2001.11.1.
相変わらずさらさらと時間に追われているけど、そんな中、
鶏ガラスープのカップ麺を食べながら
ベルトリッチの「The Sheltering Sky」の冒頭10分間を見た。
どうも私には偏見があって、坂本龍一が音楽をやっているというだけで、
「トレンディー系」のにおいがして、今まで避けてきたが、
何となくそろそろ潮時かなと思って見ることにした。
スタイリッシュな服装に身を包んだニューヨーカーが港で降りる。
それで、現地の言葉をしゃべれるらしい男が一言二言言うと、
どこからともなくワラワラと子供たちが出てきて、10個くらいある
荷物を運び始める。
ニューヨーカーたちは、笑いながら、歩き始める。
その瞬間、ああそうか、そういうことかと私は思った。
キアロスタミの「桜桃の味」は近年では最大の衝撃を私に与えた
映画である。
死に場所を求めて車を走らせる男が、死んだ後埋めてくれと
協力者を捜す。みんな断るが、最後に協力者が現れる。
夜、男が、丘陵の道端の穴に横たわり、見上げると満天の星が輝く。
次のカットで朝になっていて、靄の丘陵を、兵士たちが隊列を組んで
ジョギングしている。
それを見て、観客は、ああ男は死んだのだなと思う。
ところが、次のカットで、男は撮影機材を持った人間たちに囲まれて
丘の斜面で煙草を吸っている。
何と、男は「俳優」に戻り、スタッフたちと談笑しているのだ。
それが、そのままラストシーンとなる。
えっ、そんな、と大抵の人は思うだろう。
今までの、生と死をかけたドラマは、一体なんだったのだと思うだろう。
そんなことをしなければ、タルコフスキーの映画と同じくらい美しい
映画のまま終わるのに、キアロスタミは、最後に、あえて、その
美しいストーリーを壊して、映画という枠組み自体も解体してしまう
のだ。
曰く言い難いが、
それが、全くあざとくなく、むしろ、とても自然のことのように思えて、
私は「キアロスタミ以前」と「キアロスタミ以降」に映画体験が分けられる
と思うほどの感動を覚えたのである。
The Sheltering Skyを見ていて、私が「ああそうか、そういうことか」
と思ったのは、つまり、私は、もはや、荷物を運ぶ子供たちが
映画の「エクストラ」で、せいぜい10秒くらい画面に現れて消えていく、
そのような構造をどこか深いところで受け入れられないようになっている
のだということである。
3人のスタイリッシュなニューヨーカーがストーリーの主人公に
なれるのならば、全く同じ権利を持って、荷物を運ぶ子供たちも、
ストーリーの主人公になれるように思う。
映画というストーリー構造の持つ暴力性。これに、私はセンシティヴ
になっているのだと思って、
これは、きっと、「キアロスタミ以降」の映画がクリアしなければ
ならない一線で、その感受性がない映画は、World Trade Centerになる
しかないだろうと私は思った。
キアロスタミのような天才が出てくることだけでも、イランのモスリム
社会はあなどれない。共存して対話していくべき価値がある。
気になってベルトリッチという人をインターネットで調べてみると、
『ラストエンペラー』とある。あれはくだらない映画だった。
『The Sheltering Sky』は、砂漠が重要なモティーフになっている
というので、恐らく仕事の合間に細切れの時間を見つけて最後まで
見ると思う。
全ての文明的文脈を拒絶して絶対的にそこにある砂漠は、私が
今もっとも行ってみたい空間の一つである。
2001.11.2.
ここのところ髭をそっていないので、ずいぶんザラザラしてきた。
時々なでて見ると、上くちびると下くちびるの出会う点の横あたりが
気持ちが悪い。
最近、「終わりが見えること」ということについてよく考える。
ある時間の流れの終わりが見えているということが、心理的には
とても大きな意味を持つなと。
来年あたり引っ越そうかと思い始めたのだが、そうすると、急に、
近所の慣れ親しんだ風景の見え方が変わってくる。
生け垣の中の道、
コンビニの横を曲がると見えてくる風景。
終わりが見えないと、なんとなくだれてくる。
どうせ何時までも続くんだから、適当にしていればいいやと思ってしまう。
終わりが見えた瞬間に、ある種の緊迫感が出てくる。
この風景は、いつまでも続くわけではないんだということが実感
される。
もちろん、人間はいつかは死ぬんだから、どの風景もいつまでも
続く風景ではない。
問題は、「これはいつか終わるんだ」ということがはっきりと
表象できるかということである。
近所の見え方が変わったのにヒントを得て、最近、いろんな時に、
「これはいつか終わるんだ」と表象化しようとつとめている。
もちろん、この場合、「いつか終わるんだ」というのは人生が
終わるということである。
世界貿易センターに突っ込んでいったイスラム教徒
三島由紀夫
特攻隊
これらの人たちは、自分の人生が終わることを表象できていたわけ
である。
あるいは不治の病で伏せている人たち。
私が求めているのは、そういうことではなくて、健康に普通に
生活しつつ、「終わり」をはっきりと表象することだと思う。
それで、随分いろんな認知プロセスが変わってくるはずだ。
何となく感じていることと、はっきりと表象することの違いについて、
最近いろいろ考えていて、
その最たるものは、人生の終わりを表象することだと思ったのである。
2001.11.3.
テーブルに上に置かれていたマッチ箱が落ち、中身が床の上に
ばらばらになった。「111!」二人は、同時に叫んだ。それか
ら、ジョンは、ささやくように「37」と行った。マイケルが後
を追うように「37」と言い、ジョンが再び「37」と言って黙
った。私は、マッチを数えてみた。しばらくかかったが、確かに
111あった。
「なんで、そんなに速くマッチを数えられたんだい?」
と私は尋ねた。
「数えたんじゃない。「111」が見えたんだ。」
と彼らは答えた。・・・
「じゃあ、なぜ、「37」って言ったの? しかも3回も?」
彼らは、同時に言った。
「37、37、37、これで111。」
オリバーサックスが、サヴァン症候群の双子、ジョンとマイケルに会いに
いった時のエピソードである。
自閉症や、サヴァン症候群に関する文献をだーっと一日中読んでいた。
どうやら、最近では、左半球、とりわけ側頭葉前部(anterior frontal
lobe)の損傷によって右半球への抑制が外れ、右半球がいわば「暴走」
することでサヴァンが生じるというのが有力な説になっている
らしい。
潜在的には、サヴァンは私たちの一人一人の中にいるというわけである。
TMS(頭蓋骨の上から、磁気刺激をして、脳活動を一時的に促進
ないしは阻害する方法)によって、側頭葉前部の活動を一時的に押さえて
サヴァン能力を引き出すという「アブナイ」研究もあったが、残念
ながらサヴァン能力は出なかったらしい。
一方、前頭側頭型痴呆(frontotemporal dementia)で側頭葉前部
が壊れると、絵画のサヴァン能力(ディテイルの完全な再現)が現れた
という老人たちのケースもある。
サヴァンが、右脳の脱抑制であるというのは、それほど荒唐無稽な
話ではないらしい。
サヴァンのような例が面白いのは、その驚異的な能力はもちろんの
こと、「人間の精神とはこんなものである」という思いこみを揺るがせて
くれるからだ。
ロジェ・カイヨウの言う「遊び」の一類型、「目眩」である。
この「目眩」こそが、生きている目的だ!
そんなことを思いながら、久しぶりに近所のガストに行く。
あまりにも頭が疲れたので、中ジョッキを頼んだが、やはり
マグナムドライというのはあまりおいしくない気がする。
それはさておき、トイレに行ったときに、その入り口に
GENTLEME
と書いてある。ああ、3ヶ月くらい前に来たときにも、「まだNを
直してないのかと思ったな」と思い出す。
サヴァンの人なら、こういうデティルを別に現場に戻ってこなくても
自由に引き出せるのだろう。
確かに、サヴァンは、私たち一人一人の中にいるのかもしれない。
バランスというのは難しい問題で、生きるためにはバランスを保つ
必要があるのだが、ある種の生理的驚異というのはバランスが崩れる
からこそ生まれる。しかし、バランスを崩しすぎると狂人になる。
ちょうどうまく崩れたバランスは、天の配剤とでもいうべきかと、
マグナムドライを飲んで、しばし空を見つめる。
2001.11.4.
今日は、Qualia mailing listの研究会で、
午後1時に新宿のルノアールに出かけた。
永井均さんの<私>について議論する予定だったが、
時間切れになって、あまり議論が深まらず。
あとで、永井さんの弟子の青山さんに文句を言われてしまった。
二次会は、前回に引き続き焼き肉の大黒屋。
ここは飲み放題食べ放題で3000円と安いのと、
スペースがゆったりとしていて、土曜の夕方早い時間だと
大抵すいているので便利である。
いつもならば三次会になだれこむはずだったのだが、
今日はソニー教育財団と幼稚園関連の飲み会にも誘われていて、
いろんな義理もあるのでメンバーを振り切って塩谷と池上と
公園通りの「とらふぐ亭」に向かう。
そこで、今草思社から「声に出して読みたい日本語」が売れている
斎藤孝さんにあった。
いやいや、大変なヒトだった。
私の2会目の学部と同じところの卒業のヒトなのだが、
どこかで「ふっきれて」しまったらしい。
良く喋る、よく飲む、ルサンチマンとはおよそ無縁に見えるヒトであった。
私は、斎藤さんに
後ろに回られて「人間の知恵の輪」をやられてしまって、
そこからもがいて抜け出した。
それから、左半分の身体性についていろいろアルファベットを駆使して
語っていただいたが、
そのうち池上さんの友人が来たり、qualia mlのメンバーが何人か
乱入したりしてわけがわからなくなってしまった。
ここのところ禁欲的な生活をしていたので、久しぶりに徹底的に
飲んだという感じで、池上、塩谷、大塚、西川、太田とカラオケ
にいったときには、もうウーロン茶しか飲めないという状態だった。
なんだか、World Trade Centerに突っ込みたい気分だ、おれは
病死で徐々に身体が衰えて死ぬのはいやだと言ったら、
塩谷が、
「プリオンで死ぬのは最悪だな」
と言った。
池上が、
「何も死ぬことないだろう」
と言ったので、私は、
「World Trade Centerというのは、もちろんメタファーだ」
と答えた。
今朝の読書欄の下を見て、
おいしんぼの原作のヒトがつくった「マンガ日本人と天皇」を注文。
そろそろ禁欲にいかないと、大場さんに殺される。そう、まだNHKブックスの片が付かないのだ。
2001.11.5.
郡司ペギオ幸夫が、
「いやあ、茂木さん、子供のころから、小屋の中に死体があって、
それが自分の仕業だと判っていて、ああ、取り返しのないことをして
しまった、おれは罪人だ、という夢を繰り返し見るんですよ。」
と時々言う。
この話で肝心なのは、犯罪を犯すところをリアルタイムで見るのでは
なく、その後の後悔から始まるところだと思う。
私も、取り返しのつかない罪をおかした後の夢は時々見る。毎回
パターンは違う。
昨日は、私の友人が炭疽菌の入った青いカプセルをまいた。
カプセルは、ターゲットの研究所の周りをふわふらと漂って、
私の手の上でも2、3個はじけた。
ああ、私も共犯者になると思い、私はモノレールに乗って
逃げたが、
なぜか友人の研究室に戻ってしまった。
そこで、友人にハミガキチューブに入った薬A、Bを出してもらい、
カプセルがはじけた手に塗ろうとした。
緊張した顔をした白衣の男たちが掃除機のようなものをもって入ってきて、
私と友人を見た。
そして、「どうして炭疽菌の薬を持っているんだ」
と尋問した。
そこで目が覚めた。
おそらく、このような夢は、「原罪」的な感情が先にあって、
それを合理化して説明するために生じるのだろう。
その意味では、親しい人の顔に無意識のうちにおこる
親愛の情をなぜか感じなくなって、それを合理化するために
エイリアンだアンドロイドだと妄想をつくりあげる
カプグラ症候群に似ている。
カプグラ症候群の人も、夢を見ている私も、妄想を引き起こしている
大元の原因を知らない。
だからこそ、夢にリアリティが出る。
江古田から高円寺のあたりをドライヴしながら、久しぶりに
小林秀雄のテープを聴いた。
「本居宣長が実証的だというのはどうでもいい話でしょう。
現代人は、実証的だということが立派だと思っている。昔の人に、
現代と同じところをみつけると、ああ、同じだと言って喜ぶ
んです。」
実証的ではないといっても夢にはリアリティがある。
小島信夫・保坂和志の「小説修業」には、芥川の杜子春
というのは中国の原話は女が主人公で、夢の間に「病苦に
悩まぬ日は、一日としてなかった」というくらい
ほんものの人生と同じリアリティの継続を経験するのだ
とあった。
要するに、芥川のよりそっちの方がオモシロイという
わけである。
夢のリアリティというのは真剣に考えないと
いかん、どこか肝心なところでアヤマルと私は思う。
2001.11.5.
つくばマラソンの案内が来たが、全くといっていいほどトレーニング
していない。
あと20日だが、どうなってしまうのだろうか。
小出監督が、「前半は足のバネを使った走りをしてはいけません」
と言っていたが、レベルは違っても、似たようなことがあって、
前回、私は前半飛ばしすぎて、後半、足が「大リーグボール3号を
投げ続けた飛雄馬の腕」状態になって、ちぎれそうで全く走ることが
できなかった。
まあ、なんとかごまかしてチンタラ走るしかない。
いろんなことで時間に追われている。
このまではあかん、温泉に行きたい! と切実に思う。
そんな中、細切れに任天堂の「ピクミン」をやってみた。
♪ぼくたちピクミン〜あなただけに〜ついて行くぅ〜
今日も運ぶ 戦う 増える そして食べられるぅ〜
いろんな命が生きている この星でぇ〜
今日も運ぶ 戦う 増える そして食べられるぅ〜♪
という例のCM、とくに「そして食べられるぅ〜♪」のところで
脳に衝撃が走って思わず買ってしまったのである。
今までのアクション・ゲームが「将棋」だとしたら、これは
「囲碁」である。
いろいろやりたいこと、やらねばならないことが空間の中に
並列に散らばっている。
限られた時間の中で、うまく、複数のことを同時にこなして
いかなくてはならない。
オリマーが意識だとしたら、ピクミンは無意識である。
あるいは、ピクミンとは「世界」であると言った方が正確かもしれない。
あんなところにも架けかけの
橋が、あそこには運びかけの宇宙船のパーツが、
あそこにはもし運んできたら大いに勢力があがる「ビタミン」
があり、
あの道には倒しておかなければならないモンスターがいる。
しかし、自分(オリマー)の前頭葉の逐次的な処理でできるのは
一度に一つだけで、
これらの並列のプロセスの多くは「時間切れ」で朽ち果てていく。
様々なことが「時間切れ」で朽ち果てることを許容しつつ、
なんとか生き延びていくしかない。
ピクミン・メタファーで自分の人生を振り返ってみると、
こんなことになる。
私たちの意識は「一度に一つ」の逐次的処理であり、
一方私たちの無意識を含めて世界は圧倒的に並列的であるという
ところに解くことのできないパラドックスがあるように思う。
アフガンの空爆を続けるアメリカの愚かさは何とかならないか
と思いつつ、私が何にもできないのも、基本的に、私の意識という
逐次的なプロセスが、アフガン空爆や、NHKブックスや、
論文や、食事や、つくばマラソンや、朝日カルチャーセンターや、
池上さんとの飲みやらを含む圧倒的に並列な世界という脅威に
さらされているからである。
どんな人でも、一時に一つの場所で、一つのことしかできない。
ニーチェが「個別化の原理」という言葉で指したのは、まさに
このことだと思う。
使わなかった文章。
非常によく出来ている。
主人公のオリマーが、ピクミンたちを率いて、障害物を壊したり、
橋をかけたり、アイテムを運ばせたりする。
この時、たとえば20匹のピクミンを「橋かけ」に割り当てたら、
オリマーはまた別のところに駆けていって、10匹ピクミンに「増殖」
のもとになるタブレットのようなものを運ばせたり、あとでアイテムを
取るときの輸送路のじゃまをしている「チャッピー」という生き物を
30匹のピクミンで倒したり、とにかくいろいろなことをさせる。
日が暮れれば作業を終えて、全てのピクミンを撤収しないと死んでしまう。
ピクミンは、ある程度インテリジェントなエージェントになっていて、
ある程度
一日の時間が限られていて、
2001.11.7.
数日前、
カード会社から2000円のギフトが電子メイルで送られてきた。
アマゾンでそのパスワードを入れると、2000円分の買い物が
できるというのだ。
それで、円生の「死神」、「品川心中」のCDを買った。
それを聞きながら駅まで行った。
貧乏な男が死神に出会って、医者をやれと言われる。
何簡単だ、床(とこ)を見て、死神が病人の足の方にいれば、
呪文を唱えれば死神は退散して全快する。
頭の方にいると、もうそれは寿命だから諦めろ。
これだけを知っていれば大丈夫だと言われる。
それで、男は百発百中、大はやりになるが、
ある時からぴたりと、頼まれる病人全て死神が頭の方に
座っている。
さて困ったと思っていると、大店の旦那のお見舞い、
やはり頭の方に座っている。
「寿命です、あきらめなさい」と言っても、
先生そこを何とかと請われ、ついに謝礼が1万両になる。
それならばと男は悪智恵を働かせる。
さて、男はどうやって死神を退散させるか・・・・
というのが実にオモシロイ。
落語は、笑いだけではなくてむしろ文学性に本質があると
思うような話である。
朝日カルチャーを終えて、地下鉄に乗っていると、
おじいさんが女の子に絡んでいる。
痩せて、まるで蛇のような顔をしたおじいさんが、
ベレー帽を被って、ドアのところで女の子に
「携帯って、何がオモシロイんだい、いつもそうやって打っているの?
そうなのか、ふーん。」
と、まるで蛇が舌をペロペロさせるように下から顔を付けんばかりに
迫っている。
混んでいて逃げ場もなく、ああこれはマズイなと思うが、
私からは離れていて声もかけにくい。
すると、女の子の後に立っていた
スーツを着た男がすっと女の子とおじいさんの間に立って、
「いやがっているんだからやめろ。」
と言った。
おじいさんは、相変わらず下をペロペロさせるようにして
身体をゆらして、
「ああ、そう、判りました。悪かったです。」
とぶつぶつ言っている。
男の人は偉いとは思ったのだが、少し違うことも感じた。
おじいさんの脳は、どこかがいかれてしまったのだろう、
だから、あれは本人のせいじゃないとも言える。
しかし、本人というのは脳以外にはないとも言える。
一体、われわれは、ある行為に対して、どうしてその「人」を
非難できるのか?
もし、その人が脳であって、その人の振る舞いは脳のせいだとしたら
要するにこれは心脳問題の一つのヴァリエーションなのだが、
その舌がペロペロの蛇オジイサンを見ていて、どうもそのことばかり
気になって、オジイサンもお気の毒であり、
こんなことを考えている私はどこかオカシイのではないかと
思いつつ電車に揺られていた。
2001.11.8.
何か絶対異常があるに違いないと思っていたのだが、
人間犬(ドック)の結果はシロだった。
朝10時にウェルネスセンターというところにいって、
看護婦さんからいろいろ聞いた。
イギリスから帰ってきた直後も、自分はきっと病気に違いない
と何となく思った時期があった。
新宿の南口で、タイムズスクエアを見ながら、
川端の「末期の眼」がどうのこうのとかぶつぶつ言っていて、
塩谷賢に、「お前近々死ぬんじゃないか」とか言われた。
どうも、定期的にそういう気分になるらしく、
小学校の頃は、オレは頭がくらくらするから頭の中に
何かあるに違いないと思いこんだ時期がある。
いずれにせよ、生まれて初めての人間犬である。
「この、3年間健康診断を受けなかったのは、どこか他で受けられて
いたんですか?」
と言われて、
「いや、その間は不良社員をやっていたんです。」
とは言わず、
「いやあ、仕事が忙しくて。はははあ。」
とごまかした。
本当は面倒だっただけなのだが。
自分の眼底の血管というのも初めてみた。
なんだか、暖められて雛に転化しつつある卵に似ているなと思った。
初めて知ったのだが、ここを見るのは、別に眼底だけに興味が
あるんじゃなくって、全身の血管状態が現れるからだそうだ。
あまり健康診断というものに興味がないので、何を
どう調べているのか、あまり知ろうともしない。
もっとも、これには裏があると、自分でも判っている。
最近のNatureに、フロイトの抑圧仮説に絡んで、ある単語を忘れよう
とすると本当に忘れる、だから、記憶を意図的に抑圧するメカニズムが
あるに違いないというちょっと考え込ませる論文が出ていたが、
私は、身体の健康の問題、とりわけ医者との関わりについて
抑圧しているところが随分あるかもしれない。
とにかく、医者などに器具を付けられたり、侵入されるのがたまらなく
いやなのである。
心電図の電極を付けられるだけでも、いやだいやだと思う。
ましてや、いろんな管を付けられたりするのはたまらなくイヤだと覆う。
そこに現れる権力関係や、無力感、その他もろもろが、うわーっと
パニックを起こすのではないかと思うほどイヤなのである。
私が定期的にオレは病気なのではないかという気分になるのも、
このようなことに関する無意識の抑圧が絡んでいるのかなと思いつつ、
人間犬で異常がないと言っても、どうせ30年や40年のうちに
は死ぬんだ、空がいつかは落ちると知っているけど今日は
落ちなかったと喜んでいるようなもんだ、そんなことだったら、
いつかは死ぬものとはっきり表象化して、それをいつも目の前に
置いておいた方がいい、そんな「覚悟」の方法論などについて
考えるのだった。
昨日も午前3時まで働いて、NHK出版の大場さんに入稿
用の原稿を第5章まで送った、それから大場さんは徹夜して
午前7時くらいに印刷所に送ったらしい。
まことに申し訳なく思う。
私や大場さんが権力関係や、無力感、その他もろもろにさらされ
ないように、もう少し健康なワークスケジュールを保ちたい。
何もあわてて空を落とすことはない。
2001.11.9.
勝どき駅に降りた時は、とっぷりと日が暮れていた。
月島駅と聞いていたが、インターネットで調べたら、
勝どきの方が近いと書いてあったのだ。
きっと地図があるだろうと思ったが案外見つけるのに
苦労して、
もんじゃ「はざま」に着いた時は、約束の時間を10分過ぎていた。
ぴしっとスーツを着た男の人が、「担当はだれでしょうか?」
と聞いた。
「坂田さんです。」
というと、女の人が、
「坂田さんどこに行ったんだろう、坂田さ〜ん」
と叫んだ。
「はざま」に向かって月島の通りを歩いている時、
私は、これからコンテクストが良く判らない
ところに行くのだとすでに居心地の悪さを感じ始めていた。
「坂田さ〜ん。」でコンテクストのなさが頂点に達して、
何だか店の中の白さが増したような気がした。
坂田さんというのは九州から出てきたイトコで、突然メイルが
来て、○○生命支援者の集いというのがあるから、会費1000円
でもんじゃを食べるから、ぜひ来てくれると助かるという。
入社したばかりでいろいろ大変なのだろうとは思ったけど、
とにかくコンテクストが判らない。
その○○生命支援者っていうのは何だ?
何がどうなってどうなるんだろう?
様々な???が頭の中を飛び交ったが、
結局行くことにしたのは、イトコの頼みだということもあるけど、
そのようなコンテクストの判らない場に自分をさらすのが、
脳には栄養になると思ったからである。
学会に行ったり、友人と飲んだり、CSLでゼミをしたり、学生
と議論したり。このようなコンテクストの判る話ばかりしていると、
脳から若さが失われる。これから自分がどんな目に会うんだろう、
私はどう振る舞えばいいんだろうと???が飛び交う場を避け始めると、
精神の老化が始まる、そう思ったのである。
結果的に言えば、この「支援者の集い」はどうやら普段○○生命の
クライアントとなっている企業の担当者が来て、懇親してまあ関係を
強めるというような趣旨の会だったらしいのだが、イトコとともに
○○生命の人たちと同じ鉄板を囲いつつ、もんじゃを焼きつつ、
コンテクストから外れてここに来ているという私という存在を
もんじゃのようにじょじょにかき混ぜて何とかごまかすのはかなりの
力業だった。
何だか、「普通」の人間と接するのは、妙に疲れるところがある。
してみると、私が普段接している友人たちは、半分
人間ではなくなっているの
かもしれない。ゲゲゲの鬼太郎のようなものか、と、IやGやSやTや
Tの顔を思い浮かべながら考えた。
するとオレも妖怪がもんじゃを食べていることになる。
もんじゃを2枚、お好み焼き2枚、やきそば1枚を食べて、ビールを
飲んで、まあ久しぶりにイトコと喋ったから良かったと思いつつ、
月島の街を歩いていると何だか妙な感じになって、白熱電灯の暖かさに
引き寄せられるように本屋に寄って、立川談四楼の小説を買って
駅へと向かって行った。
2001.11.10
ない、ない、ない、どこを探してもない。
ソニー教育財団の中央研修会で話した時のが年報に載る
というので、そのテープ起こしに手を入れたものを
今日くる編集の方にお渡しすることになっていたのだが、
そのテープ起こしがどこにもない。
電車の中でやろうと思って、まだ手をつけていない。
恐らくCSLにあるだろうと思ったが、もし万が一なかったら
非常にマズイので、確認してもらおうと思って電話したら、
朝早くて誰もいない。
まさかいないだろなと思って長島久幸くんの携帯に電話したら、
今CSLにいますという。
探してもらったら、ちゃんと机の上にあった。
長島はエライ、さすが、郡司さんに、「お前ネアンデルタール人
みたいな顔をしているから、きっと何かやってくれると思う」
と見込まれただけのことはある。
エライエライと言いながら、ソッコーで着替えてCSLに向かった。
着いてすぐ赤入れを始めたが、案外大変で、ちらっと時計を
見たのがやくそくの30分前。3Fのコアルームのソファの前の
床に座って必死になってやっていたら、
「ちょっと早くなりまして・・・」
と編集の方がいらっしゃった。
「すみません、実はまだ終わっていないのです。少しお待ちいただ
けますか?」
と言って、再び赤入れを始めた。
とても奇妙な光景である。
私が殆ど顔を上げず原稿に向かって書字活動をしていて、
その横で編集の方が(どんな顔をして座っているのか、顔を上げられ
ないので判らない)座って待っている。
結局、編集の方がいらして45分後に、やっと赤入れが終わった。
集中している時は時間が飛ぶらしく、赤入れを初めてから90分間、
全く時間の経過を感じなかった。
話は飛ぶが、以前バリ島の地中海クラブにいった時、なるほどバカンス
というものはこういうものかと思ったことがある。
何もしないでぼーっとソファに横たわって海を見ている。そんなことを
していると、最初の2日くらいは眠くて仕方がなく、うとうととまどろんで
いる。
ところが、3日目あたりから、次第に、体の芯から、何かが立ち上がって
くる。こんな活力が私の中にあったのかと思うくらい、かっかかっかと
何かが燃えてくる。
そして、不思議なことに、殆ど忘れかけていた自分の最も痛切な
願い、純粋な希望のようなものが、まるで粘土から彫像ができあがるように、
確かな形をとって、目の前に現れるのである。
まるで一つ一つの細胞が生まれ変わったように。
そうか、こういう心身の反応は、連日何もしないで寝ころんでいないと
現れないのかもしれないなと思って、ヴァカンスの精髄を自分なりに
つかんだ気がした。
どうも今の私はヴァカンスを必要としているような気がするが、
とりあえず温泉くらいでガマンしようかと思う。
11月の末に
竹内薫や塩谷賢らと行く予定だった「おじさん温泉」は、12月に
延期になりそうだ。
竹内がニューヨーカから来るヒトとの仕事が入ってしまったようなの
である。
竹内もヴァカンスを必要としているに違いない。
2001.11.11.
南極大陸に、Vinson Massifという4897メートルの最高峰がある。
インターネットを見ていると、この山に登るツアーなどがいろいろ
出ていて、妄想が沸いてくる。
体力も要るけど、金とヒマもということで、
これからの人生でVinson Massifにチャレンジできる状況をつくれるかどうか、
一つの分水嶺かなと思っている。
http://classic.mountainzone.com/climbing/antarctica/#vinson
ここのところずっと『心を生み出す脳のシステム』(仮称)の
仕事をしていて、久しぶりに浮かんだメタファーは、仕事というか、
思考の対象というものはVinson Massifのような巨大な山塊であって、
人間はそこに張り付く小さなアリのような存在に過ぎないという
ことである。
一つの難しい問題についてずっと考える作業をしていると、やがて、
対象となっている山塊のうっすらとしたシルエットが見えてくる。
そして、自分は、その表面の極く一部を今なぞりつつ動いている
だけなんだなということがわかる。
昔時間の不可逆性について考えた時にも、
同時性について考えた時にも、
そして今「自己意識」について考えていても、自分が張り付いている
相手が巨大な山塊であると感じたときほど、謙虚な気持ちになることは
ない。
どうも、世界には人間のスケールを超えた実在があって、その存在
を実感できるかどうかということがとても重要だと感じる。
自分は巨大な塊に張り付いたアリなんだなということは、
昼間飛行機で飛ぶと目の当たりにすることができるが、
現実の空間の中だけではなく、抽象的な思考の空間の中にも、
同じようなことがある。
眼が覚めて、朝日の差す部屋の中で、コーヒーを入れ、
コンピュータを立ち上げる。
今日も山塊を登るのだなと思う。
このメタファーは大切にしたいなと思う朝である。
2001.11.12.
午前1時頃過ぎ、どうにも眠くなって、セブンイレブンまで
歩いていった。
この時期になると、おでんというのがどうも不思議である。
がんもどき、はんぺん、それにちくわもね、と一度言ってみたいと
思うのだが、なぜかおでんだけが異質なものとしてそこにあるような
気がして、はれ物に触るようにしてしまう。
眠気を覚ますのが目的だったので、適当なものを買って、ぐるっと
回って家に帰る。
酒を飲んで帰ってくる時の夜の気配と、これからまだ仕事をしなくては
ならない時の夜の気配は、明らかに異なる。
特に、後者の夜の気配を、何と表現すればいいのか、いつも探すのだが
うまく見つからない。
どうも、機能主義的な文脈には収まらずに、もっと根源的な感情
が立ち上がってくるように思う。
その昔、火がそれほど容易に手に入らなかった頃、
暗闇の中で起きて何かをするというのは、よほど例外的なこと
だったはずだ。
その頃から変わらないある種の認知構造が立ち上がるのか、
moment of truthとでもいうべき、一種独特の敬虔な、そして
何かが向こうから迫ってくるような、奇妙な気分になる。
午前2時前、『心を生み出す脳のシステム』の第10章が一応終わる。
案外まともな時間に終わったなと、机に座ってしばし呆然とする。
大場さんは、これから、未明に印刷所に持っていくといっていたが、
まるで朝刊を配る人のようである。
まだまだ作業はあるが、一応山は越えた。
私は、本を書くときは、いつもその時々の私にとって新しいことを
発見しようとして書く。
講談社の『心が脳を感じる時』は、両眼視野闘争の問題から志向性
の問題へと導かれた過渡期の作品だったが、今から思うとおかしい
ことに書き始めた時は「志向性」という言葉を知らなかった。
書いているうちに、「私の心が何かに向かっている」状態が
重要だということに気が付いて、その後で、それは「志向性」と
言われていて、ブレンターノという人がいるということを知った。
今回の本は、最初から志向性や志向的クオリア、その他の脳の
システム論が重要であると思って書いた。
それでも、書いているうちに幾つか発見したことがある。
そのうちの一つが、志向性と志向的クオリアの関係であり、
もう一つが、心の理論における表象化の能力の問題であり、
最後に、心理的時間における、「感覚的同時性」と「志向的同時性」
という二つの異なる同時性の概念である。
本を書くことの一番の喜びは、このようにして、心と脳の関係を
考える上での重要なテコの支点を、自分の中で見いだしていける
ことである。
私の頭がまともに働くのは、おそらくあとせいぜい30年で、
その間に心脳問題に何らかの本質的な変化をもたらせるか?
まあ、その前に、つくばマラソンのトレーニングを少ししないと
ひじょーにまずい。25日の本番まであと13日しかないじゃ
ないか! ぜんぜん走っていないちゅうの。
2001.11.13.
山手線の中で、岩村吉晃さんの「タッチ」(医学書院)
を読んでいたら、いろいろな声が聞こえてくる。
ドアのところに、どうやら医者なのだろうか、○○病院が何だとか、
医師会がどうのとか大きな声で喋っているおじさんが二人いたが、
席が空いて座ったのか、背中の後ろの方から声が聞こえ始める。
「こんど、○○信用金庫の支店に、○○という男が来たんですよ。
ああ、まだ38だけど、支店長で来たんですよ。それでね、
そいつの髪の毛なんですけどね、見ていて判ったんだけどね、
カツラなんですよ。本人は言っていないけどね、あれは完全に
かつらですわ。」
山手線の中で実名を出されて「あいつかカツラなんですよ。」
と言われるヒトもかわいそうだなと思っていると、今度は
前の方から女子高生の会話が聞こえてくる。
「ねえ、ワイワイから東京に飛べたっけ?」
がたんごとん。
「うん、飛べるよ。ワイワイで、チャットのサイトがあるでしょ。
そこから、「東京27」というを選べば、飛べるよ。」
がたんごとん。
「でも、最近○○子、ぜんぜんあらわれないじゃない。」
がたんごとん。
「ゴメン。○○の方ですましちゃっているから。
沈んだままで、上がってこないのよ。」
がたんごとん。
「まあ、そういう私も、下の方にしかいなくて、ナカナカ上の方に
上がってこないけどね。」
がたんごとん。
・・・・・
最初に「ワイワイから東京に飛べたっけ?」と聴いた瞬間、
飛行機のことを言っているのかと思ったが、その2秒後くらいに
ああネットのことかという思考が頭の中に立ち上がってくる。
「沈んだままであがってこない」というのも、
掲示板か何かで、新しい書き込みほど、上の方に来ることを指して
いるのだろう。
こうやって言語というのは揺らいで、変わっていくのだなあと
思う。
本気になって言語の変動を調べようと思ったら、ICレコーダー
を胸に、街に出るしかない(今のところ、私はソーイウことは
やっていないけれども)。
それで気が付いたのは、オジサンというか、年齢が上のヒトの
会話は、それを聴いていて、タームが判らないということが殆ど
ないということである。
これは、私の世代はオジサンたちが設定した文化的コンテクストの
中で育ってくるから、不思議ではない。
若い世代も、年上が混じっていると、「暴走」しないから、
新しい言語ミームをまき散らすことはない。
やはり、若い世代どうしでしゃべっているのを聞くのが
ミーム的には面白い。
そういえば、最近、一見老人のように見える白髪風に染めている若者を
時々見かけることがあるけど、あれはヘアスタイルの新ミームなのかな
と思いながら、大場さんにゲラをもらうために夕暮れの渋谷に出ていった。
2001.11.14.
久しぶりに2時間かけて20キロ走った。
本当は、フルマラソンの距離走ってしまえという野望も途中で
芽生えたのだが、
お腹が空いて、エネルギーが尽きそうになって、やめてしまった。
25日のつくばマラソン向けのトレーニングを今年は全く
と言っていいほどやっていなかったので、昨日あたり一度
距離を走り込んでおかないと、きわめてマズイことになると
思っていた。
何とか20キロ走って勝負になるかなというところだが、
今回の一番の問題点は、「おれはフルマラソンを走るんだ」
という緊迫感というか緊張感がないことである。
去年は初体験だったので、言いようのない圧迫感があった。
それが、今年は、「まあ、なんとかなるだろう」という一種
ぬるま湯の中で身体がだらーっと弛緩している状態である。
こういうことだと、本番で絶対に地獄の苦しみを味わう
ことになると思うのだが、頭と身体がそちらの方にいかない。
どうもやはり、一度目と二度目は違うらしい。
ということは、私のマラソン体験は去年で一応終わってしまった
ということなのだろうか。
死ぬというのはおそらく一度しか体験できないわけだが、
もし仮に、魂の連続性がある世界があって、
前に死んだときの記憶(というか、生きている時の記憶が、
どこでどのようにとぎれていったかという記憶。それは、恐らく、
眠りに着く時と同じような感じでとぎれていくのだろう)が残って
いたら、二度目に死ぬときは、「ああ、こんなものか」と思って
案外精神が弛緩しつつ死んでいけるのかもしれない。
死ぬことも、一度目と二度目では違うと思われる。
幸か不幸か、我々はどうやら一度しか死ねない世界に生きているような
ので、やがて死んでいく時には、
初マラソンの前と同じように緊張せざるを得ない。
高校2年の時に、1年だけ授業で柔道をやった。
得意技と言えるかどうか、一本をとれたのは巴投げだった。
その時の遠藤という教師が、「落ちる」ということについて説明していて、
こうやってぎゅっと締めて、相手の力が抜けたら、相手は「落ちた」
んだから、そこで止めなければならないというようなことを真面目に
事もなげに言う。私は、「落ちる」=意識を失うということが
とても恐ろしく思えて、その遠藤という教師は、もう何回も「落ちる」
その一線を超えることを体験してきたのだなと、
ベトナム戦争の死線を超えてきた男をみるかの
ように尊敬のまなざしでじっと見つめていたような気がする。
遠藤さんの口ひげのなめくじのように
妙に生々しい質感を、今でもはっきりと
思い出すことができる。
昼も夜もトンカツを食べた。夜は食べる予定ではなかったのだが、
食べることになった。
深夜、ソファに座り、小島信夫と保坂和志の『小説修業』(朝日新聞社)
を読了。公開書簡の交換をまとめた本である。
保坂というヒトの小説は読んだことがないが、何かとても心を引かれる
ものを感じる。
小島というヒトは、わけのわからないジジイという感じだが、保坂さんが
あんなに尊敬しているところを見ると、きっと曰く言い難い魅力の
あるヒトなのだろう。『抱擁家族』というのが代表作のようだ。
「科学者が科学の現状を一般向けにわかりやすくアレンジしてしゃべる
ときにはすでにアテにならない。科学者自身の持っているボキャブラリーが
案外十九世紀的なことが多いからです。」
(保坂和志ー>小島信夫の書簡より)
全くその通りだと思う。「ノーベル賞」科学者を集めてフォーラムを
やっている読売新聞はカッコワルイことこの上ない。本当の知の先端人は
全く別のところにいると思う。
大体、ノーベル賞自体が、19世紀の賞だからね。
どこかに、反ノーベル賞のページでも立ち上げようかと一瞬思うが、
ばからしいので止める。
クオリアについて考える方が、よほど重要だ。
2001.11.15.
車に乗って、九州の学会に行った。
白い塀の高校の敷地に車を止め、木造家屋に歩いていった。
そこに、私を待つ若い学生たちがいるのだ。
朝になって、しまった、彼らと酒を飲まずに眠ってしまったと思う。
私を慕ってくれている学生なので、ぜひ一緒に飲みたかったと思う。
でも、もう学会が始まる時間なので、行かなくては、と高校に戻る。
すると、警察官がうようよといて、今日は大きな行事があるらしい。
車に戻ると、駐車違反のステッカーが貼ってあって、ここに
電話しないと動かせませんとロックされている。
携帯で電話しようとするが、うまく番号が押せない。
いっそのこと、車を置いていってしまおうかと思ったが、そこで、
そうだ、と思いつく。
こういう面倒なことになっているのも夢のせいなんだから、
なかったことにしてしまえ、そうだ、思い切り念じれば、なかった
ことになるはずだと念じてみても、目の前のロックは消えない。
あれ、おかしいな、もっと強く念じなければダメなのかな
と考えているうちに目が覚めた。
あの、「これはひょっとしたら夢なんじゃないか」と気付く瞬間
が好きである。
「マトリックス」は3流映画だったが、キアヌ・リーブスが、
「これはひょっとして作られた現実なんじゃないか」と思うところ
だけは少し面白かった。
あのような微妙な揺らぎを、<この>現実についても体験して
みたいものだと思う。
夜、眠る前にごろごろとしていると、ああ、この時間の流れ
というものは今は絶対的なものとしてあるけれども、過ぎ去ってしまえば、
一つの概念としてマニピュレートが可能な、小さな粒のようになるんだ
よなと思う。
この、どうしようもない時間の流れが、操作可能な粒になる、その
プロセスの秘密を知りたい。
どうも私は最近狭い意味での物理主義を本気で超えようと思っている。
その切っ掛けがしばらく前に見た新国立劇場の「ラインの黄金」の
演出で、巨大なポップ文字が舞台を流れていくという趣向に、「ああ、
一つの概念というものは、現実の物体やこの空間などと全く同じ
権利をもって「実在」なのだ」と思った。
その気分が未だに続いている。
この気分を、何とか、心脳問題の解決につなげたい。
そうすれば、本当に、<この>現実について、心から驚くような
揺らぎを体験できるかもしれない。
今日は郡司ペギオ幸夫が来るはずである。
きっと大いに飲むことになるだろう。実に久しぶりだ。
2001.11.16.
結局、最後は渋谷のいつもの店(B&Y)で、午前0時過ぎまで
飲んでいた。
残ったのは、池上高志と郡司幸夫と私だけである。
郡司さんが、子供が「ピクミン」の替え歌を歌っていると教えて
くれた。
「自分のためだけに生きている、郡司幸夫、
今日も遊ぶ遊ぶ遊ぶそして遊びまくる」
10歳になる娘が、お風呂の中でいつも歌っているそうだ。
郡司さんの一番素晴らしい特質の一つは、自分を客観化して
笑える、それを他人と共有できるということである。
案外、これは、科学的精神の根幹と関係していると最近思うように
なった。
どういうことかというと、ある人が何か説を言う。理論を述べる。
その時に、こちらが、「あちゃー、これはダメだな、終わっているな」と
思うのは、理論の内容自体によるのではない。
むしろ、その人がその理論を語る時の態度によるようだ。
まともな人は、何かを言いつつ、同時にそれを懐疑する
(ひょっとしたら違うかもしれない)態度を持っている。しかし、
「いってしまっている」人は、自分の理論を信じて疑わない、教条
主義的なにおいを漂わせているものだ。
そんなことを考えつつ、スクランブル交差点の前のビッグカメラの
前まで歩いてくると、照明がたかれ、人々が並んでいる。
何だろうと思って近づいていくと、Windows XPの発売である。
午前0時から売り出したらしい。
私は、かなりの大声で、
「そんなクズOSわざわざ並んで買うのかよ」
と言いながら通り過ぎた。
しかし、列の人たちは誰も振り向かなかった。
「自分のことだけを、考えている、ビルゲイツ、
今日もクズを売って売って売って売って売りまくる。」
もう秋も深い。
2001.11.17.
新宿初台の新国立劇場に『コペンハーゲン』を見に行った。
http://www.nntt.jac.go.jp/season/s130.html
江守徹がニールス・ボーアをやる話題の舞台である。
1941年、ハイゼンベルクがナチス占領下のコペンハーゲンに
ボーアを訪れる。ナチスによる核爆弾の開発の可能性が示唆される中、
かって1920年代に一緒に量子力学を作った二人は、どのような
会話を交わしたのか。
3人はすでに死んでいるという設定で、その時何があったのかという
「真実」を、何回も何回もその時のことを検証することによって
突き止めていく、そのような構造の舞台であった。
そこに、量子力学の「不確定性」や「相補性」といった概念を適用し、
歴史的真実自体が確定できないもの、そのような趣向かと思う。
休憩をはさんで3時間の間、ボーア(江守徹)とハイゼンベルク
(今井朋彦)とボーアの妻マルガレーテ(新井純)は出っぱなし、
喋りっぱなしで、役者というのはこんなに大変だったのかと改めて
思う。
細かい数字が出てくる台詞を、よく覚えたものだと思う。
途中、なぜか、舞台の上にオーロラが舞うヴィジョンが見えて、
ああこの冷え冷えとした感じは、この戯曲が最初に上演された
ロンドンの夜の空気を思い出させるなと思った。
しかし、冷気の感覚自体は、もっと「自然」を感じさせるものだった。
池上高志と、われわれは量子力学のことを知りすぎていたから、
それが鑑賞の妨げになったかもしれないと言いながらサバティーニへ。
世界観や哲学のレベルで何か未知のものを刺激されるという舞台では
なかったが、ヨーロッパにはあるある種の知的なコミュニティが
東京にはない、それを構築することが極めて重要だとその
点では一致する。高志は、半年間パリにいたわけだが、その時の
感覚と『コペンハーゲン』は共鳴するが、東京の日常とは共鳴
しないという。
つまり、我々は、『コペンハーゲン』という劇からは深い新しい
刺激を受けなかったが、このような劇が構想され、それが上演
されることを可能にするヨーロッパのコミュニティの存在については
思い出さされたのである。
あと、我々が共通して思ったことは、戦争時、敵を出し抜くために
科学者が隔離され、必死に核反応を研究した。あのような世俗からの
遮断と集中を持ってすれば、案外心脳問題は解けてしまうかもしれない
ということだった。高志が、横でうつむいて台詞を聞いているときに
おそらくそんなことを思っているのかなと感じたが、やはりそうだった。
というわけでサヴァティーニでワインを飲みながら世俗からの遮断と
コミュニティの構築を画策したわれわれだった。
ところで、日本のポピュラーカルチャーの俗悪さには私はもうへきえき
した。
くだらないものが多すぎる。
宮部みゆきとか、森博嗣とか、田口ランディーとか、林真理子とか、
なんだ、ああいうのは。価値ゼロだ。価値ゼロ!
私は定期的に爆発して、心ある人たちのひんしゅくを買っている
ようだが、『コペンハーゲン』のような作品を支える社会的スペースが
ない以上、クズはクズと言ってスペースをつくるしかない。
多和田葉子の『変身のためのオピウム』は素晴らしい作品だが、
クズがのさばっているために、このような作品が流通するスペースが
ないじゃないか。
ふざけるんじゃねえ。
日本のインテリは、心の中ではくずだと思っているくせに、そういう
ことは無視して言わないことが上品だと思っている。
私はクズはクズといって、社会的なスペースを作らないと、
『コペンハーゲン』のニールスボーアの周りに集まったような、
本当の意味での知的なサークルはできないと思う。
なんだ、林真理子というクズ作家が週刊文春でえらそーに書いている
「コミュニティ」は。あんなものが文化人のコミュニティだと思っている
から、日本には相変わらずヨーロッパ的な意味での、本当に次の世界観を
開くようなコミュニティができないんだ。
おれは池上高志とそういうコミュニティを構築するぞ。
見ていろ、クズ文化人どもめ!
2001.11.18.
先日、光が丘公園を走っていた時のこと。
ずいぶん気温が低く、膝も少し痛かったので、2周くらいで
上がり、信号待ちをしていた。
ふと、目の前の植え込みを見ると、葉っぱに小さな灰色の
断片がひっかかっている。
何だろうと思って近づいてみると、ヤマトシジミだった。
http://home.intercity.or.jp/users/SAKA/sakai/yamato.html
都会を歩いていて、小さなシジミチョウがチラチラと足元を
待っていたら、これだと思って間違いない。
まるで葉っぱと一体化したように、足を縮めてとまっている。
昼間だというのに、あまりの寒さに、活動することを断念して、
なるべく身体を小さくしてとまっている。
なるべく身体を小さくしてといっても、チョウの羽は身体との
比率で言えば恐ろしく大きく、
そこに私が息を吹きかけると、銀の糸のような足をゆっくりと
動かして、葉っぱの裏側へと移っていった。
まるで、生きている証のように、銀の糸で葉っぱに吸い付いて
カタコトと動いて、またとまった。
幼虫で越冬するから、あの個体もいつかは力つきて地面に落ちてしまう
のだろう。
信号が青に変わり、私は再び走り出した。
時々、まるでドライフラワーのように
エレガントに歳をとっていく人がいる。
薔薇はドライフラワーになっても美しいままで、むしろ何か別の
美の要素が付け加わる。
ドライフラワーのように美しい老人には、どこか、蝶に通じる
ところがあるような気がして、
とくに、あの銀の糸のような足の動きに通じるものがあるような
気がして、
そうだ、大野一雄の舞台を見ようと思い立つ。
昨晩は、久しぶりにとてもファンタスティックな夢を見た。
罪を犯した少年と少女が、逃走する。国境を、外にハンモックのような
椅子があるバスで超える。
網をくぐって塔に登り、緑の丘の向こうに見知らぬ村が見えた時、
たとえ警察から逃れたとしても、社会的コンテクストから追い出された
二人が生きていくことの難しさの重圧が胸に迫ってくる。
要約するとそのような夢だが、ディテイルが素晴らしかった。
私は、少年だったのか少女だったのか、よくわからない。
2001.11.19.
埼玉の実家に帰る用事があったので、
思い立ってランニングシューズを入れた。
十数年前まで、いつも走っていたランニングコースを走った。
広大な田園の中を「サイクリングコース」が走り、そこを一周する。
終端に川に向かう細い道があり、
そこを川まで行って、しばらく景色を眺めてから戻った。
全部で13キロくらいだろうか。
柿が赤々と照らされている光景が見られ、ああ、私はこういう
のを無意識の中に取り入れて育って来たのだなと思った。
埼玉は、文化的に低いと思いこんでいるバカが時々いる。
数年前、何かの雑談で育った場所を聞かれて、これこれここだと
言ったら、私が何も言わないうちに、
「でも、その文化を負い目に持たなくてもいいじゃないですか」
と言った女がいる。
私は、そんなこと思いもしていないのに、
あまりにも間抜けな発言に唖然として口が利けなかった。
ああいうバカを生み出したのは、日本の軽薄なポップカルチャーである。
東京の西の方が上等であるという馬鹿な思いこみは、タモリの
「ださいたま」発言あたりからポップカルチャーの中に染みこんだ
のだろうか?
賢い人もそのウィルスに感染しているらしい。
池上と話していて、今度江古田に引っ越すかもしれないと言ったら、
お前世田谷に来いよと言ったが、別に世田谷にわざわざ行こうとは
思わない。
こういう低レベルのことを日記で書くのもたまにはいいかと思うが、
文化の絶対水準を一度見につけてしまえば、どんな田舎に暮らして
いようと、というか、田舎にくらしていた方が、いい生活ができる。
だから、グレングールドは湖の畔に一人でくらしたのではなかったか。
はっきり言って、東京の「西」にある「文化生活」など、まがい
ものではないか。
ウィーンのシュターツオパーとか、ミュンヘンのナショナルシアター
とか、ああいう掛け値なしのハイカルチャーを中心とする生活
の内的基準が一度判ってしまえば、「世田谷」とか青山とか、
そういうのは
猿芝居である。
むしろ、飯能あたりにゆったりと居を構えて、アトリアを持ち、
レッドアローで池袋に出る生活の方がよほど良い。
今まで私が見た家の中で一番良かったのは、沖縄渡嘉敷島に
ある、作家灰谷健次郎の家だった。クジラが泳ぐ海峡を
見下ろす高台にあり、そうめんガラス張りのアトリエの中に、
夕陽を描きかけの絵があった。そして、外の海には、本当に
夕陽が落ちていた。
本当は素晴らしかった
獅子座流星群のことを書こうと思ったのだが、最近日本の
ポップカルチャーのあまりの軽薄さに本当に頭に来ていて、
それに関連して「東京の西の方が良い」という間抜けな思いこみについて
書きたくなってしまった。
まあ、「タモリ」というすっかり軽薄タレントと化したあの男など、
A級戦犯の部類に属する。
集団レミング的な思考から抜け出して、むしろ、オレが住むことで
全然別のエリアをファッショナブルにするという思想が、なぜ
出ないのか?
日本の低迷は、ライフスタイルを自ら作り出せないレミングたちが
もたらした低迷でもある。
最近、どうもこういうくだらないことでも許容しないでガンガン
発言しないと、日本の生活レベルでの文化を本当の意味で引き上げられない
のではないかと思うようになった。
この前池上と『コペンハーゲン』を見に行ったのもその切っ掛けに
なったかもしれない。
まあ、くだらない話はこれくらいにして、本質的な問題について
考え始めよう。
そういえば、今日から駒場で集中講義がある津田一郎さんも、
このような怒り方をするような気がする。
2001.11.19.
くだらないことを書いてしまったので、
流星群のことを少し。
午前4時30分まで仕事をしていて、時々外に出てみた。
驚くほど沢山流れていた。
予想される流星群ではなく、予想されない、同じくらいスペキュタ
キュラーな自然現象を見てみたいと思った。
科学は、予想する。説明する。そのような自然現象しかなくなった
ことで、私たちの知性、感性のある部分が摩耗してしまっている
ところがあると思う。
予想できなかった頃、人々は、夜空を突然飛び交う光の筋を見て、
何を思ったか? それを、どのような世界観にあてはめようとしたか?
私の決まり文句だが、これもニューロン活動によって生み出される
表象なわけである。
科学が因果的に天体の運行を説明することも驚異だが、私たち
の脳が生み出す様々な世界観のリアリティ、こちらも驚異であると
私は考える。
そのような心の働きの自由な発露を、科学主義はある意味では
封じ込めてしまった。
科学主義を経由して、荒唐無稽な世界観を生み出す心の働きの
リアリティに戻ることで、単なる無知の迷信ではない、一段階
上の世界の切り口が見えてくるはずである。
その際、物理主義が捨て去られるのではないことがポイントである。
赤のクオリアとか、ああいう政治的に中立な表象の要素よりも、
むしろこの上なく奇妙な、妄想とでもいうべき世界観のリアリティと
それを生み出す脳のニューロン活動の関係こそがもっともエクサイティング
なのではないかと、空を行き交う光の筋を見上げながら考えた。
そのためには、もっと、予想も着かない自然現象との出会い、
あるいはその欠如を補う内的な詩情の飛躍がなくてはならない。
2001.11.20.
カオス理論の立場から脳について研究してきた北大の津田一郎
さんの集中講義を聴きに、東大の駒場キャンパスに出かけた。
駒場東大前で降りると、「喝」と書かれた駒祭のポスターが貼って
ある。
バカだなあ、本当に、芯からバカだなあと思う。
バカだと思う理由は、このポスターを髪の毛に墨を付けて書いた
とかそういうワイドショー的な意味ではない。
このテーマといい、ポスターのセンスといい、そこに「外の世界」
の風が吹いていないのだ。
「東大に喝」だと。そんなこと知るか、ばか。世間知らずの自己中
もここまでくるとほとんどカリカチュアである。
そう言えば、「止めてくれるなお母さん、男東大どこへ行く」と
いう橋本治
の「歴史的」と言われているコピーにしても、「世間知らずの自己中」
の臭いは共通している。
お前らが、どうなろうと、そんなことは世間(界)は知ったこっちゃ
ないんだよ。
「ぼくちゃん」たちも、アフガンとか、イスラム銀行とか、地域通貨
とか、中国問題とか、構造改革とか、心脳問題とか、そういうことについて
ちゃんと考えなさいね、少なくとも、そのような世界に吹いている
「風」に対する感受性を感じさせるポスターデザインにしなさいね、
たまには、Joan BaezのWe shall overcomeとか、床の上にウィスキーが
こぼれているとか、ああいう歌を聞きないね(そういえば、私は
こういう歌を歌いたいと思っているのだが、カラオケ屋はどこも
置いていないのだった)と毒づきながら正門を入る。
We Shall Over Come
We shall overcome, we shall overcome,
We shall overcome some day
Oh, deep in my heart, I do believe we shall overcome some day
We shall all be free, we shall all be free,
We shall all be free some day
Oh, deep in my heart, I do believe we shall overcome some day
We shall live in peace, we shall live in peace,
We shall live in peace some day
Oh, deep in my heart, I do believe we shall overcome some day
ビルクリントンがヒラリークリントンとこの学生運動の歌を
歌いながらホワイトハウス入りしたという映像はぜみ見てみたかった
ものである。
池上さんの隣に座って、津田さんの「授業」を聞く。
かっこ付きになってしまったのは、私や池上さんや金子邦彦研の藤本
くんとかがさかんに議論して、授業というよりも討論会になって
しまったからだ。
しかし、津田さんとこんなにゆっくり議論できるのは12月の京大
の研究会の時もないだろうから、大いに楽しかった。
終了後、駅の近くの喫茶店で柳川君、長島君、関根君とビールを
飲みながら議論。
関根君の出した「ジレンマ」の問題が面白くて、そうか、そういう
時に人間の認知がなぜ誤るのか、これは重要な研究テーマになるな
と思う。
少しこの問題は真面目に考えてみようと思いながら、学生を
おいて先に電車に乗る。
2001.11.21.
朝日カルチャーセンターの最終回で「物語」について話していて、
キアロスタミの「桜桃の味」を題材に使った。
この映画のラストシーンを見たときの衝撃は忘れられない。
全く新しい手法のように見え、深いところで共鳴させてから実は
考えると極めて「自然な」ことのように思える。
このような答しか、最初からなかったように思える。
古典(クラッシック)になる作品は、全て、この「自然さ」を
兼ね備えているように見える。
その後、ヴィスコンティの「イノセント」の美しいラストシーンを
使ったが、キアロスタミの後では、ヴィスコンティやタルコフスキー、
エリセのようなヨーロッパの至上の作品群たちが、「一昔前の
スタイル」に思えてしまう。
21世紀に映画を撮るとすれば、キアロスタミが突きつけている
問題意識を抜きにしては撮れないだろう。
私が前衛という概念をあまり信用しないのは、そこに、「自然さ」が
ないかもしれない。
横浜トリエンナーレの作品群もそうだったが、大脳皮質レベルの
何かをくすぐり、一時的な波を起こすものの、本当の意味で深い
共鳴、それこそ大脳辺縁系を含めた無意識の再構成化を促すものは
少ない。
クリストの「アンブレラ」のことは、未だに思い出すことがあるけれ
ども、
あれは、傘をトポロジカルに逆転させて、常陸太田の美しい里山
の風景を包む額縁にしたという点で、instant naturalnessを持っていた。
キアロスタミも、クリストも、自然さへの着地があるという点で、
前衛ではなく古典である。
心脳問題を考える時にも、「とてつもなく新しい考え方に見えるが、
よく考えてみると、この上なく自然で、最初からそれ以外に
答がなかったように思われる」ようなものを追い求めるしかないだろう。
私たちは一人一人脳を持っているから、脳のことは何となく内的
感覚で判ったような気になってしまうものである。
しかし、実際には、容易に判らないことにこそ、秘密がある。
先日のTBSの番組は、素材としては良かったのに、それをまとめる
視点において「容易に判らないこと」に対するリスペクトが欠けていた。
これは致命的なことである。
「多重人格障害」(Multiple Personality Disorder or Dissociative
Idendity Disorder)についてはその存否を含めて激しい論争が
あるのに、それを言わずに、「これが真実だ」というように断定する。
その断定の一歩前に踏みとどまる姿勢こそを、科学番組は啓蒙すべき
なのに。
今時、情報自体はどこにでも転がっている。肝心なのは、情報自体
ではなく、情報に対する態度である。日本の科学番組で、情報に
対する「踏みとどまる」態度を伝えているものを私は知らない。
すぐにマンネリズムに転化する「分かり切った世界観」に身を
ゆだねる一歩前の地点で踏みとどまることによってしか、
キアロスタミやクリストのような、すぐに自然に転化する前衛は
生み出し得ないだろう。
2001.11.22.
工作舎の創立30年のパーティーに行く。
「脳図鑑」で文章を書いたので、招待状が来た。
今村昌平さんがスピーチをした。
抜群にうまかった。
「最初に、工作舎という名前を聞いて、これは何かアブナイことを
している人たちに違いない。きっと、中国共産党と関係があるのだろう。
そう思っていたら、何だか○○さんという人が来て、まるでヤクザの
親分だ。これは困った、共産党だと思っていたらヤクザかと考え込んでいる
と、(現社長の)十川さんがきて、とても控えめでいつも
ニコニコ笑っている。
それで、やっと、ああ、これはヤクザの組織ではないらしい、と安心した。」
場内爆笑の嵐。
人の心をそらさない人である。
「うなぎ」は感心しなかった。
「赤い橋の下のぬるい水」も何となく見る気がしない。
しかし、「日本昆虫記」とか、「楢山節考」を見ていないので、
私には今村昌平を語る資格がない。
日経サイエンスにいた時に「脳とクオリア」を出版してくださって、
今は白日社に移っている松尾義之さんがいた。
羽尻といっしょにほとんど松尾さんと喋っていた。
話題は古今のテレビの科学番組。
松尾さん自身も番組を作っていたことがある。
松尾さんはこの前のTBS番組擁護派で、モンゴルの子供の顔なんてよかった
じゃないかと言う。
私が、何でそこにタレントを送り込まなくてはいけないのかというと、
茂木君はそういうけど、あのようなタレントが、今の日本人の
現状なんだよと言う。
すると、やはり白日社の鳴瀬さんが、どうせ行くんだったら
一週間じゃなくって一か月いて欲しかったと言う。
そこで、私は、どうせなら、タレントだということを忘れて
放っておかれて、そこで1年生きたらいい顔になっていたろうねと言う。
私が科学番組を批判して、松尾さんが擁護するという形だったが、
後で聞くと、何のことは、ない、松尾さんも出版界の腐りきった
現状に怒りを覚えていて、単に今テレビ番組に興味がないだけだった。
新橋の街は、もう電飾がされていて、歳末の雰囲気だった。
松尾さんたちと、そば屋に入った。
日本酒といっしょに、塩が来た。
私はどうも精神の発達が遅いらしく、最近やっと社会化し始めました。
パブリックな場で、批判精神をどのようにピリリと利かせるか、わかってき
たような気がします、
こんど日経サイエンスに頼まれた土屋賢二監訳の「心は機械で作れるか」
の批評はかなり工夫して、「カミングアウト」したので読んでみて
ください、と松尾さんに言う。
暗闇の中を家に向かいながら、オレは、本当に社会的なことに
興味がなかったのかもしれないないと思う。
大勢の人の前で喋っている時も、この人たちに喋っている、この人たち
に何かを伝えるというよりは、何か(大げさに言えば神)の前で
パフォーマンスをしているという感じだったのかもしれないな、
と思う。
何だかうまく言えないが、ある種の心の理論モジュールが、
自分の中で高度化されつつあるように感じる。
私の長すぎた少年時代が終わったのだろうか。
一方で、パーティールームで談笑する人々の頭の上に、
極光が舞っているというような心象風景も保っていたいとも思うのだ。
2001.11.23.
ここのところ、控えていたが、仕事が
忙しかったのでバランスをとろうというのだろうか、
また、コメディを輸入し始めた。
どうも、シリアスな方向に行きすぎると、
アタマが笑いを求めるらしい。
イギリスのコメディガイドがあって、
それの2位が、Fawlty Towersというむちゃくちゃなホテルの
話。
客商売なのに客嫌いな主人が毎回妄想をふくらませてとんでも
ない行動に出る。スペイン人のウェイターは、英語が全くわからず、
いつもとんでもない行動に出る。そんな二人の失敗をカバーする
やり手の奥さんと、若いウェイトレス。
変人が集まって絶妙なバランスを醸し出した名作で、
何回見ても味わい深い。これが2位ということは、このコメディガイドは
信頼できると思った。
その1位が、アメリカのSeinfeldというショウで、是非見たいと
思うのだが、残念ながらこちらはまだビデオ化されていない。
そのJerry SeinfeldというコメディアンのインタビューのCDを
輸入して、駅まで歩く道で聴いてみた。
Stand up comedy(舞台で一人で立って、客を笑わせる)の練習は、
基本的にライブでしかできない。それは、外科医が、一度も手術を
せずにメスを握るようなものだ。一番最初のステージの時、
「コメディアン」と紹介されるが、実はその時点では君は
コメディアンではない。
普通、人間は喋る時には自分が喋べることにしか注意がいって
いないが、コメディアンというのは、同時に、相手がどのような気持ちで
聴いているかということを推し量らなければならない。それは、
微妙なバランスの必要とされることだ。
Tonight Showは、芸人にとって、World Series, Olympicのような
ものだ。最初に出演した時、その5分間に全てをかけた。この5分間は、
それまで、あちらこちらのコメディクラブで、数百回はやったネタだった。
それでも、ジョギングをしたり、「ロッキー」の映画を見たりして、
出演時に、自分の心身の状態を最高に持っていくように努力した・・
Jerry Seinfeldは、いわゆる「ニューヨークのユダヤ人」である。
今のようにコメディアンが「弁護士になろうか、それともコメディアン
になろうか」というようなcareer optionになる前は、コメディアンに
なるのは(1)マイナリティーか(2)ものすごく貧乏か(3)不幸な
子供時代を過ごしたかのいずれか、あるいは全ての条件を満たした人
だったという。
悲劇が、この世界の不完全さと一体化してそれを嘆くことだとすれば、
喜劇は、この世界の不完全さに対するdefense mechanismである。
笑いが起源であっても、次第に、笑いから離れた、微妙なクオリア
のブレンドが目的化してくる。
ちょうど、酒が、たんにエチルアルコールを飲んで酔うことから、
繊細な味、香り、のどごしのクオリアへと進化するように。
このあたりのことを、2、3年以内には書きたいものだ。
つくばマラソンは2日後だが、今週は忙しくて
再び全くトレーニングできず、
「もはやこれまで」である。Take it easyでゆっくりゆっくり走って、
何とかごまかすしかない。私の体の不完全さと一体化して棄権するか、
あるいは、不完全さに対する防御機構を働かせて何とかよれよれと
完走するか、喜劇か悲劇かどちらかである。
昨日は五反田からCSLに歩く途中で、時間の問題について
ひょっとしたら画期的なアイデアを思いついた。この点を
徹底的に追及する時間も欲しい。
2001.11.24.
テレビのニュースで、アフガン関係のものはじっくり見る。
どちらかというと、アナウンサーが言っていることもだが、
景色の風合いや、人々の顔の陰影を見ている。
砂丘の上、発弾した戦車が反動で後ろに滑る。
その周りを人々が取り囲んでいる。
崖の下の道を荷台に人々を満載したトラックが走る。
投降する兵士たちだそうである。
どうにも、全てが悲痛で仕方がない。
タリバンの兵士は、投降すれば民間のアフガン人に戻れるが、
外国人兵士が一番必死のようである。
民間人に紛れることができないし、北部同盟に捕まれば処刑
されるかもしれないと思っているからだ。
そのような人たちが、1万五千人、北部同盟に取り囲まれている。
自分がそのうちの一人だったら、と思うと、画面の爆発が
骨にしみいる。
漱石の「それから」の中で、代助が、殺人をおかしたものは
流れる血を見ただけですでに罰を受けていると言うが、
全ての人が代助のように、つまり漱石のように繊細な感受性を
持っていたら、戦争など起こらないだろう。
円生の「死に神」を聴きながら運転していると、
くいくいとまるで豆がはじけるような軌道を描いて抜かしていく
車がいる。
たまたま、前に自衛隊のトラックが止まる。
荷台に、若者たちが目白押しに座って、談笑している。
アフガンの戦士たちとは実戦と空想の違いがある。
くいくいと抜かしていった車の方が、アフガン戦士に近い。
あのような脳は、戦争により近い。
ファンタジーとして何かを想うことと、それが現実に起こる
ことの間にある落差。
これを判ることは、大切な教養である。
戦争には、ファシネイティングな側面がある。
NYの写真展で、少女が超高層ビルに飛行機がぶつかる瞬間の
写真を買う。
目をそらすことのできない、魅惑がそこにあるからだ。
しかし、このような魅惑は、あくまでも、それをファンタジーと
して消費する場合のこと。
もし現実に起こった現場にいたら、魅惑どころではない。
電気ショックを受け続け、ついには凍り付くネズミのように
なってしまう。
斎藤美奈子は、「ミステリー作家は殺人をメシの種にしている」
と揶揄したが、ミステリーにおける殺人は、全てファンタジーとして
消費される殺人である。
ミステリー作家が、連続殺人鬼であるわけではもちろんない。
殺人の現場にいれば、人は凍り付くネズミになる。
問題なのは、ブッシュのように、ファンタジーを現実に結び付ける
ことのできる立場にいる人が、代助のような感受性を持たないことだ。
ブッシュが、凍り付くネズミになることはない。
凍り付くネズミになるのは、空爆に震える地上の人たちであり、
ブッシュは、ヴァーチャルなファンタジーの世界で笑い続けるのだ。
2001.11.25.
どうにも赤入れが終わらない。
トレーニングをするヒマがない。
大場さんと、光が丘の駅で午後2時30分に待ち合わせていて、
午後2時過ぎまで再校ゲラに赤入れをして、20分に家を出て、
これが今日の唯一のトレーニングだと、走っていった。
リュックを背負っているだけで、随分身体が重い。
せっかくだからと、NHK文化センターの喫茶店で打ち合わせを
した。
「月曜の午前11時までに図を全部打ち出していただけますか?」
「光沢のある紙に、キレイに打ち出していただけますか?」
「それで、印刷屋に入れると、責了です!」
大場さんが畳みかける。
日曜日にわざわざ出てきている大場さんも大変だし、マラソンが
あるというのにトレーニングできない私も大変である。
大場さんとサヨウナラと分かれて、落語のテープとCDを
買って、再び家に走って戻る。
もう、これで、明日のマラソンまで、トレーニングをすることはない。
タッチ&ゴーで、買った文楽と円生のテープをかけながら、
つくばに向かった。
土浦に、「吾妻庵」というそば屋があって、てんぷらの「ほたて」と
ともに名店である。今日は「吾妻庵」にして、そのゆったりとした木造の
建物の中でてんぷらそばを食べる。
しばらく前に書いたが、東京の西にしか文化がないと思っている
やつは、ホントに馬鹿である。
アフガン空爆は当然だと思っているやつと同じように馬鹿である。
あの日記に対して、「私も馬鹿の偏見でヒドイ目に会いました」
「良く書いてくれた」
というメイルを複数いただいた。
北関東の地方都市には、時々驚くほどの骨太の文化があって、
その風合いはむしろ西東京よりもイギリスのあの重厚な雰囲気に似ている。
今まで行った中では、栃木市などかなりいいところで、もし仕事が
あったら、そこに住みたいと思うくらいである。
本はネットで買えるし、いい喫茶店はあるし、空気はうまいし、空間は
広いし、言うことはない。
それで、時々ウィーンやロンドンのオペラハウスに出かけ
ていけばいい。映画はホームシアターで見ればいい。
東京には人に会ったり、
歌舞伎や文楽を見に行くくらいしか用がない。
仕事で必要ならば、東京に仕事場を借りればいい。
実は、田舎に家を持ち、ロンドンにフラットを持つというのが
イギリスの貴族のライフスタイルで、日本で言えばそれは北関東
あたりに住むという感覚になる。
こういうことが判らないうちは、日本は本当の意味での文化国家に
ならない。
ミーム闘争というのは、激しくやってもいいのかなと最近思う。
人間はもう生物学的な意味の淘汰をしない。誰でもだいたい
そう思えば子供二人残せる。近代化は出生率に現れるそうで、
誰も子供を多くつくるという意味での競争はしなくなる。
何が残るかと言えば、ミームの競争である。こちらの淘汰は
激しく、致死率も高い。私の中では、東京の西側に文化があるという
クラダナイ思いこみと、テレビの地上波に流れているチャラタレの
バカエティ番組はほとんど一連なりのミームである。こういう
ミームはぶっつぶしてもいいと思う。
ハリウッド映画もぶっつぶしていいと思う。そうだ、
私はこれからの人生で広い意味でのミーム闘争をやるのだ、
心脳問題を解くということも、ニュートン以来の近代科学の数理主義
に対するミーム闘争だし、とマラソンを走るはずの朝に思うのだった。
それにしても風邪気味で、本当に最後まで走れるのだろうか。
ミーム闘争の前に体力闘争をしなければならない。
2001.11.26.
もう、これは駄目だ。
と心の奥底から思うことが、日常でどれくらいあるだろうか?
去年の苦しみをまた繰り返したのは、そのような、脳に栄養となる体験を
と思ったかもしれない。
「まるで野人みたいだな」
時間ぎりぎりになり、一斉にわさわさとスタート地点の手前の木立の
斜面を駆け下りていく人の群れを見て、誰かがそういう。
実は、スタートに間に合うことはそれほど重要ではない。
どうせ、後ろの方はすぐには走れ出せないんだし、そもそも
そんなことはどうでもいいということが、20キロ過ぎたあたりから
判るからだ。
このあたりの諦めを体感することも、脳に栄養になる気がする。
去年は、最初の10キロを50分で入り、それで20キロ過ぎで
全く足が動かなくなってしまった。
大リーグボール3号を投げ続けた星飛雄馬の腕のように、足が
ちぎれそうに痛く、結局20キロ過ぎは殆ど歩いた。
それで、今年は、押さえ気味に行くことにした。
意識的なスローペースで、最初の10キロは60分、次の10キロも
60分で、少しは足の疲労度が変わるだろうと思った。
確かに、歩き始める距離は、去年より遅かった。
25キロ過ぎまで、走ることができた。
だが、結局、そこで足がブレイクダウンしたことには代わりがなかった。
去年と違い、スプリングを使わないで走ったので、太股が星飛雄馬に
なることはなかったが、代わりに膝と向こうずねが星飛雄馬になって
しまったのだ。
それで、
ああ、やっぱりダメなのかと、すっかり戦闘意欲を失ってしまった。
風邪気味で体調が良くなかったということもあるのだろう。
また、押さえ気味作戦が通用しなかったことのショックもあったの
だろう。
とにかく、星飛雄馬になった足を無理にむち打って走る、という気力が
なくなって、30キロ過ぎからはひたすら歩いた。エネルゲンや
チョコレートやバナナを難民の子のようにもらいながら、ひたすら歩いて、
競技場の手前でやっと走り出して、ゴールした。
5時間19分。
去年より、タイムは10分以上遅くなってしまった。
ミジメだった。
オレは、基本的にマラソンに向いていないのかもしれない。
前半押さえ気味にいったのに、足が星飛雄馬になったことが
ショックで、この競技に対する態度を考え直さなくてはいけないなと
本当に思った。
qualia mlの知り合いの菊池広幸くんは、4時間30分だったという。
かけに負けたので、今度何かおごらなくてはならない。
菊池くんは24歳なんだから、負けるのは当たり前だと言われたが、
問題が体重だということはよく判っている。
菊池君の年齢の頃は、私も彼のようなほっそりとした体型だった。
それが、今は、プラス7キロくらいになっている。
別にでぶというわけではないが、とにかく体型は変わっている。
3キロのリュックを背負って走るだけでも、足への負担はかなり重い。
体重を減らさないと、どんなペースで行ったとしても、足は星飛雄馬に
なってしまうのだろう。
そう思って周りの人を見ると、なんだかやせた爺さんとかが多い。
私のような、「がっちりした」体型の人はとても少ない。
ゴールして、ピッチの上で呆然としながら、オレはマラソンという
競技に拒否されているのか、一度でいいから、ちゃんと最後まで
足が星飛雄馬にならないで、まともな競技としてマラソンを走ってみたい、
そのためには、体重を20歳代前半のレベルに戻すしかないのだろうかと、
やや悲しい気持ちで思ったのだった。
別にマラソンなんかに出なければ、幸せに生きていけるのに、
なぜ、こんなことを思わなければならないのか?
歩く人は、私だけではない。
30キロ過ぎあたりから、皆無口になり、下をむいてトボトボ歩く。
私の後ろに、まだ1000人くらいいたのだから、
足が星飛雄馬になる人はたくさんいるのだ。
虚飾がとれて、剥き出しのひたむきさが現れた人間は美しい。
そのような人たちと「歩く」ことから、連帯感も生まれてくる。
それはそれでいいのだが、私は、最後までまともに走るマラソンというのを
一度やってみたい。
そう考えて、何だか、鏡を見ながらため息をついている女の子の
ような気分になってしまったのである。
2001.11.27.
もう、これで本当に終わったのかな?
と疑心暗鬼になりながら、大場旦さんとNHK出版の地下にある
NHKの秘密のアジトみたいな会員制の店のソファに座っていた。
大場さんは、印刷屋と会って来ますと、上に行ったままなかなか
戻ってこない。
仕方がないので、あの人は引退したディレクターか何かかなと
店に入ってくる独特の風貌の人たちを眺めながら、ちょろちょろと
仕事をしていた。
BGMでポップスが流れていて、Never fall in love againがかかった
時に、何となく、私の思春期の、とてもナイーヴだった時代のことを
思い出した。
予約が入っています、と奥のソファーシートを追い出されて、
丸テーブルに移った。
京都には年に3回行きます、
今回連休に行ったら、かえってイタリアよりも高くついちゃったわなどと
マダムが言っている。
もちろん、マダムといってもバーではなく、昼間の世界なのだが、
秘密クラブのようなところもあり、マダムが入ってくる客に「あら、
久しぶり」などと言っている。
そこに腰掛けて、私はミルクティーを飲んでいる。
不思議な店である。
ゆるりゆるりと帰ったきた大場さんの口調では、
本当に一応終わったらしく、後は念校と青焼きだけど、
それは私が見ますからという。
身体が大場さんに責め立てられるのに慣れてしまったので、急に
その圧力がなくなると呆然とする。
大場さんは制作部や印刷屋と喧嘩したそうで、私はよく喧嘩するん
です、と打ち上げのそば屋で言う。
確かに、私と議論していても、目つきがランランとすることがある。
チャラタレ問題を議論していたら、目がキラリと光って、そんなこと
よりも、もっと批判されるべき人たちはいるじゃないですか、コイズミと
か、とバンと机を叩く。
スマップを見にNHKの前に女子高生が並んでいるけど、ああいうのは
いつの時代にもあったんだから、そんなのを批判しても仕方がない、
とそういう。
しかし、ミーム闘争というものは・・・と反論しようとしても、
マラソン大会
の疲れと、酒の酔いでうまく反論できず、最後は東急ハンズの近くの
イングリッシュ・パブに拉致されて、ギブアップとなった。
最近大場さんが作った金子勝という人の「月光仮面の経済学」は、
私と違ってコイズミとか「本当に批判されるべき人」を切りまくっている
ということである。さっそく読んで見ようと思う。
何だかもう歳末で明日が大晦日のような気がするが、本当は
まだ1月あるのだ。何だか得をしたような気分だ。
ゆっくりと歩きながら、本当に難しい問題を徹底的に考える時間を
持ってみたい。
2001.11.28.
大場さんが作った金子勝さんの本を読んでいると、
「タイタニック」のメタファーが出てくる。
今や、日本というタイタニックは沈みつつあり、
一番下にいる三等船客からおぼれ始めている。
一番上のデッキにいる一等船客は、救命ボートもたくさんあり、
食い逃げしようとしている。今や大学を出た若者の4人に一人はフリーター
だ。一方、一等船客たる銀行の幹部、高級官僚、政治家たちは
自分たちさえ助かればいいと、のうのうとしている。
だから、本当に批判されるべきは、責任をとらず食い逃げする
一等船客たちであって、三等船客が夢中になっているチャラタレを
批判しても仕方がないだろう、そう大場さんは言いたかったのか
と思う。
国の借金が600兆ある。このままでは、日本は本当に沈む。
チャラタレなんかを批判している場合じゃないだろう、そういう
ことかと思う。
しかし、だったらなおさら、チャラタレのバカエティ番組を
見て笑っている場合ではないと思うのである。
私は、今の日本に徹底的に欠けているのは、インテリジェンスだと
思う。
インテリジェンスの欠如で、経済も社会も停滞しているのだ。
昨日の朝日の夕刊に、「慎吾君の質問に、悦ちゃんドキッ!?」
という見出しで、SMAPの香取慎吾と小宮悦子がやっているらしい
ニュース番組の紹介が出ていた。
「なんで戦争は起こるんですか?」「聖地って何?」と慎吾クンが
ぶつける素朴な質問に、百戦錬磨のキャスター悦子さんも一瞬虚をつかれて
・・・
残り5秒で香取が締めの一言。
「日本の危険度はいくつなんですかねえ?」
放送直後、このコメントを「小宮さんにほめられた」と喜ぶ
香取は「・・・・頭の中の編集期がフル稼働して絞り出してるん
です!」と力を込める。最近、新聞を隅から隅まで読むようになった。
(以上記事引用)
なんじゃい、この馬鹿タレがあ!
カナダ土産の
Henry of Pelhamの1999年のRiesling Icewineを優雅に飲みながら
新聞を読んでいた私は、そのような下品な声を上げて新聞を放り出した。
幼稚園児かい、ワレ!
おまえみたいなバカタレにつき合っている場合じゃないんだよ、失せろ、
馬鹿スマップのクソタレがぁ。
私は新聞を踏みつぶして、ぐぁーっと吠えた。
(メタファーではなくて、事実である)。
その7ページ前に出ていた吉田秀和の文章に現れているインテリジェンス
に比べたら、このクソ記事の中でカトリ線香の言っていることなど、
くされ外道め豆腐の角に頭ぶつけて死ねというものだろう。
いつから、こういうチャラタレがニュース番組に出てエラソーなことを
言うようになったんだ?
お前の腐った頭の中など、のぞきたくもねえんだよ、失せろ、馬鹿。
小宮も、ジャーナリストを気取るんだったら、こんなガキの言う
くだらなねえ一言に「虚を突かれる」んじゃねえよ、タコ!
まあ、お下品はともかく、私は金子勝さんのような書き手にも責任の
いったんはあると思う。
金子さんは官僚とかを批判するが、一つ見えてこないものがある。
それは、日本経済という巨大な組織体のどこがどうおかしくなって
こうなっているのかというシステム論である。
不良債権の問題や、国の借金の問題は、いわばこのシステムの部分部分の
線形の現象の話であって、線形を積み上げて、非線形な全体として
日本経済がどのように回らなくなっているのか、その全体像が見えてこない。
まあ、経済の専門家なんだから、ご本人は仮説をお持ちなのだろうと
思うけど、そういうことを書いていただけたらと思う。
そういう難しい話をしないと、どうしょうもないのが今の日本ではないか?
経済という巨大なシステムのどこがダメなのか、これは、とても
難しい問題で、結局判らないという結論になるかもしれないし、
判るとしても、最高のインテリジェンスが必要とされることだと
思う。
日本にいま必要なのは、そのようなインテリジェンスで、ばかタレの
気の利いた一言ではない。
首相や財務大臣までがタレント化して反インテリジェンスになっている
今の日本に必要なのは、ばかタレを排除してインテリジェンスを
注入する行為なのだ。
ホント、民放のゴールデンのチャラタレのバカエティ番組を
見ている場合じゃないのである。
金子さんが言うように、三等船客から沈んでいくのかもしれないが、
その船室のテレビに移るチャラタレのふぬけ面は、一等船客の
狡猾な陰謀かもしれないのである。
大体、ジョン・レノンがカトリ線香みたいな馬鹿なことを言うこと
が想像できるかあ?
どうせなら、ジョン・レノンみたいなスターを出せよ、日本の
おおばか芸能界め。チャラタレをよいしょするな、朝日新聞。
(明日こそ上品な日記を書こうと決意する)
2001.11.29.
渋谷で飲んで、プラットフォームで電車を待ちながらぼうっと
していたら、線路の上に大きなポスターがある。
SEDA--MAGAZINE FOR LOVELY GIRLS 10 YEARS.
などと書いていて、二人の女の子がカメラ目線で写っている。
初めて見た雑誌だが、何だか妙なことを考えた。
モデルの女の子の顔の表情の微妙な企みが、私に
そんなことを考えさせたのかもしれない。
しかしな、と私は思った。
LOVELYじゃない女の子は、どうすればいいんだ?
あのモデルの女の子たちのように、確かにLOVELYな女の子たちは
まあいい。
顔の形が変な女の子は、どうすればいいんだろう。
何を着ても似合わない顔の女の子はどうすればいい?
顔の筋肉の細胞が勝手に増殖しちゃうんだから、仕方がないじゃないか。
自然の自己組織化の結果をLOVELYじゃないというのは
何か変だな。
生命の作用の結果を、なぜ醜いと言う?
地下鉄の中はつり革につかまりながら殆ど眠っていて、
光が丘駅に着いて、歩き始めた。
昔大学院の時文学部に柴田翔のゼミを取りにいって、ゲーテの
『ファウスト』を読んだとき、何となく、そういう話になった。
醜い姿の怪物に、この上なく高貴な精神が宿る、そのようなことが本気で
考えられたのが古代ギリシャだと。
ロマン派ドイツによって理想化された姿かもしれないが、私は
なるほどと思った。
どうも、人々が見たままの美しさを競い合う時代は軽薄だな、
それにしてもファッション雑誌ってだれが読むのだろうと思って
上を見上げると、月が煌々と輝く。
私を包む木々の葉々の、細胞の一つ一つの営みが感じられる。
まあいいや、しょせん、世界は無意味なのだから。
このままそこの道路に朝まで寝ていたって同じことだ。
忙しい一日だった。いろんな「意味」を強制された。それで、
最後に、意味を強制されるのはいやだなと思ったのだろう。例え
それがLOVELYなモデルの顔だとしても。
月を見上げると、無人の世界を思うと清々しい。
どうも久しぶりにそういうモードだな、と思って、
夜の闇に照り光る葉の形を一つ一つ確認しながら歩く。
2001.11.30.
視聴覚情報研究会(AVIRG)の例会で喋るために、大岡山にいった。
銀杏の葉が散る道を通り、トンネルを抜ける。
ベンチャービジネスラボトリーは、靴を脱いで入る。
前の講演者の話を聞きながら、パワーポイントをつくる。
つくり終わったのが10分前で、椅子に腰掛けて、呆然と、
体調が悪すぎると思った。
だるい、力が入らない、鼻水が出る。
何とか終わって、帰ろうとすると、関根くんがいる。
「あれ来ていたんだ?」
関根君は、今慶応の経済の4年で、来年東工大の修士になる。
銀杏の葉の降りていく空気の中を二人で歩く。
「金子勝さんているでしょ。」
「ええ、授業はとても人気があります。特に前の方には、親衛隊
みたいな人が沢山いて。」
「授業どう?」
「面白いです。有名人ですから。反グローバリスムとか言い出してから
人気が出ました。でも、理論の先生たちはいろいろ
言います。理論では、経済は記述できないというのはいいんだけど、
じゃあ、どうやったら現実を記述できる理論を示せるのか言って欲しい
って。」
「そうなんだ。」
「ええ。あっ、ちょっと、ホヤ買っていいですか?」
はあ?
私は、聞き間違えたのかと思って立ち止まると、魚屋の前まで
来ている。
どうやら、本当に「ホヤ」と言ったらしい。
「ホヤって、君ホヤ食べるの?」
「ええ、大好きなんです。・・・でも、今日はないや。残念。」
「じゃあ、酒も飲むんだ。」
「いや、家では酒は飲みません。ホヤだけ食べるんです。今日はないや、
残念。」
うーむと唸りながら電車に乗る。
NHK出版の大場さんに、これがホントの最後のはずの図の修正を
渡す。
帯の養老孟司さんの推薦文が来ましたと大場さんがコピーをくださる。
ハンズで捜し物と、センター街を歩く。
時々、殺伐とした表情の若者がいるなあと思いながらも、私は
センター街の雰囲気はキライではない。
ファッションセンスなど、センター街はやはり見ていて面白い。
そこではっと気が付いた。
私が嫌っているテレビのバカエティ、あれはほとんどセンター街
そのものではないか。
なぜ、現実の生活空間としてのセンター街はそんなにキライではないのに、
それがテレビというメディアに載るとキライになるのか?
うーむ。
これは、一つ、ホヤを食べながら考えて見なければなるまい。
どうも、私は生身の人間に弱く、その人の作品をけなしている場合でも、
実際に会うと、ニコニコと話してしまう、この矛盾はどこから来るのか
という問題を、センター街とテレビの関係と絡めて、一度徹底的に
ホヤを食べながら考えてみようかと、風邪でボケ気味の頭を
抱えながら歩きながら考えながら。
2001.12.1.
午前中は、ソファに寝転がって本を読んでやり過ごした。
いつの間にか眠っていた。
夕刻、女の子だったというニュースを聞いてから、
St. Pepper's Lonely Hearts Club Bandのテープを持って
ドライヴに出た。
ポップカルチャーがキライなわけではない、そうだったよなと
思い起こした。
日本のチャラタレが嫌いななのは、Rock 'n' Rollのスピリットが
ないからだ。
脱力して、仲間どうしてなれ合って、手を叩いて喜んでいるからだ。
それをテレビで垂れ流す。見るに耐えない。
Beatlesの曲を聴いていると、その幾つかは、掛け値なしに
人類の財産である。
人生や世界のリアリズムに対する、非常に厳しい姿勢がある。
漱石に通じるところがある。
U2のような脱力系のグループとは違う。
「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き
烈しい精神で文学をやってみたい」
と言った漱石と、Beatlesは通じる部分がある。
日本には、全土を覆う粘着質の気質がある。日本のチャラタレは
そこから生まれ、Rock 'n' Roll精神は根付かない。
じゃあ、自分んはRock 'n Rollしているのか?
時々振り返ってみる必要がある。
権威などクソ食らえというのは、物理学の偉大な伝統であって、
それに引かれて私は物理から入った。
私はそれなりに権威と喧嘩をしてきたように思うけれども、
最近少し物わかりが良くなってしまったかなとも思う。
「命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神」で
心脳問題をやってみたいとは思うが、その意志を維持するのが
ムズカシイ。
私だけではなくて、多くの人が、この国の粘着質のなれ合いの
空気の中で孤立しているのだろうと思うから、連帯してみたい
ものだとは思う。
クズタレにクズ番組を作らせているやつらに、いつまでも
有限の電波資源を独占させていてはいけない。
高田文夫の対談集を読んでいたら、笑いに関わってきた三宅祐司や
谷啓、三木のり平あたりも、テレビというものは芸を見せるところでは
ないとあるところで見切ってしまったらしい。
そういうことになっていると、Fawlty Towersのような本当の意味の
クラッシックは出来ない。
なんで、この国の人は、バカウィルスが漂う粘着質の空気の前で
黙ってしまうのだろうかと、キビシイキビシイBeatlesのlyricsを
心の奥に響かせながら考える。
まだ身体が弱っていて、またソファに寝転がることになるかな。
2001.12.2.
二日間寝転がっていて、少し気力が復活して来た。
まだぶり返しがあるだろうけど、とにかく少し仕事をする気になってきた。
昨日今日のニュースで、前から気になっていたことがまた気になり
始めて、少し日記に書いておきたくなった。
学校で、イギリスの憲法は非成文憲法だということくらいは習っている。
しかし、これがいかに重大なことかということにはなかなか気が付かない。
イギリスに2年暮らしてている時、ある時から、
憲法を文章にしないといのは、実はとてつもない叡智なのではないか
と思い始めた。
別に法律を勉強したわけではなくて、何となく暮らしていてそう
思ったのである。
イギリスでは、女王が多数の議席を占めた政党のリーダー政府を構成する
ように(つまり首相になるように)招待する
(the Queen invites the majority leader to form the government)。
実は、この時「誰を首相になるように招待するか」は、きちんと
決まっていない。<事実上>、いつも多数派を占めた政党の
リーダーを招待しているだけで、誰を招待すべきか、明文規定はない。
だから、理論上は、知り合いのオジサンを首相になるように招待しても
いいことになる。もちろん、そんなことはあり得ないけど、
明文規定がなければ何をやっても自由だというならば、選挙を無視して
知り合いのオジサンを首相にしてもいいことになる。
日本では、大切なことこそ憲法に明文で決めておくべきだと考える。
イギリスは、どうも、逆で、大切なことほど、明文で決められない
と思っているように思う。
法律で明文化できるのは、どうでもいい手続きの問題だけで、国を
左右するような重大事は、そんなこと杓子定規に明文化できるか、
そのように思っているのだと思う。
その方が、いざと言うときに、明文化された法律などというクダラナイ
ものに拘束されないで、適切な判断ができる。
それだけ、自分たちの判断力(common sense)を信じている。
法律などに頼らずに、世界をどのように見て、どのように行動するか
というセンスを鋭利にすることに努力を払う、
クダラナイ法律など、後から着いてくる、そんな感覚があるように思う。
日本のエリート層(旧エリート層というべきか、つまり官僚たち)は、
条文から入る。それに対して、イギリスのエリート層は、自分の
直感とcommon senseから入る。
どうも、このあたりの感覚が、日本とイギリスのエリート層
の資質の差につながっているように思う。
どちらがうまく行くのかというと、それは日本とイギリスの過去の
(植民地経営を含めた)track recordを見れば一目瞭然だろう。
このような感覚の違いは、
ヴィトゲンシュタインの言語哲学のようなものが生み出されるかどうか
ということにもつながっているようにも思う。
明文化しておかないと、
とんでもないやつがとんでもないことを始めるという考え方も
あるのだろう。じゃあ、明文化さえしておけばいいのか?
ワイマール憲法は、なぜヒトラーの台頭を阻止できなかったのか?
断言しても良いが、日本の法律実務家は、このあたりのことを突き詰めて
考えてなどいないと思う。
そのようなことがあるので、私は天皇「制」の問題にはあまり
興味がない。「制」という言い方に、すでに、明文憲法を絶対視する、
子供っぽい思想が現れているからだ。
ヴィットゲンシュタインを突き詰めれば、明文憲法はあり得ないと判る
はずである。
2001.12.3.
光が丘公園でバーベキューがあるというのでIndian Summerの中
歩いていった。
実際にはおでんだった。
「茂木さん、もう一杯いかがですか。」
と言われても、そうおでんばかり入るものではない。
それに、カラシが溶けただし汁というのは妙に気味が悪い。
十数名の悪ガキが落ち葉を踏みしめて所在なげにしていたので、
近くの売店まで走っていって、カラーボールを数個買ってきて、
いきなり投げつけた。
説明も何も要らない。
すぐにキャッチボールが始まる。
それでも、後から来た子が
一応「入れてください」と言うのはプロトコールとして
私が子供の時と同じで、こういうimplicitな文化というのは案外根強く
伝わるのかなと思う。
オレは野球部だとわざわざ言って、
キャッチボールの勝負を挑んでくるガキがいる。
投げ合ってみると、小学校1年にしては肩がいい。
それでも、今はこっちの方が勝つから、相手はそれなりのリスペクト
を見せる。それが身振りで判る
ところが、そのガキも、相手が大人の女だと、手加減して投げる。
このあたりの呼吸も、私が子供の時と同じだなと思う。
認知発達の研究テーマがゴロゴロ転がっている。
足を捻ってしまった。
ボールを追いかけて、落ち葉で滑って、妙なステップを踏んだなと思った
ら、足がそのままスライドして、スローモーションのように体重が
ぐいと左の足首にかかった。
しまったと思った時にはもう遅く、オレはもうリタイアだと言って
座り込んだ。
初めて、風景を運動への志向性から解放されて見る。
木漏れ日が落ち葉の上にダルメシアン模様を作っている。
それが昨日。随分ゆっくり遊んだなとカレンダーを開いてみると、
午後1時過ぎから東工大で集中講義をやることになっている。
それはマズイなあ、何を喋るか考えていないと焦りながら、左
足首のパテックスをなでる。
つかの間にゆっくりとした2、3日間だったが、ふと我に返ると
難問は山積している。
風邪で始まり、ねんざで終わった週末、ゴロゴロしていると
内側からふつふつと力が沸いてくるものだということを再確認した。
何も、バリ島の地中海クラブまで行かなくてもヴァカンスはできるのだ。
2001.12.4.
靴を履いて出かけようとすると、左足が入らない。
ああそうか、と紐をゆるめた。
昨日の捻挫で足首がふくらんでいるのだ。
これこそまさに身体性だ。
抽象的な足が、具体的な足になる。
東工大のすずかけ台キャンパスで集中講義。
いつも専攻会議をやっている103なので、何だか妙な気がする。
休憩なしで3時間やった。やる方もやる方だが、聞く方も聞く方である。
質問がどれも鋭く、正鵠を得たもので、ちょっとマジで驚く。
知能システムというのは、実はかなり優秀な組織になっているのでは
ないか。
そんな話をしながら、714号室で学生と缶ビールを飲む。
彼らは5日からの京大の研究会でポスター発表するので
その準備会合。
しかし、冒頭の10分くらいで、そういうわけで出来てない
ものは出来ていないんだし、今まで出来たところを見せるしかない。
今度は現地にプリンタを持ち込むのだけはやめよう。そうじゃないと、
京都で思う存分飲めない。
それだけ確認して、後は雑談。
長島くんがチャリンコを駅前まで飛ばして、缶ビールと酎ハイと
ワインを買ってきた。
酒がなくなったので、帰ろうかと、
横のドアを開けて暗闇の中に出る。
黒にも何種類かあって、暗闇の黒と木の黒は違う。
濃い黒が薄い黒の中にモコモコとわき上がっていく。
その中を、ぶらぶらと駅に向かって歩く。
大学院時代のことを思い出すことはあまりないのだけども、
代々木の吉野屋で牛丼を食べていて思い出した。
深夜どうしてもビールが飲みたくなった。
もうどこにもビールは売っていなかった。
当時の助手の徳永万喜洋さん(現遺伝研)が「そうだ!」
と言って、二人で根津の交差点のところの吉野屋にふらふらと
歩いていった。
徳永さんが、「店員さん、ぼくたちは
真面目な学生なんだけど、店の外で飲んで迷惑はかけないから、
瓶ビール何本か売ってくれませんか?」と頼んだ。
断られたが、徳永さんはエライと思った。
これは博士の後期だったか。
午前零時を過ぎると、弥生門が閉まる。それで、横を乗り越える。
どこかで缶ビールを買って、ビニル袋に下げ、研究室で飲もうとイソイソと
帰ってきた。塀を乗り越えようとジャンプした瞬間、
鉄の格子にビニル袋がガツンとぶつかった。
ぷしゅーという音がして、暗闇の中に臭いが漂った。
しまったと、動揺しつつ歩き続けた。
だらだらと褐色の液体がビニル袋からあふれ、私のズボンが濡れた。
ちょうどその時、向こう側から見知らぬ女子学生が歩いて来た。
彼女も塀を乗り越えるのだろう。
ビールをダラダラさせながら、私と彼女はすれ違った。
臭いで判ったに違いない。
あー、あの人、なんでビール垂らしながら歩いてるんだろうと
思ったに違いない。
恥ずかしかった。
院生と喋っていると、時々、「彼らはあの頃の過去にいるんだ」と感じる
瞬間がある。
同じようで違うようで、時の流れと不易の両方を感じる。
私があの頃自分よりも上の人を見ていたように、彼らは私を
見ているのだろうか?
内面的には、それほど変化していないように思えるのだが。
まあ、時の流れには勝てない。
オレの方が先に死ぬんだろうなと思う。
2001.12.5.
ドアのそばに立っていた。
私の近くのOL風の女の子は、「ぴあ」を見ている。
銀座のお店、忘年会タイプ別紹介というような記事を読んでいる。
都庁前駅で、ポニーテイルの髪のちょんまげの部分を金色に染めた
男が乗り込んできた。
わっしわっしと大股で歩いていって、磁石に引きつけられるように、
一番端に空いていた席に座った。
やれやれと嬉しそうに肘を手すりの外に出して、ビジネス・ジャンプを
読み始めた。
「ぴあ」の女の子は、巻末の番組表に移っている。
ぴあの女の子の横の方に座っている女の子が、小さな冊子を読んでいる。
茶色いノートブックに、プリクラのシールをぎっしりレイアウトして、
そこにカラーペンでなにやら描き込んである。
写真は、四角いのや細長いのや、いろいろある。
みんな女の子同士で、男は一人も移っていない。
両手を下に向けてだーっと広げたり、
前でクロスさせたり、
その腕にアームバンド? が巻かれていたり、
いろいろヴァラエティに富んでいる。
レイアウト感覚が、雑誌のようである。
その『雑誌』を、食い入るように見つめている。
黒に白の水玉のストッキング。
迷彩柄のバッグ。
For Youというロゴの大きな茶色の紙袋。
どうも妙な格好だが、ビジネス・ジャンプやぴあを
読むより、彼女の方が「主体的」だなと思う。
世界に一冊しかない、プリクラの雑誌。
今年は、クリスマスの音楽やイルミネーションが、少し
柔らかく素直に感じられるなと思う。
まあ、世界的にもいろいろあったし、
個人的にもちょっとタイトな生活をしていたからだろうか。
Season of good willである。
ネガティヴではなく、ポジティヴで世界を制覇することが
大切だ。
家まで歩きながら時間についてギリギリと考えた。
永井均さんの<私>にどのような原理主義で対抗するか。
今日から10日までロード生活。
京都、山口に行く。
京大基礎物理学研究所研究会 『認知科学の方法論』
http://www.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/kiken2001.html
山口大学時間学研究所講演会
http://www.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~irifuji/20011209rits_kouenkai.htm
2001.12.6.
そうか、上が開いているから寒いのか。
階段状の講堂の、一番上のドアが開いている。
そこを閉めに行こうと階段を登る時、
次第に温度が上がって行くのが判った。
ドアのすぐそばに座っている谷口さんに、
ここは暖かいですねと言った。
京大の基礎物理学研究所の階段講堂の中には、
五十人くらいの人々が並び、
私は池上さんと前の方に座って、ぶつぶつ言っていた。
オーガナイザーをやると、自分が好きなように
不規則発言ができない。
どうも、今回は、オフィシャルな感じがする。
特に、タイム・キーピングをやらなくちゃと思うと、
脳の中に、特別な志向性が立ち上がってじゃまをする。
しかも、喋るヒトが、皆、時間の観念がない。
最初に谷さんが喋って、その後多賀さん。休憩を挟んで
郡司、津田、田森と喋る。
6時30分に終わって、京都ロイヤルホテルにみんなで移動して
チェックインした。
7時にロビーに聞くと、養老孟司さんはもうチェックインして
いると言う。
降りてきませんかと電話して、
十数名でぞろぞろと先斗町に向かって歩いていった。
酔心という店の3階で、わーっと皆で飲んでいると、
北林の携帯から電話が何回かある。
気が付かなくて、何回かの後にこちらから電話すると、
郡司が出て、
「何やっているんだ、こっのお、ばか!」
と言う。
北林が代わって、
「オレだと思ってワン切りするんじゃねえよ、こっのお、ばか!」
と言う。
「うるせえ、気が付かなかったんだ、こっのおタコ!」
と反論した時には、かなり酔っていた。
その30分後くらいに、郡司が、ナントカ仮面のように
ナゾの黒いヘアバンドを頭に巻いて現れた。
ニヤニヤ笑っていて怪しい。
案の定、いきなり池上にのしかかっている。
羽尻とキスをしている。
高瀬川の横のFlamingo Cafeに移った後も、グンジはナントカ仮面で
椅子に座らず立ったままぐらぐら揺れている。
酔っぱらった時に見せるズボンにまつわる一連の動作も見られて、
「郡司さんてこういうヒトだったんですか」という声も聞こえる。
私も、塩谷のお腹をパンパンたたき、田森の携帯を奪おうとしたり、
真面目な話をしたり、ふらふらしたり。
12時過ぎに養老さんがホテルに帰り、塩谷が送りにいった。
水がちょろちょろで時間が経ち、午前2時前に部屋にいると、
携帯が鳴る。
「お前来い、こっのおタコ!」
と郡司が言う。塩谷、三好と学生大勢で飲んでいると言う。
「行けたら行くわ。」
と言って、一休みしようとベッドに寝転がり、気が付いたら朝だった。
今日は養老さんの「脳と言語」の話もある。
議論の時間をたっぷり持って、少し複雑系の研究会らしくしたい。
2001.12.7.
携帯電話の発達で、ヒトが良く判らない移動の仕方をするようになった。
懇親会が終わって、基礎物理学研究所から、百万遍まで歩いていった。
そこの店に入って、20人くらいで飲んでいた。
池上から電話があり、私は突然立ち上がって、そっと一人でその吉之川
という店に行った。
静かに出たつもりなのに、途中で振り返ったら、
なぜか、黒い服に身を包んだアメンボウのような男がついて来ている。
郡司ナントカ仮面幸夫だった。
判らなくて、うろうろしていると、池上から電話があって、
ナントカというところを曲がれという。
「変な寺を通り過ぎたところに、ナントカというのがあるから、
そこを右に曲がれ」
というが、そのナントカが判らない。
判らないゾと言ってると、池上がふらふら歩いて来た。
突然、郡司が立ち上がって、オレ帰るわ。と言った。
そして、ナントカ仮面は帰っていった。
池上が、ダレソレを呼べというので、ダレソレに電話した。
すると、その後から、ゾロゾロと10人くらい付いて来た。
入るかな、と言っているうちに、何人かは消えた。
何となく出たくなったので、いったん店の外に出て、
小俣君に、リュックとジャケットを持ってきてくれと頼んだ。
そろりそろりと出たハズなのに、やはり北林が着いてきた。
「郡司はどこに行ったんだろう?」
と北林に言うと、
「ああ、きっと八文字ですよ。」
という。
何でそんなことが判るのかと思ったが、とにかく
四条河原町に向かった。
そういえば、田森はどこに行ったんだろうと思って、
鴨川のほとりを走るタクシーの中から電話する。
「今変な店にいて、そこに郡司がいる。」
と言う。
いつの間に一緒になったんだと思いつつ、北林にPHSを渡す。
「その店、郡司研究室みたいにコギタナイ感じの部屋ですか?」
「うしろに、古い雑誌の山がありますか?_
などと北林が言うと、どうやら田森はYESと言っているらしい。
しかし、その八文字がどこなのか、判らない。
どこなんだと高瀬川沿いを歩いていると、向こうから郡司と塩谷が
歩いてくる。
「何でこんなところにいるんだ?」
と言うと、
「迎えにきたんだよ。」
と言う。
八文字に入ると、確かに汚い雑誌が一杯積んであって、郡司研の
ようである。
ココダッタカと思いつつ、私はなぜかまた一人で出たくなって、
店を出て、ふらふらと高瀬川を北上していった。
明るく照らし出されたショウケースの中に、ナゾのウサギがいる。
まるでカツラをつけたセバスチャンバッハのようなパーソナリティの
気配が立ち上がっている。
こんなウサギがいるのかと、しばし見入る。
ウサギの目が、梅干しのように見えてくる。
コンビニに寄って、部屋にいると、池上から電話がある。
津田さんの部屋にいるから、来いという。
うーん眠いからと答えて、ベッドに横になったら、
1分後には意識がなかった。
いつでも連絡がとれるから、ヒトがより大胆に動き回る。
携帯を持っていない郡司も動き回る。
京都の街に見えない研究会のネットワークが出来て、それが
伸び縮みしている。
養老さんの講演とその後のdiscussionもうまく行ったし、
池上と自分の話の後も議論がたっぷり出来たし、
まあうまく行った方だろうと思う。
今日は最終日で、哲学者たちが喋る。
2001.12.8.
研究会の最後は、いつも寂しいものである。
永井さんのところの院生の青山さんと、塩谷賢が喋った「哲学セッション」
で今回の基礎物理学研究所の研究会は終わりになった。
いつも会っているメンツだが、京大でやる会は格別である。
この人たちは、皆、この上なく難しい問題に絡め取られて、
アチチアチチと言いながら走り回っている。
Fast Laneで、思考の車がびゅんびゅん飛んでいく。
その火花を、京都がやさしく包んでくれる。
個人的には、幾つか極めて大切なものを掴んだ研究会だった。
特に、世界観のグラウンディングのさせ方について、クリアな結晶が
出てきている。
その結晶を眺めては飽きもせず・・・という時間を持つヒマもなく、
田森、張さんと歩き出す。
振り返ると、郡司や塩谷が昼食の算段をしている。
池上が、走り回っている。
小俣くんや須藤さんが、湯川秀樹の銅像の前で記念撮影をしている。
その風景を残光のように、
近鉄奈良線に乗って、ATRに向かう。
fMRIの施設を見学。正木信夫さんにいろいろ伺う。
とんぼ返りで京都に帰って、山陽新幹線に乗ると、やっとのことで
結晶を眺める時間がはじまった。
山口への途中で泊まるところと言えば、尾道しか考えられない。
福山で乗り換えて、次第に海が見えてくる。近づくに連れて、心臓の
鼓動がドキドキとしてくる町は、それほどあるものではない。
10年近く前、私は、小津の『東京物語』を見て熱病のようになって、
最後に老母が帰る尾道のイメージに引きつけられて、ふらふらと一人で
この町に来た。
桜が咲いて、千光寺公園から尾道水道を行き交う船がゆったりと見えた。
あれ以来、数回来ているが、今回は3年くらい開いてしまった。
後藤屋で、ミルクのようにじゅわっと溶ける牡蛎の天ぷらを食べ、
ミョウガをまぶしたシャコ飯を食べる。
オジサンのてのひらに100円を置いて、渡船で向島へ。2、3分で
着く。
向島の暗闇を歩く。心の中の結晶がキラキラと光る。その志向性を、
町並みに投影する。
オリオンが光っている。
突然、流通性なんてクソくらえと思う。
流通することなく、ひっそりと息づいて、そして一人でキラキラと
光っているものが世界にはあそこにここに。
カマトトぶった世界観の着物を脱いで、
真実に寄り添って生きたいと思う。
真実というのは、結晶のように持っているべきものではなく、
自分の身体性の中に絡め取られて一緒に動くものでなければ
ならないと思うが、結晶しか流通させることはできない。
言語はその最たるもの。
言葉で表せないものがあるなんて、そんな当たり前のことを今更
言うな、タコとそんな気分になって、水の中の小さな魚の群を
見つめていた。
2001.12.8.(2)
尾道で目覚めて見ると、何となく先に行きたくなって、
いつものように千光寺公園に登ることもせず、
来た快速に飛び乗った。
改札が来た。
「どこで降りるか決めていないのです。
ですが、とりあえず広島まで下さい」
と言った。
結局、小郡で改札を出た。
目的地の山口市はここから30分だが、その前に
昼食を取って散策したい。
ぶらぶら歩いていると、「白圭亭」というラーメン屋。
餃子セットを頼んで、半分食べたところで、ライスを頼む。
「それじゃあ、xxxxにしてあげる。」
カウンターの中の女人が言う。
xxxxのところが、「サラリーマン」と聞こえたので、見上げて
探す。学生セットはあるが、サラリーマンセットはない。
「あの、サラリーマンセットってあるんですか?」
「ああ、金太郎セット。ほら。」
と指の先を見ると、「金太郎セット 800円 ラーメン餃子ライス」
とある。
なるほどと笑っていると、女人は店の奥に消える。
もう一人の女人が、お客の女人と話している。
「○○ちゃん、今年は帰ってくるの?」
「いいや。ぜんぜん。きっと、このままだと、一生帰ってこないわ。」
「そんなこと言わんと。」
「○○さんのところも、△△ちゃんぜんぜん帰って来ないって。もう
子供も生まれているんだけどね。」
「そう、お孫さんがいるんや。」
「帰って来ないから、神戸で会うんやって言うてた。」
「こっちから行って、向こうから来て真ん中で会うんやね。」
「そう。だから、○○さん、あの子のことは大学の頃までしか知らない
というんですよ。」
私が顔を上げると、カウンターの中の人はちょうど振り向いて、
鍋の中のスープを柄杓でかき回しているところだった。
「あの子のことは大学の頃までしか知らない
というんですよ。」という時の表情の
流れが、フェルメールの絵のように見えた。
「この店名は、何て読むのですか?」
「はくけいていです。」
「何か意味があるのですか。」
「この本から取ったんだけど。」
と時代小説を見せる。
「自主亭(じしゅてい)かと思った。」
「あと一本多かったらそうなりますなあ。」
メモリースティックウォークマンで録音したかったと思いながら、
店を出る。
白圭亭から歩いたところの風情のある木造家屋に、「純喫茶」とある。
白い前掛けをした見えよい若い男が、タリバンについて話している。
新聞が、スポニチ、毎日新聞、読売新聞、日経流通新聞、山口新聞
と置いてある。
若い男と入れ違いに、初老の男が3人入ってくる。
機関銃のように、携帯について話している。
「わしは、こうやってあいうえお順にはいっとるんじゃ。250
くらいはいっとるんじゃけ。これが専務、これが家、これが島田さん。
しかしな、なんでかけられんのじゃ。一度もかけられんじゃ。」
「ただ、250インプットしてもらっただけなのか。」
「インプットなど、わしはできんじゃ。あいうえお探せるかとか、
そういうの教えてくれと言うとるんじゃ。」
「お前は、店員を怒っておるのか、それとも電話を怒っておるのか。」
「とにかく、わしゃ、こういうのは使いにくいと言うておるのじゃ。」
携帯を論じつつ、よって革命に至りそうな勢いである。
どうせだったら、もう一度、山口から革命を起こしてほしい、
東京の軟弱なチャラタレ文化を蹴散らしてほしいと思いつつ、
駅に向かった。
2001.12.9
山口市のパークロードは随分綺麗な道路だなと思ったら、
日本の道百選だそうである。
チェックインして、一之川のほとりを歩いた。
護岸してあるのに、ホタルがいる。
その秘密は、底に草が生える縁をつくったことにある。
その近くの道では、電柱の埋設工事をしている。
ぐるっと駅までいって、再びパークロードに戻ると、
店先のジャケットが目に入る。
すっと入ると、いい感じのお兄さんがXLしかないんすよと言う。
どうかなあと着てみて、いけるかというので買う。
いろいろ話すと、高杉晋作とかが好きだという。
じゃあ、もう一度長州から革命を起こすかと言うと、
そうすね、明治の志士は、日本が面白くないって言うんで、それで
戦ったんですからねと言う。
ぼくも山口出身で、博多とかで働いていたんですけど、
山口が好きで戻ってきたんですよ。
でも、周りの人と話すと、ここは田舎だからって、案外みんな
おとなしくて、がっかりしているんですよ。
このジャケットは、こうやって、スタンドカラーにして、
ボタン全部して着るとかっこいいですよ。
遠くから見た方がいいから、今、この机どけますから、あそこの
鏡で見てみてください・・・
服を買っくれた人にはお礼の葉書を送るんで、住所を書いてくれと言う。
和紙のきれいな冊子に幾つか並んでいる下に書く。
コイズミが自衛隊を送って、いつか来た道とかいう人がいるし、
大戦前夜に似ているとか言う人もいるが、私は
どうも最近は実は明治なんじゃないかという気がしてきている。
今度の明治も、案外このような地方都市の人が本気になり始めた
時に始まるんじゃないかなあと考える。
永井均さん、入不二基義さん、藤井淑禎
らとロビーで7時30分に待ち合わせる。
二軒いったあと、入不二さんが、カラオケいきましょうという。
店に着いてから、茂木さんがいたからですと言われるが、私は
カラオケのカの字も言った記憶はない。
永井さんが次々と歌う。
君たちキウイパパイヤマンゴだね〜白いギターに変えたのは〜
今夜も汽笛が汽笛が汽笛があ〜
真性のKARAOKERである。
このヒトは、まるで何かのキャラクターのようだなあと思う。
白のレザーコートが似合う。あのような、テクスチャーで
顔を包まれているといいと思う。
本当に、原稿は寝転がって書くのですかと聞くと、
そう、こうやって仰向けに寝転がって、膝のところにパソコンを
載せて書く。長く書くときはそうした方がラクだよ。大学でも
そうやって書くという。
<私>は寝転がって生まれるのである。
続きは、今日の午後1時30分から山口県立図書館で。
廣中平祐「挨拶」
藤井淑禎「小説と時間」
茂木健一郎「脳の時間、心の時間」
永井均「私が存在することと時間の関係について」。
思想の明治。
2001.12.10.
座敷の一番奥の方に、3つ席が並んでいて、
イヤだなあと思ったけども、
永井均さん、藤井淑禎さんと一緒にそこに座った。
廣中平祐さんが、ライオンタマリンのような髪の毛を撫でつけながら
入ってくる。
廣中さんと議論するのは初めてである。
「感覚的クオリアと、志向的クオリアというやつねえ、あれ、
感覚的クオリアの方は、数値化できるんじゃないの。」
「・・・確かに、数値にマッピングすることはできます。実際、
色は、(x、y)という二つのパラメータにマップできますから。
しかし、視覚的な感覚的クオリアだけをとっても、色だけではなく、
透明感とか、光沢とかある。それを含めて数値化する時には、
パラメータ空間が未だ明らかではない。」
「うーん。志向的クオリアの方は、あれは数値化が難しいと
思うんだけども、感覚的クオリアの方は、みな数値化していますよね。
ヴィジョンという本を書いた、あれ、ほら何て言ったっけ」
「David Marrですか。」
「ああ、それ。Marrが方向を示して、その後コンピュータでヴィジョン
をやっている人たちは、皆感覚的クオリアの方は数値化していますよね。」
「廣中先生の言われているのは、機能主義的、ないしは計算主義的
に見た場合、一応数値にマッピングできるということであって、それでは、
個々のクオリアのユニークさ自体は表現し得ないというのが問題なんです。」
「大体、計算機とかやるヒトは、数値化できないと最初から言うのは
キライだから。まあ、論理化するというのも、一種の数値化ですよね。」
「恐らく、exactnessの概念を、いわゆる数や論理から、拡張する
必要があると考えています。」
「何か変な問題を解く時に、変な論理を作ったりする。ああいうのを
使ってやるのはダメなんですか。」
「いや、それは、できるかもしれないけど、その時には、できるという
ことの意味自体を、定式化しなおさなければならないでしょう・・・」
廣中平祐さんは、結局納得しなかったように見える。
永井均さんが、「感覚的クオリアは数値化できないと、言い切らなくて
いいの?」
とつぶやく。
私は、「いやあ」という。
数値化、形式化への信仰に対抗するのはやさしくない。
2次会の湯田温泉に向かう車。助手席に乗る。
「廣中さん、忙しいかもしれないけど、どこか研究会に拉致して、
2、3日議論したら、数学的フォーマリズムのシニフィアンとシニフィエ
の関係について、判っていただけますかね?」
さあ、どうどうかなあ、あまり期待できないかもよ、
はははと入不二さん。
Pizza House NINJINでしばらく話していると、突然藤井淑禎さんが、
「さっきから聞いていると、これだけのことを、曖昧な言葉でよく
議論するなあと、関心するやら、あきれるやら」
と言うので、私はちょっと頭に来て、
「じゃあ、藤井さんのやっている文学の歴史学における言葉の
使用は、曖昧ではないというのですか。そもそも、厳密な言葉の
使用とはどのようなものでしょう。8時16分に山口市駅前で
集合と言えば、それは厳密なのですか。」
などと別に哲学者を擁護しなくてもいいのだが。
「良質の哲学者は、言葉の指し示しの曖昧さは判っていて、
その直接触ることのできない概念をテーブルの上に置いて、
それを眺めて言葉を貼り付けるというような、そのようなことを
するのではないかと思いますが。」
三次会は、京都からの疲れが出て、こっくりこっくり。
テーブルに3つのグラスがあり、そこに一人で座って飲んでいる
ナゾの若い女性が。
あれは一体何だったのでしょうかと出てから言うと、
永井さんも、あれはずっと気になっていたといって湯田の暗闇に。
2001.12.11.
10時にチェックアウトして、玄関に向かうと、食堂の
ガラスの向こうに永井均さんが座っていて、手を振った。
朝食は終わっているというので、コーヒーを頼んだ。
ゴシップから観念論までいろいろなことをたっぷりと。
11時に入不二さんが来る。
永井さんは正宗さんと一緒に空港へ。
「永井さんとは10年ぶりに会ったんですよ。
今回、永井さんという人物に会って、書くものと通じる
ものがあると思った。それはすなわち、ある種の
格好良さというか、スタイルの美学とでもいうものです。」
と入不二さんが言う。
「私も、永井さんはがちゃがちゃから出てくるフィギュアに
したらいいなと思いました。」
と答える。
五重塔を巡り、抹茶を飲み、雪舟の庭を見る。
入不二さんとは、もう友達である。
下関で特急を待っていると、なかなか来ない。
どうしたんだろうと思っていると、一緒のホームで
待っていた人がこちらに歩いてきて、すれ違いざま
事故らしいですよ、車と接触したらしいと言う。
参ったなあと、隣の小倉のオジサンに。
私の両親がそれに乗っているのだ。
ラジオを買ってみると、ニュースをやっていないので、大きな
事故ではないらしい。
30分後、改札から出てきた。
「いやあ、びっくりしたよ。いきなりがりがりと底から音がして。
運転手は逃げてしまったらしい。3人乗っていたというのだけど。」
と父。
父と母は、私の山口での講演に併せて、小倉の母の兄弟姉妹を訪ねて
いたのだ。
トラフグというのは、食べたことがなかったのかなと思った。
まるで、獣の肉のようで、浅草の三浦屋で食べた安物の「フグ」とは
全く違う。
フグさしというものは、一枚一枚上品に食べるのではなくて、
数枚をがばっとすくって、もぐもぐとほおばるとウマイということを
知る。
ふかヒレと同じである。
関門海峡の見える海沿いの店。
久しぶりにオジサンと話す。
関門トンネルを抜けて九州側へ。
下関も門司も海沿いの光の列が美しい。
こだまで博多へ。
朝一番のJALで東京に帰る。
2001.12.12.
SUICAを初めて使ってみた日。
旅の荷物を抱えたまま、
三宅研の野村くんの博士論文下聴き会に出るためすずかけ台に行く。
かなりよれよれになっていて、二子玉川を出る頃には熟睡していた。
空間を移動し続けると、疲れるのは、どうも、身体ではなく、
脳の一部のような気がする。
疲労というのが脳に起こることがあるということは、フルマラソンの
トレーニングをしていて初めて知った。
循環器や筋肉はまだ大丈夫なのに、何となく、前へ前へと進む気力が
なくなり歩き出す。
考えて見れば、脳も身体の一部なのだから、疲れることがあるのは
当たり前だが、
疲労というと、身体のことばかり考えてしまう。
移動し続けると、頭の中の、「次に何が来るのか」と身構える
志向性のシステムが摩耗して行くように感じる。
だから、身体的には疲れていなくても、何となくよれよれになる。
京都ー>福山ー>尾道ー>広島ー>小郡ー>山口ー>下関ー>
門司ー>小倉ー>博多ー>東京と本当によく移動した。
羽田空港でカレーライスを食べていると、
一つ置いた隣に親子連れが来た。
お父さんが、小さな女の子に「ここがママたちの席ね」
と話しかけている。
そう言いながら、カバンを、隣の席の椅子に置いている。
後から来るのだなと思って、そのまま注意がとぎれた。
気が付くと、さらに小さな女の子と、女の人が
隣に座っている。
小さな女の子が、さらに小さな女の子に話しかけている。
「ねえ、サンタさんて本当にいると思う?」
そういえば、先ほどからクリスマスソングが流れている。
答えを待たずに、小さな女の子は、サンタについて自分の
考えを言い続けている。
「○○ねえ、こう思うの。」
どうやら、自問自答するクセのある女の子らしい。
そうだ。
「サンタは本当にいるのか?」
この問い以外に、この世界で重要な問いはないのだな。
私は、ここのところの実在論と認識論に関する一連の思考の
果てに、小さな女の子の問いがぴたりと収まるような気がして、
はっとした。
立ち上がりたくなった。
モノレールに歩きながら、
「サンタは本当にいるのか? この問い以外に、重要な問いは
ないのだ。」
と何回も繰り返した。
この問いを忘れたくなかった。
野沢くんの博士論文を聴きながら、「サンタは本当にいるのか?」
という問いを、もう一度思い出した。
2001.12.13.
これは廣中さんに受けたインスピレーションなのかなあ
と思いながら、木立の中の暗闇を抜けてくる。
要するに、どうも、何かを創りたくて仕方がないのである。
そして、その何かを創るということが、この上なく人間くさい
営みのように思えてくるのである。
できあがった作品は、「止まって」いるから、結晶として
見ることもできるし、様式として見ることもできる。
しかし、実際の創作の現場は、緩み弾み惑い淀む人間の
身体が作用して、それは結晶化や様式化から最も遠いものである。
どうも、そのあたりのパラドックスが気になって、
どちらかと言えば人間くさい方に自分の精神が回帰するというのか、
志向するというのか、そういう流れになっているのを感じる。
廣中さんに、そのような人間くささを感じたことも
きっかけの一つなのだろうが、何となく内的な必然性が
あったようにも感じられる。
青年の時から、結晶化原理と生命原理がせめぎ合っている。
まあ、そういうこともあって、世界の見え方が変わったというか、
少し前ほど、バカなものや醜いモノが気にならなくなった。
チャラタレのバラエティも、西村京太郎のミステリーも(新幹線の
背に置き忘れていたやつを2、3ページ読んで、そのあまりのスカスカ
さに卒倒しそうになった)、まあいいやという気分になった。
こういうどうしょうもない
作品も、漱石のような偉大な作品も、創作の場面の人間臭さという
点においては変わらない気がするのかもしれない。
まあ、どうでもいい。自分がいいものを作れるかどうかが全てだ。
というわけで創ってみたいものはいろいろあるので、一つ
クリエーターに徹して生きてみようと思う。
この気分がどれくらい続くか判らないけど、10年くらいは続いて
欲しいものだと思う。
東工大のすずかけ台で忘年会。会議に出ないで飲み会から来たのは
私だけらしく、エラク赤面する。
三宅さんといろいろ話す。
宮下さんと猿の話をし、
出口さんがいかにして経済学博士と物理学博士を両方とったか
という話を聞く。
(私も、もう一つ博士号とってみようかしらん)
帰りの電車で松岡正剛と十川治江の対談を読む。
『遊』のような雑誌はどこに行ったのだろうか?
DTPが全盛の今、レイアウトはかえって単純化しているというのも
確かに不思議だ。
今度、思い切りレイアウトして入稿してみようかしらん。
かしらんかしらんと夜道を歩く。
2001.12.14.
池上タカシが呼んだJoseph A Goguenのセミナーを
聴くために、駒場に行った。
Josephはもともとは数学者、computer scientistなのだが、
Journal of Consciousness StudiesのEditor-in-chiefでもある。
最近の「意識業界」の動向についてのレビュー的な
話を聞いて、駒場の裏口から出て、カレーを食べた。
Josephの奥さんがリョーコで、その学生のヒトが
今サンディエゴで現代音楽の作曲をしている。院生になると
セミプロになって、いろんなところから作曲のコミッションが来るのだ
という。
もう8年くらいいるそうだ。
自己肯定的なところがいかにもアメリカ的で、こういうアメリカ
化は心地よい。
キャンパスへの帰途、
「このあたりには、昔「裏めし屋」というのが
あったんだけど。」
と言うと、猪狩くんが、
「あそこは代替わりが激しくて、うどん屋になったり、
3代くらい変わったんです。」
という。
「そのうどん屋、来る女の子来る女の子がみんなかわいいんです。」
「どうして?」
「おばさんが、東大生を引きつけるためには、かわいい女の子を
アルバイトで雇えばいいという方程式を見つけたんじゃないですか。」
今は跡形もない。
キレイにならされて、道路のアスファルトの下になっている。
区画整理というやつである。
うどん屋のことは知らないが、
塩谷賢と行った、あの「裏めし屋」の、テレビの上に猫がにゃーん
と寝ている風情はもはや時空のかなたに。
タカシの研究室に戻り、柳川くんを交えて4人でだーっと喋った。
Josephというヒトは、何か言うとしばらく考えて柳の枝のように
それをシナッと返すヒトで、Josephを中継点に、私とタカシが
喋るという感じに。
うまいコーヒーを飲んで、Feynman diagramの色紙を見て、
Josephと喋って、外は雨が降っていて、東京ガスのナゾのらせんの
建物が見えて、素敵な午後が過ぎていって。
タカシを誘って、徳間書店のNature『知の創造』の打ち上げに行く。
しばらく前、竹内薫が『科学の終焉』を訳した時、タカシと竹内と渋谷の
『沖縄』で会ったことがある。あの時、タカシは、「友達のことが
悪く書いてある」と怒って、それ以来、いつかタカシと竹内を
「手打ち」させようと思っていたのである。
「手打ち」が終わる頃、Nature Japanの人たちが来て、また英語
モードに。
Douglas Sippといろんなことを話す。Douglasは英文学が先攻で、
NECで働いて、3人子供があり、いつかは小説家になるのが夢である。
Thomas Pinchonが好きである。VinelandよりもGravity's Rainbowを読め
という。
薫が、「こいつら、お互いに話す時も英語で喋ってやがる」
とタカシと私のことをあきれる。
松尾義之さんが、タカシのことを、「うん、気に入った。おれは、
若くて、頭がよくて、ナマイキなやつが好きなんだ。」
と手を叩く。
きっと、そのうち何か本を書かされるに違いない。
名刺をキラしていて、ポケットカレンダーを引きちぎって、
その表に私が書き、裏にタカシが書いてNature Japanの人たちに配る。
「アア、コレハ、イイデスネ。」
とDouglasが言う。
あー食べた食べたじゃなくて、あー英語を喋った喋ったと
満足して、夜の赤坂の道を帰る。
警笛を鳴らして通りすぎるやつがいたんで、
「アップ・ユアーズ!」
とガラス越しにどうせ聞こえないんだけど言ったら、
Nature Japanで一番エライAntoineが、
「アップ・ユアーズですか?」
と聴いたので、私は
「アップ・ユアーズです!」
ときっぱりと答えた。
今日は面白かったなあとタカシと大笑いしながら赤坂見附駅に。
2001.12.15.
小学校5年の初夏の朝5時くらいに、私は突然起こされた。
「おい、健一郎、北海道いくぞ。」
今日から一週間学校は休む手はずになっていると聞かされ、
私は上野から特急に乗った。
青森の市場で、エイが干されているのを見た。
青函連絡船は、巨大に見えた。
父が、北海道に蝶の採集に行きたいと言っていた私の願いを
かなえてくれたのだ。
網走とか静内とか上川とか、愛山渓とか、今でもどこに行ったか
ありありと覚えている。
そのくらい印象深い旅だったが、
今振り返った時に、最も強く想起されることの一つは、
あの朝、全く予想していなくて、起こされて、北海道行きを告げられた
時、私の心の中に立ち上がった志向性である。
日常の中に、突然未知の時間や空間への志向性が立ち上がる。
あれは、実は希有なことなのだということは、小学校5年の私には
まだ判らなかった。
成田空港に、米国に留学する友人を見送りに行った時に、
友人が不安げにゲートをくぐっていった時の姿。
手術をする前の人。
特攻隊の朝。
死刑囚の朝。
何かを待ちかまえる、志向性の朝。
それぞれ独特の風合いがある。
希有なのは、その独特の風合いだ。
そういえば、マラソンのスタートを待つ志向性も独特のものである。
あれがあるから、苦しくてもまたやってみようと思うのかもしれない。
足を捻って休んでいたのだが、そろりそろりと5キロ走って見た。
今度は2月3日の守谷ハーフマラソンだ。
その日に向かってヨレヨレながらもトレーニングをすることも、
一つの独特の志向性である。
2001.12.16.
近くのどんぐり公園で餅つきがあって、それを見に行く。
小さな杵を持って3人で臼を囲んで、合いの手なしで撞いている。
私の両親も、毎年餅を撞いていた。
小学校2年の時だったか、近所のみいちゃんが餅を食べていて、
歯がとれてしまったことがある。
確か、大根おろしのからみ餅を食べている時だった。
家のやり方は、大きな杵で一人が撞く、合いの手が入るものだった。
父親がもともと群馬の高崎だから、そっちの方のやり方なのかもしれない。
合いの手なしで多くの杵が落ちる付き方は、下赤塚に引っ越して
初めて見た。
板橋から練馬にかけて分布しているやり方なのかもしれない。
このような、暗黙知に相当することが、実は一番大切で、
伝搬しにくい。
言語は、膨大な暗黙知を前提に、暗黙知のネットワークに
おいて新奇なものをコミィニケートする。だから、言語だけ見ていても、
こういう細かいことは伝わらない。
しばらく前に東京の東西問題を書いて、西にだけ文化があるというのは
うそっぱちだと書いたが、
バランスを取るために書くと、西の方がある種の文化は色濃い
ということは私ももちろん知っている。
高校から世田谷の国立付属に行ったが、とにかく最初はびっくりした。
埼玉で私は孤立していて、道化になることでごまかしていたけども、
高校では道化になる必要はなかった。
むしろ、私が必死にキャッチアップしなければならなかった。
勉強というよりも、勉強以外の文化的な素養に置いてである。
マクロに見れば、明治以来の日本のインテリゲンチャの根本素養
とでも言うべきか、そういうのは確かに西の方に色濃くあるのだろう。
辛夷祭というのがあって、「魔弾の射手」を
上演して、私は照明をした。
最初の舞台稽古の時、緑色のスポットライトを当てて、浜口さんに
「まさかそんな色を使う気ではないでしょうね。」
と言われた。
私は、オペラというものを見たことがなかったのである。
和仁陽に、ベルリンドイツオペラのパンフレットを借りて、初めて、
オペラの舞台というものがどのようなものか、おぼろげに判り始めた。
卒業して、みんなでドレスデンの来日公演で「魔弾の射手」を見て、
私は緑のスポットライトを当てた時のことを思い出して赤面した。
それから年月が経ったが、確かに、私が後に
ウィーンでハリークプファーの「エレクトラ」を見たときの脊髄を
稲妻が貫くような体験を小学校や中学校の時から持っているのと、
オペラというのは田谷力三のようなものだと思っているのでは、
かなりの違いが出てしまって、そのような文化資源が
東京の東と西で異なる分布を
見せているということはあるかもしれない。
しかし、未知なる若者も、それに出会えば、はっと悟る。
悟りの瞬間がいつ来ればいいのか、それは東か西かで変わるだろう。
しかし、『パルジファル』の物語が象徴するように、
後から悟った方がいい場合もある。
中学校までと高校からで、私の人生は不整合を起こし、旧制
高校的な文化高踏時代に入った。
あまりにもそれがピュアだったのだので、
大学に入った
時に、何て粗野で低レベルのやつらが来ているところだと思った。
それももはや人生の一つの地層である。
母親の田舎の九州、福島のオジサン、板橋のオバサン、駒場、本郷、
和光市、ケンブリッジ、日米学生会議、法学部、理化学研究所、
クオリア・・・
地層が何重にも積み重なり、もはやどれがどの影響なのか
判らなくなってしまったが、それらの地層の中に、大きな杵で餅を撞き、
近所の子供たちがわーっと集まってからみ餅を食べ、歯がとれてしまう。
そんな光景が入っていて、よかったと思っている。
「西」にいたら、おそらくああいう地層はなかったはずだ。
2001.12.17.
六本木の街のスカイラインは、何だかよくわからないビルがにょき
にょき立ち始めて、ずいぶん変わりつつある。
そんな街の俳優座の下の「HUB」でqualia ml + 湯川薫FCの
合同忘年会。
この店は、安いし、使い勝手がいいし、俳優座のロビーが見えて
アンビエンスも良く、去年に続いてここで開催。
アポなしで突然現れるやつもいて、
全部で二十数名来たのだろうか?
適当に歩き回りながら、適当に話し合うのは楽しい。
NHKブックス「心を生み出す脳のシステム」の見本が出来て、
それをキクチくんと田谷くんにあげる。
発売は12月22日に。
非常に不思議なことに、羽尻の名前が謝辞から抜け落ちていて、
それを羽尻がチクチク言う。
「2刷りで、オレの名前を入れてくれたら、教科書として使っても
いいよ。」
などと抜かす。
HUBの中をパイント・オブ・ギネスを持って歩いているうちに、
この集まりには「qualia ml + 湯川薫FC」ではなくて
別の名前を付けた方がいいのではないか、αとかβとかγとかなどと、
良くわからないことを考え始めた。
そもそも、ある集団に名付けするという行為にはどのような意味が
あるのだろうか?
それぞれ、皆不可視の広大な人生の暗礁を持っている。
qualia mlないしは薫FCというフックに引っかかってここ六本木の
HUBに集まってくるわけだけども、実はそれでは収まらない剰余の
方が大きい。
剰余の拡散と収束のダイナミズム。
10年くらいこういうのを続けたら、同窓会みたいになって、
きっと面白いだろうなあと思う。
新年への曙光を感じながら二次会へ。
十四名のKARAOKERである。
羽尻がとなりに座り、お互いに
筆ペンでイレズミを入れたりしたらしいが、
あまり思い出さないことにする。
髭のようなものを顔に描いた人もいたような気がする。
狂乱?の翌朝、ガラス窓からの白い光の中でバッハのゴールドベルクを
聴きながら仕事をしていると、
人生とはコントラストのことだなと思う。
寺田寅彦はアイスクリームの冷たさとコーヒーの熱さのコントラストを
愛した。
今日から3日間は楽しく考え、議論する。
熱海で5人だけの集中研究会。相澤洋二、郡司幸夫、三宅美博、三輪
敬之といった面々である。
2001.12.18.
しばらく前に、電車の中や街で関係ないはずのあそこの人とここの人
が一卵性双生児に見える「ふたご症候群」にかかったことがある。
今朝気が付いた。今度は「整形」症候群である。
電車の中で、ちょっと整った顔の人を見ると、この人は整形では
ないかと思ってしまう。
大江戸線の中は怪しかった。私の前のシートの人や、代々木で降りる
時に入れ替わりに乗って来たひとが怪しかった。どうも、鼻やアゴが不自然
に整っているように感じられる。鼻の横の青い筋がとおっている
ところが怪しい。
怪しい怪しいとつぶやきながら、CSLへ。
BBCのドキュメンタリーでアルゼンチンの整形手術の隆盛を
見たことがある。
大統領が毎年のように整形するので、肖像画を描きかえなくては
ならないという。
本当かどうかわからない。あれは1996年だったか。
サンノゼのラボにいるシオと西田が久しぶりに帰国して、3Fのソファの
ところでみんなで雑談する。
楽しい。
わっははと笑いながら熱海へ。
2001.12.19.
品川駅で急いで時刻表をめくると、東京に戻ってこだまで
行くのが一番早いということがわかった。
特急が、少し前に出てしまっている。
どうも、伊豆には在来線で行きたい。
弾丸列車で行くと、どうも旅情が違う。
西に運ばれながら、LuriaのThe Mind of a Mnemonist
(ある記憶術者の心)を読む。オリバーサックスの一連の著作のような
ロマンティック・サイエンス(患者を客観的、冷静に記述するのでは
なく、人間的な共感を持って半ば文学的に記述する)のジャンルを
切り開いた本である。
熱海から一駅先の来宮で降りると、冷たい闇が周囲を包む
果たしてわかるのかなと思うが、双柿舎は観光名所でもある。
地図がある、矢印がある。
坪内逍遙が寄付したそうで、早稲田大の保養所になっている。
信じられないほどうまい刺身(太刀魚が秀逸。今が旬だそうだ)
をぱくぱく食べ、びいるをぐびぐび飲む。
相澤洋二さんは1歳半の時に北京から引き上げてきたそうで、
それにまつわる話でひとときを。
大人の話でいかに真実ではない記憶が作られるか?
ラッセルの5分前の世界のパラドックスの意味について。
さて始めますかと、宿泊場所でもある母屋に移る。
まずは相澤洋二さん、そして郡司さん。
十畳の和室で、酒をぐいぐい飲みながら、記号について、実在について、
志向性について、世界について、クオリアについて、全体性について、
自然言語について、カテゴリー論について、マンデルブロ集合について、
ジュリア集合について、カントール集合について、議論する。
途中温泉に入ったり、横になって目を瞑ったりしながら議論する。
朝4時30分まで議論した。
布団に入ると、ひんやりと冷たくて、
浴衣がはだけて足が頼りなく、
うまくまぐろ巻きにしようとしているうちに眠っていた。
人の気配がない。
柿の落ちる音もしない。
世界から切り離されたような気がする。エッジの電波だけでつながっ
ている。
「そうじゃないと、システムはできない。」
「モデルの本質は生成である。
それが世界に似ているかどうかということはたまたまのことである。」
「おまえ、やっとそういうこと言うようになったか。」
「ばあか。」
と言って郡司を押し倒した。
2001.12.19.
引き続き双柿舎について生成と同一性を語る。
「心の理論」についての議論。
ビール瓶多数。
「モデルの本質は生成である。
それが世界に似ているかどうかということはたまたまのことである。」
「おまえ、やっとそういうこと言うようになったか。」
「ばあめ。」
「おれの足にはみずかきがある。」
「初めて福岡行った時、アルファベットの表記を見て、F**K OKかと
思って、なんでこんな町中にそんなことを書いてあるのかと思った。」
そんなことをいい、足には水かきがあるバカやろうが郡司。
でも生成や同一性についても語る。
ちょっと10分だけと畳の上で寝転がり、
目覚めると、相澤、郡司、三宅の3人組はまだ語らっている。
どうやら、三輪さんが5時に起きてきて、
寝ようとした三宅さんを捕まえたらしい。
時々身体を追い込むと精神がいい感じになる、と三宅さん。
言語化できないもの、名付けたら終わり。
もう双柿舎を出る。海辺のホテルに
移動し、生成と同一性を拡散させる。
2001.12.19.
熱海の高台にあるレストランで議論の続きをした。
私の目は、黒い頭のシルエットの上にある水のかたまりに引きつけられて
いた。
時々目を閉じて、議論に耳を傾ける。
音の配列が、意味として心に染みこんでくる。
目を開けると、水のかたまりが見えてくる。
泳ぐ、船をこぎ出す、つり糸を垂れる。
そんな形でしか触れることのできない水の広大。
同一性や、差異、生成の問題を考えることは、必ずしも
唯我論に至る道筋ではない。
世界に「私」しかいないということではない。
世界が、「私」の中に立ち現れる、その全体を整合性を持って
回そうという試みである。
しかし、そこで、海が提示される。
認識論と存在論の二元性を溶かすことこそ、心脳問題のベクトルの
行方であるはずである。
しかし、あの海のどうすることもできない広がりはどうすればいいのか?
車いすに乗った科学者が、
宇宙のスケールを語る。1センチメートルと百億光年を同じ
「実数の距離」というメジャーでとらえる。
スケールは、広がりに私たちが対処するための道具である。
しかし、広がり自体には、私たちはどうしても到達できない。
遠洋を航海する船の上でまどろむ。
揺れる波の上で、自分の背中の下に広がる広大な水の塊を思う。
その塊の広がりに、背中の揺らぎで触れる。
触れる界面の中には入れ込めない。
ココとアソコに同時にいることはできない。
そのような限定を受け入れた時、初めてスケールが立ち上がる。
自然科学が立ち上がる。
心脳問題というのは、もっと過激な現象学的還元の下での
世界の再構成の後に、初めて姿を変えて現れてくるのだろう。
レストランの暗がりの中に座る「私」。
「私」の周りに座っている人々のシルエット。
窓の外に横たわる、海の表象。
その上に揺れる、小さな白い帆影。
そのような全てのものを、物理的なメタファーに依拠しないで、
私の心の中に現れるニュアンスや陰影や向きづけを通してとらえ直す
とき、そこに来るべきものの仄かな香りが立ち上がる。
「お昼すぎでしたね。」
「もうそろそろ。」
二人の議論人が帰っていく。
「私たちも移動しましょうか。」
仄かな香りは急速に消え、物理空間の中を車で移動するという
使いフルされた、しかし便利なメタファーの中で私の「身体」が
動き出す。
窓が、空が、海が動き出す。その空間の中に私が移動する。
「私」? 「身体?」 「移動する?」
カギ括弧に入れた時、香りが再び立ち上がりかける。
世界を構成する概念の一体どこまでを、カギ括弧の中に入れて
いけばいいのだろう?
そんなことばかり考えた3日間だったが、
熱海での出来事は、すでに私の心の中のカギ括弧の迷宮の中に
しまい込まれてしまった。
2001.12.20.
池上高志が頭を抱えている。
そしてグラスを時々傾ける。
頭を抱える人生の兆(とき)は美しい。
乱流が渦巻く。
どうも、このところリアリティの感覚が変化している。
身の回りで様々なことが起こる。そのことよりも、ある種の
思念、観念のリアリティの方が強くなっている。
世界は、もともと思念、観念で出来ているのだから。
忘年会に出る。
酒を飲む。話す。刺身が出る。
ビールが喉をすべり落ちていく。
煙草の煙がぐるぐると回る。
郡司が書いた本(哲学書房)の原稿ファイルの最後の一文を読んで
みんなで大笑いする。
・・・・
私は、この世界を生きる私自身に対して、こう言いたいのだ。
「私はわたしで生きている。ふざけんじゃない」、と。
硬い本の最後のセンテンスがこれである。
「第三項=媒介者への定位」、「超越的全体に抗して」、
「システム論的虚点」を論じ、最後の最後にこれである。腹を抱えて笑う。
笑って空気を吸い込む。その空気を皆で共有している。二酸化
炭素を共有している。
言葉が飛び交うが、誰もその本質を理解しない。
「ただいま」「ただいま」「ただいま」
なぜ帰宅した時にそのように言うのか、
その音の響きにからみつくものはなにか?
子供の時に感じた意味論的不安は解消されない。
ただ、それを通り過ぎることだけを学ぶ。
皿の上にエビがむき身で出てくる。
煙草の紙に巻かれた草が燃えながらもだえる。
唇がしっとりと紙をぬらす。
それを忘年会と名付ける。
私は「なにい、ながしま。」「おまた、こっちへこい。」
「こいつがせきねです、みえはるです」「あかわいんたのめ。」
などと言っている。
その時、意味論的不安は通り過ごされている。
曖昧なベクトルだけが立ち上がっている。
時々本当に立ち上がる。
鏡を見て、大丈夫だ、酔っぱらっていないと思う。
池上と難しい話をする。
パリに行こうぜと言う。
郡司の本の最後。
「私はわたしで生きている。ふざけんじゃない」
なぜ、この「ふざけんじゃない」がそんなにおかしいのか?
同一律が絶えざる生成に見えてしまった、ある男の脳の解剖学が
外に展開している。
誰でも、狂気を内に秘めている。ただ、それをうまく通り
過ぎるだけである。
池上高志が頭を抱えている。
頭を抱える人生の兆(とき)は美しい。
2001.12.22.
荻窪の『魚徳』で塩谷賢、都立大の土谷くんと飲んだ。
塩谷とはもう20年のつきあいになる。
18で駒場を歩き始めた。私はドイツ語で、塩谷は確かフランス語
だったか。全学で10人くらいしかとらないような授業に行くと、
必ず塩谷がいた。
それで仲良くなった。
佐藤の超関数論、吉田さんの論理学、伊豆山さんの場の古典論。。。
あの頃はほっそりしていて、黒い学生服を着て歩いていた。
今ではすっかり体型が変わってしまって、120キロあるそうである。
横に座ると、いつも腹をぽんぽんと叩いて遊ぶ。
塩谷は、今、千葉大の土屋俊さんのところにいる。
論文を一本も書かないが、哲学界に名前は響き渡っている。
喋るととてつもなく賢いことが判る。食もウルサイ。
「おやじさん、こんないいエボ鯛よく入ったね。われわれはこんなの
なかなか手に入らない。干物は良く見るけどね。」
「鍋にアンコウの肝を使うなんてもったいない、おれに食べさせろ
と行ったんだが。」
「このハタはうまいや。刺身でも食べられるやつだね。」
と蘊蓄を垂れる。
垂れて垂れて垂れまくっているうちに、酒も進む。
それじゃあまた来年と別れて、タクシー乗り場に並ぶ。
冷気の中、しょぼしょぼと待つこの気配は一種独特のものである。
ラーメン屋の明かりが光っている。
人々の口から、鼻から、白い蒸気が立つ。
普段目に見えない営みが、飽和水蒸気圧で見えるようになる。
「今日は忙しいでしょう。」
「ええ、今日はタクシーは忙しいです。午前3時、4時まで飲む
ヒトがいるでしょう。お客さんは早いですね。」
「ええ、まあ。」
「私は普段新宿、渋谷なんですけどね。青梅街道を走っていたら、
ざーっと並んでいたんで、ああ、これは入ってみようと。お客さんを
降ろしたら、都心に入りますよ。」
塩谷と浅草の両国橋の近くで、川岸に寝ころんで一緒に缶ビールを
飲んだ時のことは良く思い出す。
夏の夜で、二人でマグロになって、ウダウダと喋っていると、
カップルが我々のところをさーっと避けて歩いていった。
オモシロカッタ。
学生の頃は、随分無益な時間があったような気がする。
あの頃が、ある意味では人生の「うりずん」*)であったような
気がするのはなぜだろうか。
バリ島に行った時、朝6時くらいから、何もしないでぼうと
道端に立っている人たちがいた。
何もしていない時にも、呼吸はしている。ゆったりと、酸素と
二酸化炭素が口や鼻や皮膚から吸い込まれ、吐き出される。
吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いてまた一つ年をとる。
*)うりずん=沖縄の方言。春から夏になる頃、木々が燃え立ち、
まだそれほど暑くない、一年で最も良い季節。
2001.12.23.
そば屋に行ったら、障子があって、その向こうから光が差し、
外の竹の影が美しく投影されていた。
カツどんセットを食べながら、その影をちらちらと見た。
スポーツ新聞があるかなと思ったが、朝日新聞だけだった。
銃撃で沈没したことが一面に出ている今朝の紙面。
このような攻撃性がすんなりと出てくるところに、今の日本の
状況が現れているなあと思いながら、
カツどんに唐辛子をかける。
蕎麦にネギをかけながら、最近見た小さな風景の断片を思い出していた。
歳末警戒とでもいうのか、郵便局の前に黄色い腕章をつけて座っている
近所のオジサン。
幹線道路沿いにパイプ椅子を出し、マンション売りだしの幟を持ち、
きちんとスーツを着て座っている青年。
地下鉄の乗り換え口で、立ち止まる人がいるとは思えないのに
毎日毎日呼びかけをしているリンガフォンの二人。
サンタクロースの格好をして、ピザの配達をしている若い女。
いろんな命が生きているこの星で・・・
というのはピクミンの『愛の歌』だが、
まさにいろんな命が生きている。
普段見慣れている街でも、違った時間帯に通ると、別な命の形がある。
希な現象もあって、
例えば老人のデイケアセンターのバスが送迎しているところは
一回しか見たことがない。
毎日繰り返される光景なのだろうけど、4年間で一回しか見たことが
ない。
そのようなことを考えると、急に、我々の生きている人工的な
生活空間が、珊瑚礁のような生態系に見えてくる。
あの、障子の上で揺れる竹の影も、我々の生活空間の中の光の
飛び交いの中で生まれた一つの現象で、それを私の心という脳内現象が
とらえている。
2001.12.24.
『どうぶつの森』というゲームは様々な意味で面白い。
複数の人がプレイする時は、一つの村空間を共有する。
Aさんがやったことが、Bさんがプレイする時にも拘束条件になる。
Aさんが木を植えれば、Bさんがプレイする時にも木がそこに植えられて
いる。
こういうのをネットワークで大々的にやったら。
ニンテンドーの「ファミコン」が登場してから20年余りだが、
この間のゲームメタファーの進化には目を瞠るべきものがある。
「どうぶつの森」では、ゲームの時間の流れと、現実の時間の
流れが一致している。
外が冬の時には、ゲームの中も冬になる。
虫は夏にしか出ないから、ゲームの中で虫取りをしようと思ったら、
本当に夏になるまで待たなければならない。
それではというので、最初のオプションで時間をいじる。
ここで奇妙な感覚が生じる。何かを約束している場合がある。
タヌキさんに頼まれて、トラさんに何か届け物をするはずだ。
それが時間が飛ぶ。場合によっては過去に飛ぶ。タヌキさんから、
12月31日は福引きをするから必ず来てくださいという手紙が
くる。そこで時間がいきなり8月1日に飛ぶ。あの福引きはどうなった
のか?
未来を志向していたのに、その未来が突然操作され、消え、あるいは
別の志向性と交錯する。
空間の中ではこのような志向性の操作や交錯は当然のことだが、
時間の中でそれをやると混乱する。
我々は、時間というものはそのような自由度を持っているとは思って
いないからである。
ゲームメタファーの中に、我々は現実の様々な拘束条件を持ち込む。
それをゆるめた時、そこには奇妙な可能世界が立ち現れる。
一度そこを経由してから現実を見ると、風景が変わっている。
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの
声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ
は梁塵秘抄に収められた平安時代の流行歌だが、この「揺るがるれ」
はカイヨーの言う「めまい」だろう。
良いゲームは、「めまい」を起こす。
「めまい」で何かが生成し、現実の見方が変わる。
2001.12.25.
子供の頃、サンタクロースについてどう考えていたのか
ということを考えてみる。
どうも、6歳くらいまでは、サンタというのは実は自分の親のことだ
というはっきりとした認識は持たなかったように思う。
だからと言って、サンタの実在を信じていたというのでもない。
どうも、事は、もう少し微妙なことのようなのだ。
要するに、世の中には、どのようになっているのか判らないことが
あって、そのことについてはとりあえず考えないことにしよう。
そのような感覚があったように思う。
不思議さを不思議さのまま置いておこうという感覚である。
やはり6歳くらいの時、知り合いのお姉さんに赤ちゃんができた
という話を聞いて、
なぜ、「結婚する」ということと、「赤ちゃんができる」という
ことが同時におこるのか、その間の「情報のやりとり」はどうなっている
のかと真剣に考えたことがある。
さらに、「赤ちゃんができる」ということと、「お乳が出る」という
ことが、なぜシンクロするのか、考えた。
結局、結論は出ず、世界にはよく判らないことがあるのだと思って、
不思議さをそのままにしておいた。
大人に聞くこともなかった。
不思議さを不思議さのままにしておくことは、現実と不現実の
間のトワイライトゾーンをもたらす。
サンタが実在するかどうか、そのことだけが問題だとしばらく前に
思ったのは、
「志向性」の観点からである。
現実に存在するものを志向することと、現実には存在しないものを
志向することは何が違うのか?
「志向性」という心の表象の働きからとらえれば、どちらも同じ
なのではないか?
そんなことを考えているうちに、現実と非現実の関係は何だか
判らなくなってくる。
そんなところまで踏み込まないと、心脳問題は解けないような気がする。
現実と非現実の間のトワイライトゾーンの中に属することはたくさんある。
時間が過去から未来に不可逆的に流れること。
「今」が特別な時間であること。
「私」が「私」であること。
このような不思議さが、実は子供の時の「サンタが実在するのか」
の不思議さと本質的に同質であるということが、最近になってようやく
判ってきたように思う。
超ひもとか超膜理論も同じようなものだということが得心。
39にして、私は精神的な還暦を迎えているのか。
今日から27日まで、赤いちゃんちゃんこを着て名古屋大学大学院
人間情報学研究科で授業。
1階の第一講義室らしい。
名古屋に行くと、東山植物園のバオバブを見るのが楽しみである。
2001.12.26.
斎藤洋典さんが本山駅まで迎えにきてくださった。
名古屋大学に来るのは、10年ぶりくらいだろうか?
となりの部屋はガラス張りで、キレイ。
斎藤さんの部屋は籐のシールドがでーんとあって、
その手前のテーブルに本がわーっと積み上げてある。
「こういうのが落ち着きますねえ。」
と言いながら、コーヒーをいただき、今度東大出版会から
出すという漢字の認知に関する本の原稿を見せていただく。
午後1時から授業。
初めて本(心を生みだす脳のシステム)を必須教科書にしたのだけども、
みんな一応持っていて、千円とはいいながら、
何だかワルイワルイという気持ちになる。
20分の休憩を挟んで、午後5時まで。
明日は午前10時からということにする。
斎藤さんと、助手の増田尚史さんと、栄の鳥銀に行く。
木々にともされたイルミネーションが星々のように。
斎藤さんはサバティカルでコロラドにいた。
コロラドの羨ましい空間事情(家の前庭が100坪、裏が
40坪、これでミドルクラスですわ)を聞き、まさにと。
北米(アメリカ、カナダ)のあのゆったりとした雰囲気は、
確かに思い出すとうーむと思わざるを得ない。
移住するなら北米かオーストラリアか。
そんなこんなで名古屋コーチンを味わいつくし、
斎藤さんが増田さんにあっさり「んじゃあ」と言って、
私はYUCCAという店に拉致される。
ここは、ピアノの生演奏で歌をうたうところらしい。
私はしばらくうとうとしていて、気が付いたら斎藤さんが
ハスキーボイスで歌っていた。
ひょうたんのようなもので作った楽器が、擦る場所で
音の高さが変わるので、これは面白いなと思いながら
盛んに擦る。
We shall overcomeを歌っていいでしょうか?
と聞くと、さすがに安保世代というべきか、すぐにJoan Baezですね
と返ってきた。
この曲がカラオケボックスにあるのを見たことがない。
私だって、時にはprotest song を歌いたい。
生演奏で歌うのは初めてかもしれない。
何ともいい気持ちだということが判った。
機械は、一定のリズムで進んでいく。こちらが
あっちに合わせることになる。
ピアニストは、聞き耳を立てている。微妙なリズムの伸縮に併せて、
向こうも伸縮する。
硬いベッドと、ウォーターベッドの違いだろうか。たゆたい、揺れ、
何か生き生きとしたものが生まれる。
うん、これはいい、ピアノバーはいい、としゃっきりとした
ところでお開き。
ホテルに帰ってメイルをチェックしたら、今日の授業に関する
質問がもう来ていた。
うーむとベッドに横たわり、mp3で「マルコポーロの帰国」を聞いている
うちに意識がなくなる。
2001.12.27.
名古屋大学で授業二日目ー>あうん(料理屋)ー>YUCCA(雲竜ビル)
だった。
今日三日目の授業をやって、それで終わりである。
斎藤さんと随分議論した。
インドとパキスタンが戦争をしそうだと言う。
国会議事堂が銃撃された件のようだけども、
正直言ってこの件についてはまったくリアリティが立ち上がらない。
何だか、当事者同士が勝手に盛り上がっていて、何でそんなに
盛り上がっているのという感じである。
しかし、考えてみると、そもそも戦争というものは全て
少し離れて見ると、「当事者同士が勝手に盛り上がっている」
ものではないだろうか。
1942年の当時、日本人が感じていた圧迫感を想像することは
できる。
そのような状況に置かれたら、当事者意識を持たざるを得ない、
そのように考えるのが自然だが、
しかし、そのように当事者の圧迫感を持ってしまうことによって、
すでに戦争という回路に巻き込まれているのだとも言える。
案外、老子のような思想は、そのあたりの社会と個人の
どうしようもない根本問題を突き抜けた時に出てくるのかなと、
目玉焼きを食べながら考える。
ここのところお風呂に入った時などに気になっているのは、流通
しない自分の身体の問題である。
世界には流通性へのオブセッションがある。より大きな流通性を
求めて、様々なミームが競い合う。
しかし、自分の身体だけは、流通することができない。養老
孟司さんがお風呂に入っていて、自分の手をしげしげと見る。
その時の、しげしげと見られる身体は流通することができない。
<私>が<私>であることは、流通することができない。
どうも、流通性へのオブセッションにあまりにも慣らされて
しまっているために、流通しない身体のどうしょうもなさに
鈍感になっている時代精神があるように思う。
インターネットがいくら発達しても、身体は流通しない。
私が、インドとパキスタンの間の盛り上がりを他人事に感じるのも、
私の身体が流通しないからだ。
流通しない身体を抱えて、今日も本山の名古屋大学へ。
2001.12.28.
みそかつだ、みそかつだ
と念仏のように唱えながら、キオスクで800円。
もうひかりの発車まで1分だった。
午前中で授業が終わり、斎藤さんたちと昼食をゆっくりと取り、
大須観音を見学。
伝説の大須演芸場の写真をとって、栄まで歩く。
たどり着いた席で、私はお茶を飲む予定だった。
周囲のサラリーマンがぷしゅーぷしゅーとやっているので、
たまらずにスーパードライ。
みそかつをむしゃむしゃ、そのままコックリ。
気がついたら新横浜を出ていた。
案外早く東京に戻れたので、松岡正剛さんの編集工学研究所の
パーティーにいけそうだと、CSLに寄って場所を書いたファックスを
探す。
そうそう、草月会館でした。
「マッド・インベンター」光藤雄一くんが「茂木さん良いデータが
とれました」というのを拉致して、タクシーを。
会場にはうわーといて、車いすに乗って動いているおじいさまが
実は大野一雄さんだった。遅く着いたので、踊りを見れず。
久しぶりの再開の熊田政信ドクターによれば、「感動的」なものだった
ということ。
大きなヒトがいて、あれは誰だったっけと思い出そうとしていると、
熊田さんが「前田なんとかさんです」と教えてくれる。
そういえばプロレスをやるヒトだったかもしれない。
私が一番見て得したと思ったのは三輪明宏さんだったが、スピーチで
草月会館は「居心地がワルイ」と言っていたそうで、それを
聞き逃したのは残念。
会場には黒服が多かったが、確か三輪さんは黒服がキライだった
はずだ。
光藤くんとワインを飲んで、ぶらぶらする。
一応ということで、松岡さんに挨拶して本を渡す。
二次会はここです、と赤い紙を渡されて、赤坂へ。
何だか新聞が回ってきたので、見たら朝日の夕刊で、
紙で日本人形をつくるヒトが出ている。
ああ、これはいいですねと顔を上げると、同じ顔のおじさんが
座っていた。
あとで名刺をいただく内海清美さん。
私は、名刺がなく、紙をちぎっては名前と電子メイルを書く。
殆どの時間を、熊田さん、それに古今の筆跡を扱う高野さんと
喋る。
午前1時を回ってそれではみなさんサヨウナラとお開き。
タクシーがなかなか捕まらなかった。
思うに、この世界で一番重要なことは生成だと思う。
科学理論にしろ、論文にしろ、本にしろ、小説にしろ、音楽にしろ、
ヒトとヒトとのつながりにしろ、とにかく生成しよう。
それだけが重要だというのが2001年末の私の思いであります
と首都高を行くタクシーの窓に映る夜景に。
2001.12.29.
ムースポッキーまでがカチンカチンになっている今朝の寒さ。
久しぶりにEccentricsを取り出して読んでみた。
「変わった人たちの気になる日常―世界初の奇人研究」
というタイトルで、草思社から訳されている。
変人と精神異常がどこが違うか? 変人は、「そうしないよう
にしようと思えばできるが、あえてそうしている」。自由意志が
介在しているというのがDavid Weeksの主張。
「ご冗談でしょうファインマンさん」の中に、催眠術をかけられる
話がある。かかるものかと身構えているが、実際にやられてみると、
「そうするまいと思えばできるのだが、なぜか指示の通りやってしまう」
という心理状態になったとファインマンは言う。がちがちの合理主義者
は、かえって、心の中の微妙な陰影に気が付く。
変人は、通常人よりもむしろ健康で、幸せで、長生きの傾向がある。
その上に時々天才になる。まるで変人のススメのような本なの
だが、なぜ多くの人は変人ならぬ凡人になるのか?
どうも、クリアな分水嶺があるのではなく、
「そうやろうと思えばできるのだが、何故かしない」
「そうしまいと思えばやめられるのだが、何故かしてしまう」
という微妙なたそがれゾーンに属する問題だと思う。
新聞を読んでいたら、高市早苗が夫婦別姓に反対する理由を
挙げている。それを読んで、ああ、このヒトは終わったなと思う。
こういう、もっともらしいコトを言うようになったら、人間は
オシマイである。
保守派のばばあではあっても、クリエーターにはなれない。
親友のおでぶ哲学者、塩谷賢が、この前の京都の飲み会の時に
養老孟司さんを
ホテルまで送って、どうしてボクはモテないのでしょうと聞いて、
「君はもっともらしすぎるから」
と言われたとしょげている。その話題で、そ
れから飲み会の時に何回か爆笑している。
確かに塩谷にはそういう一面があって、養老さんの眼光でそれを
とらえられてしまったわけだが、もう一面では塩谷には驚くべき
才能があって、そのどこの部分が出てくるかで印象が異なる。
高市早苗もそうでない部分もあるのだろうが、政治という文脈の
中では「もっともらしい」ことを言ってしまうのだろう。
純粋に政治家として見ても、決して得なことではないはずだ。
有権者はバカではない。
もっともらしいやつはうさんくさい。
もっともらしさと、変人の違いが「そうやろうと思えばできるのだが、
何故かしない」というたそがれゾーンに属することならば、
皆ちょっとコントロールを変えて変人ゾーンの方に行ったらいい。
人間は本来揺れ動く存在で、それをただ解放してやればいい。
そうすると、この国も少しは面白くなってくる。
2001.12.30.
ねむいねむいどうにもねむい。
諸々の疲れがどっと出たのか、ねむくて堪らない。
本屋にいって、川上弘美の「センセイの鞄」とオオクワガタの雑誌を
買ってくる。
ソファで寝転がって、オオクワガタの雑誌を読む。
幼虫が実はヒラタダケなどの菌糸を食べているということが判って
以来、繁殖が可能になって、幻の昆虫から生産できる商品に転化した。
「作出」、「ギネス級」、「種親」、「蛹室」、「三令幼虫」などの
テクニカルタームにわくわくしながら読んでいるうちに、いつの間にか
眠っていた。
眼が覚めてもまだ明るい。
昼寝をした時の、あの、時間軸上の点が定まらない白濁した感覚を味わう。
しかしなあ、
どうも、子供の頃、「桜の木のうろに隠れていて極めて見つけにくい」
という図鑑の記述を読んでイメージしたオオクワガタと、
繁殖されて1mmいくらで得られているオオクワガタは違うように思う。
全てのことにそれが言える気がする。
何かにあこがれていた時に心の中に立ち上がっていた表象と、実際に
それを手にした時の表象は、違う。
実際に手にする前には、現実には存在しないものへの志向性が立ち上がって
いる。
それが期待通りということは原理的にあり得ないのであって、
あこがれている時に立ち上がっている香りやニュアンスの幾ばくかは、
決してこの世界に存在しないものだと思う。
このようなことがあるから、最近、「サンタは存在するか」というような
ことを考えるのだろう。
現実に赤い服を着たでっぷり男が目の前に出て、「私がサンタです」
と言って、空を飛んで見せても決して満たされない、ある種の香り、手触り
に対する志向性が、「サンタ」の実在がトワイライトゾーンにある
子供の心の中には立ち上がっている。あの、現実には決して対応物を
見いだせないものへの志向性の持つリアリティに何かを託すしかないように
思うのである。
要するに、現実ではないからこそリアルなものがあるということで、
志向性の本質はそこにある。
今読んでいるTim CraneのElements of Mindは、志向性こそが重要であると
いうブレンターノ仮説を現代的に追求した本である。
感覚的なものは、志向的なものの向こうに見えてくる仮想の中の
かすかな現実の兆しか。
22日に発売された『心を生みだす脳のシステム』
の販売は好調で、平均を大きく上回っていると、NHK出版の大場さんから
メイルをいただく。
やはり本の評判というのは気になるもので、素直に嬉しい。
ご飯がないので、朝からラーメンを食べる。しかし、台湾のヒトは、
実際朝から屋台でラーメンを食べるのではなかったか?
2001.12.30.
大泉の東映撮影所にOZ Studio Cityというのが出来て、
そこで『シュレック』を見る。
これは、「政治的に正しいおとぎ話」だ。
CGの発達には目を見張る。脚本も良くできている。
しかし、その時はおおと思っても、後に何も残らないのが
ハリウッド。
だが、私は生成にかけているので、あまり悪口を
言わないことにする。
その後行った本屋でバランスを崩しそうになる。
ここは本当にリブロか。
クズ本が並んでいる。科学書の科の字もない。
店員に、「なんでクズ本ばかり並べておくんじゃい」と
言いそうになってやめる。
しかし、私は今生成にかけているので、あまり悪口は
言わないことにする。
このあたりの本屋でまともなのは、光が丘公園から車で5分くらいの
文教堂書店だけである。
あとの本屋は全部つぶれてしまっても困らない。
ネット書店がある。
夜は、amazon.co.ukから輸入した、Richard Burton主演のWagnerを
見終わる。
日本にNTSCでcirculateしているのは、
アメリカ人の趣味の悪いナレーションの
入った短縮版で、全くダメである。
しかし、まあ、私は今生成にかけているので、あまり悪口は
言わないことにする。
Wagnerのように、数百年に一人の天才で、しかも波瀾万丈の集積回路
のような
人生を送った人は、どのようにビデオ化しても史実の方がドラマティック
だが、Richard Burtonはなかなか良くやっている。
そこだけ暖房が入っていない部屋。寒いので電気ストーブをつけて
足をあぶりながら見る。
生成にかけている私だが、現代日本に溢れているクズ文化の数々には
正直言って辟易する部分がある。
悪口を言わずに何とか生き延びて行くのにいい方法は、マーケットの
問題としてとらえることだと最近気が付いた。
ファッションにはマスマーケットとアップマーケットがある。
ユニクロとエルメスがある。
それと同じように、文化にも、マスマーケットとアップマーケットが
あるのだ。
後はマーケティングの問題。
大泉のリブロでは、アップマーケットの商品は売れないのだろう。
そのように考えた時、立ち上がるリアリティ。
最近、私がクズ文化に文句を言わないようにしようと心がけて
いるのは、生成は失敗することがあるからである。
クズができてしまうことがある。それでも、
とりあえず生成しているヒトの方が、文句を言っているヒトより
エライ。
自分なりの絶対基準があるならば、それに従って生成することに
情熱を燃やせ。
どうせクズ文化は時間が経てば滅んでいく。
そうは思っても、この前山陽新幹線の中でチラリと見てしまった
西村京太郎の砂糖水を千倍に薄めたような内容の後味の悪さには
唖然とする。
文化のマスマーケットの存在が、なぜ私は許せないのだろう。
政治的に正しくないとは判っていても、つい嫌悪感を感じてしまうのは
何故かと考える冬の夜。
2001.12.31.
私自身はドラッグというものをアルコールと煙草しかやったことが
ないが、やったヒトの話は何回か聞いている。
LSDは、最初に登場した時、Time Magazineが画期的なクスリとして
賞賛したそうである。
イギリスでは、LSDを合法的な実験の材料として認可する動きがある
と聞く。
しかし、社会全体としては、ドラッグは依然として保安処分の
対象になっている。
ドラッグが禁止される根源的理由=
表象と現実の間の通常の関係を揺るがされ、生体としての生存が危機
に瀕するという不安。
しかし、ドラッグを待つまでもなく、
現実というものの基礎に対する根源的な不安は、脳がシステムとして避ける
ことのできない脆弱さであるように思う。
脳に対する強制的作用をとらえれば、
この「現実」も恐るべきドラッグである。
網膜から物理的刺激が入る。それが視覚領域の第一次視覚野に入り、
高次視覚野へとリレーされる。この時、我々は、「現実」の世界を構成する
表象を強制的に見せられる。目の前に机を、椅子を、コーヒーカップを
強制的に見せられる。私たちは、その強制的に見せられた「現実」
に寄りかかって生きている。
脳への強制性ということで言えば、
どんなドラッグよりも、現実からの物理刺激の方が強力である。
現実は、いわば、私たちの脳の最も奥深くまで侵入し、それをわしづかみに
してぶんぶんと振り回すのだ。
現実というのは、随分ずうずうしいやつなのである。
今朝、私は、コーヒーの香りに侵入され、ロッテの「雪りんごふわわ」
の味覚に侵入され、そしてブルーのフリースのガウンの触感に侵入
された。
私の脳は、常に「現実」からの刺激に侵入されている。
そのようなことを、私たちは、「体験」と呼ぶ。
このような絶えざる侵入が不安になってしまったヒトの何人かは
発狂するのだろうなと思う。
今年も発狂せずに、大晦日まで来た。
bk1に、オリオンという人が、『心を生みだす脳のシステム』の
書評を書いてくださっている。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3bef569cbc9850101cb2?aid=&bibid=02110630&volno=0000
核心を突いたありがたい書評なのだが、ここで指摘されている
問題点、すなわち「主観」、「客観」、「クオリア」、「志向性」、「感情」
といった概念のshorthand自体を精緻化する必要性については、来年、
是非、「表象と生成の精密学」(仮題)のような、「2000部しか
売れない本」を書いて勝負したいと思う。
オリオンさんがもしこの日記を読んでいてくださったら、素早く
スルドイ書評に対して、お礼を申し上げたい。
来年は、いろんな意味でマジで勝負したいと思う大晦日である。