2001.5.1  光が丘のプールに行ってしばらく泳いだ後、水の中に半分浸かって ぼんやりと眺めていた。  透明な液体の中が皮膚を包み、そのゆらめく視覚像が視野の下の方に 広がっている情景にリラックス。  考えていたのは、自分がこれからやることの核心部分は何なのだろう ということだったが、次第に最近のマイブーム、「笑い」についての 思索に移っていった。  8月から朝日カルチャーセンターで「笑い」について連続講座を やることもあって、また、最近のBritish Comedyへのはまりもあって、 「笑い」の本質について考えることが多い。  ある時気が付いたのは、 上質の「笑い」に接する時、我々はもはや笑っていないということである。 アルコール飲料が、酔うという目的から始まって、次第に質感を楽しむ 方向に進化するように、上質の「笑い」に接する時、笑うということ以外 の何かが立ち上がっている。それは、何か?  Paul Whitehouseという若手のComedianがつくったThe Fast Show の中に、Whitehouseが演じるCockney(ロンドンの下町っ子)の若者 のキャラクターがある。このキャラクターが最近気になって仕方がない。  この若者は、街角で人に出会うと、「気をつけろよ。俺は流しものだ。 俺は変人だ。おれは少しヤバイ。俺は何でも盗んじまう(I'll nick anything)」と大袈裟な身ぶりで言う。相手は笑い出す。いかにも 怪し気な、しかし人のよさそうな外見でそれを言うから、冗談 だと思う。それで、店番や、荷物の番や、いろいろなことを頼まれる。 ところ、「俺は何でも盗んじまう」というのは本当のことで、相手の 目の前で、若者はがばっと何かを手で掴むと、去っていってしまう。  このようなスケッチがヴァリエーションを加えてくり返されるのだが、 なぜこれがそんなにfascinatingなのだろうと考える。 本当の悪人は「気をつけろよ。俺は流しものだ。 俺は変人だ。おれは少しヤバイ。俺は何でも盗んじまう。」などとは 言わない。本当に盗む人は、予告なしで盗んでいく。しかし、この 若者は、散々相手に予告して、それを相手が信じないので、最後に 仕方がないなあという感じで盗んでいく。この間合いが、何か 琴線に触れるものを持っているようだ。  盗んで去っていくCockneyの若者の顔は、どこか悲し気である。  感じる人にとっては、世界は悲劇であり、知る人にとっては喜劇である。  このスケッチは、実は悲劇なのではないかと感じることが時々ある。 2001.5.2.  戦争というものは、空想の中で弄んでいるうちはいいが、 実際に起こってみると例えようもないくらいdisgustingな ものなのだろうと思う。  漱石が、「それから」の中で、代助に「殺人を犯したものは、 流れる血を見るだけですでに罰せられている」と語らせているが、 私もそう思う。  流れる血を見た脳は、不可逆な変化を受けて、その痕跡は 一生消えない。  軍隊を含む国家の暴力制度については、私は中途半端な立場 である。  上に述べたように、戦争はdisgustingだと思う。  だから、持たなければいいかというと、国際政治のリアリティ というものがある。  持っていて、戦争が起こらないのが一番いいのかもしれないが、 歴史はどのようなサプライズを用意しているか、予想できない。  軍隊はともかく、私たち日本人、特に男が、「いざ」という時の 身体の動かし方の訓練を受けていないことの弊害を最近感じる。  多発している、暴力事件である。  目撃者の話を聞いていると、もっと素早く何かできなかったのか と歯がゆく思うが、おそらく、無関心の問題ではなく、そのような 状況が起こった時に、身体がさっと動くように今の平均的日本人は なっていないということだと思う。  木刀でも持ち出して、犯人の刃物を落として、何かすれば と思っても、そんなことを生まれてこの方やったことがないんだから、 身体の動きようがない。  私自身も、秋葉原の近くで、おじさんが若者に殴られるところを 見たことがある。若者はあっという間に逃走してしまって、その後 5分くらいで警官に掴まれて戻ってきたのだが、いざとなると 呆然としてしまって、身体が動かないものだということがわかった。    砂漠の嵐作戦の時、アメリカは何万人という軍隊をクエートに 短期間で移すというロジスティックスの問題を、いとも簡単に解いた。 あのような素早い身体性が日本にはないことが、今の沈滞とも 関係しているような気がする。考えているだけではダメで、身体が 動かなくてはならないのである。  だからといって、徴兵制を復活させろとかそういうことではなくて、 おそらく正解は、身体を動かすという訓練を、軍隊という文脈から 切り離すことにあると思う。  もっとも、国民全体が紫式部の小説の登場人物のようなやさ男 だという状況も、それはそれで良いとは思うところもある。  世の中から、粗暴なやつがいなくなればいいのだが、残念ながら 人間の脳は様々な状態をとりうる。不完全な現世は、それで仕方がない。 2001.5.4.  「新しい歴史教科書」の問題点は、一言で言えばその依拠している 世界観、認知構造が「古い」 ということだ。「新しい歴史教科書」は、「古い歴史教科書」である。  確かに、ヨーロッパ列強が「国益」を全面に打ち出して、世界 の覇権を競い合った時代もあった。日本も、そのような時代の中で 行動してきた。それはそれでいいのだけども、今更そんなことを強調する 教科書を作って、どうしようというのだろう。  実権を握っていない、隠居の人があーでもないこーでもないという ネタに使うのならばそれでよい。そうではなくて、これからの国 の方向を実質的に左右する人があの教科書のようなイケテイナイ 歴史認識で行動したら、非常にマズイことになると思う。  ここで、私は実は左翼、右翼といった古いカテゴリー分けに関心が あるのではなくて、これから日本をどういう国にしていくかという 実務的な問題に関心がある。日本というブランドを、魅力的なものに していく上では、何よりも現代世界がOpen Systemであることを 認識して、それを利用していかなければならないのであって、復古 主義は、そのような未来志向とは別方向を向いている。  日本のおじさんたちがヨーロッパの国々がとっくの昔に捨ててしまった プリンシプルを声を大にして主張しているうちに、彼らはもう先に 行ってしまっている。おじさんたちのセンスは、周回遅れになっている。 このままでは、またやられるなという感じが強い。おじさんたちが やられるだけならいいが、日本がやられるのはたまらない。  情報も、人々も、自由に行き来する。その中で、ある種の「セレクト ショップ」的に、緩やかに日本のユニークなカルチャーとでもいうべき ものが立ち上がっていく。これから目指す方向は、そのような方向だし、 また、実は日本の歴史はつねにそのような「オープン」なシステムとして 進行してきた。  漢字からひらがなを作った。その独創性を認めるならば、今後、日本語の 表記が、ローマ字、ハングル混じりの新しいものになっていく可能性だって 認めなければならないだろう。あるいは、動画のようにダイナミックに変化 する表記だってありうるではないか。  歴史をRead Only Memoryとして固定化しようとする人たちには、 そのようなダイナミズムは判らないだろう。 2001.5.5.  金正男氏のニュースは、久しぶりに味わい深いものだった。  大メディアは国際政治のフォーマリズムの中で報道しようとしている けども、私が思いだしたのはルートヴィッヒ2世のことである。  今朝の朝日の天声人語(いろいろ紆余曲折があって、今は朝日新聞と Herald Tribuneをとっている)は、「?がいくつも」と いかにも大時代的だったが、 ああ、ルートヴィッヒ2世だったらいかにもやりそうなことだなと 思うと、不思議でも何でもない。ある国の王子が、お忍びで旅行 しようと思ったという、個人的な事情がおそらく全てであって、 それをあえて国家間の問題という 大時代的な枠組にいれようとする側の認知構造の方が 硬直化している。  アメリカの偵察機と接触して墜落した中国機のパイロットが、 「電子メイルを送ってくれ」とばかりに自分のメイルアドレスを 書いた紙を提示していたというCNNのニュースもあった。共通 しているのは、国家とか、軍事とか、そのような大きな枠組みが 個人的なスケールと混じり合う不思議な感覚である。このような スケールの変換をしなやかにやることが、様々な硬直化を防ぐと 思う。   小泉が何もしなかったと批判があるが、私は、ディズニーランドに VIP待遇でつれていって、いろいろ見せてからお引き取り願えば よかったのではないかと思う。そのような処置がふさわしい、cuteな 事件だった。 2001.5.6.  富士街道を走っていたら、左側にガラス張りのフロントの、西海岸に ありそうな建物があり、その中に水槽がたくさん見えた。  行き過ぎてしまったので、小さな横道で苦労してU-turnして、 駐車場に入れた。  ちょうど一週間前に、10リットルの小さな水槽を買って、中に ミッキーマウスグッピー4匹、ヤマト沼エビ5匹、ネオンテトラ4匹を 入れた。  熱帯魚を買うのは幼少の時以来だけど、サーモスタットがセラミック の進化したやつで、随分メンテナンスが楽になっていた。  2階の海水魚のコーナーにカフェがあり、水槽の魚を眺めながら コーヒーを飲んだ。  Penguin Village。有名な店らしい。NECの「魚八景」のソフトを この店で作成したとホームページにある。  http://www.penguinvillage.co.jp/  10リットルではこれ以上魚は入れられない。流木に穴を たくさん開け、ウィローモスを植えたものを3500円で買う。  水槽の中に入れると、騒乱状態になったが、あっという間に適応 して、ヤマト沼エビたちが穴の中に潜み始めた。  時々、穴から顔をのぞかせる。エサをやると、もごもごと 起きてきて、底に落ちたフレークを抱える。  眺めていると、飽きない。それぞれが、水槽の中で異なるニッチェを 占めている。ミッキーマウスグッピーが食べ散らかしたフレークのかけら をネオンテトラが食べる。水草のジャングルに潜入した魚が、ヤマト沼 エビと鉢合わせしてあわてて方向転換する。  3次元の中で生きている生物の群は、その空間的配置のヴァリエーション 自体が一つのインテリジェンスになっているなということを直感する。 時々、ネオンテトラの一匹が群れから離れて泳いでいき、しばらく すると残りの個体が追う。  いつも同じ個体が先導しているのかどうかはまだ確認していない。  ニューカレドニアの近くにあるウベア島で、白い魚を追いかけた ことがあった。  政治情勢が不安定で、観光客は日帰りでしか入れなかった。  透明な液体の広がりの中に岩があって、そこに白い魚を含む 数種類の魚がいた。  無限といって良い広がりの中に岩というランドマークがあり、 そこに碇を降ろして魚たちがすんでいる。  無限定な空間の中で、むしろ生活圏を限定する方向に向かう。  そんな魚たちのインテリジェンスを感じた。  小さな水槽の中でも、自分たちのニッチェをつくる、そのような傾向 が見られる。  ビデオで撮影して解析したら、案外リサーチになるかもしれない。 2001.5.6.  オレンジ色の粒子が空気の中で踊っているような天気に誘われて、 「釣り堀」、「練馬」でサーチしたが、何も引っかからなかったので、 「釣り堀」、「戸田」でサーチし直した。  戸田市の、「道端グリーンパーク」が引っかかってきた。車で 15分くらいか。そこに行こうと思い、ほかのサイトを探したが、 なんとさっきヒットしたサイトしかない。これはおかしいと 思っていろいろやっているうちに、本当は「道満グリーンパーク」で、 上のはミススペルだったということがわかった。  この特定のミススペルをした人は、全サイバー空間内で一人しかいな かったことになる。  道満グリーンパークは、荒川の旧流路に出来た彩湖のほとりにある広大な 空間だということが判った。もう通算5、6年ほど、そこから車で15 分のエリアに住んでいたのに、全く知らなかった。  荒川の河川敷は公園とかゴルフ場とかなんかごちゃごちゃ広がっている なあという印象しかなかったのだ。  「金魚」の釣り堀は、堀際に人が切れ目なく並んでいたが、何とか 小さなギャップを見つけて腰を下ろす。  実は、釣り堀に来るのはおそらく小学生の頃以来である。  なぜ、釣り堀に来ようと思ったのか判らない。  前日にウベア島のことを思い出して、透明な水の中で白い魚を 追いかけたことを思い出して、そのようなことがすぐにできない 代償行為としてきたのかもしれない。  となりに、小学生か中学生か、声変わりぎりぎりという男の子 二人が座っていた。  めがねをかけた子が、「おれ、自転車の鍵抜いてくるの忘れ ちゃった。」としきりに気にしている。  バケツをのぞくと、赤い金魚が一匹釣れていた。  そのうち、「猿」と呼ばれる子がきて、しばらく二人に まとわりつき始めた。  「猿、おまえじゃまだから、あっち行っていろよ。」  「何時頃帰るんだよ。」  「5時くらいかな。おまえ、あっちでキャッチボールやっていろよ。」  「わかったよ。いくよ。」  「おれの自転車わかるだろ。鍵、抜いておいてくれよ。」  「わかった。いくよ。」  猿の白いシャツが、釣り堀の周りをぐるりと回っていく気配がして、 私は浮きの上下に集中し始めた。    しばらくして、猿がふたたび戻ってきた。  「ああ、おもしろかった。」  猿が興奮している。  「どうしたんだよ。」  「白井のやつ、女とキャッチボールやっているんだぜ。」  「まじかよ。」  「ああ、あっちから、声かけてきたんだよ。」  「それで、まだ女とやっているのかよ。」  「そうなんだよ。」  「ナンパかよ。それで、どんな女?」  「うーん。まあ、せいぜい、中の上というところかな。」  「おれたちのクラスで言うと、誰くらい?」  「そんなこと、わからねえよ。 おれ、年いくつと聞かれて、12と答えちゃったよ。13とか さばよんでおけば良かった。」  「で、その女いくつくらいなんだよ。」  「16とか言ってたけど、おれはあれはなんちゃって女子高生 だと思うな。本当は、大学生くらいだと思うよ。」  「ふーん。」  「明日、学校にいったら、絶対いいふらしてやるぜ。」  「うん、そうしよう。白井の彼女にちくってやろうぜ。」  それで、猿は再び消えてしまった。  めがね君は、急に釣りに興味を失ったようで、しばらく落ち着かない ように隣の子ととりとめのない会話をしていたが、やがて  竿を畳んで帰っていってしまった。    結局ボウズで、それで良かったなと竿を畳んでいる時に、  さっきの少年たちの移ろいゆく季節にふと考えが戻った。  淡水から海に出る、汽水領域。  それが、私の連休最後の日に得たメタファーだった。 2001.5.7.  午後8時過ぎ。品川駅の海側。  イタリアン・レストランの前のテーブルに座って、  私はメイル・チェックをしていた。  会議が終わり、ほっとしたつかの間の時間。    くまざわ書店というのがあるので入ってみた。  何か面白い本がないかなと。  しかし、なんだか読む気が結局しないので、  「噂の真相」を買って駅に向かった。    読み始めて、すぐに後悔する。  有楽町で乗り換えて、地下鉄へ。  ぼんやりと地下鉄の中の人たちを見る。  そのせいか、奇妙な夢を見た。  私はなぜか栃木県の小山に行こうとしているのだが、  途中の地方都市で車を止める。そこから、新しくできた 豪華列車が走るというのだ。  迷いながら乗り込み、やっぱり車で行こうかと思っている うちにドアが閉まる。  列車の中は、サロンやソファがあって快適である。  しかし、なぜか、乗っているのがダークスーツを着た サラリーマンばかりである。  皆、押し黙って前の方を見ている。窓の外を見ようともしない。  私は、居場所がなくなって、列車の中をうろうろしていた。  白いリネンのかかったソファが置かれた一角があって、 ここはグリーンだから座れないかなと思う。  その横に、ひちゃげた丸い椅子が、窓際に一個だけ空いていた。  私はほっとしてそこに腰掛けた。  夕暮れの街が見える。  だが、すぐに暗くなっていく。  私は、あの車をどうしたらいいのだろうと考える。  会議終了後のpartyで聞いた話。カンディンスキーが抽象画に目覚めた のは、自分の絵を間違って逆さまにかけて、赤い夕陽が差し込んで いるのを偶然見て、そこに全く違った見慣れない絵があることを発見 して驚いたのがきっかけだったそうだ。  こうして、夢の話と現実の体験を混ぜて書いていると、夢も現実の体験 と同じくらい切実な体験であることが判ってくる。  少なくとも、夢は脳に痕跡を残す。  現実が残す痕跡と同じくらい強靱で、同じくらいはかない。 2001.5.9.  ピアニストが、一日6時間くらい、ひたすら練習する。    そのようなメタファーが、今の私にとって必要なのだ、今朝 気がついた。  ここのところ、「窓を開けて」ヴィスタを広げるということに 熱中してきた。  ところが、そのように広げたヴィスタと、自分の身の回り50センチ の空間との整合性がうまくとれていない、そのような感覚が 立ち上がってきた。  それで、今朝、ピアニストのメタファーが浮かんだ。  運動系を通して解放することで、脳の中のシステムのつなぎ換えは 完成する。  ちょっと、ニヒリズムに陥っていたところがあるなと思う。  クオリア問題の火が、言語問題にまで広がってきてしまって、 どうしょうもなく難しくなってしまって、そこを切り開くsingle bright ideaはとてつもなく困難であると思っていた。  「解けない」というニヒリズムが少し頭をもたげてきていたと思う。  しかし、そんなニヒリズムはもう世の中にあふれているのであって、 私がそれにつきあう必要はない。  ピアニストのメタファーは、そのあたりにも関係していると思う。  そう言えば、考えることが、むしろ抑制として働くというモティーフが しばらく前に感じられていた。  その伝で言うと、ピアニストのメタファーは、「考えることの 抑制」から、自分の中の何かを解放しようという方向性なのかもしれない。    今朝も変な夢を見た。   2001.5.9.  地下鉄にのろうとしたら、改札のところで、女性二人連れの定期が 機械に挟まって困っていた。  「そっちにいてください」 と駅員さんが制止して、ブースの中からペンチのようなものを。  肘掛けのような部分を開けて、しばらくローラーの間の 薄いプラスティックを引っ張っていたが、やがてゆっくりと取り出した。  その瞬間、OL風が、  「イェーイ」 とゆっくりのばすように言った。  それから、丁寧に、「ありがとうございました」 と頭を下げた。    言葉にも地層がある。  同じ人が、モードをさっと変えるので、驚く。  電車の中で平気で化粧をする人も、それなりの場に出たら慎ましく しているはずだ。  前頭葉は、むしろ柔軟にコンテクストを切り替えている。  ホームから、鼻にチューブを入れたおじさんが歩いてくるのが見えた。 ローラーの付いた小さなバッグを転がして、そこからチューブが出ている。  電車に向かって歩きながら、おじさんは、椅子に腰掛けている母親 二人、子供二人の方を見て手を振っている。  母親たちは会話に熱中しているが、子供は不思議なものを見るように おじさんをみながら、手を振りかえしている。  おじさんは、喝采の中舞台を去るのを惜しむ喜劇俳優のように、 ゆっくりと手を振りながら乗り込んできた。  小さな顔がにこにこしている。  その下に、トマトのようにふくらんだ胸がある。  首から腰の間が、短いように感じる。  枯れ草色のバッグの中に、透明な液の入った袋と、それに ついた気圧計メータのようなものが見えた。    電車が走り出すと、おじさんは私の方をまっすぐに見たので、 私は目を伏せて手元のコンピュータ画面を見た。  正常と異常という区別があるわけではない。  ただ、なぜか動揺する。  自らの身体性が揺らぐ。  おじさんが、トマトの上に首が載っているのならば、 自分は山芋の上に首が載っているのではないか、そのように 感じる。    小さな時、「ただいま」という言葉が不思議で、 何回も「ただいま」と言ってみて、その無根拠性を味わった。  違和感のある言葉は、違和感のない言葉も依拠している あやうい基盤をさらけ出す。  言葉の違和感と、身体の違和感は、同じようで違うところがある。  あの、「イエーイ」のOLもこの電車に乗っているのだろうか、 ふとそう思った。 2001. 5. 12 黒木玄さんのHPで、最近の 澤口俊之さんの教育論について、きちんと批判しないと私の名前が 挙げられていた。 http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Tmp/sawaguchi.html  脳科学が対象としているのは、それぞれが数千のシナプスで結ばれた、 千億のニューロンからなる複雑なシステムである。  しかも、この複雑なシステムは、常に外界と相互作用している。    科学は、システムの属性を、ある視点から切って、そこに法則性を 見いだすという形で進んできた。この方法論を脳科学に当てはめる こと自体は問題がない(というか、それ以外の方法は今のところない)。  しかし、その結果だけに基づいて、脳、人間について単純な 「割り切り」をすることは多くの場合間違った結論を導く。  電気生理学は、単純化されたタスク遂行時のニューロン活動を計測 する。しかし、現実の脳は、変化する外界と相互作用しつつ、常に コンテクストを切り替えつつ機能しているのであって、単純な タスク遂行時の結果が、ただちに生の脳のふるまいに外挿できるという 保証はない。  脳科学に基づいて、教育や社会の問題について明確にいえることは、 現時点ではほとんどない。  だから、脳科学者が教育問題や社会問題について発言する時は、 脳科学のデータ に基づいて発言しているのではなく、その人の人間観、世界観に基づいて 発言しているのだと考えた方が良い。もちろん、普段、その人の脳が 脳科学者としての仕事に使われているという事実、その過程で脳に ついて様々な知見を得ているという事実は、その人の人間観、世界観 に影響を与えているだろう。しかし、脳科学者の教育、社会問題に 関する発言が、脳科学のデータによって裏付けられたものである と考えない方がいい。  澤口氏の教育問題、社会問題に対する発言は、脳科学に基づく 科学的発言と考えるよりは、澤口氏自身の人間観、世界観に基づく ものだと考えるべきだろう。  それから先は、個々人の判断である。  私自身は、電車の中で化粧をしてもいいと思うし、戸塚ヨットスクールは 理不尽な暴力だと思うが、その逆の評価をする人も、世の中にはいる。  これは、個性の問題であって、脳科学のデータに基づいて議論できる 性格のものではない。 2001.5.13.  なぜ、ここのところBritish Comedyに凝っていたのだろうかと 考えた。  どうやら、クオリア問題を含めた、世界のある種の動かしがたさ と関係している、そのように思った。  Daniel Dennetという哲学者がいる。Consciousness Explained などの著作の中で、一貫してクオリアがhard problemであることを 否定している人である。ArizonaのTowards a Science of Consciousness の会議で、生でDennetを聴いたことがある。 演台に片手を載せ、完璧にコントロールされて、そのまま印刷できる ような文をしゃべった。たぐいまれな能力を持った人だと思った。  DennetはStandup Comedianだったのではないか、Comedyの問題を 考えていて、そのようなことを思った。  人間はなぜ死ななければならないのか、人間はなぜ心を持っているのか。 意識と無意識の間の関係は何か? このような難問に、正面から激突 する心の持ち方というものがある。クオリア問題を問うということは、 まさにそのような心の営みである。一方、Comedyを演じ、楽しむのは、 世界のある種の動かしがたさを認め、それは動かし がたいものとしてあきらめて、その上で何とか生きていこう、生の やりきれなさを何とかやり過ごそう という心の持ち方である。  Daniel Dennetは、どこか深いところであきらめている。だから、 彼の言動は、どこか深いレベルでfarce(笑劇)に通じる性質を持っている。  そういうことだなと思った。  随分楽しんだが、そろそろComedyの気分にも飽きてきて、また 世界の動かしがたさとガチンコで激突したくなってきた。  Dennetは、愛すべきComedianとして、本棚の目立つところに 置いておこうと思う。  British ComedyのVideoを時々取り出して見ることがあるように、 Dennetも時々取り出して読むことがあるだろう。 2001.5.14.  10年ほど前、「食べる哲学者」 塩谷と新宿の街を歩いていて、銀座に本店のある 「ぶどうの木」という店の支店を、確かに見たような気がした。 「ぶとうの木」という看板があって、ビルの中の上の方だった。  確か、新宿三丁目の少し手前だった。  ぶどうの木は、松屋の裏にあって、2階がデザート専門の喫茶店に なっている。フランス料理の最後に出てくる大皿のデザートだけを 取り出して提供するコンセプト。歌舞伎を見に行ったときなどに 寄っていた。  その支店が、新宿にあるというので、とてもうれしくなったのだが、 それからいくら探しても見つからない。  「確かにあったよな。」  「ああ、そうそう、区役所の手前あたりだったよね。」  「絶対に見た記憶がある。紀伊国屋の裏あたりだった。」  「そう、あの話をしている時だったよな。」  あまり見つからないので、ついにイエローページを見たが、そこにも 載っていない。  さらに、ぶどうの木の銀座本店のパンフレットにも載っていない。  狐につままれたような気分で、しばらくすっきりしなかった。  二人の人間が、同時に幻想を見るということがあるのだろうか?  三週間前、雨の中を、MDで養老さんとの対談を聞きながら、 インデックスを入れる作業をしていた。  家から散歩するコースで、今まで行っていない方向に足をのばした。  何の変哲もない住宅街の一角に、だんご屋さんがあった。    子供のころ、とてもおいしいだんごを出す「まきや」という店があって、 大正1年生まれのおじいさんが炭で焼いていたのだが、それ以来、どこに いってもまきやの味がない。飯能に少し似ただんごを出すところがあるけど、 まきやと全く同じではない。  どうも、商業主義で大量生産しているだんご屋はだめで、 ふつうのだんごは、まきやのに比べるとまるでプラスティックの 粘土のような気がする。  どこかに、昔ながらの作り方をする店が化石のように残っていないか。  それで、住宅街にあるその店を「おやっ」と思った。  こんど、ぜひ来てみようと思った。    それから、何回かその住宅街のあたりを車で回ったり、ジョギング しながら回ったりしているのだが、どうしても見つからない。  日曜日、うつくしい太陽の光の下、ジョギングしながら回ってみたが、 やはり見つからない。  このだんごやも幻になってしまうのか。  ぶどうの木もだんごやも、話に夢中になったり、考え事に ふけっていたりと、あまり注意がいっていないという共通点はあるのだが、 その割には「確かに見た」という確信は強い。  どうにも、不思議だ。  そういえば、雨が降ったいたということも共通している。  主観的には強烈な確信があるのに、客観的世界がそれを裏付けない。  なんだか、自分の脳もあやういなと思う瞬間である。 2001.5.15  Y国大のSさんが、客員をしている東工大の院を受けるというので、 CSLに見学に来た。  ちょうど、長島君と柳川君も来て、3人でしばらく議論した。  日も暮れて、缶ビールでも飲むかということになって、長島君に 買いにいってもらった。  CSLの隣には、シーメンスビルがあり、その手前にちょっとした 半円形の公園がある。  そこのベンチで、4人で空間を囲い込むように座って、長島くんに 買ってきてもらったビールとチップスで歓談。    見上げると、シーメンスビルの上の方の窓が、まるでオーロラのような 虹色の輝きを見せている。  特殊なフィルムでも張ってあるのだろうか。  このように、五反田で野外でビールを飲むというのは、CSLに来て 以来初めてある。  この「一回性」を導いた要素を、麦色の液体を口に含みながら考察 してみる。  突然街灯がともり、我々の座っているあたりがぱっと明るくなった。  それで思い出して、柳川君に。  最近の朝日の日曜版に載った「ホタルの 木」に対する読者の投書は良かったね。投書がたくさんきて。  戦争で南方にいった人たちから。  第二次大戦中に見た光る木は、なんだったのだろうと思っていたが、 あの日曜版の記事でやっとわかったと。  あの反響は、記者も予想していなかったんだろうね。  明日死ぬかもしれないという南の島の夜の暗闇の中で、なぜか明るく 光る木を見た体験。  一生忘れられないものだったのだろうね。  久しぶりにいい記事だった。  映画になる題材だね、あれは。  ぱっと、水色の大きな蛾が飛んで来て、後ろの植木に止まった。  「オオミズアオだ。」  私は立ち上がって、植栽の方に足を踏み入れていった。  「あれは、蛾なんですか」と柳川君の声が聞こえる。  透き通るような、深い、美しい、羽。  止まっているところを良くみようと、近づいた。  10秒間くらい、その時間の流れが色彩化したような羽を 見ることができた。  この世のものとは思えない、異様な印象を与えるその色。    ぱたぱたぱた。  オオミズアオは、再び羽ばたいて、シーメンスビルの方向に飛んで いってしまった。  また、しばらく缶ビールを飲んでいて、突然、さっき見た蛾は、 近縁種だが、オオミズアオではないことに気が付いた。  長い尾がない。  家に帰って、インターネットで調べてみると、やはり形が違う。  オオミズアオにはある、前羽の縁もなかったように思う。  私が見たのは、丸みを帯びた、タテハチョウのような羽だった。  しかし、あの、引き込むような色は共通だ。  なんという名前の蛾なのか、今度しらべてみようと思う。 http://www.kcn.ne.jp/~tkawabe/kon-gaoomizu.htm  仕事がタイトなので、早めに切り上げて、家に向かった。  南方の戦場で兵士たちが見たホタルの木と、自分が五反田 で見た深いミズイロの蛾。  重なるようで、重ならないようで、様々なものが揺れ動く。 2001.5.16.  代々木駅。  最相葉月の「青いバラ」を読みながら、電車を待っていた。   来た車両は、随分詰め込まれていて、いやだなと思いながら リュックを右手に持ち替えて乗り込んだ。    セーラー服の女子学生が5人、乗っていた。  リュックが、彼女たちの足に当たるのではないかと思って、 できるだけ自分の足元に引き寄せた。    「あー、こんなに混んでるんじゃ、仙台に帰りたくなるね。」  「そうだね〜。でも、仙台も、狭いところは狭いけどね。」  「1時30分でいいのかな。まさこ、時計持っていたっけ?」  「いいんじゃない。だいじょうぶだよ。あみは、ジャニーズにいく んだっけ?」  「うん、ジャニーズ。」  「それじゃ、あみと私は、ジャニーズ・ショップにいこう。」  「場所、わかるかな。」  「わかるよ。出たらすぐ、わかる。」    原宿に着いて、乗客が降り始めた。  彼女たちも降りて、一人の手元を見ると、5組26番とかかれた ノートを持っていた。  時間が混じり合う、不思議な感覚。  冷たい水の中で泳いでいて、突然暖かい水脈にふれたような。    五反田で降りて、CSLに向かう。  いつものように、ティッシュを配っている人たちがいる。  消費者金融のティッシュを配っている二人の女の人。  修学旅行で一度目に来て、就職で二度目。  そんな東京都の関わり方を持つ人は、確かにいるのだろうと 思って、いつもより少し長くもらったティッシュを見つめた。 2001. 新幹線の中でOHPを書いていくために、 池袋駅のコンビニでマーカーを買った。 レジが3つあって、次々と流れ作業で客をさばいていく。 麻の背広を着た男の人の後ろにならんだ。 手早く払い、去っていく。 私は、赤と黒のマーカー、ノート、ペンを 差し出した。 535円です。 面倒なので千円札を出した。 レジの女の子の動作がおかしい。 視線が定まらず、レジを打つ手がさまよっている。 ためらうように、レジ台の上を目が泳ぐ。 おや、と思った。 何かに注意をとらわれているのか。 それとも、このような、注意散漫な人なのか。 レジが開いて、おつりを出し始めた時に、さっきの サラリーマンが帰ってきた。 レジの横に、白いビニル袋が置いてある。 サラリーマンは、レシートを出して、 白いビニル袋を指した。 「これ、すみません」 「あっ、すみません。」 女の子が、ほっとしたように白い袋をサラリーマンに手渡した。 それで、視線の謎が解けた。 丸の内線に乗ると、すごい人で、視線を追っている余裕などなかった。 それぞれが違う方向を見ている。 ほかの動物集団で、このようなフェイズはあるのか? 2001.5.18.  駒場での授業の後、池上高志さんたちと駒場の謎の刺身酒屋で飲む。  それは、水曜日のこと。  今は、講義のため大阪に来ている。  阪大工学部での授業が終わった後、ロボカップを組織している浅田稔教授と 助手の高橋さん、それに学生の荻野さん、吉川さんと車で出かけた。  到着したのは、広い道路沿いのフランス料理屋。  浅田さん「覚えています?」  主人「えー、おぼえてます。その帽子は忘れ様にも忘れられない。」 (浅田さんは、いつもさすらい人Wotanのような帽子をかぶっている」  主人(浅田さんに歩み寄りながら)「でも、ゴメン。名前は忘れて おります。」  浅田さん「鈴木です、なんちゃって。」  テーブルに付くと、主人がやってくる。  「今日は岡田さんは来ておらないのですか。」  (浅田さん、高橋さんの顔を見て)「ええ、ちょっと。」  「それは残念。今日はデザート力入れて作ったのに。一生懸命 やらせていただいております。」   (高橋さん)「Bを4人、予約してあるのですが。」  「で、何にしましょうか。」  (浅田さん)「おまかせにしたらいいのとちゃう。」  (主人)「おまかせということにしていただいたら。お任せになると、 サービスしてしまうんですよ。」  最初からワインでいいですと言ったら、浅田さんが3コマも授業して 大変だったろうから、ビールを飲みましょうと言ってくださった。  店の人が、「乾杯ビールですね。」と受ける。  乾杯ビールが、3本来る。  ぜひ、認知ロボティックスを盛り上げなくては。  二足歩行して、かわいい形をしているのがヒューマノイドではない。  日本の役人は、科学技術がわかっていない。  イルカは手がないのにどうして鏡で自分をうつしている意味があるのか。  シンボルマニピュレーションが、どのように一般行為に現れるか。  約2時間と、白ワイン、赤ワインの後。  千里阪急ホテルにチェックインが遅れますと電話する。  (浅田さん、拍手しながら)「すばらしい。とてもよかった。」  (主人)「ありがとうございます。みなさん、将来の日本を支える 人たちで。」  (浅田さん、高橋さんに)「ここ、また使おうか。」  「ぜひ、いらしてください。今度はいつきます?」  「週一回くらいで(笑)。」  (若い料理人)「週一回とはいわず、二回でも、三回でも。」  (主人)「それはちょっと。大学の先生、公務員やで。」    どこに住んでいるのかと聞かれたので、東京だけど、大阪に来た時は 寄らせてもらいます、  関西の人たちにも教えますと言ったら、  「ええ、ぜひ。なるべくお金持ちの人たちを。」  それが主人の最後の言葉だった。  こうやって掛け合いを再現すると、上方落語のようである。  関東では絶対にない会話だったような気がする。     2001.5.19  大阪大学の授業が終わって、夕方から、なんばグランド花月にいった。  10年前だろうか。学会の時に、いったことがある。それ以来、 何回かなんばで探したのだが、見つからない。  今日はHPで地図を落としてきたが、それでも探しあぐねる。  結局、開けた通りがどん詰まりのように見える少し細く雑多な 道につながっている、そこにグランド花月があった。  前に立ってみると、確かに記憶の空間イメージがよみがえってくる。  グランド花月は、舞台の背景に大きなスクリーンを出してイメージ映像を 流したりなど、東京の寄席に比べて随分モダンなつくりをしている。  そんな中で、笑福亭仁鶴が出てきてざぶとんの上にちょこんと座ると、 ちゃんと場が締まる。  今まで、どつきの漫才に笑っていた人たちも、言葉の微妙なニュアンス に耳を傾けるようになる。  東京に出てきている吉本と違って、大阪の人たちが、普段着で、あるいは 普段着さえ脱いでくつろいでいる空間。  新喜劇は、ちょっとした動作や言葉で笑わせるが、それはくすぐりで、 芯は人情物語である。  不謹慎だが、「やぶれいくものの・・・」という連想がうかぶ。  その時々の文明の中心よりも、少し周縁の方が、人生、世界の様々な ニュアンスに対する感受性を発達させられるのかもしれない。  大阪大学へのタクシーの中で、オリンピックの話をした。  「来てもらいたいですね。」  「そうでっしゃろ。なんか、ぱーっと盛り上がらんと、あかんですわ。」  「阪神でも優勝すれば、盛り上がんだろうけど。」  「また25年後とちゃいますか。 オリックスでも、ブレーブスでも いいから、優勝して日本シリーズでもあれば、盛り上がると思いますけど。」    仁鶴を聞きながら、新喜劇を見ながら、  そんなタクシーの運転手との会話がなぜか思い出されてきて、 心のどこかから、バターのような固体が暖められて 液化したものがふわっとしみ出してきた。    CSLで研究をして、今は阪大の博士課程にいる  田谷くんと高島屋の前で待ち合わせて、宗右衛門町の高嶋に行く。  2年ほど前、道頓堀からふらふらと北上していて、初めてこの店の 前を通り、「花見弁当」という書き物に惹かれて入った。  それで、私の中に「上方料理」というイメージができた。  ご主人の高嶋さんの顔と、そのたたずまいを見ていると、  東京では絶対に感じられない何かが伝わってくる。  大阪にくると、かなりの確率でここに来る。  田谷くんとは、ニューラルネットの入力、出力というメタファーを いかに超えるかという話を。  泥のように眠るというのは、このようなことを言うのだろうか。   新大阪を出たのは覚えている。読みかけの週刊文春と、伊藤園のお茶を 前の網に入れたことも覚えている。    それからの記憶がない。気が付いたら、新横浜だった。  成増からタクシーを拾う直前、笑いが止まらなくなった。  選挙が近いのか、ポスターがたくさんはってある。  ○○こうぞうという人のおでこの ところに、「98才」と黒ペンでイタズラしてある。  おでこがはげ上がっていて、ちょんまげのない 時代劇状態の顔。そこに「98才」。  となりに、同僚なのか、ワニガメみたいか顔のおじさんが写っている。  カバンを持った手がふるえて、さらに歩いていくと、そのあたりに 張られているポスターの○○こうぞうのおでこに、「98才」「98才」 「98才」と書いてある。 「98才」というのはうまい。バカとか落ちろとか書くより、よほど うまい。  あまりにおかしくて、コンビニに寄るのを忘れて、タクシーへ。  二人の若者がギターを鳴らしながら沖縄の旋律に近い奇妙な歌を うたっていた。  駅前広場を、三人の若い女が歓声を上げながら歩いていて、時々 車を止めていた。  自転車に乗った茶髪の二人が通り過ぎ、「なにこんなところで はしゃいでいるんだろう」とつぶやいた。  それが、タクシーに乗り込む直前に私の脳が切り取った世界の かけら。 2001.5.20.  最近、ある種のインターネット上のメディアには、げんなりしている。  たとえば2チャンネル。最初は面白かったが、やはり便所の落書き だった。そのように感じて、もう見なくていいやと思うようになった。  たとえば、殺人事件の被害者がかわいいとかかわいくないとか、そんな 書き込みをしている。これはまさに便所の落書きである。そういう やつが出てくることは、容易に想像がつく。でも、そんな繁殖するカビに、 (藁 とか、アマエモナーとかつきあっていても、むなしくなるだけだ。  どんなメディアにも、そのメディアに特有の病理がある。地上波テレビ で言えば、企業の広告によって支えられていることが、かなりの制約 要因になっている。何らかの消費に結びつけば、地上波はOKなのである。 大量消費をやめよう、自然に帰ろうという番組でも、それがアウトドア グッズ、旅行の消費につながれば、それはOKである。恋愛というのは、 たいてい消費につながるものだから、地上波の主要なコンテンツになる。 同性愛はまだタブーだが、そのマーケットが見えて、消費につながる と判ればOKになるだろう。  インターネットのメディアに固有の病理は、多くの人が指摘している ように、閲覧、書き込みがあまりにも容易だということだ。指先で ちょっとクリックすれば、情報がやりとりできる。ちょうど、 机の上でおはじきを弾いているような脳の使い方。この容易さが インターネットの良さでもあったはずなのだが、そのような脳の使い方 ばかりしていると、藁とかオマエモナーということになる。  ネットサーフィンばかりしていると、結局、おはじきを一日中 弾いていることになりかねない。  最近、お世話になった人たちに、筆ペンのへたくそな字で葉書を 書くことを少ししているけど、あれはバランスをとろうとしていたんだ なあと思った。  もちろん、インターネットを否定しているわけではない。ある種の 問題は、インターネットが登場しても相変わらず、動かしがたいものとして そこにあるということである。  2チャンネルは、その動かしがたい岩の上にびっしりついた苔であって、 岩自体を動かす運動にはつながらないだろう。 2001.5.21.  漱石の「それから」を読み返していたら、ここ数日の 気候にぴったりの記述があった。    歩いていると、湿っぽい梅雨がかえって待ち遠しいほどさかんに日が 照った。大助は昨夕の反動で、この陽気な空気の中に落ちる自分の影が 苦になった。広い鍔の夏帽を被りながら、早く雨季に入れば好いという 心持ちがあった。その雨季はもう二、三日の眼前に迫っていた。彼の頭は それを予報するかのように、どんよりと重かった。  (岩波文庫版だと、201ページ)  夕方涼しくなるころ、走り出して、止まらなくなって、久しぶりに 12キロぐらい走った。  折り返しの場所に歩行者しか通れない短いトンネルがあり、 そこを中学生が二人、自転車に乗って通るところだった。  一人が、トンネルの中に入ったとたんに、「あ〜あ〜あああああ〜あ〜」 と、さだまさしの「北の国から」のテーマソングをやりはじめた。 反響して、何段かはいい声に聞こえているようだった。  そこでUターンして、再び緑の中の道を走り始めた。  少し昔、親友の田森佳秀が、「マラソンは数学だ」と言い出して、 研究室の学生にマラソンをやらせて不評をかったと聞いた。  今日、なんとなく田森の理屈が判った。マラソンは、脳を鍛える 側面がある。生物の特徴として、ある一つのことをやっていると脳が バラエティを求めてさまよい始める。そこで「耐える」ことがマラソン をやると鍛えられる。  夕暮れの空の今にも銅鑼が鳴り響きそうな 緊張があって、その緊張がずっと続くと、次第に耐えられなくなって くる。その回路からはずれようという衝動に負けずにがんばっていると、 次第に緊張が濃密なものになっていて、銅鑼がますます鳴りそうになるが、 なかなか鳴らない。    うまくいえないが、そのような内的感覚で記述できるような脳のモードが マラソンでも数学でも共通しているように思う。マラソンすることで、 鳴りそうで鳴らない銅鑼に耐えるという脳の働きが鍛えられる。それが、 数学にも転用できる。  田森の「マラソンは数学だ」という命題は、そんなことか。  まだだ、まだだ、と、脳を鍛えるために、足ががくがくし始めた のを、もう少し走った。  身体を鍛えるのではなく、脳を鍛えるスポーツとしてマラソンを 見る。  今日の収穫はこれだなと思いながら、暗くなりはじめた光が丘公園の木立 の中を抜けていった。 2001.5.22.  ミームというのは、案外重大なことなんだな、と最近つくづく思う。  簡単な話で、ある情報が複製されるメカニズムが出来た瞬間に、 どの情報がより多く複製されるかという競争が始まる。  遺伝子の系のコンペティションと別に、ミームの系のコンペティション も熾烈になる。  ポップ・ミュージックは、ミームとして伝わりやすい構造を持っている。 特に、CMなどに使われる「さび」の部分は短いし、何回も流せるから、 街角などで人々がふと耳にすることによって伝搬していく。  それに比べて、本格的な長編小説はミームとして伝わりにくい。伝わる ことがあるとすれば、本体ではなく、付随しているラベルやイメージで ある。このあたりに、本離れの本質があるように思う。  インターネット上でメイルやファイルを転送するのは簡単だから、 面白いものは、あっという間に広がっていく。しばらく前に、 「マルコポーロがジパング」について語る」というMP3が流行った ことがあったが、あれなどは、人から人へと、あっという間に伝わって いったように思う。  どのような形で情報を設計して、流通すれば人口に膾炙するのか。 そのような「ミーム戦略」は、考えている人は考えているのだろうが、 私はあまり考えてこなかった。どちらかというと、小林秀雄が、 「私は、最近、黙っている人の間にどんなに偉い人がいるんだろうと、 そんなことを思うんです。若い頃は、いい仕事をすれば、必ず 世の人が知ると思っていた。優れた人は、必ず世に現れると思っていた。 しかし、最近は、そんなに単純なことじゃないとわかってきた。 黙っている人の間に、どんなに偉い人がいるだろうと、そんなことを 考えるようになった」という時に、共感を覚える。  世の中に流通しているハリウッド映画、浜崎あゆみ、長島茂雄 などというイメージもミームなのだなと考えると、いろいろ納得の いく側面がある。私も、本当に価値のあるものは、どこかに密かに 隠れているのではないかと思うが、小林秀雄の思想がもしミームとして 流通しなかったら、私が彼を知らなかったことも事実である。  世の中に、流通性へのオブセッションがあることも事実だ。 そうでないものは、生き残って来なかったのだろう。  そんなことを、朝、林の中を散歩しながら考えた。 2001.5.23.  東大駒場の池上高志さんがCSLに来た。  理研から、猪狩くんも来た。  2人でしばらく議論しているようだったので、  私は部屋で仕事をしていた。  しばらくすると、池上さんが、Is Dr. Mogi here? などと言いながら来たのでソファのところにいった。 (池上さんは、ふざける時はなぜか英語になる)  池上さんが、買ったばかりの小型プロジェクタを自慢している。  話をしながら、  「脳とクオリア」の4刷が刷り上がって、日経サイエンス社が 送ってきてくれたので、開封してみてみた。  今回から、updateのpage  http://www.qualia-manifesto.com/qualia.html が奥付に載っている。  「脳と心の問題は、21世紀のアインシュタインを待っている」 という帯のコピーは、今となっては少し・・・と編集部の詫摩さんと 話していたのだが、そのままになっている。  まあ、でも、待っていることは間違いないのだから、それでいい と思う。  池上さんとは、必ず、難問題の議論になる。  言語が、input outputだけ見ていたら絶対に判らないだろう、 子供は黙って大人の言葉を聞いていて、突然しゃべり出す。 池上さんは、それがElman Networkとかでこういう attractorができるとかいって研究していることだと。  だから、そこのattractorとかの力学構造をどう見たらいいのか、 そこが判っていないのではないか、言語というと、私は やはり志向性の問題が気になってしまう。  羽尻公一郎が遊びに来て、池上さんがHello. Have I seen you? I forgot your nameなどとふざけて、羽尻が、「池上 さんのジョークは面白くない」と言って、それで議論は拡散の 方向に。  拡散と収束を繰り返しながら、我々の人生は取り返しがつかない 形で進んでいく。  考えてみると恐ろしい。 2001.5.24.  イギリスのアマゾンからビデオが届いたので、つけてみた。 普段は離れる時は停止するが、そのまま流した。  いろいろ用事を済ませて戻ってきてみると、当然「番組」は 進んでいる。  まるで、ビデオではなく、放送されている番組のような感覚が 立ち上がる。  自分が停止、開始をコントロールするのではなく、勝手に向こうが 流れている。そのことが、あるambientな雰囲気を醸し出す。  ブロードバンドで最初に立ち上がったのは、どうやらonline radioである。 Internet上の情報というと、いつでもそこにいけばclickして見られる ものだったが、online radioの情報は、その場で消える。  その時間帯に聞かなければ、その情報はそれまで。デジタルデータが、 流れて、消えていく。これは、Internet上の情報のあり方を考える上で、案外 画期的な出来事なのではないか、そのように思う。  生命は、ある時に現れて、痕跡を残さずに消えていく。  ギフチョウは、「春の使者」として現れ、そして消えていく。  もちろん、こうしてこの日記を書いている私という現象も、 宇宙の中にある一時期だけ現れて、消えていく。  Internet上を流れるonline radioの音声は、現れては消える デジタルの固まりとして、少し生命に近い性質を持ち始めたかな と思う。  私たちの身体を作っているタンパク質は、2週間もすれば 入れ替わる。身体組織というのは、ある時期をとれば安定しているように 見えるけども、その背後では、タンパク質という情報が、現れて は消えていく。  文字、写真、デジタル・データという、「消えない」外部記憶 を手に入れてから、人類はどうも「全てが今限りで消えていく」 という感覚を忘れがちのように思うが、「全てが今限りで消えていく」 のが、実は世の中の実相である。  生と死の問題も、より抽象度が高い領域で見れば、 「全てが今限りで消えていく」という時間の流れの中の存在形式の 問題そのものである。    いわゆる「科学的真理」でこの世界の謎の全てが汲み尽くせる はずがない。 2001.5.25.  朝、近くの林に散歩に出かけた。  このあたりは農家の屋敷森が少し残っていて、税法上の優遇措置でも あるのだろうか、「憩いの森」として提供しているところがあちらこちら にある。  細い道が、ぐるりと回っていて、気分転換になるので時々歩く。  道の横に生えた、10メートルくらいの高さの木だろうか、その、 4メートルくらいの高さの枝から、一匹の毛虫が糸でぶら下がっていた。  葉を食べていて落ちてしまったのだろうか、糸をぱっと吐いて、 かろうじてとどまったのだろうか。  身体をくねらせて、少しづつ上に行く。  2,3分見ていたら、最初は私の頭くらいの高さにあったのに、 はっきり判るくらい、見上げる角度になってきた。  漱石の「それから」で、代助が人生を変える決断を した直後に、英文雑誌の中のMountain Accidentsの 特集記事を読むというくだりがある。登攀している男たちが、ほんとうに ちょっとしたことで、ザイルが切れ、谷底に落ちていく。そのような 山岳事故の事例を淡々と集めた記事を代助が読む。  深い象徴性に、漱石の天才が現れている。  私の目の前には、細い糸にすがって再び葉々に向かおうとする 毛虫がいる。  緑色の地に黒い線が2本入っていて、 幾つ足があるのだろうか。  時々くるくると回転してしまう。  そのような 時にはくねらせるのを止め、回転がとまるのを待つ。  止まると、再び身をよじり始める。  これは、extraordinaryな光景だなと思いながらしばらく見つていた。  憩いの森を一周して帰ってくると、葉々の距離の半分はすぎていた。  疲れないのかなと思いながら、見届けようと毛虫の姿を見つめた。  突然、毛虫は落ちた。  細い道の上に落ちて、くるっと身体を曲げると、そのままもぞもぞ とし始めた。  糸の強度が足りなかったのか、足が滑ったのか、とにかく毛虫は 落ちてしまった。  毛虫のいた木の根元までは3メートルは 何もない土塊の大地が広がっている。  しかも、どっちの方向にいったらいいのか、おそらく彼には判らない。  落ちている葉で毛虫をすくい上げて、木の方に運んでいってやった。  葉々が高いところに生えていて、届かない。仕方がないので、 幹の又に葉ごと置いて、立ち去った。  それが3時間前だが、今あの毛虫はどうしているだろうか。  森の中で日々起こっている様々な出来事を考えると、ドラマトゥルギー というのはどのスケールで始まって、どのスケールで終わるのだろうか と思う。 2001.5.26.  赤い電車に乗ろうとして、遠いホームの端を見たら、  一瞬、暗いトンネルの向こうに、燃えるような新緑が見えた。  赤々とした太陽に照らされて、そこだけがぼっと明るく、 鳥のさえずりもかすかに聞こえてくるような気がした。    真夏の昼下がり、空には入道雲があり、葉の一つ一つが エメラルドのように輝いている。  そんな風景が見えた。  そのようなイリュウージョンは、ほんの2秒間。  丸の内線池袋駅のトンネルの終点が外に出ているはずがないな と思い直して考えてみると、ホームの端にマツモトキヨシがある。  マツモトキヨシの強い店内照明が、遠くから見たら、 一瞬、エメラルドの葉の海に見えたのだった。  どうも、空間感覚がおかしくなっていた。乗り換える時、 丸の内線の改札機の列が、JRのそれに感じられて、おかしい、 こんなところにJRがあるはずがないと思った。  地下鉄ならば、細長いカマボコ状の列をつくっていて、 向こう側の改札機が見えているはずだ。それが見えずに、 改札機の向こうに広がりがあるような気がした。  ならば、JRだ。  おかしい、と思いながら近づいていくと、やがて向こう側の 改札機が見えてきて、ああ、やっぱり地下鉄だと思った。  現実にないものでも、脳の中で一瞬イリュージョンが生じると、 現実の体験と同じくらいのインパクトを残すことがある。  ホームの端に見えたような気がした、あの明るい照葉樹林の光景は、 自分にとっての何かを象徴しているような気がする。  そんなことを考えながら本郷三丁目で降りた。  階段の位置が、イメージよりも東京寄りにある。  それで、また脳が微妙な修正をしなくてはならなかった。  現実と脳内イメージのずれが、三回連続して起こった。今日の俺の 脳には、何が起きているのだろう。  山上会館で、若林健之教授の退官記念シンポジウム。  今や構造生物学から足を洗っている私は、ずっと司会をしながら、 その後の生体運動系の研究成果を聞いていた。  チョモランマの山容に人間がしがみついて登っていくように、 目に見えないタンパク質の小さな小さな構造に、たくさんの研究者が しがみついてどこかに登ろうとしている。  懇親会後、白木原康雄さん、最上要さん、長島重弘さんと 赤門前の「白糸」で飲んだ。  最上さんがふっと消え、入れ替わりに田森佳秀がやってきた。  田森は、明日からアメリカのデゥーク大学で行われる Association for the Scientific Study of Consciousnessの会議に行く。 私も行くはずだったが、Lyonで行われるWorkshopの方に行くことになった ので断念。  それにしても、同じ脳を使ってやっているのに、構造生物学と 脳科学、認知科学はなぜこんなに違うのか。  構造生物学は、禁欲的な営みだと思う。  大学院の5年間、そのような分野にいたことは、痕跡として私の 脳の中に残っている。 2001.5.30.  教育に関するworkshopで、Lyonから北の方にいった Chateau Bagnolsというところに来ている。 http://www.bagnols.com 来てみてわかったのだが、Beaujolais地方の南の端の方で、ブドウ畑の 広がる丘に、日差しによっては金色に見える石が積み上げられた城がある。  キッチンが、ガラス張になっていて、その中で白帽を被ったシェフ たちが忙しそうに働いている。  私の出番は今日で、これからpowerpointのファイルを最終的に 手直ししようと思う。  朝、何となくテレビを付けたら、以前TBSか何かで やっていた「風雲たけし城」がTakeshi's Castleというタイトルで、 ドイツ語のナレーション付きでやっていて、しばらくぼんやりと見て しまった。谷隼人がナポレオンのような格好をして、「行け〜」 などと言って、参加者が城攻略を目指して突撃する。 巨大ローラーの飛び石を飛んでいこうとして泥水に落ちたり、 人間がボーリングピンになって巨大な玉が転がってきたり、ばからしくて 面白い。映像で撮っておくと、文化の差を超えて簡単に伝搬する。 やはりテクストは不利だと思う。ミームとしての伝搬速度が遅い。  午後のセッションの終了後、Luc Steelsに連れられてwine tastingに いった。beaujolaisなんて飲めるかと言っていたBernardも結局来た。 ぶどうの背がとても低く、盆栽かと思うほどである。それが曲がって しわくちゃで、年期が入っていることを感じさせる。  城の庭を散歩した。さくらんぼの木が実を付けていて、その下に 白や黄の花が咲いている。blackbirdだろうか、美しい節回しの鳥が さえずっている。  朝食は、庭のテーブルでとる。横に、まるでモロッコかどこかに あるような、丸い石の屋根の貯蔵庫があって、その屋根から草花が 生えている。   見上げると、美しい青い空の中に緑の葉が透き通って見えて、その 透明感を絞ったオレンジジュースの透明感と比べてみる。  至福は今日の夕方までで、Lyonの普通のホテルに移動する。  明日はLondonに飛ぶ。 2001.5.30.  Chateau de Bagnolsからのタクシーは、Olivier Coenenと 一緒だった。  収穫前の小麦のような太陽を浴びながら、Lyonを目指す。  David Mackayが最近Ensemble Learningというのを 思いついて、それがhot topicになっていると聞いた。Independent Component Analysisと違って、信号源のsourceを指定しなくて いいらしい。  それとなぜかClifford Algebraの話も。  Olivierは駅で降りて、タクシーはそのまま街を走っていった。 何しろ、Lyonに関する知識を何も仕入れないで来たので、どこを どう走っているのか、ホテルがどんなところにあるのか判らない。  しばらくして、Bellcourという広場の近くのGlobe & Cecil に到着。    なんとなく、おとなしく仕事をしていようと思ったのだが、午後7時に しては明るすぎる陽光に誘われて、ふらふらと街を。Operaという 矢印に従って歩いたら、Opera National Lyonがあって、ロミオと ジュリエットをやっていた。  グノーはそんなに好きではないので、そのまま引き返す。  だんだん判ってきて、私は川の二つの支流のようなものに挟まれた中州 のようなエリアにいる。丘があり、その上に大聖堂が建っている。 ああ、あのあたりに三つ星のPyramidもあるのかなと思うが、 私はあくまでも中州を歩く。  川沿いに、若者がたばこを吹かして座っている。  1時間くらい歩いて、疲れたのでBellcourの南の広場のカフェに座る。  まずはハイネケンのビール。   目の前に、すずかけの木があり、その樹皮の色が美しい。  見上げると、葉がさざめき、その向こうに月がある。  ああ、なんだか気持ちがいいなと思っていると、アコーディオンの 音が響き始めた。  男が、ローラーブレードで滑走しながら、弾いている。  短く刈り込んだ頭にちょこんとめがねを載せ、深緑色のつなぎを来て、 カフェの客席の間を滑りながら、器用に演奏している。  そのうち、歌を歌い始めた。    動物園の熊のように、客席がある部分を何回も往復する。  人々が、指して笑っている。  フラッシュを炊く人もいる。  男は、客とは全く目を合わせずに、不思議なくらい没入して、  やがて何往復かののち、演奏をやめた。  プラスティックのボトルを持ってコインを集めにくる。  「グラッチェ」と言ったので、ああ、イタリア人だったのか と気が付いた。  男は、しばらく立ち止まってミネナルウォーターを飲み、汗を ふいていたが、その間に20人くらいの若者の集団が新たに席に座った。 どうするのかなと思って見ていたら、そこにいって何か話している。 彼らは演奏した後に来たのだから、金をもらうわけにはいかない。  やがて、男は、その客席の周りを、ミズスマシのように 回りながら、演奏しはじめた。  距離が短いので、往復運動もあわただしい。  相変わらず、周りの客を見ずに、このエキササイズに没入している。  男は、新しい集団客が来るたびにミズスマシになることを 何回か繰り返した。  次第に、あたりは本当に暗くなってきた。  もうすっかり夜だなと思う頃、  男は、ケースにアコーディオンを しまって、バックパックを背負い、横断歩道を猛スピードで 渡って消えていった。  赤信号を無視だった。  40歳代みたいだったけど、どんな人生を送ってきたのかな そう思いながら、私は、Chiroublesのハーフボトルを注文した。  はっと気が付いて上を見上げると、月はもうかなり移動していて、 すずかけの木の間からかすかに見えている。  そうやって上を見ている時に、「デザートは何か欲しいか」と声がした。  名前のわからない、黄色いシロップに白身をふわっと焼いたようなものを 食べながら、やはり散歩に出て良かったなと思った。  2001.6.1.  Cambridgeに来るのは、1999年12月以来だった。  M25が渋滞していて、M11に入ると、すぐにCambridge 34 mileという表示が出た。いつ、左の田舎道の方に曲がろうかと迷っている内に、あっという間にHillsroardに来てしまった。  Cherry Hintonの方へ曲がる交差点に来た時、ああ、戻って来たんだと胸が熱くなった。  ホテルにチェックインしたのが7時過ぎで、しばらくcomputerをいじった後、懐かしいMaster Mariner'sに行く。家から歩いて3分くらいのこのPubに、良く来たものだ。赤表紙の立派な本が沢山並んでいて、それがある地方のある年の牛の品種名を並べたもので、その趣味が気に入っていた。  入ると、ビリヤード台がなくなっていた。赤表紙が並んでいた棚はガラスになっていて、何冊かの名残が高い本棚にあった。それでも、店の中には、昔の名残が残っていた。  IPA one pintを注文して、しばらくテーブルで飲んでいた。隣に若い男3人と若い女1人のpartyがいた。そのうち、男の一人が、「I 'll get me coat」といったので、ああ、本当にThe Fast Showみたいに言うんだなと驚いた。  Real Aleのおじさん:白と黒のギンガムチェックのジャケット、オールバックの髪型、CAMRA。  Saudi Arabiaから来た男。 2001.6.2.  Horace Barlowは、ケンブリッジ大学 生理学研究所の一番上のfloorの、H7に移動していた。  来年には、80歳になる。それでも、今でも早い時間に大学 に出てくると聞いていた。  少し前にいくと、まだ来ていなかったので、廊下にあった のポスターを眺めていた。神経細胞の受容野のパターンが、情報の冗長性 の除去で説明できるという一連の研究だ。  David Tolhurst本人がやってきて、Oohといった。相変わらず、ブロンド の髪をPony Tailにしている。  「Horace Barlowを待っているのです。」  「Ah. 彼は、普通は10時30分には来ているけど、今日はまだみたい だね。」  Davidのドアが閉まる音を聞きながら、ポスターを眺め続けた。1枚 10分かかるから、数個のポスターを見るのに1時間は時間をつぶせる ことになる。  「ヘイ!」  突然、Adar Pelahが廊下の向こうからやってきた。  「あえてうれしいよ。」  「ごめん、いきなりで。」  「こんな風に、まったく予期しないで会うのはいいものだ。」  「最後まで、どのようなスケジュールになるか判らなかったんで、連絡 しなかったんだ。」   Adarは、私と同じポスドクをしていたが、今でも生理学研究所に いる。    部屋に行くと、見覚えのある巨大な投射スクリーンが置いてあった。 2年半の出来事をいろいろ話し合う。  時折、ドアの音がすると、Horaceが来たのかなと思って耳を澄ます。  「このフロアで、ドアの音から場所を推定するのは難しいね」 とAdarが言う。  「今、Adarの部屋にいます。Ken」 という張り紙をHoraceのドアに張って、戻ってきた。  1時間くらい話していた頃か、廊下を歩くなつかしい音のパターンが して、Horace Barlowがやってきた。  少しまたお腹が出たような気がするが、元気そうだ。  思わず笑ってしまうほど、うれしかった。    Horaceの部屋で1時間くらい話した後、  「ランチを食べにいこうか」 とHoraceが言った。  ケンブリッジの街のマーケット広場を通って、曲がった道を行くと、 Trinitiy Collegeがある。ニュートンのリンゴの木が入り口の右側に 植えられている。  潜り戸を抜け、芝生の上を歩いて、Dining Hallに入った。  TrinityのHigh Tableは、白木を寄せ集めて出来ている。  ちょうど、ずっと、情報の冗長性について議論していたところだった。  「このテーブルは、目新しい特徴を持っているように思います。 つまり、木と木の間の、この独特の茶色のつなぎ目が類を見ないもので、私の 脳は、これは新奇な特徴だなと、反応するようです。」  「おお、これは、恐ろしいテーブルだと思うよ。」  Horaceが、笑って言った。  「この『茶色のつなぎ目』は、実は、長い間に食べかすが詰まって できたものだ。」  「本当に?」  私は、良くつなぎ目を見てみた。  「うーん。年期が入っていて、とてもすてきに見えますが・・・」  食事の途中に、Brian Josephsonが入ってくるのが見えた。Brianは、 「ジョセフソン素子」の研究で25歳でノーベル賞をもらった。 いつものように、ごわごわのウールのジャケットを来て、目が どこか変なところを見ている。  「コーヒーを飲もう。」  Horaceと一緒に下の部屋にいく途中、Brianにちょこっと挨拶した。  「下に行くんだろう。」  頷くと、Brianはいつものくせで、手をもみじのように広げて微妙に 揺らした。  Coffeeを飲みながら、Horaceの子供たちの話をしていた。  14歳、12歳、10歳になったというので驚く。  「おみやげに、ゲームボーイアドヴァンスを持って来ようと思ったのだ けど・・・」  「ああ、そうしたら、あなたはヒーローになったでしょう。」  「教育方針もあると思って・・・」  「時間が奪われることを除けば、特に害はないのではないかと思う・・・ それに、幾つかのゲームは、高度な視覚運動連合を必要とするし・・」  真ん中の子は、とても頭がいいと言う。  「それじゃあ、あと何年かすると、ここに一緒にいるかもしれませんね。」  「いや、私が巣を飛び立つのも、そんなに長くはかからないと思うよ。」  「でも、あなたは、とてもいい健康状態にあるように見える。心臓にも、 悪いことはないのでしょう。」  「いや、不整脈があるんだ。それで、薬をとらなくてはならない。」  「何かエクササイズをしているのですか?」  「歩くことが、唯一のエクササイズかな・・・」  やがて、  Brianがやってきて、しばらく3人で量子力学の応用の話や、カテゴリー 論の話をした。    Brianの顔を見ながら、少し前にのHoraceとの会話を思い出して いた。  Trinity Collegeには、かって、フランス全体よりも多くのノーベル賞 学者がいたことがある。ケンブリッジが今日のように科学上のexcellenceを 誇るようになったのは、ほぼTrinity Collegeの影響と言って良い。まだ、 古典学や、哲学、神学が重視されていた時期に、Trinity Collegeは、 Maxwellなどの科学者をfellowにし始めた。物理や数学の伝統は、それ 以来だ。Trinityは、また、生理学を重視してきたcollegeでもある・・・  ・・・そうそう、Heathrowから車に乗って、ずっとdriveしてきて、 Cambridge の街に入ったとたん、ある特定の風貌をした人たちがいて、それを 見た瞬間、世界の他のどこでもこのような人たちは見ないと、 改めて驚きました。脳をある使い方をしていると、服装や身のこなしに、 ある独特の風合いが出てくる。それは、非常に特異な外見につながる ようですね・・・  Brianの外見をなんと言えばいいのだろうか。服装にまったく気を つかっていない。もちろん髪の毛にも。いつも、何か、内部のある複雑な 多様体に注意を向けている。  Brianの表情は、ある意味では、Cambridgeのスピリットの象徴 だと言っても良いだろう。  コーヒーを2杯飲み、Brianに別れを告げた。HoraceとはDining Hallの 前で別れた。  Qualiaが、案外、冗長性の除去と関係しているかもしれないから 考えてみよう、そう思いながら、潜り戸を抜けて街へと出ていった。 2001.6.3  シェリーを飲みに来ないかというので、まだ明るい宵の刻、 Horaceの家に言った。  いきなり、黒い犬が飛び出してきた。見覚えがない。  You haven't seen Daisy, I suppose.  It is a "she", then.  Oh, yes. Miranda, Ken is here.  What would you like to have? Red wine? White wine? Sherry? Apple juice?  What are you having?  I am having sherry.  I would have the same thing, then. Would you like to have some cheese?  見覚えのある捻った棒状のスナックが出てきた。  How is Japanese economy affecting you?  Scarecely.  I was tracking down this book which described the redundancy in English language. Unless you know the author, they cannot do anything about it.  Oscar is very good at picking up people's talent. I don't suppose he will be a performing musician. Children are very sensitive about how other people regard their parents. Papita is very sensitive in that sense.    「私たちは、社会的な動物です。社会性と、脳の容積の増大の関係を調べた 研究があります。猿において、どれくらい大きな群れを作るかという ことと、脳の容積の間には、明らかな相関がある。もっとも、これを やったのは、かどこかにいる、ちょっと変わり者の人だけども。」  「人間は、何よりも、社会の中の評判を気にしますね。」  「それを、否定する人もいる。しかし、私は、そのような態度は 疑わしいと思っている。否定する人たちも、よく観察すると、実は 社会的評判を気にしているものです。」  Horaceは、シェリーを飲みながら、気分が良さそうに話し続ける。  「解剖学教室に、非常に驚くべき記憶力を持った教授がいました。 彼は、30年間教えていた間に、教室と関係した千人以上の学生の 名前と基本的な特徴を、全て記憶している、そのように豪語していました。 私は、それは本当だと思います。」 (cut 彼は、私の家のfamily doctorでもあった。 彼は、私のおじいさんを良く覚えていて(非常に尊敬された人だったの ですが)、私が入学した時に、「ああ、君は、**の親戚だ)  「彼の頭は大きかったのですか?」 2001.6.3  土曜の夕方、まだ明るい宵の刻、Horaceの家。  いきなり、黒い犬が飛び出してきた。見覚えがない。  「こら! ああ、ケン、君は、デイジーは見たことがないよね。」  「確か、記憶にありません。その名前は、メスですね。」  「そう。ミランダ、ケンが来たよ。」  ミランダ・バーローが階段を下りてきて、握手した。  ミランダは編集の仕事をしていて、Horaceと知り合ったのだ。  「さあ、こっちに来て。何がいい。赤ワイン、白ワイン、シェリー?」  「アップルジュース、トマトジュース?」  ミランダがホラスの後を受けて言う。  ホラスが、東京を訪問したのは、確か95年だったか、熱い街を 歩いて私の家に来ると、「ビールを飲もうか」と聞く、それくらい飲むのが 好きだった。  誰かが、「粗食が長生きの秘訣だということが判った。食物は、 実は毒の一種なのです。」という話をした時に、ホラスが  「でも、その「長生き人生」は生きる意味があるのかね?」 と即座に反論したことを覚えている。    私は、ホラスと同じようにシェリーにして、6月だというのに暖炉を 燃やしている居間に座った。  「日本の経済状況に、どれくらい影響されている?」  「それほど影響はありません。街に出ても、家を失った人たちが ぶらぶらしているというわけではありません。まだ、日本は豊かな国です。」  ミランダは、遺伝子関係のビジネスについて聞きたがった。  「少しづつ始まっていると思います。しかし、まだまだ。」  「ここでも、ベンチャーが次々とアメリカの会社に買われている。 遺伝子ビジネスは、主にアメリカの現象だと思う。」  ホラスは、3人の子供を比べた。オスカーは数学ができないが 言葉が得意。リンダは、とても才能がある。 パピータは、人間関係の洞察に優れている。  ちょうど、上から、オスカーが弾いているエレキギターが聞こえてきた。  「彼は、コンサートをする音楽家にはならないと思うけど、プロデゥーサー には向いていると思う。他人の才能をピックアップするのがとてもうまい。」  「子供は、何歳くらいで、自分の親が何をしているか判るものなので しょうね。社会的なコンテクストの中で。」  「子供というのは、 親が周囲の人間からどう見られているか、とても敏感に察知するものです。 パピータは、そのあたりが、特に鋭い。」  自分の親が、世界的な学者である、しかし、その親は、もう80歳 になろうとしている。そのような状況を、10歳、12歳、14歳の 子供たちはどのように感じているのだろう。  そんなことを思いながら、暖炉の火を見つめる。  「ところで、ダーウィンの子孫は、どれくらいの割合で科学者になって いるのでしょうか。」  「かなり高い割合だと思うよ。彼がいる、彼女がいる。・・・そう、 10%は、科学者になっているのではないかと思う。」  ホラスは、チャールズ・ダーウィンの、何代目かの子孫の一人だ。  それから、会話は、人間の知性がプライマリーには社会的なものである という点に移っていった。  「私たちは、社会的な動物です。社会性と、脳の容積の増大の関係を調べた 研究があります。猿において、どれくらい大きな群れを作るかという ことと、脳の容積の間には、明らかな相関がある。もっとも、これを やったのは、マンチェスターにいる、ちょっと変わり者の人だけども。」  「人間は、何よりも、社会の中の評判を気にしますね。」  「それを、否定する人もいる。しかし、私は、そのような態度は 疑わしいと思っている。否定する人たちも、よく観察すると、実は 社会的評判を気にしているものです。」  Horaceは、シェリーを飲みながら、気分が良さそうに話し続ける。  「解剖学教室に、非常に驚くべき記憶力を持った教授がいました。 彼は、30年間教えていた間に、教室と関係した千人以上の学生の 名前と基本的な特徴を、全て記憶している、そのように豪語していました。 私は、それは本当だと思います。」  「彼の頭は大きかったのですか?」  「いや、普通だった。」  「もともと、人間のエピソード記憶のキャパシティーは驚くべきものだ と思う。ついこの間も、私は、ある特定の事柄を思い出そうとして、 その直前に自分がやっていたことをまず思い出した。 一連の出来事の連鎖が脳の中で再現されて、その特定の事柄にもたどり つくことができた・・・」  暖炉の前に腰掛けて、シェリーを飲みながら話すホラス。  たぐいまれな 知性に支えられた含蓄のある言葉。あと何回、このような状況で 彼の話を聞く機会があるかと思うと、少しセンチメンタルに。  Landbeachという、Cambridge 近郊の村のB & Bに到着した時には、 あたりは暗くなり始めていた。  窓から庭を見つめながら、何か得体の知れないメタファーの塊が 少しづつ動いていくのを感じていた。   (cut 彼は、私の家のfamily doctorでもあった。 彼は、私のおじいさんを良く覚えていて(非常に尊敬された人だったの ですが)、私が入学した時に、「ああ、君は、**の親戚だ) 2001.6.7.  ヒースロー発19:45分。  いつもならひたすら眠っているのに、何故か目が冴えて、 Heffers Bookshopで買った本を読んだり、映画を見たりしていた。  映画は、「ショコラ」。  ラッセ・ハルストレムの最初の作品「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」 は掛け値なしの傑作で、今でも時々いくつかのシーンを思い出して見る ことがある。  これは、スウェーデン映画。  だから、彼が「ギルバート・グレイプ」を撮った時の期待は大きかった。 What's eating Gilbert Grapeというタイトルからして、最初の作品に 通じる世界が広がっていると思ったからだ。  なぜ、あれほどの作品を撮った監督が、ハリウッド資本から映画を 出し始めた時には、くだらない作品を取り始めるのか、いろいろ書きたい ことはあるのだが、趣旨とは外れるのでまたいずれ。  「ギルバート・グレイプ」も、その後の「サイダー・ハウス・ルールズ」 も、「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」の繊細さ、深さに比べると まるでぱさぱさしたパンのようで、これみよがしのストーリーといい、 予想の付く展開といい、さすがハンバーガーの国がつくる映画だ、 ハルストレムほどの才能のある人でも、ハリウッドシステムには つぶされるのか、そう思った。  それで、今回のショコラも全くダメだった。ジョニー・デップは 嫌いではないのだけども。「ショコラ」と「マイ・ライフ・アズ・ ア・ドッグ」の違いを大切にすることが、私にとっては「クオリア」 の問題である。  まあ、ハリウッド映画には、せいぜいお金をもうけてもらって、 歴史の中からは消えていってもらいましょう。  「木靴の木」を撮ったオルミの新作がカンヌで上演されたそうだが、 こちらは是非見たい。「木靴の木」は、私の今まで見た映画の中でも 3本の指に入る素晴らしい映画である。イタリア人と話したら、まだ イタリア国内でもやっていないとのことだった。  今回、5日間イギリスにいて、とても大切なメタファーを獲得 したように思う。それは、一言で言えば、「奇妙になる自由」とでも いうものである。各人が、自分の個性を追求していく自由である。 このことについては、いずれきちんと書くとして、「マス・マーケット」 という幻想に大量のドルをつぎ込んでパサパサのパンを作り続ける ハリウッドの上層部には、この「奇妙になる自由」は恐らく判らない ことだろう。  「パール・ハーバー」は、No intelligent person could like this garbage などとイギリスでは酷評されていたが、映画批評と映画広告が分離されて いない日本のメディアでは、また気持ちの悪い提灯批評が出てくるの だろうか。  いなかった間の新聞をざっと読んだが、田中真紀子のミサイル防衛 構想批判と、日米安保条約批判は、どちらもしごくまともで、何が 問題なのか良く判らなかった。 今日は慶応大学のSFCで授業。 科目名:デザイン言語総合講座 期日:6/7〔木) 時間:13:00-14:30 教室:θ館 http://www.sfc.keio.ac.jp/visitor/campus_map/map.html 2001.6.8.  SFCに行くのは初めてだった。  湘南台で「慶応大学お願いします」とタクシーに乗り、 美しい太陽の下、住宅街をしばらく走った。  環境情報学部の後藤武さんが呼んでくださった。  デザインについての一連の講義シリーズで、 ひとつ前がアフォーダンスの佐々木正人さんだったようだ。  「θ」棟でやるとのことだったのだが、 建物の入り口に、θだけではなくてその後に続くギリシャ文字 が書いてあり、なかなかアカデミックな雰囲気。  教室に入ってびっくりしたのだが、大きな講堂で、この授業は 500人登録されているとのこと。  1、2年生中心だというので、急遽内容を調整して、何とか1時間 30分、クオリアとデザインの関係について喋った。  終了後、学生が次々と「感想」を演台の上に置いていく。どうやら 課題の一環らしい。  何が書かれているのかとても気になったが、知らぬが仏だろう。  終了後、faculty clubで後藤さんや学生さんと歓談。  建築家の取り分は総建築費の10%弱だとのこと。ちょうど印税 と同じである。  建築家によっては、「上物」だけで1億以上の物件ではないと やらない人もいるとか。  いろいろなマーケットがあるものだ。  世田谷の事件が解決しない前に、また大変な事件が起きたが、 私は、このような事件の犯人は、犯行すること自体ですでに罰せられている と思う。  そのような体験をした脳は、容易に元に戻ることはできない。  一生、トラウマに悩まされることになるだろう。  被害者の人生はもちろんのこと、自分の人生も台無しにしている。  漱石が「それから」で代助に語らせている考え方だが、検挙される 前にすでに脳は罰せられるという事実を、潜在的犯罪者は真剣に 考えるべきだろう。  もっとも、バランスを崩して熟慮ができないからこそ、犯行に走るのだ ろうが。    今日から再びMunichとSalzaburgへ。Animal Concisousnessに関する workshopに出席。16日に帰国の予定である。 2001.6.10.  2日の間隔で再び時差ゾーンに入ったのが悪かったのか、 パリに着いて、空港を歩いている時、「あ、これはダメだ」と思った。 「膨満感」があり、食欲が全くない。  ミュンヘンへの飛行機の中ではペプシだけをもらった。  ホテルに着いたのは午後10時。普段なら、真っ先にAugustiner Bierhalleに行ってビールとプレツッエル、それにLeberknodelsuppeで 至福の時を過ごすはずだが、今回はさすがにヤバイと思った。目覚ましを セットして、横になるとあっという間に眠っていた。  朝になっても、あまり食欲がない。少しづつ戻すしかないだろう。     飛行機の中で、村上春樹の「羊を巡る冒険」を読了。ケンブリッジの Heffersと、LondonのCovent GardenのWaterhouseでHaruki Murakamiの 本が目立つところに並べてあって(ほとんどの作品が英訳されていた)、 新聞の特集のコピーがあり、「The next nobel prize winner?」などと まで書かれていたので、あれ、彼はそんなに偉大な作家だったかと、 読んで見る気になったのだ。  今までまともに読んだのは「ノルウェーの森」だけで、 喫茶店の親父が書くスケコマシ小説だなという印象だったのだが。  一つ、今までつかめなかったことが判った。村上春樹は、「観念小説」 を書くということだ。一人称の「僕」も、「僕」を巡る女たちも、 無臭で、くせがなく、キャラクターが感じられない、これが、彼の 小説の大きな欠点だと私には思えていたのだが、今回、むしろ、 これは人間や男、女といった存在を「観念」に抽象化したものとも 読める、そのように思えた。描かれる町並や生活スタイルも、世界の どこの国のどこの文化とでも読めそうな、抽象化された観念とも読める。 そうか、村上春樹は、小説における抽象画を書く人なのかもしれない、 そう思うと、少し判ってきたような気がする。  英語という言語のオペレーティング・システムとしての美質は 幾つかあるけど、そのうちの一つが、ある種のメタファー、観念、 抽象性における豊かさではないかと思う。村上春樹は、英語の小説を 大量に読み、翻訳してきた人だが、その過程で、英語の持つある種の 風合いをつかんだのだろう。  今度は、もっと最近の作品を読んでみようと思う。  今はドイツ時間午前6時30分。これから朝食をとって、ザルツブルク に列車で行く。今日の夜はビールをおいしく飲めるようになっていたい。 2001.6.16.  帰って来たら、あちらこちらに都議選のポスターが張られてある。  夕刻の街を歩いていると、名前を連呼する車が。  連呼する候補者は自動的に投票対象から外れる。  飛行機の中で、AntitrustとHead over healsという二つの Hollywood Junk Movieを見る。  どちらも、お金を払って劇場に見に行く人がいるとは信じられない くらいくだらない映画だけど、考えてみると、若いときにデートを しようと思って映画館に行く人にとっては、内容などどうでも いいのかもしれない。  英語の勉強だと思って見た。  Shoot! という言い方、今流行っているのかな。  Antitrustは、Bill Gatesのparodyだと思われる適役が最後に逮捕 されるのが愉快で思わず赤ワインを飲みながら笑ってしまった。  ミュンヘンで見た「トリスタンとイゾルデ」の演出が イラン映画の天才キアロスタミを思い出させる、「舞台という枠組み」 に対するメタな視点を含んだものだったので、無性に「桜桃の味」 か「オリーブの林を抜けて」が見たくなってしまった。  5月下旬からの2週間にわたるヨーロッパ出張が私にとって良かったのは、 本格的にbilingualになろうと思えたことかもしれない。  誰かが言っていたが、文化というものは非常にゆっくりとしか変わらない。  日本は確かにcatchupしたが、まだプラトン的、形而上学的世界 に対する感受性はbuilt-inされていない。  私が気にしていることは、英語で表現しておいた方がより実質的な interactionが生じるのだろう、そのように心の底から思った。  しかし、愛国的な心情は、簡単に忍び込んでくる。  「どっかん寿司」に行き、中トロやイカを食べ、中生を飲んでいると、 これはウマイや、たまらないなと思う。  本当にbilingualな活動に移行するためには、よほど覚悟を決めなくては いけない。  いささか疲れた。  とりあえず寝よう。  The Private Life of the Brainを読みながら来たが、Susan Greenfield ははっきり言って馬鹿だと思う。  読んでいてイライラする馬鹿さ加減というものがある。  Penroseの文章のような、青空に突き抜けるようなintelligenceが 全く感じられない。  そんな馬鹿でも、英語で書いているから国際的にミームとして流通 する。  養老さんの方がはるかに頭がいい。  英語で書くバカは得をするということである。  That's a hard fact of the world we live in, boys. 2001.6.18.  日曜の午前、近くの「ライフストア」に出かけると、駐車場が 満車になっている。  しまった、12時までだったかと、もう列から逃れられないので そのままSteve CooganのKnowing you knowing meを聴きながら 待ち、駐車した。  店内もレジの前に10人くらいづつ並んでいる状態だったので、 2階の雑貨売り場で必要なものだけを買って早々に退散した。  11時までだと思っていたのだが、「お買いあげ1割を買い物券で back」の時間は12時までだったのだ。  そのようなセールスプロモーションをかけると、きちんと人々が 反応する、というのがとても不思議な、しかし経済の原則を目の当たり にしているような厳粛な気分になる。  もちろん、私のように列がいやだという人もいるのだろうけど、 それは確率の問題であって、マスで見ると厳密な法則が成立する。  それを見るか見ないか、見たいか見たくないかは主観の問題で、 客観的な世界では、ある厳密な法則がきっと大勢を決めているに違いない。  ヨーロッパに出かけると、2、3日目から、日本のことを考え始める。 そのこと以外考えないというくらい、考える。そして、日本の現代の 文化的ミームのことを考える。文化というのはとらえどころのない ものだけども、少し離れて、人々のある種の動き方を見ていると、 とても良く見えてくるものがある。厳密なマスの動きがある。 それで、日本の現状について絶望したり、少し希望の光を 見いだしたりする。  通貨統合、ついには政治統合、そして、 人権、環境などの問題において、ヨーロッパが現在向かっている 方向は、中世の神学、近代の形而上学、ニュートン革命いらい綿々と 続いているある「覚醒」の延長線上にあると思う。この「覚醒」は、 中国には全く希薄で、脱亜入欧を図った日本には少しある。 しかし、全般に、東アジアにはこの「覚醒」の気配が希薄である。 キリスト教の影響のせいなのかもしれないし、あるいは気候のせいなの かもしれない。いずれにせよ、世界がglobal villageになりつつあり、 ヨーロッパの街角にポケモンがあふれたとしても、この「覚醒」の 気配においては依然として絶望的な差がある。  そのことを考えて、自分一人ではどうすることもできないことだから、 自分の人生はどうしたらいいのか、そんなことを考える。  あまり具体的に書くと苦しいので、胸のうちに納めておくことにして、 日本の文化的ミームにはglobalにみると魅力がない。特に、アニメなどの 虚構の世界ではなく、現実の世界で人々がどう振る舞うかというミームの 問題になると、未だに、ヨーロッパ、アメリカのいわゆる「western」 のミームが圧倒的な訴求力を持っている。Black cultureの方が、日本の ミームよりもよほどnicheを確立している。小泉の人気の秘密は、 森に象徴される旧型ミームとは別の道を示していることだ。 こういうことは、どうも少し離れて見ると明々白々のことなのだけど、 日本のミームの中にどっぷり浸かっていて、心地が悪くはないこの 国の生活空間の中でそれなりに楽しんでいると、徐々に忘れていってしまう。 私自身も忘れてしまう。    夏目漱石がロンドンの街角でガラスに映った自分の姿にぎょっとして 以来、本質的なことは何も変わっていない。そのことを考えると、 とても苦い思いになる。「新しい教科書」を書いた人たちはこのような 状況が少しは見えているのだと思うが、いかんせん内向き、後ろ向きの 行為であって、本当の意味で日本のミームを魅力的にすることには 寄与していない。 2001.6.19.  ビッグ・カメラの前を歩いていたら、いきなり上から すずめが落ちてきた。  黒い影が視野をかすめ、その姿がカラスだと判るまでに数秒かかった。  どうやら、カラスに追われて、落ちたらしい。  逃げられないくらい弱っていて、手の中に入れると、嘴が 黄色いのが判った。  翼はそろっているようで、外傷もない。  落ちたショックで動けないのかなと観察すると、息が苦しそうだ。  日差しが強い。脱水症状かもしれない。  かなり前にも野鳥を保護したことがある。その時は日本野鳥の会 に電話して、 東京都の商業なんとか課を教えてもらった。ここが、東京都内の提携している ペットショップのリストを持っていて、そこに持っていくと、ペット ショップが元気になるまで預かってくれて、東京都が後でお金を払う ことになっているのだそうだ。  あの時は、確か中野のペットショップに持っていった。  その時のノウハウがあったのだが、今手の中のスズメはもっと緊急の 手当を必要とするようだった。  それで、PHSから104に電話して、日本野鳥の会の東京支部の番号を 教えてくれといったら、総務部、なんとか部、***しか判らないと言われ た。その中に「バードショップ」というのがあったので、 「それでいいです」と言った。  かけると、女の子が出て、「今そのセクションの者がいないので・・」 と言う。しかし、「その雛は巣立ち雛ですか?」などというので、 ははあ、この人もオタクだなと思った。  しばらくして、「あっ、ちょっとお待ちください」などと言うので、 待っていると、「はい、バードスクールの○○です。」という。  「脱水症状のようなのですが、何を飲ませればいいのでしょうか。」  「ブトウ糖の入った水を飲ませてください。」  「今、繁華街なのですが、コンビニで手に入るものだと何ですか?」  「果物ジュースでいいです。」  「どうやって飲ませれば? ストローか何かで?」  「いや、指の先に付けて、嘴の脇をぬらせば、飲みます。」  「応急措置はそれでいいとして、その後は何を食べさせればいいので しょうか?」  「ジュースを上げて、元気になったら、街路樹のところにおいておけば 親鳥が迎えに来ます。それが長い目でみると、一番いいです。」  「でも、繁華街の中で、見たところ巣はないのですが。」  「見えるようなところには巣はつくりません。交通標識のパイプの 中とか、そういうところに作るんです。」  それで納得して、近くにあった販売機でオレンジジュースを買い、 ビッグ・カメラの方に戻りながら缶を開けた。  くちばしの横につけると、しばらく何の反応もなかったが、 やがてぱくぱくと動いて、水滴が中に入っていった。  良かった、と思った瞬間、手の中で足をばたばたさせた。  元気になってきたのかな、と思って、さらに水滴を2,3回 嘴の横に付けた。  思いがけない結末が待っていた。いったん元気になったと思った 雛は、手の中で急にだらんとして、まぶたがそっと降りていった。 そして、明らかに判るほど、動きがなくなった。  どうしたんだ?  手を開いて触ってみると、動きがない。  落ちた時に、内臓がかなりやられていたのか?  随分高いところから、ストーンと石のように落ちたからな。  水を飲んで、最後の力を振り絞ってしまったのかもしれない。  末期の水というのは、そのような意味だったのか・・・・  やれるだけのことはやった、仕方がないと思いながらも、 どこかやりきれない気持ちを抱えて、そのまま街を歩いた。  やがて、道路脇に、とてもきれいな青いアジサイが植えられた 花壇があったので、その根元の暗い茂みにそっとスズメを置いた。  まだ、暖かかった。  何年か前に、赤い大きなつばきがぽとりと落ちる瞬間を 見たことを思い出した。l 2001.6.23.  十数年前、私は、福島の三春という街に遊びに行った。  駒で有名だが、歩いてみるとのんびりしたいい所だった。  市の中央にある大志田山の三春城跡を見学して、裏手の住宅街への 坂道を降りていった時、黒い小さな犬が草むらでくうくう鳴いている のを見つけた。  毛の色が黒く、コロコロと小さかった。  まだ生まれたばかりで、やっと目が開いたかどうかという感じだった。  このあたりの家の犬の子だろう、そう思って、周りの家を 尋ねて歩いた。  「この犬、お宅の家のではないですか? このあたりで、心当たりは ありませんか?」  何軒かやってみて、どうも不審がられるので、あきらめて、スーパー で牛乳を買い、ストローで上げた。そして、スーパーの白いビニル袋 に入れて持ち歩いた。    やがて、子犬は、東北新幹線に乗って、ビニル袋の中で揺れながら 私の家まで来た。  育つと、黒い毛が抜けて茶色になったので、母親が「チャー」と名付けた。  どうやら、柴犬系の雑種らしかった。    「チャー」が、死んだという電話をもらった。一週間前から水しか 飲まなくなっていて、悲しそうな声を出していたのだけど、夜 帰ってきたら冷たくなっていた、でも17年も生きていたんだから と母親は言う。あれ、17年も経っているか、せいぜい14−5年では ないかと思うが、いずれにせよ長生きしたことは間違いない。  夜、水槽をのぞいて見たら、グッピーが一匹死んで腹を出して浮かんで いた。  2ヶ月ほど前、その固体が一匹だけ群れから離れて沈木の横にいたので 大丈夫かなと思ったのだが、やはり弱っていたらしい。  何日か前に私の掌の中で死んだスズメの感触がまだ残っている。  ここのところ、何回か動物の死に接した。  死や、その後の腐敗といったプロセスが、とてもありふれた 自然現象のように思える。  当たり前の話だが、自然の中にはおびただしい死がある。  少ないように思うのは、心理的な擬制に過ぎない。  夜の床に横たわり、意識を失う前に、 心臓の鼓動を感じながら、人生なんて早回しすれば ぱちぱちと散っている化学反応の花火みたいなものだなと思った。 2001.6.24  家の近くの公園に白いバラが咲いている。  香りをかごうと顔を近づけたら、体調1センチもない小さな蜂 が跳ねた。  飛んだのではなく、いや、もちろん飛んだのであるが、少し 葉から離れて平行移動してしてすぐに止まった。  まさに跳ねたという感じだった。  黒い身体に白い縁取りがある、とても優美な蜂だった。  動く宝石のようだな、でも、生きているから、そのまま手元に とどめて置くことはできないのだな、生きているものは、決して 閉じこめてとどめておくことはできないものだな、  そう思って、いつも行く林に向かった時に、そういえばゼフィルス が飛ぶ季節だなと思った。  和名でミドリシジミ、学名をゼフィルス(風の妖精)と呼ばれる金属 光沢の美しい蝶たちは、年に1回、初夏に現れる。宝石のように輝く 羽を持ち、それほど珍しくもないのだが、住宅地の周囲に雑木林 が少なくなった今では、見る機会はないように思う。練馬の私の 家の近くにも、ゼフィルスが生息していそうな林はない。  それで、そもそも、一本の木でゼフィルスをとばすことは何故 できないんだろう、そんなことを考えた。卵から成虫へ至る道 で、致死率が高いからか? 遺伝的プールの大きさのせいか?  庭に大きな樫の木があったとして、そこに、自然のプロセスの 一部を人工的に補ってやることによって、毎年ゼフィルスを発生 させることはできないのだろうか? そもそも、野外で、ゼフィルス が発生するための環境条件は、どのようなファクターで決まっている のだろう? 最低何本の木があって、どのような要素を補助して やれば、彼らのポピュレーションが安定して発生するようになるのか?  林の中を歩きながら、数理生態学にgenuineな興味を抱いたのは、 今が初めてかもしれないなと思った。  人の文化の中に現れる宝石のようなものたちについても、社会における 数理生態学の法則があるように思う。ゼフィルスのような美しい 文化現象は、希に現れ消えていく。そのような文化現象が現れるためには、 森に相当する涵養の社会的環境が必要なのだろう。  将来、ゼフィルスが庭に来るような環境に住みたい、と思いつつ 林を抜ける。 2001.6.25.  近くの小学校に都議選の投票に行って来た。  校門を入ろうとして、誰が出馬しているのか知らない ことに気が付いて、ポスターを張ってある板まで戻った。  「年2○○○万円の都議の報酬を減額します」 と書いている若い男のポスターが目についた。  橋本高知県知事と握手している写真が挿入されている。  少し心が動かされたが、どうも顔が怪しいし、  減額が無所属の一人でできるはずがないし、  無責任なポピュリストというにおいがして止めた。  定数がいくつで、何人出ているのか判れば戦略的投票が組み立てられる のだが、掲示板のどこにその情報があるのか判らない。  小泉は個人的には好きだが、自民党に投票する気は相変わらずない。  共産党はイデオロギーも組織も大幅なupdateをしない限り投票 する気にならない。  前回は、「ネットワーク」に投票した気がするが、今回は民主党が 負けそうなので、民主党は人材的にはいい人が集まっていそうだし、 民主党の候補者に投票することにした。  受付の人が、バーコードを読みとって コンピュータに送り、離れた場所にある机の上の機械から 投票用紙が一枚はき出されてきた。    「林○○○」とさっきポスターで覚えたばかりの名前を書いて、 投票箱に入れた。  投票行動を決定するまでの私の認知プロセスを振り返ると、 まったく選挙というものは形骸化しているように見える。  投票場に来る人の顔を見て、この人たちの頭の中では どのようなプロセスで投票行動が決定されているのだろうか と思った。 2001.6.26.  ソニー本社で2時間喋る仕事があり、終わった後打ち合わせもあって、 へとへとになっているところに羽尻から電話があった。  軽く飲みましょうよと言う。  五反田駅の改札で待ち合わせて、原宿に出た。  表参道をしばらく歩いたところにあるイタリアンに入って、ビール を注文した。  相談があるというので何のことかと思ったら、本を出す算段との こと。  聞いてみると、かなり無理な状況で出そうとしているので、今時 本出したって、消えていくだけだから、無理して出さなくてもいいの ではないか、それよりも、思索を深めることを考えたらと言ったら、 羽尻は納得しない。  私はどうも風邪を引いたらしく、しかも昨日あまり寝ていないので ふらふらの所、羽尻は元気で、なかなか説得できなかった。  駅から家に歩いて帰る途中、ああ、私の言いたいことはこういう ことだったかと思った。  小林秀雄が、「若い時には、良い仕事をした人は必ず世に知られる ものだと思っていた、しかし、今は、必ずしもそうではない、世に知られて いない人でどんなに偉い人がいるかと思う。」と言っているが、 まさにそうで、確かに羽尻の言うように、本という形で世にマニフェスト して、初めてスタートラインに立てるのかもしれない。  しかし、私が今本は本質的ではないなと思っているのは、コミュニティ が見えているからだ、そう思った。  中途半端な思想だったら、どうせ本で出しても、世間を一時的に 波立たせるだけで、すぐ消えていく。  実際、世界というものは過酷なもので、どんなにその時に話題になっても、 内容のないものはすぐ消えていく。    だから、重要なことは言語の問題にせよ、クオリアの問題にせよ、 明らかに重要な進歩だと言えるような思想、理論を生み出すことだ と羽尻に言ったのだが、私がそのようなことを言えたのも、価値の あるものを産み出せば、必ずそれを判って評価してくれるコミュニティ が、具体的な顔として見えている、あの人も、あの人も、そうあの人も。 そのようなコミュニティが見えているから、私は安心していられるのだ、 そう感じたのである。  世間のことなどどうでも良い、自分が本当に価値のあるものを生み出した ら、このコミュニティは判ってくれるはずだ、そう思っているから、 無理をして本として出版しなくてもいいのではないか、 どうやら私はそのようなことを言いたかったらしい。  もっとも、羽尻の、何かあせっている気持ちもわからないわけでは ない。  私にもそういう時期があった。  しかし、本当に重要なのは、結局中身、それだけだということが、 今の私が強く思うことである。  どうも、現代人は饒舌に過ぎるのではないか。本当に新しくて、 価値があることなど、それほどあるわけではない。  本の出版点数が減れば、木もあまり切り倒さなくて良いだろう。 2001.6.28.  暗闇の中、坂を下っていくと、  沼からカエルの声が聞こえた。  「ここには、ホタルはいるの?」  と聞くと、小俣君が  「いませんよ。でも、変な昆虫はいっぱいいます」  というので、私は電灯の下を見た。  東工大のすずかけ台キャンパスに1月ぶりに来た。  専攻会議があって、その後学生とゼミをやった。  「こんな論文でもNatureに出るのかと思って取り上げました。」 と柳川君がいい、みんなでバカにしながらその論文を読んだ。  田園都市線で渋谷まで、JRで代々木まで長島君と一緒だった。  ディズニーランドのスプラッシュマウンテンの出口で写真を 売るバイトをしている。1回60人として、300回 お客さんが降りてくるので、一日2万人の顔はサンプルする機会がある。 そんなことをしていると、どんな美人でも驚かなくなります、と長島 君が言う。  最初の一人が買うかどうかが問題で、あとは芋蔓式に。  長島君と別れた後、村上春樹の「スプートニクの恋人」を 読み始めた。彼の小説が観念小説だという視点を獲得してから、 少し最近の作品を読んで見ようという気になっている。  家へ歩くルートが変わって、公園の木立の中の暗闇を通るように なっている。ふと、人生という物語は、小説ほど親切ではないな、 そう思った。小説なら、起承転結があって終わる。人生の物語は、 不条理に、突然終わる。その後「私」は存在しない。「私」の死を 観察し、それに影響を受け、語り継ぐ人たちの物語の中には、 「私」は観念としてかろうじて生きている。しかし、「私」自身の 物語は、ある時、それがストーリーとして大団円を迎えたか どうかに関わらず、突然終わる。  まるで、どこまでも続くかと思った円筒を、ナイフですぱっと 切り落としたかのように。  世界の真相は、この上なく残酷な側面を持っている。  そんな観念を繰り返しながら歩き続け、  セブンイレブンの灯りが見えて来たとき、つかの間の暖かさが 戻ってきた。 2001.6.28.  朝起きた瞬間からだるく、無理して月、火、水と人と会って 喋りまくっていたのが祟ったかなと思った。  冷蔵庫を開けると、リゲインの黄色いボトルが見え、それを持って 熱帯魚の水槽の前に歩いていった。  数日前、ミッキーマウスグッピーの稚魚が泳いでいるのを見て、 熱帯魚屋にいって稚魚用のパーティションを買ってきた。  網ですくうと、3匹まではパーティションに入れられたのだけど、 あと1匹がどこかにいってしまった。  それが、昨日水草の間に漂っているのが見えたので、すくった時に 折り目に引っかかって、ぱんぱんとたたいて落としたら、しばらく底 で動かなかった。  心配だったのだが、今朝は元気にひれを動かしている。  穴の沢山開いた枯れ木にウィローモスが植えられていて、穴には ヤマトヌマエビが多数潜んでいる。そのウィローモスの畑の上の浅い 水の中を、ミッキーマウスグッピーがさやさやと泳いでいく。  リゲインをすすりながら、その様子を見ていると、少しは 身体がほぐれてきたような気がした。  水草にでも卵がついてきたのだろうか、いつの間にかタニシが 発生していて、どんどん数が増えている。ガラスの表面に着いた苔を 食べてくれるからいいのだが、どこまで増えるのだろうと、少し 不安になる。  タニシが、身体をくねらせているのを見て、ああ、こいつは オレの身体の中にもいるじゃないか、そう思った。  胃が食物をうけとり、その壁をくねらせている様子は、おそらくタニシ とそれほど変わらないだろうと。  行動と繁殖の単位で生物を見るのではなく、パーツに分解する。すると タニシと胃は似ている。違うのは、タニシは独立した単位として 自然の中で接触し、繁殖する能力を持つが、胃は私の身体から取り出されて 放置されれば死ぬという点である。  どうも、私たちは、繁殖単位という生物の基本定義にとらわれていて、 組織体の間のホモロジーをきちんと見ていないのではないか。  リゲインの瓶が空になり、胃がタニシのように動き始めるという メタファーを持ちながら、私は熱帯魚の机を離れた。 2001.6.29.  火曜日、ソニー創業者の井深さんが作った「幼児開発協会」 (EDA)でお話をする機会があった。  等々力の駅の近く、蔵を改造した素敵な空間の中に、幼稚園や 保育園の園長先生が集まっている。専門家の前で脳と発達の話を するのは緊張した。  その前の打ち合わせの時に、EDAの山田さんと話したことを 今朝になって思い出したので書いてみたいと思う。    山田さんは、「子供には大人が失ってしまった能力がある。例えば、 箸袋がこうしてテーブルの上に伏せてあるときに、裏側の文字は読めない と大人は思うけど、子供たちの中には、見えている子もいるのではないか、 見えないというのは、大人の思いこみに過ぎないのではないか、 そのような思いこみを押しつけることが、子供の潜在能力の発達を 阻害しているのではないか?」 と言う。  私は、このような考え方には二つの側面があると思う。  まず第一に、科学的な視点から見れば、「箸袋の裏は見えない」 という思いこみは正しい。箸袋の裏が見えると信じる人は、そのような 「超常現象」をも許容するような世界観を提示するべきだろう。 私が知る限り、「箸袋の裏が見える」そのメカニズムを納得が行く ように説明する理論、世界モデルはないように思う。  もう一つは、人間の生き方(倫理)の問題である。人間は、 なるべく思いこみにとらわれずに生きるべきだ、常に、自分が世界を 把握する枠組み自体を疑って生きるべきだ、というのはその通りだと思う。  私たちは、一見公正な社会的倫理規範を行使しているように見えて、 実は特定の認識の枠組みにとらわれているだけだということがある。 例えば、老人には親切にしましょうという規範があったとする。それは それでいいとして、その前提に、「老人というのは記憶力も落ちている し、新しいことにチャレンジする気力も能力もない、余命も少ない のだから、せめてその間は親切にしてあげよう」という考え方 があったとしたら、そのような考え方に固執することが、目の前の 具体的な老人に対して暴力的に機能することがありうる。老人だって、 子供と同じくらい、いやそれ以上に先取の気性に富み、生き生きと している人がいるかもしれないではないか。「老人とは・・・の ものだ」という仮説を持つこと自体はかまわないが、その仮説は、 常に、個々の具体的な経験において修正し、時には捨て去られる ものでなければならない。  そのように考えると、社会における多くの倫理問題の立て方が、 ある種のカテゴリー分けを前提にしたもので、そのようなカテゴリーを 壊す方向にはなかなかいかないということがわかるだろう。  「既存の枠組みにとらわれるか、それとも、それを修正する可能性を 常に許容するか」というメタな視点は、全ての認識プロセスにあてはまる。 老人のイメージにも当てはまれば、箸袋の裏にも当てはまる。だから、 確かに科学的世界観は確固としたものに見えるけれども、あまりにも ドグマティックに「箸袋の裏は見えない」ことに 固執することが、巡り巡って、いかに生きるべきか という倫理の問題においても、既存の枠組みに固執することにつながる 可能性はある。  私は、フランス現代思想が問題にしてきたことの一つの大きな核は、 上の点にあると思う。  一方で、「箸袋の裏は見えない」という科学的世界観は、 ある種の「リアルさ」の感覚にもつながっている。これはこれで とても大切な感覚で、いかに「世界はこうなっている」というリアルさ の感覚と、そのようなリアルの感覚自体にとらわれない精神の自由 を維持するか、これは案外難しい問題だと思う。イギリスと大陸の 対立の一つの軸はここにあると考えている。