2002.3.1.  千歳空港で長島君とイクラ丼を食べた。  それじゃあ、そろそろ行きますかとゲートをくぐると、 影があるという。  リュックからiBookを取り出してみるが、それでも 消えない。  ペンでしょうか、PC card adaptorでしょうか、 それとも鍵でしょうかというと、  ハサミの取っ手の影だという。    どの便ですが、524です。もう少しお待ちください とやっているうちに、封筒の中からハサミが出てきた。  それで思い出した。去年の京都大学の研究会の時に、 山口に行く前に髪の毛を切ろうと忍ばせたものだ。  尾道で髪の毛を切って、それ以来忘れていた。  やれやれとゲートに行くと、赤字でCANCELLEDとある。 濃霧で東京からの飛行機が着陸できずに引き返したらしい。  海がまだ冷たいのに、地上が4月の陽気だから、 霧が発生する。  行くぞ長島とカウンターに戻り、朝の便を予約した。    列がなかなか進まず、そのうちに周りのオヤジたちが 騒ぎ出す。  「欠航とアナウンスしなかったじゃないか。ハンドマイク で説明しろ。窓口が少ない。ぶつぶつぶつなんだかんだ。」  こういう、アクシデントの時にガキのように騒ぐのが 日本の中年オヤジである。  言ってもしょうがないことを言って苦々しそうな 顔をしてイキがって見せるのが、オヤジの得意技である。  文句言うなら、外に出ていって霧に言え。  霧にぶつぶつ言っていろ。  ビールのエンジンで私の舌が回り始めた。  You know these guys never learn.  Stop bubbling, you idiots!   Shut up. We are in deflation cuz of stupid people like you.  散々悪態を付いたが、私の後ろのニワトリのような顔をした オヤジは全く気が付かないらしく、  相変わらず何だかんだ、ぶつぶつぶつと叫んでいた。  椎名誠だったら飛び膝蹴りのメタファーを使うところである。  また何だけどね、イギリスの鉄道は、アクシデントを前提に 動いている。  電車が動かなくなると、あっというまにバスが来て、  振り替え輸送する。  みんな静かに歩いていくよ。  定時運行は得意だけど、何か予想が付かないことがおきると オヤジがパニックるのが日本。  あらかじめ予想が付かないことが起こることは仕方がないと して、起こった時に冷静に対処するのがイギリス。  悔しいが、まあだから英語圏と日本語圏は差がついてしまっている。  ああやって悪態でもつかないと浮かばれない。  千歳に泊まってみようと、エアポートホテルに予約して、 ameというバーに行った。  生ビールがうまいと飲んでいるうちに、長島はジン、ジン、ジンと ストレートで飲む。  そのうちに、壁際のソファに座って、茂木さん酔いました とドラエモンのバルーンを触り始めた。  冷え込んできて、霧も晴れ始めた。  何だか切なくなって、コンビニでゲゲゲの鬼太郎を買った。 2002.3.2.  霧が晴れた千歳から、  15時間遅い飛行機に乗り、羽田に帰ってきた。   品川でカレーを食べて、CSLで会議に2つ出たら、 よれよれになった。  朝シャワーを浴びたのに、何だか汗だくのような気がする。  東京は暖かく、北海道でうろうろしている間に、すっかり セーターが季節外れになってしまった。  ぽっ、ぽっ、ぽっと梅の咲く夜道を歩きながら、今、ここにないものについて 考えた。  この一年の私の最大の変化は、志向性への関心が、「今、ここにないもの」 が「今、ここにあるもの」を通り過ぎて、あるいは単独で立ち上がることへの 関心へと転化していったことだろう。  「今、ここにないもの」について考えるには、夜道を歩くのが一番良い。  梅が咲いていればなおいいし、  仄かな香りが薫ってくればとてもいい。  このあたりは、一度整理して書いておかないといけないと思っている。  シャーマニズムのようなことも、全ては脳内現象であることを押さえた上で、 「今、ここにないもの」への志向としてとらえるべきだと思っている。  科学主義が、「今、ここにあるものだけを見る」ということに堕すならば、 人間の可能性を狭めることになる。  一方で、「今、ここにないもの」への志向が、迷信で人の行動を妨げる方向に 作用してはならない。  インドで焼かれる花嫁のようなことになってはならない。  「今、ここにないもの」への志向は、「今、ここにあるもの」から解放されて、 人間の精神の自由を広げる方向に作用しなければならない。  大切なのは、あくまでも、精神の自由なのだ。  こういうことはよれよれの時に考えるに限る。  台湾で買った「茶王」を飲みながら、思い出しながら書く。  目の前のお茶の葉をお茶の葉という物質として見るのではなく、 様々な「今、ここにないもの」につながった、具現化された概念として 書く。  そんなことを書いていたら、ベルがなって、ピザーラの人が来た。  チップの小銭の心配をしなくていいんだなとふと思って、 それから、チップの心配をしなくてはいけない土地に 住みたいと思った。 2002.3.3.  ファインマンのLectures on Physics を聴きながら走っていたら、油がなくなって来たので エッソに入った。  ファインマンは、というよりも物理は、Good Old-fashioned way of looking at the worldという感じである。  これと、クオリアがどうつながるんだろう?  首都高を走りながら、そのことばかりを考えていた。  物理のexactnessとクオリアのexactnessがどうつながるのか?  何と何がつながるべきなのかは徐々に見えて来ているのだが、 肝心の一振りが見えない。  ガソリンスタンドでは、小銭を用意しないで、いつも お札で払うのは何故だろう?  運転席に座ったまま小銭をじゃらじゃら渡すのが面倒だからか。  私のような人ばかりだとすると、エッソは大量のコインを用意しなければ ならないことになる。  石垣島で買って、ぼろぼろになってきた小銭入れを出して、99円分の コインを並べて、どんな額でも対処できるように準備した。  80円だったので何だかアテが外れた。  物理がGood Old-fashioned way of looking at the worldだと 言っても、それに代わるexactnessの体系がないから、 上智の物理から来年研究室に入って来る恩蔵絢子さんのような学生に 認知のexactnessは何かということを聞かれると困ってしまう。  Exactなものがない認知の世界で、唯一物理と同じような意味で exactなものへの道筋がqualiaであるはずで、そこを追求していくしかない。  認知科学の世界だけにいる人には、exactnessが欠落していることが いかに重大な欠陥かが実感としては見えないはずで、  物理のexactnessを知っている人が志向していくしかない。    首都高を走る前、光が丘公園を自分の足の筋肉で走った。  梅林が白くなっていて、その中にオバサンたち4人がむしろを敷いていた。  桜の花見はどっと出るのに、梅の花見はパラパラなのはどうしてだろう?  寒いということもあるが、梅の設いは、わーっと騒ぐには似合わない からだろう。  静かに飲み、瞑想する花見には梅は似合っているような気がする。  梅酒やワインのグラスを手に、静かに語り合うには梅林は良い ように思う。  梅のつぼみは、寒さの中で静かにかたまっていた。  見た目には、何もその中で起こっているように見えなかった。 しかし、実際には、驚くべき複雑な化学反応が起こっていて、 ある日、むくむくとふくれ始めて、花びらが開いていった。  そのようなことが世の中にはあると考えるのは楽しい企みである。 2002.3.4.  調子が良くないので、京阪奈の研究会に行く予定だったのをキャンセルする。  ここのところ、池上高志や郡司幸夫とも会っていないし、何だか 世界から孤立しているなという感覚がある。  孤立の中で、いろいろなことを考える。    どうも波の谷にいるような気がするのだが、 このような時の浮上の切っ掛けは、案外単純なことであることが多い。  「忘れる」こともそのような切っ掛けの一つになるだろうか。  人間というものは、生きているうちに徐々に地層が積み重なっていって、 それが円熟にもなるのだが、  一方でケアフリーな飛翔の邪魔にもなる。  ゲーテは、『ファウスト』第二部を、眠りと忘却から始めた。  そうでないと、Sturm und Drangの主人公の性格を 維持できなかったからである。  『心を生みだす脳のシステム』の書評が讀賣新聞にも出た。 大澤真幸さんによる評である。  褒めっぱなしというのではなく、実質的な評で、ありがたい。 新聞評というのは案外効果があるもので、  amazon.co.jpのランキングが一時、また二桁になった。  3刷りになるようで、今まで書いた本の中では一番流れている。  それがいいことなのかどうか、どうも判らない。  毒を薄めて書くと、薬になるのか。 今回の本ほど、自分の立場というものをある意味では希薄化して、 薄めてほんのり色づけくらいにしたものはなかった。  ある意味では、客観的な世界を招き入れることは できたように思う。  要するにそういうことなのかと思いもするが、 ものすごく濃いものを書いてみたい気もする。  小林秀雄が、「若い時にはいい仕事をしたら、 すぐに世間が認めてくれて、拍手喝采してくれるものと思っていたが、 必ずしもそうではないということが判った。世の中に知られていない 人で、どんなに偉い人がいるかと思う」という意味のことを 言っている。  毎年、春になると、なぜか、流通しないものが気になる。  空気が流れ、花びらが散り始めるからだろうか。  数年前の3月、沖縄の渡嘉敷島に行った時、阿波連ビーチを歩き、 マルオミナエシの貝殻を拾いながら、決して流通しないマルオミナエシの 生の軌跡のことを思った。  力尽きて貝殻が砂浜に打ち付けられるまでの履歴のことを思った。  言語を獲得して以来、私たちは流通しないことを不条理のように 感じがちだが、  世界の万物は本来流通しないものだ。  言語の志向性を通して、私たちは無限を手に入れたが、 同時に、有限の自分の生を儚むようになった。  春になると、調子が悪い時期が来るのは、 どうも志向性と流通性のパラドックスが気になるからかもしれない。  こんな時一番いいのは海辺に行って静かに歩くことなのだが、 そうもできないのでこんな日記を書いている。   2002.3.5.  犯人に対しては恐らく 死刑判決が出るのだろうが、 私はそもそも国家による殺人に反対である。  被害者感情がどうのこうのなどというのだと思うから、 こんなことを思い出した。  イギリスは死刑を廃止しているけども、本当の無期懲役がある。 日本のは十数年で出てくるらしいが、仮釈放のない無期懲役がある。 実は、これで十分報復感情が満たされるのである。  要は慣れである。  被害者が、「あいつが二度と社会に出て来れないことを望む」 と言ったり、裁判官が、  「君はもう二度と外の世界には出られない」と重々しく言い渡したり する。  どちらも、neverという言葉が報復感情を担っている。  日本でも試して見れば良い。「死を持って償ってほしい」に託されていた 感情が、やがて「二度と」という言葉に託されるようになるはずである。  そもそも感情とは社会的に規定されるものである。  誰もいないところでコメディを見ていても笑わないが、 大勢だと大笑いする。  それで、アメリカのプロデゥーサーがコメディに笑い声をあらかじめ 入れる方法を発明した。  悲しみや怒りといった感情も、その表出は社会的な文脈、制度に依存する はずである。   死刑制度を維持しているのは、そうすれば頭が楽な人が沢山いるからだろう。 ならば、仮釈放のない無期懲役を用意して、別の楽な回路を用意すれば良い。  鈴木宗男の問題は、社会が騒ぎ始めてから逆に興味がなくなってしまった。 あまりにもせこく、形而上学的な創造力を刺激しない。  同じ問題がある男でも、ブッシュの場合はスケールが違う。  問題のある政権があって、国民が苦しんでいる。 そのような時に、アメリカ人は、 積極的に介入して政権を崩壊させ、その後の国家建設(nation building ) に関与すべきかどうかなどという議論をしている。  傲慢なことはもちろんだが、一方はNation buildingで、もう一方は ムネオ・ハウスである。最初から勝負にならない。  ムネオ・ハウスをワイドショーで取り上げて騒ぐくらいなら、 ならず者が支配する国に関与して国家建設する、その過程で何人か死ぬ、 しかしもしやらなければ国民が長く苦しむ、その倫理問題はどうなのかを 議論した方がよほど意味がある。  ふらふらと道を歩いていたら、ポケットにミントのケースがある。 開け閉めするとカチカチと音がする。  向こうから中学生が3人来て、携帯が鳴った。    中学校の時、ぐれていた友のことを思い出した。いつも教室や廊下で 風船ガムをふくらませてはパチンパチンとやっていた。  半年もやっているうちに、うまくなって、連続して大きな音を 立てられるようになった。  そのパチンパチンに彼の感情が担われているのを感じたのである。  ムネオハウスは恐らく鈴木宗男のパチンパチンなのだろう。   2002.3.6.  生野菜はとりたい。  しかし、どうも牛丼とサラダは合わない。 そんなことを考えていると、右隣の白髪白髭がすっとコップをつきだした。  そのまま止まっている。    店員が気がつかない。何回もコップを突き出す。  やっと、「店員さん、水」と声が出たのと同時に 店員がやってきた。  横着なやつだと頭の中で黒いうずうずが出来ているうちに白髪白髭は 食事を終えた。  「あー。おいしかった。ごちそうさま」 と罅の入った茶碗のような声で言った。  おやっと思った。  若い男と女の店員が今の白髪白髭を話題にしている。  客が出ていって、「ありがとうございました。また起こしください」 という時の男の声の質が変わっていた。    昔だったら、牛丼屋「松屋新之介」の店で修業している丁稚さんということに なるのか。  仕事の合間に同世代の女と軽口を叩いて、客に対しては口調が変わる、そんな間合いに なるのか。  しかし現代では、夢見るイラストレーターかもしれない、上を目指すドラマーかも しれない。  社会的機能と人間というメディアの関係が一対一ではなく、結びつきも ダイナミックかつフレキシブルに変化するようになった。  メディアとミームが分離するようになった。  久しぶりに、新宿駅から原宿駅まで明治神宮の森を抜けた。  造営された時は畑の広がる荒れ地で、そこに365種、10万本を植林 したようだが、  今ではうっそうたる森になっている。  どうも、日本の神社関係者の使うメタファーは現代化していない。 エコロジーなど、いくらでもプラグ・インできるメタファーはあると 思うのだが、  「明治の大君」などと相変わらずの事大主義である。  しかし、「普請中」の45年が日本の歴史上最も活気に溢れた時代だったことは 間違いないだろう。  「平成」はどうか? もう13年経ってしまったわけだけども、 この空虚さは何なのだろう?  「真空」というメタファーで、何でもここに創り込むことが できると考えることによって、かろうじて救われるか?    おまえは歌うな  おまえは赤ままの花やとんぽの羽根を歌うな  風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな  すべてのひよわなもの  すべてのうそうそとしたもの・・・・  森を抜けると原宿だった。  光藤雄一君がSONY CSLのmeetingでtalkをして、何とか無事に 切り抜けたので、大崎New Cityでハイチ料理を食べた。  コーヒーと一緒に出てきた褐色の液体は何だったのか? とインターネットで調べると、どうやらラム酒らしい。  全然お酒という感じがしなかったのは、 あの時もう十分酔っていたからか。 2002.3.7.  最近、CSLのコアルームのソファがオレンジ色になった。  古いソファは形が崩れて象の皮膚のようになっていたが、 暖色になった。  よれよれの象はどこに運ばれたのか、よく判らない。  そのオレンジの上で、ジャーナル・クラブをやった。 小俣君と須藤さんが論文紹介した。  読んでいて、脳科学の現状がイヤになった。  それで、後で田谷君に、あれはやはり「錬心術」だねと言った。  錬金術師たちは、どのようにして原子の種類が転換されるのか、その 第一原理を知らなかった。その理屈を知らずに、様々なものを 混ぜると、そこにいつかは金ができるだろうと期待した。  今の脳科学や認知科学がやっているのは、同じことである。  心が一体どうして生じるのか、その第一原理を私たちは知らない。 知らずに、ユニットをつなげたり、身体を持たせたり、環境と相互作用 させたりしたら、そこに「なぜだか判らないが」心が生まれるだろうと 思っている。  第一原理を知らないという意味では、錬金術師と同じようないかさまである。  錬金術は、近代的な化学の基礎となる様々な知識を蓄積した。  錬心術も、将来の真の心の科学の基礎になるであろう様々な知識を蓄積しつつある。  錬金術の体系の中にいた人たちは、自分たちの理論体系や議論が、 当時の最高水準のもので、それなりに合理的なものであることを信じて 疑わなかったろう。  現在の脳科学や認知科学の研究者たちも、自分たちの 理論体系が現在の最高水準のもので、それなりに合理的なものであると 信じている。  しかし、脳にしろ人工コネクション・マシンにしろ、なぜある物質系に 心が生まれなくてはならないのか、その第一原理を誰も知りはしないのだ。  錬金術の体系の中にいた人たちは、大いにマジメで自信を持っていただろうと 振り返ることは教訓的である。  同じような意味で、現代の脳科学者や認知科学者も、大いにマジメで自信を 持っているのだ。  現在の知の体系は、「錬心術」=Alchemy of mindであると、一括りに し、距離を置くことが大切ではないか。  そのように認識して、初めて錬心術を超えるという視点が得られるのだ。  そんなことを田谷君に言っていたのは、山手線の目黒駅くらいだったか  こういう文脈で言葉を使っている人がいるのかとgoogleで検索してみると、 日本語で6件、英語で25件、「心の修養術」とか、「対人折衝術」 (特に恋愛関係)という意味で使われているらしい。  「錬心術」という言葉は『心を生みだす脳のシステム』の終章を書いている 時に脈絡なく思いついたのだが、考えて見ると一つの転機だったような気がする。  錬心術をやるということが重要なのではなく、現在の体系が全て錬心術だと 認識することが重要なのである。  じゃあ、心を生み出す第一原理は何なのか?  対称性? 保存則? 繰り込み? シニフィアンとシニフィエの実在論? 発散? ひもの絡み目? 離散の関係性? 時間の不可逆性? ・・・?  いずれにせよ、現代の錬心術者たち=脳科学者、認知科学者たち が思いも寄らない高度に抽象的な世界に答があることは間違いない。  そのような方向性が見えつつ、しかし答を示すことができずに、 知のカマトトたちをのさばらせている現状にいらだって、 私はオレンジ色のソファの上で身をよじらせた。  どうも、気分は『脳とクオリア』を書く以前の鬱々とした状態に似ている。    あれもこれも春のせいか。  机の上で、黄梅は散り、ハエトリ草の下のコケはもじゃもじゃの目を吹き、 私の心は何かを求めて落ち着かない。 2002.3.8.  筑摩書房の磯さんと増田さんがいらっしゃったので、 案内かたがた、初めてソニー本社の玄関右側のミュージアムに 行った。  「理想工場を建設せんとす」の設立趣意書や、 巨大なビデオカセット、ウォークマンなどが 置いてある。  井深さんが受賞した文化勲章も置いてある。  「プロジェクトXですね。」 と増田さん。  増田さんは、天性のヒューモリストである。  展示の最後に、木の桶のようなものがあったので、 おやこれはと見ると、戦後すぐに作られた 「電気釜」である。  「ソニーもこの頃まではカッコワルイ会社だったんですね」と 磯さん。  さすが、養老孟司さんや澤口俊之さんの担当だけのことはある。  新しいオレンジソファに3人がかたまってコーヒーを飲む。  ちくま社屋内は文学の森であると同時に、ビールの森であることが判明。 プシューとやるのが伝統らしく、そこで激しくも深いブンガク的会話が なされるらしい。  それでは、是非こんど蔵前へいかねばなるまい。  磯さんと増田さんがビールの森に帰った後、  須藤珠水さん、柳川透くん、田谷文彦くんと立て続けにいろいろ 議論して、結局12時から午後5時まで喋りっぱなしだった。  うーむ疲れたと五反田のビールの森、「あさり」に行く。  どうやら今のM1の三人のうち、二人はDに行くらしいということが 判明。  それじゃあ、XとYを足してZになってそれがΩにならなくてはならない。  まあ、一つどーんとやるかと乾杯する。  柳川、田谷とやる揺らぎとDynamical Adaptabilityの関係の 構想を練っていたら、阪大の柳田敏雄さんのことを思い出した。  そうだ、あの問題もあったのだ。  春は忘れていた大問題を思い出して志を新たにするココロの木の芽時である。 2002.3.9.  二つのプラスティックケースに入っている紙を引きずりだしては その上に並んでいる文字をじっと眺める。  昔の電子メイルを引きずり出したり、スケジュールソフトを 見て、何曜日が何日だったのか頭を捻る。  溜まりに溜まった出張精算を一気にやった。一番古いのは、2001年の 6月30日〜7月3日の帯広への出張である。国内10件、国外 3件の出張精算をしていない。我ながらあきれる。  ソニー貯金とか言っている場合じゃなくて、年度の末だから総務の人が困って、 締め切りだというのでどーっとやったのである。  領収書を全部プラスティックケースに入れておくというイノベーションを 思いつく前の出張精算は、もっと大変だった。リュックのポケットや 茶封筒やジャケットの裏に隠れた領収証を探し回る。  見つからない。  諦める。  今は函館未来大学にいるOさんは、海外出張の時など、総務に おみやげを持っていくついでに精算していたという。  見習いたいものである。  こんなにヒドイのは私くらいだろうと思っていたら、毎日新聞の科学環境部の Aさんも出張精算をしないという。  ちょうど、竹内薫と共通の話題でAさんとメイルをやりとりする 用事があって、出張精算の話を書いたら、「私も半年くらいやっていません。 もういまさらできない。どれがどのレシートかも思い出せない」 と返事。  自分よりヒドイ人の話で安心するというのも妙である。  世の中には下を見ればいくらでも下はいて、Gは、 大学に出張届けを出さずに、成田から事務に「これから 1ヶ月アメリカに行って来ます」と言ったという。  精算とかそういうレベルの話ではない。  やっぱりそうかと共感し、安心する。  確定申告もまだやっていない。 どういうわけか、毎年最終日になる。  零細商店のおばあさんが書類を前に呆然としているのを見ると心が痛む。  自然が、文字、規定の前に萎縮している。  ぱーっと飴やジュースを売って、仕入れがいくらで原価がいくらなんて、 そんなことは知ったことじゃなくて、 ただ余ったお金で生活している。  そんな人が、いくらいくらでどうなんだと言われて、 はてと首を捻っている。  オレもあれと同じだなと毎年思う。  自然人に税金の申告をしろというのは、もともと、 ジャングルの森の前に立って、お前らは炭素をいくら吸収して酸素は どれくらい吐いて、水はどれくらい出し入れしているのか報告せよと言うような ものなのではないか?  所得税を全廃して、消費税を20%にする。 その代わり税の上がりを低所得者層に還元するというのが一番良いのではないか と思う。  案外、その方がぐちゃぐちゃと書類を読むのを仕事にしている 税務署の人間が減って効率がいいような気がする。  ノーベル経済学賞を受賞したセンの言うentitlementの再配分は、 もっとソフィスティケートしたやり方でできるはずである。  今月は、まだSydneyに行ったり、大阪に行ったり、伊勢にいったりしなくては いけない。  Sydneyから帰ってきた翌日が、確定申告の最終日である。  さすがにまだ桜は咲いていないだろう。 2002.3.10.  二日くらい前だったか、 五反田駅を出て歩き出した時、  マンガを読んでいるおじいさんが目に入った。  バスの停留所の横にあるベンチは、ちょうど日溜まりになっていて、 おじいさんは気持ち良さそうにページをめくっていた。  毛玉が出て、ももけたセーター。うっすらと密生した白髭。  端正な横顔は、日焼けしていた。  あのマンガは、どこかで拾ったものだろうか。  そんなことを思いつつ、横断歩道を渡る。  都会では、どうして・・・  走って息が弾む。  都会では、どうして、自然人というものが居心地が悪いのだろう・・・  前から来る女性のスプリングコートを見て、 ミームのことを思った。  あのおじいさんが、もし、里山のたき火の横にいたら、とても 自然な感じがしたろう。  あの、セーターを着て日溜まりのベンチに座っている姿が 奇妙に見えたとしたら、それは、何かの過剰によるのではなく、 欠落によるのだ。  我々が神経系という遺伝系と別の情報系を持ってしまって以来、  とりわけこの脳が全てを人工的につくり出す都会では、 文化、情報の流れにカップルしていない自然人はいかにも異様に 見える。  文化、情報の媒介であるお金を持っていない人は、 遺伝系ではなく、神経系によって排斥される。  一人一人の人間ではなく、システムによって排斥されてしまうのだ。  インターネットの登場によって、それがもっとわかりやすい形で 現れるようになってきた。  expedia.comというマイクロソフト系のサイトでシドニーの ホテルを予約した。  私がどうしてこの会社がキライなのか、要するにセンスが悪いからだ。  Xboxを使ったら、DVDの端に傷が付く。それを「仕様」だと言う。  小学校の「お店やさん」ごっこでも見られないような無神経さである。  expediaでも奇妙な「仕様」に惑わされた。  「どの国の方でもご利用になれます」と書いてある。 ところが、電話のエリアコードが「間違い」だという。  これはアメリカに実在するエリアコードを書かないと通らないんだなと 思って、2、3回適当に入れたが当たらない。  仕方がないので、ボストンのエリアコードを調べて入れた。エリアコード以降は 私の番号だが、結局ダミーである。  そのくせ、credit card番号を入れる際に、私のbilling addressの 電話番号をもう一度入れさせる。  どうせここで本物を入れさせるのならば、なぜ最初からそうしないのか?  アメリカ以外の国の人が予約しようとしたら、「必須入力条項」 である電話番号のところで詰まることはすぐに判るはずだ。  それなのに何もしない。  誰もがボストンの番号を調べてダミーで入れるほど機転が利くわけでも、 不正直なわけでもない。  小学生のお店やさん以下である。  それでもここを使ったのは、40%くらいdiscountしていたからだ。  あの日溜まりのベンチのおじいさんに、  「マイクロソフトのサイトで電話番号を入れるところで苦労して、 ボストンのダミーのエリアコードを入れておきましたよ」と言ったら、 どんな反応をしたろう。  ネットが世界を覆いつつある時、私たち一人一人の中の自然人が 果たして摩耗しなくて済むか、これは良く良く考える必要がある。  とりわけ、マイクロソフトのようなセンスの悪い会社が覇権を握りつつ ある状況では。  もちろん、働く人一人一人にはセンスの良い人もいるだろう。 しかし、企業文化というものは案外動かし難いものである。  SUNやORACREのCEOがBill Gatesを罵るのにはちゃんとした理由がある。  シドニーへは今日の夜のナイトフライトである。  ダウンアンダーに初めて行く。 2002.3.11.  Bondi Beach。  iMacの青色のコンセプトになった場所。  市街地の南西。  ページを閉じる。  電子機器を使うなというアナウンスがあってしばらくして、 翼の上に緑の平原と、その中にぽつぽつと散在した赤茶色の 点が見えた。  しばらく目を凝らしてみたが、やはり家だった。  自然の岩がばらまかれているように家が建った郊外。  その瞬間、Sydneyというコンセプトが現実になった。  それでも、私を包んでいない。  やはり、旅は包まれることで始まる。  空港を出て包まれた。  St.James, New Castle、まるでイギリスのような地名 を見ながらCircular Quayで下りると、フェリーの発着場 があり、その向こうに白い貝殻が見えた。  オペラハウスは、ホテルの部屋からも見えた。  Etherportの常時接続があった。  シャワーを浴びた。  S氏とのランチで仕事が始まる。  久しぶりに脳が活性化している。 2002.3.12.  Sydney Opera Houseが向こう岸に見える sea food restaurant、BoyleでS氏と昼食を取った。  もともとオーストラリアだと思っていたら、 アメリカ生まれのようだ。  RosemountのChardonnayの2000年を飲む。 飲みながら、いろいろ議論した。  共通の知人が多いのに驚いた。  今日は、S氏の研究室を訪問して議論を続けることになっている。  S氏と別れた後、Sydneyの街をぶらぶら歩いた。  コンセプトとしては、アイリッシュパブのような店が欲しかったのだが、 なかなかこれというのが見つからない。  The Establishment Barというのに心を引かれたが、 どうも空間的な設いが広すぎる。  Cozyな感じがないのだ。  一番最初に訪れた外国がオーストラリアだったらどうなっていたろうな、 そんなことを思った。   15の夏、初めてVancouverに行った。まだ成田には人形町のシティエア ターミナルでチェックインしてバスで行く時代だった。  飛行機が降りて行き、プールやバックヤードがある家がキレイに 並ぶ風景を見た瞬間、ああ違う世界にきたんだなと思った。  ホテルにツアーが集められ、ホストファミリーの人が迎えに 来て、車で家に行き、いきなり二人の男の子と人生ゲームを やらされた。  子どもはこちらの英語で手加減しないし、 それまでの人生の中で、もっともチャレンジングな 瞬間だった。  あの一ヶ月で、私の人生はかなり揺らいだと思うし、 その過程でいろいろ醜いことも表出したような気がするが、  そのようなことは心の地層の奥深くしまわれていて、 滅多なことでは出てこない。  もっとも、あのような地層があるから、  私は今S氏とシドニーオペラハウスを見るレストランで 冗談を交えながら議論することができる。  ちょっとVancouverのdowntownを思い起こさせる風景の 中を歩きながら、あの15の夏から何が変わって、何が変わって いないのだろうとソウル・サーチングした。  しばらく散歩を続けた後、あきらめてマクドナルドに寄った。 ホテルに帰って、Victoria Bitter(オーストラリアで 一番popularなビールらしい)を飲みながらクォーターパウンダーを 食べた。何となく物足りなかったので、ミニバーの中にあった ナッツをむしゃむしゃ食べて、それから鈴木宗男の 喚問をTBSのnews iでちらりと見て、ふいっと寝てしまった。 2002.3.13.  初めてTMS(経頭蓋磁気刺激)を受けた。    エレーンが頭のてっぺんの左側にコイルを当てる。  「運動野は、もう少し前の方じゃないかしら」 と感じたが、確かに中心溝の位置を考えるとそこである。  ピンポイントで、コイルが当たっている。  「彼女はこれでPh.D.をとったんだよ」とS氏。  なかなか右手が動かない。  「こんなもんだよ」とS氏が言う。  「もっと強くしちゃえ」。  猿の気持ちがわかる。  いつ動くかと、右手をじっと見詰めていると、 何だか像がにじんで見えた。  やっと右手がぴくつ、ぴくつと動くようになった。  通常の随意運動と違って、最初に運動が起こり、 それを意識がよたよたと追認して行く。  理屈や知識では前から知っていたが、 実際に体験すると、不思議な感じがする。  エイリアン・ハンドのような気がする。  それでしきい値が決まったので、今度は別の部位に コイルを当てた。  TMSは、カチ、カチと音がする。  その度に、顔の筋肉も刺激を受けて、表情筋が収縮する。 世界が揺れる。  TMSを受けながら、ある作業をした。  University of SydneyのMain Quandrangleは、まるでケンブリッジの Trinity Collegeのようである。  オフィスに戻りながら、  「これでなぜ私が幸せかわかったろう」 とS氏が言った。  That's Newton's Tower, isn't it? と時計台を指して私。  水道の下を開けて、自慢のフィルターを見せてくれた。 「これがベストなんだ」  水を飲みながら、  「科学者はなかなかTMSをやりたがらないものだけど、 君がやってよかった!」 と言う。  今更である。  心理学科の人たちも3人加わって、ディスカッションする。  壁に、London, Tokyo, Sydney, New Yorkの時間を表示した時計が ある。  脳の模型がある。  有名人とのツーショット写真がある。  さっぱり変な人だなと思っていると、ワインを持ってきた。  午後5時過ぎ。イギリスでは、シェリーを飲む時間である。  結局、議論をしながら、ボトルを2本開けた。  もっとも、最後の方の議論は、パワーと性的魅力についての S氏の独演である。  私は時々茶々を入れるが、他の人は黙ってにやにや聞いている。  そのまま、歩いてすぐのインド料理屋に移動。  エレーンのボーイフレンドのスティーヴンと、S氏の現在の ガールフレンドババットも合流。  エレーンはアイルランド出身、スティーヴンはスコットランド、 ババットはフィリピンである。  S氏はアメリカだから、このテーブルにはオーストラリア出身は 一人もいないと言うと、S氏が、  「それがオーストラリアだ」と言った。  スティーヴンに、シドニーにはスコッティッシュの大きなコミュニティが あるのかと聞くと、となりのテーブルを指す。  赤ら顔のおじさんが8人でテーブルを囲んでいる。  ウィスキーのボトルが2本並んでいる。  やがて、フォークでグラスを叩いて、スピーチが始まった。  ぼんやりと店の雰囲気を味わっていると、  Are you feeling all right? とS氏が聞いた。  これで10回目くらいである。  S氏は、いつも携帯を持ち歩いている。大阪風に言えばイラチである。  大学の構内を案内してくれたが、とにかく草や木の生えている端の 方を無理矢理歩こうとする。  図書館の景色が良いといっていくと、大したことがない。あれおかしいな と言う。職員以外立ち入り禁止の場所に気付かずに入っていく。 その間携帯電話で話している。すぐ横に「禁止」の看板がある。  そんなことを思い出していると、また  Are you feeling all right? と聞かれるような気がする。  ババットとは、キャンベラからシドニーにくる列車の中で出会ったそうである。  That's what you call trainspotting! と言ったら、大いに受けた。  どうやら、TMSを受けても、私の言語野は生き残っているらしい。  カレーを食べて、コーヒーを飲んで、それで別れた。  タクシーの運ちゃんが無線で話す。最初は判るが、途中から まったく判らなくなる。それで、また英語に戻るような気がする。  どうもおかしい、いくらダウンアンダーなまりでもと降りる 際に聞いたら、  That's all right, mate. It was Arabic. と言った。  改めて横を見たが、アラビア人には見えなかった。  TMSの効果か、酒の効果か判らなくなったので、ソッコーで寝た。 2002.3.14.  Appleの初代のiMacの 色(Bondi Blue)の由来となったビーチを S氏と歩く。  ビーチが終わると、岩の断崖になっていて、その最後にBronteという 美しい名前の入り江があった。  そのカフェに座り、話し続ける。   ずっと話しているような気がする。  University of Sydneyのofficeに帰っても話して、 結局話して話して午後5時くらいにミッションは完了。  キャンパスのすぐ横にあるS氏の家まで歩いて、そこで 別れた。  タクシーを拾って、ホテルに戻り、 電子メイルを何件か片付けて、ふらふらと街に出た。  アイリッシュ・パブを求めて歩き始めた。  確かこのあたりに、とタクシーから見た方向に いくと、St. Patrick's があった。  Victoria Bitterを1パイント飲みながら、 考えたことをノートに書いた。  店の奥にポーカーマシーンがあった。 1ドル入れてしばらくやっていたら、Aが4つ出て、 7ドルになった。  コインをポケットの中でじゃらじゃらさせながら、 「そうだ、FOUR ACESだ!」と思った。  これで今回は本当に終わり。  Sydney Opera Houseの前のカフェに座り、Harbour Bridgeを 眺め、行き交う船を眺め、ビルの窓の輝きを眺め、ラザニアを 食べ、ワインを3杯飲んだ。  カウンタの女の子が2杯目にはにやにやし、  3杯目には私の顔を見るとDo you want another one? と言った。  最初の二つは赤で、最後がChardonnayだった。  Chardonnay。 あのバターを溶かしたような白が、 今回のSydney experienceを 象徴している。    Harbour Bridgeの上に雲がかかり、それがうっすらと地上からの光を 受けて浮かび上がり、地上の星の輝きと対照し、  私はワインをすすりながら頭を後ろにもたれかけて 今ここにはないものを考えていた。  そうか、アボリジニの人たちがこの文明に適応できないとすれば、 彼らが空を行く雲だからだなと思った。  雲は、文明に適応する必要はない。  私が目指すべきところはあの雲の切れ目の暗闇だと思った後、 しかしそれは自然に帰るという意味ではないと思った。   2002.3.15.  空港でDavid BodanisのE=mc2を買って 読み始めた。  白ワインを飲んでしばらく眠った。  目を開けたら、「刑事コロンボ」のPeter Folkがベッドに寝ていた。  そのまま映画を見た。Corky Romano。  どうも、ハリウッド映画は、「意味」というレイヤーではなく、 身体自体に作用するような気がする。  またE=mc2を読み続けた。  面白い。方程式の伝記だが、科学的な記述よりも (そっちはほとんど知っているから)、科学者の 人生の方が面白い。直線的に行く人はほとんどいない。皆、 フラジャイルで、危うくて、幸運がある。    オーディオを適当に回していておっと思う音楽があった。  日本語のようで、グレツキの悲歌のシンフォニーのようでも ある。ただ、もっと明るく、遠くまで伸びている。  案内を見たら、Hineraukatauri (Goddes of Love)と書いてある。 e=mc2の裏表紙に書き付けた。  帰宅後、アマゾンで調べるとHinewehi Mohi というマオリの歌姫の アルバム。さっそく注文する。  成田エクスプレスの中で読み終わった。  4人席の斜め前にカリフォルニアから来た男が座っていて、 その前に日本人の男が座っている。私の前には日本人の女が座っている。 話を聞いていると、カリフォルニア男はピアニストであり、 男女はAVEXらしい。  バンドを組む時に、リスクはアーティストが負うか、レーベル が負うかと議論している。  男が、「まあ、そういうややこしい話は、メシでも食べながら やりましょう」  というと、女が、  「そうだよね。少しヘビーな話からね」 という。  一貫して女は日本語で喋り、男は通訳する。  母国語で話すことがパワーの表示になるんだなと感心する。 もちろん、英語が話せないわけではない。  本は面白かったし、AVEXも面白かった。  あー面白かったと成田エクスプレスを降りた。  溜まっていた新聞を読む。  鈴木宗男のは見出しだけ飛ばし読みする。  この猿には、ほとんど興味がない。あまりにもレベルが 低すぎる。  この男についての記事が「面白い」と言っても、 それは、"e=mc2"の面白さとは意味が違う。  今や、  ただ早く消えてほしいだけである。  国会も、このような低レベルの話に政治的リソースを使うのは もったいないから、早くけりを付けるべきだ。  どうせ本人は辞めないだろうから、放っておいてシカトするのが いいのではないか。  外務省への影響力が失われた今、ムネオは外交に影響を 与える猿からタダの猿になったのだから。  「議員辞職決議案」よりも、「タダの猿シカト決議案」 の方が、末路にふさわしい。 2002.3.16.  確定申告に行き、税金を払い、ECVPのabstractを書き、 野村総研のヒトに会い、山手線に乗った。  もう約束の時間を30近く過ぎている。  ジュンク堂のビルに駆け込み、喫茶室の方に向かうと、 向こうから大場旦さんが来た。  スミマセンと言って、小部屋に入ると、港千尋さんが いた。  写真家である。「映像論」などの著作がある。年に 半年は外にいる。今日はこの人と対談するのだ。  ミルクティーを飲みながら港さんと話す。  エアーズロックやイェルサレムの「岩のドーム」の 話。  会場は鰻の寝床で、その真ん中に座る。  両側に人々が広がる。  サンタクロースは存在するかの話から始まって、 やがて「顔」が自己のイメージや他者のイメージに おいて果たす役割の話になった。  あれやこれやで2時間経って、お開きに。  ビールやワインを飲んで打ち上げ。  最後に、大場さんと港さんが映画についての オタク・トークモードになってついていけず。  まだまだ映画の修業は足りない。  今朝になって、Gouldが弾くpiano sonataを 聴いて思い出した。  私が最初に意識して聴いたクラッシックの曲は、 『月光』だった。  S盤で、表紙にピアニストが左側を向いている 写真があった。  父親がストラヴィンスキーの『春の祭典』を 買ってきた時のことも覚えている。  「アバドに撃たれた」とキャプションがあった。  記憶の連鎖が、春の空気の中に熔けていく。  確か2日前の朝には南半球にいたはずだが、 その過去は、「アバドに撃たれた」というキャプションを 読んだ少年の時と同じくらい手の届かないところに 離れている。  結局、港さんと話したかったことは、今ここにない 手に届かないものといかに交わるかということだった。  写真を語りながら、反写真も語れるところが 港さんの魅力である。 2002.3.17.  新しい言葉を見つけた。  柔らかな空気に包まれた公園を、30分走った。  ここのところのロード生活ですっかり鈍った足が、 それでも何とか体重を支えてくれて、  よたよたと木立の中を走った。    途中に梅林がある。  2週間ほどの前の土曜日に走った時は遠目にも 枝の先に白い点々が見え、  むしろが敷かれ、その上に人々がいた。  今はどうなっているのだろうとコースを外れた。  花弁は散り、赤いがくの部分だけが残る。  あるいは、その上に一枚二枚。  一つとって見て鼻に近づけると、 遠い雷鳴のようにかすかに。  そんな中、おや、蕾が残っていると思わせる枝が ちらちらと目に付いた。    時間の進行がばらけているのかと思った。  しかし、近づいて、良く見てみると、 こういうことだた。  花がぱっと開き、その後縮む。  希に、花弁が落ちずに、そのまましぼんでいくことがある。  その、落ちる寸前の姿が、あたかももう一度蕾になったように 見える。  もう生命の躍動は宿っていないけれども、踊っていた頃の 形がもう一度なぞられる。  ああそうかと思って、それで、私は 「蕾帰り」(つぼみがえり)という新しい言葉を見つけたの である。  老婆が、幼女のようなあどけない笑顔を見せる。  巨大太陽が最後に超新星爆発をする。  老人がぼけて、子どもに帰る。  これらは全て「蕾帰り」である。  木立を抜けながら、そんなことを思った。    家に帰ってgoogleで引くと、案の定そんな言葉はない。  「チャラタレ」と同じように、新語である。  ワールドビデオが壊れて、PAL が見られなくなった。  近くの家電店に持ち込む。  運転しながら、  本当に久しぶりに、A NIGHT AT THE OPERAというテープをかけた。  そうしたら、随分いい。    私はWAGNER主義者だが、OPERA愛好家ではない。  アリアのためにいちいち拍手喝采するのがばからしくて仕方がない。  観衆のスノビズムは耐えられない。  ストーリーラインの馬鹿らしさに閉口する。  それでも、やはりOPERAにはそれなりの生命がある。  単純な意味で、生きるということに寄り添っているということだ。 特にイタリアものは。  旋律も生きることに寄り添っている。  当然のことだが、歌いやすい。  バッハをハミングするのとは違う。  トスカの「星は輝き」が良かったので、巻き戻して もう一度歌った。  テノール馬鹿になりそうになった。  プッチーニは、なぜこんなにいい旋律をあっという間に 終わらせてしまうのだろうと思った。  「星の輝き」は一瞬で終わる。  人生とはまさにそのようなものかもしれない。    私が見いだした「蕾帰り」たちも、明日には風に散っている ことだろう。  たまには、イタリアオペラの生命主義に寄り添ってみるのも良い。  春は深まり、蕾帰りたちに星は輝いている。 2002.3.18.  渋谷の道玄坂横の「ツインズよしはし」でQualia IV。  今回のテーマは、「瞑想、仮想、現実」で、 金沢創さん、蛭川立さん、實川幹朗さんが 話題提供してくださった。  その他に、羽尻公一郎, nomad, @be, 東田、佐藤雅之、 やまねこ、iwasaki, かぶと虫斎藤、キクチザウルス、 石村源生、のはら、青山タクオ、 魚川、たろ、増井、AK、コロ、山下篤子、角谷、 KABUTO, FUKUMOTO、白田、矢部、山口、ふ で29名参加。  終了後、いつもは池上高志たちと行く BYGで飲み会。  ここは上の空間のしつらいが良い。  ほとんど貸し切り状態で話す。    日曜の午後、「ツインズよしはし」ー>「BYG」は 必殺黄金様式であるような気がする。  Qualia Vは「時間」をテーマに5月26日にやろうかと 思っている。  深夜、ホットなお茶を2缶飲みながら家まで歩く。  空気が柔らかく、暖かい。  沖縄の言葉で、一年で一番良い季節を「うりずん」というけれども、 今がうりずんだなと思う。    壁がある、境界がある、植え込みがある。  仮想の中で、これらの人工的な境界がなかった頃、例えば縄文の 頃のイメージを貼り付ける。  けっ、こんな境界、誰が付けているんじゃいとどしどし歩く。  歩いているつもりでいる。  しかし実際には道路の上を歩いている。  壁にぶつかれば、仮想は消える。  今日蛭川さん、金沢さん、野原さんと話したことは、 ひょっとしたらそんなことだったかと思い返す。  金沢さんがbk1に書評を書いてくださった。実質的な書評で、 ありがたい。  今朝になって、外に出るとやはり空気が柔らかい。  人は、柔らかさに包まれるといったささいなことで幸せに なれるものだなと思う。  今日、明日は大阪の生命誌博物館。  水曜から金曜まで伊勢神宮。  もっともいったん東京に帰ってきてJournal Clubをやる。   東京と大阪をピンポン玉が行き交う。  何だか、猛烈に仮想空間を疾走して行きたくなる。 2002.3.19.  何だかかちゃかちゃうるさいなあと思って プレーリードッグのように背を伸ばした。  斜め前の席が犯人だった。THINK PADを打っている。 ああはなりたくないなと思いながら、手許のiBookで powerpointの製作を続けた。  世の中には、キーボードをカチャカチャ打つ人と、静かに 打つ人の2種類いるような気がする。    京都から高槻はすぐ。  雨が降って、気温が下がっている。駅前に西武があり、その コムサでインナーを買おうとしたら、兄ちゃんとの会話で もう一個ジャケットを買う羽目になった。  店を出て首を捻る。  結局、Tシャツの上に古いジャケットのまま、JT生命誌館に 向かう。  高木さんに館内をいろいろ案内していただいている間に、 中村桂子さんがいらした。  実はお会いするのは初めてである。  広報に使うとかいうことで、ブローニー判のでかい機械で ぱしぱしと撮る。  しまった、やっぱりコムサにしておけば良かったと思うがもう遅い。  パチパチ写真を撮られるのは案外疲れるもので、  モデルが痩せる訳がわかりましたねと中村さんに。  サンドウィッチを食べながらの2時間の話は大変面白く、 脳についていろいろな新しい見方を思いつく。  終了後、ビールを飲みながら、生命誌館設立の経緯を伺う。  つくば万博のころ中村さんがまとめた生命科学に関するレポート が基礎になっていて、  思わぬ経緯で実現してしまったらしい。  館長には岡田節人さんと思い電話したら、 二つ返事で引き受けて、そのときの言葉が、「ぼくは重要な決断ほど 瞬間的にするようにしているのです」であったという。  岡崎の機構長を辞めて民間の一研究館に来てしまおうというのだから、 プロジェクトXの世界である。  そんなことを言う中村さんはひょうひょうとしていて、とても 大それたことをしそうな人には見えない。  アイデアと人には案外お金がつくものだなと思う。  私もクオリア関係の研究所のアイデアを練り上げてみようと思う。  中村さんは、5年かけて練り上げたそうである。  やっぱり、私は、国の予算を何百億、何千億と使って という話よりも、こういう話の方が好きだ。  再び東海道を時速200キロで東進し、CSLでのJournal Clubへ。 2002.3.20.  夜、宣伝部のKさん、Hさん、Uさんと。  Kさんは私の師匠である。というのも、  「アメリカングラフィティ」に出てくるような完璧な 髪型でありながら、実は過去40年間自分で髪を切っているのだ。  私も、95年秋の「ケンブリッジの決断」以来、自分で髪を 切っているが、非常に評判が悪い。  ボサノバというのは音楽のジャンルだけにしておけと言われる。  Kさんも、鏡を見ずに手で触って切るというのは私と 同じはずなのだが、  Kさんはアメグラで私はボサノバである。  7年と40年のキャリアの差が見た目で判る。  一生懸命となりのKさんを見るが、  にこにこ春の桜のように笑うKさんの髪は秘密を明かさない。  諦めて、竹筒から酔鯨を飲む。  再び新幹線に乗って、西進する。  今日からの研究会は、「認知科学における同一性」について 伊勢神宮会館で徹底的に議論しようというもの。  かなり危機感は強い。  池上高志の言う「トンチ問題」を解いている研究者が 世界の99.9%を占める。  専門誌は、トンチ問題を交換しあう場になっている。  一方、「われら数理的アプローチでござい」と言って 相変わらずきれいにまとまった数理的世界をやっている 物理屋やモデル屋がいる。  「サヴァン」能力の研究からもわかるように、実は 数理的能力など単純で、放っておけばかってに出てくる。  一番出て来にくいのは漱石やゲーテのような文学的 天才だが、  認知科学の一番ムズカシイ問題は、文学的天才と同じような センスを要求するところがある。  キモは、文学的天才が見ているような世界のexactnessを いかに表現するかであるが、ここで同一性の問題に抵触してくる。  そのどうしょうもない問題について、伊勢神宮の内宮の 「金色のポッキー」のクオリアに接しながら考え、何か 啓示を得ようという試みである。 2002.3.21.  どういうわけか、間違えて松阪で降りてしまった。  それで、各駅停車に乗って伊勢市までいった。  高校生がうわーっと乗ってきて、***やろぉーなどと言う。  いやー、この言葉の洪水はと思っているうちに着く。  午後1時からの予定だったが、まだ池上高志が来ていないというので、 まずは内宮に参る。  上流で工事をしていて、五十鈴川が濁っている。  私は何回目だが、郡司や田谷くんや入不二さんは初めてである。 初めて内宮を見るという体験を持つ彼らがウラヤマシイ。  まずは郡司の話。  私は郡司は好きだし、彼の話も好きだが、彼の話を無条件に 受け入れる「郡司教」の人たちは好きではない。  これは池上高志といつも言っていることでもある。  塩谷が郡司教のごとく郡司の話を擁護したので、激論になる。  郡司のは水墨画の世界で、どうしてそこに色が付くのか、 それを知りたい。  郡司教のヒトは、世界を水墨画にマップしろと言っている ように聞こえる。  ある種のナイーヴさ、世界全体の無視がある。    もっとも、ここには曰く言い難い難点があって、クオリアと 郡司の水墨画がどこかで接点があると思うから、一生懸命議論する。  午前2時まで議論して、午前5時に起きたので眠い。  今日の午前は入不二さんが喋る。  2002.3.23.  伊勢から帰ってきた。  二つの朝とも、目が5時に覚めて、 それからまだ人影がまばらな内宮まで散歩した。  屋根の上の「金色のポッキー」は、どんな天候でも、 どんな時間帯でも、不思議とそこだけ  日が差しているように見える。  二つの夜とも、日付が変わるまで酒を飲みながら議論した。 幾つか重要な論点が出たように思う。  それらを次回までの  「乱れ髪赤鬼」池上高志、「ナンデスカ仮面」郡司ペギオ幸夫、 「おしらさま哲学者」塩谷賢、「薔薇折り紙サヴァン」田森佳秀、 「ハンマー落としロボット屋」谷淳、「成層圏の黒の気配」入不二基義、 ・・・・・  やはり、ここに集まっているメンバーはこの世に類を見ない くらい「濃い」メンバーである。  伊勢からもどり、二つの意味で、俗世間に帰って きたような気がした。  神道とかそのような具体的なイデオロギーはどうでもいい。  とにかく、何か超絶的な気配に満ちた空間から出ていく。  根本問題を考え、ずっとそのことばかり語り合える仲間のいる 空間から、  イチローや辻本やムネオに興味を持つ世間へと出ていく。  もっとも、easy problemとhard problemが実は 抱き合わせのように、聖と俗も抱き合わせである。    おかげ横町は、日光江戸村のようなものだと思っていたが、 川沿いの店に入ると、そこには驚くほどauthenticな設(しつら)いの 空間が待っていた。  赤福本店で火鉢で手をあぶりながら待てば、 3本の線は実は一つ一つ手で作る指がナゾル跡であること。  塩茶やすすり茶、五十鈴川の鴨、川端屋の冷酒。 その中で語られること。  なぜ「心を説明する第一原理」を求めるのかという質問をされて、 私は、なぜか、「家なき娘」の熱い夏の日、喉が渇いて水がなく、 路傍の冷たい石ころを口に含むシーンを思い出した。  そう、私にとっては、クオリアの第一原理を求める心は、 熱い夏の日に口に含む冷たい石のようなもののような気がする。  新幹線の中でみそかつを食べて、びいるを飲む。  田森佳秀が、サンタという仮想の切実さについてやはり考えて いたことを知って、私は畏友に改めて瞠目した。 2002.3.24.  しばらく前、  紅白歌合戦の舞台にゲストとして上がり、 いざ喋ろうと思ったら声がなかなか出ずに、 慌てて水をもらったことがある。  とても面白いことを話そうと思っているのに、 何度水を飲んでも声が出ない。  演歌歌手たちが派手な衣装で私を見詰める中、あせりがつのり、 追いつめられて、喉が詰まったような感覚に注意が行き始め、 そこで目が覚めた。  目が覚める過程で、耳がはっきりしてきて、自分が 喉から絞り出すように小さな声を出しているのが微かに聞こえた。  覚醒すると消えていた。  夢を見る時には脳のある部分はむしろ覚醒時よりも盛んに活動 している。  その一方で、運動系には抑制がかかる。  夢を見させるようなランダムなアクティヴィティが 運動系でも起こったら、身体が勝手に動いて危ない。  実際、そのような病気があるらしい。  私はどうやら寝言を時々言う体質のようであるが、 自分の寝言を瞬間的にとは言え聞いたのは、「紅白歌合戦」の夢を 見た時が初めてだった。  今朝の目覚めは、ついにミュージカルを歌った。 3人の法律家が、私たちに死刑の判決を出して、 裁判所から引き出されていく過程で、私たちが 法律家に向かって歌う。  「きみたちなんか〜 どうせ〜 なにもかんがえていないんだろ〜 ほうりつなんて〜 くにがかってに〜 つくったものさあ〜」  やはり声が出ない。一生懸命声を出そうと思っているうちに 意識レベルが上がってきて、覚醒する前の2−3秒の移行期に、 自分がメロディーを歌っているのがはっきりと聞こえた。  そのメロディーは、目覚めた直後は明確に覚えていたのだが、今は 歌えない。  寝言はまだしも、寝ミュージカルは非常にマズイような気がする。  Monsters Inc.を見に行った。先日JALの中でCorky Romanoを 見て以来、ハリウッド系の映画に対する向き合い方が何となく判って きている。  腹は立たない。中華料理に行ったような気分である。  ヨーロッパ映画の良質なものは、ある観念として私の脳の 奥に入ってくる。  それに対して、ハリウッド系の映画は、全身に満遍なく作用してくる。 その作用の仕方は、マッサージやアルコールやお茶に似ている。  Monsters. Inc.は、良質な映画だった。  最後に、No Monsters Were Harmed During the Making of this film.とある。  これがジョークだと判るということが人工知能のフレーム問題である。  完全デジタル上映は初めて見たが、スゴイ。  完全にフィルムの映画を超えてしまったような気がする。  Pixarもこれが歴史的なことだということは判っているらしく、 予告編の代わりにFor The Birdsという短編フィルムを流していた。  このような歴史意識も、実はヨーロッパ的なコンセプトの実在性 に対する感覚とつながっている。  辻元問題だが、これはニュースではないだろう。  国会議員全員について、過去数年の秘書給与の 流れをつかんだら、これはニュースである。  果たして何割の人が辞めなくてはならなくなるか。6割くらいか?  ある種のニュースは、事実を明かにするのではなく、 事実を隠蔽する方向に作用する。  このあたりの事情を表現するのに、英語では、informationに対して、disinformationという便利な言葉がある。  6割なのに1人だと思わせるのも、disinformationである。  内心びくびくしながら沈黙している国会議員たちは、 全員が「金の斧です」と言っているようなものではないか。 2002.3.25.  伊勢に行っている時に、 PHSが、どうしても発信できない。  東京駅から新幹線に乗って、名古屋に着いて、 伊勢に向かう間、メイルを読もうと思って何回やっても発信できない。  おかしいな、AirH"のせいで混んでいるとは聞いたが と思いながら伊勢についた。  羽尻公一郎が少し離れたところに座っていたので、そこにかけて みると、ちゃんとつながる。  なぜかその後はちゃんとつながって、翌朝になるとまたつながらなく なった。  こういう妙なことがあるときは田森佳秀に聞けば知っているだろうと 思って聞くと、案の定知っている。  「そういう、特定の場所と時間につながらなくなる不具合がエッジには あるらしい。店に行ってその症状を言ったら、間髪を入れずに「故障です」 と言われた」という。  この種のことについて、田森の言うことはまず間違いない。 何しろ、電車の中で「あの薔薇の折り紙何回くらい折るの?」 と尋ねたら、「ちょっと待ってね」としばらく沈黙して、5分後くらいに 「76回」と答えた疑似サヴァンの男である。  (最近、学生が件(くだん)の薔薇の折り紙の過程をCGで再現して、 76回であることを確認したそうである)  土曜に機種交換に出かけたらちょうど明日で10ヶ月でそれまで できないというので、日曜に再び近くのコジマ電機に出かけた。  DDIにファックスを打ったり、データを移している間にヒマ だったのでそのあたりを歩いていて、ついセイコーの電子辞書を 買ってしまった。  ワールドビデオも修理されて戻ってきたので、記念にInspector Morseを買うことにする。    どうも池上高志といる時のクセが高じてしまって、歩きながら 英語を喋っている。店の人などにも喋っている。  自分でもとんでもないなと思ったが、考えてみると言葉というのが 伝わると思うのがそもそも間違いである。  実験的に、近くにいた2歳の子供に一般相対論について喋って見たが、 何とか会話が成立している。  言葉が通じているかどうかあまり気にしないでとりあえず喋り 続けるというモードがあってもいいのではないか。     池上高志の言う、「コンテクストを無視して喋る」ということは、 実は言語の本質に通じているなと思う。もっとも別のアプローチが あっても良くて、一講演で100万円とる堺屋太一のような人は わかりやすい話をしないと聴衆が怒りだす。  一度生で聞いたことがあるが、その時はうんうんと非常に納得した ような気がして、後に何も残らないという、上質な日本酒のような話だった。  10年経った今は、何も残っていないのがその証拠である。  森巣博というシドニーのバクチ打ちの「無境界の人」(集英社文庫) を読んでとても面白かったのだが、sidekickのヤスに出会う ところが面白い。  カジノで「日本人ですか?」と聞かれたヒロシは、  「日本人って何だ?」と答える。  バクチの人生論に混ざって日本人論が展開されて、上智の Wなどが血祭りに上げられるのだが、確かに「日本人」なんて ないと思った方が創造的なことは確かである。  そりゃー、平均化して、ざくっと切れば、「こういうのが日本人だ」 という傾向はあるだろうよ。しかし、例外や極限の方が常に 面白いのでね。揺らぎもあるし。  言葉の意味などないと思っているほうが、創造的なことは 確かである。言葉が通じないのは貴重なことだ。  郡司や塩谷の真性異言を人々がうんうん唸りながら聞いている 状況こそ、もっともビューティフル・マインドである。  エッジが通じなかったおかげで、こんなことを考えた。 2002.3.26.  しばらく前にタクシーで、 女のDJが視聴者からの手紙を読み上げた。  その後、 「年を取るにつれて自分が次第に男性の興味を 引かなくなる。このことを学ぶことが、 女の人生の全てだと思うんですよね。」 と言っていた。  他の部分はくだらない番組だったが、ここだけが印象に残った。  「若い時には若いということ自体が自分の実力の一部 になっているということに気がつかなかった」という話も聞いた。  男も女も、年を取るということは仕方がない。  若い時が過ぎ去ってしまったということは、逆に言えばそれだけ 若い時の様々な経験の「貯金」があるということで、老人が 追想の中に生きるというのはある意味では合理的なことである。  郡司ペギオ幸夫がかってこんなことを言っていた。  「おれは、朝の海岸にアロハシャツを着て 立っているようなジジイになってやる。それで、黙って煙草を吹かしながら 波を見ている。それを見て、若者たちが、おい見ろよ、あの人が 伝説のサーファーなんだぞと噂する。ところが、本人はサーフィンなど 実はしたことがない。そんなジジイになれたら最高だ。」    友人には恵まれていると思う。  田森佳秀と、伊勢のおかげ横町の「川端屋」で日本酒を飲んだ 時は面白かった。  故郷の帯広川の河川敷が冬になると凍る。粉雪の層の上に 薄い氷の膜ができる。その上を、手足をついて体重を分散させながら 這っていくと、何とか川までいける。  ある日、失敗して雪の中に落ちてしまった。子供だから、 首までざぶんと潜る。深い所は頭の上まである。非常に危険な状況だ。 田森は、そこで、落ち着いてしばらく考えた。 それから、息を思い切り吸って、深い雪の中を 猛然とダッシュした。そうやって深いところを乗り切って、 浅い所についたら首を出して一息ついて、また息を止めて ダッシュする。そんなことを繰り返してやっと「生還」 したという。  こういう面白い話をできるジジイになったらなってもいいのでは ないか。  ババアだって同じことで、しおれつつ、つぼみに還っていく、 そんな生き方は可能だと思う。  原節子は1920年生まれ。1962年以来、公の 場所に姿を現さないが、「東京物語」、「麦秋」、「晩春」などの 映画の中に永遠に生きている。  原ー小津コンビは映画史の奇跡である。  つぼみ還りという言葉は、原節子やオードリーヘップバーンの ような女性にふさわしい。 2002.3.27.  松岡正剛さんが「千夜千冊」の五百冊を達成した記念の トークと、パーティーに出席。  光藤くんと田谷くんを連れていく。  松岡さんに最初にお会いしたのは2000年の夏だったが、 随分いろいろなことを学んだと思う。  一つ、はっとさせられたのは、世界を構築する時の 概念セットとして、やまとことばを使うことを我々が「封印」 してしまっているという事実である。基本概念セットとして、 漢語、カタカナ語、翻訳語など、外から入ってきた言葉たちを使っている。  これは、考えてみればおかしい。  最初に松岡さんの「日本流」や「フラジャイル」を読んだ時に、 非常に新しい感じがしたのは、そのためだったのだろう。  トークの中で私の心が特に強く反応したのは、「越境」という 言葉であり、内村鑑三の「ボーダーランド・ネーション」としての 日本の構想であった。  最近、私も、そうだ、ボーダーランドでいいんだと思うことが いろいろあり、「越境」の意志を再確認する。  パーティーでは、 私にとって、ひさびさの衝撃の出会いが待っていた。  ビールを飲んでふらふらしていると、さささと来て、 「あそこにいらっしゃるのが大澤真幸さんです。」 と言われたので、ふっと振り返った瞬間に、脳の中を 衝撃波が走って、津波のように押し寄せては引いていった。  「え"」  大澤さんのことは前からいろいろ知っていて、郡司ペギオ幸夫にも 話を聞いていた。先日は、読売新聞に「心を生み出す脳のシステム」 の書評を書いて下さった。私の中で、大澤さんのあるイメージが できていた。  Jerry Seinfeldは、「ジョークの落ち」の鉄則を言う。 ジョークの落ちとはギャップを超えたジャンプのことであり、 ギャップが大きすぎると落下してしまう。 ちょうどスリリングに飛び切ることができる距離がよい。  仮想の大澤と、現実の大澤の間の関係が、まさにSeinfeldの言う 絶妙なギャップだったのである。  あ、この感じは、郡司に会った時とそっくりだなと思った。  意外な感じがして、実は、最初からそれを知っていたような 既視感がある。  伊勢で、郡司が、「茂木さんと大澤さんと私を並べると、茂木:大澤 が大澤:郡司に等しくなるが、三角形は閉じない」というようなことを 言っていたけども、その意味がなんとなく判った。  帰りの電車の中では、田谷と二人で神経科学は馬鹿だ、神経科学の 中にいたんじゃ、何も判らないと管を巻いた。  本気で心脳問題を解いてしまうつもりである。 2002.3.28.  <うそ>を見抜く心理学、浜田寿美男著 読了。  芥川竜之介の「薮の中」を冒頭に、犯罪捜査において えん罪が作られていく過程を描く。    理化学研究所に入って間もなく、御徒町を歩いていて、若い男がおじさん を追い掛けてきて、殴ったことがある。  おじさんは後頭部から倒れて、血が出て気を失ったが やがて意識を取り戻した。  私も、一緒にいた友人も、若い男が来ていたジャンパーは黄色と 確信していたのだが、やがて警察官に引っ張られてきた 男のジャンパーの色は赤だった。  これはおかしいというので、警察官に言うと、パトカーに乗せられて 上野署まで連れていかれた。  名刺を渡して、証言の必要があったら何時でも、というと、 刑事が、「本人が認めているからね。」と言って、結局連絡はこなかった。  一体、真相は何だったのか?  私も友人も、ジャンパーは黄だと確信していたのだ。  去年の漱石の子供の絵を買った時に、玉英堂の人に、「これは本物 だとどうして判るのか?」と聞いた。「うちが保証する、 それしかない」という答。  それで、一瞬で、ははあと悟った。  真贋の問題を本当につめて考えたことがなかったのである。  極端な話、自分の目の前で漱石が絵を描くのを見ていたとして、 漱石が「じゃあ」と去って行ったあと、部屋に入ってきた友人に、 これは確かに漱石が書いたと、どう証明するのか?  作品は、その人の肉体との接触を止めた瞬間に、独自の 流通を始める。  犯罪という出来事も同じことで、犯人の肉体がそのイベントとの接触を 止めた瞬間、真贋問題を決着することは困難になる。  間接証拠に基づいて裁判する裁判官の「心証」など、 「御主も役者じゃのう」の類の話だろう。    結局、犯罪は、それがおきてしまったということ自体が人類に とっての敗北だということに尽きるのではないか。  犯罪の結果というものは、原理的に現状回復不可能なものなのだと思う。  真贋関係なく、犯人を仕立てて処罰しないと気がすまない素朴心理学 というものがあって、よほど注意してかからないとマズイ。  これが遠い歴史の話になると、もういけない。  邪馬台国問題にしても、日本語の起源にしても、真贋は 原理的に決定不可能だということを受け入れた時、  悠久の時間の中で、不可視の過去を背負って生きている フラジャイルな私の今が照射される。   2002.3.29.  年度末で、いろいろやらなくてはいけないことがあって、 時間がぎゅっと詰まっていく。  行き帰りに、野口武彦の「幕末気分」を読んでいる。 ページから眼を離して人々の流れを見ると、この人たちは (自分も)ちょっと前だったら着物に刀だったかもしれないな と思う。  脳は、新しい状況にあっという間に慣れる。  阪神大震災やオウム事件があった1995年の春、我々は、 町並みが突然こんなにも変わって見えるとはと驚いたのである。  9・11でもそうだが、突然世界の見え方が変わる。 そのような、劇的な適応力を脳は持っている。  「幕末気分」を読んでいるのは、何となく今変化への圧力が 社会に充満しているなと感じるからだが、逆に言えば、そのような ものを感じとって先取りしようとするのが我々の脳だということに なるだろう。  幕末、空からお札が降って、人々が「ええじゃないか」と 踊ったという史実には昔から興味がある。  今この季節は、お札ではなく、桜が散っている。  公園の中を抜けて、桜の木の横を抜けて、駅に向かった。  ああ、美しい。  そんなことを漱石の「こころ」の「先生」が言ったようにも思うが、 私も思わず「ああ、美しい」と言葉を漏らした。  その美しさが、あっというまに新緑と空の青に変わっていく。  もし、空から、全面の空から、お札ではなくて、桜の花が ちらちらと降り続けたら。それが、何日も何日も止まらなかったら。 道路の上にうずたかく積もったら。  我々が迎える「幕末」は、そのようなものであったら いいと思う。  少なくとも私の心は、がらがらどんを待ち望んでいる。    今日から日曜まで鹿児島に遊びに行く。指宿は雨のようである。 2002.3.30.  指宿に来た。  鹿児島空港で車を借りて、前が見えない豪雨の中を南下した。  桜島を背景に走るのが好きだ。  そう思って港に行ったが、島影も見えない。  和田ラーメンで「醤油」にして「塩」のようなラーメンを食べ、 早めに指宿入りした。  指宿に来たのは8年ほど前である。中村亨の結婚式の司会をした 後、礼服を羽田のロッカーにぶち込んで飛んだ。   確か、あの時は場末のストリップ劇場の前にある旅館だった。  道路側の部屋で、向かいの劇場の赤い光がちらちらと さしこんできていたはずと探すと、  千成荘はあったが、向かいの指宿ショー劇場は廃業して、 「関西よりタレント多数来演!」のペンキ文字がかすれていた。  夕刻、白水館にチェックインする頃には雨が上がって、 錦江湾沿いの庭を散歩する。  風呂に入る。露天から、空飛ぶツバメを見る。 トンビを見る。  ビールを飲みながら、薩摩焼の大壷を見る。幕末、パリ万博に 出品されたもの。  再び風呂に入る。露天で、鳥が飛ばなくなった青黒い空を見る。  飯を食う。森伊蔵を飲む。    そうしておいてから、錦江湾と向き合った。  私は錦江湾が好きである。種子島へのフェリーからうねり、漂い、 黒光する陽光の下の海の風情を見るのが好きである。  月が出ていて、海の上に道ができている。  対岸が、手にとるように見える。  十数年前、カナダのchain of lakesでカヌートリップをやった。 その何泊めかに、テントから月の湖を見て、こんなに近く見える ものかと驚いた。  何となく、Chitty Chitty Bang BangのHushabaye Mountainを 歌った。  あの時と同じくらい錦江湾が手許にぎゅっと詰まってきている。  掌でころがせるように感じられる。  人生とは、結局メタファーの内在化と外在化であると悟る。 2002.3.31.  吹上浜は、日本三大砂丘の一つ。 5ー6月にはウミガメが産卵に上ってくる。    道路は、砂丘のはるか内側を通り、なかなかそれに触れることが できない。  入来浜でやっと海辺に立つことができた。  砂丘が海を抱え込むように彎曲しているので、  両側に延々と続く白い弧を見渡すことができる。  妄想が湧いてくる。  どこまでも、ずんずん歩いていきたくなる。 50キロメートルから60キロメートルというから、  端から端までまる一日かかるだろう。  巨大さの一部にいる限り、見えるのは足下の砂だけである。  思い付いて、 qualiaと落ちていた小枝で書いて、  波が打ち寄せ、それを消していく様子をビデオで撮った。    砂浜のあちらこちらに線が引かれており、 その線の最後に楕円の貝がある。  そんな線と貝がいたるところにあって、 なんと言う貝か知らないがすっかり面白くなって、  貝と線をデジカメでパチパチ撮った。  そのうち、慣れてきて、  線の太さを見て貝の大きさの見当が付くようになった。  しかし、このあたりは、鑑真が来たり、遣唐使が出ていったりと、 国家レベルの歴史の色の濃い場所である。  今は、かろうじて鋪装されている細い道でつながっているところも あって、何であれ、特筆大書されるものとは無縁のように 感じられる。  砂浜のあちらこちらにある「一」の字とそこに潜む貝が、 いかにも相応しい。  このような場所が私は好きである。  すっかりクオリアのことも忘れて気分転換になったなと思っていたら、 夢の中でノーベル賞学者が今興味あるのはいかにして人間の病気を 直すかという宗教的問題だと妙なことを言った。  病気を客観的に記述している限り、そこにはハードプロブレムは なく、病気の主観的体験を問題にして初めて面白くなる、 と抗議したところで目が覚めた。 2002.4.1. Qualia mlへのApril foolの投稿  イギリスの友人に聞いたのですが、 最近ヴィットゲンシュタインの未発表の草稿が見つかったとのことです。  なぜ日本で報道されないのか不思議に思ったのですが、 どうもまだイギリスでも報道されていないらしい。  トリニティカレッジの哲学関係者の極く一部しか知らないようなのです。  それとともに、新たなエピソードも聞きました。  晩年、ヴィットゲンシュタインは、有名な 「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」 という言葉について、  「だけど、ルートヴィッヒ、君は、あのようにして、実は 『語り得ぬもの』について間接的に言及しているじゃないか!」 と親しい友人たちにからかわれると、何とも言えない 表情を見せた。それは森の精とも、北ヨーロッパの神話の神とも どちらともつかないような奇妙な表情で、友人たちは感に堪えず 「ルートヴィッヒ! 君は、神が人間の知性を惑わすために 送り込んだトリックスターに違いない!」と叫んだということです。  この表情をとらえた写真が実は一枚現存するようです。 トリニティカレッジの奥深くに秘蔵されており、 ヴィトゲンシュタインの死後100年を期して公開されるという ことです。  今まで流通している、あのモデルのような端正な写真とはあまりにも 違うヴィトゲンシュタインの一面がとらえられているため、関係者の 希望で、100年間は非公表とするということで、トリニティの 歴代のマスターだけが見ることができるということ。夕食の後、 ポートを飲みながらこの秘蔵写真を眺めて、マスターたちはゆっくりと 時間を過ごすということで、トリニティの「三種の神器」に近い扱いを されているらしい。後の二つは、ラマヌジャンがハーディーに最初に 送った手紙と、ニュートンが食事に使ったと伝えられているりんごの 形に染みができているナプキンだということです。  さて、今回発見の草稿ですが、「語り得ぬものについては沈黙 しなければならない」が語り得ぬものについて間接的に言及している というパラドックスを内包しているのと同じように、 「我々の感覚するものの現象学的性質は、言葉では表すことが できない」という言及に対する画期的に新しい視点を含んでいる ようです。  現代的に言えば、クオリアは語り得ぬものであると間接的に 語っている点について、ブレイクスルーをもたらすような視点が 述べられているらしい。  草稿の最後には、「私は感覚質問題について驚くべき解決を 見い出したが、それを書くにはこのスペースは小さすぎる」 と書かれているようです。  実は、晩年のヴィトゲンシュタインは 毎日古い絵葉書一枚に一つづつ、アフォリズムを書いて、密かに それをイギリス中の古書店に名前を秘して売り払っていた という根強い噂がある。時折、古書店に束になって置かれた 絵葉書の中にヴィトゲンシュタインが書いたアフォリズム が発見されるということで、哲学科の学生ばかりか、教授までも 時々地方都市に遊びに行くと、片手に筆跡のサンプルを持ち、 そわそわと古書店で 絵葉書のアルバムを繰るということです。  最近、どうも、ノッティンガムの古書店で、ヴィトゲンシュタインが 書いたと思われる絵葉書が発見されたらしい。  一瞬、そのjpeg fileがweb上に載せられたが、すぐに消えた ということです。  それを偶然見た人によると、その絵葉書には、  「語り得ぬことについては沈黙しなければならない、ということに ついては沈黙することができない!!!」  と、非常に強い筆圧のエクスクラメーションマークとともに 書かれていたということ。  その人がファイルをローカルに落とす方法を知らなかったので、 jpeg fileを保存できずに、残念がっていたということです。    私が知る情報は以上です。  彼からの別のメイルによると、 ヴィトゲンシュタインはどうもクオリア問題を 解いてしまっていて、それを書かなかっただけなのではないか という伝説が伝えられているそうです。  クオリア問題を解いてしまったという確信はヴィットゲンシュタインの 立ち振る舞いに現れていて、特に、「イーグル亭」で、 ヴィトゲンシュタインが ビールを飲む時に、舌をぺろりと動かす何とも言えない 動作に現れていたという言い伝えがあり、哲学の学生の間で、 ビールを飲んで舌をぺろりと動かすまねをするのが伝統に なっているとのこと。  いずれにせよ、草稿が一日も 早く公開されることを望まずにはいられません。 2002.4.1.  串木野は、金山の一部が観光できるようになっていて、 トロッコ列車で山の中に700メートル入っていった。  ところどころに「立ち入り禁止」の看板があり、 その先が想像力をかき立てる。  全部つながっているわけだから、観光用に公開されている 坑道からさらに先へ先へと行くことができるはずだ。  総延長が120km。  そのほんの先端だけを触って、地上に戻ってくる。  桜島が見える船着き場で「我流風」(がるふ)のラーメンを食べ、 それから、桜島を背景に全速力で走った。  桜島を背景に走るのは、前回訪れた時以来の「伝統」 になっている。  あの姿を見ると、なぜか走りたくなるのだ。  空港に向かう途中、蒲生の「日本一の大楠」を見る。  満開の桜のアーチを潜って、神社の境内へ。 樹齢1500年と推定される楠は、根の部分が異様に膨らみ、  木とは思えない、異様な姿を現していた。  幹の周囲を歩き回ったのは、せいぜい5分くらいのこと。  様々なメタファーが立ち上がった。  長い間そこにあり、変化し続け、それが蓄積されることによって、 あるものが全く別の何かに変質する、そんなことがある。  これは、木ではない。私たちが慣れ親しんでいる「木」ではない。 何か、全く別のものに変質しようとしている、その現場を私達は 目撃している。  そして、そのメタモルフォーゼはついに達成されることなく、 この巨木は、やがてある日、力つきて枯れていくのだろう。  この巨木は、もはや一つの「制度」になっている。  その樹皮の上には、コケやシダや様々な着生植物が生い茂り、 樹皮を大地として暮らす生き物たちにとって、安定した「制度」 となっている。  このような「制度」なしに、生き物たちの有機的な発展は あり得ない。  命の営みは、大きな安定の枠組みがあって初めて成立するのだ。  そうか、地球も全く同じことだなと気がついた。  蒲生の楠が、樹齢1500年の安定した「制度」として、その上に 様々な命の営みを支えているように、  地球も、齢45億年の土の塊として、その安定した「制度」の上に、 様々な命の営みを支えている。  楠も地球も、それだけの長い時間安定した制度として続くことによって、 初めてその上の豊かな生命の多様性が導き出された。  蒲生の楠は、まさに、小さな地球なのだ。  鹿児島空港でビールを飲みながら飛行機を待っている時に、 いわゆる競争主義が行きすぎた時の病理現象は、蒲生の楠を回っている 時に感じたことでほとんど尽きているのだということに気がついた。  人々を時間的余裕のない競争に駆り立てるというメタファーと、 安定した大地の上で豊かな生態系を育むというメタファーは全く 違う方向を志向している。  そして、競争のメタファーは、結局、安定した何かの上に 育まれた生態系の上にただ乗りするだけなのだということが 直覚された。  底の浅い競争主義に対抗するテコの支点が見つかったように思った。   2002.4.2.  行き帰りの読書は「ボヴァリー夫人」。  ドストエフスキーの主要作品を30歳を超えて読んだくらいで、 読むべき本で読んでいないものは多い。  半分まで来たが、リアルである。  現代的な視点から見れば普通の小説だろうが、当時は 画期的だったのだろう。  モーツアルトが出た後で「モーツアルト風」の曲を作ることは案外 簡単なように、  新たなジャンルを作ることは難しく、後追いすることは 簡単である。  CSLで、田谷くんや光藤くんと喋る。  年度替わりで、それなりにいろいろ考えなくてはいけないことがある。 喋りながら仕事を片付けて、また喋る。  喋っているうちに、時間が来た。  渋谷のモアイ像前で、NHK出版の大場旦さんと待ち合わせ。 「心を生みだす脳のシステム」が4刷になるので修正の相談と、 「2年後くらいに心脳問題の次のブレイクスルーについてど〜んと 書きましょう」という話。  何でも、2年後にNHKブックスが1000冊になるらしい。  「アルコール依存症患者がそこから立ち直る ためには、自分の現状を徹底的に客観化して憎む、そういうプロセスが 必要だそうです。私としては、脳科学、認知科学、人工知能、 そういった心を巡る諸科学の現状を、「錬心術」として切り離して、 その現状を真の意味で超える、新しいパラダイムを提示したいと 思っているわけです。やはり、現状に嫌悪感を抱くことが 必要だと思うわけです。現状がご立派だと思っていたら、 いつまでたっても「錬心術」を超えることはできない!」 私はそう力強く言って、どんと机を叩き、ビールを飲み干した。  「どん」の後で、そういえば、先日、パーティーで大澤真幸 さんとお会いしました と言ったら、「原稿追い込み屋」の異名をとる大場さんの目が キラリと光った。  「大澤さんに、6月下旬に刊行ということで原稿お願いしているんですけど ね〜。連休前に原稿もらわないと、こちらも困るんですけど。まだ、 原稿が全然上がってこないんですよ。大澤さん、何時くらいまで会場に いました?」  「えーと、11時くらいには、『じゃあ、これで』と帰っていたように 思いますが・・・・」  「本当は、そんなところにいる暇はないはずなんですけどねえ〜」  「いや、ちゃんと帰っていましたよ、ちゃんと。」  私は、慌てて取り繕った。  しばらく前に見たYes, Prime Ministerで、Sir Humphreyが、 首相になるための資質の一つとして、killer instinctがあると言って いたのを思い出した。  「殺し屋本能」は、優秀な編集者の条件の一つでもあるのかもしれない。  大澤真幸さんは、林家ペーに似ていますね〜、いや〜、 書くものと外見が全く一致していないという点では、郡司と同じですね。 その意味では、港千尋さんは一致していましたね〜 と私。   そうそう、みんな、ぺーだぺーだと言っていますよ。わはは。 と大場さん。    郵便局でamazon.co.ukの荷物を受け取って帰る途中、何となく 光が丘公園の中を抜けて通りたくなった。  暗がりを段ボール箱を抱えて歩いていると、 木の陰にカップルが立っていて、なにやらひそひそ喋っていたが、 そんなことも月の影に消えてしまった。 2002.4.2. 行き帰りの読書は「ボヴァリー夫人」。 ドストエフスキーの主要作品を30歳を超えて読んだくらいで、 読むべき本で読んでいないものは多い。  半分まで来たが、リアルである。  現代的な視点から見れば普通の小説だろうが、当時は 画期的だったのだろう。  モーツアルトが出た後で「モーツアルト風」の曲を作ることは案外 簡単なように、  新たなジャンルを作ることは難しく、後追いすることは 簡単である。  CSLで、田谷くんや光藤くんと喋る。  年度替わりで、それなりにいろいろ考えなくてはいけないことがある。 喋りながら仕事を片付けて、また喋る。  喋っているうちに、時間が来た。  渋谷のモアイ像前で、NHK出版の大場旦さんと待ち合わせ。 「心を生みだす脳のシステム」が4刷になるので修正の相談と、 「2年後くらいに心脳問題の次のブレイクスルーについてど〜んと 書きましょう」という話。  何でも、2年後にNHKブックスが1000冊になるらしい。  「アルコール依存症患者がそこから立ち直る ためには、自分の現状を徹底的に客観化して憎む、そういうプロセスが 必要だそうです。私としては、脳科学、認知科学、人工知能、 そういった心を巡る諸科学の現状を、「錬心術」として切り離して、 その現状を真の意味で超える、新しいパラダイムを提示したいと 思っているわけです。やはり、現状に嫌悪感を抱くことが 必要だと思うわけです。現状がご立派だと思っていたら、 いつまでたっても「錬心術」を超えることはできない!」 私はそう力強く言って、どんと机を叩き、ビールを飲み干した。  「どん」の後で、そういえば、先日、パーティーで大澤真幸 さんとお会いしました と言ったら、「原稿追い込み屋」の異名をとる大場さんの目が キラリと光った。  「大澤さんに、6月下旬に刊行ということで原稿お願いしているんですけど ね〜。連休前に原稿もらわないと、こちらも困るんですけど。まだ、 原稿が全然上がってこないんですよ。大澤さん、何時くらいまで会場に いました?」  「えーと、11時くらいには、『じゃあ、これで』と帰っていたように 思いますが・・・・」  「本当は、そんなところにいる暇はないはずなんですけどねえ〜」  「いや、ちゃんと帰っていましたよ、ちゃんと。」  私は、慌てて取り繕った。  しばらく前に見たYes, Prime Ministerで、Sir Humphreyが、 首相になるための資質の一つとして、killer instinctがあると言って いたのを思い出した。  「殺し屋本能」は、優秀な編集者の条件の一つでもあるのかもしれない。  大澤真幸さんは、○○に似ていますね〜、いや〜、 書くものと外見が全く一致していないという点では、郡司と同じですね。 その意味では、港千尋さんは一致していましたね〜 と私。   そうそう、みんな、○○だ○○だと言っていますよ。わはは。 と大場さん。    郵便局でamazon.co.ukの荷物を受け取って帰る途中、何となく 光が丘公園の中を抜けて通りたくなった。  暗がりを段ボール箱を抱えて歩いていると、 木の陰にカップルが立っていて、なにやらひそひそ喋っていたが、 そんなことも月の影に消えてしまった。 2002.4.3.  CSLでのJournal Club。  今日は須藤さんがジョセフソン結合素子を使った回路の Top down設計の話、  関根くんが両手のコーディネーションの話を紹介する。  いろいろ面倒なことがあって、ちょっと消耗する。  しかし、ゲーテの言うように For man must strive, and striving he must err なのである。  消耗した時は原点に帰るのが良い。 私の場合はクオリア問題である。   ここのところ、「くるくるぱー」という言葉が気に入っていて、  今日紹介したNatureの論文もくるくるぱーだ、  脳科学はくるくるぱーだ、  心の本性を巡る諸科学は全てくるくるぱーだ、 と何でもくるくるぱーにしてしまう。  田谷くんと歩きながら、どうも、機能主義を突き詰めて いくと実は不可避的に心的表象の存在は導かれるのではないか、  大抵の場合、一方でニューロンの物質過程を仮定して、 もう一方で心的表象を突然天下り的に仮定して、 その上でneural correlatesというようなことを言うわけだけども、  本当にやるべきことは、普通の意味での物理的記述、 機能主義的記述以外何にも仮定しないで、そこから、 (1)そのような記述の暗黙の前提になっていることを明るみに 出すこと (2)そのような前提から不可避的に導き出されることを 演繹すること で、実は心的表象の存在は出てくるのではないか、 そのようなことを話す。  そんなことを考えながら、森巣博の「ろくでなしのバラッド」 などを読む。  人間は賭博をする存在だそうである。  クオリア問題にかけるのも賭博のようなものである。  パスカルはルーレットに0という数字を付け加えることを 思いついて大もうけしたそうだが、  神は世界にクオリアを付け加えることを思いついて 大もうけしたのかもしれない。    意識の機能的に見た意味として、どうも「死の恐怖」 があるのではないかと思う。  自己意識、死への恐怖から、我々はなかなか死なない。  自分が存在することを意識し、その存在がなくなることを 恐れることが、我々が生き続ける最大の根拠となっている。  私の場合、もしクオリア問題がなかったら、死の恐怖は あるとしても、世界に退屈していたかもしれない。  クオリア問題があるから、退屈しないでいられる。  クオリアは、人間が退屈しないように神が仕込んだ ルーレットの0なのかもしれないのである。 2002.4.4.  引き続き、何だか消耗している。  7日からアリゾナの学会に行くし、いろいろ準備も しなくてはならないのだが、  面倒なことがいろいろあって消耗している。  新宿で講談社の小沢久さんと会う。  東口の「千草」へ。  小沢さんは最近プライベートにチャレンジングなことが あって、その話をいろいろと。  「連休中にアイルランドに行ってこようと思う」 というので、それはいいですねと。  その他に、業務関係の相談もする。  店を出て、バーに向かっている時に、向こうからふらふらと 椎名誠が歩いてきた。  あの顔で、あの髪の毛で、なぜだか知らないがビルの上の 方を見上げながら歩いてくる。  断固一人でふらふらと歩いてくる。  「小沢さん、本人ですよ。」  講談社なんとか賞の審査員だから、そこで会ったことは あるというのだが、ふらふらとしているようなので声を かけなかった。    バーでぼそぼそと喋って、新宿駅で 別れた。    夜道を歩きながら考えた。  椎名誠は、細い。  時々、似ていると言われることがあるが、 実物を見ると、彼は細い。  私はいろいろ皮下脂肪関係に問題を抱えている。  彼は腕立てと腹筋を一日200回づつするそうである。  私は、思い出したように時々30−40回やるだけである。  それが皮下脂肪関係の差に現れている。  どうも消耗していて、今朝はこんなことをふらふらと書いているのが やっとである。  まずはプラクティカルなことをやろうと思う。  そして、5月のハーフマラソンに向けて、身体を絞っていくのだ。 2002.4.5.  消耗していると思ったら、ぱーっと熱が出た。  一応風邪薬を飲んだが、体温を測っていないので 何度なのかは判らない。  それでも、頭がふらふらしているという感じはある。  何時の間にか桜も散り、散る桜の花びらのように 舞っていたツマキチョウもその生命潮流のピークを越え、 あちらこちらの木の枝に小さなGreen Manの顔が開きつつある 今日この頃。  頭痛をもたらしたのは、智恵熱ならぬ概念熱か。  目の前を舞うツマキチョウが本当に実在するのか、 それとも私の脳の概念なのか、  ふらふらと歩いていたら、どっちか判らなくなった。  年を経るにつれて賢くなっていくことは確かで、 2年前には判らなかったことが今では判っている。  しかし、いつか「打ち止め」でハイサヨナラするわけで、 せっかく賢くなっても何だかもったいない。  まあ、生きているうちにせいぜい蛮勇をふるって暴れるだけである。  最近はウーロン茶ばかり飲んでいる。口に含んだ時の 空間の広がり方が、コーヒーと異なる。  ウーロン茶の場合、自分が漂う空間が、すっと透明に どこまでも伸びていく、そのような感覚があるのだ。  このような感覚の差を、狭い意味での経験主義科学 の精神に拘泥すると、真摯に受け止めなくなってしまう。  科学主義とは一体何なのか忘れてしまったくらい暴走 しているが、  時々思い返すと不思議な気がする。    今目の前にあるものをありのままに記述するなどということは、 クオークやレプトンの例をみても、あり得ない。  ウーロン茶をウーロン茶として記述するということもあり得ないので、 口に含んだ時の空間感覚というような、ウーロン茶の成分分析を してもどうも出てこないようなものは、  一見非科学的に見えるけれども、ニューロン活動によって引き起こされる 脳内現象だという視点からは、成分分析と同じ権利を持って世界の 実在構築に参加する。  そんな簡単なことがこの年まで判らなかったわけだが、 じゃあそういう立場からいわゆる経験主義科学の固有の領域は 何だろうと振り返ると、良く判らなくなる。  確実なのは、この世界が、ある曰く言い難い因果的必然性 に従って時間発展しており、その部分集合である脳の中のニューロン 活動に随伴して私の心的表象は生じているということ。  しかしこれ以外は何でもありという気がする。  次の人類の知のブレイクスルーをもたらすのは、 このあたりに勇気を持って切り込んだ人だろう。  おしら様哲学者塩谷は18くらいの時からこのような感覚を 持っていたように思うが、  私はいつもながらのlate comerである。  しかし、一度気がつくと絶対にそらさない。それだけは自信がある。  というわけで、最近はNatureに乗るような経験主義科学の 論文を読んでも、こいつら「くるくるぱー」だなと思うようになって 非常に困っている。  世界の存在の根本問題について突き詰めて考えていない カマトト状態において、今の科学は存在している。  私はカマトトはキライだ。ましてや自分がなりたくはない。  今の経験主義科学は、  錬心術どころか、錬世界術みたいなことをやっているわけで、 そのうち中世のスコラ哲学みたいな古くさいものに見えてくるだろう ということを私は確信してしまっている。  心脳問題はその鳥羽口である。  しかしじゃあお前はそんなにテンパって何をやろうとしているのか と突き詰められると、うるせー、今に見ていろと空を見上げるしか ない春の一日である。  また熱も上がってきたようである。 2002.4.6.  こんなに眠ったのは何時以来だろうか?  12時間以上眠った。イヤ、15時間くらいかもしれない。  頭が水枕に包まれたように眠りの因子に吸引されて、 こんこんと眠り続けた。  いくら眠っても、身体がだるく、 また眠りに入った。  今朝は、少し良くなったようである。  身体を動かしてみたい、そんな欲求も出てきたように思う。  午後には成田に向かわなければならない。  15時間の眠りに入る直前、「ボヴァリー夫人」を読了した。  なるほど、名作である。  後書きには、「リアリズムの名作」と書かれていたが、 この「リアル」ということをどう了解するかが問題だと思う。  「リアル」とは、単に客観的に何がどのように起こったかを とらえるということではなく、  その時々に立ち上がる心のニュアンスをも 含めて、世界をとらえるということである。  その心のニュアンスの中に、宗教や天国や拷罰などといったものも 入ってくる。  あくまでも、客観的な世界の進行は、因果的に閉じていることが 判っていて、そのcorrelateとしての心のニュアンスの中に 超越的なものもあるということを含めて「リアル」ということを 立ち上げる。  「ボヴァリー夫人」の時点で、すでに現代が始まっている。  名作と言われるなりの理由があるのだろう。  トーマス・マン「魔の山」  マルセル・プルースト「失われた時を求めて」  トルストイ「戦争と平和」  ・・・・・  コノヒトタチも早く読まなくてはいけない。  NHKのAllan Kayの番組を見た。  続いて、アザラシの子供の番組を見た。  長い間眠ってふらふらしていると、テレビのような受動的なメディアが 心地よい。  松岡正剛さんが、千夜千冊の五百冊達成のパーティーで、オルテガの 「大衆の反逆」を取り上げて、ポピュラーカルチャーについていろいろ 言われていたが、  こと文化に関する限り、マーケットメカニズムは全く機能しない ことは明白だと思う。  民放の番組を私は全く見なくなった(Newsでさえ見なくなって、 ただしTBSのNews iで見たい動画だけ見ることがある)が、「視聴率」 というマーケットメカニズムに基づいて自由競争した結果が アレなのである。  NHKのAllan Kayは視聴率的には民放の番組に負けるのだろうが、 どちらがまともな番組か、並べて見ればすぐ判る。  同じことはイギリスにも言えて、BBC があって良かったと多くの 心ある人たちが思っているはずだ。  なぜ、文化は、マーケットメカニズムに任せると堕落するのか? これは、文化の創造、流通に関わる全ての人が一度は考え抜くべき 大問題であるように思う。    というようなことを書きながら、そんなコムズカシイことを考えずに ふらふらしていればいいアリゾナの砂漠が次第に近づいてくるのを 感じる。 2002.4.9.  何とか、体調のつじつまがついて、 Los Angels行きの飛行機に乗った。  Harry Potter and the Sorcerer's Stoneを見る。  原作も読んだが、確かに原作から予想される映像をちゃんと 作り込んでいる。  それにしても、cliche(使い古された、常套句の、 陳腐な)シーンをよくこれだけ繋げるなと思っているうちに、 ワインが回ってきて、Quiddish(だったと思う、空中でやる ホッケー)のシーンになって、面白くなってきた。  しかし、やはりというか、Quiddishのシーンが最高峰で、 その後は、肝心のSorcerer's Stoneをとるシーンがanticlimaxで、 やっぱダメだったかと納得。  むしろ、その後見たSleepless in Seattleの方が面白かった。 1993年の作品らしいが、こういう古典的なのも飛行機で やるとは知らなかった。馬鹿らしいと言えば馬鹿らしい Love Comedyだが、こういう精神の青年期の映画は アメリカらしくて良い。  というわけで、Tucson Arizona(BeatlesのGet Backに 出てくるね)に到着して、さっそく車を借りて、FMを聞きながら 運転し始めてはや一日。  すっかりこのあたりのいい加減な雰囲気にとけ込んでしまった。  日本を出る時に調子が悪かったのは何だったんだろう というくらい、すっかり爽快、ビールがウマイ。  唯一気になるのは、すでに土方焼けしてしまったことである。  学会だからと言って、スーツを着てくる人などもちろん いない。Tシャツにショートパンツがここの正装である。  靴でなくサンダルだともっとそれらしい。  どこもビールをぎんぎんに冷やして出す。  Pale Aleでさえそうだし、Samuel Adamsはもちろんのことである。  ちょっとイギリスの生ぬるいReal Aleが懐かしい。  ぎんぎんに冷やすのがサーヴィスである。  それだけ、ここが熱い土地だということだろう。  考えてみれば、3度目だが、どれも4月である。  Tシャツで歩いて一番快適な季節である。  8月の灼熱を体験しないと、Tucsonを体験したと は言えないか。 2002.4.11. というわけで、Tucsonの会議もほぼ終わりである。  自分の発表も終わり、共同研究者の発表も終わり、 あと一日を残すだけとなった。    昨日は、ラマチャンドランの講演を初めて聞いた。  アートがいかにして生まれたかという話。  インドの女神像を見せて、「見てご覧なさい、この大きな胸、 くびれた腰。ヴィクトリア朝時代のイギリス人たちは、この像を 見て、不自然だ、これは芸術ではないと言っていたが、 これはどうでしょう」  とピカソのキュービズムの絵。  当のヴィクトリア朝の女性たち自身が、 大きく腰をふくらませたドレスを着ていたのは、どういう ことなのでしょうと畳みかける。  そして、芸術とは、視覚的な特徴の誇張なのですと 結論付ける。  ティンバーゲンの、実際のくちばしよりも雛が大騒ぎして 餌をねだるスティックの絵を見せ、  「ごらんなさい、このくちばしは、本当のくちばしよりも くちばしらしいSuperbeakなのです。もし、鳥たちが 美術館を持っていたら、このSuperbeakは間違いなく最高傑作として 展示されるでしょう」  と。    大した役者である。しかし、終わって見ると内容がない。  「脳の中の幽霊」は、その豊富な興味深い事例で見せたが、 考えてみると思想には内容がない。  ああ、ペンローズはなぜここに来ていないんだろう、 ペンローズのような知性にこそ会いたいとため息をつくの だった。  Tucsonに限らず、意識に関する国際会議は、意識について 議論することがrespectableなことになったこともあって、 今ひとつ、第一原理を追求しようという精神が希薄になってきている。 だから、ラマチャンドランのような芸人が歓迎される。  もう一人の芸人、ゼキは都合で来れなくなったが、 これまた「役者じゃのう」のスーザン・ブレイクモアが代わりに ゼキの論文を朗読した。  芸術の起源に関する、毒にも薬にもならないような論文である。  その後壇に立ったAmy Ioneがゼキの論文に極めて criticalだったのがせめてもの救いだった。  どうも、意識の研究でございとやっている多くの人の研究が、 裸の王様になりつつあるように思う。  頭に来たので、自分の発表の時は、「第一原理を追求しない 神経科学はAlchemy of Mindだ、Alchemy of Mindだ、Alchemy of Mindだ」 と連呼したが、どうもきょとんとした顔が多かったように思う。  まあいいや、近いうちに、You will hear from meと 毒づいて、Tucsonの唯一の目抜き通りと言える4th Avenueに しけこんで、O'Malley'sというIrish barでビールを飲んだ。  Marinersの試合をやっていたが、イチローは出ていなかった。 2002.4.13.  田森一家は、東に向かって去っていった。  一家で、Tucsonの学会に来て、そのまま東へ走っていった。  田森佳秀は、4月から一年間、ボストンのMITに行くことになった。 勤務先の金沢工業大学がMEGの共同研究施設を持っていて、そこに 派遣されることになった。  最初は、グレイハウンドで行くと言っていたのである。  TucsonからBostonまで、1日と20時間かけて行くと言っていたの である。  航空券だと、金がかかりすぎるというのだ。レンタカーは無理だろうと いうのだ。  それでも諦められなくて、Tucsonの空港でレンタカー屋を一つ一つ 聞いていった。  TucsonからBostonに乗り捨てできる会社は、一つもなかった。  「3000キロ以内だったら出来るけど、ちょうどちょっと越えて しまっていますね」 と言われたところもあったようだ。  それが、最後の最後、NATIONALというレンタカー屋に聞いたら、 すんなりOKだったそうだ。  しかも、「うちは、どこから借りて、どこで乗り捨てても、 料金は一定です」という。  田森が驚いて、「ここで借りて、Bostonで乗り捨ててもですか?」 と聞くと、きっぱり、  「それがうちのポリシーです。」 という答。  そのように広告しているので、「そういう客」が集まって、 つじつまが合うらしい。  ということで、妻、二人の幼い娘、そして愛犬「ポヨ」(ヨークシャー テリア」、それにトランクを5つ満載した田森の車は、  Econo Lodgeを出て、よろよろと東を指して走っていったのだ。  予定では、ルート66を通って、3日後か4日後にBostonに着く ということ。  詩と花の春である。  私は東京に帰る。すっかり日焼けして、  何か焦燥感に駆られて、東京に帰る。  どうもアメリカに来て、ここの人たちの生活を見るたびに 焦燥感に駆られる。  こんなことではいけない、こうしてはいけないという気持ちになる。  アメリカという制度が、人々を何かに駆り立てるのかもしれない。  広大な国土、世界中からの人々のmelting pot、無限に思われる 発展の可能性・・・・  洗練とはほど遠い。だからこその青春期であり、9月11日以降も 本質は変わっていないようだ。  最後の夜、イギリスのコメディガイドでFawlty Towersなどの 名作を押さえて、史上ナンバー1にリストされていた SeinfeldというSituation Comedyを初めて見た。  面白かった。    一つ、どーんとやってやろう、  どこまでも疾走して行こう、そんな気持ちになる帰国の 朝である。 2002.4.15.  というわけで、Los Angels経由で帰ってきた。  JALで帰ってきた。  年をとると時間がなくなってくるが、 だんだん賢くなってくる。  今回、はっきりと自分で自覚した「賢さのincrement」は、 「アメリカ的なもの」に対する態度がだんだんぶれなくなって きたことである。  宿泊先のEcono Lodgeの横に、Carrowsというレストランがあって、 ここで朝食を2回と夕食を1回とった。  その時のウェイトレスのお姉ちゃん(色が黒くて少し太っていて、 ゆさゆさ身体を揺らして歩く)や、客のカップル(カウボーイハットを 被って、やっぱり太った女と来ている男)などを見ていると、 ああハリウッド映画はこういう人たちに向けて作られているんだな ということが判る。  ハリウッド映画が概念の世界の奥の院に切り込んでくるナイフではなく、 「目を閉じて太陽を浴びながら受けるマッサージ」のような身体性を 通して染みこんでくるメディアだと思った瞬間に、  まあいいや、君たちのようなのがいてもと思えるようになったのだ。  飛行機の中でThe Royal Tenenbaums という映画を見た。  Royal Tenenbaumという男が、子供たちに英才教育を施して 皆天才児として知られるのだけども(ビジネス、テニス、劇作家)、 オヤジが失踪してから、皆普通の人たちになってしまう。  みんなオヤジのせいだと思っているところに、突然また オヤジが現れる。。。。  概念空間の中の美しい結晶の締まり方で言えば、とてもヨーロッパ映画 の最良のものと比べるべきものもない作品だが、  まあこれはこれと思って見ればそれなりに楽しめる。  どうも、具象と概念の間の関係が、アメリカ映画は違うようなのである。  これはこれで一つの進化の方向なのかもしれない。  アメリカの言論がナイーヴに見えるのも、あの国土とあの人の 混ざり方を見ていたら、それなりのリアリティを持って納得できる。  何しろ、あんなに土地が余っているのだ。  例え大都会に住んでいたとしても、「いざとなったら、車で 2−3時間飛ばせばあんなに土地が余っている場所がある、そうだ、 オレは、あそこにばーんと土地を買って、新しいinstituteを作る こともできるのだ。その為には、こんなコンセプトでこんなfundingを 受けることを考えたらどうだろう。そうだ、そのためには・・・・」 などと、妄想をふくらませることが、アメリカの場合実際に 可能なのである。  ナイーヴさというものは、案外、行動への志向性の現れ であることがある。  ハリウッド映画だけしか知らない人は、世界にはまた 違った世界もあるのだということを知らずに損をしている。  「蜜蜂のささやき」や「麦秋」や「木靴の木」 を知らないというのは、やはり不幸だと思う。  しかし、ヨーロッパ映画のコンセプチュアルな密度の濃さを 知った上で、ハリウッド映画のメッサージを受けるのは それはそれなりに「アリ」だな。  そのように思えるようになった。  そのようにハリウッド映画のニッチを設定することと、 まあ面倒なことは言わないで、 無限の(本当は有限だが、有限の人生から見えば殆ど無限として 扱って良い)発展の可能性の空間の中で明快な行為主義で行きましょう という態度は、resonantであるように思うのだ。 2002.4.16.  砂漠の中に一週間いて、日本に帰ってくると、 空気が本当にしっとりとして感じられる。    アメリカの圧倒的な「自由な空間」の存在を見てから、 東京の密集した空間を見ると、果たして発展の可能性はどこに あるのか、どこにフロンティアがあるのかと他人事のように憂鬱に なる。  経済成長が止まっているのは(もっとも、経済成長とは 果たして何かという根本問題があるのだけども)、この国が フロンティアがどこか見にくいステージに来てしまった ということとも関連しているのではないか?  そんなことを考えつつ歩いていたら、 「クオリア立国」というのもいいなと思った。  もともと我々の体験することは全て脳内現象であって、 この一リットルの空間の中に閉じこめられているのであって、 フロンティアもクソもないのだが、  唯一、「今ここにないもの」に向かう志向性だけが、 脳内現象を広大な世界に結び付けている。  志向性の空間は、本来無限定であって、  現実の物理空間がアリゾナのように手つかずの広大か、 東京のように手あかのついた密集かということには 依存しない。  4畳半の空間にいたとしても、感じることのできる 志向的クオリアの空間は、無限定なのだ。    スタジオジブリのスタッフは、別に、広大な空間の 中で夢を紡ぎ出しているわけではあるまい。  物理的空間の粗密にかかわらず、本来志向性の対象は 無限定なのだということに気がついた時、じゃあ、日本は、その 可能性の中で何かをすればいいじゃないかという考え方が あり得るのではないか。  物理的空間の広大さなどは、志向性の空間の本来の可能性から 言えばチンケなものであって、大して本質的でもない。    源氏を取り上げるまでもなく、細やかなクオリアのニュアンスに 対する完成はもともとこの国の中にあって、クオリア加工業、 志向性加工業を成立させる余地は十分にあるのではないか。  考えてみると、小説もアニメも、クオリア加工業の一種である。  哲学書房から出た野矢茂樹さんの『論理哲学論考を読む』を お送りいただいた。一部引用。  あくまでも現実としての「世界」は「成立していることがらの 総体」であるが、それに対して、現実には成立しなかったことも 合わせ、それら成立したこと・しなかったことをともにもつような 「成立しうることがらの総体」、すなわち、世界をその一部として 含み、世界よりも大きい何者か。ウィトゲンシュタインは、それを 「論理空間」と呼ぶ。  「論理空間」を「志向性の空間」とパラフレイズすると、 昨今の私の問題意識にとても近い。 2002.4.17.  何だかとても疲れたので、意味から逃走することにした。  午後は新聞のインタビューがあって、夜はカルチャーセンターの 第一回があった。その他の時間は、ひたすら働いていた。  カルチャーセンターの後で、講談社の小沢さんとかとビールを 飲んでいたら、ぐったりしてしまった。  今朝になってもぐったりしているので、意味から逃走することにした。  こんな時は、ひたすら頭を空っぽにして具体的な作業に徹するに 限る。  注文していたThe Elegant Universeが来たので、 少しづつ読むことにする。  どうも、superstring theoryはピンと来ない。ひょっとしたら、 Newton力学以来しばらく続いた、Hamiltonや Lagrangeらによる 数学的形式化に相当するものなのではないか?  本当のブレイクスルーは何らかの新しい物理的洞察が現れて 初めて、起こり、その際にsuperstringで発達した数学が役に 立つ、そんなことはあるかもしれない。  まして、クオリアの問題とsuperstringが関係があるかというと、 どうも直感が働かない。  何にせよ、考えている時は孤独である。 歩きながら考えることが多いが、街は春めいているのに、 こっちはウダウダといろんなことを考えて悶々としている。  クオリアの問題が、難しいだろうとは思っては いたものの、こんなにムズカシイとは最初からは思っていなかった かもしれない。  まだ、熱力学の第二法則の起源や、波動関数の収縮の 問題の方が簡単そうである。  しかし、この二つの問題でさえ、頭のいい人たちが何十年と考え 続けて、未だに答えが出ない。  クオリア問題の一番のムズカシイところは、真の意味で 脳のシステム論からしか答えが出ようのないところで、  クオリアと、「それを感じる私」という枠組みをセットに しないとならないが、これは一千億のニューロンの相互関係の 絡む話である。  マジメに考えれば考えるほどむずかしく、とても量子場や マイクロチューブルでごまかせる話ではない。  意識の問題については、「これで行ける」と脳天気に 思う道筋をいかに排除するかが重要で、  そのような「simpletonの誘惑」をかき分けかき分け、 実際にこの脳で起こっていることを探り当てなければならない。  superstringなどは、well-defined problemがあるわけで、 ああ、そりゃ良かったね、ああ、こりゃこりゃという感じである。  誰にも会わずに、どこにも行かずに、一年くらい引きこもりたい なと思う今日この頃である。 2002.4.18.  しばらく前に、歩きながら何となくprivacyということについて 考えていて、  そういえば、思春期に随分ニーチェの「個別化の原理」 ということについて考えたなと思い出した。  ニーチェは、個別化こそが全ての災厄、苦しみの起源であると そのデビュー作「悲劇の誕生」で書いていて、それが、ある時期の 私の心に非常に強く響いたのだ。  考えて見れば、privacyなどということは放っておけばそうなるの であって、個々人の体験は、他人には預かりしれない不可視の 領域として、それぞれの個人に対してのみ開かれている。  この世界は、不可視な領域に個別化された世界なのである。  9月11日の出来事について、あの時なぜアメリカを非難する 方向に心が動いたのか、最近になって首を捻っている。  ある人の体験や、その行動の背後にある切実さなど、他者には測り 知ることができるはずもない。  それを安易に批判するというのは、やはり、世界が個別化された 状態にあるということを、どこか徹底して心の中に染みこませて いなかったということだ、そう思うようになった。  この点を突き詰めていくと、とてつもなく難しい倫理問題に 突き当たるように思う。  一般に、他者を批判することは、恐ろしくて出来なくなる。  それでも、ある種の他者の行為が自分に、あるいは社会に 対して抑圧的に、あるいは害毒的に機能する場合、何かを せざるを得ない。  一体どうすればいいのか、完全な沈黙と全面非難の間の、 何らかの汽水域を見つけなければならない。  サッカーの日本代表の試合をちらりと見た。  本番に出られるかどうか、選手一人一人にとっては、 まさに切実で心臓ばくばくの90分である。  しかし、その個々の体験は、完全にprivateなもので、 あるいは観客一人一人の体験は、完全にprivateなもので、 そのprivateな体験がテレビの画面の中に青い点として、 旗の下の点として並列して映っている。  考えて見ると恐ろしい。  私には、アメリカ人一人一人の、あるいはビン・ラディンの、 アフガニスタンの人々の、パレスティナの人々の、体験、行動を 非難するほど、彼らの個別化された不可視な領域に対する 接触も責任の引き受けもない。  それでも、世界の中で起こる様々な出来事に対して ある種の態度を取らざるを得ない。  完全に沈黙するというのも一つの態度だからである。  大学院の時、「世界が個別化しているということが問題だ。 いかに、人々の個別化の状況を乗り越えるかということが 重要だ」 などと酔ったように口走っていた時期があって、  「それはそうだけど、一体どうしたいのか?」 と困った口調で言われたことがある。  ああいう純粋な青年も困った存在だと思うが、 時々思い返して見るのもいいかもしれない。  現在の神経科学、認知科学の全ての営みが 「錬心術」だとはっきり悟って以来、 どうも内面的には苦しい日々が続いている。  他人が脳天気だと批判するのは、その部分に関しては 自分が脳天気だからで、個別化の原理を徹底していないからで、 自分に問題を引き受けると、そこからタコが自分の足を喰うプロセスが 始まる。  しばらく蛸壺に隠れるしかない。 2002.4.19.  久しぶりに塩谷賢と電話した。  「ちょっと待て」 といっておしら様が消える。  「いやあ、一枚だけ見つかったよ。昨日の風で、マジで メモが全部飛んでいってしまったのかもしれない」  塩谷のマンションは八王子にあり、普段から風が強い。  慶応でやった研究会の時にとったメモが、全部どこかに消えて しまったというのだ。  部屋の中でどうしてそのようなことがあるのか、  路上の人たちは、意味不明の文字が書かれた紙を拾って、 首を捻っていたのだろうか?  私は、ツーソンの会議の話をして、そういえばと思い出した。  「アメリカに行ったら、お前みたいな体型のやつばかりだったよ。 大丈夫だよ。お前みたいなの、アメリカでは普通だよ。」  「でも、それは、下層階級の人たちじゃないのか?」  「下層階級? そんなことはない、極く普通の、どこにでもいる アメリカ人たちだよ。」  「・・・・・でも、学会会場にはいたかい?」  私は、しばらく考えた。  「そういえば、学会会場にはいなかった。お前みたいな体型の やつは、学会会場にはいなかったよ・・・」  近いうちの再開を約してPHSの電源を切る。  取材があって、記者の方が話の後、  「それでは、机のところで写真を撮りましょうか?」  と。  私が、  「でも、キタナイですが大丈夫でしょうか・・・・」  と言うと、  「いや、そういうのがいいんです。」 と言われる。  大丈夫かなと思いつつ、案内すると、同行していた広報のMさんの 足が止まる。  「・・・これほどとは思いませんでした・・・」  結局、「ソニーコンピュータサイエンス研究所」の看板の横で 撮ることに。  「学生と同居しているもので・・・」 と、キタナイのを長島君のせいにする。  用事があって、青山のビルに行く。  会議室から、東宮御所が見える。  国会議事堂まで見える。  終了後、久しぶりに暦本純一さんとご飯を食べた。  「MOTIのカレーって、こんなに辛かったっけ、はあはあはあ」 と、King Fisherで流し込んだ。  「やっぱり、青山、赤坂エリアはいいですねえ。」 と言いながら、いろんな話をした。  楽しかった。  ちくま書房から出る養老孟司さんの「人間科学」を送っていただいた ので、暦本さんと別れてから読みながら帰る。  そんな風につつがなく一日を終えて見ると、少しリハビリになった ような気がする。  織田幹雄じゃないが、やはり何も考えずに躍動させることも 重要だ。 2002.4.20.  今朝の朝日新聞の国際面に、  世界で一番美しい国歌の一つは、南アフリカの「コシ・シケレリ・ アフリカ」(アフリカに祝福を)だと書いてあった。  「アフリカ各地で歌い継がれた黒人の解放の歌が基になっている」  早速検索したら、Nkosi Sikelel' iAfrika の音声ファイルが見つかって、聞いてみた。 http://www.polity.org.za/misc/nkosi.html  何となく、昨日駅から歩きながら飲んだ「まろ茶」のことを 思い出した。  ちょうど大きな樫の木がある森のところを通り抜けていて、 自分が今からだの中に取り込んでいる緑のエッセンスが、  今周りにあるざわざわと息づいている葉っぱたちとつながっている のだということを感じたとき、  ふっと、ああ私は復活したなと思った。  今の私を準備したものは何か?  受精卵が卵割し、細胞分裂し、世界に出て、 ミルクを飲み、ご飯を食べ、やがて意識が芽生え、言葉が芽生え、 身体が大きくなり、その一連の過程の中で一貫して「生きて」 きた私の身体そのものではないか。  一つの概念、一つの抽象的思念が、私の人生を左右してしまう と考えること自体がおこがましい。  概念の世界の問題が解けなくても、生きているだけでいい。  生きているということの中にほとんど全てのことは 含まれていて、概念の世界のことは、氷山の一角どころか、  生きるということの影でしかないかもしれないのだ。  とはいいつつ、概念というものにリアリティを感じてしまうのが、 人間の意識というものの不思議さである。  そんなことを、まろ茶のボトルをふらふらと振りながら考えたの だった。  その一時間前は、ゼミの後の飲み会で五反田の「桜水産」に学生 たちといた。  小俣、関根、柳川、田谷、光藤、長島、須藤、恩蔵、サム。  サムは恩蔵のボーイフレンドだが、後は皆私のゆかりの学生 たちで、こいつらの2年間あるいは5年間+αに責任があると 思うと、なかなか大変だなあと思う。  しかし、まあ、彼らは彼らで生きている。葉っぱのように生きている。  認識の問題について今やっている研究のほとんどは「くるくるパー」だと 思うと苦しいが、学位を取りつつ、いかに面白い研究をするか ということをマジメに考えると大変だが、  生きているということを忘れなければ大丈夫だろう。  研究なんて、生きていることの影に過ぎない。  こんな思考の転換も、結局、昨日の朝実に久しぶりにランニングした ことと関連しているのかもしれない。  実に自分の無意識は、制御しがたい。  また巡り巡って概念にうんうん言う時が来るに違いない。 2002.4.21.  どうも、最近社会的なことについて 発言したりコメントしたりする気が失せている。  転機はどうやらブッシュと小泉の共同記者会見あたりに あったらしい。  あの時、ブッシュの顔を見ているうちに、「ああ、こいつが 育った環境や、彼の性格、それに彼が今置かれている立場を 考えると、ああいう思考を持ち、ああいう行動をしてしまうことは 納得できるな」と思ってしまったのである。  ブッシュというキャラクターのリアリティが、手を伸ばせば 触れるように感じられたのである。  それ以来、誰かを批判するという行為につきまとうある種の 胡散臭さに敏感になってしまって、時事ネタについて議論する ことを避けるようになってしまった。  靖国神社参拝のことについても、世間で議論されている 文脈での議論に参加する気持ちに全くなれない。  小泉純一郎という人間がどのような思考、信条を持っていたからと言って、 そのことが、国際政治の舞台でとやかく言われる大問題に拡大 される道筋が良く判らない。  拡大しようと思えば拡大できるのだろうが、そこには、 やはり上に述べたような意味での胡散臭さがつきまとうように思う。  そうは言っても、  靖国神社のホームページ、特に、「遊就館」の項を見て、 この神社がどのような哲学で造社され、どのような雰囲気を漂わせて いるかということを知ることは無意味ではないだろう。  伊勢に代表されるような古代の神道と、靖国神社のような 国家神道は別物だと私は思っている。  伊勢には遠くであるにもかかわらずその「原初性の輝き」 に触れようと何回も行っているが、  靖国神社には、数年前に行ってちらりと参道から本殿に至る 空間の雰囲気を見て以来、一度も行っていない。  明治神宮の森を通り抜けることは、年に数回やる。  どうも、神道という宗教は、自然が生き生きと息づいている 場でこそ本来の性格を表すのであって、都市には向いていない 宗教なのではないかと思う。  何にせよ、精神の自由が重要である。  「今ここにないもの」を仮視することが宗教の本質であるとするならば、  素粒子を信じることも宗教だし、  愛というものを信じることも宗教である。  星座占いだって同じことかもしれない。  肝心なことは、そのように信じることによって、精神がより 広い世界を見渡し、自由になれるか、その一点にあるように思う。  仮想を信じることで精神が不自由になってしまうのでは、何の 意味もない。  昨日の朝日の書評欄で高橋源一郎が書いていたように、 「世界の秘密」に近づくことができるかどうか。  宗教は、本来、「世界の秘密」に近づくための営みだったはずだが、 いろいろなものに不純化してしまっている。  伊勢にはまだその原点が残っていて、  神道を論じようと思ったら、とりあえず伊勢に行ってみないと 仕方がない。  壁紙を、大蛇ハフナーに立ち向かう、ジークフリートに変えた。  そうしたら、パルジファルの公演告知を見て、「ああ、行きたい」 と思う夢を見た。  どうも、コウルサイ世間から離れて、「世界の秘密」に近づきたいと 無意識が思っているらしい。 2002.4.22.  今日の夜から1週間、Pisaの近くのElba島に行く。  MetaphorとAnalogyに関する少人数のWorkshopがある。  例の、NapoleonがAble was I ere I saw Elba と言ったか言わなかったかという島である。  私の場合、少しは有能になって帰って来たい。  ちょっとした用事があって、矢来町の新潮社に行く。  葛岡さんにお会いして、いろいろ喋っていると、 松家さんがいらっしゃった。  最近どうですか、というような話をしていて、 いや、1−2週間前に、今の脳科学、認知科学は全て錬心術 だということに気がついて、じゃあ自分はどうするべきか、 すごく苦しみました、そう言うと、松家さんの眼鏡が キラリと光った。  そういうのは必要でしょうね。小林秀雄は、原稿が書けない時に、 部屋の中を七転八倒したそうです。文字通り、物理的に七転八倒した。  そういうものです。  と言う。  七転八倒するのはできるかもしれないが、小林秀雄のような文章を 書けるかどうかは判らない。  それにしても、文芸系の編集のヒトには、独特の恐ろしさがある。 思うに、文芸系の世界は、底が抜けていて、世界の深淵が剥き出しの まま表現行為につながるところがあるからであろう。  科学の場合、心という明白な世界実在についてカマトトの時代が 長く続いた。Superstring theoryがTheory of Everythingなんて 笑わせるんじゃないということであり、そう思っている人は 馬鹿なのか、あるいは知的カマトトなのであり、いずれにせよ ブンガクのように底が抜けていない。  だから、ジャンルとして、今の科学には、最良のブンガクのような 迫力がないのだと思う。  The Elegant Universeはまだ最初の5分の1くらいしか読んでいないが、 このヒトはあまり頭のいいヒトではないと思う。  相対性理論の説明にしても、キリリとした独自の視点がない。  もともと、この本は Penroseの本のように、底が抜けた本では ないのだろう。  いわば、カマトトの本なのだろう。  そう思っていたら、田谷文彦君も同じ意見だった。  MetaphorとAnalogyのworkshopでは、「今のAIにしろ Neuroscienceにしろ、皆Alchemy of Mindじゃないか。おれらは みんなAlchemistだ。こんなことで良いと思っているのか。 何としても一刻も早くFirst Principlesを掴まなくちゃ、後世は 我々をAlchemistの集団として笑うであろう。」  なんてことを絶対に言ってしまうような気がする。  今から心配である。  相互作用同時性のような考え方が最初の突破口になると私は信じている が、どうにも主観性や志向性の問題が難しすぎて、どうやったら余は Alchemistから脱却できるのか、日暮れて道通しどころか道が 見えないではないか。  「我々は知らない知らない知らない」 と連呼するソクラテスに終わるか。それでもマシかもしれないが、 やはり生きているうちにAlchemyではない心の科学を作ってみたい。  まあ、そんなにテンパってばかりいないで、少しはおいしいワインを 飲んでエンジョイして来るつもりである。 2002.4.24.  パリに向かうエールフランスの中でボサノバを聞きながら 書いている。  出発の日の朝も40分くらいランニングして、ダメだダメだ、 これはダメだと思った。  何というのだろうか、体の芯がかっかと燃えて来ないのである。    昔、実家の近くで決まったコースを走っていた時に、いつもは 6分かかるところを4分台で走ったことがある。  あの時の感じは未だに覚えていて、体の芯が赤く燃える石炭の ように放熱して、別の存在になったような気がした。  随分長い間ランニングしているが、あのような感じはあの時しかない。  身体にしろ、脳にしろ、あの、中心が赤化する感じを忘れては ダメだ。  身体が赤化するというのはだんだん苦しくなるかもしれないが、 脳だったらまだまだ勝負できる。  そのような赤化が、意味を介して来た 試しはない。  意味にラフに導かれてということはあるかもしれないが、 意味自体を介してということはない。  今の自分に必要なのは、意味をうだうだ言うことではなくて、 とにかく疾走して、中心を赤化することだ。そう悟った。  CSLを午後6時過ぎに出て、7時東京発の成田エクスプレスに 乗ろうと思った。  論文の打ち合わせなどもあったので、田谷くんを誘って、 途中、有楽町のビックカメラに寄って、iBookのバッテリーを 買った。  その時、田谷とこんな話をした。  若い時って、一生懸命知識の知ったかぶりをして、背伸びする 時期があるじゃないか。  だんだん年を取っていくと、知識が増えて、コンフォタブルに なってくる。  だけどそうなると、どうも「逆」が必要なのではないか。  だんだん知識で狭くなってくるマニピュレーションの空間を、 ぶった切って、とにかく走ることが必要なのではないか?  それで、若い時の背伸びがある程度意識的な行為だったのと 同じように、知識をぶった切って走る行為も、ある程度 意識的に行わなくてはいけないのではないか?  そんな話をした。  時計を見ると日本は朝の9時である。   2002.4.25.  Pisaの斜塔の前のカフェで、ビールを飲みながら、明日からの 会議でのプレゼンの準備をした。  アフリカの時計売りがやってきて、  そういうコンピュータは幾らするのか、  私には学校に行っている娘がいる、  どうしたら私がそのようなコンピュータを手に入れられるか、 智恵をくれないかと言った。  何と言ったらいいか判らなかったので、その服は素敵ですね と言ったら、アフリカの服ですと言った。  斜塔は実際に見るといろいろな妄想が沸いてくる。  永遠に倒れつつある瞬間が凍っているという意味では、 浸食の時間が可視化しているグランドキャニオンに似ている。  緑の広場に白亜の建物が建ち並ぶ広場全体は、 それぞれの建物がまるでたった今深海から浮上したように見え、  壁にフジツボがびっしり着いているようにも感じられる。  斜塔はジャンプして再び潜ろうとしているマッコウクジラの頭にも 見える。  斜塔の傾きのせいか、全体に動きが見られる。  そのような妄想に浸りながら、しばらくパワーポイントの ファイルをいじった。  数時間時間が余ったので、エイヤと列車に乗って、フィレンツェに 向かった。  ルネッサンスの本拠地に、こんなに気楽に乗り込んでいいのかと 思う。  そもそも、飛行機の中で地図を見るまで、ピサからすぐだと は気がつかなかったのである。  行列に並んで、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を見た。  彼は若い女性の顔を描くのがうまい。  どの女性も、成熟していながら、まるでたった今世界に 生まれたかのようなinnocentな表情をしている。  「ヴィーナスの誕生」というメタファーが、他の絵にも 浸透している。  彼以外の画家には、フィレンツェをフィレンツェならしめた 春の躍動が欠けている。  ボッティチェリを見てから改めてドゥオーモを見ると、通じるものが ある。  恐らく、もう、キリストの教会を造るということなど、大義名分に 過ぎなかったのだろう。  浮き浮きと発展する、自分の中の潜在性を発揮する、そのミッション ステイトメントとして、この色遣いが出たのだろう。  聖者像の変わりに、花や葉のモティーフをあしらった方がよほど ふさわしかったに違いない。  ボッティチェリとドゥオーモは乙女心をとろけさせる、革命の ステイトメントである。  それにしても、観光客が多い。芋を洗うようである。  ツーリストというのは、ろくでもない種族だなと、 自分のことを棚に上げ、人混みを避けて歩くためにヴァザーリの 回廊を造らせたメディチ家の人々に共感する。  短いフィレンツエ初訪で最も心を引かれたのは、この回廊の 佇まいだった。  フィレンツェの現状については、やはりもはや「現場」ではないかと、 少し寂しさを感じたが、  あの明るさの遺構だけは、何かとてつもないものを現代に伝えている。  ルネッサンスとは、超新星爆発のようなものだったかと思う。  クオリアも本来はルネッサンスのはずなのだから、  深刻になるのではなく、テンパルのではなく、  もっと爆発的にボッティチェリの描く乙女のような innocentな活動が花開くように仕掛けなければならない。  そのためには、最初の一槌である。 2002.4.28.  Elba島での2泊3日のWorkshopが終わって、Pisaに帰ってきた。  ナポレオンの流刑の家も何も見なかった。  ひたすらtalkを聞き、talkをして、話をして、話を聞いた。  白ワインは沢山飲んで、魚も沢山食べた。  Limocelli?というスピリットも飲んだ。  インターネットはおろか、電話も通じなかった。  Poeppelさんが誘ってくれたので良く判らずに来たのだけれども、 来てみると、Philosophy in the Fleshを書いたGeorge Lakoffと その「一派」、LakoffとWhere Mathematics come fromを書いた Raphael Nunez、スイスで認知ロボティックスをやっているRolf Pfeiferなど、なかなか面白いメンバーが来ていた。  特に、Lakoffの言うEmbodimentについて徹底的に話を聞いて、 考えたのは大変有意義だった。  最初は私がLakoffの言うEmbodimentはred herringだと 言って、Lakoffがqualiaに対するscientific approachはない と言って、(どうしていつも喧嘩みたいに始まるのか良く判らない) どうなるかと思ったけれども、結局、qualiaの問題は、embodiment のessential partなのではないかということで私的には 納得できたと思う。  Embodimentの、特に言語学における議論が出てきた背景が少し 理解できて、大変有意義な会議だった。  Lakoffの外見は気のいいおっさんみたいな感じで、朝、庭で 太極拳をやっていた。  そして、Nunezは、まるでせんだみつおのようである。 外見でも好感が持てるのである。  どうも不思議である。  来る時には少しpessimisticな気分で来たのだが、 workshopの最中に、霧が晴れるようにoptimisticな気分になって いった。    イタリアに来てしばらく、 なぜか、「ここでイタリア語で暮らしていかなければならないと したら」というメタファーが重苦しくのしかかっていた。  なぜだか判らないが、自分が普段いる社会的コンテクストから 放り出されて、ここで全く新しいアイデンィティで生きていく というメタファーが強くなっていたのである。  そのメタファーが、workshopの最中に、「私はこういう 場で生きていくしかないんだ」というメタファーに転化していった。  そして、なぜか、The Alchemy of Mind and Beyond(仮題)の原稿を 猛然と書き始めた。    世界は広くて、Sky's the Limitなのだなと思った。 2002.4.30  というわけで よれよれになって帰ってきた。  行く前にiBookのbatteryをもう一個買ったので、 飛行機の中でたっぷり仕事ができた。  張さんの論文を読んでコメントを書いて、  自分の原稿の手直しをした。  気がつくと、何だかどっきりカメラのようなもの (Only Joking)をやっていたので、  すかさず見た。  フランス的で面白い。こういうのは大好きである。 更衣室の女性がわざとカーテンを落として、直してもらう振りを して相手を更衣室に押し込む。  「トイレ」と書かれているドアを開けると、広々とした庭に 便器が置いてある。  ポスターに穴が空いていて、のぞき込むと、向こうから空気を 吹き出す。  公園で人々がタオルを敷いて寝ていると、ゴロゴロとタオルを 取って自分が寝てしまう。カップルで寝ていると、男の方の タオルを引っ張って、自分が隣に寝ようとする。ふとっちょの男である。  編集がうまく、げらげら笑っているうちに、白ワインの酔いも醒めた。   History of Aviationというのも編集がフレンチっぽくて面白かった。  プロペラ機で、食堂があったりする時代。  大西洋路線が、水上機が中心だった時代。  なるほどなるほどと見て、  それからまたThe Elegant Universeを読み始めた。  Autism--The Facts (Simon Baron-Cohen)は読み終わったので、 誰かM1の学生(須藤さんか?)に読ませようと思う。  いつもはぐっすり眠れるのに、  日本時間で午前2時くらいにぱっちり目が覚めてしまって、 それからずっと何かやっていた。  とりあえず家に荷物を置こうと、郊外に向かう私鉄に乗ると、 「架線に針金が引っかかっているので運転を見合わせています」 と言う。  そのうち 「その上の高圧線にも針金が引っかかっているので運転を見合わせて います」 と言う。 「ただいま、東京電力と共同で、撤去作業をしています」 と言う。  「針金が引っかかっている」というのがどうも判らない。 10分、20分と立つうちに、乗客は皆、携帯を使い始めた。  私はタイプしながら聞き耳を立てている。  しかしどうも、100%と言っていいくらい正確に伝わっていない。 ある人は、「線路に何かが落ちていたんで・・・」と言っている。 別の人は、「列車が何かに引っかかって・・・」と言っている。  誰も「針金」とは言わない。確かに、自分が電話するとしても、 「針金」とは言わないような気がする。何だかリアリティがないのだ。  こういう時にバッテリーがたっぷりあるというのはありがたいもので、 仕事が進んだ。  みな車両を出てホームで何かをのぞき込んだり、駅員さんに何か 聞いたりしている。  「あと30分以上かかる見込みです」というアナウンスがあって、 人々がだーっと車両を降りていった5分後くらいに、  「撤去作業が終わりました。ただいま安全を確認しています」 というアナウンスがあった。  それでも、前の列車が詰まっていて、やはり 30分は動かなかった。  こういう時はアナウンスは天気予報のようなものである。  その間、私は、ひたすら座って待ってタイプしていた。  こういうのを、creative inertia(じっとしていることが創造的) というのだという。  やっと最寄り駅に着き、タクシーの運転手に聞くと途中の駅は やはり長蛇の列だったようだ。    帰ってきて朝日新聞の電脳読書室に載った自分の写真をちらりと 見て、太宰治の  「恥の多い生涯を送って来ました」 という書き出しが浮かんだ。  さて、仕事である。