ヴェネツィアのワグナー

茂木健一郎
この練習作品は1994年頃に書いたものです。

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 1858年8月17日、リヒャルトはチューリッヒを去ることになった。それは、雲一つなく晴れ上がった青空の広がる、素晴らしく豪華な夏の日だった。ミンナとリヒャルトの間には、パリで貧しい生活を共にした日々から、17年の歳月が過ぎ去っていた。この年月の間に起こったこと、特に、過去1年の間にチューリッヒで起こった出来事の記憶は、別れを告げる二人の心に重くのしかかっていた。リヒャルトの心は、不感症に陥ったようだった。リヒャルトは、遠ざかって行く汽車の中から、プラットホームの上のミンナを振り返りさえしなかった。ミンナは、駅に向かう馬車の中でひきつけを起こすかとリヒャルトが心配したほど激しく泣いたのに、リヒャルトは涙一つこぼすことができなかった。
 汽車がチューリッヒ駅を離れるに連れて、リヒャルトの心の中に沸き上がって来たのは、むしろ、心のひだの一つ一つを浸して行くかと思われるようなふくよかな幸福の気分だった。こうなることは、避け難いことだったのだ、そう、リヒャルトは自分に言い聞かせた。リヒャルトを苦しみの淵から遠くへ遠くへと運んで行く汽車は、同時にリヒャルトの人生の避け難い変化の契機の牽引車であるように思われた。彼、リヒャルト・ワグナーは、その人生の新たな運動の中に身を投じなければならなかったのだ。
 リヒャルトの乗った汽車は、夕刻にジュネーヴに着いた。リヒャルトは、取りあえずそのままジュネーヴに落ち着き、十分な休息をとりながら、これからの人生の戦略を練り直すことにした。最終的にはイタリアに落ち着く予定であったが、この時期のイタリアはまだ暑すぎるので、どこかで、時間を調節する必要があったのだ。ジュネーヴに着いたその晩、リヒャルトは、さっそく、ローザンヌにいるカール・リッターに手紙を書いてジュネーヴに滞在してからイタリアへ向かうという彼の計画を知らせた。すると、驚くことに、カールもちょうどイタリアにしばらく滞在しようと思っていたところだった。おまけに、カールは、リヒャルトに一緒にイタリアまで旅行しようと提案したのである。リヒャルトにとって、これは気分転換としても申し分のない話であった。チューリッヒ時代にカールを客として迎えたときに、リヒャルトはカールの一風変わった、それでいて人を飽きさせない人柄に魅せられていたからである。
 リヒャルトはさっそくカールをローザンヌ近郊の奇妙な形をしたヴィラまで迎えに行った。そこで、リヒャルトはカールと彼の妻の別れの場面の目撃者となったわけだが、リヒャルトの目にもリッター夫妻がうまく行っていないことは明らかであった。リッター夫人の表情は硬く、リヒャルトに愛想よくする余裕さえ失ったかのようだった。その上、別れに際してのカールと夫人の会話、振舞いは、ぎこちなく、不自然に短かった。リヒャルトは、黙って、足元の草に目を落しているしかなかった。馬車の御者がこほんとひとつ咳払いをした。
 リヒャルトとカールを乗せた馬車がヴィラから離れると、カールは、突然堰を切ったようにまくしたて始めた。咳き込むので、リヒャルトが背中をさすってやらなければならないほどであった。カールは、今の別れが一時的なものではなく、永遠のものであったということをリヒャルトに告げた。カールは、妻と別居するためにイタリアに行くのだ。ひとしきり話終ると、カールは今度は黙って馬車の傍らを通りすぎて行く景色を眺め始めた。リヒャルトは、カールの沈黙を推し量った。そして、思わず、自分もミンナとのいきさつをカールに告白したい衝動に駆られたが、ほのかに残されたバランス感覚がそれをかろうじて思い止まらせた。しかし、だからといって、カールの境遇に対する同情の念が弱まるわけではなかった。こうして、皮肉なことに、カールの人生の不幸は、同じ境遇の二人の男を、その年齢の差を超えて、献身的といってさえよい堅い友情と、お互いの運命に対する共感で結び付けることになったのである。
 リヒャルトとカールは、その後の旅行中は殆どお互いの境遇について語ることはなかった。二人は、言葉少なに、旅の風物の中に自らの感覚を解放した。彼らにとって、この旅は痛手からの回復の旅でもあったのだ。
 カールは、次第に打ち解け、時にははしゃぎさえした。生来の、快活な性格が戻ってきた。リヒャルトも、空気が香しく感じられ、体の筋肉の一つ一つが弛緩して行くのを感じた。リヒャルトは、自分が、世界と様々な感覚を通してつながっていることを、柔らかい日差しに満ちたイタリアの地で、徐々に思いだしていった。
 8月29日の夕刻、リヒャルトとカールを乗せた汽車はヴェネツィアへと向かっていた。二人は、水面に映る教会の尖塔の影を見ていた。夕暮れの赤々とした太陽を受けて、水面にゆらゆらと映るヴェネツィアは、何故か現実の都市よりも、より一層リヒャルトの中の「ヴェネツィア」のイメージに合っているように思われた。リヒャルトの、この歴史のある都市での用向きははっきりしていた。「トリスタンとイゾルデ」を作曲するのだ。この「楽劇」こそ、チューリッヒでのリヒャルトの生活と分かち難くからみ合いながら、リヒャルトを未だ誰も達したことのない深みへと引きずり込んで行った原動力であった。そして、それはまたリヒャルトがチューリッヒを去る原因ともなったのである。リヒャルトは、まるで、現在のところ自分の頭の中にだけ存在する「トリスタン」という作品を、水面に映る幻影の中の「ヴェネツィア」が溶かし込んで熟成させようとしているように感じた。
 ヴェネツィア到着寸前に、ちょっとした事件があった。開け放たれた汽車の窓からは、爽やかな潮風が強く吹き込んでいた。カールは歓喜に耐えられないと言うように窓から身を乗り出していたが、身を乗りだし過ぎたのか、突風に帽子を吹き飛ばされてしまったのだ。帽子は、糸を引かれるように真っ直ぐ後方へと消えて行った。
 「ヨーホー!」
 カールは、一言叫び、背もたれに寄り掛かると、愉快そうに笑った。その様子を見ていたリヒャルトは、カールとの友情と連帯を祝わんと、勢いよく自分の帽子も投げ捨てた。リヒャルトの帽子も、一足先に自由を得た仲間を追おうと、潔くその持主の手を離れ、夕暮れ迫るヴェネツィアに吹く潮風の中へと消えて行った。
 「ヴェネツィア!」 二人は、不思議な運命に導かれて、この伝説の都市に帽子なしで到着することになったのだ。

 紀元5世紀にフン族などに追われたベネト人が、アドリア海に浮かぶ小島に逃れたのがヴェネツィアの起こりである。ヴェネツィアの建設は、泥の中に丸太を打ち込んでその上に家を建てるところから始まった。その後、交易を通して富を蓄積し、15世紀には、巧みな外交政策も成功し、ベネツィア共和国はヨーロッパでも有数の強国となっていた。しかし、トルコの攻撃をきっかけとしてヴェネツィアは次第に海外領土を失い、次第に没落の一途をたどっていった。カールとリヒャルトがヴェネツィア入りした1858年当時は、ヴェネツィアは18世紀末以来のオーストリア支配下にあり、かっての繁栄の影もなく落ちぶれ、コレラの恐怖の支配する、崩壊した都市に成り下がっていた。

 サンタ・ルチア駅のドームを出たリヒャルトとカールの二人は、取り敢えず目的地に着いた安堵感の中で呆然と立っていた。そんな二人を目敏く見つけて、初老のゴンドラ漕ぎが二人を手招きした。二人の夢遊病者は、まるで見知らぬ館で執事の招きに従うしかない客のように、黒塗の、思いの外巨大なゴンドラに乗り込んだ。
 リヒャルトは、ゴンドラに乗るにあたって殆どパニック状態になった。話には聞いていたものの、黒塗の棺桶のようなゴンドラの外観からは、コレラや、「死」が連想されたからだ。脂汗が、額からにじみ出た。実際、それは、子供っぽい妄想に過ぎなかったのだが、リヒャルトにとっては、ゴンドラと「死」との結び付きが、それほど生々しく、恐ろしいものに思われたのだ。カールのとりなしで、リヒャルトは何とかゴンドラに乗り込んだ。
 リヒャルトが、突然襲った心臓発作で、奇しくもこのヴェネツィアで世を去ったのは、25年後のことであった。
 サンタ・ルチア駅の前から始まるカナル・グランデは、大きくS字型に曲がりくねりながら、四キロメートル余りにわたってヴェネツィアを中央で分断するように流れている。リヒャルトとカールを乗せたゴンドラは、カナル・グランデを、気の遠くなるような長い時間をかけて、ゆったりと下って行った。
 カナル・グランデから始まったこの時のゴンドラの小旅行は、リヒャルトのこの都市に対する印象を決定付けるものであった。リヒャルトの目は、きらびやかな宮殿より、むしろ、宮殿と宮殿の間に広がっている、今や廃墟と化した建造物の群れに向けられた。目を、運河の流れに投ずれば、ゴンドラの船体の両側を流れていく黒い水の粘りは、リヒャルトに自分がこの世に生を受けたときにそこから出てきたところの、限りなく深い闇を思わせた。リヒャルトの心を、不安と安らぎの交ざり合った不思議な感情が満たしていった。
 リヒャルトのヴェネツィアでの最初の仕事は、「トリスタン」の作曲に適した滞在場所を見いだすことであった。それは、思ったほど困難ではなかった。幸運なことに、運河に面したギュスティニアニ宮殿の広々とした部屋を借りることができたのである。この宮殿は、冬を過ごすには適さない場所にあるということで、一つの建物全体が空いている状態だったのだ。骨が凍るほど寒いというヴェネツィアの冬に備えて、リヒャルトはさっそくチューリッヒから自分のふかふかのベッドを送らせた。それに、エラールのピアノも送らせた。実際、これは賢明な処置で、リヒャルト自慢のグランド・ピアノは、危うく借金取りに差し押さえられるところだったのだ。これで、ヴェネツィアにこもって「トリスタン」の作曲をする準備は整うかに見えた。しかし、リヒャルトは、どうしてもギュスティニアニ宮殿の寒々とした灰色の壁が好きになれなかったので、壁という壁を赤い壁紙で覆わなければならなかった。
 やっと全ての準備が整ったように見えた日の午後、リヒャルトは、自分の借りた部屋のバルコニーから、下を流れる運河の黒い水面を見つめていた。リヒャルトは、自分の胸に、次第に幸福感といってもよいような、安らぎの感情が満ち溢れて来るのを感じた。
 「こここそが、「トリスタン」を完成すべき場所だ。」 
 この時、リヒャルトの胸の中には、「トリスタン」が彼の生涯の中でも最高の作品となること、そして、ヴェネツィア滞在が、彼の生涯の「星の時間」になることのおぼろげな予感があった。
 折しも、地球には、巨大な彗星が接近しようとしていた。

 リヒャルトの仕事のスケジュールは規則正しいものであった。毎日、彼は午後二時まで作曲をする。その後、待たせておいたゴンドラに乗り込んで、カナル・グランデをサン・マルコ広場まで出かける。そして、サン・マルコ広場のレストランで食事をとった後、独りで、あるいはカールと一緒に、ヴェネツィアの散策に出かけるのであった。行き先は、大抵サン・マルコ広場からカナル・グランデを挟んで西に1キロ余りのところにある「パパドポリ庭園」で、ここはヴェネツィアという人工的な空間の中で、唯一沢山の木々を見ることができる場所なのであった。
 散策が終り、夕暮れ時に、リヒャルトを乗せたゴンドラはギュスティニアニ宮殿へと向かう。運河は、世界全体を包み込むかと思われるほどの濃い暗闇の中に沈み、建造物の石積みが牢獄の壁のように暗闇の中から浮び上がって来る。運河の黒々とした水が、粘りけのある油のように、ゴンドラの船側をこすって行く。そのようにゴンドラに揺られながら、リヒャルトは次第に陰鬱な気分になっていくのであった。そして、そのような陰鬱な気分の中から、「トリスタン」を作曲する上での様々なモティーフや、旋律気分とでもいうべきものが獲得されていく。リヒャルトの「トリスタン」作曲は、ヴェネツィアの運河を行くゴンドラの中で日々準備され、開始されたのである。
 やがて、暗闇の中に、ギュスティニアニ宮殿の巨大な建物の中でそこだけぽつんと明るいリヒャルトの部屋の灯火が見えてくる。この地点までくると、リヒャルトは安堵すると同時に、もう少し長く運河の闇の中に身をおいておきたかったという、どこかもの足りない気分に襲われる。しかし、全てのものには終りがある。「トリスタン」第二幕における法悦にも、そして、おそらく、「イソルデの愛の死」にも。そのような考えは確かに恐ろしいものであったが、同時に、慰めともなったのである。
 自分の部屋に戻ったリヒャルトは、しばらくバルコニーから下の運河を見下ろした後、午前中の仕事の続きをするのが常であった。そうして、毎日きっかり八時ころになると、ギュスティニアニ宮殿をとり囲む静寂を破って、運河の水を漕ぐゴンドラの音が、遠くから次第に近付いてくる。それは、カールの乗ったゴンドラであった。カールは、仕事部屋を支配している沈黙を破らないようにそっと部屋に入ると、まずはその日のリヒャルトの仕事の進み具合をチェックするかのように机の上をのぞき込み、おもむろに背中に隠していたブランデーのボトルを取り出してみせる。リヒャルトはカールを抱き締める。そして、リヒャルトとカールは、お茶を飲みながら、それから1時間から2時間くらい、その日の一日のお互いの活動を振り返る。こうして、二人はゆっくりと心と体を休息へ向かって弛緩させていくのだった。リヒャルトにとっては、カールに向かって身のまわりに起こった愉快、不愉快な事件を話すのが、ちょっとした気晴らしとなっていた。
 入れ替わり立ち代わりリヒャルトを訪れてくる様々な闖入者は、思うに任せない健康状態と共に、リヒャルトの絶え間ない頭痛の種となっていた。
 「あの、リストの友人だと称するヴインテルベルガーというピアニストには参ったね。何しろ、自分がロシアの王女の一行の先駆けとして来たというんだが、どんな一行なのか、見当もつかない。やっこさんだけ見ていたら、町回りの楽師と勘違いするところだよ。ところが、あいつはどうやらこのギュスティニアニ宮殿に滞在なさるつもりらしい。私のゲストとしてね。しかし、だいたい、ここはホテルじゃないんだし、そのロシアの王女とやらも、この建物の中に滞在することになったら、とても仕事などできはしない。私は、ここを出ていかなければならない」
 カールは、いつもの癖で、もの思いにふけりながら紅茶茶碗を指で弾いていた。
 「確かに、あのヴインテルベルガーというピアニストは、チューリッヒでリストと連弾しているのを見たことがある。まあ、そんなに悪いやつじゃあないと思うがね。しかし、リヒャルト、君には「トリスタン」を完成するという重要な使命があるのだから、ここははっきりと断った方が良い。ただでさえ、「トリスタン」は君の神経を蝕んでいる。これ以上、君の神経を苛めることは危険だよ。」
 「ああ、もちろんそうするつもりだ。あいつに「トリスタン」を完成させる邪魔をさせるなんて、とんでもないことだ。」
 カールは呆れたように笑った。
 「リヒャルト、相変わらず、君は大変なエゴイストだね。もっとも、そうでもしなければこの世の中ではやっていけないけどね。」
 自分の知らないところでそのような会話が行われているとは露も知らないヴインテルベルガーは、「他に移る資金ができるまで」リヒャルトの下に置いてくれとしきりに頼んだが、やがてカールを説き伏せて、ギュスティニアニ宮殿からかなり離れた部屋へと二人で引っ越していった。
 
 こうした日々のスケジュールの中で、リヒャルトとベネツィアの間に、目に見えないつながりが次第に形造られていった。リヒャルトは、サン・マルコ広場から少し細い路地を入った小さな噴水広場の片隅にある、一本の白い枯木に心を惹かれるようになった。その枯木は、まるで骸骨のように広場の片隅に立ち、生気なく広場を歩く人々を見下ろしていた。それは、ベネツィアの人工的空間の中に埋もれ、消滅してしまった「自然」の墓碑であるように思われた。

 リヒャルトは、オーケストレーションを進めながら、「トリスタン」の台本を書いていた時のことを思い出していた。もともと、観念的な文章を書きがちなリヒャルトであったが、「トリスタン」では特にその傾向が強かった。特に、第二幕などは、とてもオペラの歌詞とは思えないような抽象的な言葉が並んでいた。このため、「トリスタン」の台本を朗読する会では、必ず、
 「確かに熱がこもっていて効果的なテクストかもしれないけれども、これに音楽が付けられますかね?」
という異議が上がるのが常であった。時には、冷笑を浴びることもあった。実際、活動する分野が違っているとは言え、いわばリヒャルトの「身内」である建築家のゼンパーでさえ、このように評したほどだった。
 「君は、この作品で、全てを深刻に捉えすぎているよ。このような題材を取り扱う芸術作品に求められることは、その、最も感動的な場面でさえも、深刻さをそこから取り去ることによって純粋な芸術的喜びへと昇華することなんだ。例えば、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」では、悲劇的な登場人物でさえ、その悲劇性は、まるで仮面舞踏会の仮面のようなものなのであって、だからこそ、私は「ドン・ジョバンニ」が好きなのだ。」
 これに対して、リヒャルトは肩をすくめてこう答えることができるだけだった。
 「確かに、私が、芸術に対してよりも、人生に対してより真剣に構えていたら、物事は単純なのだけどね。しかし、私にとっては、このようなやり方しかないわけだし、これからも、こうするしかないんだよ。」
 とにかく、「トリスタン」の台本に関しては、リヒャルトのまわりの誰もが、そのスタイルの奇抜さに当惑していたというのが、本当のところであったのだ。例えば、第二幕のトリスタンとイゾルデの会話は、「主体」と「客体」の関係、そして、「愛」は個人に帰属するのか、それとも人と人との間の「関係」に帰属するのか、個人が死ぬと、その「関係」も消滅するのかといった、まるで哲学者の観念的な議論のようだったのだ。
 しかし、リヒャルトは、第二幕を作曲しながら、あれほど観念的で、抽象的な言葉を書き並べたテクストが、驚くべき強さでぐいぐいと音を引っ張って行くのを感じた。哲学書のような言葉の羅列の背後で、くねくねとのたうちまわりながら絡み合っている色彩の塊が、白い蒸気を上げながら五線紙の上に音符を次から次へと刻印して行った。そこには、何のてらいや、不自然さもなく、むしろ見事に統制され、さらさらと流れていく、赤熱のエネルギーがあった。リヒャルトは、自分の生み出しつつあるものに目を見張った。自分で自分が恐ろしくなるほどであった。「トリスタン」を完成させる前に、死が自分を襲い、「トリスタン」が世界から永遠に失われるのを恐れた。「トリスタン」第二幕は、リヒャルトにとっても、一つの奇跡だったのだ。
 「トリスタン」第二幕を作曲しながら、リヒャルトの想念は、時折、自分がそこから逃げ出してきたところのチューリヒ滞在時代へと戻っていった。

 それが、どのように始まったのか、リヒャルト自身にも明らかではない。しかし、気が付いたときには、リヒャルトにとって、「トリスタンとイゾルデ」という芸術作品と、彼の現在のパトロンであるオットー・ヴェーゼンドンクの妻、マチルデという女性の存在は、切っても切り離せないものになっていた。(暦日的な順序関係で言えば、「トリスタン」の構想自体を得たのは1854年12月のことであり、リヒャルトがチューリッヒ郊外の小高い丘の上にあるヴェーゼンドンク邸の隣の家に移ったのは、1857年4月のことであるから、マチルデの存在が、「トリスタン」構想のインスピレーションを与えたと言うことはできない。しかし、マチルデの存在が、「トリスタン」という作品を現在知られているような形へと完成させた核心となる原動力であったことは間違いないだろう。)
 「この前と同じボルドーの赤で良いかしら?」
 マチルデは、リヒャルトに聞いた。マチルデは、リヒャルトの客間のソファに腰掛けていた。リヒャルトはと言えば、ピアノに向かい、遠くを見るようにして、ワルキューレの最後の炎の場面を弾いていた。
 「うん? ああ、シャトー・ミュレーのことか。ああ、あれはいいワインだった。」
 リヒャルトは、三週間ほど前にヴェーゼンドンク家を訪れた際に出されたワインを盛んに誉めたことがあったのだが、それをマチルデは覚えていたのだ。今日、リヒャルトが呼ばれるはずの夕食会で出すワインを、三週間前にリヒャルトが一言誉めたワインにするという、マチルデの気配りがリヒャルトには嬉しかった。
 その日の夕食会は、8時きっかりに始まった。食事が始まってから、オットーは終始不機嫌だった。それは、実際、オットーのような裕福で成熟した実業家の振舞いとしては、奇妙なほど子供っぽいものであった。オットーは、スープが終り、魚料理が終るまで、リヒャルトやマチルデが振り向ける天候や株式市場と言った当たり障りのない話題に、「ああ」とか、「そうですなあ」と、全く気のない返事しかしないのであった。そのくせ、肉料理が出されるころになると
 「いや、全く、近頃は見掛け倒しというか、ただ派手なだけのワインを好む人が多いようですな。昔は、決してこんなことはなかったのだが。例えば、このシャトー・ミュレーが良い例です。ちょっとした趣向として飲むにはいいけれど、それもせいぜい一年に一回で、ましてや同じお客さんに続けて出すような代物ではない。ねえ、ワグナーさん、そう思われませんか。」
 オットーとしては、これも、精一杯の皮肉らしかった。リヒャルトは、当惑するしかなかった。リヒャルトは、食事の前のアペリティフの折に、マチルデから、
 「今日はワグナーさんの希望で、赤はシャトー・ミュレーを出す」
とオットーに伝えたと、ささやかれていたからである。
 今日のワインの件にかかわらず、オットーは、部屋が暑いか、寒いか、従って窓を開けるべきか否か、あの部屋の隅のランプはつけた方がよいのか、消した方がよいのか、あるいは、食事は何時にすべきか、それらの細々としたことについて、マチルデがリヒャルトの意向を聞くか、あるいは、その希望をくみ取ろうとすると、決って不機嫌になるのであった。もちろん、マチルデの態度は、客が快適に過ごせるよう気を配る女主人のそれの域を超えるものではなかった。しかし、オットーは、明らかにその必要がないと思われる時にさえ、一家の主人が誰であるかをその場に居合せた全員にわからせようとするかのようだった。このことは、リヒャルトやマチルデ、それに、事情を薄々知る知人たちを、大いに当惑させた。
 というわけで、その日の夕食会のテーブルには、何か不調和な雰囲気があった。それは、特に爆発寸前の不穏なものであるというわけではなかったが、板挟みになるマチルデを、神経過敏にさせるだけの明確さを持っていた。
 マチルデは、テーブルに憮然と置かれたオットーの右手の上に自分の左手を置いた。薬指のダイヤが光った。マチルデは、今日の夕食会への出席を断ってきたロベルト・フランツという男のことを話題にした。この男は、以前に「ローエングリーン」の上演の準備のことでリヒャルトとトラブルを起こしたのだが、その後再びリヒャルトの周囲に出入りするようになっていたのだ。
 「それにしても、フランツさんたら断りの理由が面白いわ。もし、ワグナーさんもその場にいると、私は「輝く」ことができないから、家族と一緒にいる方が良いなんて仰るんですもの。」
 リヒャルトは、今こそが機会だと思った。
 「いや、それは嫌われたものだ。だが、フランツさんが帽子を靴の紐を結ぼうと屈んだとき、私はたまたま彼の後頭部を拝見する機会に浴したのだが、あと十年、いや、五年もすると、フランツさんは、どんな夕食会でも光輝く存在になると私は思う。とりわけ、天井に明々とシャンデリアなどがあるときは!」
 リヒャルトはそれをなるべく大げさに、重々しく言ったので、マチルデなどは、リヒャルトが落ちを言う前に、その口調だけで笑い出したほどだった。しかし、オットーは、不機嫌そうにナプキンで口をぬぐうだけであった。結局、その日の夕食会の席からは、「不調和」のモチーフは去ることがなかった。
 「不調和」と言えば、リヒャルトがついに「トリスタン」の台本を完成して、オットーとマチルデ、それにハンス・フォン・ビュローとその若妻で、リストの娘でもあるコジマに読んで聞かせた時も、奇妙な「不調和」の雰囲気がその場を支配していた。リヒャルトは、「トリスタン」の台本が完成した朝、その原稿を持って、ひそかにマチルデを訪れていた。この時、二人は初めてあからさまに愛を告白し、マチルデはリヒャルトを抱擁したのである。従って、マチルデが「トリスタン」の台本に接するのはこれが初めてではなかった。しかし、そのことはリヒャルトとマチルデだけの秘密であったし、そのことを、マチルデはその場に居合せた人々に隠さなければならなかったのである。
 「でも、この結末は、余りにも悲しすぎませんこと。私には、二人に、もっと「現世」での希望を持たせる方が、より適当な風に思われますけれど。」
 マチルデは、リヒャルトが第三幕を読み終わり、そこに居合せた者が一通り感想を述べ終った後でそう言った。リヒャルトは、マチルデを慰めるように答えた。
 「何も、悲しむことはないのです。何故ならば、トリスタンとイゾルデが陥っているような真に悲劇的な状況では、このような結末が、望み得る最良のものなのですから。」
 マチルデは微笑んだ。コジマは、この時まで、一言も口を開かずに黙っていたが、リヒャルトの最後の言葉に対して、初めて発言した。
 「本当にそうだと思いますわ。」
 リヒャルトは、驚いたようにコジマを見た。リヒャルトは、この時、リストの無口な娘くらいにしか認識していなかったコジマに初めてまともに注目を向けたのである。しかし、コジマへの驚嘆の思いは、すぐに、言いようのない「不調和」の感覚へと変わっていった。リヒャルトは、マチルデとコジマを交互に見た。リヒャルトは、何故か、いたたまれない気持ちになった。
 この朗読会のメンバーと殆ど変わらないメンバーで、「ジークフリート」の第一幕と第二幕を演奏したこともあった。ハンス・フォン・ビュローのピアノの腕前は実際に大したもので、彼は、まだスケッチしか完成していないこれらの幕の譜面を見ながら、見事なピアノ用アレンジメントを即興的につくってしまうのだった。このピアノ伴奏に合わせて、リヒャルトが全ての声楽パートを歌った。このような機会におけるコジマの態度も、リヒャルトの関心を深くひきつけずには置かなかった。ある時、コジマは演奏中ずっと頭を低く垂れて聞いていたが、演奏終了後感想を求められると、突然泣き出したのである。
 むろん、この時期のリヒャルトの主な関心はマチルデに向けられ、コジマに対して向けられていたのではなかった。そして、リヒャルトとマチルデが言わば「相思相愛」の関係にあることは、次第に、オットーはもちろん、ミンナの目にも明らかなところとなっていった。
 マチルデから発せられるオーラの下に台本を完成させたリヒャルトは、10月の始めには「トリスタン」の作曲を始めた。そして、新年が始まる頃には、すでに第一幕を終え、前奏曲のオーケストレーションにとりかかっていた。リヒャルトの生活は単調で、仕事と、冬の荒々しい気候の中の長い、長い散歩の他は、殆ど世間との交渉もなかった。
 このような散歩の折に、リヒャルトの胸の中に何故か繰返し浮かんで来る幻影があった。その幻影のことを、リヒャルトは、パパドポリ庭園にカールと歩いていく途中に、話したことがある。
 「南極の海にそれはそれは信じられないほど巨大な氷山が浮かんでいる光景なんだ。その氷山は、光線の加減か何かしらないけれど、美しい青い色をしていて、南極の空は灰色に暗く垂れ込めているので、空よりもむしろ空らしいくらいだ。そして、その氷山の、丸く盛り上がった丘には、白い腹と黒い背中、それに黒い翼を持ったペンギンたちが立っていて、何をするともなく休んでいるんだ。ペンギンという、妙な鳥がいることは聞いたことがあるだろう、カール。さて、その氷山のまわりでは、空気は信じられないほど澄んでいて、風もない。凍った水蒸気のかけらが、きらきらと輝いている。そんな、神々の創造したままの光景の中で、ペンギンたちは休んでいるんだ。わかるかい、カール。」
 もちろん、カールには、リヒャルトの言っていることはちんぷんかんぷんだった。
 「そいつは、一体、何のことだい、リヒャルト? きっと、君は、「トリスタン」みたいな悪魔的な作品に取り組んでいて、気がおかしくなっていたに違いないね。」
 コジマとハンス・フォン・ビュローの夫妻はやがてチューリッヒを去ったが、リヒャルトとミンナ、オットー、それにマチルデの間には、相変わらずの「不調和」の空気が色濃く漂っていた。そして、この「不調和」のトーンは、オットーの身の上に起こったある事件によって強められた。それは、アメリカの金融市場における危機だった。オットーは、その築き上げた全財産を失う危険にさらされたのだ。この事件により、リヒャルトとミンナ、それにオットー、マチルデを取り囲む夕べごとのサークルは、重苦しい雰囲気に包まれた。リヒャルトにとっても、パトロンであるオットーの破産は、彼の現在の棲家である、チューリヒ郊外の田舎家を失うことを意味したからだ。
 リヒャルトは、午前中は「トリスタン」の作曲を行い、午後はスペイン文学の傑作である「カルデロン」を読むという規則正しい生活を続けていた。それは、人々の間の「不調和」と、オットーの破産の危機が重く垂れ込める、陰鬱な時期であった。そうした中でも、「トリスタン」の作曲は順調に進んでいた。「トリスタン」第一幕のスケッチが終るころには、「トリスタン」の音楽の本質は、リヒャルトにも徐々に明らかになってきていた。
 リヒャルトは、リッターに語った。
 「考えても見たまえ、私は、最初は、「トリスタン」をどんな田舎の劇場でも上演可能な、イタリア・オペラだと考えていたのだからね。おまけに、その上演の権利を、「ブラジルの皇帝」に売ろうとさえしていたのだから!」
 こうして、「不調和」ながら、表面上は危うく均衡を保っている、リヒャルトのチューリッヒでの生活は続いていた。実際、リヒャルトは、「トリスタン」を作曲するまでは、このままこのチューリッヒ近郊の田舎家に滞在することができるものと思っていた。それどころか、リヒャルトは、ついに、生涯の隠れ家を発見したとさえ思っていたのである。しかし、そのようなリヒャルトの希望と、危うく保たれていた均衡は、長続きはしなかったのだ。全ては終った。ミンナが、あの手紙を発見することによって・・・。
 
 リヒャルトのヴェネツィア滞在中の食事の要求はつましいものであった。チューリッヒ時代の豪奢から見れば、それはむしろ修道僧の食事と言ってもよいものだった。それに、リヒャルトにとって、食事は「トリスタン」作曲で細硬く張り詰めた神経をゆっくりとさすってなだめていくリラクゼーションの時間であり、リヒャルトをかろうじて地上性へとつなぎ止めておく絆でもあったのだ。
 リヒャルトは、カールと、行き付けのサン・マルコ広場のレストランで食事をとりながら、「トリスタン」の作曲の進行状況について語った。リヒャルトは、「トリスタン」は音楽史上のみならず、人類の精神史上も、特筆すべき作品になることを次第に確信し始めていた。リヒャルトは、カールに語った。
 「これは、凄い作品になる。歴史上はじめて、哲学と音楽が融合するのだ。音楽が最高に深い哲学的思念の表現になり、哲学は音楽の響きの向こうからより一層の輝きとともに立ち上がってくる」
 「すぐれた哲学は、決して真理に関する冷徹な論理的言明の集合ではない。それは、より広く、人間の情念や、未だ言葉にならない薄明の思いに光をあて、それを拾い出し、世に送り出すものでなければならない。最良の場合、優れた哲学の言葉の一つ一つは、それに触れるものをある方向に駆り立てざるを得ないものである。このような、「アジテーション」の側面こそ、すぐれた哲学の一つのメルクマールであると言ってよい。」
 リヒャルトが「トリスタン」で描こうとしていたのは、この世界では実現できないと思われるほど激しい愛の姿であった。それは、リヒャルトにとって、チューリッヒ時代の出来事という現実性を超えた、「愛」に対する自らの帰依の記念碑だった。リヒャルトはリストに次のように書き送っている。
 「私は、生涯において、まだ真の愛の幸福を体験したことがないゆえに、この、全ての夢の中で最も美しいものに、一つの記念碑を建てたいのです。」
 しかし、「トリスタン」は、激しい愛の姿を描きながらも、そこには、ショウペンハウワーの哲学の影響を受けた、深い諦念の感情が見られる。そのことが、この作品に、一方で非常に静かな、「植物的」と言ってもよいような印象を持たせている。 
 リヒャルトは、カールに語った。
 「二幕で、「その時、私は世界そのものになる」という台詞があるだろう。この部分の旋律を作曲していた時、不思議なことに、赤黒い大きな魚が、ゆっくりと水の中を沈降して行く幻像が浮かんできたよ。この幻像はとても強いもので、その日は興奮して、ベッドに横になっても、なかなか眠ることができなかった。」
 そして、二幕の作曲を進めて行く中に、トリスタンとイゾルデの感情が高まり、二人を包む世界の暗闇の中の目に見えないもののうねりとの交歓がのた打ち、震えるにつれて、リヒャルトの心の中には、ひんやりと、白く凍結した生理のフォルムが浮び上がってくるのだった。そう、殆ど植物的とさえ言ってよい、危ういながらも何とか保たれた調和が・・・。

 ミンナが、リヒャルトがマチルデに送った手紙を、それを隣のヴェーゼンドンク家に持って行こうとする小間使いから奪って、封印を開けて読んでしまったのは、1958年4月3日のことであった。この日、リヒャルトは、「トリスタン」の第一幕のスコアを、版を作らせるためにライプチッヒに送った。そして、マチルデには、前奏曲の為の鉛筆によるスケッチと、「朝の告白」と題された、手紙を送ったのだが、これが、ミンナに見つかってしまったのだ。その手紙は、大体、次のような書き出しで始まっていた。
 「マチルデ・ヴェーゼンドンク夫人へ

今、ベッドから出たところ。
 朝の告白
 一昨日、正午ごろ、一人の天使が私を訪問しました。そして、私を祝福し、慰めてくれました。それによって、私はあまりにも幸福で、清純な気持ちになったので、私は、その夕方、友人たちを呼んで、私の幸運を分け与えたくなりました・・・。」
 この長い手紙の中で、リヒャルトは続いて、ゲーテの「ファウスト」におけるファウストという人物の性格について論じているのだが、前々からリヒャルトとマチルデの仲を疑っていたミンナにとっては、この書き出しだけで十分だった。ミンナは、勝ち誇ったように、その手紙をひらひらさせながら、リヒャルトの部屋になだれ込んだ。
 「リヒャルト、私をばかにするのもいい加減にしてちょうだい。この手紙は何よ。こんな手紙を書くなんて、私はいい笑いものだわ。」
 ちょうど、ライプチッヒの出版社に送る仕事上の手紙を書いていたリヒャルトは、驚いて顔を上げた。そして、ミンナの様子と、その手に握られている手紙を見て、全てを悟った。 
 苦しかったパリ時代、あれ程までに心を通わせ、助け合って来たミンナとリヒャルトだが、二人の関係は、もうすでに8年ほど前から破綻をきたしていた。もともとそれほど文化的な素養があるとは言えないミンナにとって、「リエンツィ」という誰の目にもわかりやすい、華やかな作品でデビューしたリヒャルトが、「ニーベルングの指輪」という壮大な妄想に取りつかれてしまったことは、全く理解できないことであった。その上、「ニーベルングの指輪」を中断して今リヒャルトが夢中になっている「トリスタン」は、ミンナにはどうしても我慢がならなかった。台本朗読会でも、ミンナは、その難解で哲学的な台詞に辟易して、黙っていることが多かった。時には、キッチンを見てくるといって、席を立つこともあった。その上、どうやら、リヒャルトが「トリスタン」に夢中になっている背景には、マチルデという存在があるらしいということが、ミンナをいたたまらなくさせた。そのようなミンナを見ていたリヒャルトは、いつか、二人の関係が破局を迎えるときがくるだろうと予感していた。この朝、ミンナが血相を変えてリヒャルトの部屋に入って来たとき、リヒャルトは、一種のデジャ・ビュの感覚に襲われたくらいであった。
 リヒャルトが、その座っている椅子から立ち上がろうともせず、穏やかにミンナを見ているので、ミンナはますますいきりたった。
 「いい、私は貴方の妻なのよ。少なくとも、貴方と同じだけの、尊敬を受ける権利があるはずだわ。それなのに、何よ、あの女と来たら。まるで、この家には、注目に値する人間は、貴方しか存在しないような態度じゃないの。人の知らない間に、泥棒猫のように貴方にだけ会いに来たりして。そんなこと、生まれと教養のある女のすることじゃないわ。」
 ミンナがいくら激しい口調でリヒャルトを責めても、リヒャルトは不思議なものでも見るように、穏やかにミンナを見つめるだけであった。
 その日はそれで済んだものの、ミンナの怒りがおさまるはずはなかった。ついに、それから2、3日後、ミンナは「このままでは破局が訪れる」ことを警告しに、ヴェーゼンドンク夫妻を訪れたのだった。リヒャルトがそのことを知ったのは、いつものように長い散歩から帰ってきたときだった。ちょうど、ヴェーゼンドンク夫妻は、馬車に乗って出かけるところだった。二人の様子を一目見て、リヒャルトは何が起きたのか悟った。マチルデは、今にも泣き出しそうな、それでいて極度に緊張した表情で、リヒャルトの方を見ようともしなかった。それに対して、オットーの方は、妙に落ち着いた、余裕のある態度で、その口元には、満足げな笑みさえ浮かべていた。リヒャルトが家に帰ってみると、ミンナは、勝ち誇ったような気分の中にいた。リヒャルトに対して、仲直りの証のように、片手を差し出しさえした。リヒャルトは落胆した。リヒャルトは、ミンナが、彼女の行動が、今後の二人の運命にとっていかに重大な意味を持つかを、全く理解していないことを見てとったのだ。
 「ミンナ、君がどのような理由で今回の行動に出たにしろ、そのおかげで、私たち二人がこの素晴らしい田舎家にいることが極めて難しくなったことは、理解できるだろうね。この家は、ヴェーゼンドンクさんの所有になるものだし、私たちがここにこうしていることができるのも、ヴェーゼンドンクさんの厚意によるものなのだから。」
 リヒャルトは、慎重に言葉を選びながら、ミンナに今やリヒャルトとミンナが置かれている客観的な状況について説明した。ミンナは、リヒャルトの言葉を素直に聞きながらも、まだ、心の底からは納得していない素振りを見せた。
 「ミンナ、君は、体が悪いんだ。医者が、心臓の肥大が見られると言っていたろう。君は、休養をとる必要がある。ブレステンベルクにある、鉱泉治療場にしばらくいったらどうだい。あそこは、心臓病の治療にとてもいいと聞いているから。」
 リヒャルトは、2、3日後、ミンナを彼女の飼っているオウムとともに、馬車で2時間ほどの、その鉱泉治療場まで見送っていった。別れる瞬間になって、ミンナはやっと、今やリヒャルトと彼女がいかに恐ろしい立場に立たされているかを女性らしい直感で理解したようだった。彼女の唇は震え、リヒャルトがその場を立ち去るのを恐れるかのようだった。リヒャルトは、努めてミンナを慰めるように言った。
 「ミンナ、今の君にできることは、体を少しでもよくすることだ。後のことは心配する必要がない。というよりも、君が心配しても仕方がないんだ。私は、私たちの今後の生活の利益の為に、いろいろと努力してみるつもりだ。だから、君は安心して療養に専念するがよい。」
 しかし、リヒャルトは、そう言いながら、もはや事態を救うことは不可能であることを直感していた。運命の鉄槌が下された以上、リヒャルトにできることは、できるだけ早く、この「不調和」の支配するチューリッヒ郊外の田舎家を去ることだけだったのだ。そして、同時に、リヒャルトは、そうすることが、いかに苦痛に溢れ、犠牲を伴うことであるかと言うことも理解していた。だが、リヒャルトは、今の彼にとって何が一番重要なことであるかも理解していた。すなわち、この場所を去ることだけが、「トリスタン」を完成するために必要な平穏と静寂を獲得する唯一の方法であることを・・・。

 やっとの思いでヴェネツィアという一時的な安住の場を得たリヒャルトだが、「トリスタン」の作曲が、いつも順調にはかどっていたわけではなかった。思わしくない体調や、古くからの様々な悩み事が、リヒャルトの仕事を中断させた。特に、ヴェネツィアの気候のせいか、足にできた悪性のできものは、数週間にわたってリヒャルトを苦しめた。ちょうど、その時はカールがドレスデンの親戚を訪ねている時期だったので、リヒャルトは一人でそのひどい痛みに耐えなければならなかった。その他にも、時折やってくる様々な客が、リヒャルトの集中を乱した。
 時には、夜眠れずに、バルコニーから下の運河の水の流れを見下ろして朝まで過ごすこともあった。リヒャルトが、今までに聞いたことのないような歌声を聞いたのは、そんなある夜のことだった。バルコニーの大理石の滑らかな感触を味わっていたリヒャルトの耳に、突然、暗闇の中からその声は聞こえたのだ。午前3時ごろのことであった。ゴンドラ漕ぎの歌は、荒々しい嘆きの声で始まった。その声に答えるかのように、別の方角から、同じような嘆きの声が聞こえてきた。密林の中で見知らぬ音を聞いた野獣がそうするように、リヒャルトの体は一瞬こわばった。しかし、リヒャルトにはすぐにそれが有名なゴンドラの漕ぎ手の歌声であることがわかった。歌声は、やがて、柔らかくリヒャルトの体を包み、心の中にしみいって来るような旋律へとつながっていった。リヒャルトは、胸を締め付けるような切ない郷愁の思いに圧倒された。音楽家なら誰でもするであろう、無意識の採譜の作業さえできなかった。
 リヒャルトがゴンドラ漕ぎ手の歌を次に聞いたのは、暗い運河を、ゴンドラに乗って、ギュスティニアニ宮殿の自分の部屋に向かっている時であった。ちょうど、空には月が出て、ヴェネツィアの街を、光の魔法のように照らし出していた。ゴンドラ漕ぎは、背の高い男で、その長いシルエットは、運河の水の上にゆらゆら揺れる棒となって映っていた。ゴンドラ漕ぎの顔は浅黒く、しわがまるでたるんだ布を寄せたように深く刻まれていた。リヒャルトが、ゴンドラの揺れに身を委せていると、ゴンドラ漕ぎは、突然、闇を切り裂くような高い声を上げた。
 「おお!」
 その嘆くような声は、震えるような緊張をはらんで引き延ばされ、やがて、
 「ヴェネツィア!」
という単純な旋律の中に終るのだった。リヒャルトは、思わず体を震わせた。続いて、ゴンドラ漕ぎは、数語からなる簡単なフレーズを歌ったが、リヒャルトはもはやその言葉を理解することはできなかった。その瞬間に彼を襲った感情の波の中に、すっかり飲み込まれていたからである。
 リヒャルトは、ある時カールに言ったものである。
 「私にとって、ゴンドラ漕ぎの歌声は、ヴェネツィアという都市の性格を実によく表しているように思われる。すなわち、ヴェネツィアという都市は、一方では非常に洗練された、合理的な都市生活の場でありながら、また一方では、その底に非常にセンチメンタルな、原始的と言ってさえよい感情生活を持っている。ゴンドラ漕ぎの歌声は、私たちの誰でも持っているような、プリミティヴな感情を呼び起こすように思われるのだ。」
 ヴェネツィアのゴンドラ漕ぎの歌声は、「トリスタン」第二幕作曲に取り組むリヒャルトの「全体感情」の基底和音となった。

 リヒャルトが、ヴェネツィアで死にたいという願望に捉えられるようになったのは、この頃だった。この、死への願望の強さと、その非現実性は、妄想とでも言ってよいものであった。
 ある時から、リヒャルトは、落雷を極度に恐れるようになった。午後の散歩の途中で、空が曇り、稲妻が走り始めると、リヒャルトにはそれがまるで自分を狙うために起きた自然現象であるように思われるのであった。リヒャルトのイメージの中では、ヴェネツィアという街の中で、リヒャルトのいるところだけが赤く印を付けられていて、それを、何か得体の知れない存在が稲妻の行き交う上空の雲から見下ろしているところが想像されるのだった。
 「もちろん、稲妻が、自分を狙っているなどというのは、馬鹿らしい妄想に過ぎないことはわかっている。また、そもそも、街を歩いていて落雷に撃たれる確率は、殆ど無視できるほど低いこともわかっている。」
 リヒャルトは、後に、コジマに対して述懐している。
 「とはいうものの、ヴェネツィアという都市の中で、あるいは、それこそ、世界の広大な空間の中で、今、この時、「自分」が特別な位置を占めているという感覚、そして、そういった特別な位置を、稲妻を支配している自然のプロセスが感受しないはずがないという確信は、恐ろしいほど強いものであった。私は、雷雲の垂れ込めるヴェネツィアの街を、今にも上空の存在が私の特別な位置に気がつくのではないかとびくびくしながら歩いた。とりわけ、人々の多い通りから、人気のない裏通りへ抜けて、ヴェネツィアの街の上に走る稲妻を見ながら歩くとき、「次は私だ」という確信は、耐えられないほど強く、時にはその場に座り込んでしまうほどだった。」
 そのような妄想にとりつかれながら、リヒャルトは、特にギュスティニアニ宮殿への道を急ぐことはなかった。散歩を途中で切り上げることもなく、いつもの道を歩き始めた。リヒャルトの精神状態は、奇妙なものであった。彼は、落雷に撃たれることを恐れがらも、同時に、稲妻が彼の体を引き裂く瞬間が来ることを望み、待っていたのである。そうすることによって、リヒャルトは、彼が世界の中で特別な存在であることを確認し、同時に、彼の中にもう長い間潜んでいる欲望、すなわち、「タナトス」(死への欲望)をも満足させることができるはずだったのだ。
 もちろん、「死」は、「トリスタン」が未完に終ることを意味していた。そして、「トリスタン」が未完のままに終ってしまうことを、リヒャルトは心から恐れていた。リヒャルトは、リッターに向かって、毎日、今日はトリスタンの作曲がどこまで進行したか、事細かに説明した。それは、友人に自分の仕事の進行状況の報告をするというには、あまりにも微に入り、細に入りすぎていた。それは、何時自分にもしものことがあっても、リッターが、リヒャルトが作曲し終っただけの「トリスタン」を、彼の部屋から見いだし、それを然るべき方法で世の中に明らかにすることができるために、必要な情報を与えているかのようだった。
 「トリスタンを作曲しているときの、真綿で脳を締め付けられるような苦しみ、そして、自分が精神のバランスを崩して、発狂してしまうのではないかという恐れだけは、それを経験したものでないとわからないのです。実際、あれほどの作品を紡ぎ続けるというのは、自分を世間から遠く離れた緊張感の中に置き続けると言うことを意味し、微妙な精神のバランスが少しでも崩れると、もう、それ以上仕事ができなくなってしまうのです。2、3日仕事ができないなどというのはざらで、一週間も続けて仕事に書かれなかったときには、もう、このまま「トリスタン」の世界に戻ることはできず、作品は未完で終るだろうと確信したものでした。」
 リヒャルトは、後に「隠れ家」を訪れたリストに述懐した。
 時には、思わぬことで「トリスタン」を作曲するために必要な精神のバランスが失われることもあった。ある時、リヒャルトは、ヴェネツィア市庁舎の近くで、白い小さな犬が飼い主と思われる男にひどく叩かれているのを見た。何か、おいたでもしたのであろうか、その、決して品が良いとは言えない初老の男は、きゃんきゃん泣く犬を、容赦なく打っている。通りすぎる人々は、顔をしかめるだけで、手出しをしない。リヒャルトは、いたたまれなくなって、男に歩み寄った。
 「失礼ですが。」
 男は、リヒャルトに目を向けた。男の白目は、真っ赤に充血していた。男は、どうやら、酒に酔っているらしかった。だが、リヒャルトはすぐに、男が単に酒に酔っているというだけではないことを見てとった。男の目付きが、定まらなかったのである。男は、
 「ごきげんよう、ムッシュー。」
と舌の回らない口調で言うと、白い子犬を抱き上げ、よたよたと歩み去った。リヒャルトは、その男の後ろ姿を、ただ見送るしかなかった。それ以上、何かできるとも思われなかったからである。
 リヒャルトが精神のバランスを崩したのは、2日後、カールから、その白い犬らしい犬の死体を、やはり市庁舎の近くで見たという報告を聞いたときだった。カールは、リヒャルトから顛末を聞かされていたので、すぐにその犬だとぴんときたという。
 「可愛そうに、やっこさん、だいぶ殴られたらしく、白い毛の所々が赤く染まっているんだ。近くに、割れた酒瓶が転がっていたから、それで殴られもしたんだろう。とにかく、私が見たときには、もう息がなかった。皆、それを見ながら、男があっちへ行ったなどと騒いでいたんだが、やがて市役所の職員が来て犬の死体を片付けてしまったので、それっきり、誰もいなくなってしまった。」
 グラスを持ったリヒャルトの手が、かたかたと震えた。それは、痙攣の発作だった。遣り場のない怒りと、悔恨の思いが、リヒャルトの胸の中に、何か熱く凶暴な塊となって沸き上がっていた。そして、この熱く凶暴な塊は、リヒャルトの意志とは無関係に、あっという間にリヒャルトの体中に毒を撒き散らし始めていた。リヒャルトは、その毒を感じて、おののいた。白い犬をなぶった男への怒りが、自分の体に回り始めた毒への恐怖の感情へと変わっていった。
 ヴェネツィアの街に冬の気配が深まるに連れて、リヒャルトの死への願望は、益々強いものになっていった。このことは、とりわけ、ドイツの哲学者ショウペンハウエルの著作を繰返し読むことによって強められていった。その上、リヒャルトは、奇妙な考えを抱くようになってきた。その奇妙な考えとは、人は、ある想念を抱くことによって、死ぬことができるかというものであった。リヒャルトは、カールがぞっとするほど熱っぽく、自らの「死」への憧れを語るのであった。
 「私には、カール、いかにより良く生きるかという哲学は、恥ずべきものに思われるのだよ。死に対する恐怖は、確かに、人間の行動を規定する、最も強い衝動の一つだ。しかし、精神というものは、そのような限定を踏み越えようとしてしまうんだ。最も恐ろしいのは、死そのものではなく、死を恐れるあまり、精神の躍動が止まってしまうことなのだ。実際、精神の脈動に任せていたら、その結果、肉体がそれに耐え切れなくなって、人間は死ぬかもしれない。しかし、それは、病気による死よりも、人間にとっては名誉ある死に方なのさ。ある想念を抱くことによって危険な領域に入ってしまい、その結果死ぬ、それは、結構なことじゃあないかね、カール。」
 カールは、先ほどから、サンマルコ広場に面したいつものレストランで、リヒャルトの「死」の講義を、延々と聞かされていた。サン・マルコ広場では落葉が渦を巻きながら踊り、すっかり冬の気配に包まれていた。カールは、何だか落ち着かなかった。リヒャルトの話は、気が滅入るものだったし、それに、カールには、どうも、先ほどから、リヒャルトの目の動きがおかしいように思わたのである。カールのそわそわした様子に全く気が付かないリヒャルトは、秘密を打ち明けるように、ひそひそ声になった。
 「それにね、カール、私は、警察が私が出す手紙を密かに検閲しているのをちゃんと知っているのだよ。私がドレスデンでちょこっとやらかしたことを、未だに根に持っているらしい。(全く、革命なんてやつは花火と同じで、水に落ちればしゅうと跡形もなく消えてしまうというのにね。)ヴィレ夫人が、私が送った手紙にシールを溶かした痕があったと言ってきたので、判ったのだ。奴らは、ヴェーゼンドンク夫人は私の愛人だと思っているだろう。それに、ミンナの心臓病の様子も、事細かに承知しているに違いない。ヴェネツィアの警察署長は、私の手紙を読むことによって、個人的な好奇心と、文学的関心さえ満足させているかもしれない。一通につき、一グルデン頂戴したいぐらいさ。」
 もともと、リヒャルトには被害妄想の気があったが、「トリスタン」を作曲するという極度の精神の緊張が、危険なほどの猜疑心の噴出となって現れたのであった。
 「それに、一番許せないことは、奴らが『トリスタン』のスコアを狙っていることだ。革命を扇動するような輩の作るオペラには、危険思想が盛られているに違いないという訳だ。だが、大丈夫。ちゃんと、手は打ってあるんだ。『トリスタン』のスコアは、すぐにはわからないように隠してある。そう、君に教えたあの場所だ。そして、机の上には、これ見よがしにマイヤーベアの『トロヤ人』のスコアが置いてある。傑作じゃないか! これ以上、愉快なジョークがあるかね? マイヤーベアの『トロヤ人』が、『危険な』なオペラだとはね! まあ、もっとも、聴衆の趣味を堕落させるという意味では、これ以上危険な作品はないだろうが!」
 カールは、曖昧に笑った。そして、レストランの中や、サン・マルコ広場を行く人々の流れに目をやる振りをした。
 このような精神状態は、肉体にも悪い影響をもたらさないはずがなかった。ついに、ある朝、リヒャルトは高熱を出して寝込んだ。小間使いが、カールの下にやられた。カールは、すぐにゴンドラで出発した。しかし、途中でゴンドラが遅いのにいらいらして、船頭をどやしつけると、ゴンドラを接岸させた。そして、石畳の道を小走りにギュスティニアニ宮殿へと急いだ。
 リヒャルトは、寝室のベッドに横たわっていた。カールが忍び足で近付くと、薄く目を開け、カールを見た。
 「カール、これは、悪魔の亜鉛の味だ。」
 「悪魔の亜鉛?」
 カールは、訝しげにリヒャルトを見た。
 「そう、ずっとそんな気がしていたのだよ。この、ほろ苦くて、噛み応えのある味は、悪魔の亜鉛の味だ。子供の頃、誰かが話しているのを聞いた記憶がある。人は、死ぬ前にそんな味がするそうだ。それに、血の味がする。これは、間違いなく血だ。くそっ。それとも、私自身の血だろうか。舌を噛んだに違いない。」
 リヒャルトはそこまで言い終ると、再び目を閉じた。カールは静かにリヒャルトのベッドの傍らに歩み寄った。気配から、リヒャルトが眠っているのではないことが判った。
 「リヒャルト、君は、内臓でも悪いのではないか?」
カールは、一つ一つの言葉を区切るように、リヒャルトに声をかけた。
 リヒャルトは目を開けると、カールの姿を認めた。そして、カールの目をじっと覗き込んだ。リヒャルトの目は、カールの眼差しを受け止めてはいるものの、その視線はカールを通り越して、遥か彼方の銀河の瞬きを見ているかのようであった。カールはリヒャルトの中にある深い闇を思った。リヒャルトは、やがて再び目を閉じると、今度は深い眠りに入っていった。 
 幸い、リヒャルトの熱はその日の夕方には下がった。しかし、それでも、微熱があり、体が何となく重い状態が、その後何日も続いた。
 微熱が続く間も、リヒャルトは「トリスタン」の作曲を続けた。体の中からふつふつと微かな熱が沸き上がってくる状態は、「トリスタン」の作曲を先へ先へと駆り立てる効果を持った。
 
 うねり、氾濫するものの中に
 響きわたるものの中に
 世界の呼吸の
 行き渡る全てのものの中に
 溺れて
 沈んで行く
 意識することもない
 ああ、至高の喜び

全ては、第三幕の「イゾルデの愛の死」という終着点に向かって、ゆっくりと進行していた。後に、マチルデに「『トリスタン』は、今もって私には奇跡である。」と書き送った作品の完成が、着実に近付いていたのだ。

 やがて、1958年も暮れ、新しい年が訪れた。リヒャルトの精神状態は次第に落ち着き、健康も取り戻した。それに連れて、作品の上演や将来の計画を巡っての手紙のやり取りが頻繁になってきた。リヒャルトは、「トリスタン」の迷宮から脱出して、外部世界へと再び目を開き始めた。
 「カール、第二幕のオーケストラ・スケッチが完成したよ。」
 3月の初旬のある日の午後、カールが部屋に入っていくと、リヒャルトはにっこりと笑って言った。その日は良く晴れ渡り、午後の白い日差しが、リヒャルトの居間を明るく照らし出していた。書きもの机には黄色い花が置かれ、カールは一瞬南フランスの小さな村にいるような錯覚を覚えたほどだった。
 カールは、リヒャルトの偉業を自分のことのように喜んだ。
 「リヒャルト! 君は、何と素晴らしい・・・。えい、うまく言えない。とにかくお祝いだ。」
 カールはリヒャルトの手を握ると、ハンカチのように振りちぎった。
 「とにかく、君は、気分転換が必要だ。これだけのことを成し遂げたんだ。少しくらい休んだって、芸術の神様(ミューズ)だって文句は言わないさ。それに、十分休んで置かないと、またいつかみたいに・・・畜生、俺は、一体何を言っているんだ。さあ、リヒャルト、笑っていないで。君も、自分がどこにいくのが良いか、少しは考えてくれよ・・・。」
 カールは、リヒャルトをリドの海岸へ連れていくことにした。
 リドの海岸は、時折ゆっくりと歩く療養中の紳士や急ぎ足で歩く地元の船員を見るだけで、ひっそりとしていた。海風は強く、沖で白い波が逆立っていた。カールとリヒャルトは、通りに面したレストランに入り、軽い飲物を注文した。
 リヒャルトは、初めて世界を見る子供のように、訝しげにレストランの窓から見える海の波を眺めていた。それを見て、カールは、リヒャルトの精神状態が、穏やかな回復のさ中にあることを知った。カールは、リヒャルトを少しからかってみたくなった。
 「覚えているかい、リヒャルト。君が熱を出して寝込んだとき、しきりに『悪魔の亜鉛』のことを気にしてたのを。」
 「『悪魔の亜鉛』だって?」
 「そうだよ。『悪魔の亜鉛』さ! 忘れちゃったのかい? いろいろ不気味なことを言って、気持ち悪かったんだぜ。」
 「いや、全く覚えていないね。」
 「それは惜しい。覚えていれば、今度君が作るオペラの、格好の材料になったろうに! 俺は、君が随分気持ち悪いことを言うなあと思いながら、そんなことまで想像力で作り上げてしまう君の頭脳に、少し嫉妬しさえしたんだ!」

 カールとリドの海岸へ出かけた日から間もない日の午後、リヒャルトは、一人でギュスティニアニ宮殿の部屋にいた。その時、何の前触れもなく、リヒャルトの人生に時折訪れる静かな啓示の時間が訪れた。リヒャルトは、愛用のヴェネツィアン・グラスにブランデーを注ぎ、ソファに沈みこんだ。リヒャルトの目が、遠くを見つめるように緩んだ。 
 人は、「トリスタン」にさえ、慣れることができるのだ。人は、どんなにその存在を揺さぶられる体験をしても、それだけで尽きてしまうものではない。冬が終れば春が訪れ、新しい栄養の摂取を欲するのは、生命の原理とでもいうべきものである。「トリスタン」がリヒャルトにとって、あるいはおそらく全人類にとっていかに偉大な現象であったとしても、それは、全てではあり得ない。別の言い方をすれば、それは、「トリスタン」が、その毒を抜かれ、精神にとって危険どころか健康的な飲物にさえなることを意味していた。「トリスタン」は、やがて、劇場が上演するオペラのレパートリーの一つになり、その上演は、日常茶飯事のものとなり、リヒャルトがその創造にあたって通過した想像を絶する苦しみや、危機は、忘れ去られるであろう。「トリスタン」は、劇場主の、金儲けの材料となり、評論家が欠伸をしながらその上演の評を書くような作品になるだろう。そのようにして、人は生きていくのだ。それが、人類の歴史というものだ。
 リヒャルトは、後年、コジマに対してこの時代を述懐するとき、決して解くことのできない謎を前にしたように微笑むのが常だった。
 「人間は、些細なことで、命を落したり、また、生きようと思ったりする。人によっては、私がベネツィアであれほど強く取り付かれていた「死」への願望でさえ、私が「トリスタン」第二幕を仕上げるのに必要とした、いわば薬のようなものだというかもしれない。確かに、そうした、功利論的な視点も、人生の真実の一部を表している。しかし、人生の真の深みを知るものは、そのような意見の表明を聞いても、黙って微笑んでいるだけだろう。」
 何れにせよ、リヒャルトは危機を脱した。現実世界と、実際的な活動の日々が、彼の前に明るく横たわっていた。リヒャルトが、ヴェネツィアを去るべき時が来たのだ。

 夕刻になり、カールとリヒャルトは、リドの船着場から、ヴェネツィアへ向かうゴンドラへと乗り込んだ。
 「カール、君がいなかったら・・・。」
 リヒャルトは、カールに感謝の眼差しを向けた。カールは、照れくさそうに帽子の縁に軽く手を当てた。それから、二人は無言で、ヴェネツァへの水路を揺られていった。紅色に染まった西の空を背景に浮び上がる教会の尖塔のシルエットが、素晴らしい効果をもってリヒャルトを圧倒した。リヒャルトは、ヴェネツィアに来てすぐの夕暮れに、西の空に大きな彗星を認めたことを思い出していた。当時の新聞には、この彗星は何か不吉なことの前兆に違いないと書き立てられていたのだが。リヒャルトは、あの、彗星のあった空と、今見上げている空との間に隔たる時間の流れのことを思った。

 1859年3月23日、リヒャルトは、ヴェネツィアを去った。最も重要な宝物であるエラールのピアノは、後から送ってもらうように手はずを整えた。翌日、リヒャルトはミラノに着いた。ミラノでは3日間をかけてルネッサンス美術の至宝を見て回った。リヒャルトは、決して絵画の真価を理解するのに長けているとは言えなかったが、それでも、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の原画はかなり痛んでいるが、複製画と交互に比べると、原画の持つ精神性を完全に複製することは不可能であることを悟ることはできた。
 ミラノの観光で気分転換したリヒャルトは、ルツェルンで「トリスタン」の第三幕を仕上げることにした。ルツェルンの天候は、陽光溢れるイタリアに比べると陰鬱なものであったが、懐かしい伸びやかで緩やかな、それでいて力強い空気に満ちていた。それに、ルツェルンにある「シュヴァイツェルホーフ」というホテルは、夏のシーズンが始まるまでは滞在客も少なく、「トリスタン」を仕上げるための孤独と沈黙を得る上では申し分ない場所と思われたのである。幸いにして、リヒャルトはオーナーの計らいで一つのフロアを格安な値段で借りることができた。
 ルツェルンの気候は、5月の終りまで雪や雨が降り、時には骨が凍るほど寒かったが、リヒャルトは、第三幕の作曲を続けた。
 出版社のヘルテルから、下刷りされた「トリスタン」第二幕のスコアが届いたのは、よく晴れた日曜日の午前中のことであった。リヒャルトは、その羊皮紙の塊に、フェティシズムといってさえ良い喜びと愛着を感じた。自分の生涯の中でも最も大胆で、独創的な作品となるであろう「トリスタン」第二幕は、いまこうして美しく彫り込まれて、ホテル・シュヴァイツェルホーフのオーク材のテーブルの上に置かれているのだ。リヒャルトは、ブランデーをグラスに注ぎ、ソファに腰掛けて、琥珀色の液体をゆっくりとグラスの中でまわしながら、スコアのページをめくった。夜になるとまだ寒いので、暖炉には、火がくべられていた。リヒャルトは、時折目をスコアから暖炉に燃え盛る火へと移しながら、自分が、「トリスタン」を当初は軽いイタリア・オペラとして構想していたことを思い出して苦笑した。そして、現在進行中の「第三幕」のスコア、とりわけ、トリスタンの長いモノローグの部分を出版社に渡すことは、果して正気の沙汰なのかと自問せずにはいられなかった。リヒャルトは、自分がいかに世間から遠いところに来てしまったかということを思った。リヒャルトは、嘆息した。

 リヒャルトが、ヴェーゼンドンク夫妻と再会したのは、ルツェルンに到着して二、三日後のことであった。
 リヒャルトが見覚えのある門を入ると、ちょうど、オットーが馬車で戻ってきたところであった。馬たちの鼻からは、白いものが出ていた。オットーは、リヒャルトの姿を見ると、軽く帽子に手をあてて会釈した。
 「やあ、お帰りになっていたとは聞いていましたが。」
 リヒャルトは、黙って、手を喉元の辺りまで挙げた。
 オットーが御者に某かの金を渡している間に、夫の帰宅に気がついたマチルデが外に出てきた。マチルデは、リヒャルトの姿に気がついたが、視線をすぐにそらすと、夫の方へと小走りに近付いた。
 「お茶でもいかがですか?」
 リヒャルトは、オットーのその言葉を、どこか遠くからの声のように聞いた。そこには、もう、以前のような、妻を、他の男に奪われるのではないかと怯えている小心者の面影はなかった。オットーは、繁栄を極めている商会の経営者としての、勢いと自信に溢れていた。リヒャルトがヴェネツィアで達成してきたものが文化的な視点からいかに驚くべきものであったとしても、それはオットーの自信を露も脅かすものではなかった。リヒャルトは、そのことに落胆するというよりも、奇妙な安心感を覚えた。リヒャルトは、その時、確信したのである。これで、これからも、オットーを「パトロン」として、頼りにすることができるであろうと。
 リヒャルトは、招き入れられるままに、懐かしいヴェーゼンドンク家の客間に入った。オットーとリヒャルトが3人分の食器がセットされたお茶のテーブルについても、マチルデはなかなか現れようとしなかった。オットーは、
 「きっと、着替えでもしているんだろう。」
と、気にも留めていないようだった。そのことが、リヒャルトに、オットーの男性としての自信が回復したことを改めて思い知らせた。
 マチルデがようやく現れたのは、リヒャルトがオットーの株式市場に関するくだらないおしゃべりに30分以上も苦しめられ、お茶を口にしているのにもかかわらず、何故か喉の渇きを覚え始めたころであった。マチルデは、一言「遅くなって済みません」というと、リヒャルトの向かい側のテーブルについた。
 マチルデは、今流行のスタイルなのだろう、薄紫のドレスを着ていた。胸には、大きな真珠のペンダントが光っていた。折からの西日が、緑色のモスリンのカーテンを通して、マチルデの良く櫛の通った髪の毛を照らし出していた。リヒャルトは、マチルデが相変わらず若々しく、美しいことに感嘆した。リヒャルトは、これほど美しい女性を間近に見るのは、一体何時以来のことだろうと思った。リヒャルトは、ヴェネツィアでの自分の生活に欠けていたものが、真に美しい、良い趣味を持ち、また心もやさしい女性の存在のもたらす慰めの効果であったことを、少しづつ思い起こしていた。
 「ヴェネツィアはいかがでしたの?」
 それが、マチルデのリヒャルトに対する最初の質問であった。それは、ありふれた平凡なものであったが、リヒャルトにとっては、マチルデらしい思いやりのこもった、思慮深い質問のように思われた。
 そこで、リヒャルトは、マチルデにヴェネツィアでの自分の生活を話して聞かせた。作曲と、散歩と、ゴンドラと、サン・マルコ広場での食事。そのような単調な生活の繰返しの中で、ゆっくりと、「トリスタン」が成熟し、その実を結んでいったこと。ヴェネツィアを網の目のように覆う運河のほとりを歩きながら、「死」を思ったこと。そして、そんな中でも、ヴェーゼンドンク夫妻のことは、決して忘れなかったこと。
 リヒャルトが、
 「ヴェーゼンドンク夫妻のことは、決して忘れなかった。」
と言ったとき、マチルデの目が、一瞬きらりと光ったようにリヒャルトには思われた。リヒャルトは、つい半年前までは隣に住み、愛し合っていた人の瞳を見つめた。だが、一瞬の輝きはその目からすぐに消え、その表情は、懐かしい友人を迎える女主人のものに変わっていた。リヒャルトは、マチルデの表情の変化の中に、過ぎ去った時間の重みを読み取った。そして、同時に、自分の内面の中で、「トリスタン」が、その作曲を始めた時の、自分のマチルデに対する熱い憧憬の思いを離れて、いつの間にか普遍的な意味と、音楽性を得ていった過程を振り返った。自分が、「トリスタン」を完成する上でもはやマチルデを必要としないように、マチルデも、平穏で、豊かで、しかも文化的な刺激に満ちた市民生活を営んでいくうえで、もはやリヒャルトを必要としないのであった。リヒャルトは目を伏せた。
 会話は、何時の間にか、最近のヴェーゼンドンク家の社交に移っていった。リヒャルトが去って以来、オットーの趣向がより支配的な意味を持つようになったので、ヴェーゼンドンク家を訪れる客も、以前より商人や、実業家の割合が増えているようであった。それとともに、ヴェーゼンドンク家を取り巻くサークルの性質も、確実に変貌していた。しかし、そのような変化を報告しながらも、マチルデの表情には、取り立てて不満の感情は見られなかった。
 「アメリカ人も、つき合って見ると、そんなに悪い人達ではないようだわ。」
 「ヴェーゼンドンク夫人、しかし、アメリカ人も、「ヨーロッパ」のやつもつき合って見ると、そんなに悪くないといっていることでしょうよ。文化だ歴史だと面倒なことを言っているが、結局彼奴らも金だと。」
 「まあ、それは皮肉ですの?」
 「とんでもない、私のことを言ったまでですよ。私も、浮世離れしているように振舞っているが、金はほしい。その点では、アメリカ人と何の違いもないわけです。」
 確かに、それは、余りにもたわいない会話であった。しかし、オットーが同席している以上、リヒャルトとマチルデには、そのような会話を続ける以外の選択肢はなかった。それに、リヒャルトは、マチルデとのそのような会話を楽しんでさえいた。今、もし二人だけであったら、却って、その重みに耐えることができないかもしれない、そうリヒャルトは思った。むしろ、自分とマチルデの間に、このような会話を楽しむという新しい回路ができつつあることを、喜ばしいとさえ思った。このような会話なら、社交界の平穏な秩序を乱すことなしに、続けて行くことができそうだ。永遠に。マチルデの頬も赤くそまり、リヒャルトは幸せであった。リヒャルトとしては、今や彼の人生の中で伝説的な存在となってしまった女性とのこの新しい実験をもう少し続けていきたいところだった。しかし、その中に、オットーが紅茶茶碗をかたかた言わせ始めたので、リヒャルトは、自分が立ち去るべき時が来たことを知った。

 リヒャルトがホテル・シュヴァイツェルホーフに着いたのは、もう辺りがすっかり暗くなった時だった。リヒャルトの部屋は真っ暗で、リヒャルトは手探りでランプの場所を探さなければならなかった。ランプがやっとともると、リヒャルトはほっとしたようにソファに腰を下ろした。柔らかいクッションの中に深々と体を静めると、リヒャルトは自分がひどく疲れていることに気がついた。
 リヒャルトは、しばらくそうしたままで、今日のヴェーゼンドンク家訪問を振り返った。彼は、それをなるべく深刻な光のもとで見ようとしたが、どうしても駄目だった。やがて、リヒャルトは、ヒステリックに笑い出した。全てが、とても滑稽に思えたからだ。
 そして、しばらくぶりに、静かな恍惚の時間が訪れた。リヒャルトは、殆ど自分の存在を忘れながら、自分の人生のこれまでと、これからに思いを巡らせていた。確かに、「トリスタン」は確実に完成に向かっていた。もし、今、彼が世の中を去ったとしても、「トリスタン」は、彼の名前を人類の文化史に永遠に残すことであろう。それは、少しはリヒャルトを安堵させる考えだった。しかし、「トリスタン」が終ろうとしている今、彼、リヒャルト・ワグナーは、どうすればいいのか? どこで、何をすれば良いのか? そもそも、リヒャルトに、この地上に居場所はあるのだろうか?
 リヒャルトは一つ深いため息をついた。時計が鳴り、7時になったことを告げた。もうすぐ、ボーイが食事に呼びに来るだろう。
 リヒャルトは、着替えをしようと立ち上がった。コートを脱ぐと、何か堅くて大きいものが床の上に落ちた。それは、リヒャルトがマチルデに献呈しようと、コートの下に忍ばせていた「トリスタン」第二幕のスコアだった。しかし、その、小さなプレゼントは、すっかり忘れ去られて、未だに贈り主の下にあったのだ。
 「トリスタン」のスコアは、リヒャルトの汗で、ほんのりと湿っていた。そして、表紙に書かれた、
 「マチルデ・ヴェーゼンドンク夫人へ。友情と敬意をもって。リヒャルト・ワグナー」
というサインは、インクが少しにじんで、読取りにくくなっていた。