2002.5.1.  いつの間にか5月である。  今日から、修士1年の3人が修士2年の3人とKandelのPrinciples of Neural Sciencesの輪読会をやるらしい。  自分にも、Molecular Biology of the Cellを輪読した時代が あったよなあと懐かしく思い出す。  黄色でやたらと線を引きまくって、読んだ。  そうか、世の中の研究はこうなっているのかと、 浮かび上がってくるTerra Incognitaの形にある種の感動を覚えた ものである。  朝日カルチャーセンター「脳の中の仮想と現実」の第2回を やって、  その後、メイルをくれていたJoe君を初めとする数人で 話した。  Joe君はまだ18だが、養老孟司さんの「ヤングセッション」を 聴いて「目覚めてしまって」高校の勉強がはかなくなってしまったの だという。  それははかなくなるだろうなと思う。  世界の底が抜けてしまっていることが判ると、底が抜けている ことを隠している普通の意味での「知」に、なかなか興味が 行かなくなってしまう。  「底抜け」の感覚があまりに早く来すぎると、生きにくくなる。  大検で大学に行くかどうか悩んでいるらしい。  小津安二郎ではないが、「どうでもいいことは世間に従っておけ」 という言葉をJoe君に伝えたいところである。  私は不幸にしてか幸いにしてか、Molecular Biology of the Cellを 読んでいる時には、まだ世界がどうしょうもなく底が抜けているという 感覚は持っていなかった。  柳田敏雄さんのloose couplingの話で、初めて底が抜けている 現象に出会って、大学院の間はその問題ばかり考えていた。  やっと5年目に一つの解決方法を思いついて、  Royal SocietyのProceedingsにthermal interferenceの 論文を書いたが、あれはまだ未解決だと思っている。  もっとも、世間にあるratchet modelよりはましではないかと 思っている。Physical Review Lettersにわんさか出ている colored noiseとかの論文はクズばかりである。  ああいう穴を見つけた柳田さんは実に偉い。  Qualiaという「底抜け」は大きすぎて、5年間一生懸命 考えているが、まだ解決の糸口が見つからない。  でも、そろそろという気分もあって、手足のストレッチング 体操をしているところである。    まあ、しかし、私のように人生の半ばに差し掛かっている 人間は置いておいて、  これから人生を始める人たちは、穴のことばかり考えている と持たない。  まずは一通り「穴隠蔽」の知の体系を身につけなくてはならない。  「穴隠蔽」のテクニカルな議論でも全然負けない くらいの素養を付けないと、「穴探し」もできないからである。 2002.5.2.  「おしら様哲学者」  塩谷賢が、「落ち込んでいるのでしんみり飲みたい」 というので新宿の「千草」で会った。  何か事件でもあったかと思ったら、何のことはない、 時間論について、今の方法論でいいのだろうかという、観念的な 悩みである。  唯一外部的な事件だと言えないこともないのは、京都で 郡司や三好さんとやった研究会の発表で「失敗した」という ことだけだった。  塩谷が観念的な悩みを持つのは、学生時代から慣れている。  逆に言えば、塩谷は、観念にそれだけとらわれた男である。  「イタリアに行く前に、ジョギングして、我々の「精神」という ものが、いかに肉体的条件に規定されているかということを改めて 思い出した」  と言うと、  「それはそうなんだ。去年、京大の基礎物理学研究所の研究会の 前日、君が来なかったから、一人で天ぷらを食ったのだが、その 天ぷらが非常にうまかった。あの時も落ち込んでいたが、天ぷらを 喰ったら、気分が爽快になった」  と答える。  塩谷の悩みは観念的だが、うまい天ぷらを食うとなおるのである。  私は、というと、数年ぶりくらいの「太陽の季節」を迎えている らしい、と言った。  塩谷が、君を長年見ているが、調子がいいのは、複線的に 生きている時だなと言った。  そうかもしれない。例えば、英語ドメインと日本語ドメインの活動を どう分けるかが、今回のイタリアではっきり判ったのである、そう言った。  イタリアで立ち上がった、「ここで生きていかなくてはならない としたら」というメタファーについて語って、そうは言っても、 実際には日本で生きていけるという状況の下で、そういうメタファーを 持つのが重要であって、本当にイタリアに移民で行って路上で観光客に 時計を売って生きていくというのとは違うと言ったら、鋭い男である、  「それは、そういうメタファーを演ずる楽しみだろう」 と言った。  複線性と、演劇性は、確かに関係しているかもしれない。  「新潮」の臨時増刊号 小林秀雄 百年のヒントを送っていただいたので、 ベルグソン論「感想」の有名な蛍のおかあさんの魂のエピソードを読んだ。  どうも、私が単純に思っていたのよりもよほど重層的で文学的な 構造をしている。  ここから始めようと思ったのだが、もう少し考えなければならない。  終戦の翌年、母が死んだ。母の死は、非常に私の心にこたへた。それに 比べると、戦争という大事件は、言はば、私の肉体を右往左往させただけ で、私の精神を少しも動かさなかったように思ふ。・・・・  表紙の、小林が階段を登っている時の写真が、ソニー宣伝部のKさん に似ているような気がする。  Journal Clubは、恩蔵さんのデビューで、下條さんたちが PNASに書いたReviewをやった。  見ると、びっしりメモがしてある。   私も、修士の時はあんなにメモして論文を読んでいたかなあと思い 出そうとする。  小俣君は、M1で運動学習が急速に定着するというのを、TMSで 調べた論文。  M1もそうなのだが、TMSの効果が面白い。これが本当だとすると、 左側頭葉をTMSしてサヴァンを作り出そうというSnyderのやり方は 逆効果なのではないかと思う。  明日からまた連休だと気が付いてびっくりした。  どうも、あと一日あると思っていた。   私の使っているNow UptoDateには祝日の記載がないから こんなことになる。  どうも、イタリアから戻る時に一日損したのではないかと思う。   2002.5.3.  明日の朝早くから、福島の親戚を見舞いに行って、 いわき湯元温泉に泊まる。  それで早く眠らなくてはならないのだが、どうにも目が冴えて、 仕方がないので「鬼ごろし」をコップ一杯と、熱い澄まし汁を一杯 用意して仕事を始めた。  新潮の小林秀雄のベルグソン論「感想」を少しづつ読んでいる。 以前、大修館書店の「言語」の読書日記で「銃、病原菌、鉄」を批判した後、 小林のアンソロジー「真贋」(世界文化社)を取り上げて、  小林秀雄は、一貫して、客観的、実証的な学問としての歴 史学よりは、その当時の人間の体験を、できるだけ生々しい 形で追体験する、そのような歴史へのアプローチを重視した。 『当麻』や『無常という事』といった随筆を、これらが一九 四二年に書かれているという事実と思い合わせて読む時、行 間から漂ってくる思いつめたような雰囲気が、当時の日本人 が抱いていたであろう痛切な思いと重なって胸に迫ってくる。 このような共感こそが、歴史認識の要諦だと小林は考えた。 ここに、小林の立場の現代における逆説的なオリジナリティ がある。小林の文章の痛切さは、ピサロに亡ぼされたインカ 帝国の人々の体験の痛切さにつながっている。 と書いたことがある。このあたりのことについて、「感想」 では自覚的に書かれている。  日支事変の頃、従軍記者としての私の心は頑固に戦争から 目を転じて了つた。私は「西行」や「実朝」を書いていた。 戦後、初めて発表した「モオツァルト」も、戦争中、南京で 書き出したものである。それを本にした時、「母上の霊に捧ぐ」と 書いたのも、極く自然な真面目な気持ちからであった。私は、自分の 悲しみだけを大事にしていたから、戦後のジャーナリズムの中心問題には、 何の関心も持たなかった。  どうも毎日騒々しい。秘書が逮捕されたり、議員がやめたりする。 しかし、どうでもいいことだなと思っていた時に、小林のこの文章を 読んで、あの戦争という一大事に対してさえ「目を転じる」生き方が あるのだから、昨今の小人(しょうじん)のどたばたなど無視して 当然だろうと考える。  結局、自分にとって切実な問題に全勢力を傾けることによってしか、 誠実に生きられない。  私にとって今何といっても切実なのは、何とか錬心術を抜け出す ことである。それ以外に切実な問題はない。やはり時間が突破口 かと、相互作用同時性の先を一生懸命考えている。  小林が再評価されつつあるのも、彼が自分の切実な問題に 忠実に生き続けたからだろう。  明日会いに行く福島の叔父さんの名前は金太郎という。本名である。 あれは8歳くらいだったか、叔父さんの当時の勤め先の広大な 工場の敷地を朝歩いて、タガメを拾ったことがある。  アカアシクワガタというのは、後にも先にもあの時しか 見ていない。  鬼ごろしの酔いがちょうど良く回って、そんなことを思い出した。  これで眠れるかもしれない。 2002.5.5.  疲れが溜まっていたらしい。  高速道路を運転しながらうとうとしたのは 初めてである。  いわき湯元温泉で一泊して、7時間眠った帰りも、 眠くなって困った。  「古滝屋」というホテルで、あたりの源泉らしい。  「ハワイアンセンター」という巨大施設にもお湯を供給している と言う。  七階の部屋から、藤が見えた。  お宮入りした御輿が見えた。  こじんまりまりとした温泉街で、全体が部屋からほぼ見渡せる。  風呂にゆったりと浸かって、いろいろなことを考えた。  不思議である。温泉に入るのと、歩くのは、同じくらい 様々なことを発想するのに効率のいい方法であるように思う。  逍遥学派と同じように、温泉学派というのがあっても良い。  帰りの車の中で、小林秀雄が喋っている。  「私は、最近けなすことは止めました。なぜなら、 自分の愛するものを褒める、このことは創造につながるが、  何かをけなすことは決して創造にはつながらない、そのことに 気が付いたからです」  なんて意味のことを言っている。  この講演テープ(「文学の雑感」)を聞くのは久しぶりだったが、 これだよな、と思う。  これだ、これだ、決してワスレマイ。  集英社の鯉沼広行さんから送っていただいた集英社新書の田中優子 著「江戸の恋」が大変面白い。  なるほど、いい仕事というのはこういうものを言うのだなと思う。  どんなジャンルでも、高い質を目指さなくてはならない。   その為には、基本的には良いもの、愛すべきものについてだけ 語っていればいいのであって、クダラナイものは放っておけば良い。  これが小林秀雄の格言だ。  先日の朝日カルチャーセンターの際、資料として小津安二郎の 「麦秋」と「東京物語」を一部編集して流した。  改めて、小津映画の中に流れるある種の「厳しさ」というような ものを思い返して、そういえば「心の理論」なんていうのは 留保を付けないとクダラナイ思想に堕すなと気が付いたのだった。  他人の心なんて判るはずがない。人と人の間には、絶対的な 断絶があるのであって、他人の心は、基本的に絶対不可視である。  「心の理論」なんてものは、単にその絶対不可視な領域の 上澄みをナゾルだけであって、そんなものがあったって 世界の深さからすればどうってことない。  人は、絶対的に孤立している。  とまあ、そんなことを思って、そのようなキビシイ世界観から 映画を作っている小津というのはやはりオソロシイ人だと 改めて認識したのである。  ここで普通なら、現代の認知科学のお気楽ぶりや、上澄みをなぞって 人と人との共感などというものを語る現代の表現の甘さを批判する ところだが、小林の格言に命じて小津の天才だけを褒めておく。  しかし、考えてみれば、小林があの境地に達したのはジジイになって からであって、  私はジジイになるのはまだチト早いのであった。   2002.5.6.  車を見に行った。  「プジョー」というと、どうも刑事コロンボのイメージがあり、 おんぼろで故障するような気がする。  実際にマークを見ると、ライオンが横を向いてベロを出している。  ああ、これをプジョーというのか、これだったら、イギリスで 走っているのを一杯見た、てっきりイギリスの車だと思っていた、 これがフランスの車とは知らなかったと言ったら、店の人に笑われた。  小学校5年の時に、友人たちは池沢さとしのマンガに夢中になって いたが、私には「スーパーカー」ブームというのが全然ぐっと来なかった。  あの頃から、どうも、一部の男が車に見せる熱狂とは無縁の世界で 生きてきた。  数年前、町を歩いていて、「あれがカローラか」と言って、 馬鹿にされたことがある。  Corollaと書いてあると思ったのだが、実はポルシェだったらしく、 ポルシェのモデルに「カローラ」に似た綴りのものがあるらしい。  今でもその綴りが良く判らないのだが、確かに思い出すと カローラとは形が違っていたような気がする。  だから、私は、警察の人に、「走り去った車種は何でしたか?」 と聞かれても、答えられないのである。  そんな私も、一度だけ、車に惚れたことがある。あれは、イギリス 南部の保養地、ブライトンでの事だった。  町を歩いていると、「何だ、あれは!」と思うような車が あったのである。  その物体は、銀色に輝き、横にサメのエラのような大きな 排気口があり、今この瞬間に宇宙から降り立ったような、見たことも ないフォルムをしていた。  中年の男が若い女と降りてきて、店に入っていった。  驚いたのは私だけではなかったらしく、通行人が「ナンダナンダ」 とわさわさ集まって来た。  今までいろいろな世界のいろいろな町を歩いて来たが、 あの時ブライトンで見たあのブツに少しでも似たものを一台も 見たことがない。  それくらい、異彩を放っていた。  ボディを見ると、「ランボルギーニ」と書いてあった。  それで、スーパーカーブームの時に、「ランボルギーニ・カウンタック」 とかいう呪文のような言葉を友達が吐いていたことを思い出した。  後でインターネットで調べてみると、私が見たのはどうも 「ロードスター」というモデルの一種らしい。  あれ以来、ランボルギーニという車には、何となくリスペクトを 持っている。  何であれ、突き抜けたものはいい物である。 2002.5.7  夕刻、昔水路だったところを細い歩行者用の道路にした道を 走っていると、ダチョウが2羽、コンクリートの上に、残温を 楽しむようにうずくまっていた。  この二羽に気が付いたのは、二ヶ月ほど前である。福祉施設。 どうしてダチョウを飼っているのか判らないが、コンクリートの 上に鉄パイプで空間を作って、二羽を閉じこめてある。  鉄パイプに囲まれたダチョウである。  こいつらは、来る日も来る日もこの白と銀と平面と棒の空間に 閉じこめられて、何を考えているのかなあと思う。  狭いというわけではない。しかし、質感においては極めて乏しい。  きっと、いろいろな夢を見ているのだろうと思って、走るスピードが 少し緩んだ。  そもそも、認識とは現実と仮想との出会いである。このことに、 私は感覚的クオリアと志向的クオリアの問題を考えていて 気が付いた。敷衍すると、現実を豊かな志向的クオリアの網で 絡め取るためには、現実に遭遇する前から、豊かな志向性 の有機体を頭の中でシミュレートして構築して置かなければ ならない。  現実にはないものを夢想するという人間の癖の機能主義的に見た 意味の一つは恐らくここにあり、だとすると、進化の連続性から しても、仮想を夢想するという嗜好は恐らくより下等な動物 からあるだろうということになる。  コンクリートと鉄パイプに囲まれて、ダチョウたちが夢想している だろうと考える理屈はこのようなものである。  Herald Tribuneを取るのをやめて、かわりに、Natureを個人購読 して宅配してもらうことにした。  時事(current affairs)というものに対する関心が 皮膚のように薄くなって、毎日 HTを読むのがしんどくなったことと、Natureの論文を お風呂に入ったりトイレに座ったりご飯を食べたりしながら 読みたいと思ったからである。  ネットで読んだり、CSLにあるのを読むのは面倒くさい。時間がない。  HTを読んでいる時間に、ぱらぱらとめくるのがちょうどいい。  長島くんが書けないというので、Neuroscience Meetingの abstractを、私がどーっと書いた。  午後1時過ぎに気が付いて、午後3時前には書き終わった。  本番は12月のフロリダである。  いい発表になると思う。  長島は、ずっと東京ディズニーランドでバイトしていたので、 ディズニーワールドを見るのもいいだろうということでこれに した。  小俣君がガウディのバルセロナで、柳川君がパブのグラスゴーである。  学生には、なるべく早く国際学会で発表させるようにしている。  とにかく世界が一気に変わる。  漱石ではないが、「日本よりも世界の方が広いでしょう。世界よりも 君の頭の中の方が広い」 ということが一発で判る。  ボスがあれこれ言うより、その方が早い。  私が最初に国際学会に行ったのは、東海岸でやったノーベル賞学者 Andrew Huxleyを記念した会で、博士2年の時だった。  どうも学生のことを考えていると、自分がジジイのような気がしてくる。 しかしふざけんじゃねえ、おれはまだまだ駆け抜けるぞと思って 走っていると、ダチョウに出会うのである。  2002.5.8.  新国立劇場に、Richard Straussの 「Salome」を見に行った。  Everdingの演出。  この人の演出は、ウィーン国立歌劇場が来日した時に、 Tristan und Isoldeを見たことがある。  Isoldeが宇宙空間に浮かんだ地球のような惑星に向かって 手を伸ばして「愛の死」を迎えた。  黒い真空の気配に満ちた上演だった。  今回のSalome。  Salomeが本当にteenagerの小娘のようである。  その小娘が、国王にも神からの使い、予言者として 恐れられているヨハナーンの対抗軸になる。  間接的に、「神」への対抗軸となる。  なぜ、性的妄想に狂うティーンエージャーが絶対者への 対抗軸になり得るのか?  このあたり、今回のEverdingの演出はオーソドックスに ドラマの骨格を浮かび上がらせて、考えやすかった。  彼は99年に亡くなっていて、新国立自体も このSalomeの初演は2000年のようである。  私は、Salomeについて、今までそのドラマとしての意義を 真面目に考えたことがなかった。  もともとRichard Straussには「人工的な宝石」のような美しさが あり、その音楽は結晶化の原理によって様々な光の表情を 見せはするが、その輝きはあくまでも鉱物的で、Wagnerのような 自然でhumanな次元には到達しないものと思っていた。  しかし、今回、いや、Salomeは、ある意味ではWagner的な モティーフの現代化と見なしうるなと気が付いた。  もともと、Salomeがヨハナーンの首を手に入れて、念願のキスを する前に、  "Das Geheimnis der Liebe ist gr圦er als das Geheimnis des Todes"  (愛の神秘は、死の神秘よりも深い) という台詞がある。  愛や死というモティーフが、フェティッシュ、倒錯、絶対者、 マテリアリズム、快楽主義という現代的(近現代的というべきか) テーマに即して展開している。Wagnerの神話時代に対して、Straussの 近現代がある。そのさらに背後には、Oscar Wildeの原作がある。  考えてみれば、Richard Straussは少年期、熱狂的なWagnerianだった のだった。  終演後、一緒に見た「おしら様」(塩谷賢)といろいろ話した。  彼は少し前に見たWalkureの方がドラマ的には良かったと言う。  私はあまりにも長くWagnerianをやっているので、Wagnerの 美質はいわば大地のようなもので、むしろSalomeの ような作品に新しい断面を見つけるとウレシクなる。  おしら様は、哲学者の中島義道さんを訪ねたりしてWienには 都合3週間くらい行っている。  Salomeというのは、あの当時のWienそのものだよなと言うと、 やっぱりFreudだろうと答が帰って来た。  Salomeのような作品がリアルタイムで生み出されつつ あった、当時のWienという都市空間のあり方に興味がある。  できれば、そんなものを自分の回りも出現させて見たいものだと 思う。  自分たちでそのようなものを産み出そうとし、また生み出しつつ あった当時のWien という都市空間と、それを輸入してワインや食事と同じ列 で論じる林真理子のような評論をする人間が出てくる 都市空間はやはり違う。  東京の良さは、Salomeのようなクオリア空間の追求の真剣さとしては 表れない。  東京(江戸)の最上は、やはり歌舞伎かと、おしら様としばらく 歌舞伎談義をした。  新国立劇場の作品紹介のパンフレットの文章があまりにもクダラナイので 捨ててしまった。  ヨーロッパのオペラの解説記事は、もっと真面目である。自分たちで 作品を作ってきた、これからも作っていくという自負があるからだ。  会場の入り口で例によって配られていたチラシで、 山本益博が今秋のParsifalの公演の解説を、 聖杯に注がれるワインに例えて書いていた。  完全にくるくるぱーである。  山本益博という人はプライベートにはもう少し intelligentな人なのかもしれないが、だとすれば日本のマスマーケットに 毒されている。あのようなくるくるぱーの言説を歓迎し、消費する パブリックというものがある。  当時のWienも実はそうだったのかもしれないが、だからこそなおさら サロンを作って自分たちの感受性をマスの傲慢な無関心から守る 必要があったのだろう。  こんな時、私は少し世間嫌いになる。  だが、日本人は全体にもう少し仮想というものについて 真剣になった方がいいのではないか。  仮想空間の切実さを追求する真剣さがなければ、Salomeのような 作品も、Richard Straussのような天才も出てこない。 2002.5.9.  日本総領事館に亡命希望者が入り、中国の警官に拘束された 事件だが、こういう時にこそ政府というものの見識が問われる。  明かな国際法違反なのだから、原状回復を求めるのは当然として、 問題なのはそれ以前のプリンシプルである。  小泉首相は、「外国のことでもあるし、その国の事情があるから、 よく調査して冷静に慎重にやりなさいと言ってある」などと言っているが、 事情もクソもなく、やるべきことははっきりしているだろう。  現状回復して、第三国へ出国させる。これ以外にやるべきことは ない。なぜ、第一声でそのことを言わないのか。  この人は、結局、絡め取られていくだけなのか?  中国の政治文化については何回か書いたことがある。経済犯が ろくな裁判も受けずに死刑になる。年間数千人という説もある。 こんなとんでもない政治文化を許容してはいけない。  確かに、中国は変わりつつある。経済発展に伴い、よりリベラルな 方向に変わることを望みたい。  しかし、現状で、駄目なものは駄目だとはっきり言うべきだろう。  「外国のことでもあるし、その国の事情があるから」 などというとぼけたことを言っているばあいじゃない。    中国は大国だから、事を荒立てたくないからなどという人がいる。 このような人が一番頭に来るのであって、たまたま私と同席したり するとヒドイことになる。  去年、帯広の研究会の時、「中国がああいうことをやるのは 10億の民が生きていくために仕方がない」などという人がいたので、 私は激怒した。  完全に切れた。  生きていくということと、恣意的な基準で次々と死刑にすることと どういう関係があるのか?  完全に論理が飛んでいる。狂っている。  田森佳秀と一緒に、机をがんがん叩いて怒りまくった。  あの時の怒りが、今回のような事件に接するとよみがえってくる。  日本は東アジアの中にある。だから、中国、韓国といった隣国 と共存していかなければならない。それは当然のことだ。だとしたら、 中国のくるくるぱーのやり方を、「いいですよ、いいですよ、 そちらにはそちらのご事情があるでしょうから」と全部許容すればいいのか? 冗談ではない。ああいうくるくるぱーの政治文化が、日本に来ても いいのか? 一党独裁、恣意的な政治決定、抑圧的な制度、そんなものを 日本に持ち込んで欲しくないし、中国の政治文化も、ぜひリベラルな 方向に変わって欲しい。そのためにプリンシプルはプリンシプルと して断固主張すべきだろう。  中国の巨大な影響力とどのように向き合うかは、日本にとって 常に重大な問題だった。  古代日本は文字がなかった。それでも、何とか自分たちの言葉を 記そうとして、漢字を組み合わせて表記しようとした。それが古事記で、 日本書紀が「立派な漢文」で書かれていたのに対して、古事記は 一見むちゃくちゃな表記で書かれていた。だから、長い間日本書紀 よりも下に見られていた。  それが、本居宣長によって、再発見され、どのように読めばいいのか、 その探求がなされた。宣長は、古事記が、「文字を持たない日本語を いかに独自に表記するか」という苦闘の作であるという本質を 見抜いた。だからこそ、宣長は忘れることのできない人なのであり、 文化勲章百個分くらいの価値があることをした。  こういうことはナショナリズムとかそういうことではなくて、 人間が生きていく上での基本的な態度の問題である。  古代日本人は、恐らく、自分たちの文字が欲しくて、必死に がんばったのだ。それがどんなにみっともないことでも。  日本が中国に追いつかれる、追い越されるという議論が 盛んな今日、古代日本人の直面した問題は、人ごとではない。  そもそも、政府とか国とか、そんなもんを真面目にとらえるのが オカシイ。  Sydneyに出張している時、オーストラリアの雑誌に、あるコメディアンの 追悼記事が載っていた。  政治風刺のコメディを随分やった人らしい。  記事の中に、Thanks to people like him, nobody takes the government seriously any moreとあった。そうなのである。このような、政府や国を 機能的に脱構築する精神性と、東アジア的真面目抑圧的恣意的 血管膨張的じじい的怒気的勝手気まま的一党独裁的やり方とは あまりにもかけ離れている。  確かに中国は無視するには大きすぎる。だったら、少しでも 良い方向に変わってもらうように手助けする、働きかける、 そういうことをすべきだろう。  日本と中国の過去の関係? そんなこと、知ったこっちゃない。  何よりも、赤ちゃんを背負って警官に捕まっている女の人の写真を 見て、何も感じなかったら人間ではない。  この件でどのような態度をとるか、私は小泉のやり方を注視している。 もし事を荒立てずに中国側のいいなりに処理しようとするならば、 私は完全に純一郎を見捨てるだろう。 2002.5.10.  これで5日か6日連続で走っている。  朝、鉄パイプの檻の横を通ると、ダチョウがそれぞれの 立ち位置で佇んでいる。  身体の中の流れがやっと動き始めて、 やはりこういうのは理屈ではないと思う。  7月7日のAOMORIハーフマラソンというのに申し込んだ。  調べると、午前4時40分に青森駅に着く「エルム」という 寝台特急がある。  エルムで着いて、暗い中で足を踏みならして、青森ハーバー ブリッジを渡る。  そんな近未来を思い描くが、いずれにせよ正気の沙汰ではない。  新屋敷さんが荒船さんと来て、  笑いの話をする。  最初に荒船さんが「笑うと免疫が活性化すると言いますが」 と言うので、「そういうみのもんたみたいな話は私はあんまり」 と言うと、荒船さんも実はそう思っていた。  しかし考えてみると、前頭葉とかセロトニンとか、メディアに 出てくる脳科学の話は、殆どがみのもんたである。  「奥さん、○○を飲むと血がキレイになるよ」 というのと殆ど変わらない。  笑いについてひとしきり話した後、光藤君と柳川君も 誘って「あさり」に行くと、何と荒船さんが講談社の小沢さんを 良く知っているというので、じゃあ呼び出そうとPHSにかけると 案の定出ない。  小沢さんは、携帯に出たことがない。何のための携帯か 判らない。  時計を見ると、7時40分である。  まさかこの時間にいないだろうと電話すると、小沢さんの声で、 「はい講談社です」と言う。  いたよ、いたよというので招集礼状を発行すると、  「8時に出て8時30分に着く」というので 樽酒を飲みながら待っていた。    それから、あさりの閉店までずっと喋っていた。  こんなに遅くまであさりにいたのは始めてだ。  日本の科学教育、ポピュラーサイエンス業界には 大きな問題があると言いながら、どんどん酒を 飲んでいた。    帰ってきて、webでニュースを見て、頭に来て、 info@china-embassy.or.jp  にメイルを送った。  いろんな意味で、怒りがおさまらない。  怒りの奥に、そんな体制の国でもその中で生きて行かなくてはいけない 人たちの一人称の感覚があり、ほろ苦い。  「その中で生きていかなくてはならない」というメタファーは、 イタリア以来大切にしている。  だからこそ、少しでもいい世界にすべきだろう。  今回の事件に対するコメントの報道を見ていて、  ふと、次の首相は亀井静香でもいいのではないかと思った。  彼は死刑廃絶主義者である。それだけでも実現できれば、 無原則な隣国に対する原則の提示になる。  いわば、ワンポイントリリーフである。 2002.5.11.  イギリスのCambridgeの時の同僚、  Valerie Bonnardelが理化学研究所に短期滞在しているので、 SONY CSLに来てtalkしてもらった。  雨の中、Valerieは、Citibankでお金がおろせない、 5月の日本は天気がいいというからU.K.にレインコートを置いてきて しまったら、連日の雨だとぶつぶつ言いながらやってきた。  talkの後で、一緒にCitibankに行って横から見ていたら、20,000ではなく、 200,000と数字を押している。  これは大体160ポンドだろうというから、君は中古車を買いたいのか、 一桁0が多い、だから下ろせなかったんだと言ってやった。  Valerieのtalkは、人間の色覚の遺伝的多様性について。散々 女性の方が男性よりも色の識別能力が高い、しかもreaction timeも 短いという。  その後だったので、  「どうやら男性の方が数の識別能力が高いらしいね」 とからかった。  そして、学生たちの待つ「遠野物語」に向かった。  修士2年の小俣圭くんが、Valerieのtalkの前に初の英語発表を した。  5月30日からBarcelonaで行われるASSC 6でやる口頭発表の 予行である。  いきなり、Valerieに、Do you know the McGurk effect?などと 聞いてから、商品売り込みのヒトのように、原稿を読み始めた。  横を見ると、恩蔵絢子さんがクスクス笑っている。  彼女は上智の物理出身で、英語が得意なのであるが、小俣の パワーポイントの英語が、妙なおかしさなのである。  意味は通じるのだが、骨と肉をばらばらにして組み立てなおした 生き物のようにガタガタしている。  事前に、「茂木さん、原稿を書いておかないと、絶対にできませんよ。」 と言っていた通り、原稿を書いてある途中までは案外すらすらと 言っていたが、10枚目くらいのスライドで突然口の動きが止まる。  まるで、ガソリン切れの車のようである。  そして、日本語で、「コントロールは、こういう風にやって・・・」 など説明し始める。  その度に、私が、「Sorry? I don't understand Japanese...」 などとやる。  後半は掛け合い漫才のようになったが、何とか終わる。  原稿さえ書いておけば、本番も大丈夫そうだ。  というわけで、学生たちも英語の必要性を痛感したようで、 柳川透くんなどは、英語トレーニングをかたく決意したようである。  漱石以来、英語圏という巨大な存在の前に、日本語圏は苦闘している。  例えば、George Lakoffの言っていることが、日本語で書かれた言語論に 比べて、特に上質であるわけではない。  しかし、英語のadvantageは圧倒的で、すねてみても仕方がない。  ただやるしかない。  地理的には中国圏、言語的には英語圏との対峙を迫られ、 平成日本はなかなか大変な住み心地である。 2002.5.12.  7月のAOMORIハーフマラソンを目指して、  このところ少し真面目に走っている。  少しからだが鈍っている。  走ると、しばらく滞っていた 身体の部位に、何か液状のものが流れ始めるというメタファーが 立ち上がる。    木立の中を走っていると、この季節、花が落ちていることが 多い。  白い小さな花の死骸が手を広げ、  土にまみれて還っていきつつ。  クリオネかと見しが、  白地に朱の混ざりた花びらなり。  しばらく見なかった部屋の書類の山をかき分けたり、  十年ぶりにどこかを訪れたり、  音信の途絶えた友人に会ったり、  忘れかけていた仕事を再び再開しようとすると、 柿渋の堆積岩の中に、徐々に油滴が浸透し、やがて 流れ始める、そんな感覚を味わう。  スーパーで「さかな、さかな、さかな〜」の音楽を ぼんやり聞いていると、とても様子のいいカルビ焼き 用の肉が見つかった。  それを焼きながら巨人阪神戦を見ていると、 突然ブレーカーが落ちて、真っ暗になった。  手探りでスィッチを上げ、  デザートのアイスクリームを食べた。  それで、Air Macを通してつながっているADSLの回線が 切れた。  この事件で、しばらく流れていなかった所に思念が 流れはじめた。  どうやらモデムを設定しなおさなければならない。  ダイアルアップの細い線で6Mのマニュアルを ダウンロードしたり、書類の山の中から 目的のブツを探したり、柿渋の堆積岩をかき分けかき分け、 そもそもADSLにおけるIPの割り当てはどうなっているんだろう と考えながら、3時間で何とか復旧した。  おかげで、やろうと思っていた楽しい夕べの仕事は 全て吹っ飛んだ。  清水のホームランが凄かった。内角低めの球を、 ぐいっとひっかけるようにすくい上げて、打球が レーザービームのように真っ直ぐ外野席に飛び込んだ。  勝敗にかかわらず、こういうプレイが一つ見られれば それでいい。    終わって、ザップすると、ドイツ人が斜面を滑って 船で水に突っ込んで、またそこから第二の船が出てくる、 そんな番組をやっていた。  こういうのは案外楽しいもので、しばらく笑いながら 見ていた。  昨日やろうとしていた楽しい仕事を、今朝やろうと思う。 どんな仕事でも、考えて今まで流れていなかったところに 思念を流す、柿渋をとろとろと溶かしていく作業は楽しい。 2002.5.13.  どうも恒例化しつつある「日曜夕方全員集合、月曜朝全員解散」 温泉だが、今回はValerie Bonnardelをゲストに、箱根の小涌園に 集まった。    おしらさま塩谷が京都からこだまに乗ってテクテクくるというので、 我々は、先に、水着で入る巨大ゾーン『ユネッサン』に。  Valerieがどうも気に入ったらしく、次々と入る。  死海風呂や、滝風呂や、ローズ風呂に入る。  露天のローズ風呂にスイス人がいて、  もう私は十数年日本にいて、ここには何回も来ていると 言いながらオールバックの髪の毛をなでる。  「steam bath」を探していたValerieに、「それは、ここでは 『サウナ』と呼ばれている」と教えている。    Valerieは『サウナ』に入って、その後「寝っ転がりゾーン」に 横たわって動かない。  私は科学ライターの荒船良孝さんと露天風呂に浸かり、   「おい、大丈夫かな、見て来た方がいいのではないのか?」   「低温やけどにならないか」などと、ポロンポロン、言葉を 紡いでいると、  イラストレーターの井上智陽が来て、Valerieをのぞき込んで こっちへ来た。  どうやら、大丈夫らしい。    最後に足が向かった「森の湯」という水着なしの露天風呂 にValerieが入ったまま出てこない。  竹内薫とロッカールームの前のベンチに腰掛けて、今後我々は どうするか、缶ビールに託して語り合う。  おしら様は、食事の時に来た。  生ビールをぐいぐい飲んでいると、後頭部をぱかーっとなぐる やつがいて、  振り向いたら塩谷だった。  Valerieのトータル2時間風呂にみんなでつき合って、  私はふらふらになった。  そもそも私は温泉にこんなに長く浸かることがない。  入浴の注意を見ると、3日めあたりから 湯あたりするかもしれないとあるが、2時間めあたりからとは 書いていない。  生ビールでも湯あたりは流し落とせなかったらしく、  今朝も何となくだるい。  竹内薫とロッカールームの前のベンチで語り合ったことについて、 またいろいろ考える。  温泉は志を立てる場所である。 2002.5.14.  どうも妙なことを思い出した。  箱根小涌園で、Valerieにつき合い、2時間温泉プールに浸かって ふらふらになったところ、最後に「森の湯」という本当に裸に なる男女別の風呂に入った。  檜の風呂があって、大きな窓が外気に向かって開け放たれていた。  露天風呂からそちらに移動するときに、スライドドアの前に 小さな男の子が立っていた。  4歳くらいだろうか。入るかなとドアを押さえてしばらく待っていたが、 動くそぶりがないので、私だけ入った。  檜風呂に浸かってその子を見ると、その子も、じっと私の方を見ていた。  つるつるの小さな顔をした、鉄腕アトムのような髪の男の子だった。  その子が、私の顔をまじまじと見た後、いきなり窓のへりで おしっこをしたのである。  小さなおちんちんから、しーっと液体が出た。  あれ、そうか、おしっこがしたくて、どうしていいか判らない でドアのところに立っていたのだなと思った。  まあ、子供だし、いいだろう、よかったと、そのまま湯気の微細な 動きに注意を向けてしまったので、その後その子がどうしたかしらない。  翌朝、早く目が覚めて、今度はホテル付属の小振りの風呂に入った。  露天風呂で朝の森の気配を吸い込んでから、屋内に入って 仕上げの風呂に浸かっていると、小さな男の子が父親と入ってきた。  最初は気がつかなかったのだが、やがて昨日の子だと気がついた。  向こうも気がついたのか、洗い場のところに父親といて、 半身をひねって私の方を見ている。  私の顔を、数秒間、まじまじと見ていたが、その子が、突然 「おしっこ」と言うと、父親に支えられて、洗い場の隅の ところでまたおしっこを始めたのである。  脱衣場に出て、タオルで身体を拭きながら、これはどうも妙だぞ と思った。  あの子がおしっこをするのを2回見た。2回とも、あの子は私の 顔をまじまじと見てから、おしっこをした。  短い間に2回しか会っていないのに、2回ともおしっこした。  あの子は、風呂場でおしっこをするクセがあって、たまたま 私がそれを目撃したのか、それとも、私の顔をまじまじと見ている うちにおしっこがしたくなったのか?   私の顔に、おしっこを誘発する要素があるのか?  どうもこういう現象の背後には、奥深い問題があるような気もするし、 ただの馬鹿な笑い話のような気もするし、  ただ、こうして書いておかないと忘れてしまうだろうと思うから、 日記に記しておく。  先日熱帯魚屋で餌を買ったとき、カブトムシの幼虫をもらった。 大振りのシャーレに入れたが、腐葉土が少なくて、身体が出ている。  これじゃあストレスを感じて弱るだろうと土をかける時に 身体に触って、幼虫が硬くなった。  その瞬間に気がついた。私から見れば幼虫の白い身体の一部が 土から剥き出しになっているが、  恐らく光のセンサーは頭にしかない。  だから、頭さえ土に隠れていれば、全身がかかっていると思うのかも しれない。  そうではないかもしれないが、いずれにせよ生き物に接すると いろいろなことを考えて楽しい。  養老さんが、以前ユニクロのコマーシャルに出て、「私は一日に 10分は人間が作ったものではないものを見ることにしています」 と言った極意である。  男の子は、幼い時ほど、カブトムシの幼虫に通じる風合いをより 純粋な形で持っているように思う。  幼虫が土の中でうごめくように、お風呂場でおしっこをする。  我々一人一人のなかに、カブトムシの幼虫がいる。 2002.5.15.  自分にとって新しい、困難な、しかしやりがいのある仕事を 終え、  まだ1合目だが、とにかくと、「鬼殺し」をコップに入れて、 AirBoardで日本=ノルウェー戦を見た。  どうも押され気味だなと思った。  印象に残ったのは小野と市川。   中田英寿が良いと人はいうが、どうも切れすぎるナイフのようで、 ミスも多い。それに対して小野はとても柔らかい。「猫足」 という印象。タイプの違う中田と小野の組み合わせは良いかもしれない。  市川は何で印象に残ったかと言えば、顔に親しみがもてて 一緒に酒が飲みたいと思ったからである。前半で寝た。  これは負けるなと予感して朝刊を開くと、案の定。 しかし、日本代表をけなす気にはならない。身体が動く、 動かないというのがどういうことか、自分でサッカーをやること を考えれば大変だなと判るからである。  中学校の時、石塚さんという、ブラジルでサッカーをやってきた 体育の教師がいて、ボールを二つ使って試合をやらせた。  一つでさえ面白いのに、二つ使った時の超コーフン状態は スゴイもので、血が煮えたぎった。  身体が動かない時は動かない、できない時は できない。  プロである日本代表は全力を尽くしている のだろうということは想像できる。  本番はがんばってほしい。  阿南とかいう大使が難民が来たら追い出せとか発言していた ようだが、これもどうも悪意があるというよりは、「身体が動かない」 類の問題なのではないかと懸念する。  日本の官僚エリートになる人たちが、どのようなタイプの人たちか ということについて、私はヴィヴィッドな実感を持っている。要するに、 学芸大学付属高校の同期で文氓ノ行ったやつらと、学士入学で 2年間在籍した東大法学部のことを思い返せば良い。  法学部には、もともと、そういう資質の人が集まっていたのだろうと 思う。その資質が、国家公務員上級試験だとか、司法試験だとか、 そういうフィクショナルな卓越を至上のものとする教育で強化されて、 まあ正直言って、この激動の時代には役に立たない能力が醸成 されると言わざるを得ない。  もちろん例外はあるだろう。しかし、学生同士のpeer pressureで、 お互いに「この方向に切磋琢磨しよう」という方向性が時代に 全くそぐわないのである。  サッカーでボランチをやるようなことができない。 身体が動かない。  腕組みしてサッカーを見て、ああでもないこうでもない と理屈を言うだけだ。  阿南という人も、悪意があるというよりは、単に腕組みの人なのだろう と想像する。    何年か前、鳥が落ちていたことがあって、サラリーマンと OLが心配そうに見ていた。私はレストランの中にいたのだが、 10分くらい経っても 心配そうに見ているだけなので、ランチを中断して、外に出て、 その場で104で日本野鳥の会に電話した。保護はしていない、 東京都のなんとかかんとかという部署に電話してくれというので、 そうすると、東京都が契約しているペットショップがあって、 そこに持っていけという。  そこで、私は、そのペットショップまでその鳥を持っていった。 珍しい渡り鳥だったようである。  ああいう時に善意があっても、身体が動かないんじゃしょうがない。  難民が入ってきて、警察官が追いかけてきた時に、とっさに 身体が動くか動かないか。まあ、外務省の人間がその類の能力を 持つべく人材育成されているとはとても思えない。  だったら、全取っ替えしか本当はないのではないか。  たまたま私はあの時イギリスのRSPBの連想があったので、野鳥の 会に電話できた。野鳥保護をしない日本野鳥の会というのも奇妙な 存在だと思うが(鉄チャンならぬ鳥チャンの集まりに過ぎないのだろう)、 いずれにせよ行為の発想のポケットを沢山持たないと、ボランチは できない。 http://www.rspb.org.uk/  阿南という人も、可哀想に辞任せざるを得ないだろうが、まあ 自業自得であって、積み上げてきた能力、資質が時代にそぐわない。  何しろ、人の命に関わることで判断ミスをしたのだから、 自分の地位ぐらい失っても当たり前だろう。  そもそも、日本の国際イメージをこれだけ損なったんだから、 一大使の職くらいでは 済まない。やはり「能吏」出身の川口大臣も(しかしこの「大臣」 という時代錯誤な名称は何とかならないのか?)辞めるべきだろう。  先ほども書いたように、本来は全取っ替えである。  東大法学部に象徴される旧エリート層は自分たちのモデルチェンジを しない限り、これから没落するばかりである。  ざまあみろという人も多いだろう。  維新の時の士族の没落もこんなものだったのかと思うが、 「瓦解」というくらいだからもっと激しかったのだろう。  まあ、他人のことはこれくらいにして、せいぜい、自分がボランチ できるように自己鍛錬するだけである。 2002.5.16.  新潮社のsswebを復活させて、小林秀雄の「現代思想について」 の講演と、漱石の「硝子戸の中」をMDに落として、行き帰りに 聴いた。  「硝子戸の中」は、完全に現代である。昨年書かれたエッセイ だと言われても不思議ではない。  LP4なので、一枚のMDに320分入る。まだまだ入る。  LakoffとNunezのWhere Mathematics comes fromが届いたので、 早速読み始めた。  exp(iπ)+1=0がどのようなembodied metaphorによって支えられている かということを説明するというのだが、どうも書き出しが少し冗長である。  はて、期待できるか。  いい本というのは、匂いがある。PenroseのEmperor's New Mindは、 書き出しから、ある種の美しさがあった。Penroseのthesis自体に ついてはいろいろ言う人があるだろうが、あの文体の美しさは Penroseという人の類希な知性を表している。   読後10年以上経つけれども、結局最後に残る印象というのは、 そういうレベルのものであるように思う。  Richard FeynmanのSurely You're joking Mr. Feynmanのcopyを 紛失していて、1年くらい前から時々探してああ読みたいと思って いたのだが、昨日やっとamazonに注文。  読み返してみたい場面がある。  原爆開発のマンハッタン・プロジェクトで、ウランの濃縮がどうしても うまくできない。  機密保持のために、殆どの科学者たちには、ウランを濃縮していると 教えていない。  Feynmanは、科学者というものは、自分たちが何をしているかを知らないと 考えることができない。動機付けがわかない。機密保持は判るが、 ウラン濃縮を成功させるヒューマン・ファクターとして、どうしても、 彼らがやろうとしているのはウラン濃縮だということを伝える必要が あるのではないか?  そう、Feynmanはプロジェクトの最高責任者である将軍に迫る。    次の場面が素晴らしい。将軍は、Feynmanの話を聞くと、「ちょっと 考えるから待ってくれ」と言って、部屋の窓の所にいくと、しばらく 黙って外を見ている。やがて、振り向くと、「判った、みんなに、 濃縮しているのはウランだと伝えてくれ」と言う。  Feynmanはすっかり感心する。たった今将軍が下したのは、 潜在的に多くの安全保障上の、そしてプロジェクト推進上の影響を 持つ判断である。関連する要素は無数にある。その無数の要素を 思いつつ、限られた時間の間に、自分が適切だと思う判断を下す。  なるほど、戦場は多くの人の命を左右する決断をしなくては いけない将軍というのは、判断(judgement)を下す能力 において優れているのだと、Feynmanは悟るのである。  Surely you are joking....はこの場面以外にも素晴らしい場面が 散りばめられていて、本当に宝石のような本である。  Feynmanが成し遂げたのは量子電磁気学におけるくりこみ理論だが、 彼が類い希な知性とキャラクターの持ち主だったことが判る。  上の場面を思い出したのは、日本大使館の阿南大使の醜態に 象徴されるように、日本のエリートは、上の将軍のような意味での 重い判断(judgement)を適切に下すという能力に劣って著しく 劣るということに思い至ったからだ。  こちょこちょと下らない保身に走ったり、規定だ、法律だ、 前例だと木っ端判断をするのには長けているが、肝心の重要場面での 判断ができない。  日本人の中にも、判断において優れている人間がいないわけでは ない。  しかし、役所という所は、そういう人間が育まれ、出世するようには 出来ていない。大体、22歳の時に下らないペーパーテストを やって、その成績が後々まで出世に影響するなどというおもちゃの兵隊 見たいなことをしゃーしゃーと言う組織である。  そういう組織から、まともな判断を下せる人間が出てくるはずが ないではないか。  たまたま、民放で、昔キャリアとして外務省にいたという人が、 今回の事件を批判的に語っていた。  しかし、その彼自身から、ある種の臭いが漂ってくる。辞めて10年 経っても、臭いは消えないらしい。そして、その臭いは、Feynmanに 迫られて窓の外を見て判断を下す将軍とはどうも違う臭いである。  川口も福田も阿南をかばおうとしているが、誰が何と言っても、 阿南の下した判断が木っ端判断だったという事実を消すことはできない。  木っ端は、みじんにして吹き飛ばすにこしたことはない。 2002.5.17.  どうも奇妙なものを幾つか見た。  地下鉄の中で仕事をしていると、びりっ、びりっと音がする。 断続的に音がする。  どうも妙だ、と気がついたのはどれくらい経っただろうか。  顔を上げると、奇妙な光景が目に入って来た。  正面に座った五十でこぼこの男だろうか。紙袋を 足元に置き、そこから書類を次々と取り出し、びりびりと破っている。 がまの油売りのように、1枚が2枚、2枚が4枚・・・・と、 8枚くらいまで細かくしてから、もう一つの紙袋に 入れている。  いつまでもいつまでも、びりっ、びりっと続いて、  2駅、3駅、4駅と経過しているうちに、破られた書類が 随分重そうになった。    一体、何を破っているのだろうと心持ち乗り出したが、オフィスで 打ち出した何かの書類だということしか判らない。  視線を上げて、顔をまじまじと見ると、薄くなった髪型を 油で撫でつけている。  どうもスパイとか機密とかそういうのには関係のなさそうな顔である。  びりっ、びりっを残し駅で降りて、エスカレーターに乗ると、 前に髪を左右に分けて縛った女性。  誰が誰だか良く判らないが、「ミニモニ」という感じである。  そのうち、前で誰かが咳をした。  ごほっ、ごほっ、と、腹に響く低音である。  はて、ミニモニの前に、オジサンがいるのかと見ると、 どうも「ごほっ」とシンクロしてミニモニの身体が揺れている。  どうしてあんな声にと思っているうちに、エスカレーターが 終わる。  やがて駅を出て、歩道橋を降りていくと、向こうから イタリア人風の若い男が、やきそばのパックを開けながら来る。  階段を昇りながら、割り箸を器用に割って、もう食べ始めている。  その仕草を見て、小さん師匠を思い出した。  もちろん、師匠が蕎麦を食べる仕草と、イタリア人がやきそばを食べる 仕草はどうも違う。  ただ、食べる動作に移行する、事も無げな雰囲気が似ていた。  それで、連想した。  それぞれの奇妙な出来事に、それぞれの奇妙なクオリアがまとわり ついている。  志向的クオリアである。  この前George Lakoffが出た会議に行った時に、感覚的クオリア と志向的クオリアの話をして、従来のクオリア議論は感覚的 クオリア中心だったが、志向的クオリアに広げて、初めて身体性が 自然に入ると言ったら、  LakoffがThat's rightと言っていた。    志向的クオリアを感覚運動連合、ボディ・イメージ、身体性との 絡みで議論するのが戦略的には今一番いいように思う。  もっとも、この戦略のみで、錬心術を超えることはできない。    街には様々な志向的クオリアが落ちている。  江戸落語は、それを拾って今に伝えている。 2002.5.18.  午後3時からJournal Club。  関根崇泰君が、TINSの夢の論文。夢で見る内容が、カプグラ、 相貌失認などの様々な脳障害の結果として生じる幻覚と 似ているということを 非侵襲計測の結果と組み合わせて議論した論文。  方法論的にはかなり問題があるけども、面白い論文だった。  須藤珠水さんは、数学の計算の脳内モジュールにexactな計算 とapproximateな計算の2種類あり、前者は自然言語のモジュールと かなり密接に関係しているが、後者は言語とはある程度独立なプロセス だという論文。  こちらも方法論的な問題が目に付いたけど、とにかく面白かった。  須藤さんが燃えている。7月締め切りの学会に出すとか言っている。 とにかくN=1で実験してデータをとってみましょうと言い残して、 田谷文彦くん、小俣圭くん、柳川透くん、長島久幸くんと 一緒に目黒に出た。  といっても、さんまを食べに行ったのではない。「ウンジャマラミー」 や「パラッパラッパー」など、数々の「音ゲー」の名作を作っている 松浦さんを、アジトの七音社に訪ねたのである。  しかも、柳川くんがはまったPS2の名作「ICO」をプロデゥース したSCEIの海道さんも来るというゴージャスなメンバーである。  まずは七音社ツアーで、アナログの音だしのすごい機械を見てしまって、 それから目黒川沿いの某所へ。  松浦さんのアシスタントのOさんの、「私は4歳の時に宇宙人を 見た」発言でいきなりわけのわからない盛り上がりに突入し、 そのままイギリス人がやっているパブBlack Lionに行ったら、 店名がEuro Diningなんとかになっている。  あれ、と思ったら、単にWorld Cup開催中は、Englandだけでなく 世界中の人に来てもらいたいから、Euroなんとかにしたのだと言う。  そうなのである。どうも、実にWorld Cupは大変な祭りであって、 Black LionがEuroなんとかになってしまうのである。    England vs. Argentinaの時にこのBlack Lion改名Euroなんとかに 来たら、すごい事になっているに違いないといいつつ、Kilkemyを 飲みつつ、赤ワインを飲みつつ、松浦さんとスルドイ漫才をしつつ、 午前3時まで飲んでしまった。  Black Lion改名Euroなんとかは、全くbilingualな多国籍 空間であって、東京は場所を選べばGlobal Villageなのである。  そこで松浦海道の両クリエーターと過ごした夜は、 いろいろ進路で悩んだりしている学生たちにとって、大いなる インスピレーションの場だったろう、  といいつつ実は自分が勝手に楽しんでいたのである。 2002.5.19    写楽をやっていた。  10ヶ月で姿を消したというのは以前から聞いていたが、 残された144枚の絵を見ていると、改めて写楽という「現象」 の実感が涌いてくる。 http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/  創造というものは、凝縮した軌道で記述される。  サッカーの一流選手の動きのように無駄がなく、激しく、そして あっという間に終わる。  写楽というすでに固定した歴史的事象としてではなく、 まさに産出されつつある生の現場を想像すると、いたく突き動かされる。  歴史認識とは、不可視、不可触のものを想像する行為である。  大河ドラマなどというものは、その、不可視の領域を陳腐に 戯画化することによって、想像の飛躍を奪う。  テレビというのは、ちゃんとピックアップすれば、いい番組を やっているものだなと思う。  「美の巨人たち」はDVDになるようだが、本来は、ライブラリー としていつでも見られる形でリリースされるべきではないだろうか。  こういういい番組は、一種の公共財なのだから、ストックして いく必要がある。  フェルメールの回も忘れがたい。  何となく気になって、「ライオンは眠れない」を買った。  「サミュエル・ライダー」というイギリス人が書いたということに なっているが、内容からして、日本人が書いたのではないかと 思えるくらい、コイズミタナカイシハラの現代史の細かいところを カリカチュアしている。  本人も書いているように「チーズ」よりもマシだが、問題は、 この手のお手軽な本で処方箋が見つかると思うことではないか。  次々と、「こうすれば切り抜けられる」という指南をした翻訳書、 ないしは翻訳書を装った本が出版される。以前読んだ本の中に、 「宝くじは無知への課税である」(Lottery is a taxation on ignorance) という警句があって感心したことがある。「チーズ」や「ライオン」も 無知への課税かもしれない。「宝くじナンバーズ必勝法」は、 原理的に「無知への課税」でしかあり得ない。パスカル以来の 確率論の歴史を無視してこういうのが出てくる。「チーズ」や「ライオン」 は、もう少しうまく目くらまししている。  「ライオン」を買ったのは、一つ自分も「チーズ」や「ライオン」 ならぬ本を書いてみようかと思ったからである。  150枚くらいだったら、3日集中すれば書けそうだ。  伝えたいのは人間の判断(ジャッジメント)プロセス についてのシングルメッセージで、 それが日本人が世界に対する際に援用する知的資源で欠けている コアの部分のように思うのだが、果たして本当に書くかどうか、  出版社も探していないし、面倒になってやめてしまうかもしれない。  至って真面目な気持ちから構想したのだが、  チーズやライオンも案外マジメな気持ちから構想されたのかもしれない。  いずれにせよ、写楽の天才とは関係のない世界で、さっと書いて 1時間で読まれるべき類のものである。 2002.5.20.  何だか知らないが、一日中机の前に座ってタイプしていた。  日本語と英語が半々。  それで、夜、散歩に出たら、ふらふらした。  疲れているなと、金色の缶に入った日本酒を3分の1程飲んだ。  すき焼きに使ったやつの残りだ。  うまかった。    最近思うのだが、どうも、知的な生産というのも、サッカーの 試合での動きのように激しく早くやるべきものなのではないか?  自覚的にあまり詰めていなかったが、いわゆる創造性と年齢に 関係があるというのは、このあたりにあるように思う。  まだまだリベロでがんばるぞと、最近はかなり自覚的に激しく 動いている。  それでも、駆け抜けるべき仮想空間は無限にあるような気がする。  しかし、考えて見ると、ハイティーンからロウトウェンティーの 頃は、常にそのように感じていたのだった。  現実と仮想の間のジリジリするようなズレこそが、青春時代を 特徴付けていた。  駒場の正門入り口の前で、数学科に進学したHと1時間くらい 立ったまま喋っていたことがある。  眼鏡をかけて、少し神経質な細い顔をしたそいつは、やがて ぽろっと、「結局、全ては『死ぬ』ということに行き着くんだよな」 と言った。  私は何も答えなかったが、あのような感覚、ダイコンの根元の 青みがかった場所のような感覚。  その感覚に、私たちは皆包まれていた。  クオリアが解けるかどうかということよりも、実は、あのような 感覚が重要な気もする。  あの頃、私が、私たちの世代が感じていた「重圧」。  あれが、実はかけがえのない生の実感だったということは、そのような ものに対してある程度余裕を持って対することができた今になって こそ深くappreciateできる。  この前PISAに行った時に感じた、「この街で暮らして いかなければならないとしたら。イタリア語を喋り、仕事をして、 家族を養っていかなくてはならないとしたら」という重圧のメタファー。  それに通じるものを、いわゆる青春時代には常に感じていた。  その中にどっぷり入って逃げ場がないというよりは、複数の 視点を持ち、重圧が「演ずる喜び」になることで良いものに転化する。  そう、スルドイ指摘をしたのは、おしら様哲学者、塩谷賢である。  今面倒を見ているM2の小俣とか柳川とか長島が進路の問題で いろいろ悩んでいる。彼らの表情の中に、ダイコンの青みがかった 場所を感じることがある。  転化してほしい。  今朝のNHKニュースで、大リーグのイチローが2安打で、 アルゼンチンが公開練習をして、という映像の後で、いきなり 力士の顔が大写しになり、「技ありの8連勝」と出たのだが、 そのミスマッチ感に大笑いしてしまった。  新聞を片手に、腹を抱えて笑った。こんなに唐突に笑いの 発作が来たのは、久し振りだ。  イチロー、アルゼンチンと来て、その後に大相撲の 力士の髷顔が脈絡なく出ると、かなりインパクトがある。  奇妙な生態のほ乳類を発見したような感覚がある。  ここが、今大相撲が直面している困難さなのだろうと思いつつ、 しかし私は相撲を見るのが好きなはずなのだった。 2002.5.21.  最近はMDにsswebを落としたものも持ち歩く。  今持っているMDには、MDLPで小林秀雄の講演「現代思想について」 と、夏目漱石の「硝子戸の中」、それに「夢十夜」が入っている。  数日前、「硝子戸の中」の、自殺志願の女が訪ねてくる場面を聴いていた。  女の告白は聴いている私を息苦しくしたくらいに悲痛を極(きわ)めたものであった。彼女は私に向ってこんな質問をかけた。―― 「もし先生が小説を御書きになる場合には、その女の始末をどうなさいますか」  私は返答に窮した。 「女の死ぬ方がいいと御思いになりますか、それとも生きているよ うに御書きになりますか」  私はどちらにでも書けると答えて、暗(あん)に女の気色をうかが った。女はもっと判然した挨拶(あいさつ)を私から要求するように 見えた。私は仕方なしにこう答えた。―― 「生きるという事を人間の中心点として考えれば、そのままにしてい て差支(さしつかえ)ないでしょう。しかし美くしいものや気高(け だか)いものを一義において人間を評価すれば、問題が違って来るか も知れません」 「先生はどちらを御択(おえら)びになりますか」  私はまた躊躇(ちゅうちょ)した。黙って女のいう事を聞いている よりほかに仕方がなかった。  ・・・・・ 曲り角の所で女はちょっと会釈(えしゃく)して、「先生に送ってい ただいてはもったいのうございます」と云った。「もったいない訳が ありません。同じ人間です」と私は答えた。  次の曲り角へ来たとき女は「先生に送っていただくのは光栄でござ います」とまた云った。私は「本当に光栄と思いますか」と真面目 (まじめ)に尋ねた。女は簡単に「思います」とはっきり答えた。私 は「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と云った。私は女がこの 言葉をどう解釈したか知らない。私はそれから一丁ばかり行って、ま た宅(うち)の方へ引き返したのである。  こういうのを聴くと、ああ、ここにすでにもう現代が始まっている なと思う。    街を歩きながら、柳川くんとやっている 動的適応性と揺らぎの関係について考える。  「動的に適応するためには、普段からある程度、システムが 構造化された揺らぎを持っていなくてはならない。」  揺らいでいる人の方が、変化に適応できる。これはおそらく 正しい警句だが、その理論化で柳川くんも私も苦労している。    漱石の作品にとらえられた揺らぎは美しい。ふとそう思った。 2002.5.22.  朝日カルチャーセンターで、2−3日前に構想した、 「緊急執筆本」の内容に当たることを試しに話してみた。  少し内容を明かしてしまえば、「イギリスには成文憲法がない」 という公民の授業では一行では片付けられてしまうような事実の 背後にある恐ろしき叡智をとば口に、「判断」(ジャッジメント) というものについて考える。  「判断」は、明示化されたルールに従って行うことはできない。  ルールに従って判断するというのは、人工知能である。人工知能は 失敗している。なぜ、その失敗した人工知能のように振る舞えと、 人間に要求するのか?    話していて、これは行けそうだな、という確信が自分の中で わき上がってきた。  3日間で、というのはやはり無理で、他にもいろいろやることが あるし、時間を断片的にとって、何とか30枚くらいは書いた。  150枚の予定だから、5分の1である。  Surely You're Joking Mr. Feynmanが届いた。  行き帰りの電車で読み返して思ったが、これは本当に面白い 本である。類い希な本。  それを使って、こんなものを書いた。一部ネタばらしである。  アメリカの物理学者、リチャード・ファインマンの自伝「ご冗談 でしょう、ファインマンさん」は、科学者の自伝としてだけではな く、20世紀を代表するユニークな天才の回顧録として出色の出来 です。  第二次世界大戦中、ファインマンは、ロス・アラモスの軍の研究 所で行われている原子爆弾の開発を目指したマンハッタン計画に招 集されます。ところが、オークリッジの工場で行われている、核分 裂するウラン同位体を濃縮するプロジェクトがなかなか進まない。 ファインマンは、これは、参加している技術者たちが、自分たちが 何をしようとしているのか、その理屈を知らされていないからでは ないかと考えます。科学者というものは、自分たちが何をしている か理解しないと、やる気もでないし、創意工夫もできない。軍事機 密をなるべく拡散させないという観点から、何をしているのか秘密 にしておきたいというのも判るが、とにかくこのままではプロジェ クトが進まない。何よりも、水中で速度が落ちた中性子の作用がい かに危険なものか、これだけでも技術者たちに理解させたい。そう 考えたファインマンは、オークリッジの工場の責任者である大佐に 直訴します。その時のことをファインマンは次のように回想します。  その結果起きたことは素晴らしいことだった。仲立ちしてくれた 中尉が、大佐のところに行き、私の発言を繰り返した。大佐は、「 五分だけ時間をくれ」と言うと、窓のところに行き、立ち止まって、 考え始めた。このようなことこそ、彼ら軍の責任者たちが得意なこ となのだーーつまり、決断をするということである。私は、オーク リッジの工場で働く技術者たちに、開発しようとしている爆弾の原 理を教えるべきかどうかという重大な決断を、たった5分で下すこ とができるというのは、スゴイことだと思った。この一点をとって も、私は彼ら、軍の指揮者たちを尊敬する。私はと言えば、どんな に時間をかけても、重要な決断をすることができないことが多いか らである。  やがて、五分が過ぎ、大佐が振り向いた。それから、大佐は、 「判った。ファインマン君、みんなに情報を伝えてくれ」と言った のである。  この時、大佐が考慮しなければならない要素は、殆ど無限にあっ たでしょう。一般の技術者を通して、ウラニウム濃縮の事実が外部 に漏洩してしまう危険性。それほど危険な新しい爆弾を作っている と知ることによって、技術者の間に生じるかもしれない動揺。何よ りも、トップ・シークレットである原爆の原理が、一般に拡散して しまう恐れ。大佐は、五分間窓に向かって考えている間に、これら の全てのマイナス材料と、技術者たちが自分たちが何をしているの か知ることによって、よりよく創意工夫できるようになるプラス材 料を比較検討し、熟慮したわけです。そして、技術者たちに情報を 伝えることの方が、プロジェクトを成功させるためには良いという 判断(ジャッジメント)に達したのです。          (「判断」(ジャッジメント)(仮題)原稿)  このような大佐の判断は、明示化されたルールでは行えない。  人々の生の帰趨に責任を持つエリートは、このような意味での 「判断」(ジャッジメント)の能力においてこそ卓越しなければ ならない。 このあたりのことを、日本の官僚はもう少し考えてもらいたいの である。   2002.6.24.  Journal Clubは、4つ。  まず柳川くんが、単一ニューロンの活動と周囲のニューロンの活動 パターンに相関があることを、刺激入力時と自発発火時に渡って 計測した論文。これは、今やっているプロジェクトに使えるねと。  続いて私が酵素共役反応におけるstochastic interference effect という独自ネタ。EA1B1 -> EA2B2などと書いていると、 小俣くんが、「そんなの、いきなり書いても、Eが酵素だと言わないと 判らないジャン」などという。小俣は生化学をやったことがあるから いいが、他の人は判らないだろうという。それは困った、じゃあ、 Molecular Biology of the Cellもやるかという話に。  次に張さんが、ATRのレンタルfMRIを使ったデータの報告。 これは、何でここが光るんだろうと、みんなで盛り上がる。  そして最後に小俣くんの、Barcelona ASSC4の予行の2回目。 この前と同じところで「原稿」が切れて、いきなり日本語になる。  今日はValerieがいないので、それでも大丈夫である。  Valerieが来たとき、「今日はあなたのtalkともう一つのtalkが ある」と言ったら、「それはcrazyだ、ここでは、いつもそんなに hecticにinformationをtradeしているのか?」と言った。  確かに、Cambridgeの生活からすると、2時間で4つのネタ というのはcrazyだろう。  しかし、NatureやScienceの論文くらい、初見で30分くらい みたら、ぱっと本質が判るというのは当たり前の能力なので、 院生には酷だけどやっている。どこかの大学の先生の苦労話 として、「この論文読んどいて」と渡して、一週間くらいして 聞くと、「今読んでいます」との答で、見ると、論文にびっしり 単語の訳が書いてある、しかも、intentionalなど、一般的な 単語にも書いてあるというのを聞いたことがある。  「この論文読んどいて」というのは、小一時間でぱっと 掴んでおいてくれという意味である。Review of Modern Physicsの Wilsonの繰り込み群の論文じゃないんだから、グラフが4つしか ない論文など、1時間で読めなくてはだめである。  コーヒーを飲み、おかしをぽりぽり食べて、  5時30分になると、私と柳川は研究会があるからと、さささと みんなを残してCSLを後にした。  研究会というのは、オムロンのHRIがやっている小規模の ワークショップで、そこに瀬名秀明さんが来るというので行ったのである。  話はさかのぼる。私は、瀬名さんの小説の批判的論評をwebに 載せていたことがある。  ある時瀬名さんがCSLに谷さんのロボットの取材に来て、 廊下でぱたと顔を合わせた。実際にお会いするのは初めてだったのだが、 顔を見合わせた瞬間、「あっ、この人は、あの書評のことを知っている」 と判ってしまって、何だかすごく済まなくなって、瀬名さんが となりの谷さんの部屋で喋っている間に、そっこうで そのファイルを消した。  なぜ、瀬名さんの顔を見た瞬間に、済まないと思ったのか良く 判らない。  いずれにせよ、そんな事件があってしばらくして、今度は 東大駒場の池上高志が瀬名さんや星野力さんといった人工生命関係者 と花見をした。  その後、池上が、「おい、瀬名さんと会ったんだけどな、茂木 さんはどうも私の小説があまり好きじゃないらしいですよと言って いたぞ。」 と言うので、私は、あちゃーと思った。  これはいつか何とかしなくてはと思っていて、昨日の研究会に なったのである。  瀬名さんはヒューマノイドロボットの将来像について話した。 議論の後の居酒屋の時、あのようには書いたが、あれは瀬名さんが 単なる「理系小説」を超えた人間の全体性を引き受けた小説を 書くポテンシャルがあると思ったからであって、Mのミステリーの ように、最初から相手にしていないものもある。 あれは、決して、悪気が あるわけではない、うんぬんかんぬんなどと言って、 長年の「気まずさ」を溶いた。  笑ってしまったのは、「茂木さんが書評の件でやばいと思っている」 ということを、瀬名さんが聞いていたということである。   誰に聞いたのですか、池上あたりですかと聞くと、「いや、誰ともなく 聞きました」と言う。  隣に座っていた柳川が、「筒抜けじゃないですか」などと 言って、爆笑となった。  森羅万象について話す。    「今日の話はあれで良かったのでしょうか?」などと主催の 中野さんにしきりに聞いているので、  「瀬名さんの特質は、そうやってすぐself-reflectionするところ ですね。それが、一つの小説的資質だと思うのだけど。」 というと、  「そうなんです。しかし、一度小説を書き始めると、案外他人の 視線を気にしないで書くんです。」 との答。私はなるほどと思った。  昨日交わした、もっとも実質的な会話だった。 2002.5.24.  実に久し振りに理化学研究所に行く。ratのhippocampusについての Mark Bower のtalkを聞きにいったのである。  柳川くん、長島くんも。  時間を間違えてしまって、最後の5分しか聴けなかった。  それでも、ぱっと様子がわかったので、CSLから理研に移った 谷さんの後に、2番手で質問してしまった。  あとで、最後の5分だけで質問するというのはひどいね、と 柳川、長島に弁解しておいた。  会場に谷さんと猿の電気生理の俊英、松元健二さんが残り、 柳川が松元さんを質問責めにする。  柳川はちょっと前に「心の理論」に興味を持って調べていて、 その時何回も出会ったcingulate cortexについて、  あれは辺縁系なのですか、anteriorは何をしているんですか、 posteriorは何をしているのですか、ぶつぶつぶつぶつ。。。。と 松元さんに質問を浴びせる。  松元さんは独特の揮発系のにこやかさで応じてくださって、 私が部屋を出てメイルを拾って戻ってきても、まだ質問責めは 続いていた。  一応、伊藤正男先生の研究室の非常勤ということになっているので、 今年はマジメにIDを作って、週に一回は来ようと思う。  これには心理的変化があって、最近、脳科学は錬心術(alchemy of mind)だとはっきり判って以来、第一原理を解きたい(それが 私の人生の究極の目的だが)という気持ちと同時に、じゃあ、 脳という複雑な物質の性質を調べるmaterial scienceとして、脳を 見ればいいじゃないかと、むしろ猛然とconventionalなneuroscienceへの 興味が涌いてきてしまったのである。  脳は、大抵のmaterial scienceの対象よりも複雑である。それでは、 意識は単なるflavourとしてmaterialとして調べても、それはそれで 面白いだろう。もちろん、そのことと究極の目的は必ずしも直結 しないのだが。  柳川くん、長島くんと図書室に言って、猛然と論文を読んだ。 彼らはコピーを沢山したが、私はコピーをする時間がもったいないので、 ひたすら読んだ。  今の時代、テーマ、著者、掲載論文誌などの断片的な情報が あれば、あとでいくらでも検索できるから、とにかく内容について いろいろ考える時間が欲しかったのである。  fMRIのシグナルの起源、両眼視野闘争、attentionの二つのシステム、 小脳におけるLTDはpresynapticかpostsynapticか、NMDA receptorの 構造、共感覚。。。。。。  サッカーフィールドの上の選手の動きだと思えば、これらの 「プチ問題」も楽しい。  そもそも、学生が修士論文や博士論文を書くためには、とりあえず プチ問題からやるしかないではないか。  少なくとも柳川が博士課程に行くと決めてしまったことだし、 責任もある。。。。ICONIPに出そうと、神経回路網の自発発火と receptive fieldの構造の関係を調べるsimulationのアイデアを ノートに書いて渡す。  LeDouxの小脳の学習機構と情動の学習機構を比べた 論文があって、このあたりから伊藤先生の研究室でのプロジェクトを 考えてみようと決める。  夜は、最初から楽しみにたくらんでいた成増のどんぶり藤田 に行く。  理研時代何回も来た名店である。親父さんも変わっていない。  おいしい刺身を食べ、日本酒を飲み、締めに品の良いどんぶりを 食べる。  学生におごるので高くつくが、彼らが理研に来て脳科学の 情報を集めようと動機付けられる時にその後押しになれば、 安いものである。 2002.5.25.    代々木で乗り換える時、時々、茶髪の集団が改札の まわりで動いている時がある。  わーっと、そこだけ動物化した空間のようで、横目で 見て通り過ぎる時に、身体の中で油滴が溶け始めるような気がする。  ヒトとヒトとの空間的コミュニケーションの形式は、案外 今でも身体的なものなのだろうと思う。  中学校の修学旅行で京都に行って、新幹線のホームで木村輝幸 や井上智陽らとふざけてピースマークをして写った写真があった ような気がする。  あの時、回りの大人の中では油滴が溶け始めていたのかもしれないが、 黒い詰め襟を着た集団の中に入っていた若猿たる私は、  ただ集団内のダイナミクスの中に没入していて、油滴のことなど 考えもしなかった  それが妙に心地良かったのである。  あのようなポピュレーション・ダイナミクスは、人間社会の 様々な幸不幸の背景になっているのではないかと思う。  2年前だったか、認知言語学会の大会に池上高志と行って、 話がツマラナイので封筒の裏に奇妙な動物の走り描きをした。 池上がとなりから邪魔するので、やりにくかった。  昨日、何となくそのことが思い出されて、認知言語学会の 封筒を探してみた。    「デザイン言語」(慶応大学出版会)の中で、東浩紀氏が次のように 書いている。    ところが一九九五年を境いにして、若いオタクたちの行動は、むしろ アメリカ的=動物的になってきたように思われます。彼らはもはや、 サブカルチャーに世界観の補填を求めない。彼らが求めるものは、 単純な快楽なのです。言ってみれば、清涼飲料水やジャンクフードの ように、アニメグッズが売れていく、そういう現象が出てきたのですね。 ・・・スノッブなポストモダンから動物的なポストモダンへ、という 大きな社会変化が、その背景にあります。  私はどうも、剥き出しの動物性には耐えられない。植物的な要素を 持った、self-reflectiveな動物が好きなようである。 2002.5.26.  熱帯魚屋でもらったカブトムシの幼虫を、 広い水槽に腐葉土を敷いて移してあげた。 もぞもぞと動いていたが、あっという間に姿が 見えなくなった。  セブンイレブンへの道で、 後ろから茶髪の兄ちゃんが二人乗った車が来た。  後部の荷台にタンクがある。ノズルが出ている。 「解体」作業をする人たちらしい。  兄ちゃんの口ひげがナメクジのように見えた。  公園の木立の中を走っていると、 向こうから、手首まで覆う白い長袖を着て、  帽子のおばあさんが歩いてきた。  自転車を押しながら歩いてきた。  すれ違いざま、  「ご苦労さま」 と言った。  ぽんとタイミングよく、さりげなく言われた。  この公園ではもう長い間走っているが、 「ご苦労さま」と言われたのは初めてだった。  少し熱い日だった。  ランニングを終え、缶ビールを飲みながら、 日本代表対スウェーデンの試合を見た。  見ていて、少しせつなくなった。  始まる前は、どんな風になるのだろうと思っている。 どんな活躍をしてやろう、どんな風に競ってやろうと 思っている。  しかし、始まってみると、ちょいちょいちょいと 動いて、それで終わりである。  試合を早回しして見れば、その中で、あっちに走る、 こっちに走る、ここで蹴る、あそこで待つ。そんな風に、 行動のセグメントを数えてみたら、一つの試合の中に、 一体いくつあることか。  試合が始まる前の、無限定な希望は、未来に 無知だからこその白さを持っていて、  終わって見れば、セグメントが有限個あるだけである。  だからこそ、一つ一つのセグメントがせつない。  人生も、終わってみれば、有限のセグメントがちょいちょいと 積み重なるだけである。  無限定の未来の白さに我々は希望を託しすぎるのではないか。  人生はじつはちょいちょいちょいなのだと、 一つ一つのセグメントに、もっと切実に望むべきなのではないか。  試合が終わって、日本代表は、日本の王様の前で、ちょこんと お辞儀した。   2002.5.27.  Qualia Vを渋谷のツインズ・よしはしで開催した。  かどやゆりさん、青山たくおさん、塩谷賢が喋ってくれて、 37名が集まって、盛会だった。  終わって、BYGで飲んでいる時に、「言語」という彫り物を腕に したおきのまひとの早稲田の後輩だという杉本俊介くんが、 グラスをちょっと明かりに照らして、  「これがクオリアですよね」 と言った。  私は、ああ、こいつは判っているなと思った。  私も、時々ウイスキーグラスを明かりにかざしてみることがある。  杉本くんが、「クオリアに気が付いてから、世界の見え方が変わりました」と言っているのも、何だか全くその通りで、  私は34だったが、このヒトのように、19歳で真正な理解に達して しまうヒトもいるのだなと思った。  その後のカラオケで、最初は元気が良かったのだが、塩谷の ノートブックを見ているうちに、何だかメランコリーになってしまった。  塩谷のノートブックは、もう20年くらい見ているような 気がする。  本人によると、広松渉さんに言われてから書き始めたと言っているの だが、間違いなく彼が学部生の頃から、ノートにミミズがのたくって いたように思う。  そこには、私がかって「真性異言」と名付けた、難解な、良く 判らない言葉と図形が走っている。  これが、彼の人生の軌跡だ、作品だ。ここから足すものも、引く ものもない。  彼のこのミミズののたくりは、本とか論文とかそういう 形で世に出ていくことはない。  そんなことを考えているうちに、社会の中のニッチ、表現行為に 忍び込む他者の視点性、いろいろ考えはじめてしまって、どうも つらくなったのである。    ウンジャマラミーの松浦さんにこの前お会いしたとき、松浦 さんが以前バンドをやっていたころがあって、どうも武道館で やったこともあるらしく、ライブで「イェーツ」と客がノリノリの 時に、自分たちの演奏がどんどんおもねて行くのが判って つらかったと言っていた。  松浦さんとグレングールド。これは、全ての 表現行為につながる話である。  塩谷のミミズは、おもねるということから最も遠い土の中に 潜んでいる。  だからこそ、マーケットの中で商品性を獲得することもない。  それが、20年来の友人としてじつに「かなし」い。    渋谷に向かう道すがら、塩谷が「小林秀雄のいう「かなし」は・・・」 と言った。  私は、「結局、人間は、生まれて、死んで、その間に、うれしい ことや、かなしいことや、怒りや、不安や、そのような感情がある。 何に喜びを感じるかは人によって違う。クオリアを解くことかも しれないし、おまんじゅうを作ることかもしれないし、いなり寿司を 食べることかもしれないし、でも、生きて、死んで、その間に 喜んだり悲しんだりするという点では同じだ」 と言った。    塩谷は、スイカを持っていなかった。 2002.5.28.  確か一日前は日曜だったはずだが、  一日が終わる頃には、すでに週の半ばのような気がしていた。  新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の今川有一さんが いらして、いろいろ議論する。  光藤雄一くん、長島久幸くん、柳川透くんも加わって、まず ソニー4号館の食堂に行って、本社の下のミュージアムを見て、 CSLに戻って議論を続ける。  ロボティックスや脳科学の話。  かなり突っ込んだ話をする。  真面目な話の一方で  今川さんは、実は神戸の郡司ペギオ幸夫を良く知っていて、 郡司についていろいろ信じられない話を教えてくださった。  学生3人も大爆笑。  私の郡司ネタ帳の厚みがかなり増えたような気がする。  今川さんに感謝である。  私の部屋は、長島くんと小俣圭くんが同居していて、 小俣くんは奥のPCの前でうんうん唸っている。  5月31日からのBarcelonaの会議の発表の準備をしているのである。  柳川君も自費で行くことになっている。  Gaudiとか、サグダラ・ファミリアとか、そっち関係の事前リサーチは 柳川に任せている、私にはそんな余裕がありません、と言って うんうん唸っている。    私も31日から2泊4日で行く。  Barcelonaには、ちょうど48時間いる。  小俣くんの発表が終わったらBarcelonaのバールで乾杯しようと思う んだが、どこが飲み屋街エリアなのか、と柳川に聞いた。   柳川が、「地球の歩き方」の地図を見せて説明してくれる。  黒川さんが予約してくださった自分のホテルがどこにあるのか、 初めて知った。  サグダラ・ファミリアからは、地下鉄駅4つである。  プログラムも、初めてマジメに見た。  7月1日に面白いtalkが沢山ある。BlindsightのWeiskrantzも 来る。  オモシロtalkを聞いて、サグダラ・ファミリアをチラっと見る。  小俣くんの発表を見守って、質問があったら鋭く横から 口を挟む。それが私の初Barcelona。  そういえば、「48時間」という映画があった。  午後6時からミーティングがあり、3Fのコアルームで 所眞理雄さんを囲んでああでもないこうでもないと 9時30分まで。  終わった瞬間、  「行きますか」と、増井さん、高林くんと「あさり」へ。  奥の「大沢仁王立ち」の座敷が改装されて掘り炬燵風に なっていることを増井さんは知らなくて、  「なんじゃこりゃあ」と言いつつ、私が中生を頼もうと すると、すかさず「私は大、大!」と口を挟むことは 忘れなかった。  この、鎌倉在住の大仏さまは、実はインターフェイス業界 ではすでに重鎮なのである。  「この前、二日連続で酒を飲まないで自分でもびっくりした」 と真顔で言っている。  「私は家では基本的に飲まないです」 というと、もっとびっくりした顔になっている。  目が嘘つけ、と言っている。  しかし、意外なことに嘘ではないのである。    樽酒を飲んでいるところに河野くんも きて、  「一つどーんとやりますかあ」 などと言っていると、いつの間にか「あさり」の中には 私たちしかいなくて、  増井さんは、「終電あぶないから品川から帰るわ」 といいつつ、ソニー通りを暗闇の中へ消えていったのだった。 2002.5.29.  bk1で注文していた『神の肉体 清水宏保』 (吉井妙子著、新潮社)が来たので、あっという間に読んでしまった。  ネコまっしぐら、がつがつがつ、ごちそうさま、という感じである。  凄い人である。インスピレーションを感じる。  考えることも、結局身体の問題につながる。 アスリートの言う「Zone」は確かに抽象的思考にもある。    ちょうど、大修館書店の『言語』の読書日記の担当の最後の回の 締め切りだったので、デイヴィッド・チャーマーズの「意識する心」 と一緒に取り上げた。  『神の肉体』を引用したのは、次の部分である。   『神の肉体』(新潮社)の中で、スピードスケートの清水宏保 は証言する。「これまで、感覚的なものを言葉にするのは抵抗があ ったんです。表現してしまうと、固定概念として脳にインプットさ れてしまう。自分を追い込む時に、固定概念とか既成の価値観とい うのは結構足かせになるんですよ。」  意識や言葉の意味といったハードプロブレムに立ち向かう私たち を、いかに多くの固定概念が引き戻そうとすることか。清水は、気 を失うほどの激しいトレーニングをして、筋肉の破壊と再生を繰り 返してきたという。ハードプロブレムに真摯な関心を持つものは、 誰でも、破壊と再生を余儀なくされる。それでも、最後に問題が解 けるという保証はどこにもない。  『神の肉体』はよくまとまった本だが、清水宏保のことなら、 もっと読みたい気がする。吉井妙子さんは、きっと沢山ネタを お持ちのはずで、この5倍くらいの量が書けるのでは ないか。  世間の雑魚ニュース(鈴木宗男自宅捜索、防衛庁の個人情報 収集、川口大臣総領事を批判etc.)には全く心を動かされない。 清水宏保が切り開こうとする新しい感覚運動世界に関する 情報の方が、よほど切実な意味がある。  一ヶ月間、清水のインタビューを一面の半分使って連載してみたら、 少しは日本人のメンタリティーが変わるのではないか。  雑魚は水に帰して、かってに泳がしておけば良い。 2002.5.30.  原宿の北野プロジェクトに行って、 北野宏明さんにインタビューする。  「数理科学」の仕事で、編集部の伊崎さんも。   柳川くん、関根くん、恩蔵さんも来る。  彼らがテープ起こしをするのだ。  終わっての3人の感想は「北野さんは喋るのが早いですね」。  後から、伊崎さんからも「北野さんは最初の20分ものすごく早く 沢山喋っているから、そこはうまく短くまとめてください。」 と。  2倍速の北野オフィスを出て、  原宿駅前の「九州じゃんがら」ラーメンで、4人並んで「全部入り」 を食べる。  柳川と関根が、「おじや」に挑戦する。  おやじはおじやは食べない。  CSLに着くと、すぐにJournal Club。今回からThe Brain Clubという 名前にしたので、The Brain Club #001ということになる。  長島がNatureの良く判らない論文を紹介。  要するに、LIPは身体に対する相対的なhead positionを、 7aは世界座標におけるhead positionをencodingしている という論文なのだが、書き方が悪い。データの表示の仕方が悪い。  著者たちは頭が悪い。  恩蔵さんは、EEGの解析をするので、wavelet解析の論文を 選んで来たのだが、  どうも変な論文で、wavelet entropyというのを定義しているのだが、 その使い方がしょぼい。  要するに、あるmodeに偏っているかどうかというmeasureとして しか使っていない。  その後、小俣がBarcelonaの発表の最終予行をして、張さんが Review Talkの予行をして、The Brain Club #001は終わった。  自分のReview talkの準備をしていなかったので、powerpointの fileをぱっぱっぱと並べていると、もうインターフォンが鳴っている。  「General Meetingを始めますので、みなさんコアルームに お集まり下さい。」  聞き慣れた黒川さんの声。  iBookを持ってコアルームに行くと、MITのMedia Labからの人の job talk(CSLに就職を希望する人の試験講演)。  所眞理雄さんの後ろあたりに座って、時々プレゼンに顔を 上げながら、powerpointを並べ、打ち、図を作る。  talkが終わって、質問をしているうちに、もう張さんの talkが始まっている。  一瞬居室に帰って、ネアンデルタール長島と話しているうちに、 こんなことを思って言った。  「自分の好きなことで忙しいのならいいけれども、自分がイヤ なことで忙しいというのはツライだろうな。ナガシマンも、 なるべく自分の好きなことをやる方向に行ったほうがいいよ。 いつもそうできるとは限らないだろうけど、なるべくそういう 方向に持っていった方がいい。」  長島は、修士2年で、今就職をホンダにしようかソニーにしようか それともどうしようと悩んでいるのだ。  長島は、「それは、私の友人も言うことです。実際に忙しい 人ほど、そういいますね」 と答えた。    コアルームに戻ると、張さんのtalkが終わって、自分のtalkが 始まった。  喋り終わってソファに座ると、何時の間にかCSL->理研の 谷淳さんが来ていて、宗教がなんとかかんとかと言う。  「うん?」 と考えていると、茂木さんのtalkは何回も聞いているとだんだん 洗脳されてくる、まるで宗教っぽい雰囲気がある、というらしい。  こういうことをジャズっぽく言うことが、谷さんの面白いところである。  お約束の「あさり」に再び行き、大平、増井、高林というまた お約束のメンツで飲んで、帰宅。  忙しい一日だったが、typicalな一日でもある。  好きだからやっていられる。  新潮社から封筒が来た。「三島由紀夫賞、山本周五郎賞、川端 康成文学賞」のパーティーの案内である。「考える人」に 連載するので送ってくださったのだろうが、単純に好奇心を そそられる。  科学は原則英語domainでの活動に限定して、日本語活動は徐々に自然言語 のクオリアの美しい造形=文芸分野にしていくというのが今の方針である。 理由は単純で、科学のbest audienceは英語圏にいる。一方、漱石や 小林秀雄を持ち出すまでもなく、日本語の表現の最も良質なものも、 最も良いaudienceも、科学ノンフィクションではなく、文芸分野にいる。  今年40になることだし、勝負をかけなければならない。科学も文芸も。 おしら様にも指摘されたが、私はどうも複線的に生きている時に もっともうまくいくようだ。  というわけで、将来のoperation mapのイメージを描くためにも行 ってみようかと思う。  「考える人」の原稿は、文芸分野でのカミングアウトだと思っている。 2002.5.31.  Tangible Bitsの石井さんが来た。  業界人なら誰でも知っている、MITのMedia Labのヒトである。  暦本さんのInteraction Labを訪問してきて、 1.5時間lectureした。  そろばんを手に持って、lectureした。  メタファーと情熱のヒトである。そう思った。 それに、柔らかい。  終わった後、イワンにつかまって、Clieの液晶画面を押して ああでもないこうでもないと議論した。  田谷文彦くんが、引っ越してきた。大阪大学から引っ越してきた。  まだ医学部の大学院に所属しているのだが、研究をCSLで やることになったのである。    コアルームのソファで議論していたが、やがて二人で顔を見合わせて 「疲れたね」と言った。  田谷くんは昨日引っ越してきたばかりで疲れている。  私は、ここのところずっと「テンパった」生活をしていたので 疲れている。  ちょっと外に出ないかと言って、信号を渡り、  「効き目と値段は実は関係ないらしい」と言いながら、 「リゲインJ」を買った。  シーメンスビルとの間に広場があり、 そこのベンチに座って飲んだ。    子供たちが野球をしている。ところが、妙だ。 ボールを投げる。グローブを放り出して、  ヘディングしてしまう。  蹴る。リフティングする。  要するに、野球をやりつつ、サッカーをやっているのである。   やっぱり、サッカーをやりたくなるんだねと言って笑った。  田谷くんはサッカーが大好きなのである。  私はと言えば、街で見掛けて思わず買ってしまった 「日本代表 8番ONO」のTシャツを着ていた。  胸にヤタガラスのJFAのエンブレムがある。  石井さんのtalkが終わった後、長島くんや光藤くんに自慢して、 それまで着ていたAmnesty JapanのTシャツから着替えたのだ。  8番ONOが、子供たちの「小球サッカー」を見ている。  リゲインを飲みながら見ている。  風を受けているうちに、突然思い出したことがある。  私が子供だった頃、毎日野球をやっていた。 軟式ボールでやっていた。ところが、ある時、誰かが 高校のグラウンドで硬式ボールを拾ってきた。  それじゃあ、本格野球をやってみようということになった。  こわかった。守備をしていても、ピッチャーで投げても、 打席に立っていてもこわかった。  「こえぇー」と皆で口々に叫びながら、それでも ボールを離さずやった。  身をそらせながら、バットを振った。  ライナーが飛んできて、夢中でグラブを伸ばした。  手がジーンとしびれた。  これが、硬式の感覚かと思った。  2年か3年の時である。  後にも先にもあの時だけである。    シーメンスビル前の広場で子供たちが小球サッカーをやっていた おかげで、  自分が子供の時の大切なクオリアがよみがえった。 2002.6.1.  飛行機の中では、ひたすら寝てきた。  目を閉じて志向性のダイナミズムを転がしていると、 いろいろな織物が見え、こうやって強制的に椅子に座らされて いる「行」も悪くないなと思う。  地図も何も判らないままで来たので、 とりあえず空港の前の列車にのった。  Santsはこれでいいですかというと、 大丈夫だと言う。  予約してもらったホテルは、何とSants駅の上にあった。  バルセロナは初めてである。  学会会場がどこかも判らないので、シャワーを浴びたら地図で 探そうと思う。  ガウディがどこだかは真っ先に確かめた。  小俣圭くんはすでに会場にいったらしい。  あと柳川くんが来ていて、  ボストンからは田森も来ているはずである。  ガウディを見るのが先か、田森を見るのが先か。 2002.6.2.  シャワーを浴びて会場に行くと、 もうBlindsightのPetra Stoerigはとっくに終わっていて、 その次のチンパンジーの心の理論のPovinelliの質疑応答が 始まっていた。  残念である。NHKブックスの「心を生みだす脳のシステム」でも、 「鏡のテスト」に批判的なPovinelliの主張は沢山引用してある。  質疑を見ていても、linguisticな能力がessentialであると 言っていたようで、どのような内容か聞きたかった。  柳川君がMDLPで録音したようだし、新しい本を書いたようなので、 そのあたりを参照したい。  Lunch Break、グラダ・ファミリアを見た。  外から見た。  最初は裏から行った。  焦げ茶色の煉瓦のような質感。  ペーパークラフトならぬ、煉瓦クラフトとしてそこに立っている ようで、  しかし正面に回って完成した門を見て、ああなるほどと思った。  これが、ガウディのヴィジョンだったのかと思った。  中からわき上がる、しかし蝋燭が溶けるようにすでに崩壊が 進行する、  わき上がりと崩壊がせめぎ合う局面がある。  柳川君と小俣君は昨日ゆっくり見たらしい。  「工事中のその様子を公開して見せているみたいな」 と柳川君が言う。  私は、その普請中を5分だけ見て、それでタクシーを拾った。  もっと響かせたかったが、今回は仕方がない。  それでも、現場に行かないと立ち上がらない、幾つかの概念、 メタファー、言葉を拾うことができた。  昼食は、「4匹の猫」。  給仕頭の様子がジェームス・ジョイスのようであまりにも素晴らしい ので、柳川くんに、ぜひ写真を撮ってくれないかと頼むと、 フラッシュを炊かないように注意して、注文を取っているところの プロフィールを収めてくれた。  会場に戻り、またいろいろ聞く。  ふと後ろを振り向くと、田森がいた。  薄目を開けて、正面を見て座っている。  近づいて、やあと言って、ボストンに行くのは7月でいいかいと言うと、 「火曜日にcompetitiveなgrantの書き方の授業があるけど、それ以外 だったらいい」などと言う。  話を聞くと、彼が金沢工大からMEGで派遣されているLanguage department自体は、MITの中でも「文系」の方で、seminarは月に 一度しかないし、人がいないし、あまりinteractionがないと言う。  Weiskrantzのblindsightの話を聞いて、夕食に出る。  田森の学生の「ヨコハマ・ナゴヤ」君も一緒である。  本当は別の名前なのだが、音が横浜・名古屋に似ているので その場で命名した。  そしたら、本名を忘れてしまった。  今回は、私も田森も学生の発表を「見守る」立場である。  三遊亭円歌の落語で、「立って木の成長を見る」と書いて 「親」という。ダメですよ、そこのお父さん、うんうん頷いちゃ。 おい、今日の客はなんだあ、落語家の言うことを真に受けちゃダメだよ。 というのがあるが、私も田森も「親」の心境である。  その親二人と、子供三人が、旧市街のレストランで、ビールを 飲み、ワインを飲み、わいわいやる。     小俣は初めての国際学会、柳川はそれに加えて初めての海外旅行、 きっといろいろなことを感じていると思うのだが、  私は見守る「親」である。  あいつらが半年後どうBarcelonaを生かすか、全て脳の中の 自律的プロセスにゆだねられている。   自分たちのことを振り返ると、理化学研究所で、とりわけ 伊藤正男さんの下で脳を始めたのは実に大きかった、 と田森と頷く。  田森と私が、我々が理研にいた当時の伊藤さんの忘れがたき エピソードを一つづつ紹介して、  だから私はお前たちを理研のセミナーになるべく多く連れて いくことにしたんだ、と柳川と小俣に。  あのような環境で「正統」な脳科学の方法論を毎週3回の 英語セミナーでたたきこんだ後で、Qualiaに行くのはいいんだけどね、 だから、オレはお前たちにはKandelを読ませたり、Journal Clubで 論文を沢山読ませたり、こういう会議に連れて来たりして、 最初のすり込みをしているんだ、  なんて教育者っぽいことを言ったが、  本当は私も田森も何故か突然Penroseに会いたくて仕方がなくなった。  どちらかと言うと、学生に戻って、会いに行きたくなった。    やはりこういう会議に来て、普通の神経科学者や認知科学者の 話ばかり聞いていると、その錬心術のくるくるパーが耐えられなくて Penroseに行きたくなるのだ、おれたちは、そのうち絶対に 錬心術を超えてやる、 ウォーと田森の前に強いリキュールのグラスが3杯重ねられ、 Barcelonaの夜は更けていったのだった。 2002.6.3.  昼食は会場のScience Museumからなだらかな坂を下っていった ところに見つけた「昆明」という中華。  坂を下りながら、  柳川や小俣が、こんなにConsciousness、Consciousnessと 当たり前のようにこの言葉が使われるのだとは思わなかった、と言う。  私は、それが日本が遅れているからさと答えた。  小俣が、日本では意識の話をすると、「そんなの、脳の計測がどんどん 進んでニューロン活動が判ったら、自然に解明されるんじゃないのか」 と良く言われると言うので、私は、おい、そんな1秒で反論できるような くだらない話につき合っている暇はないぜと答えた。  例え一千億のニューロン活動がモニタできたとしても、そこに どんな主観的体験が宿るかという原理問題がそれだけで解けるはず ないだろう。  日本では、まだ、しばしば、わざとか自然にか知らないが、trivialな 知的カマトトの文脈で「意識」が語られる。  「意識」(C-word)がdirty wordだった 時代はとっくに終わっていて、ニュートン力学、相対論、チューリング マシンに相当する人類の革命がここからしか起こらない というのは、少なくともASSCに集う脳科学者、認知科学者の間では 常識である。  もう具体的な、テクニカルな議論をする時代なのである。    例えば、Access consciousness。意識内容にアクセスできるか どうかという問題は、Phenomenal consciousness(現象学的意識) とどのような関係にあるのかということを、blindsight、inattentional blindness、change blindnessなどの文脈で議論する。その脳内 機構を考える。二日目の、David Chalmersがchairをしたsessionの テーマはこれであった。  このようなテクニカルな議論を積み重ねて行く時代に来ており、 小俣が引用したどこかの素朴ちゃんのような人につき合っている 暇はない。  最近、つくづく思うのは、意識の問題への「挑戦権」を 得るための資質は、実は非常にハードルが高いということである。  脳科学、認知科学を一通り知っている(通り一遍の知識だけでは なく、現場感覚を含めて)のはもちろん、数学、物理学(力学系、 量子力学、相対論、熱力学)、情報理論、 言語の意味論(ヴィトゲンシュタイン)、 生化学、生物物理学、システム論、哲学(デカルト、 カント、チャーマーズ、ベルグソン、ブレンターノ、ブロック、 デネット、チャーチランド、・・・・)、計算論(チューリングマシン)、 知能論、学習理論、ロボティックス・・・・。 それに何よりも、主観的体験の現象学的な細かいニュアンスを見分ける センスがいる。  このような資質の一部を持っている人は沢山いるが、恐らく それでは意識は解けない。例えば、哲学の議論をしている 人は哲学から見た意識の議論はできるだろうが、数学的フォーマリズム を知らないと、恐らくブレイクスルーにはいけない。逆に、 数学だけを知っている人は、意識の細かいニュアンスについての 知識と感受性を欠いて、トリヴィアルなモデルを立てることが 多い。  生物学から来た人は、常識論に終わる傾向がある。  言語よりの人は、言語空間に閉じて、開かれない。  意識は誰でも持っていて、誰でも知っていると思いがちだが、 実は、大変な勉強をして、大変な努力を維持しないと、そもそも 挑戦権でさえ得られない。維持できない。  その上で、ASSCのような場所に来て、どのような議論が行われているのか、 目の当たりにしなければならない。  逆に、挑戦できる場所にいる者は、そのようなことが社会では 滅多に起こらないことだということを認識して、select fewとしての 自覚と責任を持たなければならない。  意識の問題を解くために、精進を怠ってはならない。  大げさではなく、人類全体に対するnoblesse obligeがあると 思うのである。  小俣くんの発表は、無事終わった。  原稿を読みながら一生懸命やっている姿が、いじらしかった。 しかし、思ったより立派に出来た。  質疑応答も無事終わって、  Luc Steelsの話を聞いて、  David Chalmersとeasy problem/hard problemの話をして、 レストランに出かけた。  偶然、巨大な人形たちの行列に出くわした。  一対の男と女が、時々回転しながら進んでいく。  鬼面の亀や、首デカの小男も通り過ぎる。  メダルを下げた、喪服の女たちが通り過ぎる。  これは、一体何なのだろうと思っているうちに、御聖体が 通り過ぎた。  人々が、通りの両側の窓から、色とりどりの花を投げる。  花びらの雨が降る。  街角のポスターで、あれは、全く偶然、ピンポイントで、 Corpus Christiの行列に出くわしたのだということが判った。  その向こうに、カテドラルがあった。  息をのんだ。  シュロの木が植えられた内庭があって、 噴水があり、水の上で玉子が回っている。  キリストの、マリアの、モザイク画がある。  アフリカの予感。南の風情。宗教的真情。周縁。  まったく予想していなかった心の中の油滴を とろかすような質感の世界を通り過ぎると、  パーフェクトとしかいいようのない美しいレストランがあった。  何時の日か、あのレストランに集わんと思いつつ、 小俣くん、柳川くん、田森、横浜ナゴヤくんとステーキハウスに 入って、タパスを食べ、ワインを飲み、サーロインを食べた。  そして今朝である。  もう2時間後には空港に向かう。サグラダ・ファミリアは 5分しか見なかったし、他のガウディの作品は、疾走する タクシーからちらちらと見ただけだった。  意識の問題を考え、ビールを飲み、ワインを飲んで それで終わり。  48時間の Barcelona滞在は、意識の問題へ挑戦することの喜びと 厳しさを再認識させてくれた。  そして、最後に、旧市街でのCorpus Christiとの偶然の遭遇があった。  あまりにもタイミングが良かった。  珍しく、偶然を意味が意図された必然とみなしたくなる。   2002.6.4.  飛行機の中は、Artificial Intelligence(Gillies)を読み、 思いついたことをメモし、後はひたすら眠っていた。  きっと、7時間は眠ったのではないかと思う。新記録である。  朝ご飯も要りません。と言った。フランス人のフライトアテンダントの 声がハスキーだった。  今は成田エクスプレスの中である。  いったん家に帰り、午後にソニー本社での会議に出て、その後 朝日カルチャーセンターでレクチャーである。  vsチュニジア戦は当然見られない。  なぜ今さらArtificial Intelligenceなのか?   6月6、7と大阪大学で集中講義をするのだが、確か講義名が 「知能構成なんとか」だったような気がするので、intelligence についてもう一度考えて見ようかと思った。Gilliesの本は 人工知能のfoundationsに関する論考なので、ちょうど良い。  例えば、inductionとreductionの関係とか、Lucasのmachine gameの 話とか、今になってもう一度考えてみるといろいろ 面白いことがある。  これと、Lakoffのembodied languageの話を絡めて、さてどんな 授業にしようか。  こちらも考えるための切っ掛けとして集中講義を使うと、一粒で二度 おいしい。  空港駅のJRの改札前のスターバックスで買った、roasted vegetable のサンドウィッチが とてもおいしくて、latteで流し込んで幸せを感じている日本の朝である。 2002.6.5.  空港から家に寄って、とんぼ返り。  ソニー本社でのmeetingに出る。  CSLに戻ると、おもむろに、「8番」の小野Tシャツに着替えた。 それで歩き回りながら、田谷くんや光藤くんと話す。  暦本さんのInteraction Labは、巨大スクリーンでみんなでわいわい 見るらしい。  ウラヤマシイなあ、と思いながら、田谷くんと一緒に新宿に向かった。  住友ビル48階の朝日カルチャーセンターの講師控え室に入ると、 担当editorの長澤さんが、「おや、これから埼玉スタジアムですか」 と言って近づいてきた。  小野T以外にも、今日は特別な計画があった。マイクロスリップの 実験をやろうというのだ。  紙コップ、コーヒー、ココア、スプーン、ミルク、砂糖、ポット を用意して、その机を上からカメラで狙う。  手の動きの微少な淀み、間違い、揺らぎをとらえる。  5人の受講生がやって、2人から明確なマイクロスリップの イベントが見いだされた。  ビデオで停止やスローを繰り返しながら、全員で鑑賞する。  こういうのはとても楽しい。  インドとパキスタンでは、マクロスリップが起ころうとしている。 核戦争が起これば「1200万人」という試算。  テレビで見ていて、この二人のオジサンがそのようなマクロスリップの 帰趨を握っているのだと思うと、どうにも違和感がある。  人間の脳が接続している身体は、神経系の揺らぎを、せうぜいは指の 動き、腕の動きの揺らぎに変換するだけであるが、  国家という暴力機構によっては、同じ一人の人間の脳の揺らぎが 1200万人の死に変換される。  悲劇であると同時に、カリカチュアである。  何で、あんなオジサンたちに、それほどの重大事を左右する 権限が与えられなければならないのか?  一人で、おもちゃの兵隊で遊んでいれば良い。  今朝のNHKニュースで、サッカーの日本代表のニュースを トップでやった後に、防衛庁が情報開示請求者のプロファイリングを やっていたというニュースになると、空気が冷えるのが手に とるようにわかった。  どちらが今の日本国民にとって重要なニュースであるか、 誰にでも判るだろう。  一言で言えば、サッカー日本代表がピッチの上で見せた 脳と身体の使い方に比べれば、シコシコとプロファイリングを していた役人たちの脳と身体の使い方は、どうにもダサイ。 暗い。情けない。  その、ネガティヴの3点セットが国家というマシーンに結びつくと、 恰も重大事であるかのような見かけが生じてしまう。  しかし、第一人称的な視点から見えば、 あくまでも暗くダサくナサケナイ脳と身体の使い方があるだけなのである。  誰が、そのような人生を歩みたいと思うだろうか。  公共事業を一生懸命捻出して河川をコンクリートで固め、 日本を借金漬けにする暗くダサクナサケナイ人生も歩みたくはない。  そういえば、カルチャーセンターを終え、小野Tを着て帰宅の地下鉄、 同じ車両に他に2人の若者がいて、一人が降りるときに私に 無言でThumbs upをして見せた。  私も親指を突き立てた。  あれは良かった。  私は8番だが、彼は7番だった。   2002.6.6.  朝起きたら、iBookのバッテリが「残り時間」表示になっていた。  コンセントを入れ直しても、変わらない。  午後からの、大阪大学工学系大学院知能・機能創成工学専攻での 集中講義の準備をしなければならない のに、と困った。  ところが、いったんスリープして放っておいたらなおった。  どうも、接触の微妙な問題のような気がする。  脳が健全でも心臓が止まれば死ぬ。  どこか、エッセンシャルなパーツが壊れれば、それで停止する。  電源のありがたみは、心臓と同じで、おかしくなって初めて 気が付く。    ゼミをやった。田谷君が完全に東京に復活して、今までの両眼 視野闘争の研究のreviewをして、その後光藤君がReal Eye Communicatorの 発表をして、そして見学に来た慶応SFCの高島くん、金城くん、 それに東京女子大の内山さんが簡単に自分の興味を紹介して、  その後「あさり」に行って喋っていると、ASSC帰りの小俣君が やってきた。  盛り上がりはじめたところで、私は立ち上がって東京駅から 新幹線に乗る。  いろいろやるつもりだったのだが、新横浜を出るとやはり 眠ってしまった。  今回の阪大の集中講義では、「知性」(intelligence)について 考えてみようと思うのである。  Turing Machine、Turing Test、形式主義、Goedel's Incomplete theorem的なセンスでの知性と、クオリアのphenomenal consciousness の間にはどのような関係があるのか、  そのあたりを少し考えてみたいのである。  この話は、結局、柳川君とやろうとしている神経活動の 自律性の話とも関係する。    そういえば、まだBarcelonaにいる柳川くんから、8月の European Conference for Visual Perception(Glasgow)のabstract が通ったというメイルがforwardされてきた。  とりあえず良かった。  今度は、自分の番だと思っているはずである。  8月の下旬は、引っ越しがあるかもしれないから、  私はひょっとしてECVP一緒にいけないかもしれない、 そしたら、一人でプレゼンしてね、とBarcelonaで柳川くんに言った時の あせった顔が忘れられない。  人は、集中講義の準備をしていない朝に、iBookの電源がおかしく なったり、初めての国際会議で、一人で英語で発表しなくてはいけ なかったり、  いろいろヤバイ目に会って成長していくものなのである。  どうせやがて死ぬという極めてヤバイ運命からは誰も 逃れられないのだから、プチヤバイくらいはひょいひょいと 飛び越えていきたい。 2002.6.7. iBookのコンセントは断線していて、  曲げると、ピカピカ光った。  浅田研究室のヒトが修理してくれた。  「感電しても知りませんよ」と言われた。  応急処置、ありがたい。  去年、知能・機能創成工学専攻で授業をした時には、失敗した。 30分くらい脳についていろいろ話した後で、いきなり、「ニューロン ってナンデスカ?」と言われた。  そこで、今回は、まず、「人間とコンピュータは何が違うと思うか」 というブレインストーミングをやって、30項目くらい出して もらって、  それから、ヒルベルトの形式主義、ラッセルとホワイトヘッドの プリンキピア・マテマチカ、ゲーデルの第一不完全性定理とやって、  その後に、「ちょっと気分転換に」ということで、脳の話を した。  Intelの共同設立者、MooreのMoore's lawの話をする。トランジスタ 素子数が脳の中のニューロンの数と同じになるのは2020年〜2030 年くらいか、それでも、結合の複雑さが比較にならないので、やはり、 脳の方がはるかに複雑だという風にまとめて、さて、Turing Testの 話をしようと思ったら、ここで、「ニューロンってナンデスカ?」 という質問が再び来た。  しかも、その学生は、いろいろスルドイ質問を浴びせていたヒト だった。  二年連続して、「ニューロンってナンデスカ?」をやられて しまった。また失敗である。  第二不完全性定理、Lucas Argumentの話は明日に回して、 Turing testの話までで今日は終わり。心の理論のイントロをやったが、 本格的な議論は明日である。  浅田研究室に戻り、MITの会議で発表するという長井さんの development constrained learningの話を聞く。Joint attentionに developmentを絡める話で、面白い。  千里中央の中華料理屋に向かう途中で、報酬系のデザインや、 発達における報酬概念などについて議論する。  吉川くんや、荻野くんもいっしょである。  どこでもいっしょである。    阪急朝日ビルの22階の「チャイナテーブル」には、もう 浅田稔さんが座っていた。  福岡でやる「ロボカップ」の組織委員長をやっているので、 大変なスケジュールらしい。  それに加えて、明日は島根に日帰りで学会のTutorial講演を しに行くとのこと。  今日はあまり飲めませんよ、と言っていたのに、ビールを 1杯、2杯、3杯と飲んでいるうちに、いつの間にか紹興酒 まで来てしまい、  滋賀の立命館大学から羽尻公一郎まで来てしまって、 なかなか大変なことになってしまった。  浅田さんが、無事島根に行けたことを祈る。  ロボカップは今年からHumanoid Leagueが始まるとのことで、 山口の研究会の後にもし行けたら行きますと約した。  最後は、千里中央のロッテリアで羽尻とコーヒーを飲んだ。  池上高志や郡司ペギオ幸夫に電話する。 羽尻が電話に出るたびに、てめえこのやろう、いまに みていろみたいなことを言っているので、  ああ面白いなあと笑いながら見ていた。  池上や郡司も電話の向こうで笑っていたに違いない。  羽尻と、Qualia K-1 meetingを一つどーんと盛り上げようと約して 阪急ホテルへの道をふらふら歩く。   2002.6.8.  大阪大学での二日目の講義は、ゲーデルの第二不完全性定理と、 心の理論。    どうも、ゲーデルの定理は、意味論に裏口から入っているような 気がして、以前から気持ち悪くて仕方がない。  表口も必ずあるはずだ。  それが何なのか、クオリア問題とどう絡むのか、このあたりは もっともエッセンシャルな問題の一つである。  ゲーデルのうまいところは、「証明できる」とか、「無矛盾」 とかいうメタなステートメントを、うまく普通のステートメント と同じ地平に押し込めているところである。  このあたりは、とてもinspirationalである。  ある意味では、クオリアについて語ることは、メタなステートメントを 普通のステートメントに押し込めることである。  一人称で懸命に生きている時には、クオリアのことは考えない。  クオリアについて考えるというのは、生きている現場から、 いったん外に出ることである。  そしてまた戻った時、生の現場が変わって見える。  荻野くんに千里中央に送ってもらって、  少しなんばに行こうと思ったのだけども、何となく疲れていたので そのまま「のぞみ」に乗って東京に帰った。  仕事をしようと思ってiBookを開けたが、そのまま眠ってしまった。  ウンジャマラミーの松浦さんや田谷くんと、目黒のブラックライオン に行き、イングランドvsアルゼンチン戦を見ようと思っていたのだが、 松浦さんが風邪でダウン、私も、少し急ぎで仕上げなければならない 仕事ができて、そのまま帰宅。  因縁の対決は、白麒麟を飲みながら家のソファで見た。  スタイルの違いが面白い。  以前2年いたから、イングランドを応援してもいいのだが、 いつの間にかアルゼンチンを応援している自分に気が付いた。  どうも、私は、周縁を愛するようである。  フィジカルは、アルゼンチンの方が強いように見えたが、 あれも実はタンゴにつながる身のこなしのスタイルの差に よる「見せかけ」か。  もちろん、イングランドの選手も身体を鍛え上げているはずだ。  机で仕事をしていたら、細長い木の魚が落ちていて、 裏返すと、Manaus. Amとある。  ピラルクか。  アマゾンに行ったのは、もう8年も前である。  あの時空気の中に感じたリズムを、もう一度感じて見たい。  今度は、もっと深く深く、あの緑の荘林に抱かれてみたい。 2002.6.9  プジョーの新しい車が来た。  ナンバープレートは1905.アインシュタイン・マニアならば、 どのような意味がある数字か知っているはずである。  その1905から100年はもうすぐ。それまでに、クオリアが 解けるのだろうか?  どうも、最近短い時間が長い時間のように感じられて、土曜の夜に、 何となくもう明日は月曜なのかなと思っていた。  夜、讀賣新聞販売店の横の自販機でキリリのオレンジとキリンレモン を買ってふらふら帰る時、  そうか、60まで、あと20年もあるのだなと思った。  何だか随分長いような気もする。  どうせいつかは死ぬんだからと思うと、いつ死んでもいいような 気がする。  未練があるのは、未来について何かしらの希望を持っているからである。  実際には、死のことは殆ど考えない。どうしてだろうと しばらく首を捻ってみると、どうも、まだ生のことが判らないから ではないかと思う。  論語である。  どうやって生きたらいいか、どうにも悩むことが多くて、それを 一生懸命やっているうちに、いつの間にか死ぬことは忘れている。  まあ、健全なのだろう。  死のことを考えるのは、例えば、飛行機が離陸する時である。  魔の11分間は、私が、確率的に一番死に近づく、少なくとも 感覚的に近づく時のように思う。  その時、不思議と、「まあ、落ちても仕方がないか」と許容 している自分がいる。  ティーンエージャーの頃、自分がいつかは消滅することが 耐えられない、そのように感じる時期があった。  どうあがいても、いつかは消滅すると一度思うと、あとは 許容しつつ生に没入するという境地になるのか。境地というほどの 大したことではないが。  そういえば、昔、『生きて死ぬ私』(徳間書店)に次のような ことを書いたことがある。  人間は、わけのわからないうちに生まれ、わけのわからないうち に死んでいく。人生の悲劇も喜劇も、結局、私たち人間が、この世 界が何なのか、この世界の中における私たちの位置付けとは何なの かを根本的なところで理解していないところからくるのではないだ ろうか?  (人生は、感じる人にとっては悲劇であり、知る人にとっては喜 劇であるという言葉もある。)  このような人生の在り方を表わすイメージとして、私は、よく、滑 り台を滑っていく人のことを思い浮かべる。人生は、いつ地面に着く かわからない滑り台を滑っていくようなものではないだろうか?  滑り台を滑りながら、周りにいろいろな風景が見えてくる。その風 景を眺めながら、私たちは、いろいろなことを考える。そのまま滑 って行ってしまえば、いつかは地面についてしまう。地面につけば、 衝撃とともに、人生の終り=「死」が待っている。だけど、私たち には、自分が滑り落ちていくのを止めることはできない。時間の経 過とともに、私たちは、滑り台の終りに近づいていく。滑っている 間、じっとしていても詰まらないので、私たちはいろいろなポーズ を取ってみる。ポーズを取りながらも、滑り台を滑っていくことに は変わりがない。滑り台の終りがどこにあるか知っているもの (=神?)にとっては、そのことも知らずに懸命にポーズをとって いる私たちは、滑稽な存在に見えるだろう。  私たちは、毎日、どのようなポーズをとろうかと苦心している。 だが、どのようなポーズをとるかということよりも、滑り台を滑っ ていくという事実の方が、人生にとっては重要なのかもしれない。 哲学者の言う、「人生とは、死に対する準備のようなものである」 という言い方は、このようなことを意味しているのであろう。  今日は夕方からは小野のTシャツを着ていよう。そして、ビールと ポテトチップスを大量に用意。これもまた滑り台を滑り ながらのことである。 2002.6.10  午後6時前、「日本代表に気合いを入れるか」と、 白いTシャツに着替えて走り始めた。  最初は光が丘公園を一周するだけのつもりだったのだが、 「気合いを入れるためにはもっと走らなくては」と、 そのまま公園を飛び出した。  風が止まって暑かった。水道があると止まって飲み、 顔と腕をぬらした。  そのうちに自分に気合いが入ってきて、  夕陽に向かって疾走した。  光のあるうちではないと走るのがいやなので、 長い距離を走れる時間帯は案外限られている。  前日あまり深酒していないこと、睡眠不足ではないこと、 その時間に家にいること。条件を並べていくと、長い距離の疾走を楽しめる 機会というのはそれほどない。  昨日はそんな機会だった。少々暑くても、そんなことはかまわない。  焼き肉を食べ、ビールを飲み、日本戦が始まる頃には、 500ミリリットルが2本なくなりかけていた。  8番の小野のTシャツを着て、ソファでいろいろ叫びながら 見ていた。  「北方領土を返せ!」などとも言ったような気がする。  「大和魂」と書いたTシャツを着た若者もいた。  日の丸をフェイスペイントしたヒトもいた。  眉を潜める向きもあるかもしれないが、私は逆だと思う。 サッカーの応援という文脈で出てくる分には良い、 というよりも、サッカーの応援という文脈以外では出てこないような 社会にすれば良い。  「北方領土を返せ!」というのも、国境なんてものは 機能的なものだと思っている私としては、サッカーの時にしか 出てこない台詞である。  うん、このスポーツはいい、野球もいいが、サッカーはもっと いい、何よりも、瞬間瞬間のジャッジメントがクリティカルなこと、 45分間フィールドを懸命に走り回ること、今の私たちに 必要なのは、まさにこれだよ。ゴルフなって、まだるっこしい じじいのスポーツ、見てられるか、やってられるか、という感じで、 すっかり私はくるくるパーの若者化していた。  一夜明けて新聞を読むと、ロシアでは暴動があった由。  ワールドカップは戦争だと言った人がいるが、 戦争がサッカーだけに収まるのならばそれで良し。  インドとパキスタンも、まだるっこしいジジイに核のボタンを ゆだねるのは止めて、  サッカーをやったらどうか?  いい世の中になると思うよ。 2002.6.11.  面白い男に会った。  学芸大学付属高校時代の同級生、宮野勉である。  1年A組に入ったら、宮野がいた。黒縁の眼鏡をかけ、四角い顔で、 何かの拍子でちょっと斜めの方を見て、からからと笑った。  2年、3年とは違うクラスだったというが、何だかいつも 同じクラスだったような気がする。  弓道部にいて、よく袴を着て校内を歩いていた。  マジメ顔なのだが、何故か目元に涼しさがある男だった。  その宮野が法学部に行き、弁護士になったというのは聞いていたのだが、 23か4の時から、もう15年くらい行き来が途絶えていた。  それが、この前朝日新聞の電脳読書なんとかに載ったおかげで、 メイルを送ってきたのである。  赤坂東急ホテルの横の山王ビルの中にあるその弁護士事務所に、 田谷文彦くんと行った。  立派な図書室があって、そこに法律書が沢山並んでいる。  ちょっとイタズラを思いついて、田谷くんを机に座らせておいて、 私は本棚の陰に隠れた。  人が歩いてくる気配がして、「よお、しばらく・・・・」 という声の中にためらいがある。  悪い悪いと、本棚の陰からさっと顔を出して、宮野にわびた。    「おかしいと思ったよ、一体何があったのかと思った」 と宮野が言う。ちょっとした認知実験であった。2−3秒、宮野の 脳は????の状態になっていたに違いない。  そういう時でも、人間の脳は、何とかつじつまを合わせてしまおうと するものである。  一瞬の揺らぎが面白い。  宮野が知っている赤坂の裏通りの某中華料理屋に。  「顔」らしく、座ると いきなり「適当に持ってきましょうか」と店主が言う。  ではでは久しぶり、とビールで乾杯。    高校時代、宮野と何を喋ったか殆ど忘れてしまったが、しばしば、 孔子派の宮野と老子派の私が対立したことは覚えている。  孔子なんて、あんなの人間の尺度でものを言っているだけじゃ ないかと私が言うと、宮野が、お前は子供だななどと言う。  あの対立の構造が、今も全く同じように持ち越されている ことをすぐに発見。    「お前は一体何をやっているんだ、説明してくれよ。」  「だから、脳科学だよ。認識の問題。」  「それって、哲学で言う認識と評価の問題の認識か。」  「そう、しかし、哲学ではない。かって、哲学で議論されて いたことが、科学の問題になりつつあるんだ。」  「それは、一体、何の役に立つのか?」  「情報の新しい理論をつくらないといけないんだよ。」  「それで、人を納得させて、お金をもらえるのか。」  「お前みたいに、国家によって独占が保証されている職業とは 違うんだよ。」  「いや、保証はしてくれないよ。バッジなしでも勝手にやっている やつらはいる。バッジなしでは、訴訟行為ができないというだけだ。」  「オレのことは、色物だと思ってくれればいい。」  「色物ってなんだ?」  「落語以外の、漫才とか曲芸だよ。」  「落語は、色物とは言わないのか。」  「言わない、言わない!」  うんぬんかんぬん、うんぬんかんぬん・・・・  目の前にいるのは、東京でも指折りの渉外弁護士事務所の、 油の乗り切った新進気鋭の弁護士で、出るところに出れば、センセイ、 センセイということになるのだが、何しろ私は宮野勉が何だかふっくらと して背広着てワイシャツを着て澄まして座っていると思っているので、 言葉が乱暴である。  不思議なもので、何を喋ったかは覚えていないが、多感な高校時代を 一緒に過ごしたという記憶が暗黙知として体に染みこんでいて、 十数年ぶりに会ったとは思わない。  Old Boys Networkというのはいいもんだなと思う。  文藝春秋の「同級生交歓」にそのうち出ようぜ、と冗談を 言って別れる。  表面だけとると対照的な二人だが、どこか共通点があるから気があう のだろう。  立花隆の「臨死体験」を最近読んだのだと宮野は言った。 2002.6.12.  夜7時、筑摩書房の増田さんと、新宿南口の「囲炉裏の里」 で打ち合わせ。  野外エスカレーターがあり、そこを上がって行くときに ものすごい風が吹いていた。  見上げると、雲が黒々と流れている。  わっ、なんだこれは と騒いでいると、  「知らないんですか、台風が来ているんですよ。4号ですよ。」 と増田さんが言う。  天気予報というものを見ないので、全く知らなかったのである。  新書、ゆっくり書いてください、じっくり書いください、 急がなくていいです、と言うので、  そうですねと言いつつ、じっくり、ゆっくり男山を飲む。  大岡昇平。小林秀雄。他者の心の中が不可視であるという 世界において、我々はいかに生きているのか。その時、言葉は どのような役割を負っているのか。  私と増田さんは、静かに高尚な会話をしていたのである。  そこに、池上高志と岡ノ谷一夫の極悪コンビが乱入してきた。 昨日の宮野勉ではないが、二人とも、出るところに出れば センセイ、センセイと言われる人たちである。  ところが、私の目の前に現れた二人は、すでに言葉のウェスタン ラリアートと化していた。  雰囲気が一変した。  岡ノ谷さんが駒場で集中講義をしたらしい。私も同じシリーズで 7月3日に喋ることになっているが、今日岡ノ谷さんとは知らなかった。 知っていたら行くんだった。  おそらく、授業では、ジュウシマツのbird songについて いつもの素晴らしく面白い話をしていたと思うのだが、 そこの部分は吹っ飛んで、いきなり場外乱闘に持ち込まれてしまった。  喋ったことは全て、男山の露となって消えた。  増田さんの目の前で、動物園のラクダが檻から逃げ出した。  いや、では、どうもと、別れて、電車の中では私はもうマジメな 論文読みの人と化す。  まさに、論文読みの論語知らずである。 2002.6.13.  千葉県柏市にある『日立メディコ』に光トポグラフィーの見学に行った。  工作舎の十川治江さんがアレンジしてくださって、午後2時柏 集合ということに。  しかし、私は午後1時までソニー本社で会議があり、  20分頃遅れて工場北門の守衛所に。  会議室に入ると、わーっと学生が座っている。  あれ、遠いのにみんなちゃんと来ているよ、と感動する。  ちょうど、光トポで てんかん患者の発作の様子を見たデータが写っていた。    フォーラムに移動して、小俣圭君が実験台になる。  案外痛いという。ファイバが頭に密着されると、ちょうど櫛を強く 当てているような状態になって、圧迫感があるというのだ。  左手のグリッピングのタスクで、motor cortexが光ることを確認した。  島津と日立のlaser発信方式の違い、laserの電源が大きいことが 装置が小型化できない理由の一つであることなど、いろいろ貴重な 情報を手にする。  柏駅に戻って、地鶏屋で十川さんを囲んで懇談。  松岡正剛さんと『遊』を創刊した頃の話を伺う。  まさにプロジェクトXである。  『遊』全巻を、DVDにして売ったらどうでしょう、 などと十川さんに。  久し振りに武蔵野線に乗って帰る。  iBookを開いて仕事をしていたら、いつの間眠ってしまって、 気が付くと乗り換える駅に来ていた。  だっと降りて、改札を出ると、  女の人が道端で「キムチいかがですか〜」と声をかけている。  見ると、剥き出しのビニル袋に包まれて、 白菜キムチやカクテキが積まれている。  カクテキを食べたいと思ったが、 眠りから覚めたばかりの脳はどこかぼけていて、  そのまますっと夢遊病者のように改札に吸い込まれていって しまった。 2002.6.14.  サッカーは組織論として面白い。  一人一人が何をやるべきか、あらかじめルールで縛りきれない。 瞬間の創意工夫がつながった時に、興奮すべきゴールになる。  要するに、一人一人が自律的なエージェントとして動き回っている というのが大前提であって、その上に、組織というものが 緩やかに被さってくる。  これが、例えば野球だと、ボールを投げる。来たらバットを振り回す。 自分の所に飛んできたら、追いかけてとって、ランナーが走っている 塁に向かって投げる、と、ほぼやることが決まっている。  組織論としては、圧倒的にサッカーの方が面白い所以である。  そして、時代は明らかにサッカーの方に向かっている。  そこで、また中国で起きた亡命問題である。  人間の認識のクセというものがあって、あのような画面を見ると、 どうしても、その向こうに、無表情で国家の命令通り動く、 中国という全体主義国家のイメージを見てしまう。  しかし、そのようなイメージ自体が認識の罠ではないか?  あれは、あの警備員たちが勝手にやったことだと思えばどうか。  「国家の意思」なんていうものはなく、個々人が勝手に 動いているだけだと思ったらどうか?  国家の法律なんていうものは、個々人が自発的に勝手に動いた 結果を、後からつじつまを合わせるだけだと思ったらどうか。  カフカの幻影をそこに見るのではなく、へたくそなサッカーを 見たらどうか。  日本の公共部門のサッカーもかなりへたくそである。  一度海を鉄の柵で遮断しようと思ったら、それがいかにナンセンス なことか途中で判っても、ガシャンガシャンと鉄の柵が落ちていくまで へたくそなサッカーを止めない。  日本代表どころか、予選落ち確実なサッカーである。  そのような人たちが、なぜか日本を代表している。  だから、国が没落する。  国土建設省が、ダムを作ろうとする。  現場の担当者が、自分で調べて、「こんなの作っても無意味だ」 と思ったら、そこで仕事を止めてしまって、自分が意味があると 思う仕事を始めてしまったらどうか。  「国土建設省」の意志が最初にあって、各プレイヤーがそれに 従うのではなく、  それぞれがボランチとして勝手にフィールドを駆け回って、 国家の意志などという幻影は、最後につじつま合わせとして 立ち上がってくることにしたらどうか?  それでは困る、という人が必ずいそうである。  秩序というものはどうなるのか、と言いそうである。  では、上意下達というのが、本当に理想の組織なのか?  理論的に、突き詰めて考えたことがあるのか?  山形の知事が、公務員は勤務中にワールドカップを見るな と言ったそうだが、  それで公務員全体が従うと思うこと自体、カフカ的幻影なのではないか?  そんなジジイの言うこと知るかと、個々人がそれぞれ最も切実で 効率の良い仕事とプライベートの時間の使い方をしたらどのような 組織ができるか、どのような社会になるか、  一つ山形県知事も日本対チュニジア戦を見ながら考えてみたらどうか。 2002.6.15.  日本代表は、地元の利というだけでなく、 プレイを見ていると、確実に以前よりうまくなっているように思う。  4年前、やはり敗北に終わったジャマイカ戦を、私は久米島の 民宿で昼間の「はての浜」で受けた強烈な日焼けに苦悶しながら 見ていた。  あの時の中山のゴールは忘れられないが、同時に、確かに 今代表ほどうまくなかったなと思う。  日本代表は、全国のサッカー少年の中から、素質も、努力も、 そして運もずば抜けた本当の「選良」たちである。あのピッチに 立っていることを誇りに思っていいし、彼らの肩の上には、夢を 果たせなかった何万というサッカー少年の思いが託されている。  人々が、その本当の「プロ」の魂のこもった戦いを見て 感動するのは当然だろう。  では、国会議員はどうか? 彼らは「選良」なのか?  どうやら鈴木宗男が逮捕されるようだが、おそらく、人々の 意識の中では、田舎から出てきたチンピラが破廉恥罪で捕まる というくらいの意識しかないのではないだろうか?  そもそも、私の周囲で「見識」を持っていると思われる人、 人々を率いる才能があると思われる人、例えば池上高志が、 選挙に出て国会議員になるということは全く考えられない。  社会の中の、本当にpublic serviceに適した人が選ばれる ルートがそもそもないではないか。  国会議員の供給先といえば、親の七光りか、根回しだけうまい 官僚か、あるいは泥臭い権力の欲望に燃えた鈴木宗男のような 議員秘書、あるいはチャラタレと相場が決まっているではないか。  鈴木宗男がもしサッカー選手だったら、日本代表どころか、 北海道足寄郡予選で敗退だろう。  そういうやつが衆議院議員=日本代表を務めているところに、 我々をシニカルにさせる日本政治の現状がある。  そうシニカルにばかりなっていても仕方がないので、何とか ならないかと思っているうちに、そうか! と思った。  私は、以前から、立候補制はやめて、人々が誰でも好きな人を 推薦できる制度にしてしまえばいいと思っている。  そうすれば、例えば、鎌倉では、養老孟司さんが選ばれるだろう。 養老さんはいやだと思うかもしれないが、ご苦労様ですが4年間 public serviceだと思って衆議院議員をやってください、と お願いする。  要するに、社会の中で本当にいい仕事をしている人が、人々の 推薦によって、限られた期間、publicの為に一肌脱ぐ制度に するのである。  その際、同姓同名などの問題がある。どうある個人を 同定するかという問題がある。ところが、ありがたいことに(?)、 政府が、国民総背番号制(住民基本台帳番号制)を導入しようと してくれているではないか。  これで、問題は解決する。11桁の番号を、投票時に書けば良い。 それを集計することなど、今のテクノロジーを使えば簡単なはずである。  半分冗談だが、半分本気である。   それくらい、日本代表の選ばれ方に比べて、国会議員の選ばれ 方はひどい。  ワンワン吠えるチンピラが逮捕されたからって、そんなもの、 社会面の2−3行の記事で終わらせるネタだろう。  私が、鈴木宗男逮捕の記事を、見出し以上に読むとは思えない。 そんなくだらない記事を読んでいるには、世の中は忙しすぎるのである。 2002.6.16.  セブン・イレブンの横にレンタルビデオ屋がある。 風邪引きの体に活を入れるためのリポビタンDを買った帰りに 久し振りに寄ってみた。  DVDが沢山ある。字幕を消して見られる。少なくとも英語の 鍛錬になる。  そう思って、Artificial Intelligenceを借りた。  何しろSpielbergである。どうせE.T.みたいなcheapishなものなのだろうと あまり期待していなかったが、意外と良かった。  美術が良い。story-lineも、flesh showの場面のような、 うんざりの部分もあったが、全体としてそんなにcheapishでもない。  人工知能の、real life boyになりたいと、ピノキオのblue fairyに会いに 行く。そのblue fairyの正体は・・・その結果、どうなるか?  Spielbergだから、ここは徹底的にcheapishだろうと思ったら、 あれれ、案外マトモなendingになっている。  そうか、Spielbergも最近は少し進化したのかなと、終わった後 amazon.comを見たら、この企画を15年間温めていたのはStanley Kubrick で、それをSpielbergが「相続」したのだという。  なるほど、それだったら判る。最もcrucialなblue fairyに願いを する所の扱い、その後のvirtual zoneでの「母親」との再会は、確かに Kubrick的だった。  原作は、Brian Aldissの"Supertoys Last All Summer Long"というのだ そうだが、この短編小説のタイトルにも心を引かれるところがある。  amazonのeditor評は、Spielbergが相続したことで、「不完全な 傑作になってしまった」とある。  ここのところ、映画館に行くという習慣が全く消えて、新作映画を 見ることがなくて、とてもマズイという気がしていたのだが、 DVDを借りて見るという新しいルートが開けて、どんどん見そうである。  しかも劇場だと字幕が邪魔だが、DVDはpure visionが得られる。  次はEyes Wide Shutにしてみようかと思う。  小さなノートを買ってきて、それは「geometry」縛りにして、 physical spaceとphenomenal spaceの対応関係を考えるのに 使っている。食事の時とか、何か考えつくと、さっと書く。  最近はuni-ballのsignoを愛用している。微妙な中間色が沢山 あって、曰く言い難いアイデアを書き付けていても、何だか 心が和んで、大樹の下で風を受けているような感覚があり、 「いい感じ」である。  沖縄に行ってモンパの木の下で風を受けたいなと発作的に思う。  いい風を身体に受けていたいと思う日曜の朝である。 2002.6.17.  ケンブリッジにいる時、田森佳秀が訪ねて来て、 一緒にStansted空港からDublinに行った。  空港から市内に向かうバスが、途中で動かなくなった。  見ると、道に人が溢れて、車が通れなくなっている。  パブがあり、そこから黄色と緑の服や布を着けた人たちが、 あふれ出て来ている。  ナンダ、ナンダと見ているうちに、どうやらサッカーの人たち らしいということが判った。  ナポリも田森絡みだった。  田森が、ナポリ中央駅でトラブって、深夜になっても 到着しなかった日のことである。  夕方着いて、海岸を歩いていると、妙なことに気が付いた。  海岸通を、二人乗りのバイクが走って行く。誰もヘルメットを していない。  すごい密度で、数えている間にあっという間に20、30、40・・ となって行く。  それが、何時までもとぎれない。いつまで経っても二人乗りの バイクの流れがとぎれない。  ナンダ、ナンダ?  これは、ひょっとしたら、この海岸通はサーキットになっていて、 皆ぐるぐる回っているのではないか、だから、同じ人が、何回も 何回も私の前を通り過ぎているのではないか、それにしても 何のためにこんなことをしているのか。  暴動が起ころうとしているのか? 人々が熱すぎる。  それに、ヴェスヴィオ火山が夕陽に異様に赤い・・・・・  そのうちに、その人たちが旗を持っていることに気が 付いた。皆、同じ旗を持って、二人乗りして、猛スピードで走って 行く。  ははあん、と思った。どうやら、サッカーの試合が終わって、 ナポリが勝ったので、皆で興奮して走っているらしい。  バイクの流れが来ているのは、スタジアムの方向らしい。  それにしても、エライことだなあ、これは。  だから、ヴェシヴィオ火山があんなに赤くなるんだな。  ナポリは、これやな。  そう思ったのが、2度目のヨーロッパサッカーの興奮の目撃である。  アイルランドvsスペインを、くしゃみを連発して、ティッシュで 鼻を赤くしながら見ていた。  どうしてもアイルランドを応援してしまう。  何だか判らないが、ケルト的なものとか、緑の風が吹いているところとか、 そのようなメタファーに弱い。  アイリッシュ・ハープにも弱い。  スペインのセルヴェッサにも弱いが、ダブリンのギネスにはもっと 弱い。  くしゃみに弱っているうちに、penalitiesでアイルランドは負けた。  今頃、Dublinでは人並みがあふれ出ているのだろうなと思った。  緑の沃野で、おじさんが一人黙ってギネスを飲んでいるんだろうなと 思った。  なんだか、緑の風を受けたくなる。  ふとぶらりと遠くに行きたくなる。 2002.6.18.  昼休みに、清泉女子大の近くにあるFranklin Avenueで、デザイン センターの森宮さん、クリエータの安斎ローランさんとランチを 食べていた。  ひょっとしたことで「毒」の話になった。  2、3日前、台所で洗い物をしている時に、ふと、「人間関係という ものは毒だ」というメタファーが浮かんだ。  人は、人と出会うと、軋轢が生じることがある。傷つくことがある。 安全無事を祈るのならば、一人で部屋に閉じこもっていて人と接触 しないのが一番良い。  しかし一方で、人間は他の人と出会わないと生きていけないという 側面もあるわけで、  要するに人間は他の人間という毒に中毒し、依存症になっている、 そんなことを思った。  そんなことを言ったら、安斎さんが、「フランスでは田舎の酒場に行くと 面白いことがあります」と言う。  お客さんが来て、オヤジがどの酒にしますか、と聞くときに、 「What is your poison today?」 と聞きます。もちろん、酒が毒なことは判っているけれども、それを 敢えてあなたの毒は何? と聞く。それに対して、聞かれた方も、 「My poison is......」 と答える。  そのようにして、会話が進むのです、と言う。  なるほどね、と思った。  そもそも、生物の進化の過程で、酸素は最初は毒だった。それが、 いつの間にか適応して、呼吸に欠かせないものになった。今では、 毒だったはずの酸素がなければ、我々は生きていけない。  Artificial IntelligenceでDVDで映画を見るというメタファーに 火がついて、3日がかりで、The Spitfire Grill(「この森で、天使は バスを降りた」)を見る。  美質がないわけではない映画だったが、私には、テーマの中に歴然と ある、「異質なものを排除してコミュニティをピュアにする」という モティーフがどうにも後味悪かった。The Easy Riderのラストシーンに も見られる、偏執狂的な異物排出への暗い情熱は、確かにアメリカの 底流に今でも流れているように思う。アルカイダのことを考えれば、 映画の中の話だけではない。  しかし、だからと言って、アメリカを否定しても仕方がない。 異物排除への暗い情熱は、おそらく、アメリカが中毒している毒なのである。 やがて、毒とのつき合い方を人々は学び、遠いネイティヴ・アメリカンの 駆逐の記憶から来る罪の意識も、より洗練された穏やかな自己認識へと 変わっていくだろう。  それが一人の人間が、一つの国家が「生きる」ということである。  我々人間は、おそらく、ちょっぴりの毒なしでは生きていけない 存在なのだ。  「生きていること自体がそもそも毒である、死ぬのが一番安全だ」  そんな台詞が落語にあったような気がする。 2002.6.19.  3時過ぎになると、みんなそわそわし始めて、 3Fのコアルームのプロジェクタをネットワーク研究関係の人たちが わっせわっせとセッティングし始めた。  この人たちは、線をつないだり引っ張ったりするのがとても 得意である。  グループリーダー的な長健二朗さんが、ああしろこうしろと指示する。 http://www.csl.sony.co.jp/person/kjc.j.html    私も、彼らと同じように、note PCを持って、仕事をしながら 音で試合開始を待っていた。  しかし、始まると、プロジェクトされた画面を見る時間が 長くなって、  やがて、手許のiBookは全く省みられなくなった。  ネットワークな人たちは、とうの昔にPCをソファの 上に置いている。  雨のピッチ、何だか赤いユニフォームにやたらと迫力がある。  切ない。  後半30分、所眞理雄さんも来て、佳境を迎えた時、 私は来客へのプレゼンテーションの為にスクリーンの前を離れなければ ならなかった。  もう一つのスクリーンの前で、systems cognitive neuroscienceに ついて「ほにゃらら」と喋って、質問を幾つかお受けして、ホーム スクリーンに戻って来ると、もう青いユニフォームは散っていた。  その数時間前、CSLに来るとき、 代々木駅で、山手線で、今までに見たことがないくらい、 青いユニフォームがあった。  あの時は、祭りの前の興奮が、街に漲っていた。  その、これから満開を迎えようとしたつぼみが、時ならぬ雨で、花を 開かせる前に散った。  つぼみがその上に落ちた土を見ている。  土の何とも言えない色合い。  それが、落ちる雨を受けて黒くなったり、白くなったり。  そんなイメージが、静かになった青いユニフォームが行き交う 街を歩く私の中に立ち上がる。  敗北のメタファー。  始源の時代、敗北は死や追放や逃走を意味した。  私たちの心の中には、その頃の記憶が残っている。  サッカーで負けたくらいで、こんなに落ち込むんだから、 戦争に負けた時は、どんなにどん底の気持ちになったことでしょう。  夕方の朝日カルチャーのレクチャーをそのように始めたら、  前の方に座っている70歳くらいの紳士が、クスリと笑った。 2002.6.20.  東大駒場で行われた、今井むつみさんの授業に、学生たちと出る。 授業を聞きながら、光藤君とpervasiveに出す論文の英語を書き直す から、チトややこしい。  CPUの半分が授業に、半分が英文に向かっていて、それが ゆらゆら揺れる。  今井さんの話を聞くのは初めてだと思っていたのだが、  「これネケだよね。」  「これはネケじゃない。」 などという言い方に聞き覚えがある。  どうも、認知言語学会かどこかで聞いたんじゃないかと思う。  幼児の言語発達に須藤珠水さんが興味を持っていて、 学会のabstract締め切りが明日である。  授業終了後、池上高志と研究室で少しだべって、 駒場で少しビールを飲み、  田谷文彦君と渋谷まで歩きながら議論した。  このレクチャーシリーズは、次の週が多賀厳太郎さんで、 その次の週が私の担当である。  山手線に乗っていても、 青いユニフォームを無意識に探している。  昨日はあれほどいたのに、 今日は雨にキレイに流されたのか、一枚もない。  これも、また、過ぎ去って初めてもう二度と来ないと判る つかの間の現象だったのだなと気が付いた。  次に、日本でワールドカップが開催されるのは一体何年先のことだろう。  私は、日本vsトルコ戦が行われる朝から、なぜか、 「サッカー」メタファーの次を模索し始めていた。  何か、予感があったのかもしれない。  フィジカルに激しく、ずっとフィールドの中を動き回り、 一瞬の判断(judgement)を積み重ね、ゴールを目指す。  このメタファーは、今後もずっと私とともにあると思うけれども、 それ以外の何かが立ち上がりつつあるのを感じた。  昨日、田谷君と渋谷で喋っていて、ああ、それはsoul searchingだったか と気が付いた。  冬山の中の小屋。  雪に閉じこめられた世界の中で、 薪が炎を上げて燃え上がるのを膝を抱えて見つめながら、  心の中に去来するものを見つめる。  曰く言い難い問題について、心を巡らす。  このような、soul searchingのメタファーは、確かに、サッカーの メタファーとcomplimentaryである。  イタリアで、PisaからFirenzeに行くのに間違って各駅停車に 乗ってしまい、異国語の響きに囲まれながら、「この国で、 この言葉で人々とcommunicationし、仕事をし、生きて行かなくては ならないとしたら」と思った瞬間に、異様な重圧感に苛まれた。  あれ以来、複線性こそが、クリエイティヴであることの必要 条件であると思うようになった。  別の線を立ち上げることで、オリジナルな線が、よりpureになる。  サッカーをやりつつ、soul searchingしていく。 2002.6.21.  水曜日に池上高志と喋っていた時に、  「そうか、こいつの美質は、境界をもうけないことだ!」 と気が付いた。  例えば、脳のことを考えていると、それはあくまでも脳のことである という態度をとってしまうことがある。  しかし、宇宙の森羅万象は本来つながっているのであって、 あらかじめ境界を作って、囲い込んで、一角獣を殺してしまっては いけない。  やはり、境界は作らずに、一角獣は野に放たなければならないのだ。  相内正治という、大学院の時の後輩がいて、電通に入った。 久し振りに会って飲みましょうというので銀座のソニービルで待ち合わせた。  やはり電通でブランドを担当されているMさんも来るというのだが、 肝心の相内が来ない。  あれれ? と思って相内に電話すると、「Mさんはもう行っている はずです。ハワイの原住民みたいな人を捜してください」という。  見ると、確かに、立派なスーツを着た、それらしい顔の、よさげな 人が大スクリーンの横に立っている。  きっと、あの人だ、と思ったが、「ハワイの原住民みたいな」 という指示で判ってしまうのも何だか悪いなと思って、 そのまま立っていた。  そのうち、私が相内に電話しようとしていると、その人も電話 しようとしている。  目と目が合って、Mさんがすっとこちらにやってきた。  「茂木さんですか。いや、そうじゃないかと思ったんですが」 という。  私も、そうじゃないかと思っていたんです、と言うと、なぜ 判るのですかと不思議がる。  「いや、相内が、ハワイから今帰ってきたみたいな人を捜せと 言っていたので」  と誤魔化した。  脳科学から見て、ブランドというのはどういうものなのか、 ということをいろいろ聞かれて、いろいろ答えているうちに、 レストランに着いて、ワインを飲み始めた瞬間に、突如 会話は量子飛躍して、森羅万象をアルコールに溶かして 消しさってしまった。  アルコールは、全ての境界を消し去る。    確か、3人でワインを4本飲んだような気がするのだが、 あれは夢か幻か。  開けての今朝は、言語の会議のabstractを書き上げなくてはならないので、 テンパっている。  時間に境界が出来ていく。   2002.6.22.  今、米原に停車した。  5時45分、定刻である。  23:00東京発大阪行き寝台急行、銀河。  寝台に乗るのは、何年ぶりだろう。確か、尾道のあたりを今が そうかと横たわって通り過ぎたことがある。  随分背中に近い所に線路があるような気がして、時々 目覚めては、リュックに縛り付けたスゥオッチを確かめた。  午後4時、フェデックスで須藤珠水さんとの幼児の言語発達の abstractを送り、  今時なぜpdfをメールで送るんじゃダメなのだ、  全くブツブツ、と言いながら、柳川君を誘って議論しながら タクシーでホテルオークラに向かった。  そうか、Daleの法則を満たさなくていいことにして、一つのニューロン からプラス・マイナス両方出ていいことにしたけど、やっぱり 興奮性と抑制性を分けた方が、目的としている性質が出るね。    そんな結論が出たところで、着いた。  7月1日創刊の『考える人』に連載させてもらったせいか、招待状が 着いたので、それではそれではと、好奇心で、三島由紀夫賞、山本周五郎 賞、川端康成賞の授賞式を覗きに来たのだ。  三島由紀夫賞を取った若い人が、マラルメの真似をして 口ひげでスピーチを終えると、山田詠美が、「私は文学をやる人は 良い人にならない方がいいと思います。」と言った。  江國香織は、よく新聞で広告を見て、何となく通俗恋愛小説の 人だと思っていたが、何だかガラス細工のアザミのような 感じで、異様な印象を受けた。  町田康は、幾ら煮ても硬いままの煮豆。  河野多恵子は、翌年の夏になっても腐らない温州みかん。  その他にも、いろいろ見た。   とにかく、とても面白かったのである。  当たり前のことなのだろうが、みんな案外マジメに文学という ものをやっているのだなと思う。  学者の集まる学会との雰囲気の違いというのもまた面白く、 いろいろ考えさせられた。少し吐き出さずに火で炙って見たいと 思う。  パーティーを終えて出てきた時にもらったゴディバのチョコを 一口食べて書いているうちに車窓の佇まいが流れていく。  いつも新幹線に乗っていて、こういう旅の楽しさを忘れていたように 思う。  神社の前で人が座り込んで手を合わせる光景が見えた。  お尻がの曲線が良く見えた。   2002.6.23.  今日は、山口大学の時間学研究所で、全共闘のバトルがあったね。  そのように、終わったあと、言われたのです。    私、郡司幸夫、塩谷賢の順に喋りました。  私は、ここ1週間くらい考えていた、形式主義と神の視点の話を 初めて公に喋りました。  議論の時間になり、私が、形式主義で本当に自然言語に至れると 思っているのか、といつもの攻撃をしたのが切っ掛けで、  3人と京都産業大の三好さん、それに大阪大学の檜垣さんを交えて、 言葉の血祭りが行われたのです。  ホストの入不二基義さんの車に向かう途中、「あんなに熱くなるんです ね」と複数の人に言われました。  「全共闘」というのは直接言われたのではなく、伝聞です。  確かに、池上高志や郡司幸夫のコミィニティに出入りするようになって から、私の中のゲヴァルト的志向が彼らのゲヴァルト的志向と 相乗作用を起こして、見る人の心胆を寒くする激しい言葉のぶつかり合いは、 もう習い性になっていて、時々、世間ではそうではないのだ、 ということをふと思い出すだけなのです。    夕暮れ、入不二さんの車で、豊田に向かいました。  嬉しいことに、蛍船に乗るというのです。  小林秀雄の蛍に母の魂を見るというエピソードに惹かれてから、 蛍は私にとって大切なメタファーになったのですが、  今回、日本でもここだけだという木屋川のゲンジボタルを見る 船を、入不二さんが予約して下さったのです。  一年間に二週間だけなので、かなり前に予約しなければ乗ることが できないのです。  乗船場の近くの橋の上から、すでに、木屋川の上にこんもりと葉を 茂らせた木の中に、たくさんの蛍を見ることができました。  私たちの番が近づき、階段で膝を抱えて入不二さんと仮想と断絶 の問題について語り合っていると、となりの二つの船に乗る人たちが、 立ち上がって、「大韓民国!」と手をたたき始めました。  皆、赤いTシャツを着ています。その40名くらいの集団は、 韓国からの観光客なのでしょう。  ちょうど、昼間の試合で、韓国がスペインを破って4強へと進んだ というニュースが伝えられていました。  赤いシャツの人たちは、ひとしきり「大韓民国!」と叫んだ後、 今度は、「ニッポン! ニッポン!」と叫び始めたのです。  階段にいる私は、とても暖かいものが私の回りを包むのを感じました。  その「ニッポン!」コールがひとしきり終わると、今度は、橋の 上から、数人の日本人の若者たちが、「大韓民国!」といって 手拍子を始めました。  まるで、これから下る木屋川の蛍の光の鼓動を予感するかのように、 船着き場で、「大韓民国!」と「ニッポン!」という音の鼓動が 暗がりの中に響いていったのです。  私は、入不二さんに、韓国が勝って本当に良かったと言いました。  そして、私たちの船が来ました。  木屋川はほんのりと暗く、満月に照らされた葉に光がすーつ、 すーつと点滅して、すっかり明かりを落とした船はその予感の空間の 中を静かに滑るように進んで行きました。  船頭さんは、しきりに、今日は満月であまり蛍が出ていません、 スミマセンと言いましたが、私には、月明かりに照らされ、 両側から木が茂った川面をすーっと滑っていくのが何よりも 素晴らしく、蛍の点滅は、その素晴らしい光景を映え出す キャンバスであるかのように感じられたのです。  すぐに、この体験は、以前アマゾンのマナウスに行った時に、 夜懐中電灯を持ってアリゲーターを見に行った時の体験以来の 魂に響く体験であるということに気が付きました。  そして、良く働き、心を涌かせないものからはなるべく遠ざかって、 このような美しいものだけに近づくような人生を送ろうと思った のです。    蛍の点滅に様々な仮想を託しているうちに船は静かに崖の対岸に 着き、私たちは車で山口に戻りました。  そして、朝4時まで、日本酒を傾けながら語り合いました。 2002.6.24.  二日目は、ザビエル聖堂の下にあるレストランで、  そして秋芳台の景清堂で議論を続けた。    去年の2月に竹富島に行った時に、悟ったことがある。  最初はプログラムを作ってその通りやろうと思っていたのだが、 そのうちにうやむやになってしまって、  しかし議論は激しく盛り上がり、  そうか、このメンバーだったら、どうせ放って置いても自然に 認識論と存在論の交錯する領域の言い難い問題について議論を 始めてしまうから、プログラムなど作る必要がないんだ、  そう思った。  二日目の議論も良かった。  私は幾つかぐっと来るアイデアを得た。     冗談から本気になった議論もある。  おしらさま哲学者、塩谷賢の巨体を視野の中にとらえて  ザビエル下のレストランで話している時に、 「そうだ、塩谷がなかなか本を書かないから、いっそのこと 塩谷が書いた架空の本をでっち上げて、それをみんなで引用することに したらどうか。」 と言った。そしたら、入不二さんが、  「そのコメント全体から、逆にその架空の本の解釈学がスタート したりして。」 と言った。  それから、  「タイトルは『幅と新しさ』というのはどうだろう。」 と誰かが言った。  「幅というのは重要だ」 と塩谷のお腹を見ながら私が言った。  そうしたら、スピノザとラカンが専門の上野修さんが、  「ギリシャの○○○はまさにそれですね。」 と言った。  それから入不二さんたち哲学専門家がなにやら固有名詞を 飛び交わしたが、要するに、古代ギリシャで、  失われた書物について議論した文献が 次々と出て、その全体から逆に永遠に失われた本の内容が立ち上がる ということが実際にあったということらしい。   そうなってしまうと、その本が実際にあったかどうかは どうでも良くなる。  おしらさまは涼しい顔をして煙草を吹かしている。  郡司の文章はcrypticだ、じゃあ、crypticであるとは何かという 議論をしている時に、入不二さんが、しかし、明解だと思っている 文章について、「判った」と思っているのと、郡司の文章が 「判らない」と思っているのと、それほどの差がないでしょう と言うことを言った。  それで、私は景清洞の前のトイレで考えていて、 そうか、例えば「木漏れ日」という言葉の意味は、確定しているよう に感じるけれども、それは、実は「確定している」という仮の 確信を脳が作りだしているだけなんだ、ということに気が付いた。  「木漏れ日」という言葉の意味を理解したということを示せ と言われても、常に不完全にしか示すことができない。  要するに、「木漏れ日」という言葉の意味が把握できた、という 実感があるだけで、内容は実は空虚である。  ちょうど、aha! experienceで、「思いついた!」という確信だけが 立ち上がって、その内容は実は偽だったようなものである。  そんなことを、小郡駅の前のレストランで喋っていると、 おしらさまが期待通りの敷衍をしてくれた。  要するに、赤のクオリアを感じている、赤のクオリアが、心の 中で確定している、と思っている時にも、似たようなことが 起こっているのではないか。  それこそ、私が景清洞の前のトイレで到達して、「これだ!」 と思って立ち上がった着想で、おしらさまが同じ回路を通った ことは面白かった。  ステーキサンドを食べていた郡司が、 「おれが昨日大森荘蔵が女性的で、野矢茂樹が 男性的だと言った議論は、そういうことを踏まえた上で言っていたんだ」 と言った。  officeへのおみやげを買った和菓子屋の前で、入不二さんと 「断絶」ということについて話した。  他者の心と自分の心は絶対的に断絶している。過去と現在は 絶対的に断絶している。しかし、それは第三者の眼から見て 客観的にこれだけの距離がある、というのではなく、一人称的な 視点から相手を見て、向こうが隔たっている、という感覚だが、 これは英語で何と言えばいいのだろう。距離distance差異difference 隔絶gapどれも違う。  私は、案外、discommunicationがいいのではないかと思った。  こうやって、この人たちとパス回しをする。ボールを受け取り、 時にはワンタッチで、時にはトラップして、時にはスローインで ボールを回す。  クオリアに少しづつ近づいて行くような気もする。   『のぞみ』は、ビールを2本と赤ワインハーフボトルを開けた。  京都を出たあたりから意識がなく、小田原あたりで目覚めたときには、 となりにおしら樣の巨体がいびきをかいていた。  新横浜で降りるとき、おしら樣はういろうをくれた。  お下がりものである。大切に食したい。   2002.6.25.  午前、朝日新聞の取材を受ける。  事前に広報に、「今日は科学部の方です」と言われていたので、 両眼視野闘争や、McGurk effectなどのよりconventional cognitive neuroscience に近いネタを用意していたのだけれども、  来た記者の方と喋っているうちに、どうもおかしいぞと気が付いた。  何回か取材は受けているが、こんなヒトは始めてである。  言うことが、「外にいて取材するヒト」というよりは、「中に いて議論しているヒト」という感じなのだ。  しかも的確である。  途中から大幅に軌道修正して、認識論と存在論のhard problemについて 熱く語り合ってしまった。  取材というよりも、議論という感じで、すぐに記事にするという よりも背景取材みたいなものだったから、あんな感じで良かったのだろうか。    終わって、「今のヒトは何だったのだろう」と検索すると、いっぱい ひっかかってきた。 http://www.so-net.ne.jp/tokyotrash/_media/hattori/hattori_top.html  昼食はソニーの社員食堂に長島くん、柳川くん、光藤くんと。  帰ってきて、机で猛然とタイプし始めると、突然くしゃみがとまらなく なって、長島のティッシュを大量に使う。  「ごめん」というと、「いいですよ」という。  そのうち、長島が「おっ」と言って、「茂木さん、ホンダ決まりましたよ」 と言う。  内定が出たらしい。  良かったね、と言いながら、ひたすらタイピングを続け、 ティッシュで鼻をかむ。  一箱使い終わったら、長島がどこからかもう一箱持ってきた。  夏に研修に来るフランス人からメイルが来て、 そのURLに張られていた写真に爆笑。  長髪で、流し目で、いかにもアヤシイ。  なんだ、これは、と、早速学生たちに流す。  誰が共同研究するかで、『新しい上司はフランス人』の時代に、 フランス人を使いこなす喜び、などと冗談で言っていたのだが、  写真を見て、長島が「小俣でいいんじゃないですか」とまず逃げる。  柳川が、「何なんでしょうね、あれは」と言う。  そんなことを言われているとは知らないボルドー大学のVaudou君は 可哀想である。  V.にとって、いい夏になってほしい。  午後6時前、田谷君と一緒に出て表参道へ。  講談社ブルーバックス編集部の梓沢修さんと中華料理へ。  田谷君と一緒に書く「脳とコンピュータ」の原稿の第一回を お渡しする。  この本は、田谷君が脳について思いの丈をかいて、 私がコンピュータについて書くという、不思議な設定になっている。  ビールと紹興酒の後、帰りの地下鉄でギャンブル談義になった。  「モナコでルーレットを監視している強面の兄ちゃんたちがいる。 客とディーラーの諍いを仲裁するだけではなく、ディーラーと客が グルになって客にもうけさせてキャッシュバックというのを避ける ためです。」  「モナコには、投げて思った数字を出せるディーラーがいる そうです。」  「確率的に言うと、一番寺銭が少ないのはパチンコで、だから パチプロが存在する」  これは梓沢さん。  「パスカルは、ルーレットに0や00を付け加えることを思いついて、 それで修道院を巻き上げたそうですね。」  「カジノのプロは、確率的にはかなわないハウス相手のカケをする のではなく、興奮した客とカケをして、必ず自分が勝つような確率 設定にするらしい。負けた客も、有名なプロに負けたと自慢できる。」  「公営ギャンブルは寺銭を除いて配分するから胴元は絶対安全なのに 対して、カジノは胴元も破産する可能性がある。120%、150% ということがあり得る。」  これは私。  もともと、ブルーバックスで「確率的にギャンブルは必ず負ける」 という本を書いた著者が、週間現代の取材を受けて、記事になったら 「『・・・・・』著者が語るギャンブル必勝法」という内容になって いて激怒したという話から、時ならならぬギャンブル談義に。  中華料理屋では、ハイティングの『指輪』の廉価版は案外いいとか、 マーラーの演奏は、バイエルンがいいなどと高尚な話をしていたのだが、 地に落ちた。  しかし、人生とはもともとギャンブルのようなものである。  未来は絶対不可視で、予想のつかないことばかり。 2002.6.26.  先日の山口の研究会の時、「おしらさま哲学者」塩谷賢が、 何だかやたらと食い物の話をしていたような気がした。  次はふぐがうまい2月に下関で研究会をやろうとか、 7月13日のQualia K1の後で、近江の招福楼に行こうとか、 新潟にはうまい店があるとか、気が付かないうちにさっと 食べ物エキスを会話に塗り込んでいる。  あれはどうも妙な調子だ、どこかに似たようなのがあったな と思っていて、昨日思い出した。  漱石の「我が輩は猫である」の中の立町老梅君である。  八木が独仙なら、立町は豚仙さ、あのくらい食い意地のきたない 男はなかったが、あの食意地と禅坊主のわる意地が併発したのだか ら助からない。始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると 妙な事ばかり並べていたよ。僕のうちなどへ来て君あの松の木へ カツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾が板へ乗って 泳いでいますのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いてい るうちはよかったが君表のどぶへ金とんを掘りに行きましょうと促 がすに至っては僕も降参したね。それから二三日するとついに豚仙 になって巣鴨へ収容されてしまった。  おしらさまが巣鴨に収容されてしまわないように、時々おいしいものを 一緒に食べて発散させてあげよう。  韓国ドイツ戦は見ていて切なかった。  韓国の選手の動きが、日本代表の動きと重なってしまう。  ボール際の電光石火の煌めきが、ドイツの選手に比べると 緩く、  その緩さの質は、日本代表の緩さの質に近いように思った。  肉体なのか、文化なのか。とにかく、ドイツ、ブラジル、イングランド あたりの電光石火に比べて、日本と韓国のそれは湿っているように 感じた。  それが、切なかった。  月曜に朝日新聞の服部桂さんが来たとき、クオリア問題は総力戦です と申し上げた。  日本人は、ナノテクとか、分子生物学とか、あのようなテクノロジーに つながった分野でのコントリブーションはして来たけれでも、世界観の 根幹に関わるようなコンセプチュアルなレベルでの寄与は今までした 例がないし、期待もされていない。  やはり、ヨーロッパの知の伝統の厚みは重く、言語的な問題を含めて、 クオリアのような概念上の根本問題で彼らが認めるような コントリビューションをするのは大変である、物理、数学、哲学、 認知科学、神経科学、・・・・自分の持っているツールを全て動員した 総力戦である、そんなことを申し上げた。  そんなことを夢のように志向している自分の姿と、日本韓国の 共通の緩さが重なってしまって、切なくなった。  電光石火は湿っていないか。   もっとパキパキ行かなくていいのか。  こちらのピッチは、概念の空間にある。ハーフタイムもPKもなく 生きている限りずっと続く。  もし決勝に出て横浜に来ていたら、青い波と赤い波が混ざり合って、 大変なカルチュラル・フェノメノンになっていたろう。  起こらなかったことを仮想するのは切ないが、 惜しいチャンスを逃した。  電光石火が、もう少し煌めけばよかった。  風邪を引いて調子が悪いので、DVDでIn the heat of the night (「夜の大走査線」)を借りてきて見た。  やはり、DVDは字幕をカットできるのが素晴らしい。視覚体験が pureになる。  黒人と白人の刑事の断絶しているようなつながっているような communicationの形式が面白かった。 2002.6.27.  しばらく前に、恩蔵絢子さんに、「Bartoの強化学習の本を 読んでみませんか」とメイルした。  昨日のゼミの時に、我々の認知は、3体問題におけるカオスに示される ように、 世界が因果的連続性、論理的連続性では把握できないということを 前提にした上で、それでも何とか把握する、という課題を解くべく 構成されている、自然言語が論理的連続性をメルクマールとする 形式言語と相性が悪いのは当然で、なぜならば、自然言語は、 因果的連続性が崩壊した後の世界を一回的に把握するために 設計されているから、学習においても、実はそういうことが 重要で、標準的な強化学習のcredit assignmentの問題などは、 本当は違うかもしれない、そんな話をしたら、腑に落ちたような 顔をして、  「実は、Bartoの本はツマラナカッタ。最適化みたいな話ばかりで、 茂木先生が何を求めているのか判らなかった」という。  恩蔵さんにそう言われて、いろいろ考えてしまった。    修士や博士の時には、ある程度標準的なことは押さえておかないと いけないし、そうでないと単なるくるくるパーになってしまうけれども、 そのとき、「こんなのつまらないジャン、本当はこれと違うじゃん」 という憤りのようなものがふつふつとこみ上げてくるという体験は、 とても貴重なものなのだと思う。  そこらヘンが、恩蔵さんに伝わっていなくて、もし、Bartoのような 話をそのまましろと言っているのだと思われていたとしたら、 一週間済まなかったと思う。communicationは難しい。  関根君は、jitterの論文。面白い。しかし、今使われているjitterの 刺激は、あまりにartificialに過ぎるのではないかと思う。  我々が自然の風景(natural scene)を見て、眼が微少振動して、 その結果生じるnatural jitterは、標準的に作られている白黒の ランダムな変動としてのjitterと、localな速度成分の分布と、 non-localな相関が違うから、そこをちょっと計算してみたら、 とsuggestionする。  須藤さんは、namingの時にBrocaとWernickeが使われていない という話。PETで、しきい値以下だったのかもしれないが、確かに、 絵を見て名前を言うというタスクは、resourceが少なくてもいいのかも しれない。からくり人形は計算しているとは言わないのは、どんな計算 でもできるという分岐がないからで、分岐が一つに決まるというところで 実は沢山エネルギーを喰う。namingは正解が基本的に一つだから、 分岐がない。一方、普通の会話は、どのようなことを言うか、分岐が それこそ無限にあるから、その無限の中から一つを選ぶところで ものすごいresourceを喰って、その結果がWernickeやBrocaの 活動としてでるのかもしれない。そのあたり、ちょっと computationalに計算してみたら、とsuggestionする。  研究室の合宿は、どーんと沖縄に行こうかあ、などと話している。 渡嘉敷島に渡って、民宿でビールを飲んで、ビーチを歩いて マルオミナエシを拾って、那覇で「うりずん」に行って 泡盛を飲み、ついでに国際通りで喜納昌吉のライブを聞けたら 最高だなあ、などと。 2002.6.28.  文春を読んでいたら、清野徹がこんなことを書いていた。 アントニオ猪木が「さんまのまんま」に出て、 明石家さんまに「そんなことゆうたらあきまへんで。印象悪くなりま すよ、好感度がね」と言われた。そしたら、猪木は、即座に吐き捨てる ようにこう言った。  そんな「好感度」なんてどうでもいいですよ・・・。こんなの見てる ヤツなんかロクなヤツはいないんだから。  慶応SFCでの授業を済ませて、  新宿に向かうロマンスカーの中で、思わず、「全くだ」と笑って しまった。  先日、郡司が「吉本の笑いはキライだ」と言っていた。  要するに、吉本の芸人が「ホモ」を笑いの対象にする場合、自分にも 「ホモ性」があって、それに対する社会的攻撃性を受け止めつつ笑いに するのではなく、「ホモ性」をいうのを全面的に相手に投射して、 それを攻撃することで笑いにしている、そんなことを郡司は言っていた。  新日本プロレスを見に行ったのは、確か、小学校5年生の時だったと 思う。  島村俊和という、その後日刊スポーツのカメラマンになったやつに 連れられて行った。  サーベルを持って暴れるタイガージェットシンの全盛期で、 体育館の前で選手が来るのを待っていると、島村が真剣な声で言った。  「タイガージェットシンだけはマジだから、挑発しない方が いいよ。選手だろうが、一般の人だろうが、見境がない人だから。 からかって、血祭りに上げられる人もいるんだから。」  私は、そうか、と身体を硬くしてシンが現れるのを待っていた。  やがて、シンが本当にサーベルを持って現れた。  目をむきだして、サーベルを口にくわえて、挑発するように 周囲を見ながら、大股で体育館に入っていった。  さーっと人々の輪が引いた。  私は、あの人は普段から危ない人なんだ、島村が言った ことは本当だったんだ、と思った。  試合は、ゴングが鳴る前にシンがサーベルを持って猪木に 襲いかかるというお約束の展開で、  異常に興奮した。  シンがリングの外に出て猪木を痛めつけ、  床の上で痛めつけているのでよく見えないことが、 かえって臨場感を高めた。  シンは、やがて、パイプ椅子を持って、観客に向かい始めた。  おおおおというどよめきが地鳴りのようになって、 人々が一斉にさーっと逃げ始め、体育館に並べられたパイプ椅子が バタバタと倒れた。  指定席も何もない。ただ、人々は流体と化してあっちへさーっ、 こっちへさーっと流れ、  スポットライトに照らし出されたシンがそれを追う。  いや、あれは興奮した。  中学校になって、ある時島村俊和が、真顔で、  「ねえ、プロレスって、八百長だと思う?」 と聞いたことがある。  私は、「良く判らない」と答えた。  良く判らないが、あの現場の興奮は、それがリアルファイトか 八百長かということとは違う質のものではないかと思った。  最近になって、「ミスター高橋」が書いた「流血の魔術最強の演技―す べてのプロレスはショーである」などを読んでいると、あれは全て筋書き のある演技だということである。  それはそうだろうと思う。  しかし、やはり、タイガージェットシンの チョーク攻撃を受け、マットにたたきつけられるのは体力が要る。  苦しいトレーニングを続けて筋肉の鎧を付けていなければ、 簡単に首の骨が折れてしまうだろう。  全てが演技だとしても、自分の身体を張っている人に迫力があるのは 当然である。  さんまを始め、テレビで見る芸人には、猪木のような迫力がない。 結局、自分を安全な場所に置いているからで、そんなヤツらの たわごとなど聞きたくないというのは私だけなのだろうか。  なぜ、あのような番組が視聴率を取るのか、全くリアリティがない。  猪木ではないが、   そんな「視聴率」なんてどうでもいいですよ・・・。こんなの見てる ヤツなんかロクなヤツはいないんだから。 と言い切るような骨のあるテレビ人はいないのか?   やはり、コマーシャリズムの中では難しいのだろうか。 2002.6.29.  ここのところ、DVDを借りてきては、食事の時などに細切れに 見てつなげている。  American Beautyを見た。  もともとアカデミー賞も作品賞も信用していないが、 この作品は見ておこうと思った。  あの薔薇の少女がもっと主要な位置を占めるのかと思ったら、 群衆劇に近かった。  American Beautyというのは別にあの少女のことを指しているの ではなく、より一般に、Americaという文明の中での生活の ある種の美質のようなものを指しているのだろう。  それは、底が抜けた空虚に向かう渦巻きのようなもので、 薔薇の少女も、薔薇の少女に執着する中年の男も、その妻も、 隣のビデオ少年も、そのナチス親父も、「美しいアメリカ」の 空虚さに落ち込みつつ、手足を踊らせる。  何だかコワイ映画だなと思った。  空虚さはどのような世界でも避けられないもので、 神を信じていた中世の生活でも、神を信じている現代の生活でも、 空虚さは意味と隣合わせだけれども、アメリカにおける空虚さの 遍在は恐ろしい。  それをAmerican Beautyと名付けなければならなかった ハリウッドの精神性も恐ろしい。  しかし、それほどの傑作とも思わなかった。  それを、20年来の収穫と持ち上げる批評精神も恐ろしい。  調子が良くないのだけれども、久し振りに10キロ走った。  そうしたら、何だかフットサルがやりたくなって、 研究室の人たちをメンバーにして、港区のピッチに登録した。  南米帰りが二人いるし、今度フランスから研修生が 来るし、何だか本格的である。  ゼミを終えて、京急でそのピッチに行って、激しく動いて、 ビールを飲んでいるところを想像すると自然に顔がほころんでくる。  しかし、このような「意味」はもちろんつかの間の安定、 罠なのであって、至るところに空虚がある。  それを、実際性の漆喰で塗り込んでいるのがアメリカなのだが、 本当の意味ではその恐ろしさに直面していない人が多いのかなと思う。  だから、American Beautyのような中途半端な作品ができるのだろう。  じゃあ、現代日本はどうかというと、こちらも それほどいばれたものではない。  ナンシー関も死んでしまったし、たまたまその時間に家にいたので、 「マネーの虎」という番組をビールを飲みながら初めて見てみた。  面白いことは面白いが、一方で非常に空虚である。  二度と見ないと思うが、あの空間に遍在している空虚さに 気が付かないというのは、要するに逆に現代日本にAmerican Beautyの ような映画を作り出す形而上学が欠如しているということかもしれず、 どっちがよりヒドイのか良く判らない。  しかし、あの見せかけのいけいけどんどんの背後にある空虚さを 隠すためには、吉田栄作というキャスティングは絶妙だと思った。 2002.6.30.  明石家さんまと吉本の笑いのことを書いたら、メイルや掲示板で いろいろ反響があったので、もう少し補足したいと思う。  私は大阪道頓堀の吉本なんばグランド花月には何回か行っている。 落語中心の東京の寄席とは逆に、落語が「色物」である。  ロシア人がジャグルをしたり、中国人の姉妹が出てきたりと、 舞台がインターナショナルで、いろいろ新しい工夫をしているところである。  「新喜劇」は、ふっくらと炊いた人情話に笑いをまぶしたかやくごはん という感じで、客席の反応を見ていると爆発的である。  そこに、何らかの共犯関係があるのだろうといつも 考えていた。  明石家さんまのことをもう少し書けば、「オレたちひょうきん族」 でさんまが「なんですかマン」や「あみだババア」をやっていた時は、 大笑いして見ていた。  しかし、あの頃から徐々に増えて来た、さんまがホストのトークは、 私には合わなかった。  まだやっているかどうか知らないが、「恋いの空騒ぎ」(?) のような番組にたまたま遭遇すると、10秒と耐えられないで ぱっと切り替えてしまう。  庭や料理に表れる感性が西の方が圧倒的に細やかなのはいつも 感じることで、東はビジネスライクなところがある。  東は、明治維新がきっかけか判らないが、アングロサクソン化して いて、西は善し悪しは別として様々な澱を蓄えている。  この澱があるからこそ、庭や料理に表れる感性も蓄えられているのだろう。  「ぼけと突っ込みの呼吸」などと言われても、東の人間は 人間関係にそんな余計なリソースを使うのはばかげている、と 正直思うところがある。  爆笑問題も一見ぼけとつっこみの関係のようだけれども、 彼らの場合、やりとりの対象がお互いの人間性ではなく、ロジックで あるところが違う。ツービートもそうであった。     しかし、東とか西とか言っても、傾向の問題で、あまり固定化 して考えない方がいいことはもちろんである。  桂米朝は好きだし、「千両みかん」、「たばこの火」などの上方 落語のネタも好きである。  ただ、吉本の芸人がテレビで無内容にチャラチャラしているのを 見るのが耐えられないだけだ。  南と北が銃撃し合ったようである。  しばらく前から、このような事件が起こったとき、それを、国家対 国家という文脈でとらえない方がいいのではないかと思っている。  確かに、境界線上で銃を持ってうろうろしていろという命令は、 「国家」が出したのだろう。しかし、相手を殺すトレーニングを 受けた人間が、武器を持ってお互いの近くでうろうろしていれば、偶発的 事故は起こるべきして起こる。  蟻が砂糖の回りをうろうろしていたら、舐めるべくして舐めるがごとく。  それを、「国家」と「国家」が敵対意志を持って対峙している というメタファーでとらえるのは古い習慣だし、マスメディアも その古びたメタファーで報道するけれども、  そんなものにつき合う必要はないだろう。  試合が終わって、韓国とトルコの選手が互い違いに手をつないで 観客に応え、巨大なトルコの国旗が韓国のサポーターによって支えられて 広がる。  これは21世紀の光景だが、船と船がドンパチやって それを国営放送のアナウンサーが目をつり上げて非難するという 光景は、20世紀に置いて行きたい光景だ。  記録映画か、ハリウッド映画の中にだけあれば良い。  もっとも、こう書いても、実際そのような時代遅れのレジームに 巻き込まれて一人称的に生きざるを得ない人たちの苦しみは消えない。