪いということは、明らかなことじゃないのか。有罪、無罪は、 あくまでも虚構の世界の話だ。  それにしても、法律家という職業は、ごくろうさまである。あれほど、 頭の健康に悪い職業も珍しい。長年やっていると、 もともと利口な人も馬鹿になる。 日経に東大法学部をアメリカに持って行けという話が乗っていたが、 案外いいアイデアかもしれない。   2001.3.29. クローズアップ現代で Steve Jobsのインタビューをやっていて、 改めてApple Computer、Steve Jobsが Computingの世界にいたことの幸せを噛み締めた。 Mac OS Xの登場で、Apple Platformは テクノロジー重視の人たちからも再び支持を集めつつある。 美的センスを重視する人たちの間では、もともとAppleは 唯一の選択肢だ。 眼鏡をかけたカエル顔の猿真似ごりおしビジネスマンに 率いられたM社のOSとは全く違うExperienceを提供してきた。 Jobsという、強いVisionを持った男に率いられたチームが つくるAppleの製品がなかったら、私の中で、 Personal Computingのイメージは随分変わっていただろう。 Insanely Greatという本があり、創業期のAppleのことが書かれている。 時々読み返すと、様々なインスピレーションが湧いてくる。 2001.3.30.  amazon U.K.のサイトで、  私は次々とクリックを続けた。抑制がとれてしまったかのように。    最近のテーマの一つは、「やるべきことはなるべく早くやる」という ことである。窓を開けないと景色が見えない。景色を見ておくことで、 その後の人生の展開が変わる。  で、私の好きなBritish ComedyがDVDになるのを待っているのは愚だ ということに気が付いた。ネットで調べたら、PALを含む世界のあらゆる ビデオ規格に対応しているサムスンのワールドビデオが4万9800円で 買えるではないか。  私は、さっそくコジマネットに入会して、ワールドビデオを購入。  パンドラの箱が開いた。これで、PALが見られるようになってしまっ たのだ。  それで、amazon U.K.でのクリックの嵐が始まる。今回は、Steve CooganとThe Fast Showだけにとどめておいた。それでも全部で 10タイトルは買った。約120ポンド。2万円くらいの御買い物。 ネットで買い物をすることの意義は、選択の幅が一気に広がる ということだと最近気が付いた。まさに、世界とつながっている。 私個人にとって、ワールドビデオ購入が象徴していることは、 案外大きなものかもしれない。  朝日新聞に、数年前の早稲田の講演会で森バカロウが「朝鮮半島 から来た労働者は軍事教練を受けているから武装ほう起しやすい」 と発言して、学生から「ナンセンス!」と野次られていたという 記事が。この人の脳は少なくともその頃には 劣化していたらしい。コンピュータ 上のデジタルデータならば、ゴミ箱にドラッグしていけば済む 話なのだが。もう森バカロウの話をするのも飽きたが、フィジカル なスペースよりも自由で広がりのある世界がインターネット上にあって、 工夫次第で幾らでも窓を開け、風景を変えることができる ということにもっと我々は気が付かなくては。  なじみの世界の中でネットサーフィンしていても仕方がない。 2001.3.31.  寒くなった朝、目覚めて、熱い缶コーヒーを買いに行こうと思ったら、 ズボンが見つからないので、上はサーモンピンクのテンセル、下は 紫のトレーナーで出かけようとして、鏡を見てはっと気が付いた。  これでは、志茂田景樹になってしまう。    あるコンビネーションが、とんでもないappearanceになる。いちご 大福ならばいいが、カレーアイスはまずい。  でも、土曜の朝だからまあいいか、誰もいないかな。  しばらく考えて、私はテンセルの上にトレーナーの上を羽織って 外に出た。    缶コーヒーを飲みながら朝日新聞を読みながらメイルチェックして ネスケを立ち上げた。  私は、社会面から読んで行く。最終社会面から一枚めくって第三 社会面に移った時、おやっと思った。  シュワルツネガーがUSJのopeningに来て両手を挙げている 記事、これ、確かたった今ちらりと見たはずだ。  おかしい、最終社会面にあったのかと思って1枚戻って確認するが、 どこにもない。  雑誌の記事の広告だったかと下を見るが、何もない。  これは、俺は少し未来のことが予視できるようになったか と思って数秒考えると、何のことはない、ネスケがasahi.comを 出していて、そこにシュワルツネガーの同じ写真があった。  昨日、今日と本郷の山上会館で養老シンポジウム。今朝は8時には家を 出る。昨日は、オサムシと鯨の分子進化の話をじっくり聞けて、 この手の話が何を示せて、何を示せないのか整理でき、とても 有意義だった。進化の第一原因の解明は、分子系統図とは 全く別の手法でやらなくてはならないということが納得。表現型に 対して中立な、ようするに「どうでもいい」遺伝子だからこそ、 分子時計になる。重要な遺伝子の変異は、時計として使えない。 当たり前のことだが、その当たり前が良く納得できた。  今日はもっと第一原因に近い話になるらしい。 2001.4.1.  郡司さんは、「アリバイ」として使われてしまうこともあるのだな。  それが、養老シンポジウム第2日目を終えた私の感想だった。  私たちの中には、明晰さ、明解さを尊ぶ傾向があると同時に、ある 種の難解さ、晦渋さに対する希求の心もある。もちろん、それが 内容のない空砲である場合はとるに足らないが、難解で晦渋な 言葉が、郡司ペギオ幸夫さんのように何かを掴んでいると感じられる 人から発せられると、それを「一つの芸」として受け入れ、珍重 することがある。  しかし、その場合、自分自身がその芸を身につけようとはしない。 自分たちは、相変わらず、明晰さ、明解さの中に議論を積み重ねる。 それが、ある意味では必要なことだし、多くの場合唯一の道である ことを知っているからである。一方で、難解さ、晦渋さのスパイスが ないのは、何となく寂しい。そこで、郡司さんのような人が、「アリバイ」 に使われてしまう、そんな回路があるような気がする。  私は、郡司さんととても仲がいいし、彼が何かを見ていることは 確かだと思う。しかし、彼の言っていることが判らない時は判らない と言う。判らないから、ありがたがるということはない。このあたりの 呼吸が微妙なところで、もし彼をアリバイとして使ってしまったら、 私が堕落するし、郡司さんにとっても良くないと思う。  これは、郡司さん自身の問題というより、周囲の問題である。  進化がテーマの討論会だったが、私には、郡司さんが常に問題する、 選択の恣意性がどのようにspecificに進化の問題に絡んでくるのか、 納得がいかなかった。それで、最後にその問題を提起した。 郡司さんのは、選択といってもchoiceの方でselectionの方ではないのでは ないかと。郡司さんの問題にしていることが、我々の認識プロセス の根幹、言語の意味の根幹に関わることだということはよくわかるが、 しかし、その問題意識が、進化というspecificな問題に具体的にどう 関与してくるのかは全く私にとっては自明ではない、むしろ、 conventionalな世界観をとりあえずは前提にした上で、Hox 遺伝子や、 mRNAや、転写酵素、細胞膜上の糖鎖、そのようなdetailを積み重ねて いくことでしか進化の問題は解けないのではないか、そのように言った。  それで議論が始まって、金森修さんとか、松野孝一郎さんとかが 参戦して、盛り上がったところで時間切れになってしまった。    終了後、金森さん、松野さん、郡司さん、竹内薫、それに田谷君 と本郷三丁目のさくら水産で飲む。ここは、 昔は村さ来だったような気がする。金森さんは酒豪で、フランス仕込みの ジョークを披瀝して、いい感じだった。今後いろいろお話 するのが愉しみである。  郡司さん、進化の問題にもし関わるとしたら、よほど戦略を うまくたてないと、判らないことになるね。  そう、私は自戒をこめて言ったような気がする。  松野さんが、「茂木さんは、クオリアで、随分危ないところを 歩いている」と言ったのははっきり覚えている。  皆、危ないところを歩いている。人間はいつ死ぬか判らない。 あやうい。生命というのはフラジャイルなもの。   と一般化するのはアリバイを求めるようで良くないと思う。 2001.4.2.  角川書店から、養老孟司さんとの対談本を出す件で、鎌倉の 御自宅に伺う。  タクシーは最後まで入れずに、寺の墓所の所までいって、判らなくなって 電話したその横の家がそうだった。    何となく気恥ずかしいが、MDを取り出してぼそぼそと話しはじめる。 窓の外に栗鼠が来て、「ああ、あれは餌をねだっているのですよ。」 と立ち上がってテーブルの上にナッツを置くと、加えてすぐ消えた。  森に桜が咲いている。  同一性の問題について、随分きちんと語って下さって、第一回目として は大成功だったのではないか。  それと同時に、ある種の対立軸のようなものも見えて来た。  それは、物理主義とか、ダーウィニズムのようなものに対する 養老さんの態度で、ここのところが一番面白いし、議論すべき点が 多いように思う。  心から尊敬している方だし、いろいろやりにくいところがあるのだけど も、ある程度「対立」あるいはもっと正確な言い方をすれば、 対位法的なやり方をしないと、読む側は面白くない。  今日問題として浮上してきた、物理主義とかダーウィニズムのような 世界を一見覆い尽くしそうな知的把握の仕方に対する態度について、 もう少し詰めていきたいと思う。    養老さんがリスに餌をやったのが何となくうらやましかったので、 家に帰ってきて、本当にひさしぶりにハムスターを触った。 ハムスターも何か感じたのか、素直に私の掌の中で 鼻をひくひくさせていた。 2001.4.3.  桜の花びらが遠くから風に乗って迷い込んできそうな 街角を歩いていたら、道路の端に黒い箱が重ねてあった。  視野の端の方で箱をとらえているうちにそれらがノートブック ・コンピュータだということが分かった。さらに2、3歩歩いている うちに、どうやら売っているらしいと気が付いた。  おや。道ばたでノートブックコンピュータを、しかもむき出しで売って いるというのは見たことがないな。   そう思って、立ち止まり、振り向くと、ねずみ色のコートを着た おじさんが熱心に見ている。その横で、学生風の男がビニル袋 を下げて立っている。停車中のバンからおじさんが出て来て、学生 風の男とお金のやりとりをして、そして学生風はビニル袋を下げて 去っていった。  そのビニル袋がやたらに重そうだ。  へーっと思い、近付いて見ると、IBMのThink Padや富士通の dynabookの型落ち品が置いてある。値札が紙で張り付けてあって、 10000円とか15000円などとなっている。  学生風の男に続いて、ねずみ色のコートのおじさんも真剣に 購入を考えているらしい。  こんなところでパソコンを買うのもなと思って、道の上に置かれた Think Padを見ると、立ち上がって画面にエクセルか何かが表示されている。 なるほど、動いていますという証拠かと思って、何となく満足して また歩き始めた。  空港のセキュリティ・チェックと同じで、あの状況では、確かに 電源を入れて立ち上げて、ほら、この通りとやらないと社会的に通用しない。  晴れた春の昼下がりに特有のほこりだらけだったような気がする 黒い箱の山を思い起こしながら、私はそんなことを思った。 2001.4.4.  歴史教科書に関しては、私は論争の過程そのものを 子供に見せてしまえばよいという立場である。ある確固とした 歴史的事実があり、それを暗記させるというような歴史教育は ナンセンスである。そのようなことを考えるから、どのような 歴史的「事実」を暗記させるかについて論争が起る。小林秀雄 も強調しているように、歴史は本来「鏡」であり、歴史を 見る側の主観性が投影されるものである。人によって主観的 立場が異なる以上、論争をしてその過程自体から何かを学ばせる しかない。  かって、自由主義史観の本が出始めた時、沖縄のひめゆりの史跡に いって、現場にいて実際に体験した人の言葉は、書斎にいる知識人 や漫画家の言葉よりもよほど到達力がある、そんなことを思った ことがある。工業製品のジュースとマナウスの市場の絞り立てジュース くらいキック力が違うのである。  私に興味があるのは、どちらかというとこれからどうなるかという ことで、過去の日本を追うより、未来において日本がどうなって いくかに関心がある。インターネット上に巨大な百科事典が ある時代に、役人がああでもないこうでもないと言って 作らせたぺらぺらの紙のかたまりに果たしてどれほどの意義が あるのか、事大主義の向こうには硬直がある。それよりも、日本語 で流通している情報と英語、中国語、韓国語で流通している情報に おそらくかなりの差があるだろう、それが今日における国境 を定義しているのではないか、だとしたら良い翻訳プラグインが できたらどうなるかというような話をした方がよほど有意義である。  春にしてグローバルヴィリッジの上を飛ぶかう電気の信号を思う。 2001.4.5.  夕刻思い付いて、第二国立劇場に「ラインの黄金」を見にいった。  友人の塩谷賢夫妻が行くと言うので。  Keith Warnerの演出は、  新聞のレビューには賛否両論とあったが、私は全面的に支持である。  「美しい悪夢」  箱の中に入れられた現実が、巨大なWALHALLの文字と同じ イデア界の住人であることが明らかになる。  そのあたりを刺激されて、終わった時、私は形而上学的な思考を 積み重ねたピラミッドの上に座っている気がした。  ジークフリートが後に振るうことになる「ノートゥング」が 最初から世界の原罪的犯罪に関与するなど、幾つかロジカルな分析を 許す工夫もあったが、私の脳は それよりも曰く言いがたい抽象的レベルでの 積み木の組み方に反応した。  アンア・ミラーズに座って、店内の雰囲気が気分と不調和で、 失敗したなと思ったが、オーダーをすると、池田清彦さんと 金森修さんの対談本の表紙をとって、その裏に幾つか感想をメモした。 途中田谷君から電話があって、迎えにいって帰ってくると、塩谷 夫妻の前にビールが並んでいた。  塩谷に、おれはやはり演出家か作曲家の立場から舞台を見る。 君は歌手とかだね。これ、養老さんと話した、世界をおおい尽くすグランド セオリーと生命原理の関係につながるねと。  今日の二国で気になった観客がいた。私の二つ右にいて、私が 座る時、ぐっと私の顔を見た。横目で見ると、派手な水色のドレス を着て、つば広の帽子を被っている。水商売の人がパトロンと来ている のかなと思った。終わって、その人が一人でのめり込むように前列に 出てきて、拍手をし始めたのを見て驚いた。  男だ。  ワグナーはこのような人を引き付けるところがあるらしく、ロンドンで 「ニーベルングの指輪」のハリー・クプファー演出の映画をやった時にも、 明らかにそれと判る骨太の女性が来ていて驚いたことがある。「彼女」は、 会場に来ている「本物」の女性よりもよほどエレガントだった。 「彼女」のような 観客の存在が、ワグナーが指輪の中で描こうとした権力と 愛のドラマとどこか微妙なところで重なるような気がした。  東京で、私は「彼女」に再会した。のめり込むように拍手しながら、 夢遊病者のように周囲をくるくると見回す彼女は、ロンドンの彼女に 比べるとエレガンスに欠けていたが、素朴な感情の表出があって、 それが私の心を打った。 2001.4.6. alternativeの思想    一打席一打席をどきどきして見る。  勝つか負けるか。心配で興奮する。  こんな体験は、王貞治、先代の貴の花以来である。    イチローが敬遠されたり、野茂がNo Noをやったり。  日本のプロ野球が、本当にどうでもいいものになり下がりつつ ある時代の気分を目の当たりにして、ああ、そうかと思ったことがある。  alternativeの思想ということが、初めて腑に落ちたように思う。  自民党にしろ、文部省にしろ、ある腐った組織を前にして、 その組織を変えるために、批判をするのは多くの場合無駄である。  「他の選択肢」(alternative)を立ち上げてしまって、 その組織以外のルートを通って(バイパスして)しまった方が良い。 バイパスする流れが太いものになった時、腐った組織は慌てる。 慌てて自己変革するか、あるいは淘汰されてバイパスの方が 主流になるか。生物はまさにそのように進化してきたわけだが、 人間の社会の組織も、そのようにして進化していくのではないか。  余計なお世話の文部省。外から見ていると、「プロクルステスのベッド」 にしか見えない。 (ギリシャ神話のプロクルステスは、旅人をベッドの寸法に合わせ、 より長身であれば足を切り、より短身であると引き延ばしたという。 古来、プロクルステスのベッドは 他人や物を不自然な枠に杓子定規に押し込むことをいうようになった。)  いくら批判しても聞く耳持たないようなら、 文部省が検定している教科書、がんじがらめの設置基準で 規制している学校を、バイパスしてしまえば良い。アメリカの 大学の日本校は、日本の大学として認められないのはもちろん、 アメリカの大学としてさえ認められないということである。 日本の大学への編入や、単位変換ができない。 アメリカの大学の日本校は、文部省から見れば、「存在しない。」 しかし、卒業生の能力が高いので、採用する企業が増えている。 ならば、ここにバイパスがあるわけで、極端な話、18歳までアメリカン ・スクールやフリースクールで学んで、日本校に入れば、 文部省よサヨナラ、勝手にごちゃごちゃ言っていてください ということになる。  アメリカ人やイギリス人がしきりにalternativeということを 言うのは、こういうことなのである。  NTTがひどい。ならば、他の回線を引いて、安価な大容量 インターネットを実現してしまえばよい。NTTを批判するよりも、 Alternativeな回線を実現してしまう方が効率的である。これは 分かりやすい例だが、実は、政治、経済、教育、様々な領域で、 同じことが言える。これが、alternativeの思想だろう。 アメリカの大リーグの試合を見られるのも、技術の進歩による。 ブロードバンドのインターネットを、alternativeを顕在化する 技術として見れないか。MITは、将来その全ての授業を ネット上で無料公開するための準備をはじめたそうである。 10年後の風景は恐らく全く変わっているのであって、 その時恐竜たちが滅びるか、ほ乳類に進化するかはそれこそ 「勝手にやってください」ということになるのだろう。 2001.4.9.  夕刻のスーパーで、山形牛2切れ500円というパックをバスケットの 中に入れ、会計を済ませて手にとった時、ふと、赤肉の中に入った 脂肪と神経の白い筋のパターンが目に入った。  所々、太い流れがあって、細い流れに分岐している。  ああ、この特定のパターンができることは、恐らく歴史上二度と ないだろうな  そう思って初めて、私の心の中で、殺されてしまった牛の存在が かけがえないのないもの、この上なく大切なもののように思えて来た。  世界の構造の細部にあまり心を捕われること、そこに沈潜してしまう ことは、どこかで、「生きる」ということを裏切っているところがある。 生きるためには、その奥を突き詰めていけば深い世界が広がっている ものを、とりあえずトークンに押し込めておいて、それで 処理していかなければならないことがあるからだ。  奥をつきつめていくという運動も、時間の中で行われている。 時間という有限のリソースをそのような運動に使うことによって、 人は「生」から離れる。  肉切れを見て私の心の中に訪れた幽かな運動は、タナトスであった。 2001.4.9.  竹内薫が、ミステリーの会話の部分はVia Voiceで書いている、 自分が良く使う単語は、書いたテクストを食わせて学習させれば 良いと言っていたので、私も試してみようと思った。  Via Voice ミレニアムをインストールして、30分くらいコンピュータの 示す文章を読み上げた。    鯉沼さんという編集者の方にお世話になっているS新書の原稿が なかなか進まないので、Via Voiceで入れてみた。誤変換ももちろん あるが、パンフレットに書いてあるように、大体キーボードから 打つのに比べて2倍の速度で入力できるようだ。 まず入れておいて、それから修正する。これでも、1.5倍くらいは 行くのではないか。 S新書については、中坊さんも書いている注目の新書だし、 せっかくの機会だからと、方針を少し変更して、 脳科学を体系的に説明するというのではなく、もっとも「旬」の、 誰でも興味が引くような話題を並べることにしたいと思う。 何回か一般向けに喋って、どのような話題が人の心を掴み、 しかも人間とは何かということについて深い洞察に導くか、 体験的に判ってきた。 自分ももちろん書いたことがないし、今までどこの誰も 書いたことのないようなテーストの原稿にしたい。 Via Voiceによってinput することで、文章の内容自体も変わるか。 鯉沼さんはこれを読んで慌てているかもしれない。 2001.4.10.  国難だとか言いながら、金分配システムの「結束」のために ポマードの人を総裁候補にきめる。  何がなんだか判らないなと、うんざりしていた。  今朝の新聞の見出しを見て、ああ、小泉という人は、言葉の 使い方のセンスのある人だなと思った。  後出しジャンケンのように、派閥選挙は止めましょうと言うのは 簡単だが、最初に言うのは勇気がいる。というよりも、センスが いる。  例え、それが選挙を自分に有利にすすめるためであっても、 政治というものはもともとロゴスで動いていくべきものだから、 言葉をタイミングよく発信する能力は「アリ」である。  相変わらず自民党に投票する気は毛頭ないが、小泉という人に 次の総選挙までは首相をやらしてみたいと思う。  もし、言葉で勝負しないとしたら、何で勝負するか。金とか、 腹芸とか、どう喝とか、そういうことになる。自民党のトップ のお歴々を見ていると、どちらかと言えばこっちの方で上に 上がってきたようなのばかりが雁首を並べている。その中で 異色の小泉氏がどうやって上に上がって来たのか、実はこの人も 金集めや腹芸が得意なのか、そこのところは判らないが、少なくとも 表面に出る小泉さんのイメージはロゴスの人である。  政治家がプライベートで何をしているかは知らない。表だけでも キレイにしてくれればいい。腸を開いてみせてはいこの通りというのは もう沢山だ。  しかし、ライオンが勝てるか。あんがいポマードに滑って転んでしまうか。 何だか、自民党のことを書いたら心が濁ったので、 昔イギリスで書いた日記の一部をここに載せたくなった。 隔世の感がある。 (原文のまま。1996年2月17日) I went to Trinity dinner yesternight, with Srimant (Indian) and Jason (Australian). I have found out that Jason is attached, for the last 6 years. His girlfriend lives in Wales. He met his girlfriend in Australia. So both of them migrated into England. I envy them. I told Jason that I have seen the most elegantly dressed girl around noon near Jesus Green. The girl had long skirt, made of a loose cloth with some colorful decorations, and a black jacket, wavy brown hair, and almost rectangular-shaped hat. As soon as I begun this description, Jason's eyes seemed to shine. Jason "I know that lady, Ken" Ken "What do you mean?" Jason "It is Suzanne Hurtley" Ken ".......Who is she?" Jason "She is on the first floor of Craik Marshall builiding" (Ken is in the Craik Marshall building) Ken "What?" Jason "She is studying developmental pychology. How old did you think she is when you saw her?" Ken "well, I guessed....that...she was in the early 20's" Jason "She is 42, and has two children" Ken "What?! Jason, Are you sure we are talking about the same person?" Jason "Yes, I am sure. As soon as you begun to describe her, I knew it was Suzanne" Ken "Where is she from?" Jason "She is from Canada, and she is now fighting over custody of her two children with her ex-husband......" So this was the kind of conversation we had at Trinity dinner. 2001.4.11.  夕暮れの街、私たちは数人で駅前の道を渡っていた。  赤信号で、横断歩道の前で立ち止まった。  私の視野の左側に、ダークブラウンのジャケットを着たロンゲの 若者が立っていた。耳にはイヤホンをしていて、手にちらしを持っている。 よくこのあたりにいる、747というカラオケの勧誘をするのだろう。     道路の向こう側から、短髪の若者が走って来た。  車が驚いて止まり、若者はバンパーを手で押さえるようにして、 ためらいもなく駆けてくる。  自信に満ちた信号無視。  短髪の若者が、ロンゲの若者に話し掛ける。  「どうも」  「ああ」  「○○に聞いたんですけど、おれんとこ、汚いから他の所にしよう って言ったんですって」  「ちがう、ちがう。おれはしらない」  「ぶっちゃけていいっすよ。あそこはゴキブリが床を這っているから って、そう言ったでしょ」  「そんなこといわないって」  白いビニル袋から、緑色の焼酎の瓶をとりだして  「のみますか? かっぱらってきちゃったんですよ」  「いや、おれはいいよ」  ここで青になって、私たちは歩きはじめた。  短髪は遊んでいる。ロンゲの方は、昔遊んでいたけども、今は 仕事をして少し別の気分になっている。そんな感じが伝わってきた。  中学の同級生で、自分が火をつけて回っていたのに、後に消防士に なったと噂された男を思い出した。  今はどうしていることか。  日曜日、光が丘公園で、歌舞伎町の有名な「殴られ屋」の友人 と名乗る人が、本の宣伝だと言って無料で殴られていた。  それ自体珍奇な光景だったが、私の心に残った会話がある。    中学生くらいの男の子が、赤いトレーナーに身を包んで、 殴られ屋大丈夫かというくらいの勢いで襲い掛かっていた。 無料なのだから、もっと手加減すればいいのにと思うくらい、 野獣化して殴り掛かっていた。もっとも、殴られ屋はさすがに うまくかわしていたけれど。    「ああ、あいつは今に悪くなるよ。今から判る」  その様子を寝転がって眺めている、白いトレーナーに金の ブレスレットをした20過ぎくらいの男がいた。となりには、 ケバイ女が座っている。  「あいつは悪くなる」  自信に満ちた言葉だった。まるで、仲間を迎え入れるように。  そういう回路が確かにある。人間が社会的動物であるという ことから必然化される回路がある。時に、「悪」というものが 持つ独特の質感について考えるのだけども、まだよく判らない。 2001.4.11. 春にして・・・(断想)  今年はツマキチョウをまだ見ないなと思っていたら、東工大の すずかけ台キャンパスに大発生していた。  モンシロチョウより小振りで、前羽の先がつんと尖っていて、 オレンジ色に染まっている。  弱々しく飛ぶ。  春が来たと感じる。  そして少し悲しい。  ツマキチョウが出るのは、1年に一度、さくらの花が咲き散る 2週間くらいのことである。  「てんてん」で天どんを食べ、少し散歩する。  今は「森のピッコ」で仕事をしている。  3時から専攻会議があり、その後オリエンテーションに出なくては いけないので、バッテリの残りを気にしながら。  OfficeからPowerbook G4がやっと到着との知らせ。これで、 Mac OS Xを試してみる気になる。でも、このiBookも随分働いて くれた。少し計算量の多い操作になるとじっとりと遅くなるのも、 個性と思えば思えた。何よりも、表面の質感が好きだった。  私は、時計は金属のバンドが苦手だ。そう思っていたが、今朝、 電車の中で金属バンドをしている人を見て、ひょっとしたら 涼しくて気持ちいいかもしれないと。ちょうど、涼し気なチタニウムの Powerbook G4が来る。 2001.4.12.  昼間、すずかけ台キャンパスに舞うツマキチョウを見て、 春の粒子を取り入れて、  夕方から新入生のオリエンテーション、歓迎会に出て、 引き続き中村清彦研究室の人たちとお酒を飲んだ。  私の研究室に来た学生さん(小俣くん、柳川くん、長島くん)は 私が客員で部屋がないので、中村研に間借りすることになる。  そのかわりに、インターネット上に掲示板などのホスティングを 作ってあげた。  もちろん、CSLにくれば部屋がある。  すっかり暗くなったすずかけ台キャンパスの中を歩きながら、 ああ、昼間飛んでいたツマキチョウたちは今頃暗闇の中で 密やかに眠っている のだな、そう思った。ツマキチョウたちの「気分」を リアリティをもって感じる エキササイズをした。卵で生まれた。葉をむじゃむじゃと食べてきた。 秋になって、冬眠した。春になって、羽が形成され、空気に 触れてのびた。50週間を準備に 使って、最後の2週間、空気の中を舞っている。  五反田にいく必要があった。ソニー本社の石本さん、須澤さん、 富谷さんと飲む約束があったのだ。  飲みはじめた時にも、ツマキチョウの気分は残っていた。  しかし、議論しているうちに、BGMのヴォリュームは下がって いった。  再びそれが起ったのは、午前0時前。  やっと到着したPowerbook G4のboxを右手に、家路への暗闇を歩いて いる時、ふと、バッハのゴールドベルク協奏曲が流れてきた。ああ、 あの旋律は、人間が進化の過程で高みに到達して初めて生まれて来た のではなく、虫たちのからだのなかにも流れているのだな、そんな ことを思った。さくらが散る頃の2週間、空気を舞う準備をしている 時のツマキチョウの幼虫、さなぎの中の様々な反応の回路の中には、 ゴールドベルクVariationsと同型のものが必ずある。  反証も検証もない話だが、そう確信することが暗闇の中で眠っている ツマキチョウへの手向けのように。 2001.4.14.  日本の社会も、こうならないかな、そう思った。  Mac OS Xのようなmodern OSは、マルチタスキングがしっかり しているので、ある一つのapplicationがクラッシュしても、全体は 落ちない。  文部省のやることにいろいろ文句がある。大臣のやることにいろいろ 文句がある。今まで、そのような 批判をする時、私達はある種の圧迫感を感じていたように思う。 文部省や政治家がちゃんとしなければ、日本というシステムが 暴走するのではないか、そのような恐怖感があった。  もし、日本という社会のOSがしっかりとマルチタスキングがとれて いれば、そんなことはない。「文部省」というapplicationが誤動作していた ら、単純にquitしてしまえばよい。「文部省」window がデスクトップ から消えるだけのことで、日本というシステムは動き続ける。 ダメなアプリは、そっくりそのままゴミ箱へ。あとは勝手にどうぞ。 これが、社会のOSが高度化して可能になる。  どうやら、ブロードバンドのインターネット時代の鍵は、その類いの ことらしい。私は、最近そのように思いはじめた。  何となく学生運動にロマンティックな思い込みがあった。高校の 生徒会室から教員室の間にトンネルを掘ったとか、そのような伝説を 聞かされて、少しおくれてきてしまったのだなと思った。  しかし、どうも、次の革命の季節がきているように思う。  鍵は、やはり「alternative」ということで、もし文部省が 気に入らなければ、そのapplicationはquitしてしまって、他のタスクを 立ち上げる、そのようなことを可能にするのがブロードバンドのインター ネット時代ではないか。  もう、社会全体がフリーズするといった心配をする必要がない。  MITが全授業の無量配信を始める。Stanfordもやる。そんな時に、 規制でがんじがらめにした日本の大学が、果たしてどれくらいの 意義を持ち続けられるか? fairness(公正さ)は、社会がalternativeの回路を確保して、 マルチタスキングを実現する心理的装置である。金にあかせて選手を集め、 ドラフト制度を専横する巨人中心の日本のプロ野球がイチロー、シンジョー のメジャー入りとともに急速に陳腐化したのはなぜか? それは、日本の プロ野球が公正ではないからだ。22の時の成績でキャリアが決まる 役人の世界も公正ではない。「当選回数」とかいうわけのわからない 指標でポストが決まる政治家の世界も公正ではない。我々は、そのような 「日本の古いOS」にうんざりしていて、巨人はその一つの象徴に なりつつある。  巨人を中心とする日本のプロ野球をquitしても、それほど困らない。 それと同じような感覚で、文部省をquitしても、困らない。そのような ことを可能にする、人々に対するempowermentが今後数年で始まる。 2001.4.15.  文部科学省の知人から、メイルをもらった。  妙なもので、日記を書いている時には、抽象的な存在としての組織が あり、個人のことは忘れている。    省内のIT設備はいいものとはいえず、12時くらいまで 残業していることがやる気の明かしだという。見聞を広めようにも、 その暇がない。  そのような霞ヶ関からの便り を読んで、私は、Yes, Ministerのことを思い出した。  この、もはや古典と言われているBBCのコメディーは、Open Governmentを標榜して内務省に乗り込んできたMinister(Jim Hacker) とPermanent Secretary(Sir Humphrey, 日本風に言えば事務次官か、 ようするに官僚側のトップ) の間の暗闘をコミカルに描いたものだが、そこで描かれている官僚制 の属性は、日本とそれほどかわることがない。 「民間企業の成功は、どれくらい利益を上げたかで図られますが、 官僚の成功は、どれくらい予算をとったかで図られるのです。」 上は記憶に残っている台詞を訳したが、 ちょっと手許の資料をコピーすれば Sir Humphrey: "Politicians like to panic, they need activity. It is their substitute for achievement" Bernard Woolley: "Well, yes, Sir...it [open government] is the Minister's policy after all." Sir Arnold: "My dear boy, it is a contradiction in terms: you can be open or you can have government." Sir Humphrey: "The public doesn't know anything about wasting government money, we are the experts" Jim Hacker: "When you give your evidence to the Think Tank, are you going to support my view that the Civil Service is overmanned and feather-bedded, or not? Yes or no? Straight answer." Sir Humphrey: "Well Minister, if you ask me for a straight answer, then I shall say that, as far as we can see, looking at it by and large, taking one thing with another in terms of the average of departments, then in the final analysis it is probably true to say, that at the end of the day, in general terms, you would probably find that, not to put too fine a point on it, there probably wasn't very much in it one way or the other. As far as one can see, at this stage." 最後のは、イギリスにも「官僚答弁」というのがあるということである。 ということでいろいろ似た点があるのだが、本質的な違いもある。 違いを象徴しているのは、例えば、Yes, Ministerで頻繁にあらわれてくる、 議論をしている最中に 事務次官のSir Hunphreyが腕時計をちらりと見て、Oh, it is already past five. Shall we? などといって、キャビネットに歩み寄り、シェリーやスコッチをデカンタから グラスに注ぐシーンである。 イギリスの官僚が本当にこんな優雅な生活を送っているかは別として、 少なくとも一つのイメージとしてはそのようなスタイルが成立している。 結局、どんな組織においても、一番大切なのは人で、人を大切にしない、人に 余裕を与えないような組織は、貧すればどんするで、質が低下していく。 知人からのメイルにも触れられていたが、 おそらく核心的な問題は法治主義の中身だ。 細かい条項や規制を設けないこと。それが英知だと思う。 規制や通達によってがんじがらめに縛られた中で仕事をしていたら、 午後5時になったらシェリーを飲む余裕などないだろう。 イギリスには成文憲法がない。これは、おそらく非常に深い、そしてある意味では 恐ろしい洞察に基づいた処置だと私は考える。 言語の意味の深遠を問い続けたヴィットゲンシュタインがケンブリッジに いたことを思い起こしてみればいい。 Yes, Ministerの中の午後5時からのシェリー酒のシーンは、ヴィトゲンシュタイン の言語哲学と無関係ではない。 2001.4.16.  今日は重要な会議があって、朝早くから起きて準備している。  自民党総裁選については、小泉氏を支持する。メディアから流れて くる発言を読む限り、彼が唯一まともだ。特定郵便局の多くは世襲 だそうである。世襲の公務員など、21世紀にいらない。既得権益を 守っていたら、国全体が沈んでいく。  自民党支持者ではなくても、小泉支持を表明してもいいだろう。 できれば、彼が負けて、自民党を割って民主党とくっついてほしい。  加藤も出れば良い。  そうすれば面白くなる。  ケーブルテレビが入って以来、時々Cartoon Networkをつけているが、 日本型の英語教育が全くダメな理由の一つに、最近気がついた。 どうも、nativeの会話能力の一部に、今までにない表現に出会った時に それを短時間で取り入れられる、あるいは、自ら新しい表現をつくれる、 そのようなものがあるような気がする。そのような能力が、日本型の 英語教育では身につかない。  例えば、ラヂオから、 The way outs are here. Be alarmed. They came from way, way, out. という台詞が流れるシーンがある。 それと同時に、なにか火星人のようなものが襲撃してくるのが見える。 way outという単語は難しくないが、それが怪物の名前だというのが 新奇である。しかも、その名前の由来は、彼等がway, way, outから来た からだという。わざわざ説明するのは、怪物の名前がway outだというのが、 やはり普通じゃないからだろう。  考えてみれば、日本語でもそうだけど、私達は、まわりの大人が 喋っているヴォキャブラリーがほとんど分からないという環境の中で 育ってきた。ヴォキャが乏しい幼児でも、日本語を喋っているような 気がするのは、発音うんぬんということよりも、上の、「新しい 表現に出会った時に、それをなんとなく理解する」能力が関わっている ように思う。要するに、言語はRead Only Memoryとしては 実現できないということで、本質的にOpen Systemだということである。  だから、文部科学省が、英語の教科書の学年別の単語を制約するのは 全くナンセンスであり、むしろ制限はとっぱらってしまって、 最初から生の英語のOpen Systemにさらす、そのようなことを するしかないと思う。むろん、テストは限られた単語でやるというのは 勝手である。しかし、教材は、基本的にどんな単語が出てくるか分からない Openなものでなくてはならない。  むしろ、考えるべきは、どのようなコンテクストで単語範囲無限定の Open Systemにさらすかということで、ここに工夫がいる。  もちろん、同じことは歴史についても言える。本来無限定な、一生 かかっても汲み尽くせないようなものを、項目列挙してそれだけ 覚えればいいという形にするから、変なことになる。世界は 固定した事実からなるという、奇妙な世界観を植え付けてしまうことに なる。どうも、Japan Problemの本質はそれではないかと思える。 学習内容を無限定にし、試験は最低限のスキルテストに して、その上に個々人がどのような高度な能力を積み重ねるかは、 全く自由にする。個々人が積み上げた能力については、面接や論文、 その他の資料で判断する。つまり、基礎能力の統一テストと、 多様で個性的な高次能力のアセスメント。この組み合わせが おそらくベストソリューションであって、何のことはない、 アメリカはもうこれをやっている。  SATは、本当に基礎的な能力しかみない。だからといって、 アメリカの高校生がみなこれだけの能力しか持たないと思うのは 間違いであって、個々人が勝手に様々なものを積み上げている。 なぜそれをテストしないかというと、万人万様でペーパーテストは できないからである。このあたりのphilosophyを根本的に 変えないと、日本は次のstageに行けないと思う。 日本では、入試の能力が即平均的高校生の知的能力の到達点である。 まさにプロクルステスのベッドだ。  だから、文部科学省などbypassしてしまえと言っているのである。  The way outs are here. 2001.4.17.  ここにいれば、あそこにはいられない。  考えてみれば当たり前の話だが、なんとかならないものか。  ここのところ仕事が立て込んでいて、ゆっくりする暇がない。しかし、 今頃の竹富島は、きっといいのだろうなあと考える。「うりずん」 と呼ばれる、 まだそれほど暑くもなく、花が咲き新緑が萌出る季節。  ああ、ゆったりと石垣の間の道を歩いてみたい。  ティーンエージャーの頃、「ここにいればあそこにはいられない」 ということを、ニーチェの個別化の原理などと絡めて、随分考えた ことがあった。  最近は、明示的に考えることはないものの、その悲劇的気分は 深く沈潜してバックグラウンドで動いている。  私は、話が良く飛ぶと言われる。会話の中で、全く今までのコンテクスト と違う話題をよく出すのだと言われる。  そう言われればそうなのかと、本人はあまり自覚がない。  昨日、CSLの5階のソファの上で、大平徹、それに新しくCSLに 入った張さんと喋っていた時、「ああ、それは、物理屋の習性ですよ。 物理屋は、バックグラウンドでいろいろ計算しているから」と大平が 言った。  本当だろうか? 私は、今まで私の話が飛ぶのは性格のなせるわざだ と思っていたが、実は、大平の言うように「バックグラウンドでいろいろ 計算している」物理屋の性なのだろうか。  「ここにいればあそこにはいられない」という人間の実存のあり方を、 私は未だに受け入れられないところがある。そのような気分はバックグラ ウンドに隠れている。しかし、表に出なくても、そのような気分が あるのとないのとでは、人生のもののあわれが違ってくると思う。  Cannot Be Everwhere.  あきらめ、ため息、有限である自分を受け入れる。 強者の論理を唱えたニーチェは、やはり中途半端だったと改めて思う。 Cannot Be Everywhereの実存に閉じ込められている人間は、どんな 強者だってやはり弱者に決まっているではないか。  そういえば、もう少し経つと、五日市あたりの低山にウスバシロチョウ が飛びはじめるだろうなあ。見に行きたいなあ。  いけない、また話が飛んだ。 2001.4.18.  何だか、とても変な夢を見た。  見知らぬ女の人が、ふざけて包丁で私の腕を軽く刺す。  数回やったので、それほど痛くはなかったのだが、腹が立って、 「ひどいなあ、ほら、こうなっているじゃないか」 と腕をまくって見せると、腕の上に何だか赤いジャムのようなものが 詰まった球がぷくっと立っていて、それを押すと、中からどろりと 出てきた。  わあ、こうなっていたのかと驚いたところで目が覚めた。  その直後に目覚ましがなって、おや、偶然の一致と止め、しばらく 毛布にくるまって転がっていたが、このままではまた眠ってしまうと、 さっと起きた。  新聞を取りにいく時に、思い付いたことがある。  ニーチェと小林よしのりは似ているな。  小林よしのりは、パリのオペラ座で、取り巻きを何人かつれて歩いている のを見たことがある。  何回かこの欄に書いているが、ニーチェの「強者の論理」や「権力 への意志」は、哲学として中途半端である。有限で、死すべき存在である 人間は、全て弱者であるに決まっているではないか。ニーチェの あの哲学は、要するに、絶対的弱者である人間の間の相対的な差異を問題 にしているに過ぎず、立場として不徹底なのである。  ニーチェは神を殺したと粋がっていたが、なんのことはない、自分の視点 が曇っただけだ。  ニーチェを思想的に葬り去らなければダメだな、私は直感的にそう思う。 高校の時、私はニーチェの思想に強く引かれた。「権力への意志」などの 概念も、極めて魅力的だった。ある時期の若者を強く引き付ける。 そのようなところがニーチェにはある。   しかし、ニーチェと仏陀をくらべると、仏陀の方がはるかに上である。 仏陀の思想を宗教という別カテゴリーに立てるのではなく、同じ哲学の 土俵でくらべた時、ニーチェの思想は急速に色褪せる。生きとし生ける もの全てへのcompassionというのは、倫理の問題ではなく、透徹した 現実認識の問題なのだ。世界の実相を曇りない目で見つめたら、仏陀の ように感じるしかないではないか。ニーチェの思想は、そのような 立場から見たら、曇った眼、近くしか見えない眼に基づいている。  小林よしのりの漫画や、中国政府の李登輝さんの来日に対する中国の 反対は、どちらもうっとおしいが、要するにどちらもニーチェ的な ものと共鳴しているところがある。ニーチェのルサンチマンの概念は、 小林よしのりや中国政府の振る舞いを説明する上では有効な概念かも しれない。しかし、仏陀的なvistaから見れば、それは、所詮中途半端 な、未熟な視点である。未熟さの保護材として今も援用されている とすれば、私たちはニーチェの思想を葬り去らなければならない。 (そうそう、李登輝さんの来日に対する北京の理不尽な反対に対して、 東アジアの文脈では、仏教的寛容精神を持ち出すのが一番いいのでは ないか。)  この意識の流れはジャム玉によって。 2001.4.19.  10日ほど前、ソニーCSLの総務の人からメイルをもらって、 北野宏明が「バイオ産業革命」という会議にレジスターしたんだけど、 18日は行けなくなってしまったので、替わりに出ないかとのこと。  添付のpdf ファイルを見ると、会費が2日で27万だという。  テーマがゲノムだし、興味を引かれて参加することに。  恵比寿のウェスティンの地下、楓の間でその会議はすでに始まっていた。  基調講演が人間のゲノム配列を解読したセレラの人だし、St. Louisから 生中継でInCyte genomicsの人が話すし、確かに27万だけのことは ある内容だ。  私がひしひしと感じたのは、この会場には、お金の匂いを嗅ぎ付けて 集まってきた男たちがひしめいている、ということだ。  ニューロンの活動パターンが分かっても、すぐにはお金になるような 応用に結びつかない脳科学と異なり、ゲノム配列は、それ自体が すでにお金になる情報になる。ゲノム創薬、遺伝子治療、予防医学、 遺伝子プロファイリング、テーラーメイド医療・・・。ちょっと考えた だけでも、数年以内に巨大市場が確実に出現することが判る。  そうなると、ちょっと目の利く男たち、一山当てようという男たちが 群がってくる。  大手企業、ベンチャー企業、大学教授、特許弁護士(patent attorny)・・・  オラクルが、セレラの巨大な並列遺伝子解析システムを提供する、 といった、新たなビジネスも立ち上がってくる。  これは、確かに、北野が来たくなるような会議だなと思った。  私はどんな会議に行ってもついつい何か言いたくなってしまう 性分で、オラクルのセッションの時に質問をしたのだが、どうも妙な感じで、 そうか、これは科学の会議ではなくて、ビジネスの会議だったのだ と改めて。ビジネスになると発想が変わってくる。してはいけない 質問、敢えて答えない演者。ちょっとした情報が、巨大な利益への リードになるのだから、仕方がないと言えば仕方がない。  朝9時に始まって、夕方5時くらいに終わって会場を出た時、 何となく自分の歩き方が違っているような気がした。Life in the fast laneのウィルスに感染したか。  連想したのは、ハリウッド映画のことである。ハリウッド映画 では、すべての人がdispensable(代替可能)な気がする。同じように、 あの会場にいたビジネスを模索する人たちも、少数の例外を除いて 代替可能な気がする。別の言い方をすれば、少数の天才や奇才に依存 しなくても話が進むほど明確になってしまったのがゲノムの世界である。  あの世界にくらべれば、北野のシステム・バイオロジーは 科学の世界の話である。Genome, Proteome, Systeomeと順番に 行くかどうか。今は、人々がProteomeがビジネスになるかどうか を模索している。  代替可能なハリウッド映画のキャラクター。しかし、ロバート ・デニーロや、ジュリア・ロバーツなど、一見「キャラが立っている」 ように見える人たちは何なのか? あのようなキャラの立ち方は、 ハリウッド映画の、あるいはアメリカ文明の「代替可能」という 本質と表裏の関係にあるような気がして、しかしまだその根っこを 言葉にすることができない。  そうそう、あの会場でキャラが立っていた人たちも、デニーロや ロバーツのようだったな。  ここにはどうも、考えるべき何かがあるように感じる。  こんどキャラメル風味のコーヒーでも飲みながら考えてみよう。 2001.4.21.  閉店間近のスーパーで買い物をして、レジに向ったら、長蛇の列。  ここでこんな目にあったことがないので、嫌だなと思いながら。  2、3人前のおじさんが、しきりに、備長炭のパックを眺めている。  水を浄化したり、御飯を炊く時に入れる小さな炭。  何種類かあって、そのうち和紙に包まれたやつを見ている。    私も見てみたいと思っていたので、困った気がする。  おじさんが見ているのを見て、備長炭を見たいと思ったと思われるのは 嫌だ。  結局、やせ我慢してパックを手にとることはなかったが、遠目で 説明をざっと読んだ。  そうか、一回目は煮沸消毒してから使うのか。  どれくらい利き目があるのか、一度試してみたいと思ってまだ。  こんど、おじさんがいない時にぜひ。  それにしても、レジ待ちをしている時に限ってなぜか手にとって みたくなる品物というものがある。  私の2つ前の人が払っているのをぼんやり眺めていたら、右の方から 「チェンジ、チェンジ、チェンジ」と言っているのが聞こえてくる。 おや、外国人がおつりを細かいお金でくれと言っているのかな と思った。  そちらの方向を見ると、若い店員が、品物をバーコードリーダーに 通しながら、金額を読み上げていた。  「**8円、**8円、**8円・・・」  もともとスーパーには**8円という値段が多いが、そのお客が 買い物に**8円がたまたま続いたので、「8円」のところが「チェンジ」 と聞こえたのだ。  なるほど、と納得。**1円と**8円しかそのように聞こえないなと 素早く。  私の前の人の番になる。  店員が、品物を取りながら、読み上げていく。  「さくさくコロッケ、**円、半額になります。鳥の空揚げ、**円、 半額です。揚げだし豆腐、**円、半額です。・・・」  客は、ひたむきそうな顔をした、結婚数年後かと思われるような 女の人。  閉店間近で、半額になったやつばかりを狙って買ったというわけでも ないのだろうけど、あんなに半額、半額と言われるのちょっと。  そう思いながら、ポケットの中の小銭をじゃらじゃらと。 2001.4.21.  李登輝さんが日本にくるのにビザを発行するのは当然のことだ。 譲れないプリンシプルというものがあって、外務省の役人のように 気遣いをし過ぎると、わけの判らないラビリンスに陥っていく。  プリンシプルを貫くことが、この複雑怪奇な世界にある種の見通しを もたらす。これが、「トゥーランドット」の隠された モティーフだったと私は思う。  もし私たちがアイルランド沖くらいに住んでいるのならば、 理解しがたいことを言う人たちが遠くにいるなと思っていれば 済むが、中国は近くにあるのだから、そんなわけにはいかない。 中国の人たちと何とかやっていかなくてはならないのは、ユニクロ を考えても明らかである。  もちろん、政府と一般の人々は違う。政府がいかに理不尽な、間抜けな ことを言っても、一般の人々は理不尽で間抜けとは限らないのは、 日本も中国も同じである。しかし、中国国内に、李登輝来日絶対反対 というようなことを言いたくなる気分があるとすれば、それがどこから くるのか、私はそのリアリティを知りたい。人間を理解したい。  単に、時代遅れの世界観だと切り捨てても仕方がない。いったいどうして そんなことを言いたくなるのか、その必然性を理解したいとは思う。  そもそも、台湾は先住民族の島である。そこに中国人達が 移り住み、戦後は国民党が大挙して押し掛けて、つい最近まで支配して きた。「一つの中国」とかいっても、何言っているんだよ、けっと 思うわけだが、その日本も、台湾に対してはもちろん、沖縄や北海道 に対してさえ、大きなことを言えた義理ではない。要するに、歴史と いうのは複雑でいろいろなことがあるのだから、そして、今となっては nation stateなんていうのは恐竜も同然なのだから、「一つの中国」 とかそういうことを本気では言わないでおく、それが一つの 叡智だと思うのだが、どうしても言いたいというのなら、 その背景にある中国の人たちのリアルな実感を知りたいと思う。  結局、プリンシプルとして、これからは人間を見ていくしかない ということである。国家という幻想に人間の側が振り回される 時代は終わったと思う。国境は、むしろインターネット上で 日本語のページと中国語のページという形で引かれているのであって、 そう思ったら台湾と中国はとっくに一つの中国ではないか。 日本語のインターネット上での孤立の方が長期的には大きな問題である。 2001.4.21.  夜風が吹いていて、そこに男達がまばらに座っていた。    私は小学生。父親に野球見物に連れていってもらうのは初めて だった。  場所は東京球場。確か南千住から歩いていったなと思っていたの だが、最近の新聞の記事で、数年だけそこにあったのだと書かれていた。    静寂の中、時々ヤジが飛び交う。ヤマちゃんというニックネームの 選手がいたのか、誰かが「若さだよ、ヤマちゃん」と叫んで、それに 対抗するかのように私は「年だよ、金やん」などと声を張り上げた ような気がする。  子供のかん高い声がそのようなことを言うのがおかしかったのか、 回りの大人達が笑って、それでわたしはますますいい気になった。  確か、金田正一がロッテの監督だったのではないか。  ピザーラの配達を待ちながらBSを付けていたら、バックネットの 下に、「ゲームボーイアドヴァンス」とか「任天堂」とか日本語の 広告が出ていたので笑ってしまった。しかし、次の回には、赤く SEIFECO FIELDとある。これは、どうも、デジタルで合成したのだな と思った。  イチローを見てから大リーグの男達を見ると、イチローの方が洗練 されていて未来的で、彼等がパワーに任せて粗野な過去的なプレイを しているように見えるから不思議だ。  あと一つ不思議なこと。  あの時の東京球場は、大リーグの雰囲気に似ていた ように思う。理由は分かっていて、鳴りものの応援がないからだ。 日本の野球を見る気が全くしなくなったのには、あの鳴りものの応援が うるさいということがかなり大きなファクターになっているように思う。 野球をろくに見ないで、音楽をならしている。球場に来たひとりひとりが、 それぞれの感性、イニシアティヴで声を出し、ウェイーヴをするという 自由な空間を奪って、画一的で集団主義的な空間をつくり出して自己 陶酔している。  周りが見えていないし、野球というスポーツを本当には見ていない。  あれは、古い日本の象徴である。  自民党、巨人軍、鳴りもの応援団。  古い日本にもいいものがあるが、上の3つは、もういらない。  小泉は、どちらかと民主党にいた方が似合う人である。彼の言葉は 生きている。自民党は消えてなくなれと思うが、小泉は支持する。 2001.4.22.  クライバーが来るはずだったのだが、直前にキャンセルになった。  それで、急きょ代役が立てられた。  曲目はシューベルトの未完成と、ブルックナーの7番。  場所は、NHKホール。  オーケストラは、ウィーンフィル。  これが、私の唯一の生でのシノーポリの音楽の体験である。  この時の演奏は、今でも、今までの人生の中で 最も高度な音楽体験として心の中に残っている。  未完成は、まるで表面に成熟のピークを迎える直前、かびの毛組織 が表面に萌いずる頃の白かびチーズのように。  そして、7番は、167次元方程式の解を求める過程の 変数の操作のように。  この時初めて、私は、音楽が旋律やリズムが与えるある一貫した印象の 流れではなく、もっと得体の知れない、記号や思念、概念の入り交じった 複雑な多様体であるということを理解したのだと思う。  それ以来、私の音楽の聴き方は、全く変わってしまった。  いわば、音楽の言語論的転回が、この演奏によって引き起こされたのだ。  そうなったのも、指揮者がシノーポリだったからだと思う。  聴衆の反応は、熱狂的というわけでもなかった。新聞評も、つかみ所 のないものだった。それで、私は、音楽家というものは聴衆の評価、世間の 評価とは関係のない美しい星座の空間、彼等だけが判る乱反射するラビリンス の中で微笑んでいる、そのようなものなのだということを初めて明示的に 考えた。  我々人間は意識を持っており、その意識の中で、音楽をつくり、感じ、 音楽が感覚的なもの、志向的なものの塊として表象され、一瞬一瞬の中に、 もし静止してゆっくり解析したとしても汲み尽くせぬ複雑なものたちの 世界が展開され、それらがあっさりと、潔く、次の瞬間に譲ってしまって、 そのような膨大な喪失が継続した結果として、一つの曲が終わる。  人生は音楽と同型であり、汲み尽くせぬ複雑なものたちが 意識に登り、それが次の瞬間へと取りかえしのつかない形で譲り、譲られ ながら、やがて終わる。  アイーダのフィナーレを迎える前に、シノーポリの音楽も、そして人生 も終わりを迎えてしまった。  できることならば、終幕のラダメスとアイーダの「天が開く」の二重唱 まで振らせてあげたかったと思う。しかし、それは出来過ぎというものだ ろう。  この世界の不完全さには、それ自体に汲み尽くせない味わいがある。 2001.4.23.  帰宅前のしばらくの時間、マクドナルドで仕事をした。  私の前に、女の子が二人向かい合って座っていた。  後から、奥の方に、制服を着た男の子が数人入ってきた。  その中の、詰め襟を開いた天然パーマの子が、しきりとミーアキャットの ように首を伸ばして私の方を見ている。  やがて、ミーアキャットは、大声を上げた。  「ねえ、高城さん、高城さん!」  二人の女の子は頭の向きを変えない。ただ、一人の子が、  「呼んでるよ。」 と言って、くすくす笑った。  ミーアキャットは怯まない。  「ねえ、高城さん、高城さん、どこの高校?」  高城さんと呼ばれた、制服の男の子たちに背を向けていた女の子が、 それでやっと振り返って、同じくらい大きな声で答えた。それで、 会話が成立した。  「豊島高校。」  「ふーん。そう。で、成績どう? 成績はどう、高城さん。」  私の右手に座っている、制服を着た女の子の集団が、会話を止めて、 ミーアキャットの方を見ている。  高城さんが答えないと、ミーアキャットはしばらく仲間と会話を交わ した後、再び声を張り上げた。    「で、高城さん、一緒にいるのは、同じ高校の子?」  ここで、制服の女の子の集団が立ち上がって、ミーアキャットと 高城さんの間の視界を遮るように歩きはじめた。  制服の男の子たちは、彼女たちを見て、何かひそひそと言い合っている。  制服組は、しばらくマクドナルドの外で輪になって話していたが、 やがて去っていった。  何回か、「呼んでいるよ。」がくり返された後、  「そう、同じ高校。」 と高城さんが答えた。  一緒にいるのが、高城さんと同じ高校だということを確かめて安心したの か、ミーアキャットは仲間の方を向いて、ハンバーガーに専念し始めた。  それで、私も手許のPowerbook G4の画面に目を向けた。    ヴァーチャル世界の春霞。  しばらくして顔をあげると、制服の男の子も、高城さんも消えていた。  環状八号線にかかる歩道橋を渡っていると、向こうから女の人が 来た。   暗闇の中に白い服がぼんやりと浮かび上がる。    おや。  通り過ぎた時に、一瞬、柑橘類の香りがしたような気がした。  柑橘類の香水というのは、聞いたことがない。  そうか、あれは、柑橘類の香水ではなくて、今みかんを食べてきた ばかりなのかもしれない。  確かめようと振り返ると、女の人は歩道橋の階段を降りているところ だった。  子供がいる主婦のようにも、若い女のようにも見えた。 http://www.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/sousekismall3.jpg http://www.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/sousekiallsmall3.jpg http://www.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/sousekismall.jpg 2001.4.25.  中村うさぎになった話  数カ月前、神田の玉英堂という古書店で、夏目漱石が描いた絵を見た。 一目見て強く心を引かれたが、気軽に買えるような値段ではなかった。  ときどき神田に行く度に、その絵を見る。見れば見る程、その絵が この世界にあり、私がそれに出会ったことが、 奇跡的なことのように思えてきた。  漱石の書というのは、良く見かける。しかし、絵というのはあまり見かけ ない。だから、その絵が、漱石の絵というコンテクストの中で、どのような 位置を占めているのか、それは判らなかった。  縁側で遊ぶ子供の一瞬の表情をとらえた構図。  おそらく自分の子供なのだろう。明るい庭を背景に、手を伸ばして ひざを曲げたその姿が、私には、漱石の存在論的不安を反映している ように思えた。  存在論的不安。そう、この、家庭的幸福を描いた絵は、どこか人を 不安にさせる。目にうつるものはあくまでも明るく、穏やかだが その背後に、不安定で、不可視なものへの予感がある。  何かが、昼下がりの縁側に忍び込んできている。  いい絵だなと思った。  それでも、買うという決断までは至らなかったのだけども、 最近になって夢の中にまで出てくるようになった。  買って後悔する方が、誰かに買われて、永遠に私の目の前から消えて しまうということよりいいだろう。  私は、この絵は、漱石を理解する上で重要な絵のような気がする。  私が買って、きれいな画像に取り込んで、インターネット上で公開 しよう。  この絵について、エッセイを書こう。  毎日絵を見て、なんらかのインスピレーションを得よう。  漱石山房に毎週木曜日にいって、漱石先生と面会している、そのような 気分になれるかもしれない。  インスピレーションを得て、仕事ができれば、結果として安いものだ。  それに、別にお金が消えてなくなるわけではない。流動性は低くなるが、 私はこの絵にはそれだけの価値があると思っているのだから、また マーケットも価値を認めているのだから。 自分の年令や業績、経済を考えれば 分不相応だが、私以上にこの絵を愛する人はそういない だろうし、自分を鼓舞して、より一層仕事をするためのダウンペイメント だと思えば良い。  そのような理屈をいろいろつけて、神田に出る 用事があったついでに、ついに買ってしまった。  玉英堂の御主人と話していて、いろいろ勉強になった。  この絵は、おそらく漱石が葉書の裏に書いたものをのちに漱石の 絵の先生であった津田青楓さんの鑑定をつけて額装したもので、 このような場合、張り付けるのに邪魔になるから、表の宛名 は剥がしてしまうものなのだという。  残念ながら、その表書きが残っていないので、どのような経緯 で描かれた絵か、誰に宛てて描かれたものか判らないのだが、 津田さんの筆跡 が間違いないことが、「本物」であることの証左なのだという。  どのような筋から出てきたものか情報はありませんかとお尋ね すると、マーケットから出てきたものだから、判りませんとの ことだった。  なるほど、モノというのは流通してしまうものだから、故事来歴 というのは案外わからないものなのである。  大切なものを抱えてCSLに行き、学生と議論したり、論文を 書いたりした。その間、  漱石は、玉英堂の紙袋の中に入って、私の部屋の床の上にあった。  テレビ番組製作のG1の山下さんが見えられて、しばらくお話した後、 増井、大平、西田、それに最近地域通貨をやってhotwiredにも 出た鈴木健と一緒に「わに屋」にいって飲んだ。  その間、漱石は壁に寄り掛かっていた。  途中で、玉英堂からメイルで送っていただいたjpeg fileを 拡大してプリントしたものを見せて、 「これ誰の絵だと思う?」 と聞いた。  私と同様、漱石を愛している大平も判らなかった。  酒場で取り出すのもなんなので、本物が裏の紙袋に入っているとは 言わなかった。  代々木駅で地下鉄に乗り換えると、電車が来るのに10分の間が あった。 ホームに座ってメイルチェックする時も、漱石は壁によりかかっていた。 何だか、ふわっと暖かいものが私の横にいるようだった。  暗闇の中、案外軽いなと思いながら、紙袋とともに歩いた。  家に帰って、壁にかけた。葉書大は遠くからだと見にくいので、 となりに拡大してプリントした画像を張った。  小さな子供が大きくなって飛び出してきたようだった。  清水の舞台から飛び下りて良かったと思う。 絵の部分の詳細な画像(1.5 MB) ↓ http://www.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/sousekismall.jpg      私は、養老孟司さんから来た葉書を大切にとってあるけども、 100年後くらいにその葉書を見た人は、これは確かに養老さんの 葉書かどうか、筆跡を見て判断するしかないだろう。  それに附随した物語は私だけが知っていて、私が死んでしまえば、 モノだけが残るわけだから。 2001.4.26.  朝目覚めて、しばらく横たわっていた。  声が聞こえる。  朦朧とした意識の中で、ヴィジョンを見た。  人間の思考。連想。発想。移行、類推、メタファー、レトリック、 選択。  そのような思考過程の一部分を支える、インターネット上のノードが できるのではないか。  One Click、One typeにまるで生き物のように反応して、ダイナミック にリンクが切り替わり、ネットのトポロジーが変化し、自分の指の 先にしなやかに反応する有機質のネットワークが広がる。  そのような時代が来るのではないか。  コーヒーメーカーのスィッチを入れながら、そのような時代は恐ろしい のか楽しいのか、まだ指先に有機ELの感触が残っていた。 2001.4.25.  しばらく前に、この欄に第二国立劇場の「ラインの黄金」の公演 で見た女装した男性のことを書いた。  彼は、私に、5年前にロンドンでやはりワグナーの指輪の映画に 来ていた女装した男性のことを思い起こさせた。その時のことを文章が 確かあったはずだと探していたのだが、Hard diskの片隅から やっと見つかった。 1996 April 8th 8:35 A remarkablething happened during the interval of 1st and 2nd act. A gay man walked in---let me describe him or her (I am going to describe as Her, respecting her gender, not his natural sex). She was a white male, most likely to be a Briton. She is about 180 cm tall, and on top of that she is wearing black high heel shoes, so she appears to be very tall. Her face is like the Lawrence of Arabia squeezed a little bit from both sides, especially on the nose, so that every feature becomes narrow and thin. She wore a white panty stocking, black skirt, and a check jacket. She had conspicuous golden earring with some gemstone on both ears, and wore a massive necklace. The string of the necklace was black, thick, and a series of cylinder-like pieces made of blue something was attached to it. Her hair was red-blonde, wavy and massive, I suspected that was a hair-piece. I was having coffee with my back leaned on a row of table attached to the wall, so I could watch her move without being rude. First she got into the line of people wanting to buy food. She is so conspicuous in the line, so tall, very slim, but apparently a man dressing like a lady. She gets her food, which is coffee and a cake. She begins to look for a table. She cannot find an empty place. There was a table where two old men were sitting (apparently not related to each other). She walks up to the table and asks if she could sit there. The man looks up and gestures please. She sits there, begins to eat the cake. After that, she produces a mirror, and begins to do something to her eyes. Now she was sitting with her face towards me, so I could see her very well. She had very conspicuously formed blue eye-lines. She would have been a perfect beauty if it was not for the dark color of her face and the remains of the shaved beard----then I began to think what was the feature that was impressing me. You found her at once attractive and repellent. Let me describe the feeling in a strange way---it was a mixture of the urine and the best perfume in the world. You feel that you could smell a very exquisite fragrance, but that is mixed with the urine odour. Not that you mind urine part very much. And then I realized what probably was the most striking feature of her----self-absorption. When I found this word, I almost gasped. She walks in, gets in the line for coffee and cake. Then she walks to the table, asks if she can sit there, and begins to eat the cake. Then she begins to adjust her cosmetics with the mirror. During all this, there is this complete self-absorption. Of course she is making a scene. People are looking at her furtively. She is attracting attention. But she is oblivious to all that. She is not even looking for an attractive man, or trying to show her off. When a girl makes the catwalk, she is trying to impress the men around. Not this gay man. She is completely absorbed in herself. I believe I have never seen a self-absorption of this intensity and purity. I was really truly impressed. I thought I witnessed something profound and valuable. Then the fanfare for the second act rang. I had to go. That was the last sight I had of this lady....... She was more feminine than most ladies are.   2001.4.27.  最相葉月は、なかなかのセンスを持っているのかもしれない。 「絶対音感」の次が「青いバラ」とは。 ピンポイントであり、やられたと思った。  CSLを7時頃に出て、光藤君と五反田駅の少し手前にある 「遠野物語」に行く。  誰もいない。  「今日は木曜日だから」とおばさんが。  しかし、我々が入ったのが口開けのように、次から次へと。  テレビが3台置いてあり、ガラス越しに見えるものもあり、音を 出していないのでまるで環境ビデオのような雰囲気。  くり返し、コイズミ新首相がマイクを突き付けられている画面を 流している。  マイクが、まるで「キットカット」のようだなと思う。  新首相、キットカット食べて下さいとバレンタインデーのような。  光藤君は、最近Mad Inventerとしての才能が開花してきていて、 二人で年間10とか20とかばんばん特許だしてしまおうじゃないか と盛り上がりながら、目についた日本酒の名前をどんどんおばさんに。 ところが、おばさんは、久保田とか明鏡止水とかいうと、それを 番号に翻訳する。「ああ、18番ね」とか言う。  それで、われわれも、いつの間にか番号制に移行する。  番号制を積み重ねているうちに、だんだん面白くなってきて、 いろいろ飛ばしまくる。  カリフォルニアにラボを作ろうじゃないかなどとホラ話をしていると、 光藤君が、ぽつりと、「秋葉原がないですから」と。  仕事ができれば、女はついてくると光藤くんを励ます。  先日買った漱石の絵に、さっそく「取材依頼」が来てびっくりする。 まるで、娘を社交界にデビューさせる父親の気分に。  しかし、貴重な資料なのだから、できるだけ多くの人に触れる 回路を開くべきだろう。  近代文学館が寄贈してくれとか言ってきたら、どうしようか。 2001.4.28.  駅まで行く道の途中に、円形の広場があって、中央に巨大なクスノキ が5本くらい生えている。  新緑が美しい季節、ほれぼれと見上げている人たちを時々見かける。  先日は、スケッチブックを持った青年がやってきて、ベンチに座る ところにちょうど通りがかった。老人が、手を後ろに組んでこずえの 方に目を向けているのも何回か見たことがある。  金曜日、帰路、ふと夜はあのクスノキの広場はどうなっているのだろう と気になって、いつもと違うルートを辿った。夜はたぬきが でるかと思う程暗くなるので、 普段はあまり通らないのである。  私の足が、円形広場の石畳を踏みしめる。  暗闇の中でも、クスノキが私の頭上に枝を延ばし、被っているのが 感じられ、その心地よい圧迫感を受けながら歩いていると、ふと、 照り生えている木の葉の群れが目に入った。  背の低い常緑樹の葉が、街灯からの光を受けて光っている。  連想したのは、月夜の蛙の卵である。モリアオガエルの卵が、 月の光を受けてつやつやと輝いている。その照り映えは、生命の 力強さでもあるし、ぜい弱さでもある。極く小さな光を出すことに よって、幽かに、自分の存在を主張している。  そう。気がついてみると、夜の道は、照り映えている小さなものたちに 満ちている。木の葉、車のボンネット、家のガラス、道路のミラー、 看板、空き缶、そして、私の腕の時計の文字盤。少しでも滑らかな 表面があると、そこに光線が反射して、照り映えの領域ができる。  私は、そんな光線たちに包まれていたのに、今まで気が付かなかったな、 と、Terra Incognitiaに降り立った探検家のように、あそこにも、ここに もと照り映えの領域を見い出すことに熱中した。  私の眼球も、きっと照り映えている。 2001.4.30.  文京区西片に引っ越しの手伝いに行く。  近くのオリンピックでソニーのフラットWEGAテレビデオを 買って、わっせわっせと8階まで運ぶ。  店員さんに、画面の方を手前にして持つと良いのですと教わる。  30キロはさすがに重く、血管が切れるような気がする。  私の体重が70キロ。30キロ足すとちょうど0.1トンになるが、 しかしそれでも友人の食べる哲学者、塩谷賢@千葉大に及ばない。  塩谷の人生の大変さを思う。  合掌。  ADSLが開通して、しかもAirMacを通して無線で繋ぎっぱなしに なって、身体感覚が確実に変わったと思う。  特に画期的だと思ったのが、online radioである。BBCは充実 しており、クラッシック専門のBBC3, 知的な討論、ニュースが中心の BBC4が聞けるのは本当にすばらしい。  リアルタイムかどうかチェックしてみようと、午後10時に待ち構えて いたら、ちゃんとIt is 2 p.m. on Sunday. This is BBC4.と言っている。  電波法などで総務省がいくら縛りをかけようと思っても、全く 意味のない時代がすぐそこに来ている。Alternativeな回路が、mainな 回路になる。これは、革命である。    BBC4を聞いてからrunningに出かけると、まるで近くのNewsagentに Independent on Sundayを買いにでかけるところのような気がする。  ブロードバンドは、工夫の仕方によっては、空間の感覚をごっちゃごっちゃ にすることができる。  その後でどのようなcreativityの可能性が広がっているか、そろそろ 考えておくべきだろう。    ひさしぶりに巨人広島をぼんやり見ていたが、鳴りもの応援団の問題 点が騒音だけではないことに気が付いた。  要するに、彼等は、勝敗しか関心がない。だから、良い当たりでも ヒットにならなければブーイングだし、相手の超美技で味方の進塁が 刺されてもブーイングである。勝敗を捨象して、プレイをそれ自体 として評価するというメンタリティがない。  私が見ていた時間帯で一番良かったのは、巨人の高橋がライトから 好返球でホーム突入をアウトにしたプレイだったが、こういうのに 敵味方を超えた素直なstanding obationということがない。  野球の好プレイをappreciateするためには、ある程度detachmentが 必要である。タイコやトランペットを鳴らして勝敗にしか興味が ないというメンタリティでは、曇りのない目でプレイを見るということが できない。  総裁選の勝利だけを気にかけてきた、 自民党の田中派ー>橋本派の人たちのメンタリティ と同じである。  こういうことを書きながらADSLでbackgroundにBBC4をかけている と、物凄い違和感がある。  別にイギリス礼讃ではないが、English Speaking Peopleが近代 global villageのパラダイムを作った(そして作りつつある) というtrack recordを無視することはできない。  ブロードバンド時代に、様々な国の気分を自由にmixして、 ambientな要素にさえできるのは、すばらしいことだ。