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メタローグ社 『レコレコ』所収
http://www.metalogue.co.jp/reco.html 
「脳から世界を考える」 第1回〜第8回
茂木健一郎

脳から世界を考える 第1回

 以前2年間イギリスに留学していたこともあって、今でもかの国のことは気になる。コメディのビデオを輸入して見たり、ニュースサイトをチェックしたりする。
 BBCの政治コメディの傑作「イエス・ミニスター」を見ていて、はっとしたことがある。紆余曲折あって、それまでヒラの大臣に過ぎなかった主人公ジム・ハッカーが、ついに首相になる。何とも頼りないのだが、無難な選択として、白羽の矢が立つ。バッキンガムパレスから首相就任の要請の電話がある。ジム・ハッカーはすっかり舞い上がってしまう。この場面ではっとした。しばらく呆然として、それから少し恐ろしくなった。
 周知の通り、イギリスには成文憲法はない。だから、女王が誰に組閣を要請するかということについても、明文規定はない。下院で最大多数の政党の党首に要請するという慣習があるだけだ。はっきりとルールを書いていないということは、理論上は、知り合いのオジサンや、通りすがりのお兄さんに首相就任を要請してもいいことになる。もちろん、実際にはそんなことはない。しかし、明文規定がない以上、可能性は否定できない。
 どうせ最大多数の政党の党首が首相になるんだったら、そのように明文規定を作ればいいという考えもある。しかし、敢えてそれをしない。実は、これが、恐ろしいまでの叡智だということに気がついたのである。
 自分の人生について考えれば判るが、重要なことほど、明文のルールでは決められない。会社は朝9時から始まるとか、車は左側を走るとか、そのような実際的なことは、ルールで決めれば良い。一方、どんな職業に就くか、誰と結婚するか、死を前にしてどうするかといった、人生の重大事ほど、明文のルールでは対処できない。
 国家も同じことである。細かい実際的なことは、明文化された法律で決めておけば良い。一方、国家の命運を決するような重要な事項の判断は、ルールを箇条書きしておけば決まるというようなものではない。最終的には、指導者の判断(ジャッジメント)を信頼するしかない。どう判断すべきかなどという基準は究極的にはない。
 もちろん、明文のルールがないことは恐ろしい。権力者が暴走する危険もある。自分たちの判断(ジャッジメント)を信頼し、誇りに思っていなければ社会がもたない。イギリス人は、明文のルールによって縛られなくても、賢明な判断を積み重ねれば、民主的で繁栄する社会を作れると思っている。実際その通りだったことは、歴史が示している。ヒトラーは、当時最も民主的と言われた成文憲法の国に出現したのである。
 イギリスは、ヴィトゲンシュタインの哲学を育んだ国である。「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という言語哲学と、成分憲法を持たないという実際的な叡智は、深いところで関係している。人間の知性の本質は何か? 判断の基準を有限のルールで書くということは可能なのか? 人間の認知プロセスの本質についての深い洞察が、イギリスのやり方の背後にある。
 日本の場合はどうか? 首相を国会議員以外から選びたいと思う人は沢山いるはずである。我々は、それは憲法というルールでできないと思っている。しかし、本当に問題になのは、ルールではなく判断である。果たして、日本人は自らの判断を信頼できるか? 一つの思考実験として、日本が成文憲法を廃止した場合のことを考えてみれば良い。

「脳から世界を考える」 第2回 仮想の切実さ

 例えば、ティーンエージャーの頃、初めてデートに出かける。女の子というものは、男の子というものはこういうものだろうと思っている。今日のデートはこうなるだろうと予感する。しかし、そのような予想は、自分の前に現れた生身の人間によって裏切られる。「こうなるだろう」と思っていた仮想は、気恥ずかしい幻想としてあっという間に捨てられる。そうすることが、成長することだと思いこむ。
 あるいは、ある人が、「霧ヶ峰」という名前を聞いて、あるイメージを持ったとする。実際にそこに出かけてみたら、イメージした場所とは全く違うものだったとする。こうだろうと予想した「霧ヶ峰」は、実は地上のどこにもなかったのだと気が付く。楽しい思い出を記録した写真やビデオの背後に、仮想された幻の観光地は消えていく。
 私たちは、日々、現れては消える沢山の仮想に囲まれて生きている。そうとは気付かずに通り過ぎる、小さな仮想の揺らぎもある。例えば、昼に蕎麦を食べようと思っていたところが、同僚にラーメン屋に誘われたとする。その時、「その日に蕎麦を食べていた自分」は、現実化しなかった仮想になる。友人と飲み会をやろうと思っていたところ、風邪を引いてキャンセルする。ベッドに横たわっていても、カウンタで酒を飲んでいる自分の仮想がちらつく。贔屓のチームが詰まらぬエラーで優勝を逃す。もしあのエラーがなかったならと、グラスに当てた唇に無念さを託す。
 人生とは、現実化せずに刻一刻死んでいく可能性の塊である。数え上げて行けば、私たちは、一日にいったい幾つの、現実化しなかった仮想に出合うことか。
 現実化しない仮想だからこそ、切実なものになることがある。例えば、革命というののは、決して地上には実現しないユートピアを追い求めての運動である。そのようなユートピア運動が挫折した時、そこにいかに醜い現実が生じるか、人類は繰り返し体験してきた。  
 ユートピアを地上に文字通り実現しようとするのは、おそらく空しい行為である。資本主義は、その空しさを理解した実際的な大人のための制度である。一方で、現代という、極めて実際的な世界に生きつつも、私たちは仮想の切実さを離れては生きられない。エコロジー、反グローバリズム、地域通貨。仮想の切実さは、どの時代にも、形を変えて現れる。
 現実化しない仮想とのつき合い方を、私たちはもっと考えてみる必要がある。小さな心の揺らぎから、革命の幻想まで、私たちは数多くの仮想に駆り立てられて生きている。決して完全には現実化しないと知りつつ、しかし、仮想の切実さを引き受けて生きる。そのような成熟した態度を私たち一人一人がとることで、少しはこの世界も住みやすい場所になるかもしれない。
 私は、ティーンエージャーの頃、しきりに、月に向かって手を上げる女の絵を描いたことがある。なぜ、あのような絵を描いたのか、今では判らない。あんな女は現実のどこにも存在しない。地上の現実を離れて、どこにもいない女の絵を描いたところで、それが何の役に立つだろう。そんな気恥ずかしさから、長い間そんなことを忘れていた。それが、最近になって時々思される。「月の女」という仮想の切実さは、私にとって何だったのだろうと考える。

「脳から世界を考える」 第3回 断絶の向こうの他者の心

 私たちは、様々な手がかりから、他者の心を読みとる能力を持っている。たとえば、顔の表情から感情を推定する。電子メイルの文面から、相手の気持ちを読みとる。携帯電話から聞こえてくる口調で、今日の機嫌が判る。このように他者の心を読みとる能力を、「心の理論」と言う。心の理論がどのように生み出されるのかを考えるのが、最近の脳科学の最も熱いトピックの一つになっている。
 しかし、考えてみると、私たちは、本当の意味で他者の心が理解できるわけではない。他人の心は、実は絶対的に不可視のものとして私たちの前にある。他者とコミュニケーションをとる時、私たちは、互いに何となく判った気になっている、判ったことにしているだけのことなのである。
 たとえば、親友が酒を飲んで荒れて、あなたに絡んで来たとする。どうしたんだろう、いつもはあんな奴ではないのにと思っていると、翌日メイルが来る。「実は彼女と別れたんだ」と書いてある。それで、あなたは、「そうか、それであいつの気持ちがわかった」と思う。「オレに絡んできたのも無理はない」と納得する。もちろん、本当に親友の気持ちがわかっているわけではない。彼女と別れた親友の主観的な体験の全てが理解できたわけではない。「あいつの気持ちがわかった」というのは、この場合、酒を飲んで絡んできたという行為について、その動機はこれで判ったことにしよう、それ以上詮索はしないことにしようというだけのことである。
 考えてみると、相手と気持ちが通じたと思うことは、実は、それ以上相手の内面に入らないという打ち切り宣言をしていることでもある。コミュニケーション(つながること)は、ディスコミュニケーション(断ち切ること)と常に共存している。お互いに理解したと思った瞬間に、それ以上先には進まないという関係の切断が行われている。言葉は、まさに、そのような接続と切断が共存するメディアとして発達して来た。私たちの脳は、他人の心を理解することができると言うよりは、理解したことにすることができると言った方が正確なのである。
 現代は、他者とつながっているという錯覚と期待を抱きやすい時代である。誰もが携帯を持ち、メイルを送り合う。このような時代には、かえって、他者の心そのものは知り得ないのだという世界の根本的な成り立ちを心に銘じておく必要があるように思う。試みに、自分の最も親しい人が、自分と会っていない時に一体何を考えているのか、想像して見ると良い。そこに横たわる断絶は、携帯で話そうが、メイルをやりとりしようが、絶対に埋めようのないものではないか。携帯やメイルは、断絶の向こうの他者の心へ架けられた虹の橋のようなものである。
 遠い国、異なる文化の人が判りにくいというのは見やすい。しかし、そうやって身の回りを安全圏においては、本質を見誤る。大切なのは、自分の目の前にいる人、親しい人の心の中にも、自分には絶対に知り得ない暗闇があると感じることである。そう考えることは淋しい世界観への道筋のようだが、余計な幻滅からは自由になれることも事実である。他人と判り合えないことに傷つく必要はないし、少しでも心がつながったと思えば、例えそれが脳の「心の理論」モジュールが演出した「気のせい」だとしても、やはりうれしく思えるのである。

「脳から世界を考える」 第4回

 フロリダのオーランドに行く機会があった。ディズニーワールドのあるところである。
 KOBEという、いかにも怪しげな名前の日本食レストランに入った。やはり、とてもアヤシイ内装だった。ホテイ様のお腹にストローが突き刺さったカクテルが出た。目の前で、包丁を持ったベトナム人が、玉葱のスライスを重ねて富士山を作り、火をつけて「噴火」させた。アメリカ人が、拍手喝采した。
 外国で時々見られる、トホホの日本である。21世紀にもなって、そんな歪んだ日本のイメージは、いい加減修正してほしいと、本気になって怒り出す人もいるかもしれない。
 しかし、私は、このような一見困った現象にこそ、コミュニケーションという形式の持つ可能性があるのではないかと考える。AからBを見ると、「本当の」Bとは全く異なる何かが立ち上がる。あるいは、AがBに働きかける時に、それまでのAとは異なる何かが生まれる。それまでどこにもなかったものが、関係性の中に生み出されるのである。
 タクシーに乗り、運転手と会話を交わす時の自分。景気、天候、野球、サッカー。誰もがそれなりに参加できる、当たり障りのない会話を続ける。タクシーという密室に、見知らぬ他人がいきなり閉じこめられてしばらくの時間一緒に移動するという関係性がなければ、決して生まれなかったような私が生まれる。そして、タクシーを降りると、それまで確かにあった私は、消えてしまう。はっと我に帰る。今までの私は、何だったのだろうと思う。
 ボーイスカウトなどで、大勢の子供の前で喋る人の声が、それ以外の状況では絶対に出さないようなリズムとトーンになる。外国人に英語で道を聞かれて、普段と別の人格が立ち上がる。外国人に日本語で道を聞かれて、わざと少しなまったような、奇妙な日本語を喋る。好きな女の子に話しかけて、声が上ずる・・・・。考えてみれば、私たちは、コミュニケーションの文脈の数だけ異なる人格を持っているのかもしれないのだ。
 アメリカ人から見た「ジャパン」、明治の日本人にとって「ハイカラ」な西洋、現代人が、戦国時代はこうだったのだろうと想像して作り出す「大河ドラマ」、まるでヒッピーのように髪の毛が長い、キリストのイメージ。これらは全て、異なるものどうしの行き交い(コミュニケーション)が生み出す仮想である。
 時には、掛け値なしの傑作が生み出されることもある。例えば、『マタイ受難曲』である。キリスト受難を伝える聖書のテクストに、バッハがこの上なく美しい曲を付けた。裏切り、十字架、復活。今では、「キリスト教」と言えば、この名曲の中にあふれるような情念の世界を想起する人が多いかもしれない。しかし、考えてみれば、『マタイ受難曲』に描かれている世界は、バッハの時代のドイツの文化風土から、遠い中東のはるか昔に起源を持つ宗教を思いやった時に立ち上がった「仮想」に過ぎないとも言える。
 コミュニケーションとは、実に、様々なものを生み出す魔法のことだったのだ。
 バッハほどの洗練も深みがないとしても、フロリダの日本食レストランも、「ハイカラ」な洋館も、どこか切実な人々の思いを反映している。だから、私は、これらの少し奇妙なものたちを愛おしく思うのである。

第5回 脳科学のはかりまちがい

 世間では、男女の脳がどう違うとか、ゲームをやると前頭葉の機能が低下するとか、前頭葉の機能が低下しているから電車の中で化粧をするのだとか、「脳科学」の衣をまとったさまざまな言説が流布している。
 脳科学をやっている人間はこのようなことをどう考えるのか? 実はあまり興味がない。これらの「問題」が、脳科学が本来問題にしていることから見れば枝葉末節だからである。枝葉末節であるばかりでなく、これらの言説には、様々な弊害がある。ある意味では、上のような単純化された言説に引っかからないようにするということが、脳を本当の意味で知るということになるのかもしれない。
 そもそも、現代の脳科学の水準から、人間とはこういう存在であると断定的に言えることはほとんどない。脳という臓器は、前頭葉とか男女の性差といったキーワードで切り取るには、あまりにも複雑すぎる性質を持っている。「脳がこうだから、こうなるしかない」という決定論は、現時点では生きる上で何の参考にもならないばかりか、科学的にも根拠がない。
 気をつけなくてはならないのは、「脳はこうなっている」という言説は、それを聞く人間の脳にとって、一つの暗示になってしまうということである。典型的なのが、男女の脳差の問題だ。
 将棋の元名人のYさんにお会いした時のこと、男女の能力差に話が及んだ時、Yさんは、「女流棋士でも能力は同じです。男性と伍して、名人位を争うことだって可能です」と断言された。私は、強い感銘を受けた。実際の棋戦は、男女別に行われているし、Yさんだって、本音の部分では、女流棋士はちょっと・・・と考えているのかもしれない。しかし、Yさんはあえて、「女性も将棋の能力は同じだ」と断言された。これは、とても立派で、正しい態度だと私は思ったのである。
 男の脳はこうだ、女の脳はこうだ、と、脳科学の衣をまとって決めつけられてしまえば、それを聞いた人間は、そういうものか、と思ってしまう。女は空間的な能力が低いと言われれば、それでいいのだと思ってしまう。一方、実際には少し差があったとしても、Yさんのように「女だって同じ能力があるんだ」と断言すれば、それが一つの暗示になって、本当に男性と棋戦を争って名人になる女の人が出てくるかもしれない。そのような可能性を「科学的に」否定できるほど、私たちは脳のことをまだ知らない。
 そもそも、脳科学に限らず、科学的であるということと個人として生きるということは潜在的に矛盾することである。科学は、いつでもどこでも成立する普遍的な法則を追求する。脳科学も、あくまでも平均的な、「標準脳」を扱おうとする。しかし、実際には、脳には必ず個人差がある。その個人差、すなわち、標準脳からのズレこそが、自分がユニークな個人として生きる上では重要になってくる。しかし、それはもはや科学の範囲外の問題である。
 そもそも、脳科学が扱うはずの標準脳の性質についてさえ、現在の我々は十分の知識を持っていない。ましてや、モーツアルトやアインシュタインといったユニークな天才の脳はもちろんのこと、私たち一人一人をかけがえのない存在にする個性の起源など分かりようがない。脳科学ではこうだ、と決めつけることは百害あって一利ない。個性や創造性のメカニズムは、まずは一人称として生きることで内発的に体験していくしかないのである。

脳から世界を考える 第6回 文脈を切り替える自由

 大脳皮質の前頭葉は、しばしば「自我(私が私であること)」の中枢であると言われる。その機能はさまざまなことにわたるが、その核心を一言で表せば、「文脈(コンテクスト)」を切り替えることといえるかもしれない。
 たとえば、結婚して5年目の女の人が、子供が幼稚園に行っている間、友人とオシャレなカフェでしゃべっている。子供がいることも忘れ、まるで学生時代に帰ったように、キャッキャッと笑っている。それが、時間になると、「もう私帰らなくちゃ」とぴたっと帰る。そして、幼稚園の入り口で、「○○ちゃん、イイ子でしたか」などと子供を出迎える。このように「娘のようなモード」と、「お母さんモード」の間を行き来することが、すなわち、前頭葉のコンテクスト切り替え機能の現れである。
 前頭葉を損傷してしまった人は、このような切り替えができなくなる。たとえば、カードの上の図形を、色、形、数といった異なる基準で分類するという課題において、分類の基準を自由に切り替えることができなくなってしまう。
 コンテクストを切り替えることは、人間が生きていく上でとても大切な能力である。敬語を使う/タメ口をたたく。甘える/甘やかす。マジメになる/ハメをはずす。臨機応変にコンテクストを切り替える能力があるからこそ、私たちの生き生きとした日々がある。コンテクストを切り替える自由がなくなってしまった生活は、息苦しい。
 普段は家にいる女性が、たまには学生時代の友人とカフェで会いたいと思うのは、当然のことである。しゃべっている間は、子供のことを忘れているかもしれない。だからこそ、子供と一緒にいる時とは違ったコンテクストに自分を置くというヨロコビに浸ることができる。異なる文脈に自分を置きたいというのは、前頭葉の発達した人間にとっての切実な欲望である。
 戦争が悪であるのは、それに巻き込まれる人々に一つのコンテクストを強制するからである。「敵」とされた人間を、殺し合いというコンテクストを通してしか見られなくなる。爆撃される側の人間が、物理的暴力からの必死の逃走というコンテクストに投げ込まれる。そして、死は、そこからの移動はもはやない文脈の終止点である。これがもし戦争ごっこだったら、ゲームが終われば、人々は別のコンテクストに還っていくことができる。本物の戦争には、そのような自由がない。
 私は、ITの可能性の一つは、人間が複数のコンテクストの間を行き来することを今までにないほど自由にすることだと考えている。ケイタイ、インターネット、ユビキタスといったキーワードの先に見えてくるのは、人間が、もし望めば多くのコンテクストを選択し、引き受けることができる世界である。子供を幼稚園に残して安心してカフェに出かけられるのも、手許にいつでも連絡のとれるケイタイがあるからかもしれない。移動中の電車内で、アメリカの大学の配信する経営学の授業を受けることができる日がくるかもしれない。
 ITは、社会的選択の幅を広げ、人間の前頭葉を自由にする。
 だからこそ、ITと戦争は相性が悪い。世界中の国がインターネットでつながり、電子メイルをやりとりできるような時代に戦争をするのはいかにもアナクロである。とは言うものの、その時代遅れがしぶとく生き残るのも、私たちの脳がつくり出したこの世界の現実なのである。

脳から世界を考える 第7回 思い出せない記憶

 

 ここのところ、どうも、「記憶」の問題が気になる。それも、思い出せない記憶が気になる。

 最近年をとって物忘れがひどくなった、という類の話ではない。酒を飲み過ぎて、翌朝何も覚えていないということでもない。思い出せないにも関わらず、いや思い出せないからこそ、私たちが生きる上で切実に機能する記憶のことが気になるのである。

 私たちの脳の神経細胞は、時々刻々つなぎ変わっている。そのつなぎ変わりが残した痕跡の総体が記憶をつくる。思い出せる記憶というのは、要するに氷山の頂のようなものである。ゴキブリではないが、一つの思い出せる記憶が見つかれば、その背後には無数の思い出せない記憶が隠れている。

 自分が生まれる前の記憶も、思い出せない。とは言っても、前世の記憶とか、そういった類の話ではない。進化の過程で、私たちの脳の神経細胞のつながり方として残っている痕跡が、私たちにとって思い出せない記憶として機能するということである。何しろ、痕跡が残る過程が自分の生まれる前に起こっているんだから、思い出せるはずがない。

 進化の長い歴史から見れば、文明などほんの最近のことである。火を発明する前の長い時間の流れの中で、人間は時に何も見えない暗闇の中を動くということを余儀なくされていたはずだ。古今亭志ん生の自伝を読んでいたら、昔の東京は至るところ暗闇だらけで、灯火を持たない人は手探りで歩いていたとある。案外最近まで、暗闇の中を手探りで歩くということは普通だったのだろう。

 私たちの脳の半ば生まれつきに決定されている神経細胞のつながり方には、暗闇を手探りで歩いていた時代の痕跡が残っているに違いない。長野の善光寺の「戒壇巡り」は、暗闇の中を手探りで歩き、極楽に至る鍵を触るという趣向の場所である。初めて行ったとき、本当に何も見えないので驚いてしまったが、それと同時になんだかとても懐かしい気がした。あの懐かしさも、思い出せない記憶の作用だったんだな、と思えば不思議でもない。

 現代はとにかく忙しい。私たちは前のめりに生きていて、地震やテロ、戦争といった大事件でさえあっという間に忘れてしまうように思われる。しかし考えてみたら、人間はそんなに簡単に忘れることができるはずもないのである。自ら進んで思い出すかどうかということは実は大したことではなくて、自らが思い出せない記憶が今ここでの私の生き方に実際に切実なカタチで作用している、ということに気がつくことの方がよほど大切なのではないかと思う。

 「言葉」も、思い出せない記憶の典型である。こうして使っている言葉の一つ一つを、人生の何時どこで最初に聞いたかなどいちいち覚えてはいない。この列島の長い歴史の中で、私たちが使っている言葉がいつどのように生まれてきたのかということだって覚えてはいない。それでも、私たちは膨大な過去の痕跡をまとっている日本語を使い続ける。

 「光」という言葉を使うたびに、私は、この言葉を使ってきた過去の無数の人々の思い出すことのできない記憶と共鳴する。日々の生活の中で「光」という言葉を使い、それを誰かが聞き、心の中にさざ波が起きるプロセスが、思い出せない記憶の一部となる。

 自分の中にある思い出せない記憶についていろいろ考えていると、自然に人は過去というものに対して謙虚な気持ちになってくるのではないかと思う。

 

脳から世界を考える 第8回 心の壁

 

 私は、仕事の性質上、英語を使わないとものごとが始まらない。必要に迫られて人並みよりはうまいと思うけれども、それでもネィティヴ・スピーカーには及ばない。

 最近、気になるのが「バカの壁」ならぬ「ネィティヴの壁」である。私が書いた英語の文章が、「おかしい」とか、「こっちの方が良い言い回しだ」などと突き返された時、相手がネイティヴの場合は黙って引っ込むしかない。どう考えても自分の言い回しの方が洒落ていると思う場合など、抵抗はして見るが、最後に「私はネイティヴだ」と言われれば、はいそうですかと引き下がるしかない。ネイティヴだというだけの理由で、ドナルド・キーンの書いた日本語や、カズオ・イシグロの書いた英語にケチをつけるのはいかがなものかとは思うが、私はキーンでもイシグロでもないので、文句の言いようがない。

 「ネイティヴの壁」に悩まされることが何回か重なった後で、ああ、そうか、こんな風に、相手にこうだと言われたら構造的に言い返せないようになっていることは、世の中にたくさんあるなと気が付いた。

 たとえば、女に「あなたには女の気持ちは判らないのよ。」と言われたら、男はとりあえず引っ込むしかない。不幸な体験をした友人をなぐさめている時に、「体験をしていないお前には、本当の気持ちは判らないんだ」と言われれば、それはそうかと思うしかない。戦争を体験した者、大リーグのオールスターゲームに出た者、アイドル歌手になった者にしか判らないことがあるんだ、と言われれば、そのような体験をしていない私たちは、ああそうですかと引き下がるしかない。

 世界の中には、実に多くの生活のスタイルがあり、様々な体験がある。私たちの一人一人が、まさにこの<私>でなければ判らないような体験をしている。誰もが、その気になれば、「私の気持ちは、私にならなければ判らない」と主張する権利を持っている。

 しかし、壁があるのは当たり前なのであって、それを乗りこえて何とか心を通わせようとするのが、人間のコミュニケーションというものである。議論している時に、「やはり立場が違うと、問題の見え方も違うんですね」と訳知り顔に言われることがある。そのような時、私は激怒して猛然と抗議する。ふざけるんじゃねえ、そんなこと、議論している内容に関係ないだろう、とまくしたてる。何が私をそれほど怒らせるのかと言えば、そのようなことを言う人の心の中にある、壁の内側に特権的な領域をつくろうとする怠慢が許せないのである。

 人間は、だいたい年を取ると、ものわかりが良くなってきて、「あの人はああだから」、「日本とアメリカは違うから」、「理想はそうだけど、現実はこうだから」と至るところに壁をつくるようになる。人間の脳は何よりもコミュニケーションをするために発達してきた、というのが最近の脳科学の見解である。壁の中に安住することは、せっかくの脳の能力をムダにすることになる。一見、乗りこえがたいように見える壁を越えて意を通じ合うことこそが、脳を使う醍醐味であり、生きる喜びである。

 ベルリンの壁は壊せばそのままだが、人と人との間の心の壁は、壊しても壊してもまた生まれてくる。コミュニケーションとは、すなわち、心の壁を破壊し続けること、乗り越え続けることなのである。