茂木健一郎 クオリア日記 http://www.qualiadiary.com 2004.7.1.  ザルツブルク大学にはワークショップと 講義と研究の議論のために来た。  ザルツブルクというのは本当に美しい街で、 モーツアルトの音楽も、この風土性と 関係があるに違いないと前から思っている。  ザルツブルクの景観の精神が結晶化 したのがモーツアルトの音楽だとさえ言えるのでは ないか。  どんなに才能があっても、新宿の雑踏からは モーツアルトの音楽はできないだろう。  もちろん、新宿の雑踏からはそれなりの 音楽が生み出されるかもしれないけれども。  ザルザッハ川に懸かる橋からホーヘンザルツブルク 城を見ていたら、やがて月が現れ、   その月の位置が時々刻々と変わっていくのが判った。  地球は回転しており、私はその表面の美しい 場所にいる。  ザルザッハ川の流れは絶えず、 モーツアルトが地上から消えた後も世界の 運行が絶えることはなかった。  『脳の中の小さな神々』の、 2番目の書評に脱力。  アマゾンの書評は、テキトーな勘違いと ミスコミュニケーションに満ちている。  まあ、私もすれて、前ほど気にしなくなった。  そもそも、  別に、前頭葉産業なんてどうでもいいんだけどね。  世界には、美しいものをつくりだし、 真実を見いだそうとしている人たちがいる。  ザルツブルクにいてモーツアルトのことを思ったり、 ミュンヘンのマイスタージンガーの新演出を 創りだした人たちのことを思ったりしていると、  はっきり言って公文のドリルなんてどうでも 良い。    それにしても、  なぜ、現代の日本には形而上学がないんだろう。  昔、ナポレオンは、イギリスのことを、 「商店主たちの国」と言ったけど、  今の日本のことを見たら何と表現するのだろうか。 2004.7.2.  ザルツブルクには、田森佳秀も来ていて、 二人で一緒に集中講義をした。  田森の方が先にきて、ホストのGustav Bernroiderと 打ち合わせを済ませていたので、  私がまずイントロダクションの話をして、 それから田森がMEGの話をする段取りに した。  金沢工業大学が誇る、サヴァン田森だが、 今回は、Gustavの「学生は学部学生もいるし、 生物専攻だし、お手柔らかに!」 という事前の要請が利いていたらしく、  MEGやfMRIのメカニズムについて、 きちんと説明していたのでびっくりした。  話が、色の認識の幾何学的モデルの ややこしいところに至りそうになったので、 Gustavがすばやく制止して、  今日のところはここまで、ということになった。  私の話は明日することに。  Gustavの研究室で議論。 Computer ScienceのHelmutも参加。  現象学的な次元をどのように 認知モデルの中に取り入れるか、という ことに議て感じている んだけど、  そのことを言うと、まあそれはそうですが、 という感じでリアクションが返ってきて、 それでオレはますます猛り狂う、 そんなことがここのところ何回かあった。  突然、キキーとブレーキの音がして、 どん! とぶつかる音がした。  最初は音のした方向が判らなかったのだけども、 暗がりの中、どうやらそちらの方に人々が 歩いていく。  交差点の信号が黄色で点滅していて、 そこに、二台の車が止まっていた。  一台は道路脇の街灯にぶつかって 前が潰れていて、  もう一台はそこから少し離れた 場所で、  やはり前を変形させ、ハザードランプを 点滅させて止まっていた。  出会い頭に衝突したらしい。街灯に ぶつかって止まった方の車の運転手が、 エンジンをかけようとしていたがかからない。  その二台の車を、次第に数が増えてくる 見物人が取り囲んでいた。  その車の衝突の光景は、まるで 私の昨日の夜の心理的状態に よって準備されていた ようにも感じられ、  一夜のものぐるいにふさわしいエンディングで あるかように思われた。    家に帰り、机の前に座り、土曜に届いた Roger PenroseのThe Road to Realityの 表紙をなでた。  Penrose久々の著作である。A Complete Guide to the Laws of the Universeと副題が ある。  いろいろやることがありすぎて、いつゆっくり 読めるか判らないけど、とにかく届いただけで 胸が躍る本など、そう滅多にあるわけではない。  状況とは切り離されて、議論すべき形而上学的 モンダイがある、そんなことは判っていますよ  ただ、どうなんでしょう、一度は現代に 深く絶望して見るのも良いのではないでしょうか。  ドストエフスキーが描いたロシアの貴族社会か、 それとも漱石が描いた帝国大学まわりの人たち か判らないけど、  かつては、  「君、ペンローズの新しい本読んだ かね?」  「なかなか大したもんじゃないか。」  「あの、Mー理論に対する厳しい批判など、 読ませるよ」  などという会話が行われていたんじゃないか。  そんなのは、過去を理想化しすぎだ、 と言うかもしれないけど、ペ・ヨンジュがどうの こうの、上司が思いつきでものを言うが どうのこうのの現代よりもマシな状況があると 思わなくちゃやっていられねえよ。  そういえば、この間、恵比寿で 飲んだ時、アポロ11号が月着陸の話が出た。  二歳だったけど、「これだけは見ておけ」 とオヤジに起こされて、眠い目をこすって 実況中継を見た、と原岡さんが言って いたなあ。    現代はスカだ、現代人は精神性を失っている、 とオレがいうのはやっぱり私が狂っているの でしょうか。  まあ、いいです。とりあえずは勝手に狂っている ことにイタシマス。 2004.7.26. Public Relations   本日落ちるんだよ。 それで、この疲れを乗りこえると、また 上がっていくから、まあ見ててみな、 と言われた。  私は、クロールのビートの足を うまくしなやかに伸ばすことができなくて、  小林先生に、足がもっとすらっと伸びると タイムがぐんと伸びるぞ、と言われた。  そんなものか、と一生懸命いろいろやってみたが、 どうもよく判らなかった。  それが、疲労の山を乗りこえる頃、何かの きっかけですーっと足が伸びた。  自分でも、今までとはちがった形で 水をとらえている、ということがわかった。  そうか、この感じか!  身体が、「!」「!」「!」「!」と 脈動していた。  水から上がると、  ストップウォッチをもってタイムを 計っていた小林先生が、  ほら、わかったろう。 と言った。  あの時の、はしゃぎたくなるような 胸の底からわき上がってくる喜びは、 忘れられない。  あの夏、私がやっていたことは、 オリンピックのアスリートたちに較べれば 児戯に等しいが、  練習を重ねる中で、  疲れがたまってまたすーっと身体が軽くなって いく感じとか、  身体の動きを、意識が完全にはコントロール できず、ああでもない、こうでもないと模索 して、それがある時ぱっと掴むことが できてすーっと抜け出す感じとか、  スポーツが終わりのない自己探求の道だ、 ということはなんとなくわかる。  別に金メダルをとる人だけの話じゃなくて、 競技スポーツをまじめにやっている人には 誰でも思い当たる話だろう。  オリンピックという4年に一回の舞台の  決勝にピークを持っていくのは大変なことに 違いない。  アスリートたちの健闘を祈りたい。  それにしても、あることに取り組んでいる 時に、疲労がピークに達して、それを すっと乗りこえて新世界に入っていく、 というのは、スポーツ以外の様々な 分野でありそうである。 2004.8.18.  Public Relations  ただ今発売中の『美術手帖』2004年9月号 (直島・地中美術館特集)に、 茂木健一郎 「地の中深く美に包み込まれて」 が掲載されています。 http://www.bijutsu.co.jp/bss/BSS_files/BT_top.html 2004.8.19.  お盆を挟んで夏休みも終わり、  21日からブダペストで行われる ECVPの発表予行で、久しぶりに 研究室の面々が集まった。    田谷文彦と、張さんのそれぞれの発表の アウトラインをおさらいする。  昔話も何だけれども、 オレが大学院に入った頃は、みんなまだ シールのようなものをペタペタ貼って 発表マテリアルを作っていた。  「スクリーントーン」とかいう、 さまざまな濃さで網がけできる シールをつかって、  Fig. 1, Fig.2, a, b, c...などと 作っていったものだ。  私は当然のことながらイイ加減な性格なので、 a, b, cとかそういうアルファベットの位置が 微妙にずれたりして、  「君、もうちょっとキレイに作りなよ〜」 と研究室の先輩に怒られたりした。  なにしろ、作り直すにしても、 カッターか何かではがしてまた貼る、 ホワイトで消す、というものすごく 面倒な作業が待っていたのだ。  今は何でもパワーポイントでちょちょいのちょいと 作ってしまう。  ラクな時代になったものだ。  この前、芸大、油絵科のP植田と喋った時に、 植田が、「昔の狩野派の絵師たちは、一日に 何千本と線を引く練習をしていて、その 風習が岡倉天心の東京美術学校の頃までは 残っていたらしいですよ」 と言っていた。  パワーポイントで規格化されてしまった 感性に狩野派の線が引けるかどうか、 というとそれはまた別問題だ。  言い古された言葉だけれど、 何かを得れば何かを失う。  その失ったものを思い出している うちはまだいいけれども、 そのうち忘れてしまう。  谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』を読んでいると、 我々が電灯の発達で失ったことの大きさが 思い起こされる。   かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を 賛美しておられたことがあったが、そう云えば あの色などはやはり瞑想的ではないか。・・・ 人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、 あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先 で融けるのを感じ、本当はそう旨くない羊羹でも、 味に異様な深みが添わるように思う。 (『陰翳礼賛』より)  テクノロジーの発達はおそらく必然で戻す ことはできないが、テクノロジーが出現する 前はどうだったのか、それを思い出すことは できるのではないかと思う。  狩野派の一日何千本の線 に相当する何かが、今の私にとっても必ず あるはずだ、と思うこと。 2004.8.20. 放送のお知らせ 投稿者:Public Relations  投稿日: 8月19日(木)22時28分7秒 2004年8月20日(金) 午後 10:50 〜 午後 11:00 NHK教育テレビ 視 点・論 点 「解き明かされる人間」 脳科学者…茂木健一郎 http://www3.nhk.or.jp/hensei/ch3/20040820/text_18-24.html 2004.8.20  あまりにも昼間暑かったので、 暗くなってから久しぶりに まとまった距離を走り、 ついでに花火をした。  花火をしている場所から一人ふらふらと 離れていくと、  暗闇に包まれて、  昼と夜では空間の文法が違うことに 気が付く。  夜の空間は、少し距離をとれば、 孤独になることができる。  そこに人がいるということは わかるけれども、  表情や感情まではわからない。  自分のまわりに、きゅーんと 暗闇が寄せ集められてきて、  自分の秘密を守ってくれて いるような気がする。  たいていの文明の病は、 暗闇に包まれることで治るような 気がする。  少なくとも私の場合はそうかもしれない。  ヘチマが随分伸びてしまったので、  先日、支柱を「増設」した。 そうしたら、また喜んでぐるぐると つるの先を回転させて、  さっそく新しい支柱をぐっとつかんで 伝いはじめたが、   思わぬ罠が待っていた。  ベランダの壁にぶつかって、 そこで壁に向かってうん、うん、うんと 押しながら伸びようとするのだが、 当然のことながらうまく絡まないのだ。  タッチ・センサーだけで彼らが生きていると すると、支柱と壁の曲率の差をうまく差異化できない のかもしれない。  あるいは、まさか自分がタッチしているものが 巨大な壁だとは思わず、左右に揺れていれば いつか「向こうに回り込める」と思っているの かもしれない。    二、三日観察していてもらちが明かないので、 壁から離して、改めて支柱の方につるを 導いてやった。  「向こうに回り込める」と思っているが、 実は巨大な壁である。  方向転換した方が良い。  ヘチマくんに限らず、人生でもそんなことが ありそうだ。  私はヘチマくんに対して神を演じたが、 神から見れば、また、私も巨大な壁を伝って うんうん言っているのかもしれない。  問題は、曲率の微妙な変化を検出できるかだ。  壁! 壁! 壁! 壁!  私たちは、みな、きっと、神から 見えたら何であんなところでうろうろしている んだろう、と思われるような壁に囲まれて 生きている。  そんな  人生の壁に比べたら、夜の公園で私を包んで いた暗闇はあくまでも優しかった。  われら皆、闇をこそ友とすべきである。 2004.8.20. 本日 朝日カルチャーセンター講座 「脳とこころを考える   仮想すること」 第3回  18:30〜20:30 新宿、住友ビル48階 朝日カルチャーセンター http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0407/koza/A0201_html/A020101.html 2004.8.21.  「視点・論点」は当日に収録する。  2800字くらい、と言われたので、 まじめに原稿を書いていこうかと思ったが、  やっぱりアドリブでしゃべることにした。  9分15秒。カメラの下に残り時間が 出る。  まとめられたことはまとめられたけど、 スノウの話もクオリアの話もできなかった。  一発でOKとなって、明治神宮の森を 歩いていたら、  タマムシが落ちていた。  まだ生きていたが、弱っていた。 コンビニで綿棒を買って オロナミンCをしみ込ませて嘗めさせた。  タマムシで、わっとよみがえった記憶がある。  子供の頃、近くの神社の森に「タマムシの木」 があった。  立ち枯れした木に、タマムシがたくさん 止まっていたのだ。  見上げると、  白い樹皮をみせて立つ木のはるか上の方に あそこにも、ここにも、緑のキラキラした やつがいて、時々ぶーんと飛び立ったり、 着地したりしていた。  小学校2年生くらいだった私は、つなぎ竿 をのばして、一生懸命とろうとしていた。  思えば、あれは、下から見上げた極楽の風景 だったのだろうか。  あの頃のことを思うと、私たちの周りの 自然がもう取り返しのつかないほど破壊されて しまっていることに改めて気づかされる。  清流だった小川を、三面コンクリートで 固めやがって、下らねえ公園の造園をしやがって、 ふざけるんじゃねえと思う。  自然はそのままにしておくのが 一番である。  明治神宮のタマムシは、私に何を伝えに きたのだろう。  本日から、27日の夕刻まで、ブダペストに 行きます。  この間、メールは読めると思いますが、いつも より若干レスポンスが遅れるかもしれません。 2004.8.22.  考えてみると、ヨーロッパの旧共産圏に 来るのは、これが初めてである。  モスクワのブロックの中にあった  歴史というものが10年やそこらで 振り払えるものかどうかはわからないし、  そもそも、ブダペストを巡る トルコを含む様々な国が絡んだ歴史 の絡み目を解くのは難しそうだ。  空港からホテルまでタクシーに乗った時、 生まれて初めて経験したことがあった。  運転手以外に、助手席に「コントローラー」 というのが乗り込んで来たのだ。  その「コントローラー」が運賃が いくらか計算し、その額を運転手が きちんと受け取っているかどうかを 監視する役目らしい。  公の腕章をつけたコントローラーの おかげかどうかわからないが、  運賃はまともな額のように思われた。  もっとも、道中はずっと運転手と 仲良く喋っている。  二倍の人件費をかけてでも、 運賃を監視した方が合理的、という 点に不思議さを感じる。  パリで飛行機を待っている時、 ノートブックコンピュータで 一心不乱に仕事をしていると、 突然、「茂木健一郎さんですか」と 話かけられた。  私の学生の田谷文彦の従兄弟で、 九州大学で心理学をやっている 田谷シンイチロウさんという人だ というのだ。  それはどうも、初めまして、 としばらく話したが、どうも妙な ことになった。  何しろ、私が「田谷が、そんな従兄弟が いらっしゃるとは言っていなかったもので びっくりしました」 と言うときの「タヤ」というのが、 次第に、田谷文彦のことなのか、 目の前の「タヤシンイチロウ」さんのことなのか、 どうにも曖昧に思われて来たのだ。  ある言辞が、遠くのものを指すはずだった ものが、目の前にあるものをも指している ことに気が付いたための動揺する。 「神様というのはね」と安心して喋って いたら、目の前のその人が神様だと気が付いた 驚きというか。  こういう細かい心の動きの中に、 面白い認知問題のタネが眠っている。  そう思って周りを見ると、 私と同じように  ECVP(Eurpean Conference on Visual Perception) に参加するらしい日本人が、  ポスターを入れた筒を持って待合い室の あちらこちらにいる。  仕事に熱中していて、全く気が付かなかった。  ブダペストで田谷文彦と合流して、 駅の近くのレストランでビールで乾杯し、 その後トカイを飲んだ。  「いやあ、びっくりしたよ。空港で 君の親戚にあったよ。」  「田谷の発表は24日だっけ?」 と今度は「タヤ」という言葉を安心して 目の前にいるその人を指す言辞として 使うことができた。   トカイは、私のまだ知らないハンガリーの 奥深い味がした。 2004.8.23.  ハンガリーにまで大量の仕事を持ち込んで来ていて、 学会以外の時間はずっと仕事をしている。 何をしに来ているのかわからない。  ちょっとした空き時間に、田谷とブダの王宮の 下の草地を歩いていて、踊りに出くわした。  屋台でトカイを売っていて、 それを一杯づつ買って、飲みながら見物した。  赤と黒の衣装を着た女の子が、もっと小さな 男の子と踊っている。  次第に周囲の見物人を巻き込んで、 一緒に踊り出した。  こういう風景を見るとじんとする。  世界は広い。その人たち以外には知られずに、 ひそかに抱かれている文化が沢山ある。  どれくらいのアメリカ人が日本の 盆踊りを知っているか。  プライベート(私秘的)なものは、それで 尽きている、存在価値がある、 と覚悟を決めるべきである。  だいたい恋愛がそうじゃないか。  秘め事と言う。  自分と相手しか知らない。それで何の不足 があろう。  地元の人のひそかな楽しみを目撃した おかげで、  トカイの味がますます好きになった。  ハンガリー滞在中、トカイにはまりそうだ。 2004.8.25.  ハンガリー語のように、全く 類推の利かない言語に出会う度に、 自然言語の絶望を思う。  英語ができるくらいでいい気になっている 場合じゃない。  世界に数千あるという自然言語の森の それぞれに、密やかな想い、切実な喜び、 言い尽くせぬ哀しみがあることを思えば。  夜、ブダの丘の王宮を見上げるドナウ川 の岸辺を散歩する。  自己懐疑がなくなった人間はダメだ。  青年期には、自分が何者であるか、 その疑いと不安定が胸を自然に苦しめるが、  形を変えて同じことは続いていく。  どこに行っても英語が通じ、 人々がハリウッド映画を見ていると 思っているお気楽アメリカ人の醜さは、 自己懐疑を持たない者の醜さである。  永遠の青年の国であるはずの国民が、 若くして老成している。    一人ブダの丘を見上げて歩くような 時間が、今までに何回もあったと思う。  自分が何者であるか、わかったもんじゃない。  こうして日本語で自己表現しても、 それが私秘の森にこだまして消えていって しまうことを思えば。  その絶望を通り越していない一流の文学者など、 きっといないのではないか。  聖書のバベルの塔とは、そのことだったかと 思う。 2004.8.25. Public Relations   今週発売中のの「ヨミウリ・ウィークリー」 (2004年9月5日号)に 連載 茂木健一郎 「脳の中の人生」 第17回 クリント・イーストウッドの早撃ちに感動 が掲載されています。 http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/  映画を見た時の人間の脳活動の、「共通部分」と「個性部分」の関係について論じています。 2004.8.27.  帰りの飛行機は、二つ前が室伏重信さんだった。  室伏広治選手のお父さんである。  背も高く、身体もがっちりと大きい。 一目で、「ふつーの人ではない!」と いうことがわかる。  成田について、出口のところで 待ちかまえていたテレビ・クルーに インタビューを受けていた。  飛行機の中で うとうとしながら、いろいろなことを 考えながら日本に戻ってきた。  一つ自分の中で判ったことは、 インターネットというものが 自分にとってかなりイヤなものとして 認識され始めているということだった。  特に、インターネットの上で 浮かれているやつらがイヤだ。  もちろん、ツールとしてのインターネットは 使い続けざるを得ない。  だが、ネット上でなれ合って何かを 生み出していると勘違いしているやつらは ウンザリだ。  2ちゃんねるとか、なんとかとか、 ああいうものからはロクなものが 生まれないだろう、 という確信のようなものがハンガリー でいろいろ考えているうちに 自分の中で理論化できてきた。  スポーツ選手に引かれるのは、 彼らがまさにリンクだとかトラックバックとか レスとか、コメントとか、 そんなものではごまかすことができない ものと向かい合っているからで、 とりわけ、サッカーのような集団競技よりも、 一人で黙々と言葉にならない世界に向かい合う 個人競技に惹かれる。  音楽の演奏家もそうかもしれない。    知的な創造も、美的な創造も、本来 孤独に黙々とやる作業じゃなかったのか?  マルセル・デュシャンが便器を 「泉」と称して展覧会に持ち込んで以来 の文脈主義を、一般人が気楽にやるように なったのがインターネットである。  本来は、スポーツも、知的創造も、 文脈主義とは無関係な孤独な営み なんじゃないか。  室伏さんの巨体が目の前に現れた タイミングは、私の人生において実に良かった。 2004.8.28.  空港から家にたどり着いた時は、 ちょうど日が暮れた時だった。  公園を抜けて、スーパーまで 買い物に行った。  森の中を歩いている時、 おや、ヒグラシが鳴いているな、と一瞬 思った。  しかし、よく聞いて見ると、それは コオロギのようであった。  夢のような一瞬に、ヒグラシがコオロギに メタモルフォーゼして、  夏から秋に世界が変わっていた。  ビールと寿司の食事を済ませた後、 涼しくて気持ちがいいので、  ベランダでゲラを読んだり、 原稿を書いたりした。  午前ゼロ時を回った頃、 シンクロナイズド・スイミングの予選の 様子をテレビでやっていた。  スペイン、アメリカ、日本、ロシアの チームが、熱演していた。  飛行機の中のフライトアテンダントたちも そうだけど、  あのくらいの年頃の女の人たちが、 チームできびきびと働いている様子は、 胸を打つ。  まだ見たことはないけれど、宝塚にも 似たような魅力がありはしないか。  その本質は何なのか、と考えているうちに、 夕刻に出会った、ヒグラシからコオロギへの メタモルフォーゼのことを思い出した。 2004.8.28. Public Lecture (in 大阪) 9/4(土)午後4時 ブックファースト梅田店 茂木健一郎トークイベント 『脳内現象』(NHK出版) 8/18より各階にて 先着15名様 整理券(ドリンク付き席)¥300(税込)で販売いたしております。 当日立見席もご用意いたします。  下のURLの「イベント」の項をクリックして下さい。 http://www.book1st.net/ 2004.8.28. After talk パパ・タラフマラ 「見えない都市の夢」 の公演後の小池博史さんとの After Talkに参加します。 ▼日時 8月27日(金)19:30 28日(土)15:00/19:30 29日(日)13:00/17:00 *会場は開演の30分前になります。 *29日(日)13:00の回終演後、茂木健一郎さん(脳科学者) を交えてのアフター トークがあります。 ▼場所 国際交流基金フォーラム(赤坂ツインタワー1階)→アクセスはこちら http://www.jpf.go.jp/j/about_i/access03.html ▼チケット料金(全席指定) 前売り3800円/4300円 *学生・60歳以上・身体障害者割引3500円 *高校生以下1800円 http://www.sunaorex.com/amishiro/toshi/toshi_syousai/toshi_syousai.htm 2004.8.29.  ヤフーオークションで苦労して手に入れた 小林秀雄と中村光夫の対談 (「昭和の巨星 肉声の記録 NHKソフトウェア) を聴きながら早稲田大学に行く。  「音楽談義」で小林と対談した五味康祐も そうだったが、中村も痛々しい。  単に、小林が座談の名手だから、という だけではない。  小林が、自ら信じるところに、捨て身で のしかかっていくのに対して、  対談相手の五味や中村は、いかにも こざかしく、自分はリスクを追わずに まとめようとしているように聞こえる。  そのことが、痛々しい。  中村との対談「文化の根底をさぐる」 における小林の発言も素晴らしかった。  「ぼくなんかはね、モーツアルトの音楽を、 生で聞いたわけじゃなくて、蓄音器で聞いた わけでしょ。そういう意味では条件が 悪いわけですよ。しかしね、創造する人間に、 条件がいいも悪いもないんだよ。与えられた 条件の中でやるっきゃないんだよ。」  (中村が、戦後日本の美意識が乱れている とか何とか凡庸なことを言ったのを受けて)  「結局、考える、ということしか ないんじゃないかなあ。考え詰める、という ことね。時々、徹底的に詰める人が出る わけでしょ。科学者で言えばアインシュタイン とかね。そういう人のおかげで、我々は くらしているんじゃないかなあ。」  素晴らしい、小林秀雄。  今回の音源は、Yahoo オークションで アラートを設定しておいて初めて知ったが、 まだ私の知らない録音はあるのだろうか。  彼の談話は、  まさに、後世に伝えるべき文化遺産だ。  早稲田大学で、三輪敬之さんや三宅美博さんが 主催した計測自動制御学会の共創シンポジウム。  早稲田の相澤洋二さん、郡司ペギオ幸夫、 それに私がスピーカーで、その後 池上高志と谷淳が加わってパネル・ディスカッ ションをした。  郡司、池上、谷とは複雑系の研究会で 散々やり合ってきた仲で、お互いムチャクチャな ことを言い合うが、実は仲がいい。  しかし端から見ている方は、ビックリ するのではないか。  終了後、高田馬場の土風炉で飲む。 郡司はどこかへ消えたが、おしら様哲学者 塩谷賢が参加。    ここで明らかになった驚愕の事実。 池上高志の父親は、常温核融合をやっていると 言うのだ。  さすが親子二代というか、池上をますます 尊敬するキモチになってしまった。  久しぶりに、気の合う仲間と大いに飲んで、 心から楽しかった。  小林秀雄ほどのことを成し遂げられるかは 判らないが、  オレタチは、少なくとも自分の信じる道へ 捨て身で行きたいと思っている。  しかし、現代日本人には、自分は安全圏に 置いて、冷たい批評を行うやつばかりが 多くないか。  特に学者に多くないか。  中村光夫や五味康祐ばかりいても 仕方あるまい。  結局、問題を解いて、 「ほら、これ」 と見せないとわからないんだよ、 そういうやつらは。  だったら解いてやろうじゃないか。 2004.8.30.  昨日の続きだが、対談で 中村光夫がもっともらしいことを言っている 間、小林秀雄が「うん・・・うん・・・・うん・・・ うん・・・」とずっと相づち打っているのがイイ。  それで、相手がしゃべり終わると、おもむろに 自分の信じることを熱弁する。  人生、これでいいんじゃないか。  小林は、価値がないと思ったものについては、 その瞬間興味を失ってしまったという。  これも、これでいいんじゃないか。  世間との交渉や、   インターネットはいろいろ下らないものや 悪意を運んで来るけれども、  そんなものに構っている暇はないんだろう。  愛するものだけ見つめていれば良い。  小池博史さんの「見えない都市の夢」 を 見に行った。  「百年の孤独」にインスピレーションを受け、 創り上げた身体表現、歌、テクスト・・・ などが渾然一体となったパフォーマンス である。  終了後、舞台に上がって、小池さんと 「アフタートーク」をした。  現代日本に、このような明るさは 貴重なんじゃないか、  天の岩戸の外でやった歌舞音曲は、 こんな感じだったかもしれないけど、 と言った。    そうしたら、小池さんが、明るさは 暗さ、絶望と表裏一体となっている、 と言った。  そうだと思う。スペインの村の昼下がりの 明と暗のコントラストのようなものである。  ハンガリーで、言葉がまったく類推の 利かない脈絡ないものだと悟ったとき、 結局身体表現しかない、と思った。  英語やフランス語や中国語ができても 仕方がない。  世界に数千の言語があるというバベルの塔の 状況の絶望を思うとき、  もはや自然言語は終わっているのではないか。  自然言語に限らず、何らかの言語 の表現をする時には、 言語は終わっている、ということの覚悟を 秘めつつ、行うべきなんじゃないか。  だから、小池さんのようなアプローチは、 地球上の状況を真摯に受け止める時、 実は唯一の正道なのかもしれないと思う、 と申し上げた。  日本での上演はかえっていろいろ苦労が 多いらしい。  そうなんじゃないかと思う。  何だか、意味が確固としてなければならないと いうような、意味役人の病にかかっている 人が多いように思う。    それやこれやで何だか疲れてしまって、 札幌に来て寿司食べて眠ってしまった。  マラソンをつけていて、一位の選手が 妨害されてしまった瞬間、なぜか意識が戻って、 あれれ、と思って、また眠ってしまった。  一夜明け、室伏広治が金メダル、というニュース。 池上高志が、(もしそうなったら)「一番価値の ある金メダルだろう」と高田馬場の飲み会で 言っていたが、うまいことを言うもんだと 思う。   室伏が引用していたギリシャの詩の中に、 現代日本では絶えて久しい精神の高貴さという ものを感じた。 「真実の母オリンピアよ あなたの子供達が 競技で勝 利を勝ちえた時 永遠の栄誉(黄金)をあたえよ それを証明 できるのは 真実の母オリンピア 古代詩人ピンダロス」  高貴さは、詩の中にあり、アテネ中を どのような意味か翻訳してくれる人を捜し回り、 金メダル確定の記者会見でこの詩を引用した 室伏の心の中にある。 2004.8.30. Public Relations   本日発売の「ヨミウリ・ウィークリー」 (2004年9月12日号)に 連載 茂木健一郎 「脳の中の人生」 第18回 人間は思いつきでものを言う が掲載されています。 発想の脳内メカニズムについて論じています。 http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/ 2004.8.31.  予定していた飛行機がちょう ど台風にぶつかりそうな ので、その前に飛んじまおうと ソッコーで千歳に来たが、  結局まだ飛べないでいる。  日本建築学会の シンポジウムは、とても勉強になった。  建物をつくるヒトタチの学問体系は、 建物のごとくがっちりとしてくるということが 判った。  人は、自分がつくるものに似てくるのか もしれない。  数学者は数式に似てくる。  詩人は詩に似てくる。  音楽家は音楽に似てくる。  生み出すものは、内部の何かが 分泌されるものだと思えば、  それもまた当然と言えるのだろうか。  汝と汝の分泌するものが、 世の人に愛されるようにせよ。